負ける悔しさ




挑戦とは失敗を想定して戦いに臨むことです。
勝つことばかりを想定して戦いに臨めば少しの敗北にもアタフタしてしまいます。
そして負けることの経験から大きく成長することも確かです。
悔しさは緻密になり、慎重になり、周りをよく見る目を養ってくれます。

先日最終回を迎えたNHK大河ドラマ「どうする家康」
あの家康公も戦で大敗を喫したことがあります。
武田信玄に敗れた「三方ケ原の戦い」。
ほうほうの体で自分の居城に逃げ返った直後、自分の苦々しい姿の似顔絵を描かせて、
これ以後その絵を自分の戒めにしていた。
これが260年余続いた江戸幕府の基礎になりました。
「負け」は己を成長させる糧になるのです。

中国の諺「臥薪嘗胆」の気持ちで悔しさを忘れずに名将となったのです。

「臥薪嘗胆」は故事成語です。 「十八史略(じゅうはっしりゃく)」の
「春秋戦略」に見える次の故事に由来しています。 そのあらすじを説明すると、
「春秋時代、呉王の闔呂(こうりょ)は越王の勾践(こうせん)に敗れて戦死。

闔呂の息子である夫差(ふさ)は、父の仇を討つために固い薪の上に寝て、その痛みで
復讐の志を忘れないようにし、三年後に会稽山で勾践を降伏させた」 となっています。
「臥薪」は「薪(たきぎ)の上に臥(ふ)し寝ること」、「嘗胆」は「苦い胆(きも)を
嘗(な)めること」で、どちらも自身を苦しめることで復讐の志を奮い立たせることを
表しています。
それが転じて、「目的を達成するために苦心し努力を重ねる」といった意味で
用いられるようになりました。

2023年WBC準決勝メキシコ戦で痛恨の3ランを打たれた佐々木朗希
ロッカールームへ戻りグラブを床にたたきつけて一人静かに泣き出した。
普段感情を表に出さない佐々木選手はメンバーの足を引っ張ったと悔し涙を流したの
です。この悔しさが将来の大成へと導くのでしょう。

「 三災五濁(さんさいごじょく)」
最澄(さいちょう)(767~822 / 平安時代の僧侶 天台宗の祖 伝教大師)
最澄が世の無常を嘆き、比叡山入りを決意して衆生 (しゅじょう)のため修行に
尽くすと誓願した書「願文(がんもん)」の一節に『 牟尼(むに)の日久しく隠れて、

慈尊の月未だ照さず。
三災の危きに近づき、五濁(ごじょく)の深きに没(しず)む』とある。

現代語訳は「お釈迦様が亡くなられてから、次の仏様も未だ現れず、災いによって
この世の終わりが近づきつつあり、人々は道を誤り汚れに満ちた世の中に沈んで
しまった。」「三災」は自然災害を指し、「五濁」は戦争、悪疫、飢饉、人間の資質の
低下や偏見・悪徳の横行などを指す仏教用語である。

「一燈照隅・万燈照国」(いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく)最澄
<意味> 一人ひとりが 自分の身近の一隅を照らす。それだけでは 
小さいあかりかもしれないが、その一隅を照らす人が増えていき、
万人のあかりとなれば、国全体を照らすことが出来る。

私の大好きな言葉であり目指す位置でもあります。

「利他心、布施、救済、慈愛、ボランティア」
素晴らしい言葉はいくつもありますが、言葉に壁を作り経済的余裕ができてから、
時間的に都合がつけばとかさまざまな理由をつけて、一切行動に起こさない方が
多いかと思います。

しかし日々の暮らしの中でも意識して行動に移すことが大切です。
道端のゴミ拾いをしている団体もあります。子供達が危険な目に遭わないか
見回りをしている自警団の方々もいます。
もっと言えば電車の中で騒いでいる子に注意することも救済になります。
あなたの善意の行為が灯になるのです。

王陽明の「知行合一」という言葉があります。
知識と行動は共に合わさなければ意味がないという言葉です。
どんなに立派な学問を収めても文字だけの知識なら役に立たないということです。

幼き子供が池のそばで遊んでいるとすると「危ないよ」と声掛けと同時に手を
引いてやることです。
悩みを抱えている人にどんな立派な人生訓を教えてもあまり意味がありません。
本来ならばその場で悩みを共有して解決への道へと具体的に指導をすることです。

「知行合一」の語源・由来は陽明学の思想からきています。
もともとは中国明の時代に儒学者である王陽明(おうようめい)が唱えた思想です。
影響を与えたのは、朱子学の大成者である朱熹(しゅき)が唱えていた
「先知後行説」という学説です。

「先知後行説」とは、「広く知を極めていなければ、実践できない」とする説のことです。
当時、「先知後行説」が広まり、実践の前に知識を蓄えるべきという考え方が一般的に
なっていました。この「先知後行説」に対するアンチテーゼとしてできたのが、
「知行合一説」です。
「知識ばかりを蓄えたあとで行の工夫をするようでは、真の知行には至りません。
知行合一説とは、正にこのような病への薬です」といった内容を王陽明が述べ、
「知行合一説」ができたと伝えられています。

負ける悔しさをバネにして、知識を蓄えて、世の中に役立つように生きて行きましょう。