詩人はどこへ消えたのか?
何故、世界から詩人が消えてしまったのか?
様々な通信手段の進化にともない言葉までも簡略化されてしまい、
平易な言葉とマニュアル的な指示型言葉で人々を誘導する。
普段、目にする文章は広告のキャッチコピーの
羅列にしかみえない文章ばかりである。
ここには大人としての教養や知性などまったく存在しない。
あらゆる詩人の言葉のように短い行数で印象に残る文章に触れると
読み手側の想像力と知性が引き出されるのである。
「詩」とは文字の裏がわを読んで作者の真意に問いかけるのである。
詩人は時には怒り、時には難問を吹っ掛け、時には休息を与える。
人々は文字が創り出す世界に自分の意識を織り込むことが出来る。
時代に応じた読み手側の知性と感情の起伏を織り込み、そこから
あらたなる創造力がカラフルに生まれてくるのである。
私が好きな詩人として茨城のり子や谷川俊太郎がいる。
茨城のり子は怒りをストレートに表現してとても共感する詩人である。
谷川俊太郎は子供からお年寄りまでファンが多く心をつかむ詩人である。
お二人は何度か私のブログでご紹介したので、
今回は最もポピュラーな中原中也を取り上げてみた。
日本で最も読まれてきた詩人の一人と言っていいだろう。
1907年・山口に生まれた中原中也(なかはら ちゅうや)は、
時代を越えて読み継がれている数少ない詩人だと思う。
有名な詩「サーカス」は、
『幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました』とはじまり、
ブランコの揺れる『ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん』という印象的な擬音で結ばれる。
その独特な感性は、今も愛唱される数多くの詩を生みだした。
もっとも、繊細な詩風とは違って、私生活では周囲に迷惑かけまくりの人だった。
学校を落第し、家族から乞われても定職に就かない。
三角関係でモメては失恋して、独特な人間関係の築き方のせいで
作家仲間からも嫌われた。
中原中也の「空気を読まない」ノリには、太宰治も犠牲になっている。
晩年には精神の病も経験し、結核性脳膜炎によって、30歳の若さで亡くなった。
短すぎる生に、ありあまる詩才を燃やした生涯だった。
中原中也の代表作には、「秋」の気配がただよっている。
一人ぼっちの心細さに、乾いた風が落ち葉とともに吹きつける。
高い空が澄み渡り晴れていても、そこには途方もないさびしさがある。
いくつかの詩から、断片的に抜粋すると――
港の市の秋の日は
大人しい発狂
私はその日人生に
椅子を失くした
(「港市の秋」)
飛んで来るあの飛行機には
昨日私が昆蟲の涙を塗つてをいた。
(「逝く夏の歌」)
あ〃 おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
(「帰郷」)
中也の詩では「秋」の切なさが、日本的な自然描写を含んで表現されている。
それは今もなお多くの読者を引きつける魅力の一つだ。
けれどもう一つ強調したい作風に、「夏」的な熱度と息苦しさもある。
国語の教科書には載らないタイプの詩で、静けさとかナイーブな心境とかでない、
怒りと悲鳴による言葉がある。
わが生は、下手な庭木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
(「つみびとの歌」)
私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。
(「夏」)
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!
(「少年時」)
「ギロギロする目で諦めていた」ってどういうことだろうか。
意味としてはわからなくても、感覚としてはわかる気がする。
中也には詩一つとってみてもいろいろな作風があり、俳句、散文詩、
また訳業もある。中原中也の世界は、底知れない。
私も個人的には未熟だが詩人だと自負している。
勿論、歌の歌詞は山ほど書きその数は500作を超えていると思う。
プロデューサーが担当アーティストの歌詞を書くのは賛否両論があった。
アーティストが可哀そう!気に入らなくても受け入れなくてはならない。
プロの作詞家たちも私達の職域を荒らしていると批判の声が上がった。
その上社内からも社員のアルバイトは認めないと声が上がった。
なんとも情けない話である。日本人らしい島国のひがみ根性である。
中学生の時にハイネやゲーテを読んで最初の詩に触れた。
その後、若山牧水や志賀直哉・高村幸太郎も読み詩人に憧れた。
職業として詩人なりたかったがその方法が分からなかった。
今なら検索すればすぐに教えてくれる。
日本ではヨーロッパほど詩人が文化人として注目されることは無いが、
フランスやイギリスでは画家も作家も詩人も文化人として国から援助を受ける。
貴族などのパーティーでは何人文化人が参加しているのかが一流の証になる。
お隣の韓国でも国策として文化・芸能人を援助していると聞いている。
何故か日本では政府から職人の技術も画家も詩人も助成金の対象にはならない。
近年大企業もメセナに予算が組まれなくなった。
株主からのクレームで文化芸能関係に協賛金を支払うのが無駄だということになり
展覧会やイベントなども作家自身が自力で開催する羽目になる。
これじゃ詩人どころか素敵な文化人が日本からいなくなる。
残念な国である。