縄文時代




一部の人には熱狂的に支持されている縄文時代。
それが突然注目されたのはアフリカの小さな村でペンキ画家として修業した
SHOGENの本「今日、誰のために生きるの?」でした。

SHOGENさんは、1986年(昭和61年)3月29日に京都府船井郡京丹波町で
生まれました。現在37歳(2024年2月現在)。
本名は上田 祥玄(うえだ しょうげん)さん。
2008年龍谷大学卒業後は、日本メナード化粧品に勤めていましたが、
2014年5月にふと入った雑貨店でタンザニアアート「ティンガティンガ」に
出会い、自らティンガティンガを描くことを決意。
そしてその翌日に退職願いを提出し「ティンガティンガアート」の
修行をするため、単身アフリカへと渡ります。

2014年8月、 現地人アーティストのカンビリ氏に弟子入りした後、
タンザニアのホテルやパトカーにペイントを施します。
他国の人が公の場所や物に絵を描くという事は、信頼を得ていないと
出来ない事だと思います。

2015年7月、日本に帰国後、活動の場所を日本へ移し、
様々な個展やライブイベントへ参加。
2022年5月、YouTubeチャンネル『ペンキ画家ショーゲンSHOGEN』を開設。
2023年12月17日現在登録者数約22万人。年内に26万人を目指しているそうです。
この26万人という数字はSHOGENさんが説く縄文時代、
一番多かった人口の数との事です。
そして2023年10月SHOGENさんとひすいこたろうさん共著で
「今日、誰のために生きる?—-アフリカの小さな村が教えてくれた幸せが
ずっと続く30の物語 」が出版されました。

SHOGEN「ティンガティンガの師匠であるカンビリ先生の家(ブンジュ村)に
招かれたのですが、村長の奥さんに「この質問のあなたの答えによって
村で受け入れるか否かを決める」と言われました」

SHOGEN「もしこの世にお金というものがなくなったらあなたは
生きていける人間ですか?という質問でした。」

SHOGEN「紙幣が価値を持たなくなった時に、あなたがどれだけ
今まで愛を持って人に接してきたかで、生きていけるか生きていけないかの
時代がくると村長の奥さんから告げられました、
それに対して僕は『生きていけます』と答えたところ、
『わかった。じゃぁ受け入れましょう』と村長の奥さんがみんなに頭を下げてくれて、
ブンジュ村で暮らせる事になったんです。」

SHOGEN「村の人たちの心がすごく豊かなんです。その後村長がやってきて、
村の幸せ三箇条を教えてくれました。」
一ご飯が食べられることに、幸せを感じられるか?
二ただいまと言ったら、おかえりと言ってくれる人がいるか?
三 抱きしめられたら、温かいと感じられる心があるか。
この三つがあなたの中にあるんだったら、村においで

SHOGEN「ある日、僕が住んでいたブンジュ村で出会った友人が亡くなって
しまったんです。ダンスクラブの前でたまたまギャングの抗争に巻き込まれ、
殴り殺されてしまいました。」

SHOGEN「ショックでしたね。でもその友人のお葬式に行って、
涙を流して泣いていたら、大人20人位に囲まれ
『何で泣いてるんだ』と怒られました。」

SHOGEN「ですよね。僕もなぜ?と思って『何で怒られなあかんねん』
って反抗したんですよ。そしたら、言われた一言が衝撃で…

『SHOGENは亡くなったその友人に真剣に向き合えなかったから後悔の涙を
流しているんでしょ?この村では明日の命が約束されていない。
だから真剣に向き合いなさいよって言ったのに、SHOGENは出来なかった。
人と真剣に向き合えないんだったら、この村から出て行きなさい』
って言われたんですよ」

SHOGEN「向き合ってたつもりになってたからそれもショックでしたし、
なんで…?と伝えたら『子供にとってよくないから村にいられると困る』
って言われて心をグサグサにやられて家に帰りましたよね」

SHOGEN「向き合ってたつもりになってたからそれもショックでしたし、
なんで…?と伝えたら『子供にとってよくないから村にいられると困る』
って言われて心をグサグサにやられて家に帰りましたよね」

SHOGEN「まぁでもこの出来事がきっかけで孤独と向き合うようになりました。
教えてくれたのはカンビリ先生です。」

SHOGEN「はい、カンビリ先生が『なんでこのブンジュ村の人々が
精神的に豊か分かるか?』と聞いてきたので『なんでですか?』と尋ねると
『電気がないからだよ』と言われました」

SHOGEN「僕も(は?)ってなりました、カンビリ先生が言うには
『日本とか先進国には、電気があるから、夜も読書が出来る、いつでも
だれとでも連絡が取れたりするだろ?ここでは夜、明日誰に会おうか、
どんな言葉をかけようかと考えて生活しているんだ。
その人を想う時間こそが、幸せなんだよ。

SHOGENは一日の中で誰かを想う時間は今までの生活でありましたか?』
って聞かれて何も答えられませんでした」

SHOGEN「カンビリ先生に『やりたいことが見つからない・どうなりたいかが
わからないっていう人がいると、先進国の人は、こんな人に会いに行ったら
良いとか、こういう人に話を聞いてみたら?となるかもしれないが、
このブンジュ村では孤独と向き合いなさいと教えているんだ。
自分の中の信念や、大切にしている人の顔が出てくる。
その中に答えがあるんだよ。
先進国の人が心が豊かになりたければ一日に電気を二時間なくしたらいい。』
って教えて貰ってそこから孤独と向き合うようになりました。」

SHOGEN「孤独と向き合った時に、一番最初に村の子供たちの顔が浮かんできました。
そこから、子供の幸せな瞬間を絵に描こうと思って今のスタイルが出来たました。
絵を学びに行ったつもりだったが、どうやって人と向き合うかを学びとって
帰ってきました。」

「日本にあった縄文文明」
世界最古の文明は、今から8000年前のシュメール文明とされています。
また、世界の四大文明(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)は、
今から3000年から1500年前に起こったとされています。

しかし、この四大文明よりも1万3000年も前に地球上に文明が存在していたのです。
それは、日本においてです。
青森県の大平山元遺跡から、1万6500年前の縄文式土器が見つかっています。
これは、従来の歴史をひっくり返すような発見です。
しかも、それから1万4000年間も縄文文明と呼ばれる時代があったのです。
さらに、遺跡を調べると、驚くべきことが発見されています。
それは、「対人用の武器」、つまり人が人を殺す武器というものが、
縄文時代の遺跡からは発見されていないのです。

矢じり、石おの、石包丁というものは発見されています。これらは、小動物を捉え、
解体したり、調理に使ったもので、人を殺傷する目的で使用されてはいませんでした。
実際に、遺跡から発見された人骨からは、矢が刺さったような外傷は
見つからなかったということです。
つまり、縄文時代には、争いがあったとは考えにくいものなのです。

私たちの祖先は、1万4000年という途方もなく長い期間の間、「人を殺める」
文化というものを持っていない、平和の民であったということです。
私たちの遺伝子には、この「平和の民」の遺伝子が伝えられているのです。
しかも、縄文時代というと、私たちのイメージでは、獣の毛皮をまとい、
竪穴住居に住み、動物や食べられる果実や植物を食べていた、というイメージですが、
どうもそのような原始的な生活ではなかったようなのです。

縄文式土器を調べると布の繊維跡が見つかっています。
すでに布をまとっていたことがわかります。さらに女性の人骨からは、
イヤリング、ネックレス、アームリングといった装飾品も見つかっています。 
さらに縄文時代の人々は、集落を形成しており、かなり高度な文明を構築していた
ようなのです。

すなわち、世界の文明の発祥は、日本ということになります。
私たちは、「平和の民」のDNAを持つものとして、未来の平和に貢献していきたいと
思います。同時に「愛の民」愛されることがあたりまえにあった国なのです。