日本語表記
老人と孫2004年12月12日(木)
中澤弘幸&窪塚陽介編「備忘録」
中澤談
日本の昔話
昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
西洋ではお父さんもお母さんも出てくるが何故日本では出てこない?
日本の考えでは一世代前が子供たちの面倒を見るのが一番良い。
西洋では親が子供の面倒を見るのが当たり前の文化。
そして日本ではその昔は神社やお寺の庭が子供達の遊び場だった。
自然に神や仏に触れ合う事ができたので正しいと言う事が理解できていた。
西洋では聖書で学び人間を形成していくのが正しいとされる。
性悪説では生まれた子供は悪を抱えており正さなければ罪人になる。
性善説では生まれた子供は天使のように純真であるとされている。
老人という言葉は歳をとった人という意味ではなく、人生を悟った人を称して
使われるのが正しい。中国では老師と言えば尊敬される人を敬う為の言葉で
使われる。簡単には老人にはなれないのである。
正直者のこうべに神宿る
正しい人の頭の中には神様が宿っていると言われて来た。
これは褒め言葉ではなく正直に生きていけという意味を持つ
お天道様が見ているよ!
何か悪い事をして秘密にしてもお天道様が見ているからねと親から言われた。
他人を騙せても自分は騙せないからね。
世界広しといえど言語の表記が五つあるのは日本だけである。
漢字、カタカナ、平仮名、数字、アルファベット
今ではこれに絵文字が加わって六表記になっている。
その上に音読みと訓読みがある。表現の国である。
右から左から、上から下へと書き順があるのも珍しい。
それを義務教育の期間九年間でマスターする。
その為に高校では何も学ぶ事がなく受験のための勉強になる。
親という字は木の上に立って見ると書く。
親は不安定な状態で子供のいく末を見ている。
親切はその親を切る(離れる)子供の心なのである。
親子はライバルになる。
平等は無い、平和も無い、仲良くも無い、お花畑は存在しない。
現実を見て前に突き進むしか無いのである。
現実は目の前にある世界を言うのだ。
窪塚談
浦島太郎の続きはかぐや姫である。
竜宮城お姫様が浦島太郎を追いかけて地上に来た時に
大好きな太郎はお爺さんになっていたので、
それではと竹の中から孫として現れたのがかぐや姫であった。
そして最後には空から迎えが来て宇宙に帰っていった。
これには深い意味がある。国産みの伝説です。
中澤談
安心と安全の矛盾は情緒と理論は別々のものである。
都知事の小池百合子が言い出した。みんな言葉の響きに騙されている。
安心はそれぞれ精神的な受け取り方が違うし、安全は構造上の問題で
橋やビルや道路が整備されている事を言う。
窪塚談
公平と平等の違い
三人の男がいて背の高い人の間に低い人が混じっている場合、
低い人に台座を置いて三人一緒の高さにする事を公平と言い
三人一緒に一台の台座を置いてバラバラの高さにすることは平等である。
「平等」と「公平」。この言葉について、皆さんは違いを説明できますか?
同じようだと思う方が多いでしょうが、平等は「偏り・差別がなくそれぞれの特性や
能力を全く考慮しないこと」、公平は「特性や能力を考慮した上で同等に扱うこと」で、
意味が異なります。
中澤談
差別と区別は人間生まれた時から差別はある。均一では無い。
先に生まれて長男・長女と言われて家督相続者になる。
同じ家に生まれても二番目以降は待遇が変わる。
それぞれが区別されて生きていかなければならない。
小学校のクラス分けは区別である。そこから出来ること出来ない子を差別する。
お年寄りと好きになる方法はありますか?
無理に嫌いな人を好きになることはない。嫌いな人には近づかず、
好きな人とは親しくなりなさい。
しかし、嫌いな人は色々な意味で気づきを与えてくれる。
保育園や孤児院の先生は子供好きな良い人ばかり、
本当はこれではいけない、子供嫌いな人、意地悪な人も入れていた方が
保育児には良いのだ。現実の社会を教えるべきである。
このほかにもたくさんのお話がありました。
2人の軽妙なトークに惜しみない拍手が鳴り響きました。
私も「老人と孫」の主要メンバーとして活動をしています。
普段は円座になり対話を中心に参加者と話し合いをします。
参加者は多い時には70人を超す場合もあります。
今回は「老人と孫」の初の試みとして俳優の窪塚洋介を迎えて中澤先代との
討論会を開催しました。100人を超す大盛況で今後もっと発展が期待される
会となる事が予想されます。
何よりもこの会は老人たちが面白い!
中澤弘幸:文化人(黄檗売茶流先代家元)
稲葉瀧文:音楽&ビジネスプロデューサー(恩学塾主宰)
今野絢:アーティスト(世界的著名な画家)
田畑瑞穂:スパーサラリーマン(環境エネルギー&美と健康)
田辺鶴英:女性講談師(介護講談・音楽講談)
政財界や大学で活躍した老人たちも参加希望の依頼あり。
これからもアッと驚く老人たちが皆様の前に現れます。
乞うご期待ください。