問いを放て




君に問いはあるのか?
君の問いは正しいのか?
常に問いをもて
生き方の問いをもて
人としての問いをもて!

何が大切で何をしなければいけないのか真理を探し出すのだ。
人はだれしも使命を授かりやらなければならないことがある。
生き方の問いなき者は生を楽しめず死を恐れることになる。
その苦しみから逃れる為に短絡的な快楽へと逃れる。
そこに人間としての尊厳は生まれて来ない。

問いは疑問である。現状を疑うことから始まる。
そして疑問が生まれて好奇心が生まれる。
科学の進化はすべて疑問から生まれた。
自問自答の精神から始めよう。

問いかけをしない若者たち、彼らは現状の世界に絶望している。
環境も経済も大人たちが壊すだけ壊して、次は君たちがバトンを
受け取るのだと言われても呆れ果てて言葉を返えせないのだ。
大人たちはそれを見て今の若者は無気力だと言い切る。
これではますます世代間のギャップが起こる。

ニュースで国会議員の不正や大企業の不祥事で騒いでも、
一切正式に裁かれない現状をみて呆れ返っている。
無意味な謝罪会見ばかり開いても改善は見られない。
報道の在り方までもが議論の対象になっている。
ましてやメディアの不祥事は報道に対する信頼性を著しく落とし込め、
芸能界との癒着も次々に暴かれていき、いった全体この国に真実の報道は
あるのかと白けてしまっている。

今や検索とシェアが当たり前の世代はチャットGPTを使いこなす。
疑問は全て生成AIから聞き出す。所要時間はわずか2~3秒である。
大人の嘘をここで見破る。そして未来に絶望する。
こんな世界にしても大人は一切責任を取らない。

トランプとゼレンスキーとの和平交渉決裂の顛末は全世界に恥を晒した。
アメリカンファーストはモラルもコモンセンスも関係なく
金・金・金の世界の行き着く果ての姿を見てしまった。
この中に人道支援の言葉は無かった。平和を使ったただの取引だけだった。

就職しても友達と話しても金・金・金の一辺倒である。
国を憂いる前に信用できるのは金儲けである。
しかし欲を満たすための金をいくら集めても尽きることはない。
挙げ句の果てに投資話に騙されて一文無しになることもある。
人生の貴重な時間の無駄遣いである。タイパもコスパも関係ない。

ここで令和哲学の会・長岡美妃医師の投稿を紹介したい。
世界に対して「問い」を投げる。
人間と他の存在との決定的な違いは「問い」を持てるかどうかである。
人間以外の存在は環境に依存するため、環境に対していかに反応するかが
存在の宿命である。しかし人間は違う。
環境を自らが統制することができる唯一の存在である。

その為には五感覚脳の初期設定を超克しなければならない。
なぜなら、初期設定は環境に隷属しているからである。
目で見て見える。耳で聞いて聞こえる。手で触って触れる…
これらは環境に対して受動的な反応であり、環境が主人となる。
それ故、必然的に人間は環境の奴隷状態となる。

だから「問い」を放て!と古今東西の賢人たちは言う。
「この現実とは何か?」「人間とは何者か?」「世界とは何か?」、
この「問い」こそが主客逆転の端緒となる。そして気づくの。
「問い」を放った自分は、、、現実世界の中にいなかったということに。
環境から独立していたからこそ、「問い」を投げることができたのだと。

では、現実世界の中に自分はいないのなら一体、どこに自分はいると
いうのか?…デカルトはそれを「我、思う」と言った。我、我、我、、、
そう!思う「我」こそが実在!我こそ、完全独立!

そしてここで「問い」の終焉。「問い」が斬られる。
考え卒業、人間卒業、錯覚卒業。次のゲーム、スタートのベルが鳴る。

このブログをお読みの皆様はこの内容をどのように受け止めたでしょうか?
「問い」は千差万別あるのです。
一方が正しくて他方が間違っているというわけではありません。
「問い」は哲学的に考えるか、宗教的に考えるか、先人たちの言葉で考えるか
常識と言われる知識で考えるかによって回答は変わるのです。

環境から独立していたからこそ、「問い」を投げることができたのだと。
長岡医師の環境は自然の環境ではなく身の回りの生活環境である。

私は今「世界動物かんきょう会議」の一員として席を置いている。
広い意味での地球保護と人間が生存する為の新思考「動物になって考える」です。
デジタルの対極にあるアナログは自然環境を知らなければ始まりません。
我々人間社会はSDGsを謳っているが、いくら人間のエゴで考えても答えは無い。
そこに問いかけをしたら「世界動物かんきょう会議」にたどり着いた。

子供たちが動物になって環境を考えるとこのようになるのだという
ワークシップを各地で開催している。専門のインストラクターも養成して
学生から社会人まで環境について真剣に話し合っている。

デジタルを神のように崇めることを辞めにして、もう一度自然との共生を
考えなければ世界は何も変わらない。経済を発展させるために自然を破壊して良いなど、
神への冒涜であることを知らなければならない。

さて皆様は何に対して「問い」放ちますか?
問いは脳への刺激剤です。
問いは心の栄養剤です。
問いは共通認識の清涼剤です。
問いは人生の活力剤です。
私は毎日問いかけながら生きています。

皆様も多いに問いを放ってください。