負ける勇気




全ての判断が損得で考えて勝ち負けの意識で生きている。
人間の尊厳や幸福論についての論議もなく経済中心の思考が跋扈する。
他人の上位に立つことが偉いと勘違いして訳もなくマウントを取りに行く。
霊験あらたかな富士山がラッシュアワーの状態で神の山も悲惨である。
そこに人間の醜さが曝け出されて現代の縮図を見るようである。
日本で一番美しくて高い山に世界中から観光客がやって来る。
Tシャツ、短パン、草履、登山装備も持たずに山へ登る。
急な天候異変で救助隊が迎えに行かなければならない言語道断である。
これは登山でもなく挑戦でもなく征服意欲の成れの果てである。

子供の時からテストで順位を決められて優秀と落ちこぼれで区分けされる。
それより以前に親の収入で格差社会の洗礼を受ける。
社会に出ても会社にいかに貢献したかで職位が決められ給料も変わる。
結婚しても愛する女房からあれこれ要求されて息が詰まる状態になる。
子供の教育費、友人たちとの付き合い、両親親類縁者への配慮、住宅購入費、
夫婦で幾ら働いても収入はたまらない。支払いに追われる日々、
まるで羽根車の中を走るマウスと同じである。

鬼さんこちら
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ

人の心の中にも住むといわれる鬼。
最初に鬼にであったのは神社のお祭りです。
鳥居から境内まで並んだ屋台。
その中に沢山の玩具のお面が売られていました。
天狗やお猿さんにまじって鬼のお面も。
友だちがその鬼のお面をかぶり、
こわいぞ~、こわいぞ~、などと
仲間をおどかしたりしたものです。

鬼の面は古来より私たちのそばにありました。
怖い鬼も、
人の力を超えた存在として、
恐れられ、また、崇められていたからです。

鬼は怖いだけでなく、
ときには、その大いなる力をもって、人間を戒め、
災難から救い出し、悪霊を退治し、五穀豊穣をも
もたらすものだったのです。
私たちはその鬼の力が発揮されることを願い、
さまざまな郷土芸能を生み伝承されてもきました。

鬼と呼ばれてきたのは、
その土地・土地の祖霊や地霊。
山岳宗教における鬼や山伏などに語られる鬼。
たとえば、鞍馬山で牛若丸に剣術を教えたとされる天狗。
また、仏教寺院などにみられる邪鬼。
社会から疎外され盗賊や凶悪な行いをして
人から鬼と呼ばれてしまった人たち。
怨みや恨めしさで鬼になってしまう人。
いろんな形で私たちの周りには鬼が存在するのです。

もっとも親しい鬼はなんでしょう。
それは、節分の鬼ですね。
家族と一緒に、
“鬼は外、福は内。福は内、鬼は外”などと叫びながら、
豆まきをしましたね。

心とは何か?
それを具体的に言ったら「勇気」と「発動力」であろう。
よくよく考えてみたら、人生には「合理的思考」と「死狂い」の2種類しかない。
損得を計算するのが前者であり、体当たりで行動するのが後者である。

勝算を立てて行う行為が賢い選択であると、もてはやされるようになったのは
いつからだろうか?
大学に行くのも、ビジネスをやるのも、結婚するのも、離婚するのも、
そこに勝算があるからというのが常識となり、
「賢く生きなさい。」「損はするな。」と子供の頃から教えられ育てられた結果である。
損得の勘定の上でしか生きられないという、まるで綺麗な箱の中に収まるような
こじんまりとした人生となった。

しかし魂はそれでは満足はしない。なぜなら魂とは炎だからである。
命とは燃え盛る火だからである。
死狂いになって飛び込んでいく。結果など気にならない。
やむにやまれぬ思いだけで局面・局面に体当たりしていく。
そう、結果は幻想にすぎない。つまり結果などないのだ。
実在するのは今ここの行為のみ。
その死狂いの行為を聞き慣れた言葉で言えば「勇気」である。
そしてそれこそが本質であり、つまり心なのだ。

勇気とは勇ましく戦うだけでなく逃げる勇気もあることを知るべきである。
戦略において一度の敗退で逃げると次の戦いでも逃げることになる。
しかし、計画的に逃げるふりをしてチャンスをうかがう逃げならば
勇気に等しい行為である。これこそが逃げるが勝ちである。
中国の教えである「反客為主」(はんかくいしゅ)の戦略である。

アメリカのトランプ大統領の各国に対する関税引き上げは常軌を逸した行為である。
これをアメリカ国民は勇気ある行為と捉えているのだろうか?
対する中国は4000年(?)の英知を持つしたたかな国である。
このような時に孫子の兵法ではどのような策があるのだろうか?
現在の中国は以前の好景気の中国と違った不況の真っただ中である。
軍事強化とバブル崩壊、若者への失業率が高まり国民の怒りが頂点に達している。

アメリカが関税を上げれば報復的に中国も関税を上げる。
アメリカの要求が145%の関税で中国はアメリカに対して125%で戦うことになる。
これでアメリカ中国、同時に経済的にダメージを受けることになる。
世界中が1%でも関税の引き下げに交渉を向かうなか中国だけは別次元である。

兵法「三十六計逃げるに如かず」の意味
戦で、形勢不利の時は、いろいろ挽回(ばんかい)する策を考えるより、
まずは逃げて自分たちの身を守るのが一番。
形成が不利なんだから、見栄も外聞もすてて、まずは逃げることで、
身の安全を確保することが大切ですよね。
人間、あせっているときには、ろくな考えはうかびません。
まずは、逃げて、その後ゆっくりと考えればいいということなんですね。

中国の要人たちは科挙のテストで合格した英才ばかりである。
勿論、時代が違うので科挙は無いにしても国内屈指の一流大学の出身者
ばかりである。一般教養として論語、四書五経、兵法書、易学などは学んでいる。
日本では戦後「歴史と地理と修身」が無くなり国を防衛する意識が奪われた。

戦略も兵法もない日本の官僚たちは交渉が苦手な人間たちばかりです。
負ける勇気ではなく負けて弁解するのがおちである。
大義なき人間の交渉は必ず負ける。条件交渉においても国を守る気持ちがあれば
ひるまずに強気で交渉をするべきである。

吉田松陰の言葉
「身を皇国に生まれて、皇国の皇国たるを知らずんば、
何を以て天地に立たん」
日本に生まれた日本人として、この国の風土や歴史の独自性を知らないで、
どうして日本人として力強く生きて行けるだろうか。

いまこそ憂国の士は桃太郎のように鬼退治に出かけるべきである。
様々な対決の中で負けるが勝ちを選ぶならそれも良しである。