出会いの大切さ




江戸時代、仲介の労で名高い勝海舟が坂本龍馬に西郷隆盛を紹介した。
後日、勝海舟が龍馬に「西郷さんはどうだったか?」を聞いたところ
「西郷さんは寺の釣り鐘のような人だった。小さく叩けば小さく鳴り、
大きく叩けば大きな音になる。」と応えたそうです。
西郷の器量の大きさと懐の深さを表した逸話です。
西郷隆盛は持論を展開する一方的な人物ではなく、人の話を聞きその内容に
応じて受け応えをするタイプの人物だということです。
全ての考えの基本は「敬天愛人」天を敬って人を愛する精神です。

中国の教えでは人間関係がもつれた際には「雑乱紛糾のときに控捲せず」
互いに引っ張るのではなく紐をほどけということです。
またインドでは「右に回して開かない時には左に回せ」同じ方向性で
解決しない時には逆の方向に切り替えろということです。

折角のご縁で知り合った仲でももめることもあります。
もつれた糸をそのままにせずに解くことも大切です。
その時は自分の主張で引っ張るのではなく、相手の主張も聞いて緩めることが
問題解決の一番の近道です。

また出会いの中でこの場限りの客で会っても「一期一会」のおもてなしで
客に施せという茶道の教えもあります。
「一期一会」は茶道書「山上宗二記」に書かれた言葉です。
茶会で出会う主人や客人は、もしかしたら一生に一度しか同席できない
巡りあわせかもしれない、そのため、心残りがないよう、
どの茶会でも常に誠心誠意に向き合うことが必要です。と書かれていた。

『けさのひと言』出石尚三
(あなたの幸を祈りつつ)
☆ 出会いこそがすべて
出会いこそがすべてです。
人との出会いを大切にしましょう。
人は皆、人によって生かされているのですから。
大きな会社も、人と人の出会いによって生まれています。
経営者ひとりで大きくなった企業はひとつもありません。
社員がいて、役員がいての企業なのです。

昭和二十一年の話。
井深大は戦争が終って、東京に帰って来ました。
そこで偶然に、旧友、嘉治隆一に会う。会って、近況を話す。
嘉治はそれを記事にしてくれたのです。
「朝日新聞」の『青鉛筆』のコラムに。
これを故郷の小鈴谷で読んだのが、盛田昭夫。
盛田昭夫は『青鉛筆』の記事を読んですぐに連絡を。
盛田昭夫は上京して、日本橋で井深大に会っています。
ここから後に「SONY」が誕生したのですね。
出会いこそすべてです。

知るということはすなわち行動がともなう。
それを「知行合一」だと陽明学は言う。
真に「知る」ということは行動することである。
行動が伴わない知は真に「知る」とは言わない。これが「知行合一」の心髄です。

なるほど、悟りというのは真理を「知る」ということである。
そして真理とは誰もが一時も離れることなく、いや寧ろすべては真理
そのものであることを知るのだ。そして今ここのプレゼンスとは体である。
その体で行為することは真理の顕現となる。

陽明学と対比される朱子学においては、「性即理」と言い宇宙の
根本原理に沿うことを至上の命題としている。
今ここのプレゼンスよりも原理を重んじるということは、瞬前に戸惑いが
混入する暇を与える危険性がある。もちろん、すべては宇宙の原理で
動いているのだが、行為する時には爆発的なプレゼンスで、
今ここにあれ!と陽明学は言うのだ。

陽明学に学んだ吉田松陰は言うのだ。
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
彼の行動の瞬前に宇宙の原理に沿うか沿わないかを一瞬でも考える暇はない。
だからこそ、彼の行為は宇宙の原理そのものになるのだろう。
宇宙の原理の通りに生きようとしているうちは脳の中、つまり因果の中である。
行為そのものが宇宙の原理そのものになることこそ、
心即理すなわち「知行合一」なのだ。

ずるい大人たちは都合が悪くなったり利用価値がなくなるとすぐにいなくなる。
こうゆう人は一生涯誰とも信頼関係が築けない人達である。
あの西郷隆盛が西南の役の戦争で、若者たちに教えた自分の言葉の責任を
取る為に自決した話は有名である。これこそリーダーの責任です。
尊王攘夷を掲げた仲間たちが、政府軍と武力反乱軍に分かれて戦い
若い武士たちがつぎつぎに死んでいくのを見るに見かけて取った行動である。

私の大好きな物語「三国志」の中から「桃園の誓い」です。
「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、
心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、
下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、
同年同月同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。
義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし。」

文章を読む劉備と関羽・張飛
所は涿県(たくけん)。
黄巾軍対策の義兵を募集している高札の前で劉備がため息をつくと、
「大の男が世のために働かず、立て札の前でため息とは情けない」と
声をかけてきたのが身長八尺(約184cm) 豹頭環眼 燕頷虎鬚 聲若巨雷
勢如奔馬という男、張飛であった。劉備が、自分がため息をついたのは
己れの無力に気付いたためだと言うと、張飛はそれなら
自分と一緒に立ち上がろうと酒に誘う。

訪れた酒場で彼らは、身長九尺(約208cm) 髭長二尺(約46cm)面如重棗
唇若塗脂 丹鳳眼 臥蠶眉 相貌堂堂 威風凛凛という赤ら顔と見事な髯を持つ
一人の偉丈夫、すなわち関羽と出会い意気投合する。

張飛の屋敷の裏の桃園で義兄弟の誓いを交わした三人は、彼らの呼びかけに
応じた者達と酔いつぶれるまで酒に興じた。その翌日、人が集まったは良いが
軍馬が無いことに気づくが、偶然近くを訪れた馬商人張世平と蘇双に
馬や軍資金などを援助してもらう。そして劉備は雌雄一対の剣、関羽は八十二斤
(48kg)の冷艶鋸(青龍偃月刀)、張飛は一丈八尺(約4.4m)の点鋼矛(蛇矛)を
鍛冶屋に造らせた後、彼らは集まった約500の手勢を率いて幽州太守劉焉のもとに
馳せ参じた。物語はまだまだ続く・・・・

建国の意志と志が共通であればどんな問題も解決する。
出会いの中から真の友人を得れば世の中を変えることができる。
「一燈照隅・万燈照国」天台宗最澄
小さな燈は隅しか照らさないが、小さな燈が万燈集まれば国をも照らす。

私が大好きな言葉に「人との出会いは一瞬早からずまた一瞬遅からず。
出会うべき人には必ず出会う。しかし求める気持ちが無ければ運命の人も
目の前を通り過ぎる」哲学者森信三先生の言葉です。

良き出会いは運命を変えることになる。