批判と嘲笑
批判を恐れるな やり続けることが大切だ!
嘲笑を甘んじて受け入れろ やり続けることが大切だ!
自分で挫折を引き込むな 乗り越えろ やり続けることが大切だ!
挑戦しても直ぐに諦めると笑われる
しかし何度も失敗しても立ち上がると誰も笑わなくなる
成功者の大半はなんども失敗を繰り返して来た人そのものである。
モンスターペアレントに代表される日本人の勘違い
親の期待に添える子供を作りたい
その為に我が子を特別扱いにする
我が子の競争は勝つことしか頭に無い
我が子の喧嘩は我が子が正しいという前提から入る
学校にも教師にも文句をつけてマウントを取る
いつでも子供の意思は無視されてことが進む
子供は自分が無視されていることが気に入らない
モンスターペアレントの子育ては見栄の世界である
批判されると阻害されていると言う劣等感が芽生え上気を逸する
両親から過保護に育てられた親に多いのはそれの繰り返しである
嘲笑される原因は親が作り勝手な思い込みから劣等感が芽生える
子どもはそれの被害に遭い身動きが自由に取れなくなる
中国人のわがままを批判するけど一人の孫に八人の大人が面倒を見る。
我儘し放題の育てられ方をするので全員がリトル裸の王様になる。
以前、中国の飛行場で到着直後に機体が滑走路を走行しているにも関わらず、
息苦しいからと非常口の扉を開けた中国人の乗客が話題になった。
過去には韓国の航空会社のオーナーの娘がわがままを言い機体をゲートに引き帰らせた。
ことの発端がピーナツだと言うことでピーナツ姫と揶揄された。
ここまで来ると親達の責任は大きい。過保護は百害あって一利なし。
「批判と嘲笑」に耐えられるようになるのは、
やはり正しい知識を身に着けることである。その上に経験が大切である。
他人と比べてのコンプレックスは、自分の欠点を意識すぎるあまり
精神的に脆くなることである。
その孤独の壁を突き破るのは「ひとり」に耐えることである。
誰も助けてくれる人もいない世界へ飛び込んで精神を鍛え直すのである。
基本は「生きる」を知ることである。
私は音楽ビジネス以外の知識を常に求め続けていた。
主に心理学に伴う市場分析である。他国の現状を知ることで、
日本の未来がよく見えるからである。
誰も興味を持たない分野ではライバルも存在しないし、
批判も嘲笑も起こらないからである。
子どもの頃からテストや競技で優劣をつけられことを極端に避けて生きて来た。
貧しいからとか試験の結果で人間のよしあしが採点されるからである。
他人の勝手な思い込みで人間的価値を評価されるのが何よりも腹立たしかった。
その為に数量で決められない「人間力」を高めることに専念してきた。
その為に経験に勝る方法は無いと挑戦し続けた。
コンセプター坂井直樹
なぜ寒い国の人は、背が高いのか?街を歩いていて、ふと思うことがある。
北欧の人は背が高く、がっしりしている。中国でも北京の人たちは高身長が多く、
南の方広東や雲南の人々は小柄で細身が多い。
なぜだろう。植物であれば、日差しと水に恵まれた南のほうがよく育つはずなのに。
人間も同じではないのか?そう思っていた。
だが調べていくうちに、むしろ逆だった。
寒い土地では、身体の熱を逃がさない形が求められる。
つまり、体が大きく、皮膚の表面積が少ないほうが有利なのだ。
これをベルクマンの法則というらしい。
それに対して、暑い国では熱がこもってしまう。
だからこそ、小柄で手足が長い体型のほうが、熱を発散しやすい。
アフリカのマサイ族、東南アジアの漁民、インド南部の細身の人々……。
なるほど、体というのは「気候への返答」だったのか。
そこに、食文化と生活スタイルが重なる。
オランダやスウェーデンでは、古くからチーズや肉を中心とした
高タンパク食が続いている。
北京周辺の黄土高原では、馬に乗り、広大な平野を移動する民族のルーツが
ある一方、華南や日本の南方は、稲作文化と水田作業。屈みながら、
泥に足を取られながら、生きてきた体の記憶がある。
それでも、私たちは均一化しようとする。
伸びたい、痩せたい、同じサイズになりたいと願う。
けれど、本来、私たちの体型には“土地の声”が宿っている。
それを知ることは、単なる体格を超えた、ひとつの「風土との和解」なのかも
しれない。小柄であることも、がっしりしていることも、背の高さも、
骨格の違いも、すべてが「生き延びてきた証」なのだと思う。
「批判と嘲笑」の原稿を書いているときに以前一緒に仕事をした
コンセプター坂井直樹氏の日記的エッセイが気になり掲載した。
勝手に使うなと叱られそうですが読んでみてください。
コンセプターが考える現状と分析、そこに潜む思考の原点、
あらゆる角度から物を見極める達人の芸のなせる業です。
坂井氏は多くの開発商品を手掛け世界的に名を知られた。
しかし、そこに至るまでは何度も失敗をして「批判と嘲笑」を浴びた。
今回この文章を取り上げたのはコンセプターの視線の捉え方を、
知ってもらいたいからである。
因みにコンセプターとは自分の職業欄に記載する時に色々な名前が浮かんだのが、
ある記者からコンセプトプランナーだからコンセプターというのはどうですかと
言われてそれ以来使用しているという。
私が、音楽プロデューサーという名称を始めて使ったのも、
新しい時代の新しい仕事を始めるために言葉の鎧として使ってきた。
坂井氏と同等に並べるのは奥がましいが我々の共通点は好奇心である。
あらゆるものに興味を持ち追求して文章にまとめ上げる。
次の世代へ少しでも助言をして伝われば本望である。
これこそまさに「老人と孫」である。