日本文明




モースからの一言
「日本間の全般的な色調は、花一輪、清雅な一幅の絵、陶器の一片、
あるいは古い青銅製置物を完璧にまで引き立てる。
同時に、高価で見事な金塗りの逸品が、これら簡素な事物の中に
宝石のように輝いている。
-しかもその場の色彩の調和が乱れることがない(モース 明治時代)」

大森貝塚の発見者として知られるエドワード・モース。
1877(明治10)年から3度にわたって日本を訪れた彼は、
日本の庶民の暮らしや心根に魅せられ、多彩な品々を「記録」として
アメリカに持ち帰っていました。
モースが感嘆した、明治の名もなき日本人の「こころ」とは何だったのか。

明治の庶民を写した写真やモース自身の日記、スケッチなども加え、
失われた明治の日常がおよそ140年の時を経てよみがえる。

「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が
払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで
幸福であるらしい。」
E.S.モース『日本その日その日』二巻(石川欣一訳)より抜粋

またアメリカの国際政治学者である「サミュエル・ハンチントン」は、
著書「文明の衝突」で、世界を次の八つの文明圏に分けている。
「西欧文明」「ラテンアメリカ文明」「アフリカ文明」「中華文明」
「ヒンドゥー文明」「東方正教会文明」「イスラム文明」と「日本文明」。

案外、日本人のなかに「日本は中国文明に入っているのではないの?」
と思う人が多いかもしれない。
そのことについて、サミュエル・ハンチントンはこう言っている。

一部の学者は日本の文化と中国の文化を極東文明という見出しで
一括りにしているのだが、 ほとんどの学者はそうせずに、
日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して西暦100年ないし
400年の時期にあらわれたと見ている
(文明の衝突  サミュエル・ハンチントン)

ということで世界では、ほとんどの学者は日本と中国とを
別の文明だと考えているらしい。

ちなみにこの「日本は世界の八大文明の一つ」という考えは、
明治時代に日本を訪れたシドモアというアメリカ人女性もいっている。
「世界八大文明の」一翼を担う伝統ある日本は、
今や中世的美風や東洋的画趣を惜しげなく捨て去っています
(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)

その「日本文明」には、次のような特徴がある。
世界のすべての主要な文明には、二カ国ないしそれ以上の国々が含まれている。
日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。
(文明の衝突 サミエル・ハンチントン)

「中華文明」は中国だけで成立しているわけではなくて、
隣国の韓国・ベトナム・北朝鮮、そのなかに入っている。

それにしてもなんで日本という国は、それ1国で固有の文明だと
考えられているのか?「日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して
西暦100年ないし400年の時期にあらわれたと見ている」と書いてあるけど、
それ以上に具体的な記述がない。

「西暦100年ないし400年の時期」というと、日本は弥生時代で銅鐸を
つくっていたり、卑弥呼が女王だったりしていた。
このころの日本で、中国文明から派生したような出来事ってあったのか
よく分からない。

でも、世界的な学者から見たら、日本という国にはこんな特徴があることは
覚えておいてもいい。
「ユニークなのは、日本国と日本文明が合致している」ということ。
他国から入って来た文化に影響されながらも独自の文明を築いていること。

「日本に似ている国がない理由」
学校では、日本は古代より、中国・朝鮮から文化のほとんどを
学んだように習います。それなのに、日本の文化や人の気質が、
中国や朝鮮にあまり似ていないのはなぜでしょうか?

朝鮮から稲作、青銅器、鉄器が伝わった。渡来人が日本に漢字、儒学、
仏教を伝えた聖徳太子は中国や朝鮮に学び、天皇を中心とする政治の仕組みを作った。
その他にも、朝鮮から移り住んだ渡来人が、かまどを使う文化を伝えた。
大和政権は渡来人を盛んに採用し書類の作成や財政管理など任せた。

日本から遣隋使・遣唐使を中国へ送り、
中国の進んだ制度や文化を取り入れた。
法隆寺などの建物は、主に渡来人やその子孫によって造られた。

天武天皇は中国に習った律令や都、歴史書を作るよう命じた。
奈良時代中期、天皇や貴族の服装は、唐風のものだった。
平城京は中国の都を手本に造られた。

などなど、教科書の内容を挙げても、政治、宗教、文字、生活まで、
ほぼ全てを中国・朝鮮のお世話になったかのようです。

それでも、日本が日本らしい独特の文化を
開花させていったのは不思議ではないでしょうか?

例えば、1996年に出版され世界的ベストセラーになった
『文明の衝突』という本があります。
この本では世界を9つの文明に分けていたのですが、
日本を1つの文明として定義づけていました。

世界196カ国ある中で、9つの文明はこの通り複数の国を含みますが、
1つの国で1文明を築いたのは日本だけでした。

日本だけを1つの文明として考えるのは、
この本『文明の衝突』の著者だけではありません。
その他にも、九大文明論や五大文明論などを唱えた著名な学者たちが、
日本を1つの文明と捉え、唯一無二のユニークさを認めています。

なぜ日本は、あれだけ学んだ中国・朝鮮に似ず、
ひたすらユニークな国を作れたのか・・・

日本の長い歴史の中で、皇室と天皇は日本文明の確固とした
核であり続けている。
恵まれないときもあったが、皇室は常に権力ではなく権威として、
日本国の揺るぎない基盤であり続けた。日本が危機に陥る度、
皇室が中心になって、国民をまとめ、国を守り通してきた。
明治維新のときや大東亜戦争の終戦時に
果たしたお役割が記憶に残る事例である。

皇室は、早くも聖徳太子の時代、つまり七世紀初めには貧しい人、
親のいない子供たち、身寄りのないお年寄りのための救済施設を造っていた。
それらは聖武天皇の后、光明皇后の力によって施薬院、悲田院となり、
病と貧困に苦しむ民の救済施設として定着し、やがて全国に広がった。
その善き伝統は、平成の現在も藤楓協会として連綿と続いている。

天皇と皇室が民の幸福と国家の安寧のために祈り続けて下さっている
お姿が、長い歴史を通して浮かび上がってくるのが日本であり、
このような背景が日本民族の記憶に深く刻まれているからこそ、
天皇陛下のお言葉は、国民の心にスッと沁み込んでくる。
大切にするべきはこうした伝統である。

皇室の伝統と価値観は紛れもなく日本の神話と一体化したものだ。
御代替わりの儀式は、これら神話の時代の伝統にのっとるのがよい。
昭和天皇崩御のときの「大喪の礼」では、
反皇室の人々が憲法20条3項を盾に、政教分離と称して、
儀式の簡略化や変更を求めた。

だが政教分離は宗教に対する圧迫や干渉を禁じているのであり、
政治に一切の宗教色を持たせてはならないという意味ではない。
そもそも神話の時代からの伝統を宗教だと断じて切り捨てること自体、
間違いである。200年振りの御代替わりの儀式は、大喪の礼のときよりも
まともに伝統を踏まえるべきだと考える。

これらは常識として知らなければならない「日本文明」です。
皆様はどう思われたでしょうか?


珠玉の言葉たち




「恩学」を書き始めたころには胸打つ言葉は本の中からでしかありませんでした。
しかし最近ではSNS上に氾濫しています。
勿論、受け取る人が感動すれば記憶に残しておけば良いのですが、
簡単に手に入るものは簡単に忘れてしまうのです。
自分の足で富士山へ登頂した人とその人が写した映像を見るのとでは
感動の度合いが違います。
記憶は頭の中だけで起こる現象ではありません。
五感全部で感じるものです。

人は感動した時にふと頭に浮かぶ言葉があります。
それを書き留めておくことが重要です。
日記や記念写真に書き込めば後々まで変わらぬ感動が蘇りますね。
本日はそんな心に残る言葉を紹介します。

*馬鹿にされる人ほど成長し、馬鹿にする人ほど落ちていく。
*嫌いな人と関わっている程、人生は長くはないが
*大切な人との時間を削るほど、人生は短くない。
*出来ないと思えば限界の壁が出来、出来ると思えば可能性の道ができる。
*出来ることからやる人が、出来ないことをやれる人。
「一生懸命だと知恵が出る」
「中途半端だと愚痴が出る」
「いい加減だと言い訳が出る」
*晴れの日には葉が育ち、雨の日には根が育つ。
*無いものを数えれば不満が増え、あるものを数えれば感謝が増える。
*幸せだから感謝するのではない、感謝できることが幸せなのである。
*毎日の小さな努力の積み重ねが、歴史を作っていく。
*言葉は時に刃物になるし、誰かの背中を押す優しい力にもなる。
*貴方の良さが分からない人のせいで、貴方が落ち込む必要なんて一つもない。

「水はつかめません。すくうのです。心もつかめません。くみ取るのです」
「幸せだから感謝するのではない。感謝できることが幸せなのです」
「楽で苦労しないことを望めば細かなことがくるしくなる」
「あなたを苦しめた高い壁が今度はあなたを守る盾になる」
「他人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」
「誰かに与えるとき、それは自分自身に与えることです」
「心の平安は、外の世界ではなく内にあります」
「言葉は力を持つ。それを使って癒すことも、傷つけることもできる」

如何でしょうか?今あなたの心が求める言葉はありましたか?
無理に良い言葉だからと言って覚える必要はありません。
しかし良き言葉を傍に置くとあなたの口からその言葉が出るようになります。

哲学書や仏教書の中には人生に役立つ文章がいっぱいあります。
ひとつご紹介します。

逆風に帆を張るという禅語があります。
「逆風張帆(ぎゃくふうちょうはん)」です。

帆船が向かい風(逆風)にもかかわらず、敢えて帆を張る、の意。
逆境に耐え、前に突き進もうと努力することで、道が開けるという、
禅の言葉です。ヨットは、逆風でも、風の角度を見極め
一定の角度で帆を匠に操れば、斜め前方にジグザグ経路で
前に進んでいく技があります。
これは、飛行機が空を飛ぶ原理の「揚力」と「推力」の関係と
同じことで、帆が翼の役目を果たします。

船は、逆風の中では、何もしないと、ただ流されてしまう。
時には後退さえしてしまう。
だからこそ、逆風の中にいても、その時にできることを懸命に
一歩でも、半歩でも前に進んでいこうとするのです。

白隠禅師のお師匠さんだった正受老人が、晩年に村人相手にやさしい言葉で
生き方を説かれたのが、有名な「一日暮らし」です。
人間の一生、どんな辛いことがあってもきょう一日の辛抱だと思えば耐えられるし、
逆に嬉しいことがあってもきょう一日と思えばそれに耽ることもない。
誰でも、きょう一日、目の前のことであれば頑張れる。
きょう一日一所懸命やればいいと。そうして最後に、
「一大事と申すは今日只今のこと」と締め括っています。

〈境野〉 
心に染みる説法ですね。実は、私は人生の目標って立てたことがないんです。
ただ「縁」だけは大事にして、いつもそれに精いっぱい報いてまいりました。
そうしたら、思いがけず素晴らしい出会いに恵まれ、東洋思想の本を30冊ほど
書かせていただくことができた。ただひたすらご縁に従ってやっているうちに、
こういう自分になったんです。

いまの若い人の中にも、目標が立たないと言って悩んでいる人が多いんですね。
そういう青年たちには、俺も目標を持たなかったよ。だけど人の縁を大事にして、
「今日只今」を一所懸命やってれば人生は開けていくんだよと申し上げるんです。

〈境野〉 
「前後裁断」という禅語もございますね。明日と昨日を切って、今日一日を生きよと。
高い目標達成のためプレッシャーを受けている人も、「今日只今」自分のやるべき
仕事に集中すれば、余計なストレスももらわないし、結果も自ずとついてくると
思います。覿面の今を失うに気づかず

〈横田〉 
正受老人は「一大事と申すは今日只今の心なり」という言葉に続けて、
「それを疎かにして翌日あることなし。全ての人、遠きことを思いてはかること
あれども、覿面の今を失うに気づかず」と説かれています。
遠い目標を持つことも大事ですけれども、そればかりにとらわれて覿面の今、
いま目の前のことを見失っては ならないと。
一刹那正念場というのはそういうことだと思います。

〈境野〉
「刹那」というのは極めて短い時間という意味ですね。
そして禅では「刹那生滅」という言葉もございますが、「生滅」というのは
生きる・死ぬということ。死ぬまであっという間なんだから、
「今日只今」この一瞬を大切に、楽しく明るく生きよという教えなのですね。
私が一番好きな禅語を挙げるなら、やっぱり「喝!」ですね。天地と一体に
なったこの体から迸る「喝!」という音が、悩みや執着を取り去ってくれ、
また新しい一歩を踏み出せるんですね。

〈横田〉 
最近はテレビの影響でしょうか、あまりその真意が理解されていないようですね。
本当は、一切の執着を捨て去って天地いっぱいのいのちを生きるという意味です。
それには「回光返照」といって、外ばかりみる目を内に向けてみることが必要です。

〈境野〉 
やっぱり天地自然の回光を返照して、迸り出るような「喝!」でなければ
いけないのですね。
逆境の中で苦しんでいる方もいらっしゃるでしょうが、この一喝によって
一度自分が固執している価値観、理念、発想から離れてみられると、
そこからまた新たな活路が見出せたりするものです。
なんとか心新たに、一日一日をみんなで明るく生きていただきたいと願います。

作家・東洋思想家の境野勝悟氏と禅の一道を歩み、弊誌でも「禅語に学ぶ」を
連載している鎌倉円覚寺管長・横田南嶺さん。白隠の師・正受老人の言葉から
お二人が読み解く、きょう一日を輝かせる禅の精神とは――。でした。

如何だったでしょうか?
貴方の心に響く珠玉の言葉たちに出会えましたでしょうか?


百折不撓




勝手な思い込みで弱い立場の人間に対して命令をしてしまう。
自分の苦労を隠すようにして強がる自分を前面に押し出す。
折角手に入れた地位を奪われたくなくて持論を繰り返す。
強固な城も人がいなくなればただの箱になる。
信頼できる部下と尊敬できる先生と親身になってくれる友を
手に入れられなかった人生の悲しい末路である。

こんな言葉を知っていますか?「1人なら龍3人よれば虫」
これは中国人がよく使う言葉です。
意味にすれば一人で物事を進める時は判断も行動もまるで龍のように
振る舞えるが、なぜか複数になると怠け者の虫のように力を発揮できなくなる。
これは中国人だからということではなく一般的な人間心理です。
「三人よれば文殊の知恵」しかし三人よれば依存が芽生えることも事実です。
少しでも心を緩ませると逃げたい気持ちが湧き起こるということです。

地震や豪雨の災害で家も家族も失った人は絶望と共に一人で生きることを
余儀なくされて無口になりただ黙々と怒れる龍の如くに行動を始める。
東北の震災、熊本の震災、能登半島の震災、皆同じようになる。
しかし仮設住宅の生活が始まると急に精神的に耐えられなくなり
自殺する人も増えるという。壊れた家にいる時は気丈に生きていたのに
避難所へ移った途端に気が緩み悲しみに耐えられなくなる。
本当の復興支援とは建物だけではなく心を支える柱が必要です。
カウンセラーの派遣も多く行われていますがとても重要です。
そこで聞いた言葉を更に復興支援に活かされることを願う次第です。

「こんな言葉があります」
【百折不撓】ひゃくせつふとう
何度失敗して挫折感を味わっても、くじけずに立ち上がること。
どんな困難にも臆せず、初めの意志を貫くこと。
「百折」は、何度も折れること。「撓」は、枝などがたわんだり、
まがったりすることで、気力がなえること。「不撓」でくじけないこと。

「このような事例もあります」
年齢に関わらず就職の悩みをもつ方が多い時代。自信を失い、希望を失い、
目的を失い、何もかにも失って来られる場合もあります。
じっくりとお話に耳を傾け、温かく寄り添いながら、一歩、また一歩と、
階段を一緒に上がり始めるような気持ちで接しています。決して無理を
強要するつもりはありません。ただ、自分の心の中に、わが生命の源に、
折れても、折れてもくじけない「負けじ魂」が誰にでも本来備わっている
ことを自覚することが大切と考えます。
勇気と希望を私にも、そして多くの方に与えてくれた友に感謝。
これからも山も谷もあるでしょう。それでも百折不撓で生きていく限り、
人生勝利の歴史が輝くことを確信しています。本当にありがとう。

「私の場合もこのような経験をしています」
6歳の時に母親と兄妹と別れて大阪の父親に引き取られました。
当初は自分の置かれた立場がわからず泣くことも我慢できたのですが、
色々な人と関わるようになり「可哀想な子だね」と言われるたびに
悔しくて泣くこともありました。ああこれからは誰にも頼らずに
一人で生きていくのだと決心したのです。
名前に瀧が付いていることもあり恐れることはありませんでした。
それ以上にもっと困難に見舞われれば良いとも思ったのです。
自虐的ではありますが苦しみから解放されるのには
徹底的に底まで落ちて自分の置かれた立場を知ることでした。
他人に確認や同意を得てから慎重に行動しては駄目です。
色々な意見は役に立ちません。それどころか情熱が冷めることにもなります。
私は誰にも相談せずに無謀と思われることに挑戦してきたのです。
熱き心を忘れないように敢えて困難に飛び込んだのです。

しかし気をつけたい態度としては傲慢になり人の意見を無視することです。
少し成功すると今までの我慢が噴き出して怒りに変わるのです。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」この心境にはなかなか近づけません。
それでも失敗を重ねると自然に謙虚さが身につきます。
小さな虫になって身動きが自由に取れなくなって初めて後悔するのです。
もっと他人を思いやる心があれば良かったと思うのです。

あらゆる発想の起点は自分であっても協力者は必要不可欠です。
どんな素晴らしい企画でも具体的な裏付けが必要です。
ブローカープランナーは他人の意見をコピペして組み立てます。
そこに参加予定のメンバーを紐つけて組織があるような見せ方をします。
どんな時にも「そこに人がいるか・そこに物があるか・そこに金はあるのか」
の確認が大切です。脆弱な土壌の上には建物は立ちません。

私が哲学書や仏教書を読むのは過酷な修行をされた方の本音です。
人間の本能の欲や探究心の限界を知ることにより見える世界です。
奥深くに入り込む研究家ではないので上辺だけの世界しか知ることは
出来ませんが、それでも自分の失敗の原因と思慮の浅はかさが
大きな災いを作ってきたことが手に取るようにわかります。
そして自分にとって高かった壁が、広すぎる世界が、こんなにも低くて
こんなに狭い社会だったのかと気づかされます。良書に触れる醍醐味です。
まさに「百折不撓」の精神が養われます。

強く生きるとは弱さを知ってわかるもの、
愛を知るとは裏切られた時に感じるもの、
信頼は傷つけあって乗り越えた時に生まれるものです。
空を飛ぶ鷹の目を持ち、
草木の間に生きる虫の目を持ち、
流れる水間の魚の目でこの世界を眺めることが必要です。

最後に「平和は和解から始まり柔和の心で帰結する」
憎しみから平和は生まれません。和を大切にしましょう。
この時代だからこそ「和」を意識した心が基本になります。
考えの中に行動の中に「和」を取り込んでください。
皆様の心の中に「和顔愛」の世界が広がりますように祈ります。


誰にでも平等に舞台はある




人は皆同じ方向を目指して歩き始める。
しかし同じ方向へ顔を向けていても見ているポイントが違う。
いわゆるピントの合わせている部分が違うということです。
例えば森の景色を全員で眺めている。
森全体を眺める人、目の前の大木を見ている人、森の木に生息している
鳥を見ている人、それぞれが違うところにピントを合わせているのです。

若者たちが俺たち音楽で成功して金持ちになろうなと話しても、
どんな音楽で誰と組んでどんなメッセージを出すかは話していない。
美味いものを腹一杯食べて、かわいい女の子を侍らせて、楽しもうと言っても、
何が美味いのかどんな女の子がいいのかを話していない。
スティーブ・ジョブスのような開発をして世界を驚かそうと話しても、
スティーブ・ジョブスがどんな人間で何を開発したのかは話していない。

一般的に一つの表題で会議が始まっても眺める視点が違えば意味をなさない。
そのためにアメリカから取り入れた会議の進め方の方法を取り入れる。
進行表(アジェンダ)の作成と進行役(ファシリテーター)が重要なポイントになる。
ここで決められた時間内に話し合い、決められた目的の成果を作り出す。
日本の国会答弁のようなダラダラした話し合いは時間の無駄である。

今回のブログのタイトル「誰でも平等に舞台はある」は、
常に自分のピントが何処にあるかが重要になるということです。
仕事でも恋愛でも社会活動でもあらゆる所に舞台は用意されている。
しかし自分の意識(ピント)が明確に無ければ舞台に上がっても役に立たない。
お分かりのようにピントは意識の作用が大きく影響する。

例えば、机の上に置いてあるリンゴをさしてこれは何ですかと質問すると
ほとんどの方がリンゴですと答える。ただの赤い球状の物を
リンゴと答えるのは脳に刷り込まれた情報によって判断されるからです。
リンゴが腐り、食べられなくなればリンゴとは言わずにゴミに変わるのです。
しかし貴方の意識は机の上のリンゴに目を向けられるのでは無く、
リンゴのわきの消しゴムに目が行くとこれは何ですかという
質問に答えられなくなる。
見ているあなたのピントは意識を何処に置くかで答えが変わるのです。

アーティストも経営者も時代にピントを合わせて仕事を進めていきます。
それでも同じ商品を違ったポイントで作り出すから市場が賑わうのです。
ピントを合わせる方法はいつも全体をボヤかして見ることです。
街を歩く時、会社や教室に入る時、全体をほのめかして見れば良いのです。
そして何事かに意識を向けたときにピントを合わせるとピタッと決まります。
不要な情報にピントを合わせると焦点が定まらずにぼやけてしまいます。
そうなれば自分の言葉から核心を突いた意見が出なくなるのです。

情報は集めるだけ集めて分析(Observe)を行い検討会(Orient)に入る。
その時から集中して自分の脳のファインダーにピントを合わせる、結果
決定(Decide)をする。そこから最速で行動(Act)に移る。行動した内容を持ち寄り、
また必要な情報を集める。これをループ上にして繰り返すのです。
これはアメリカ政府が取り入れているOODAという手法です。

余談ですが全てのビジネスの方法とデジタルの発展は軍部と関係しています。
コンピューターの最新技術は全て軍隊が使いこなせるように開発されるのです。
国家にとって最重要課題は防衛です。そこに国の英知が使われるのです。
又、NASAの技術はディズニーランドで多く使われています。
宇宙飛行士の訓練で使われる機材が人々の興奮を創り出しているのです。
アメリカの凄いところは最新技術をオープンして誰でもが使用できるように
することです。アイデアのシェアーを頻繁に行っています。

「ピントとアイデア」
あるときに電気修理工が電波塔の不具合を治しているときに、
いつもポケットに入れているチョコレートバーが溶けているのに
疑問を持ちます。次の日もキットキャットを持ち込んだら、
同じように溶けていることに気づきます。
このことに開発者のピントが合わさり、電子レンジの構想が生まれたのです。
電波が物を温める力があることが発見されたエピソードです。
多くのビジネスのヒットは少し違ったところにピントをおくことによって
生まれたものが多数あります。

例えば魚の群れを探すための魚群探知機から胎児の成長見るエコー検査機が
生まれた。胎児の体重は健診時に超音波検査で測る3点の長さから
自動的に算出されているのです。エコー画像からBPD(児頭大横径)、
AC(躯幹周囲長:腹囲)、FL(大腿骨長:太ももの骨の長さ)の3点を計測し、
その数値を計算式に当てはめると、推定胎児体重(EFW)が算出されます。
お腹の中の胎児の状態がエコーで分かるという事です。

面白いところでは「フリスビーの誕生伝説」
砂浜でのパーティーを終え思い思いに遊び始める大学生たち。
テーブルには食べ終えたパイ皿が散乱している。一人がふざけて
そのブリキ皿を取り上げて投げた。円盤型なので遠くまでよく飛ぶ。
面白がって何人も後につづき、しまいには投げ合いになる。
一人が落ちたパイ皿を拾う。表面には「Frisbie’s Pies Company」とある。
のちに世界で記録的な大ブームを起こすフリスビーが生まれた瞬間だった。

「ウォークマン誕生秘話」
SONYの会長大賀典夫は芸大出身のオペラ歌手です。
世界中を飛び回るビジネスマンとしても有名ですが、ある時にSONYの技術者に
飛行機の移動中に音楽を楽しみたいので、持ち運びできるステレオを作れるかと
打診します。SONYの技術者は出来ますと答えて開発されたのが
「ウォークマン」です。

「ウォークマン」という機械は、もともと商品として売り出す、
という明確な意志で企画されたものではないというのが真相です。
それは若いエンジニアの遊び心から生まれたもので、
テープレコーダー事業部の商品企画のラインアップにはなかった商品でした。
いわば筋書きになかったわけで、だからこそウォークマン・ストーリーは
面白いのです。

古巣SONYの凄いところは全ての社員にチャンスを与えている所です。
自分が欲しいと思える商品なら好きに開発しろという事です。
技術者たちは自由に研究室においてある機材が使えることです。
ウォークマンこそピントとチャンスが合わさった成功事例です。

生まれ育った環境や、自分の知識の限界や、
参加したプロジェクトの優劣で愚痴を言っても始まりません。
誰にでも舞台は用意されているのですが、それを使いこなすには
あなたのモノの見方、発想の仕方、想像力の組み立て方など
すなわちピントの合わせ方に大きく左右されます。

自由な発想から世界を驚かす商品は生まれます。
データドリブンのコンピューターには出来ないのです。

誰にでも平等に舞台は用意されています。
あなたも舞台の中央に立ってみてください。
そこから見える景色から新たなピントを合わせてみてください。


一番大切なもの




このような詩を書いてみました。
人間にとって自然界は大切です。
我々は常に自然界に目を見張るべきなのです。

「一番大切なもの」
大空を飛ぶ鳥の声が聞こえるかい
あんなに綺麗な羽を広げて悠々と飛び交うのさ
風に乗り そらを泳ぐ様に どこまでも
素敵だよ 君に見えるかい 僕は歌うさ

森を駆け抜ける動物たちの姿が見えるかい
丘の上の一本杉にフクロウの深い穴がある
ムササビも 大きく手を広げ 獲物を探す
ひとしずくの涙 求め合う愛 僕は歌うよ

あなたの中に眠るライオンの勇気をだして
守らなければこの星は醜い姿を曝け出す
裸の心で認め合おうよ生きる者全てが
仲良くなれればこの世はキレイなままさ

愛を歌え 願いを歌え もっと身を削れ もっと捨てていけ
醜い心が 弱くなるのさ もっと叫べ もっと声を出せ 

I’m living in a wonderful nature.
I’m living in a wonderful nature.
I’m living in a wonderful nature.

たとえ水鳥が空に恋しても見果てぬ夢に終わる
吹き荒ぶ風が大海原に恋しても叶わぬ夢に終わる
象がキリンに恋しても神も許さぬ夢に終わる
自然の不思議を受け入れろそしてひざまづけ

I’m living in a wonderful nature.
I’m living in a wonderful nature.
I’m living in a wonderful nature.

この素晴らしい世界を喜ぼうそして感謝しよう
一番大切なものに触れ合い抱きしめよう
名も知らぬ小鳥達と一緒に歌おう
虹のかかる草原を走り抜けよう
END

私は音楽の為の作詞家である。
言葉を紡ぐ仕事を生業としている。
時には作曲も編曲もする。

しかし舞台で演じるほど才能は無かったのでプロデューサーを選んだ。
銀河系の中心は太陽である。その周りをいくつもの惑星が囲んでいる。
その中でも三番目の地球は舞台の中央に近いところに位置する。
私は月に恋しながら舞台の袖から演者に指示をする。

多くの人は陽の当たる場所に憧れるが、その周りにある場所が
いかに素晴らしいかを知らない。

森の中を歩くと多くの木や草に紛れて美しい花を発見することがある。
そして昆虫や鳥や動物の生きている姿を見ているとなぜか声をかけたくなる。
おーい何か手伝うことはあるかい?
おーい困っていることはないかい?
おーい今幸せかい?

それぞれ自分の役割を知って自分がしなければならないことに全力を尽くす。
生きることを恐れずに、老いたることを悲しまず、病気に苦しまず、
死ぬことを怖がらず、笑顔で暮らすのです。

何があってもどんな時にも地球は人間だけのものでないことを忘れてはならない。
都会に疲れたら、人間関係に疲れたら、生きることに疲れたら
近くの山に登り、川を下り、海にたどり着きあるがままの姿をさらけ出し、
深呼吸をするだけで心が癒される。

頑張るという呪文に縛られて人間らしさを失いかけた。
一番大切なことを置き去りにしていた。

ここでガンジーの言葉を伝えたい
ガンジーの活動は、大きく分けると、
1. 青年期の南アフリカ時代のサティヤーグラハ運動開始
2. 第1次非暴力・不服従運動(ムスリムのヒラーファト運動との協力)
3. 第2次非暴力・不服従運動(塩の行進)
4. 第二次世界大戦期の「インドを立ち去れ」運動
という大きな山があった。

• 「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」ガンジー
• 「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の
武器よりも強い力を持つ」ガンジー
• 「我々の信念は、常に燃え続ける灯火でなければならない。
それは我々に光明を与えるだけでなく、周囲をも照らすのだ」ガンジー
• 「人は自らの手足を使って働き、日々の糧であるパンを得るべし。
額に汗して働かない人に、どうして食べる権利があるだろう?」ガンジー
• 「不幸は私たちに与えられた試練である」この試練を乗り越えたとき、
すべてはきっと好転する。そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。
耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を手にしていることだろう」ガンジー
• 「すべてを運命のせいだと諦めてはいけない
これまでの努力を無駄にしないためにも」ガンジー
• 「子どもは真実を映し出す鏡である。彼らには驕りも、敵意も、偽善もない。
もし思いやりに欠け、嘘つきで乱暴な子供がいたなら、罪はその子に
あるのではなく、両親や教師や社会にあるのだ」ガンジー
• 「人は何度でも立ち上がる。立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、
その足元はおぼつかないかもしれない。けれども、立ち上がったことは、
一生忘れることのない、かけがえのない記憶となる」ガンジー
• 「簡素に暮らし、豊かに思考する。そんな理想の追求を、人はひとたび
日々の暮らしの中で欲を膨らませた途端捨て去ってしまう。
人の本当の幸せは、満足」ガンジー

貴方が気なった言葉は心に刻みこんでください。
貴方の言葉になるように何度も復唱してください。
一番大切なものは忘れないようにしてください。


何故勉強するのか?




生徒「どうして勉強しなきゃいけないんですか?どうして勉強するんですか、
私達?この前先生は言いましたよね。いくら勉強して良い大学や良い会社に
入ったって、そんなの何の意味もないって。
じゃあどうして勉強しなきゃいけないんですか?」

阿久津摩耶先生「いい加減目覚めなさい。まだそんなことも分からないの?
勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。
これからあなた達は知らないものや理解できないものに沢山出会います。
美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うもの沢山出会います。

そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから
人間なんです。好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。
猿以下です。自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて
何ができるというんですか。

いくら勉強したって、生きている限り分からない
ことはいっぱいでもあります。世の中には、何でも知ったような顔した
大人がいっぱいいますが、あんなものは嘘っぱちです。
良い大学に入ろう良い会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと
思えばいくらでもできるんです。好奇心を失った瞬間、人間は死んだ
も同然です。勉強は、受験のためにするのではありません。
立派な大人になるためにするんです。」
天海祐希『女王の教室』第十話より

何故大人は戦争をするの。
奪うことばかり考えて分け合う気持ちを忘れてしまったからです。
昔の人は奪い合えば足りなくて、分け合えば余ることを知っていたのです。
一部の独占欲の強い権力者が全てを独り占めにしたくて戦争が始まったのです。
それらが宗教によって正当化されていることを知らなければなりません。
何故、愛と自由を教義にしている人たちが殺人を犯してでも
手に入れたいものとは何でしょうか?

私の友人の韓国人女性からの言葉です。
「入り江の波が穏やかな時よりも
少し荒れていた方が美しく見えるのです
生きていくにはいつも波風が立ちますが
それを乗り越えている姿は美しいのです」

禅語からです。
まっすぐな竹は強風で折れるけど
草は風が止んだら立ち上がる
行動は竹のように心は草のようにいてください

「常に覚えておくべきこと」
あなたの冷蔵庫に食べ物があり
衣服を身にまとい
屋根のある家と寝る場所があるなら
あなたは世界の75%の人々よりも裕福だ
あなたが好きに使えるお金と
行きたいところに行く自由を持っているなら
あなたは世界で最も裕福な上位18%に入る
あなたが今日健康で病気もせず生きているとしたら
今週を生きられない100万人の人々よりも恵まれている
あなたがこのメッセージを読んで理解できるなら
目が見えず、読み書きが出来ず知識や情報を得る手段のない
30億人の人々よりも幸運である
人生は痛みや悲しみを嘆くためにあるのではない
数えきれない感謝と幸せのためにあるのだ

①死ぬ気でやれ、死なないから
②苦しいから逃げるのではない、逃げるから苦しいのだ
③君が諦めるときは、他の誰かが勝利するときだ
④振り向くな、後ろには夢がない
⑤神様は乗り越えられない試練はない
⑥何度失敗しても鏡の前で聞くのです「で、どうするんだ」と
⑦絶望には終わりがある未来は明るい
⑧必要なことはただ一つ、できると信じることだ
⑨惨めになるか、やる気を出すか
⑩流した汗は嘘をつかない

ボブマリーの言葉
①死んで天国に行く?違うだろ生きてここを天国に変えろ
②雨を楽しめる人間もいるし、ただ濡れているだけの奴もいる
③お前は逃げる。でも、自分自身からは逃げられない
④指を指して人を非難する前に、君のその手が汚れていないか、確かめてくれ
⑤一つのドアが閉まっているとき、もっとたくさんのドアが開いているんだよ
⑥自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ

ジャック・マー名言
①金は人じゃなくて、夢についていく、だから、金じゃなくて夢を追いかけろ
②他人の成功話は無視しろ。失敗談をよく聞くのだ。そこに答えはある。
③器のデカさはな、屈辱の量で決まるんだ。味わった屈辱が多いほど器はでかくなる。
④ダメな部下なんていない。ダメなリーダーがいるだけだ。
⑤世の中にニーズがあるのに「他人がやりたくないこと」を探せば、成功できる。
⑥決して諦めるな。今日は厳しい。明日はもっと残酷な日になる。
しかし、あさってには晴れ間が待っている。

何故勉強するのか?
賢い大人になるためではなく自分の好奇心を満足させるためにするのだ!
やらされているなと思うなよ!
正しい知識は足元を照らす燈になるからね。


勝利を我らに




音楽で革命第二弾
大学教授の一言から「音楽で革命は起こらない」をテーマに
今回もブログを書き出しました。

1919年生まれのピート・シーガーは、プロレタリア音楽や前衛音楽を啓蒙する
両親の元、音楽一家で育ち、ハーバード大学で2年間社会学を専攻しました。
1938年に中退後、フォーク・ミュージックを探究し、ハディー・”リード・
ベリー”・レドベッターやウディ・ガスリーなどのミュージシャンと出会い、
1940年にガスリー等とアルマナック・シンガーズ( Almanac Singers)を結成しました。

1949年にはザ・ウィーバーズ(The Weavers)を結成し、
世代を代表するフォーク・ミュージック・グループとなりました。
一方音楽活動以外では、1942年に共産党に入党し、
1950年頃までメンバーとして活動していました。
1940年代後半から始まった激しい政治情勢の中で、ウィーバーズは
ブラックリスト入りし、1955年にはシーガーが下院非米活動委員会で
喚問を受けました。

シーガーとアメリカ政府との対立は加熱し、翌年1956年に
“Where Have All The Flowers Gone “を発表、議会侮辱罪で起訴されるに至ります。
1961年に有罪判決を受け、懲役10年を宣告されましたが、控訴審では
法解釈の違いで懲役を免れることができました。

ピート・シーガーは常に社会派ソングライターでした。

彼の代表曲「We Shall Overcome」は、このような社会運動に触発されてできた曲です。

この曲は、1960年代の公民権運動のアンセムとしても有名です。
その後、1960年代の終わり頃からは環境運動への関心を高めていきます。
Turn! Turn! Turn! (To Everything There Is A Season)は、
1965年にザ・バーズのナンバーワン・ヒットとなりました。

勝利を我らに(歌詞和訳)
私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない いつの日にか
おお、こころ深く
私は信じる私たちは乗り越えなければならない いつの日にか

私たちは手を取り合わねばならない
私たちは手を取り合わねばならない
私たちは手を取り合わねばならない いつの日にか
(コーラス)

私たちは恐れない
私たちは恐れない
私たちは恐れない 今日の日
(コーラス)

私たちは独りではない
私たちは独りではない
私たちは独りではない 今日の日
(コーラス)

この広い世界を廻る
この広い世界を廻る
この広い世界を廻る いつの日にか
(コーラス)

私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない
私たちは乗り越えなければならない 
いつの日にか
おお、こころ深く
私は信じる
私たちは乗り越えなければならない いつの日にか

「We shall overcome」の意味としては、
「われらは乗り越えなければならない」ですが
アメリカのアフリカ系アメリカ人の公民権運動の象徴となった
歌なのだそうです。この運動の指導者であるキング牧師は、
この歌に支えられたとも言われています。

非暴力主義で戦ったキング牧師でしたが、キング牧師も人間ですから
暴力的な力に怖いと思う気持ちはあったと思います。
でも、この歌を歌いながら、恐怖に負けることなく、
差別と闘ったんでしょうね!

権利を勝ち取るという意味で、この歌は「勝利を我らに」という題名になった
のでしょう。この歌は公民権運動の他でも、社会運動や平和運動などで
歌われていてそのたびに歌詞が増えたり一部が返られたりして
育ってきた歌なのだそうです。

「私は長生きし過ぎたおかげで、幸運にも世の現実が変わっていくのを、
見ることができた。おかげでじっくりものを考えて行動していけば、
なんとかなるという作戦を手に入れた」と話され、歳をとればとるほど前向きに
考える姿勢を見せてくれました。そしてかつて大変な汚染があったハドソン川を差して、

「うしろで泳いでいる子供たちをみるたびに、そう思う」と締めくくられました。
(SNS上に紹介されていたピート・シーガーを引用しました)

音楽で革命を起こらないと言った大学教授にこの原稿を捧げたい。
血で血を争うような戦いでなくても、歌によって革命のリーダーが
生まれること、そして燃え滾る情熱を持って唄えば
音楽も革命に参加したことになるのではないでしょうか。
全ての武器を楽器に変えて歌声を上げれば社会の隅々までに伝わります。

私はそう信じたいのです。
皆様はどう思われたでしょうか?


愛の言葉




愛は一番近いところに存在するのに
何故か一番遠いところに
感じるのは何故でしょうか?

愛を美化しすぎるとどのような愛にも満足しないからです。
空想の中に描く愛は理想だからどんどん遠ざかっていく。
相手の愛を無視して自分の愛を強制すると束縛となる。
この世は愛の言葉を鎖として使う悪者が多い。
愛に傷つき、愛に騙され、愛に夢を奪われても、
それでも愛を貫きなさい。

手の中に愛があるのなら手を差し伸べよう。
困った人に手を差し伸べるならすぐに始めよう。
お財布の中にお金があるなら困った人に与えよう。

ワンサードの精神で貧しい子供達に食べる、眠る、着る、を保証しよう。
3/1は自分の為に3/1は自然のために3/1は未来の子供達のために残そう。

「雨ニモマケズ」の宮沢賢治さんのお話しです。

偉い人よりも、人のために働く人になりたかった賢治。
賢治は岩手の花巻の農業高校で、教師をやっていた時期があるのですが、
答案用紙に何も書かなくとも、生徒に絶対に0点をつけなかった。
名前だけ書いても20点をあげていました。
たとえ何もできなくたって、0点の存在などこの世にいないからです。
せっかくついた安定職である教師を辞めて、農民になろうとしたときも、
思いとどまらせようとした校長に対して、賢治はこう言いました。
「私は、もっと土にまみれて働きたいのです。教師をして、生徒たちを
立派な農民に育てるのも大切な仕事です。

でも、それだけでは、
本当の農民の苦しみはわかりません。 雨が降れば大水でたんぼを流され、
日でりが続けば、稲の枯れるのをじっと見ているよりほかに、
何もできない人たち。 その人たちのことを思うと、のんびり教師など
していられないのです。 その人たちと一緒になって働き、その人たちのために、
いますぐ役に立ちたいのです」 農業学校に通う生徒たちの多くが、卒業後、
大変だからと農業をせずに役所に勤めたりするのを見て、
賢治は「これではいけない。新しい農村社会をつくろう」と意を決したのです。

「雨ニモマケズ」の現代語をご紹介します。

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けず
丈夫な体を持ち
欲はなく決して怒らず
いつも静かに笑っている

1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れず
よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の林の下の蔭の
小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず
苦にもされず
そういうものに私はなりたい

この有名な詩は、賢治さんが亡くなった後、賢治さんの手帳に
書かれていたものをトランクの中から発見されたもので、
発表されるためにつくられたものではありません。
賢治さんの理想の生き方だったのでしょう。 誰かが見ているからとか、
有名になりたいとか、損得とかじゃなく、 純粋に、誰かのために
優しく生きる生き方。 そういうものに私もなりたい。

「絶望は神さまからの贈りもの」
ひすいこたろう 著 柴田エリー 著 SBクリエイティブより

愛の表現には様々な手法があります。
しかし妄想や理想を追いかける非現実的な物語を語る人には注意してください。
愛は自分の一番弱い部分に入り込んできます。だから信じてしまうのです。
愛を多用する人は疑ってかかれ。エセ宗教かも詐欺師も必ず愛を多用します。
本当の愛は沈黙の中で相手を思いやる心である。
そして過ぎ去ってから愛を実感できるのが本当の愛かもしれません。

「恋は目ではなく心で見るもの」ウイリアム・シェイクスピア
「人生は眠りで、愛は夢見ること。もし誰かを愛したのなら、
人は生きたことになるのだ」シャルルド・ミュッセー
「愛は支配しない、愛は育てる」ゲーテ

ポケットにいっぱい愛を詰め込んで生きていきましょうね


和敬清寂




私は全てにオープンで隠し事をしないタイプだが礼儀は重んじる。
最低限の相手を敬う心はどんな時にも神経を使う部分である。
時代がどのように変わろうとも礼儀を欠く人間とは信頼関係は築けない。
デジタル社会では言葉が記号になり伝達は出来るが言葉の韻を踏むことがない。
私の大好きなこの言葉「和敬清寂」は茶室の掛け軸としてよく使われています。

本日はお茶に関する話です。

茶道の作法①準備
まず茶室に入る前に、腕時計やアクセサリーを外します。
これはお茶碗を傷つけないようにするため。また、腕時計をしていると、
つい時間をチェックしがちですが、これは茶室の亭主に対して失礼にあたります。
基本的に茶会に持っていくのは懐紙や楊枝など、必要なものだけ。
ほかの荷物は邪魔にならないよう、まとめて風呂敷などで包んでおきます。

茶道の作法②茶室に入るとき
まず、茶室のどこに座ればいいのか?と考えこんでしまう方に、
ひとつアドバイスです。茶室に入るときは正客から順に入り、
正客から順に席に着くことになっています。
正客とは、茶室を主催した亭主にとってのメインとなる招待客をいいます。
はじめは正客やほかの招待客の連れとして茶会に参加する場合が多いでしょうから、
正客や招待客の次に入るようにします。
畳の上を歩くときは、畳のフチ(へり)を踏まないように気を付けましょう。
全員が茶室に入ったら、最後のお詰めさんはピシッと音を立てて入り口のふすまを
占めます。これが「全員入りました」という合図。
この音が聞こえたら、裏口から亭主が入ってくることになっています。

茶道の作法③お菓子をいただくとき
茶室の床は畳になっており、畳のフチが境界線となっています。
これは、戦国時代に相手に攻め込まない意思を表明した名残。
座るとき、お菓子をいただくとき、お茶をいただくとき、
すべてフチの内側で行います。
菓子皿はフチの外側に置き、懐紙はフチの内側に置き、
箸でお菓子を移動させます。
ときどき茶会では、お茶菓子を落としてしまう方がいます。
これをふせぐには懐紙を束の状態で使うのがポイント。
お菓子を取ったら、懐紙の隅を使って箸の汚れをぬぐい取ります。

茶道の作法④お茶をいただくとき
まずはお茶碗をフチの内側へ。次の方がいる場合は
「お先にお相伴させていただきます」と声をかけます。
お茶碗を取る前に亭主に向かって感謝の気持ちをこめ、「お点前頂戴します」
と一言。お茶碗を右手で取り、左手に乗せたら時計回りに茶碗を回します。
正面を亭主の方へ向け、右手を添えてお茶をいただきましょう。
飲み終わったら正面をまた自分の方へ向け、フチの外へ。次の方へ回します。
こうしてお茶をいただく間、亭主は正客と話をしています。
その日のお茶やお菓子、道具や掛物など飾りつけの由緒が明らかにされます。

茶道の作法⑤道具を拝見するとき
お茶をいただいた後は、道具の拝見があります。道具には茶会のテーマなど、
亭主の思いが込められていますので、ていねいに扱いましょう。
道具を拝見するときは、いずれも畳のフチの外側におき、両手をついて拝見します。
それから手に取りますが、高い位置に持ち上げたりせず、低い位置で拝見します。
高々と掲げると、うっかり落としてしまう心配もありますからね。
お茶をいただくときと同様、次の方に「お先に」と声をかけてから拝見しましょう。
棗(なつめ)など、抹茶が入っている器は、中身をまき散らすことのないよう、
とくに注意してください。フタを取って内側の花押や抹茶の景色を拝見しますが、
フタをしているときも、ひっくり返したりしてはいけません。
茶杓(ちゃしゃく)を拝見するときは、櫂先(かいさき・抹茶をすくう部分)に
触れないように気を付けます。

茶道の作法の基本は「心配り」
茶道の作法を細かく解説してきましたが、どれも細かな心配りが根底にありました。
亭主への感謝、ほかの人への気遣いなど、いつも心の片隅においておけば、
きっとお茶会でも失敗知らず!
お茶会に限らず、普段から心がけておきたいものの一つかもしれませんね。

お茶会は全て作法に則り執り行われます。
主人も客も大切な心構えは「和の心」です。

「和」の語源は、声を揃え音律を整える意にて、まさしく隔てなく
同化することである。和敬するところ、真あり美あり、善あり平安あり、
又愛あり助け合いあり。これを仏の世界とは言うなり。
聖徳太子曰く「和を以て尊としとなす」と。この言誠なるかな。
真実は永遠なるらん。君に問う、これ一体誰の事ぞと。

我々は不安なく軽快に暮らしたいと願っている。それが自然であり
市民生活を営む基本的条件の一つだからだ。
ところが世の中は嫌なこと、苦しいことを余儀なくさせられる。
その内で最も辛く悲しいことは、殺戮し合うことである。
次が裏切であり騙しであり差別であり無視されることである。

こうした人間性不在の世に深まっていったら、生きている価値もなければ
命の輝きを見ることなく、実に空しい生涯を送ることになる。
人間同志が信じ合えないほど、心が乾いて空しいものはないからだ。
反対に一番生きがいを感じ存在感を味わうことは、自らこの身を済度して
不変の大自信を確立することである。
何ものにも惑乱されることがないほど確かなことはない。

次に皆から大切にされることであり、信じられることであり、
尊敬されることであり、愛されることである。
そして爽やかに意義ある事柄で頼られることであり、
己を忘れて理想に向うことである。こうした世の中にしてはどうだろうか。

日本の文化の土壌をつくり、茶道の背骨ともなっている仏教では、
この世は「無常」と説く。常に変化の連続だというのである。
また、すべてのものは「縁起」によって生じているとも説く。
すなわち、すべての生きとし生けるものは、互いに関係し
依存し合いながら存在しているというのだ。
だから、二度とないこの瞬間の出会いを大切にしようとする。
それが「一期一会」の精神である。

千利休は、茶道の心を四つの漢字で表した。『四規』と呼ばれる
「和敬清寂」の4文字である。
この意味は、「互いに心を開いて、敬い合い、常に清らかに
何があっても動じない心をもとう」ということだ。

茶室では、客は常に正しい。正座ができなければ、
胡座で茶をすすろうが、一口で飲み干そうが自由なのである。
これは、旅館でも変わらない。
いやもっといえば、客の気ままを許す心が、日本のもてなしの心だといえる。
そこに生まれる互いを敬う気持ちが、客の節度をつくり、
同時に日本のもてなしの質を高めてきたのである。

茶道の所作と作法の中に日本人の礼儀が全て詰め込まれています。
これはとても大切なことですのでなるべく早く経験をされた方が良いです。
本日は「和敬清寂」の話でした。


難解な本を読む




敢えて難解な本を読む
若い頃には本などあまり読まなかった。
知識より行動が全ての時間を取り込んでいた。
学びは行動の後に合わさるものだと
王陽明の「知行合一」を誤釈していた。

それがある時にニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、サルトル、スピノザを
読み始めた。その中でもいちばん難解だったのがハイデガーの「存在と時間」
だった。日本の哲学者木田元もこの難解な本を読む為に哲学の勉強を
始めたという。そして日本哲学の祖西田幾多郎に私淑したという。

同じ人間としてどうすればこの様な難解な文章が思い浮かぶのか
興味を惹かれた。そして最近この本に出会った時にも震えるほど興奮した。
森信三「恩の形而上学」である。左脳が理解できない難解な本である。
森信三は教育者として沢山の金言を残している。
「恩の形而上学」は見たことも無い古い漢字の表現の為に、辞書片手でないと
一行も読み進まない。

そういえば昔読んだ道元禅師の「正法眼蔵随聞記」の時も難解すぎて
読み終えることが出来なかったことを思い出した。
江戸時代の寺子屋では意味もわからずに子供達は素読に励んだ。
親の仕事を引き継ぐことしかなかった時代に知的好奇心に刺激を与えた。
難解な言葉もパズルを解く様に楽しいことだったに違いない。
日本人の識字率が高いのは「漢字」に興味が魅かれるからである。
西洋で使うアルファベットにはそれがない。

森信三「恩の形而上学」
読者からのレビューをいくつか載せてみた。

「人生の真のスタートは『人生二度なし』という真理をいかに深く
痛感するかということから始まる」この言葉に象徴されるように、
易しく私たちの歩む道を説かれた
森信三師だが、若き頃は、西晋一郎、西田幾多郎という日本を代表する
哲学者に師事した、教育者であるとともにれっきとした哲学者でもあった。
本書は哲学者である森師としての著作で、師が確立した日本的哲学、
「全一学」の入門書として四十三歳の時に記したものだ。
高弟の寺田一清氏は「この一書に一代の哲学体系の萌芽のすべてが
包含されている感がする」という。本書は弊社から刊行される「幻の哲学三部作」
の第一弾で、哲学者として世に問うた著作であるだけに、非常に読み応えのある
一冊となっている。
味読することで遥か高みにある師の精神性と「人生二度なし」の背後にある
深い思索の跡が垣間見えてくることだろう。

あとがきの寺田一清氏の言葉にもあるように「難解」という言葉がまさに
ぴったりでした。言わんとされるところはおぼろげながらわかるのですが、
選ばれる言葉の一つ一つがすでに現代では見ない字も多く、漢和辞典片手に
漢字の意味を読み解きながら読了。森先生が提唱される「全一学」の入り口の
本になるのだろうか?頭の体操をしている感じでしたが、それでも後半はまだ
読みやすくなり、先生らしい文章になるほどと感じ入るところも多く
おもしろく拝読しました。少しおいてからもう一度読み直します。

修身教授録とは表裏双璧をなす本だと思います。森信三師が39歳の時に
世に出した学問書としての処女作であり彼の全一学の入門書、とありますが、
哲学入門者レベルの人が、修身教授録のような会話口調の分かりやすい
人生訓を期待していると、その独特の文体や用語の難しさも含めて
チンプンカンプンになると思います。彼が本を書くときに手元に置いたと
言われる正法眼蔵(道元)、他にはバガヴァットギーターなどのインド哲学、
中村天風の神人冥合などにも触れておくと掴みやすいかもしれません。
以上

私は敢えて飲み込みにくい文章を読むことによって脳に刺激を与える。
脳は使えば使うほど活性化して知識を咀嚼しながら進化していく。
大学を卒業して社会に出て仕事を覚えて人間関係に悩まされる。
誰かに相談すると弱い人間だと思われるから1人悶々とする。
そんな時には難解な本を読むことを勧めて来た。

読書は、子供の頃学校の教育方針に従わなければならないが、
大人は自分の好みで本を選ぶことが出来ます。
仕事の疲れから少しでも負担になることから目を逸らすのです。
その為に平易な趣味や娯楽の本にストレス解消を求めます。
これは食事でも同じです。大人達は忙しいことを理由に
レトロトやインスタント食品を食べますが、子供達は親が与えなければ
食べることはありません。
遺伝子組み換えや農薬まみれの野菜は子供の成長に悪影響を与えるのです。
なるべくなら身体によいものを食べるようにしてください。

読書の癖を作るには子供が好奇心を持つ絵本や童話など一緒に読むことです。
文字と絵と声で脳内の細胞へ染み込ませるのです。
子供は1人になるとゲームやTVに釘付けになるものです。
親も自分の時間を作りたいために放置してしまうのは致し方のないことです。
でもせめて3歳から6歳までには読書の癖をつけてあげてください。
情緒を司る前頭葉の発達が一番活発に成長する時です。

来るべきAIの時代に対抗するのは人間の創造力と感性です。
このどちらも良書から学び取ることが出来ます。
更に紙のページをめくることをおすすめします。指先に伝わる感触とかすかに残る
インクの匂いが左脳に刺激を与えるのです。
そして必ずポストイットと大学ノートを用意してください。

私の場合は速読で一通り読みます。その際に気になった言葉にポストイットを
貼り、さらに時間をおいてからその個所を読み直します。
そして必ず読書感想と自分なりの解釈をノートに書き込みます。

その回数を重ねるとまるで自分の言葉の様に記憶に残ります。
皆様も試してください。

さて今夜も難解な本を読んで眠りにつくとしましよう。
今夜選んだ本は「江戸社会と国学」ピーター・ノスコ著です。
この本は今年2月に不慮の事故で急逝した画家の友人から頂いた本です。
すでに4~5回は読んでいる本です。
いたるところの行間に彼との思い出がよみがえります。
秋の夜長は読書の時間です。灯火親しむ秋ですよ。


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