何を残すか
字は一字でいい 一時にこもる力を知れ
花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ
坂村親民
心にため込んだ様々な情報を一度整理しませんか?
先ずは人間関係や記憶の断捨離から始めませんか?
見栄の為に買い揃えた使わない商品に囲まれた生活が
幸福と勘違いして溜め込んだ品物を整理する時が来ました。
人間関係も同じです。希薄な関係で無理して付き合うのをやめませんか。
学生時代の同級生だから会社の同僚だから友達の紹介だからと
理由をつけて無駄な時間を過ごしていませんか?
多く物を持つことが幸福の象徴としてもてはやされますが、
あなたのポケットには入りきれないほどの不要なものがありませんか?
今日のサンスクリット格言
すべてを手放すことは、すべてを得ること
すべての(属格)放棄(主格)すべての(属格)獲得(主格)
人生には一見矛盾した真理が存在します。手に抱えているものを
全て解き放つとき、逆説的に真の豊かさが訪れるという教えは、
まるで砂を握るような道理を説いています。強く握りしめれば
砂は指の隙間からこぼれ、軽く掌を開けば砂はその形を保つように。
この言葉が示すのは、物質的な所有や感情的な執着を超えた境地です。
たとえば、過去への未練や未来への不安を手放したとき、
今この瞬間に存在する無限の可能性に気づきます。
自分を縛っていた「こうあるべき」という固定概念を解いたとき、
心は風のように自由に広がる草原を駆け巡ります。
現代社会では、何かを得るためには努力や競争が必要だと考えられがちです。
しかしこの教えは、逆のベクトルに光を当てます。
大切なものを守ろうとする緊張がかえって息苦しさを生むなら、
一度全てを大地に預けてみてはいかがでしょうか。
まるで秋の木が葉を落とすように、古いものを潔く手放すことで、
新たな命が芽吹くためのスペースが生まれます。
大切なのは「何を捨てるか」ではなく「何を残すか」を見極める智慧です。
本当に必要なものは、手放そうとしても消え去らない本質的な存在です。
身軽になった心で世界を見渡せば、今まで気づかなかった小さな幸せや、
人々の温もりが輝きを増して見えてくるでしょう。
この言葉は、私たちに静かな覚悟を求めています。
全てを手放す勇気こそが、人生で最も尊いものを発見する扉となるでしょう。
大切なことは「手放すことですべてを得る」ことです。
仏教でいうところの「色即是空 空即是色」と同じです。
そこには何もないが、何もないところに全てがある。
色即是空の意味を解説する前に、まずは「色」と「空」という
言葉の意味を解説いたします。
「色」の意味とは、この世の様々なモノや現象のこと。
匂い、音など認識できる様々なものを含みます。
「空」の意味とは、実体がないこと。
唯一不変の存在はこの世にはないということ。
そして、色即是空の意味は、
「この世のあらゆるモノや現象は、実体がないのだ」
となります。
これだけだと意味が分かりにくいですので、
ここから色即是空の意味をわかりやすく解説いたします。
お釈迦様は「空」の概念を分かりやすく、琵琶で例えてくださっています。
琵琶という概念は、琵琶を構成する部分・部分に分解してみても、
「琵琶」という唯一無二の存在(実体)は、分解した後の部品にはありません。
残るのは、弦と本体になる木とその他もろもろも構成要素です。
琵琶という名前のついた楽器は、分解したらなくなってしまう実態のない
「空」だというのです。
琵琶が空であるというイメージは出来ましたでしょうか?
色即是空の反対に当たる、空即是色の意味は、
「実体がないこと(=空)が、この世のあらゆるモノや現象を形成している」
となります。
空即是色の意味をわかりやすくイメージすると
空即是色を先ほどの琵琶を用いて解説しましょう。
琵琶というモノ(色)は分解してみると、琵琶という実体はありません。
しかし、琵琶という実体がないけれども、分解した弦や木の本体やらの
存在が集まって、「琵琶」という「色」が存在しています。
色即是空と空即是色は違いがあるのではなく
色即是空と空即是色は、違う事を言っているのではなく、
この世の本当の姿の「空」が、私たちを含む様々な存在を
成り立たせているということを2つの側面から説明しているのです。
般若心経では「五蘊皆空」など別の言葉でも「空」という表現が見られますが、
どれもこれも、色即是空・空即是色ということを様々な表現で説明して
くれているのです。
ちなみに五蘊と言うのは、私たちの「肉体と精神」のことを意味しています。
空即是色の意味を解説しているところで、「空」の世界、実体があるものはない
というこの世界において、様々な要素が集まって「色」というモノや現象を生む
と言いました。
この様々な要素というのを、仏教用語では「因・縁」と言います。
因縁とは簡単に言うとこの世のあらゆる物事を成り立たせている
原因という意味です。私たちの肉体は、父親・母親、祖父母という
因(直接的な原因)があってこの世に存在し、私たちの精神(考え方等)は
家族や友達、学校、職場、恋人など様々な環境という縁(間接的な原因)があって
今の自分が形成されています。
あらゆる存在は、他のものから独立した唯一無二の存在をもつ実体ではなく、
因と縁が重なって成り立っている物なのです。このことを縁起と言います。
仏教用語で仮和合(けわごう)なんても言われるのですが、
唯一無二の何かがあるのではなく、因縁によって、
仮にそれらが集まって存在しているだけなんですよというのです。
色即是空・空即是色を理解すると
ここからが色即是空 空即是色の深い理解となります。
完全に「色即是空・空即是色」を理解し、私たちの体や心、
周りにあるものもすべて「空」と感じるようにならないと苦しみから
解放されません。では、完全に理解するとどうなるのか、
それは「空」である「色」に執着しないようになるのです。
自分が老いていこうと、周りにある大事なもの、高価な物が壊れたり、
失われたりしても、そもそも「空」だと考えたら、醜くなっても、
消えて行くさだめにあっても、そのことを受け入れる自分であれば
苦しいと思わなくなると思いませんか。
お釈迦様は、この世の苦しみが生まれる原因は、私たちが執着する気持ち、
煩悩であると見抜きました。
空であると理解できず、美しくありたい、いいものを持ちたいと執着、
煩悩を持つから私たちは苦しむのです。
この世界のあらゆるものが「空」であることを見抜き、
心の底から理解したら、何ものにも苦しむことはなくなるのです。
そうして安らかで楽しい境地の「涅槃の境地」にたどり着くことができるのです。
仏教はこの涅槃という苦しみから解放された後の世界を目指すために
必要な考え方と方法を教えてくれているのです。
その考え方が色即是空と空即是色という言葉で表現されているのです。
お分かりになりましたでしょうか?
何を残すか「すべてを手放すことは、すべてを得ること」です。
2025年はあらゆるものが整理され心の時代へと移り変わりゆく年です。