私は一体何をしようとしてるのか?




恩を学び、恩を返していく。誰しもが人生の中で恩を受けて生きている。
恩返しや恩送りはもちろんのこと恩情、恩恵、恩寵、恩徳などを忘れない
ためにも「恩」を繰り返し伝えていきたい。

文章を書くということは善意の行為だという自負がある。
しかし私にそれだけの力はあるのかと疑問も湧く。
毎夜、頭の中に言葉の啓示があり、それに従って書いているだけなのだが、
私は一体何をしようとしているか分からない時がある。

この恩学の文章は誰のために書いているのか、そして誰かの役に立っているのだろうか?

残りの人生の時を費やしても書く意味があるのだろうか?

しかし、過去の多くの哲学者は同じ悩みを持ちながらひたすら書き続けてきた。
この様な疑問を持つことは未だ修行の途中なのに未熟者が勘違いをしていることである。
今、この時を大切に生きていかなければならない。

「温故知新」過去を温めて、新しきを知る。新しきとは未来もさす意味もある。
伝統を大切にして、そこから学んだ経験を、時代に応じた形で表現をしていく。
今を大切にしなければ古きも新しきも無いのである。

東京大学の名誉教授である勝俣鎮夫先生の研究によりますと、日本語表現において、
未来のことを「アト」過去のことを「サキ」と表現する場合、「後からやる」
「後回しにする」と言った言葉は未来を表わし、「先程は」「先日は」と言った
表現は過去を表わす言葉となります。

逆に過去のことを「アト」、未来のことを「サキ」と表現することもあります。
「先送り」や「先々のことを考えて」と言うと「サキ」は未来のことで「跡をたどる」
と言うと「アト」は過去を表わす表現になるわけです。 
ところが戦国時代までは「サキ」は過去、「アト」は未来と決まっていたそうです。

現代人は未来の方向を指差す時必ず前の方向を指しますが、戦国時代は背中の方を
指差していました。江戸時代になって平和が訪れたことで人々は、
「明日も同じように暮らしていくことができる。未来は制御可能である」という
自信を得て「未来は私たちの前に広がっているのだ」という思いを持つように
なったからではないかというのです。 

明日がやってくることは、今の世では当然のことです。しかし昔の武士達にとっては
今を生きるしかなく、明日が来ることは特別なことであったわけです。
大河ドラマの中で、毎週のように人が死んでしまうことは、何も特別なことではなく、

「人が死ぬことは常」という当時の価値観なのでしょう。 

「生死事大、光陰可惜、無常迅速、時不待人」という禅の教えがあります。 

死は、いつ、どんな形でやってくるのか分からない代物です。
だからこそどう生き、どう死を捉えるのかが重要であり、まだまだと思っている間に
時間は過ぎ去ってゆく。この世は常に移り変わる、形あるものは壊れ命あるものは
尽きる。時は人を待ってはくれない 時間を無駄にせず、しっかりと生きるのだ。
ということを禅は強く諭しているのです。 

正受老人(道教慧端)の「一日暮らし」という教えを思い起こします。
 
人はとにかく一日を良く暮らせば、その日は過ぎていく。決して一日をおろそかに
してはいけない。今日の勤めを今日行うことが大切、どんなに苦しくても今日一日の
辛抱と思えば耐えることができる。どんなに調子が良いことがあっても、
それにふけることもない。長い一生と思うとかえって大事なことを見失う。

一生は今日一日、今日一日を勤める他ない。 
大事なことは今日、ただ今の心であるという教えです。
「今日限り、今日限りの命ぞと、思いて今日のつとめをぞする」(道歌)

小生、齡74になり職を離れ、次の使命が来るまで恩学を書き続けている。
誰かの役に立つ、立たないかでは無く、これが我が使命だと認識をしている。
手を挙げなければ、声を出さなければ、付き合いをしなければ、周りから自然に
人は離れる。しかし、これは孤独では無い強い意識の中の単独なのである。
禅の修行の様にたった1人の修行なのである。

誰に評価されなくても良い、誰からも褒められなくても良い、私は私なりの道を
歩むだけである。漸く、哲学者の思いが少し分かり始めてきた。

限度という器があれば溢れでてしまう行為は意味をなさない。
敵わない夢を追い求めて生活を放棄するなど言語道断である。
自分の欲を超える欲求は百害あって一利なしである。
度が過ぎると破滅の道を歩むことになる。

座右の銘「愛語よく回天の力あり」道元
「面(むかい)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくする。
面わずして、愛語を聞くは、肝に銘じ、魂に銘ず。
愛語よく回天の力あることを学すべきなり。

面と向かって優しい言葉をかけられれば、自然と顔に喜びがあふれ、心が楽しくなる。
また、人づてに優しい言葉を聞いたら、その言葉が心に刻まれ、魂がふるえる。
それは、愛語が人を愛する心から生まれ、人を愛する心が、他人を大切に思う、
心の中から芽生えてくるものだからです。

本当に、優しい言葉というのは、世界を変える力があるのだということを、
私たちはよくよく学ばなければいけません。
恩学より

デジタル社会になり人の心が無機質状態になり、感情で表現することが苦手になっています。
人間の声は大きな力を持ち、強いメッセージを伝える大切な役割を担っているのです。
我々はその声で「愛語よく回天の力を」発信していくのです。

先ずは愛語良く回天の力ありを学すべしなのである。
私は一体何をしようとしているのか?
これからこの先も「恩学」の世界を全うしたい。


正論攻撃




皆様も経験してきたことでしょう。
親も含めて教師も上司も自分たちの正論を掲げて我々を押し潰そうとします。
厄介なのは「正論」は自分も含めて共通の常識と言われているものなのです。
世間が決めた常識が正論なら過去に作られた法律は不要にならないか?
子供の頃から躾と称して制約を加えるのは宗教団体の教義と同じで無いのか?
善悪は神が決めたものだからそれに従わないものは悪魔だと言い切るのはおかしい。
それを利用する支配者が自分の利権のために都合よく「正論」を述べるのであった。

何故か子供の頃から正論と言われると反抗してきた。
目に見えない鎖のようで必死に振り払った。
何故か他人とひとくくりにされるのが嫌だった。
個人の尊厳を無視して画一化を図るのには抵抗してきた。

縄文時代の正論は自然が決めることであって人間が決めるものではなかった。
星を眺めながら多くの気候を学んできた。農作物の出来不出来も教えてくれた。
嵐も台風も季節の移り変わりも星を眺めながら知っていた。
平均寿命が30代半ばと短かった縄文人。彼らを苦しめたのは温度であった。
少しの温度の高低差も絶滅の危機が迫るからである。

上に立つものが下の部下に対して正論でねじ伏せようとするのが多くみられる。
現代ではそれをハラスメントという。「なに・なにをするのは当たり前」と喚き散らす。
「こんなことも出来ないのか」と怒鳴る。「馬鹿野郎死んでしまえ」蔑みの言葉を吐く。
過去に自分たちも先輩上司から言われたことを正論としているのである。
これは正論でも何もないただの常識はずれのパワーハラスメントである。

あらゆる組織の習慣を正論としてとらえる無知な大人も多いのは確かである。
悲しいかな人間の本能なのか誰にでも支配欲が渦巻いている。
男女に区別なく役職が付くと偉そうな物言いになり威圧感をあたえる。

世間で言う正論は一方向でしか見ることは出来ないのだろうか?
国も人種も世代も違っても変わらないのだろうか?
多様性のあるダイバーシティーは本当に実現するのだろうか?

一水四見(いっすいしけん)
さまざまな苦しみや悩みから脱却するためには、正しいものの見方が大切です。
しかし、人間は、正しいものの見方をすることはなかなか難しいと思います。
学校や会社の中でも、あるいはグループにおいても、一人でも気にいらない人がいると
落ち着かないという経験があると思います。しかし、そこには単に「その人」が、
そこにいるだけです。結局のところ「嫌い」という私自身の心が
「あの人さえいなければいいのに」という見方に傾いていき、そこから苦しみが
生まれてくるわけです。そうすると、互いに傷つけ合い、最後には苦しみ合う結果に
なってしまうのです。

「認識の主体が変われば認識の対象も変化する」仏教の考え方の一つ『唯識』に
「一水四見」という言葉があります。一口に水といっても四つの見方に見える。
つまり、同じものでも見る立場や心のもちようによって違うように見えてくるという
意味です。

① 天人には水がきれいに透き通ってガラスのように見える。
② 人間の私たちには、そのままの水に見える。
③ 魚たちには住み家と見える。
④ 餓鬼には燃えた血膿に見える。

これは「人」「人間」「魚」「餓鬼」という立場で「水」を見た場合、
それぞれ異なって見えることを例えたものです。
これを私たちに当てはめてみると、私たち人間は、みんな生まれ育った環境や境遇、
受けた教育、経験したことや考えてきたこと、興味を持ったことなどさまざまで、
それぞれその人独自の世界観があり、価値観があります。それが大きなひとつの
「ものさし」となって、いろいろな事を認識しています。

それでは、自分が見ている世界は、他人から見てどのように見えるのでしょうか。
同じものを見ていても、気づかないことがあるのではないでしょうか。
世界というのは、実は同じ一つの世界にみんながいるのではなくそれぞれがそれぞれの
世界を作り上げてそれぞれの世界を見ているということです。
つまり、人それぞれが各々の世界をもっていて、どこかの接点で同じ共有をしています。

そこから「つながり」が生まれてくるわけです。人生の中で、いろいろな苦しみや悩みに出合った時、

ものの見方を私自身が変えることによって、見えなかったものが
見えたり、気づかなかったことに気づかされたりして、世界が拓かれていくのだと思います。

「分断が、征服や侵略の「力」を現実にする。
分けると、分けられた、ものの間に争いの起こるのは当然だ。
すなわち、力の世界がそこから開けてくる。
力とは勝負である。制するか制せられるかの、二元的世界である。
高い山が自分の面前に突っ立っている。そうすると、その山に登りたいとの気が動く、
いろいろと工夫して、その絶頂をきわめる。そうすると、山を征服したという。
この征服欲が力、すなわち各種のインペリアリズム(侵略主義)の実現となる。」
鈴木大拙

人間関係に順列があるのは当然で上があり下が存在するのです
頂上に登ったことを自慢するのではなく頂上に登って何をするかが大切である。
私達が正論を掲げるよりもその場に応じた状況により判断しなければ、
世界中が混乱してしまう。ウクライナもパレスチナも宗教的な正論で戦争が繰り替え
されているのです。

日本は過去に戦争であれほどの被害を受けながらアメリカへ報復をしなかったのは
臆病ではなくて、人間の持つ「恨み」の本能を断ち切るために決断したのです。
戦力の差をまざまざと見せつけられて戦いで勝負することを諦めたのです。

しかし日本は今までの「正論」を覆して武器を捨てて誇りを取り戻したのです。
武士の考えを前面に出すことなく新しい精神論と文化を前面に押し出したのである。
そして経済活動に専念することによりアメリカに続くGDP2位の結果を生み出したのです。

これは過去にも例がなく「世界の奇跡」と呼ばれるものであった。

私たちが歴史で学んだ敗戦国日本はアジアの征服と侵略を犯したひどい国である。
これが正論と教えられたのに敗戦後数年たってアジアの各国の元首から
「あの時に日本が我々を救ってくれなかったら西欧の属国となっていた」
今頃、きっと奴隷のように扱われていたに違いないと感謝を述べていた。

戦後アメリカ軍が作った法律や教科書は日本人に自虐意識を植え付けただけである。
現代の「正論」を作り出す政治家や学者が現れないのだろうか期待するばかりです。
皆様も時には正論に立ち向かってはどうだろうか。


同床異夢




2000年に個人経営の音楽会社を全て閉じた。
残された会社の整理をしながら次の仕事を探し回った。
その時に友人の紹介で汎用の仕事を請け負うシステム会社へ就職した。
音楽屋が突然の転職でコンピュータの会社へ入ったのである。
仕事の内容は経営企画部長である。上場の為のシナリオ作りを命じられた。

その会社の仕事で何回か韓国へ出張で行き、ホテルでTVドラマを見ているうちに
このドラマは日本でも流行ると思い、IT会社の経営者を説得して資金を出してもらった。
そして韓国ソウル明洞に2001年にオンデマンドの映画会社を設立したのです。
目的は韓国ドラマの放映権と著作権の取得でした。

日本の映画会社や配給会社、テレビ局のドラマ担当者へ、営業で猛攻をかけたのだが、
しかし、何処の会社でも「日本人が朝鮮人のドラマは見ない」といわれて笑われた。
挙句の果てには「稲葉は終わった」と噂まで流された。
どこも融資には参加してくれなかった。

なにはともあれ私が韓流ドラマのキッカケを作ったのは確かである。

しかし、一年ほどして韓国側の経営者及び株主の不正を見つけて撤退した。
韓国側の役員は証券会社の社長、新聞社の社主、投資家の会長などそうそうたる
メンバーでしたが肩書に騙されました。反日の根深さを思い知らされた出来事です。

その時、時を同じくにして中国から新人の売り込みがあった。
私は一発で気に入り紹介者の中国人と北京に飛んで個人契約を結んだのです。
それがあの有名な中国古典演奏家「女子十二楽坊」である。

中国のプロデューサー兼オーナーは、日本の主要なレコード会社へ同じ資料を送った
のだが、全部不採用の返事ばかりだと打ち明けてくれた。
「中国の古典音楽なんて日本では誰も興味を持たない絶対に売れない」と言われたという。

稲葉がわざわざ来てくれたので交渉権は全部稲葉に任せると約束してくれた。

相変わらず日本の関係者は新しい市場を作ることが出来ないのだと確信した。
しかし私は大多数が売れないと言えば、必ず大ヒットへと持っていく自信があった。
私は中国側の条件を聞き入れ急ぎ帰国してレコード会社のトップと面談をした。
私をよく知っている大手レコード会社の会長が「売れるかは分からないが、
稲葉の頼みなので契約するよ」と回答をくれたのです。
そこから発売されるまでに二転三転したが結果は大成功に終わったのである。

そういえば昔CBSSONYへ入社した時に「女王陛下への贈り物」という本を読んだ。
(その後この本を探したのだが検索しても見つからなかった)
そこに書かれていたのがセールスマンの極意とあった。

A君とB君の2人のセールスマンにアフリカへ行って靴を売ってこいと指示が出た。
早速、A君とB君はアフリカへ飛び本社へメールを入れた。
B君は「この国では全員裸足なので靴は売れません」
A君は「最高ですみんな裸足なのでとんでもなく靴は売れると思います」
同じ状況の中でも人によってとらえ方が違う典型のパターンです。
私はA君タイプなので他人が反対すれば徹底的に挑戦したのです。

不思議なことにSONY時代は私が会議で反対(発売しない)されたアーティストは、
ことごとく大ヒットになったので、その後、私の提案の作品に誰もNOという人は
いなくなった。間違って私を知らない新人の営業マンが会議でNOと言えば、
私の目の前の灰皿が飛んだのである。笑い

その頃の中国でのビジネスは国際的にも信用度が低く、外国企業は必ず騙される
というのが定番であった。その上に韓国と同じように反日国家なので裁判を開いても
国家相手の揉め事になり敗訴すると心配しているのであった。

勿論、私も警戒しなければ怖い相手だと思っていたのだが、
そのころの日本は(2001年)ITバブルが弾けて最低の時代を迎えていた。
その中で多くのサラリーマンがリストラで職を失った時期でもあった。
私は何度も公園や図書館で時間をつぶしている中年サラリーマンを目撃した。
私はそんな同世代の会社員に勇気を与える音楽を探していたのである。

私は韓国でも中国でもいつも「同床異夢」の精神でビジネスをスタートさせていた。
あの韓国の映画会社の件も海外で新たなスポンサーを見つけて継続していたら、
きっと大成功を収めていたに違いない。フリーのプロデューサーの力の限界である。

しかしそれに執着せずに中国飛んだから奇跡的な世界的大ヒットに恵まれたのです。
同じ立場でありながら、相手側の考え方や目的とするものが違っても、
才能豊かなアーティストを世に出すのがプロデューサーの役目である。

私のプロデューサーとしての目的な音楽で人々を元気にさせることである。
時代を意識したトレンドのヒット曲は二の次で、やはり世の中の人が初めて聞く音楽で
感動して勇気が得られる曲を提供することが第一の目的です。

「同床異夢」は、今もよく使われる四字熟語の一つである。
12世紀ごろ、中国・南宋の儒学者が、論敵に送った手紙の中に出てくる。
同じ床にいながら、それぞれ別の夢を見ている。転じて、事を共になしながら、
意見を異にするという意味だ。

また「同床異夢」としばしば比較されるのが、「呉越同舟」である。
春秋時代、呉と越は激しい戦いを繰り広げ、前473年、呉は滅亡する。
そんな仇敵(きゅうてき)同士でも、同じ船に乗り合わせ、嵐に遭って
転覆しそうになれば、手を取り合って協力するだろうという意味である。
呉の軍師だった孫武が記したとされる、兵法書『孫子』にある。

今、日本は国力も弱まり、経済力も技術力も世界最低基準にいる。
政治家も経営者も自分の利益ばかり考えて国民のことは棚上げ状態にしている。
一番悪いのはそれらに怒りをぶつけない国民でもある。

過去の常識に囚われて新しい課題へ挑戦する気迫が一切見られない。
日本国中が「ゆでガエル」状態で沸騰寸前なのに飛び出そうとしない。

大人たちが悲惨な未来をこのまま残してしまうと、
それらの最大の被害者は子供達なのである。

若者たちよ「同床異夢」でも「呉越同舟」でも構わないから、
警戒しなければならない国の人たちと一緒に舟に乗り込み世界へ旅立とうではないか!

今はなにも行動に起こさないことが一番危険です。


芸道




11月10日渋谷能楽堂の伊丹谷良介生誕50周年記念ライブ「うた」
11月23日新橋の醸造所での中村橋吾の一人歌舞伎「平家女護島俊寛」
11月26日大津市東員での地元町民によるミュージカル「LIFE is DERBY」

ロック歌手がマイク無しで能楽師と能舞台に立つ。
一人の歌舞伎役者が「俊寛」の解説と六役の人物を演じる。
町民が歌、パフォーマンス、ダンス、演技、舞台フォーメーションを発表する。

全てに高いハードルがある。強い熱意がなければ継続出来ないことである。
そして熱意だけでは無くそれまでの切磋琢磨した修練も必要である。
その上で観客の皆様の喜ぶ顔もこれからの芸道の励みにするのです。

伝統格式保護の為に能楽協会の許可がなくては能楽堂も能楽師も使うことは出来ない。
いくら歌舞伎の研修生でも中村屋の許可と伝統歌舞伎保存会の許可が無くては出来ない。
町民アクターは本職をこなして空いている時間で練習をする根気が無くては出来ない。

私が言う「芸道」とはエンタテインメントが基本です。
幾ら素晴らしい舞台やステージを用意しても、そこで芸を披露する人たちの卓越した
技術力が発揮されなければ意味をなさない。

常日頃から何度も言うように「練習は自分のために本番はお客様のために」である。
修行の厳しさがあっても、練習の苦労があっても、段取りのダメ出しがあっても
微塵にも顔に出したり、動作に出てはならないのである。

観客は日ごろの生活を離れて演目の世界へのめり込みたいのです。
そこで演技者自身の苦労の匂いがしてしまうと素人の芸どまりなのです。
プロの凄さはどのような状況でもお客様には安心感を与えられる人です。

芸道といえば能楽が頭に浮かぶ。そして「風姿花伝」である。
「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり」である。

ここで内容の一部を紹介します。

その風体は年齢によって気分や気色を変える。少年ならばすぐに「時分の花」が咲く
ものの、これは「真の花」ではない。能のエクササイズには「初心の花」というものが
あり、この原型の体験ともいうべきが最後まで動く。それを稽古(古えを稽えること)
によって確認していくことが、『花伝書』の「伝」になる。

幼年期(7歳頃)
「能では、7歳ごろから稽古を始める。この年頃の稽古は、自然にやることの中に
風情があるので、稽古でも自然に出てくるものを尊重して、子どもの心の赴むくままに
させたほうが良い。良い、悪いとか、厳しく怒ったりすると、やる気をなくしてしまう。」
世阿弥は、親は子どもの自発的な動きに方向性だけを与え、導くのが良いという
考え方を示しています。親があまりにも子どもを縛ると、親のコピーを作るだけで、
親を超えていく子どもにはなれない、という世阿弥のことばには含蓄があります。

少年前期(12〜13歳より)
12〜13歳の少年は、稚児の姿といい、声といい、それだけで幽玄を体現して美しい、
と、この年代の少年には、最大級の賛辞を贈っています。しかし、それはその時だけの「時分の花」であり、 本当の花ではない。だから、どんなにその時が良いからといって、生涯のことがそこで決まるわけではない、 と警告もしています。
少年期の華やかな美しさに惑わされることなく、しっかり稽古することが肝心なのです。
「風姿花伝」より

「風姿花伝」は能の仕草を芸能芸術として扱った。こんな芸術論は世界でもきわめて
めずらしい。ヨーロッパ人なら詩学とか詩法と名付けるだろうが、それなら言葉の
ための芸術論である。世阿弥の『花伝書』(風姿花伝)は所作や様態の芸術芸能論で、
しかも600年前だ。ブルネッレスキがやっと古代ローマのウィトルーウィウスを
発見し、ファン・アイク兄弟が出てきたばかり、アルベルティの『絵画論』ですら
『花伝書』の35年あとになる。文芸論や建築論や絵画論ならまだしも、
『花伝書』は人の動きと心の動きをしるした芸能論である。証拠がのこらない

パフォーマンスの指南書であって、それなのにそこには楽譜のようなノーテーションや
コレオグラフはひとつも入っていない。ただひたすら言葉を尽くして身体芸能の真髄と
教えをのべた。ただの芸能論ではない。観阿弥が到達した至芸の境地から人間と芸術の
関係をのべている。人間の「格」や「位」の学習論にもなっている。
松岡正剛の千夜千冊より

芸道を磨くとは人間を磨くことと同じなのである。
芸を磨く環境が整わなくても数倍努力をすればよいのである。

伊丹谷良介も中村橋吾も東員の方々もそれぞれが芸道を究めようとして
日々切磋琢磨を繰り返しているのである。
まだ完全に完成したとはプロデューサーの立場からは言えないが、そこに含まれる
情熱と探求心あくなき芸道の追求がこれからのエンタテイメントには必要なのです。

見る者を感動の渦に引き込むのである。私の血が騒ぐのはこのような上昇志向を持っている人たちの役に立ちたいと思うからです。
それが私の天命ですから喜んで応援したいのです。

どのように時代が移り変わろうと、どのようなジャンルであっても、挑戦なきところに
成功も感動も生まれないのである。

伊丹谷良介は新しい時代のロックの進化系に挑戦をしてほしい。
中村橋吾はスーパー歌舞伎を飛び越えるフュージョン歌舞伎に挑戦してほしい。
東員市民ミュージカルの皆様にはプロがやらない題材に挑戦してほしい。

ローマの末期も江戸の末期も文化百花繚乱の波が立つたのです。
あらゆる文化が円熟して頂点を極めたのです。
今時代の変わり目に後世に続く精神文化を花開かせる時です。

エンタテインメントは「祭り」です。


思考の整理学




自分の価値観や望む仕事や将来の夢をたった一つの箱に詰め込まないこと。
一つの箱とは脳内のキャパシティーには限界があるので入れ過ぎないという事です。

世の中の人の大半は溢れている情報を好む人もいるがそれは完全に間違っている。
不必要なものを買い込んでローン地獄に陥る人も多く居る。情報も同じ様に不必要な
情報を取り込んで物知りだと勘違いをする。所謂、情報のゴミ屋敷である。
それは自分のことだけではなく他人も巻き込んだ大きな事件になるのです。

今一番問題になっているのは戦争である。大半はフェークニュースなのに
我々はそれを信じてしまっている。それは目に映るもの全てを正しいと思うからです。
気を付けなければならないのは自分達が偽情報の拡散者になっていることです。
まるでゴミをあさるカラスのようにゴミをまき散らしているのです。

自分の意思を働かせなければこの国は危険な状態になる。
世界最長の千数百年の歴史を持つ万世一系の天皇家が終わるかもしれない。
日本が終わると言うことは未来が全て消えてしまうと言うことである。

強く生きていく上での思考方法を考え直さなければ知識は無駄になる。
今は安全のための常識は不要で混乱の中を生きるサバイバルの知識が必要な時代である。
一体全体、誰がこんな事を教えてくれるのだろうか?実際、現状は誰もいないのである。
今や世間全般で使われる「常識」は世界を救う効力を発揮できない無用の長物である。

その為には新しい常識を学校で学ばなければならない。

学校信仰というものがある。新しいことを学びたいのであれば、学校へ
行くのが一番だとする考え方のことだ。学校信仰をもっている人たちは、
学ぶにはまず教えてくれる人が必要だと考えている。だからこそ、教える人と
本を用意して待ってくれている学校へ行くのが当然だというわけである。

だが、学校での学びは、あくまで先生と教科書にひっぱられたものでしかない。
それはまるでグライダーのような学び方だ。学校では、どこまでもついていく
従順さが尊重され、逆に自力で動く飛行機のような学び方は敬遠されてしまう。

もちろん、グライダー能力自体がダメなわけではない。そもそも人間には、
グライダー能力と飛行機能力の両方が備わっている。
グライダー能力がまったくなければ、基本的な知識の習得すらおぼつかない
だろう。何も知らないまま一人で飛ぼうとすれば、待っているのは悲惨な
結末である。

だが、現実にはグライダー能力ばかり成長していて、飛行機能力に欠けている
人があまりに多い。さらに悪いことに、そういう人も「翔べる」という評価を
社会で受けてしまっている。そのような環境が、新しい文化の創造を阻んで
いるのだ。

「学習は逆説的である」
学校がグライダー訓練所のようになってしまうのも、考えてみれば当然である。

とにかく言われるまま勉強するよう教えこむからだ。そのような環境では、
各人の自発的な学習意欲は期待できない。

外山滋比古の著書「思考の整理学」より

ここで参考になるのが、昔の塾や道場のしきたりである。かつての教育機関では、
入門してもすぐに技術を教えるようなことはしなかった。むしろ、教えるのを
拒んでいたほどである。

すると当然、弟子は不満をいだき、なんとしてでも師匠の知識や技術を
盗みとろうとする。すると次第に、自ら新しい知識や情報を取得する力が
養われていくというわけだ。弟子は「暗黙知」という方法で知識や技術を習得する。
いまの学校は、教える側が積極的すぎるし親切すぎる。それでは学ぶ側の
依存心を助長するだけで、好奇心をないがしろにしてしまうだけである。

何も考えずに同意する人よりも反抗する人の方が価値はある。
反抗はエネルギッシュな人で無ければ行動を遂行できない。
反抗には理由があり、それを説明する必要がある。
それには体力も知力も使い果たすことになるからである。

ある意味江戸時代の武士の「野心」と同じである。
年配者に歯向かうと言うことは死をも覚悟しなければならないのである。
野心に一番必要な事は攻撃である。守った時点でゲームオーバーなのです。

飛行機能力がある人間は世の中に迎合せずに自立して欲しい。
グライダー能力の人は良き操縦士を見つけて欲しい。

養老孟子の学びの本質「森の手入れと子供の教育。その論理はどちらも同じ」
子供への学びの重要性は「体の使い方を教えていない」ことの誤りである。
例えば火のおこし方を知らない子供たちが多い、マッチの擦り方も、薪に火を起こすことも、
段取りが作れない。手順が分かっていないから身体がついて行っていない。

自然って「人間が造ったものではないもの」のこと。人間の体もそうですよね? 
そう、人間だって”自然”なんです。その辺りを走り回っている子供なんてその最たるもの。
例えばクルマなんかと違って設計図がない。作った親ですらどういう子供を作ったのか
よくわかってないんです。だから、それを育てながらどうにか世の中に適応させていく。
子育てって、森の手入れをすることと根本的に同じことなんです。

森は勝手に再生しますが、手入れをしないと荒れてしまう。杉林が典型的ですが、
間伐や枝打ちなどをしないと、森の中に光が入らなくなってしまいます。
木は上に伸びようとするから細長い木になってしまう。根も細くなるし、地面に草が
生えてないので森は雨水を吸収できない。そうすると山崩れが起きたり、台風で木が
倒れてしまったりということになる。

何の話をしているかわかります? 子育ての話ですよ。子供は親がいなくても勝手に
育つけど、適当な時期に適当に”手入れ”をしてあげないとダメなんですね。
子供を育てるのは自然を育てるのと一緒なんです。

「花鳥風月」があれば、人は楽に生きていける
昔は世界の半分が「自然」で、あとの半分が「人間関係」でした。人間関係と自然には、
プラスのこともマイナスのこともある。それぞれに2つの世界があるから全部で4つ。
自然は地震や台風のようなマイナスの部分と、天気が良くて清々しい気分になれたり
するプラスの部分。人間関係なら、例えば人に褒められたら嬉しいし、逆にけなされたら
落ち込む。人が生きていくうえで、本当はそれぞれのプラスとマイナスの4つの世界が
存在していなくてはいけないんです。

今の人は自然がなくて人間関係だけ。だからイジメで自殺する人も出てくる。
昔の人は平安朝に住んでいた都会人だって、自然から大きな影響を受けて暮らしていた。
そのことを「花鳥風月」なんて言っていたんですね。
現代人もこの「花鳥風月」を心に持っておくべきだと思います。
そうすると人生がとても楽になる。「花鳥風月」っていうのは、人が生きていく上で
とても大切なことなんです。

「花鳥」は「花を大切にして、鳥の鳴き声に耳を傾けること」、「風月」は「自然の景色を
楽しむこと」を意味します。 「花鳥風月」は文字通り、「花」「鳥」「風あるいは風景」
「月あるいは月明かり」を表します。 このように、「花鳥風月」は代表的な自然の眺めを
並べて表した語です。養老孟子の子育てより

日本人ほど自然を愛して四季を楽しんだ国民はいないのです。
長年平和国家でいられるのも身近に美しい世界が溢れていたからです。

自然の中で飛行機能力を育てていきたいですね。
それを自立飛行と言います。


形を決める




小さな種でも大きな木に育つ。汚れた種からでも綺麗な花は咲く。
形の悪い種からでも果実は実る。吹き飛ばされた種でも命を長らえる事はできる。
どんなものでも種がなければ形は決まらない。災いを運ぶ種もあれば、幸福を運ぶ種も
ある。艱難辛苦に打ち勝つための種もある。果たして自分はどんな種なのだろうか?

自分のことだけを気にしている人は雨の日や風の日を嫌う。

しかし、自然の摂理をわかっている人は雨の日も風の日も喜んで迎い入れる。

あらゆる人間の営みは自然と共にありそこに一切の無駄は無いからである。

欲しいものが手に入れば喜び、辛い作業が指示されればその場から逃げる。
大人としての自覚がないから子供のように楽な方へと流されていく。
自分の天命を知らぬ者は生きる形が決まらずに感情に右往左往する。

形を決めるとは人間性を決めるという事にもつながる。
人生の目標を決めた場合にそれに適した人物とはどのような人になれば良いのだろうか。
人間的魅力にあふれ余裕のある人は心が豊かな人が多い。

心が豊かとは金銭的な余裕を持っている人を言うのではなく、精神的な安定感を持って
いる人を言うのです。精神的な安定感は学びからでしか手に入れることは出来ません。
私は、以前は哲学書から学ぶことは多かったのですが、最近では禅から学ぶことが
主流になりました。

最近訪れた京都宇治市にある禅寺「萬福寺」で学んだ禅語です。

却下無私皆浄土(きゃっか むしなれば かい じょうど)
「足元に私などというものが無くなれば、みんな浄土の世界なのです」
足元とは、自分自身のことです。その自分自身に「私」という囚われや執着が
無くなれば、それはすべて浄土の世界、すなわち、やすらぎの世界なのです。

松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)
松の緑は千年もの間、変わらないでいるけれども、その美しさに気づいた人は果たして
何人いるだろうか。いつの時代も、残念ながらそれに気づかない。
千年の緑をたたえた美しい松が目の前にあったとしても、その美しさを十分見抜く力が
なければ、なにもならない。本質を捉える目を養うこと。

不入時人意(ときのひとのこころにいらず)
「松樹千年翠 不入時人意」という言葉があります。「時の人の心に入らずとも、
変わらぬものの価値を見失うことなかれ!」という呼びかけです。
四季の移ろいとともに変化にばかり目を奪われがちな私たち、翠を1年中保って
しっかり根を張り続ける松に例えたこの意は、「変わらぬものを振り返って、確かな
今を見つめること」を示唆しています。しかし千年を生きる松も、その翠は毎年
新しい変化の営みを繰り返しています。

京都・宇治にある黄檗山萬福寺の茶礼から発展した「黄檗売茶流」
(おうばくばいさりゅう)。
煎茶道の祖と言われる売茶翁の志とともに美しいお点前を受け継ぐ煎茶道の流派です。

日本で煎茶が、喫茶趣味として、また煎茶道としての態勢を確立するようになるのは、
江戸時代も半ば、京都に、売茶翁と呼ばれる畸人が登場するようになってからである。
彼は日本の煎茶道の始祖とも呼ばれ、その果たした役割には大きなものがあった。

「石炉茗を煎じて来往にひさぐ 過客須からく知るべし価半銭 一啜君が為に心腑を
洗う通仙亭上楽しみ悠然たり」

京洛の文人墨客、つまり詩人、歌人、小説家、学者などの文筆活動をするものや、画家、彫刻家、

陶芸家等の芸術活動に携わるものたちであった。奇才日本画家、伊藤若冲も
参加していたことは有名な話である。

売茶翁は、茶亭「通仙亭」を構え、「清風」の茶旗を掲げて、煎茶による売茶活動を
始め、近世わが国の「煎茶」の最初の口火を切った。その「通仙」「清風」の文字は、
唐代の詩人玉川子廬仝の有名な「茶歌」に基づくものだったことは言うまでもない。

売茶翁の場合、それは単に詩句の文字の引用に終わるものではなく、廬仝の生き方や
思想に深く傾倒し、その影響を強く受けていた。言い換えるならば、売茶翁の煎茶は、
廬仝の喫茶精神を継承するものと言っても良かったのである。その軌道修正に対しては、

先に述べた京洛の文人との交友がすくなからぬ影響を与えていたものと思われる。

萬福堂の庭先の松の木にこの「通仙」と「清風」の札がかかっていた。
茶のお点前をする主がいますと、不在ですという事をお知らせするためです。

私は一時、財産も名誉も家族も失った時があります。勿論、原因はすべて私にあるのですが、
次の生活の基盤を作るために一人暮らしを始めました。昔の仲間や上司に頼ればよかったのですが、

それまでの強気なイメージを壊したくなくて、敢えてつらい道を歩くことに
決めたのです。

その時に、まだ生きる形の決まっていない子供時代のころを思い出しました。
4~5歳の時に両親が離婚をして父親が家を出ました。そして6歳の時に父親の方へ
引き取られ、見知らぬ土地と父の新しい家族に馴染めず苦しいおもいで過ごしました。
18歳を過ぎて頼る両親もいない中、大学へ入学をして、一人で働き、貯金をして、
英国に行き、現地で仕事を探して暮らし、帰国して一人前になるまでをさかのぼり
ふと「いつも一人」だったことを思い浮かべたのでした。

そこには逆境に強い自分の形があったのです。踏まれても、踏まれても根を張る
雑草のような自分がいたのです。

そして、人と同じことでは勝てない、人と違う「形を作り」出さなければトップには
なれない。その為に憧れの先輩に成り切ることを決意しました。
私の場合はビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンとマイケルジャクソン
のプロデューサー、クインシー・ジョンズでした。
日本で初めて70年代に音楽プロデューサーの形を作り始めたのです。

歌舞伎でいわれるように「型があるから型破れ、型が無ければ、それは単なる形なし」
18代目「中村勘三郎」の言葉

形を決めることがいかに大切かお分かりになったでしょうか?
人から薦められた型ではなく、自らが望んだ型ならば、自分なりの型破れが
出来るのではないでしょうか?

形は強い意志と過去を学ぶ意識が無ければ作ることが出来ません。
その上に新しい時代の風を吹き込むアイデアが必要です。

他人の評価を意識せずに自分なりの形を作ってみてください。


リスクを取らなければ何も始まらない




規制のルールや常識にとらわれていると自ら望む成功はない。
必ず「そのルールは何故あるのか」と問い詰めて納得しなければ前には進めない。
心優しい人たちは心地よさばかりを求めるからリスクマネージメントが苦手です。
反対に厳しい人生を歩んできた人間はリスクが当たり前なので恐れるものは無いのです。

しかし、リスクを受け入れられる適正年齢とはいつの世代が良いのでしょうか。
それは社会に出たばかりの20歳前後の多感な青年の時代が最適なのです。

既に大人と同じような身体能力を持ち、お金を使うことも当たり前のようになり、
何よりも有り余る時間を自分だけのことに使えるからです。
敢えてリスクを取りながら挑戦が可能な時期だからです。
勿論、この時期にリスクマネージメントを学ぶのも大切なことです。

日ごろから上手くいけばメリット、悪くなればデメリット、何もしなければノーリスク、
トラブルはその時に考えればセーフと思っている人は、完全にリスクマネージメントが
なされていません。

簡単な思考の転換で習慣とすればリスクは軽減されるし、
慣れれば意識もしないでリスクマネージメントが出来るのです。

恩学に書かれている「若き日に薔薇を摘め」とは、若ければ失敗して傷ついたとしても
すぐに治るので恐れる事はないと言っているのです。
失敗を恐れる前に「薔薇の花を摘む」挑戦する勇気があればリスクはなにも無いのです。

試しに沢木耕太郎の「弾丸列車」を真似してアジアの貧困国をバスで旅するというのは
如何でしょうか?本を読むことも大切ですが経験はそれ以上に価値があります。

貧困国では、いつ荷物が盗まれても仕方のない状態で、健康管理もしなければならない、
その上に所持金も限度があるから無駄なものは買えない、まさしくそんな状況だと、
全身をリスクアンテナとして精神を研ぎ澄まさなければ過ごしていけないのです。

しかし過酷な状態でも日を追うことに精神的には慣れてきてストレスは
軽減されるのです。いわゆる慣れるという事は、意識は変わらないのだが気持ちが
変わるのということです。
気持ちが変わるとは恐れる気持ちが少なくなるのです。

旅の初めは何処にいてもストレンジャー(侵入者)だったのが、慣れ始めると
ネイティブ(現地人)な状態になるから、周りが警戒心を持たなくなるのです。
そして彼らは仲間には一切手を出さないのです。

日本にいて普段の生活の中でもリスクマネージメントを取り入れる事は出来ます。
今地震が来たら、火事になったら、自動車事故にあったら、電車が止まったらと
想定しながら神経を研ぎ澄ますのです。その時にどうするか考えるのです。

しかしこんなに神経を使いすぎたらストレスで耐えられなくなると心配している
人に伝えたい。人間は何事にも慣れるのです。習うより慣れろです。
リスク管理を取り入れた最初だけは神経質になってしまうのですが、
タスクを増やすことにより、危機に対するシミュレーションが備わっていきます。

最初はただ眠ることしかできなかった赤ん坊が、徐々にハイハイをして行動範囲を
増やしていくうちに言葉が話せるようになり、意思を両親に伝えられるようになり、
自分の欲求と身の安全を守れるようになるのです。

しかし、それまでの期間、赤ん坊は汚れたおしめに耐え、空腹に耐え、地上からくる
恐怖に耐え、工事現場や車の騒音に耐え、一生懸命に耐えているのです。

そのようにして慣れることにより、自分にとって安全な人や場所が判断できるように
なるのです。

先ずは自分でリスクマネージメントを取り入れて計画表を作る事を薦めます。
やり始めることが大切です。

常によりよくする方法を考え、自分にこれで良いのか問い続けることが、
唯一でありベストな方法なのです。

自分の価値観に執着することは非常に重要です。それが個性です。
どうしても諦めなければならない状況にならない限り諦めるべきではない。

変化を好まない人もいる。その結果不幸になるのならば仕方のないことです。
それで不安を感じるのであれば変化を受け入れる必要がある。

アイデアを実行することは、アイデアを思い付くより難しいのは、
想像と実行の違いです。10のアイデアより1の行動が無ければ結果は生まれません。

自分が本当に大切だと思えることなら、たとえ周りから何を言われようと
最後までやり抜くことです。
失敗なんてひとつの結果にすぎない。失敗することがなかったら、どうして革新的な
イノベーションを起こせるだろう?
発明王エジソンは「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまくいかない
方法を見つけただけだ」と言っている。

皆さんのような若者にとって、社会に出て縛られる前にあらゆるリスクに飛び込む
チャンスなのです。

なぜなら、歳をとるにつれて家族を持ち子供もでき、社会的責任も持つようになると
身動きが取れなくなるという現実が待っているからです。
家族を持った後は、様々な冒険や挑戦がしにくくなるのです。

だからこそ、今、皆さんにはリスクを取って何か大きな事にチャレンジして
ほしいのです

それは信じられないほどの素晴らしい冒険になるだろうと確信します。
より良い人生を過ごすという事は、日々の問題を解決するだけではないのです。
昔、描いた夢や希望を諦めるのでは無く実行することが重要です。
あなたは目を覚まし未来に興奮するキッカケ作りが必要になるのです。

リスクを取らなければ始まらないのです。
リスクを恐れずに飛び込めば奇跡は必ず起こるのです。


知の追求




学生時代は知識より直感を大切に生きてきました。

学業で成績が良くなるよりも感受性を磨くことに時間を費やしたのです。
この瞬間、自分に必要なものは何か、自分が取り掛からなければならないことは何か、
自分にとっての希望とは何かを常に考えていました。
眠っている時も、食事をしている時も、学校へ行っている時も、頭の中は体裁や
見栄よりも自分でした。自分がしっかりとしなければ世間の常識に流されて、
つまらない大人になってしまうと危機感を覚えていたのです。

あるがままの人生とはやりたいことをやって自分で責任を取れるかです。
子供だからと言って世の中の成り行き任せにはしたくなかったのです。
勿論、私の言葉の「石は激流を選べず」の通りに成り行き任せも真理に
間違いはないのですが、若い時には自分の意思で抵抗することも必要かと思います。

「石は激流を選べず」とは「川上のゴツゴツした岩が流れの中であちこちの
岩にぶつかり川下に着く頃には丸い石になる」という格言です。
苦労から逃げるのではなく、苦労にたち向かうことがとても重要です
少年時代から老年になるまでの人生を表しています。

しかし、学生時代に職を求めることに邁進しても、自立するまでの期間は成り行きに
任せるしか方法は無かったのです。その都度に合わせた、あるがまま、なすがままの
人生でした。それでも激流の流れに逆らわないことでした。
自分の精神的解放を一番に考えていました。

人は常に成り行きを追い求めがちですが、真の価値は「成り行き」にこそあると
考えます。その核心には、「自我」や「我欲」を捨てることが必要です。
求めるものが多いと悩みも増えます。成り行きのなかで自己の発見をするのです。
そうすることで、心は穏やかになり、他者への思いやりや協力の精神が生まれます。

禅には、その哲学や実践の中心を示す四つの重要な言葉があります。

1. 教外別伝 ~教えの外で伝える~これは、真の知識や理解は外部の教えだけでなく、
実体験や直感を通じて得られるという考えを示しています。禅の修行者は、
指示や文章を超えて、瞑想や実践を通じて真理を追求します。

2. 不立文字 ~言葉を立てない~禅の教えは、言葉では完全には表現できない深い真実を
持っています。そのため、言葉による説明や解釈よりも、無言の瞑想や直感を重視する
のです。

3. 直指人心 ~直接心に訴える~これは、真の理解や覚悟は心の中で直接感じ取るもので
あり、他者の説明や解説を介さずに得られるという考えを示しています。

4. 見性成仏 ~真の本性を見る~私たちの内なる真の本性、あるいは「仏性」を発見し、
それを認識すること。

これは禅の修行の最終目的であり、それを見つけ出すことで真の平和や悟りを得ること
ができます。しかし、これらの言葉や考えを単に知識として学ぶだけでは、その真髄は
掴めません。日常の中での瞑想、実践、そして経験を積み重ねることが欠かせません。

「前後裁断」は、過去の出来事や未来の心配から自分を解放し、現在の瞬間、
つまり「今」を真剣に生きることを示す禅の言葉です。
この教えは、私たちが日常の中で迷いや苦しみから解放され、真の平和や喜びを感じる
鍵となります。過去の過ちや後悔、未来の不安や期待に囚われることなく、
この瞬間を心から感じることで、真の自由や満足感を得ることができるのです。

自然の変化、四季の移ろい、それらは私たちの人生の移ろいと同じく、絶えず変わる
ものです。しかし、その中でも真実の世界、自然との共生の中での生き方を模索する
ことが求められるのが禅の教えと言えるでしょう。
日常の中で、私たちが自分の意志や願いだけで物事を進めるのは難しいことも
多いです。

「あるがまま」に受け入れることの大切さを忘れがちです。
しかし、自然の流れに身を任せることで、人生の中の大小さまざまな障壁や試練も、
結果的に自分を成長させるものとして受け入れられるのではないでしょうか。

私自身も、多くの試練や困難を経験してきました。
しかし、その中で得られた教訓や経験は、私をより強く、深くしてくれました。
簡単な道を選ぶのではなく、時には回り道を選ぶことで、真の目的地に辿り着くことが
できると信じています。

犯罪に手を染めた若者たちが「あるがままに行動した」と言い逃れをします。
闇バイトで強盗や殺人を犯しても罪の意識がありません。
東横キッズと言われる女の子も売春をしても罪の意識がありません。
コンビニでおにぎりを買うことと、寝るところにお金を使うために、犯罪は必要だと
思っているのです。生きるために手っ取り早く身体を売る。驚くのは、彼女たちは
決して貧しい家の子ではないことです。家には自分の居場所がないから新宿に集まり
時間を潰す。一瞬の成り行きで人生を棒に振るのです。

しかしこの若者たちに全ての罪を着せるのは如何なものでしょうか?
彼らがそうせざる世の中を作った大人にも大きな責任があるのです。
大人もマスコミも「臭いものには蓋を」しますが、それでは何の解決にもならないのです。落ちこぼれを作ってしまう教育も社会も変えなければなりません。

私は禅に深く傾倒しています。しかし修験者じゃないので正式な訓練はしていません。
デジタル社会になりAIやメタバースという言葉が飛び交うたびに「人間とは」
「信頼とは」「生きるとは」「幸福とは」を考える様になりました。
その答えは哲学より禅語に多くありました。

深い瞑想の中で真理を追求するのは快感にもなります。
一緒に禅語を学びませんか?


みんなの課題




年齢・出身地・学歴を取り除き自分を紹介する。
何もない裸のあなたは何者ですか?
肩書・職場・趣味を取り除き他人を紹介する。
本当の友人なら堂々と人間性を伝えられると思いますか。

日本人は警戒心を持たない割には疑り深いです。
いわゆる分かったフリして全く分かっていないという事です。
自己紹介でも過去にやってきたことは結果として伝える事は出来るが、
未来に関しては自信が無いので明確な予測を伝えることが出来ない。
日常の課題に関しても解決の術を知らない。

全世界で約200の国があるが、流れるニュースを見る限りでは
問題点はみな同じようなものである。
政治・経済・環境・戦争・犯罪からスポーツ全般まで大きなポイントを伝えるが、
未来への取り組みに関してはたまに夜中の特別番組でしか報道しない。

いわゆる大きな課題は伝えているが無数の小さな真実には関心がない。
何故、貧しい国では明るいニュースを取り上げ、豊かな国では悲惨な事件ばかり取り上げるか、

ここには暗い真実が潜んでいる。悲しい人間のエゴである。
貧しい国では明るいニュースから希望を見つける必要があるからです。
豊かな国では近隣諸国から狙われる恐れがあるので絶望的なニュースを頻繁に流す。

貧乏な時には正直な人で、豊かな時には嘘つきな人で、いつの世も自分の財産を公には
したく無いのである。貧しいと人は寄り付かず、豊かだと人が群がるからです。
政治家などの既得権者が権利を手放さないのは楽(らく)して儲かる方法を、
知ってしまったからなのである。彼らは国民の税金を奪う悪者です。

ウクライナのゼレンスキー大統領が世界から集まる支援金で豪邸を建てたと言われて
いる。これはフェーク・ニュースであってほしいがあり得る話である。
アメリカの大統領バイデンも家族経営で中国から大量の資金が譲与されたと話題に
なったが、その後アメリカでは全く報道はされなくなった。
我が国でも故安倍晋三総理大臣もモリカケ問題と桜を見る会の問題で政府の金を
使って、やりたい放題だったが裁かれる前に暗殺された。
森友学園問題では近畿財務局の職員が決算文書改ざんに関与させられ自殺した。

みんなの課題をみんなで話し合う時期に来ている。
何が大切で、何が不要か、シンプルに考える必要がある。
問題点が見えない人は、先ずは、自分は何者かを知るべきである。

自分のことを年齢・出身地・学歴を言わずに他人に伝えることが出来るかを
学習する時期なのである。
私にとって生きるという価値観を提示して、他人の価値観を聞きながら
問題解決を図ることである。その上価値観の真偽を見分けることも必要である。
自分の信じてきた価値観が正しかったのかを検証するのである。

若い人の特権は悩む時間が一杯あるということで、歳をとっている人は悩む時間も
生きる時間も残り少ないということである。
孫世代が抱えている悩みは、年寄りは、一度は経験していることばかりである。
デジタル社会だから年寄りには分からないと思わずに年寄りの知恵を拝借すべきです。

「子供を叱るな来た道だから、年寄り叱るな行く道だから」立川談志

孫世代に教えなければならないことが山ほどある。

戦争や天候異変や政治経済の悪化は現実であって真実では無いかも知れない。
エネルギー不足や食糧難はそれぞれの国の陰謀で経済を安定させるための
嘘のオンパレードかも知れない。
デジタル社会に乗り遅れるな、AIに仕事を奪われる、メタバースや量子力学に
理解を持たなければ勝ち組には残らない。
戦争で貨幣価値がなくなるので今ビットコインを大量に買いまくらないと損をする。
こんな嘘はこんな嘘が好きな人たちに任せておけば良いのであって、
踊らされる必要はない。

世界には核爆弾の数が約10万発存在していてすぐに使用可能なのが3万発とも
言われている。一発で10万人を殺すことが出来るのと、その地域が福島のように
使えなくなってしまうことである。
万が一ロシアのプーチンがウクライナに向けて核爆弾を発射したら、それを止めようと
して核爆弾保有国が核爆弾を発射したら地球が壊滅状態になってしまう。

私たちは何者でどこに行こうとしているのかを伝えることによって
それぞれが今の立ち位置を理解できるようになる。
最低限の生きるとは、人間らしく生きるとは、他人と仲良く生きるとは、など諸々
話し合う時期なのである。

老人の経験から生まれた知恵を共有すれば、問題が解決して楽しい人生を送ることが
出来る。そこから生まれるコミュニティが増殖拡大すれば世界はもっと
暮らしやすくなるはずです。

数の論理、メディアの報道、嘘の情報共有に踊らされるのはやめにしましょう。
みんなの課題はみんなで解決すれば良いのである。
先ずは「自分」を知り説明する必要があります。





私が花のように生きることが出来るのなら全てを祝って生きて行きたい。
すべての人の努力が実り幸福の種を播くことが出来れば地上は楽園になる。
私が花のように美しいままに死んでいけるのなら世の中を変えてから死んでいきたい。
すべての兵士に花をささげ子供たちの笑顔が絶えない平和な世界をつくりたい。
そんなことを考えていた青春が懐かしい。

全てが全力投球で生きてきた為に疲れる時もあったが、朝になれば又全力投球の
生活が始まっていた。365日朝から夜まで録音に明け暮れて疲れていたのも確かです。
担当の歌手がヒットを出すと会社は売り上げ確保のために次から次へと新曲を
発売することを望んできます。心も体も消耗してしまいます。
その季節だけに咲く花のような生き方に想いを寄せた時期もあった。

「さくら」でデビューした森山直太朗とは子供の頃から私の家族と時間を一緒に
共にしました。度々私は酔っ払い彼のベッドで眠ったことが懐かしく思い出されます。
サッカー好きな少年が歌手として「さくら」でデビューした時には驚きました。
母親の森山良子さんとも仕事の関係で長いおつきあいでした。

森山良子さんは和製ジョンバエズと言われてフォーク会の女王の位置を長年維持して
きました。その頃よく聞いたジョンバエズの「Where Have All The Flowers Gone」
キャロルキングの「You’ve Got a Friend」も大好きな歌でした。
これらの歌は森山良子さんもよく歌い大好きな曲でした。

フォークソング全盛時代の変わり目が花の成長と被さって面白く考えられました。
「愛と平和と友情と」普通の暮らしを慈しむ「心の歌」の時代でした。

70年代~80年代、あの頃は全ての人が全力投球の時代でした。
清く貧しく美しく生きていたのでした。60年代のフラワーゼネレーションの時代です。

不思議です。突然夜中にこの歌「花」が思い浮かびYoutubeで聞き直すと、
頭から離れなくなりました。そんな経験は誰にでもありますよね。

歌手の中(あたり)孝介はCBSSONYの関連会社エピックレコードジャパン所属です。
作曲は森山直太朗で作詞は御徒町凪の「さくら」以来のコンビです。

作詞家の御徒町凪とは面識がないですが作詞家として評価の高いのも分かります。
私の好きな作詞家は歌い手が自分で描いたかのような表現ができる人です。
森山直太朗とは無二の親友だと聞き納得しました。

「花」
歌:中孝介
作詞:御徒町凧
作曲:森山直太朗

もしも あなたが 雨に濡れ
言い訳さえも できないほどに
何かに深く 傷付いたなら
せめて私は 手を結び
風に綻ぶ 花になりたい

もしもあなたの 夢破れ
行き先のない 日々は暮れゆき
信じることさえできなくなれば
せめて私が 声にして
明日に揺蕩(たゆた)う 歌をうたおう

花のように 花のように
ただそこに咲くだけで 美しくあれ
人はみな 人はみな
大地を強く踏みしめて それぞれの花 心に宿す

例えこの身が 果てるとも戦(そよ)ぐ島風 願いに染まれ

花のように 花のように
ただ風に揺れるだけの この生命
人と人 また 人と人
紡ぐ時代に身をまかせ それぞれの実が 撓わなればと

花のように 花のように
ただそこに咲くだけで 美しくあれ
人は今 人は
今大地を強く踏みしめて それぞれの花 心に宿す

感動した。子供の頃元気に騒いでいた森山直太朗の曲に泣いた。
父親とも長いお付き合いで我が家の子供達の遊び相手にもなってくれました。

人生の出会いは不思議です。


「人の出会いは 一瞬早からず また 一瞬遅からず
出会うべき人には 必ず出会う
しかし 求める気持ちが無ければ 運命の人も 目の前を通り過ぎる」
哲学者 森信三

正にその通りです。

プロデューサーとアーティストの関係はプライバシーにかかわる寸前で止めます。
深くかかわりすぎると作品作りに影響を及ぼすからです。
個人的な相談を受けることもあるのですが少し距離を置いて相談に乗ります。
それはアーティストのプライバシーも事務所の責任で管理しているからです。

森山家とは異例中の異例で家族付き合いをしていました。
事務所公認の間柄でした。
それも森山良子さんの人柄が大きかったと思います。
勿論、直太朗の父親とも仕事仲間であり人生の相談をしあう仲でした。

花のように 花のように
ただそこに咲くだけで 美しくあれ

あなたにとっての「花」とは何でしょうか?
私にとっての「花」は家族と恩学です。