字は一字でいい 一時にこもる力を知れ
花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ
坂村親民
心にため込んだ様々な情報を一度整理しませんか?
先ずは人間関係や記憶の断捨離から始めませんか?
見栄の為に買い揃えた使わない商品に囲まれた生活が
幸福と勘違いして溜め込んだ品物を整理する時が来ました。
人間関係も同じです。希薄な関係で無理して付き合うのをやめませんか。
学生時代の同級生だから会社の同僚だから友達の紹介だからと
理由をつけて無駄な時間を過ごしていませんか?
多く物を持つことが幸福の象徴としてもてはやされますが、
あなたのポケットには入りきれないほどの不要なものがありませんか?
今日のサンスクリット格言
すべてを手放すことは、すべてを得ること
すべての(属格)放棄(主格)すべての(属格)獲得(主格)
人生には一見矛盾した真理が存在します。手に抱えているものを
全て解き放つとき、逆説的に真の豊かさが訪れるという教えは、
まるで砂を握るような道理を説いています。強く握りしめれば
砂は指の隙間からこぼれ、軽く掌を開けば砂はその形を保つように。
この言葉が示すのは、物質的な所有や感情的な執着を超えた境地です。
たとえば、過去への未練や未来への不安を手放したとき、
今この瞬間に存在する無限の可能性に気づきます。
自分を縛っていた「こうあるべき」という固定概念を解いたとき、
心は風のように自由に広がる草原を駆け巡ります。
現代社会では、何かを得るためには努力や競争が必要だと考えられがちです。
しかしこの教えは、逆のベクトルに光を当てます。
大切なものを守ろうとする緊張がかえって息苦しさを生むなら、
一度全てを大地に預けてみてはいかがでしょうか。
まるで秋の木が葉を落とすように、古いものを潔く手放すことで、
新たな命が芽吹くためのスペースが生まれます。
大切なのは「何を捨てるか」ではなく「何を残すか」を見極める智慧です。
本当に必要なものは、手放そうとしても消え去らない本質的な存在です。
身軽になった心で世界を見渡せば、今まで気づかなかった小さな幸せや、
人々の温もりが輝きを増して見えてくるでしょう。
この言葉は、私たちに静かな覚悟を求めています。
全てを手放す勇気こそが、人生で最も尊いものを発見する扉となるでしょう。
大切なことは「手放すことですべてを得る」ことです。
仏教でいうところの「色即是空 空即是色」と同じです。
そこには何もないが、何もないところに全てがある。
色即是空の意味を解説する前に、まずは「色」と「空」という
言葉の意味を解説いたします。
「色」の意味とは、この世の様々なモノや現象のこと。
匂い、音など認識できる様々なものを含みます。
「空」の意味とは、実体がないこと。
唯一不変の存在はこの世にはないということ。
そして、色即是空の意味は、
「この世のあらゆるモノや現象は、実体がないのだ」
となります。
これだけだと意味が分かりにくいですので、
ここから色即是空の意味をわかりやすく解説いたします。
お釈迦様は「空」の概念を分かりやすく、琵琶で例えてくださっています。
琵琶という概念は、琵琶を構成する部分・部分に分解してみても、
「琵琶」という唯一無二の存在(実体)は、分解した後の部品にはありません。
残るのは、弦と本体になる木とその他もろもろも構成要素です。
琵琶という名前のついた楽器は、分解したらなくなってしまう実態のない
「空」だというのです。
琵琶が空であるというイメージは出来ましたでしょうか?
色即是空の反対に当たる、空即是色の意味は、
「実体がないこと(=空)が、この世のあらゆるモノや現象を形成している」
となります。
空即是色の意味をわかりやすくイメージすると
空即是色を先ほどの琵琶を用いて解説しましょう。
琵琶というモノ(色)は分解してみると、琵琶という実体はありません。
しかし、琵琶という実体がないけれども、分解した弦や木の本体やらの
存在が集まって、「琵琶」という「色」が存在しています。
色即是空と空即是色は違いがあるのではなく
色即是空と空即是色は、違う事を言っているのではなく、
この世の本当の姿の「空」が、私たちを含む様々な存在を
成り立たせているということを2つの側面から説明しているのです。
般若心経では「五蘊皆空」など別の言葉でも「空」という表現が見られますが、
どれもこれも、色即是空・空即是色ということを様々な表現で説明して
くれているのです。
ちなみに五蘊と言うのは、私たちの「肉体と精神」のことを意味しています。
空即是色の意味を解説しているところで、「空」の世界、実体があるものはない
というこの世界において、様々な要素が集まって「色」というモノや現象を生む
と言いました。
この様々な要素というのを、仏教用語では「因・縁」と言います。
因縁とは簡単に言うとこの世のあらゆる物事を成り立たせている
原因という意味です。私たちの肉体は、父親・母親、祖父母という
因(直接的な原因)があってこの世に存在し、私たちの精神(考え方等)は
家族や友達、学校、職場、恋人など様々な環境という縁(間接的な原因)があって
今の自分が形成されています。
あらゆる存在は、他のものから独立した唯一無二の存在をもつ実体ではなく、
因と縁が重なって成り立っている物なのです。このことを縁起と言います。
仏教用語で仮和合(けわごう)なんても言われるのですが、
唯一無二の何かがあるのではなく、因縁によって、
仮にそれらが集まって存在しているだけなんですよというのです。
色即是空・空即是色を理解すると
ここからが色即是空 空即是色の深い理解となります。
完全に「色即是空・空即是色」を理解し、私たちの体や心、
周りにあるものもすべて「空」と感じるようにならないと苦しみから
解放されません。では、完全に理解するとどうなるのか、
それは「空」である「色」に執着しないようになるのです。
自分が老いていこうと、周りにある大事なもの、高価な物が壊れたり、
失われたりしても、そもそも「空」だと考えたら、醜くなっても、
消えて行くさだめにあっても、そのことを受け入れる自分であれば
苦しいと思わなくなると思いませんか。
お釈迦様は、この世の苦しみが生まれる原因は、私たちが執着する気持ち、
煩悩であると見抜きました。
空であると理解できず、美しくありたい、いいものを持ちたいと執着、
煩悩を持つから私たちは苦しむのです。
この世界のあらゆるものが「空」であることを見抜き、
心の底から理解したら、何ものにも苦しむことはなくなるのです。
そうして安らかで楽しい境地の「涅槃の境地」にたどり着くことができるのです。
仏教はこの涅槃という苦しみから解放された後の世界を目指すために
必要な考え方と方法を教えてくれているのです。
その考え方が色即是空と空即是色という言葉で表現されているのです。
お分かりになりましたでしょうか?
何を残すか「すべてを手放すことは、すべてを得ること」です。
2025年はあらゆるものが整理され心の時代へと移り変わりゆく年です。
5月 22nd,2025
恩学 |
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孔子の「論語」で襟を正し、孫子の「兵法書」と
「六韜三略」で戦略と戦術を学んだ。
また、孟子の「儒教思想」で人間学を学びいつも中国の書物を
座右の書として机のそばに置きました。中国人の大陸魂を尊敬していました。
ビジネスにおいてはナポレオンヒルの「思考は現実化する」で
セールスを学び、マーケティングにおいてはマズロー「五大欲求」や
エベレット・M・ロジャース「イノベーター理論」などが役に立った。
近代経営と経営戦略は「ハーバード・ビジネス・レビュー」のシリーズを
読みつくし、その中のW・チャン・キムの「ブルーオーシャン戦略」から
多くのヒントを得た。学びは「真似る」で学びになります。
古今東西の成功者の考えを真似るのです。
1974年に私は英国から戻りプロデューサーという定義を創り、
日本で最初の音楽プロデューサーとして活躍することが出来ました。
70年代のレコード会社は制作も宣伝もだいたいは広告会社に任せきり、
レコード会社の社員は普通のサラリーマンだったので、歌手の売り出しの
ノウハウもなく工場やレコード店への手配が主な業務でした。
そこに海外ではアーティスト管理はレコード会社ではなく
担当プロデューサーが仕切るのだと提案をしました。
新人の発掘、育成、制作、宣伝、営業、演出などを手掛けるのです。
もちろん大変な仕事ですが能力があれば楽しい仕事です。
私はリスクを想定しながら最大の効果を得るために
数多くの兵法書とビジネス書を読んだのです。
今回ご紹介する安恒理氏は「孫子の兵法」というビジネス書で、
私を、兵法を活用した体験者として取り上げてくれました。
私の音楽のヒットは独自にマーケティング・システムを作り、
そのマニュアルに従って作ることが出来たのです。
私なりの解釈で「孫子の兵法」から、商談は窓側に座る、
日差しを背にする、提案は結論から言う、相手が喜ぶ種を与え駆け引きをする、
などをお話したと思います。
ビジネス書ライター安恒理の記事より
「孫子」は戦乱に明け暮れた古代中国で著された兵法書のなかでも、
それらのエッセンスを凝縮した優れた兵法書だ。
それだけに時代を超えて、またビジネス現場などさまざまな場面で
応用できるようになっている。
また「孫子」は勝つための兵法書と受け取られがちだが、
実際は「負けないための兵法書」だ。
言葉を換えれば「生き残りのための戦略書」。
「孫子」では、まず前提として「いざ戦争となれば大きな犠牲を
払わなければならないから、できるだけ戦争避けるべき」としている。
そして目指すべきは「戦わずして勝つ」。
日露戦争は日本にとってもともと勝目の薄い戦いだった。
戦力、国力からみてもそれは明らか。
「孫子」がいう「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」(計篇)は、
まさに戦力が 勝るほうが勝利を収めるという鉄則をいいあらわしている。
満州軍総参謀長の児玉源太郎は「なんとか五分五分の戦いでしのぎ、
作戦、戦術、戦略で何とか六分四分にもっていこう」という考えで、
その後の和平交渉を有利にしようとした。
まさに「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」(謀攻篇)で、
敵を過大評価するのも過小評価するのも敗因となりかねない。
日露戦争における序盤のクライマックスは旅順を巡る攻防戦だろう。
海の戦いではロシア艦隊を旅順港に押し込め(閉塞作戦)、陸の戦いでは
203高地を巡る攻防戦だ。
旅順攻略の指揮を採ったのは第三軍司令官・乃木希典中将。
そこからさかのぼること10年前、乃木は旅順をわずか1日で攻略した。
だから日露の戦いでも日本軍には楽観した気分が満ちていた。
しかし10年前とは違い、ロシア軍はそこに堅固な要塞を築いていた。
乃木軍はその要塞を真正面から攻撃した。これが最初の判断ミス。
孫子の教えでは高いところに位置する軍が有利で、しかも堅固な城
(要塞)は攻めてはいけないとある。本来の旅順攻略の目的、すなわち
旅を見下ろせるところを占領、そこから旅順港内のロシア艦隊を陸から
砲撃できた。それには二〇三高地と呼ばれた丘さえ占拠すればよかったが、
乃木は堅固な要塞(東方正面攻略 甲案)に固執し、二〇三高地主攻 乙案)
を排した。しかし東方正面は二〇三高地よりはるかに堅固、
そこに正面突破を試みたものだから多数の戦死者を出した。
第三軍参謀だった津野田是重は第一回強襲の失敗について次のように
書きしるしている。
「単に地形、敵状況により考察すれば初より二〇三高地方面に向けて活動する
を得策としたことは之を否認すべき余地はない。然るに将軍(=乃木)が当時
断然乙案(二〇三高地主攻)を排して甲案(東方正面)を採られたことは
その間に重大の理由なくしてはならぬ」として次のように続けた。
「攻撃の主体は北方面(奉天)であるから、旅順などは副産物に過ぎない、
だから一刻も早く片付けるべき」と三軍のなかにも乃木に総攻撃を迫った
者がいる、と。
そのため後に攻城砲兵を展開し攻め落とすことになるが、
戦果を急いだあまり白襷隊のような肉弾戦でいたずらに戦死者を出す
結果となってしまった。
津野田自身も「予の如きは初は正に肉弾主義の一人であったが」現地の状況を
みるにつけ、「悲観論者と急変した」。
問題はそのあとだ。
「然し不幸にして未だ信念をもって議論を闘はすだけの勇気はなかった」
参謀としていかがなものか。ただ弁護するなら、次案の二〇三高地も
「敵の防備は比較的薄弱であったが」けっして楽に攻められるものではなかった。
さらに乃木以下第三軍の悲劇となったのは、大本営と総司令部が総攻撃を
急にせよと督促したこと。後衛は現地の状況を知らない。
大本営や総司令部は、回航してくるバルチック艦隊が旅順のロシア艦隊と
合流すれが、戦況は一気に悪化することだけを恐れていた。
こうして大きな犠牲を強いることとなった。完
日本軍の最大の敗因は常に上に対する忖度と空気である。
山本七平の「空気の研究」にこのような文がある。
「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。
一種の「超能力」かもしれない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、
「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、
強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も
説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから」
日本人特有の付和雷同的組織が成立してしまった。
上官の命令は絶対であるから疑問があっても了解しなければならない。
あえて苦言を呈する発言は黙殺される場合が多い。
「聞く耳を持たぬは敗軍の将の常なり」。
私が組織を離れて独立したのは1991年である。
友人の半分はお前の能力なら絶対成功する。しかしもう半分は時期が悪い
男の厄年の40歳でそれもバブルが弾けて景気が不安定だ。
もう少し会社に所属して時期を考え直した方が良いと言ってくれたのです。
しかし、退職することを半ば公言としてしまって協力者もレコード会社も
募ったばかりでした。
最終的に前者の友人の言葉に促されて無謀にも独立してしまったのです。
一度あげた手を下せなくなりあとは苦労の連続でした。
折角築いてきた経歴も財産も10年間ですべて失いました。
ここで兵法三十六計にある「反客為主」を思い出し、
一旦は音楽業界から退いて異業種のシステム会社にもぐりこんだのです。
2001年にシステム会社の経営戦略室の室長として韓国へ行く機会が増えました。
そこで目にした韓国ドラマを日本へ紹介するためにソウルに映画会社を作りました。
しかし韓国側の役員とトラブルがあり僅か一年余りで日本側は撤退をしました。
その後システム会社も退職して次の計画をする間に、
日本で中国のアーティストをプロデュースすることになりました。
初めて聞く音色、二湖奏者のウエイウエイウーさんとの出会いが
運命を変えました。奇跡の始まりです。
ある日突然、中国本土にいるアーティストの話が飛び込んできました。
私の大好きな孫子の故郷である中国へ行って仕事をする可能性が生まれました。
早速胸躍らせて北京に飛びオーディションをしました。それが「女子十二楽坊」です。
所属事務所の代表と個人的に契約書を結び帰国後にレコード会社を探しました。
そこから瞬く間に世界トップクラスのアーティストを育て上げたのです。
「賢者は歴史に学び・愚者は経験に学ぶ」
これからも様々な経験を積んでいきます。
勿論、片手には孫子の兵法を携えて歩むことになると思います。
5月 22nd,2025
恩学 |
孫子とは はコメントを受け付けていません
知識とは探究心から生まれ脳の栄養とするものであり、
自らが学ばなければなにも身につかない。
愚か者がSNSや噂話から流れる情報を知識と勘違いをして世間に広めるのは、
農薬まみれの野菜を健康に良いからと他人に勧めるのと同じである。
自己の興味ある事柄を専門的に追及して時代に応じた解釈を見つけることが必要である。
古き文献からあふれ出る真理をかみ砕き血となり肉となるようにしなければならない。
「知る」とは情報が頭の中にあることを言い、
「理解する」とは知識を深堀して学び実行することである
昔から市井には博識といわれた方が存在していた。
博識とは広く知識があることで物知りといわれることです。
昔は町内会に一人は博識の人がいて何か困り事の時には聞きに行った。
特に冠婚葬祭の場合の慣例(ならわし&しきたり)の仕方などである。
最近では近所との付き合いが無くなり博識者と出会わなくなった。
代わりにSNSが代用され理解するのだが信用が無く応用できない。
人間関係における付き合いの微妙な間合いまでは教えてくれない。
今、日本人は日本人の記憶にある「愛されている」を思い出さなければならない。
わずか15000年前の縄文時代は戦争も争いもない平和の歴史を持つ。
世界でも類がなく平和が10000年も続いたのはこの縄文時代だけです。
縄文遺跡から発掘した頭や骨に傷跡が全く見当たらない。
縄文人は愛し合って生きていたことが窺える。
この経験と知識を活かせば戦争など起こらない。
あり余る知識を溜め込んでも常に適量を排出しなければならない。
諦める時間。全てを忘れる時間。再生の時間。放出の時間。
器に溢れるほどの水が満たされると次の水は入れなくなる。
記憶も一度忘れないと新しい記憶を入れることはできない。
今日あったことは良くも悪くも忘れる覚悟が必要である。
睡眠はごみとなる記憶を消し去り身体を復活させるために必要な行為である。
細胞が生まれ変わり新しい活力が目覚めと共に蘇る時間。
西洋文化と西洋食が入った瞬間に日本人が弱くなった。
ここに日本の食生活について研究した医者がいる。
明治時代に来日したドイツ人医師ベルツは、人力車の車夫の体力に驚き、
彼らの食事内容に興味を持ち、彼らが玄米を中心とした質素な食事を
していることを知ると、西洋の栄養学に基づいた食事を与えれば、
さらに体力が向上するに違いないとの考えから、二人の車夫を雇い、
1人には従来の食事、もう1人には肉食をさせて運動させる実験を行いました。
結果は、肉食をした車夫がどの実験においても先にバテてしまい、
従来の食事を取り入れた車夫は一向にバテはしなかった。
日本人には日本の伝統的な食事が合っていると確信したといいます。
現在、日本の食文化の良さが見直され、「日本型食生活」として伝統的な
お米を中心とした食事に加えて、適度に牛乳や果物などを取り入れた
スタイルが推奨されています。
身体操作について、
明治時代、軍事教育によって西洋的な身体操作が取り入れられてから、
日本人の身体の使い方が大きく変化しました。
日本人の身体操作は農耕民族であることにも大きく由来しており、
慣用表現でも「腰を入れる」などと言われるように、腰、つまり仙骨など
骨盤を意識し、重心が低いこと、身体を一枚板のように使い、ねじらない
ことなどが特徴として挙げられます。これは農作業の動作において、
力を込めるためには腰を安定させてバランスをとる必要があり、
作業をする際には右脚を出したら右手も出す、半身の姿勢になることが
影響しているようですが、体格が小さく、手足が短い日本人によく合った
身体操作だといえます。また、歩き方など総じて上下運動よりも
水平運動的であることも、西洋的な身体操作との大きな違いです。
「日本人弱体化の真実」
日本人は歩き方を奪われた。なぜ現代人はすぐ悩んだり自分のことが
分からなくなったり精神的に病む人が多いのか?
ずばり歩き方を奪われたからだ。日本人の本来の歩き方って・・・?
右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出す歩き方ロボット歩き。
江戸時代には上半身や手を振らずに歩いていたこれを「ナンバ歩き」という。
西洋との違い。
田植えのとき右手右足が出る、クワを振り下ろすとき右手右足が出る
ナンバ歩きとは
西洋の野球、左足踏ん張ってねじって投げる逆の手振って歩く
ナンバ歩きのすごさはずばりエネルギーを無駄に使わない、
日本全国を歩いて地図作成のために測量した伊能忠敬。
当時一日100km以上移動飛脚とんでもない距離を歩けた飛脚、
理由がここにあります!
かかとからつくのは体に悪い。
実は昔はつま先からついていた。
靴に変わるまではつま先からだったのだ
草履を履いていた時代は親指と人差し指でつまんでいるから
かかとから下ろせない。
お尻の下の筋肉で押し出して歩いていた。現代は全然筋肉を使っていない。
着物と草履には意味があった。
着物と草履は日本人の正しい呼吸歩き方をするためのもの。
草履は日本人の正しい歩き方をするもの、
着物は日本人の正しい呼吸をするもの。
女性の帯の位置は高い腹式呼吸できるように。
男性の帯の位置は丹田をギュっと持ち上げるため。
正しい歩き方=自分の軸をもつ
足は棒立ちでなくゆるませ、すり足で歩いていた頭のてっぺん百会と
お股の会陰を一直線で繋ぐように。
筋が通って地面と繋がり天と直感で繋がる感覚に。
日本人本来の歩き方が奪われる踏ん張る力がなくなり軸がしっかりしない。
心・精神がグラグラ現代人は体が整わないまま頭の重心で考えるようになり、
すぐ悩む自分が分からなくなる生き方が分からなくなる、そして病む。
日本人の歩き方は団結を生む。
「和を以て貴しとなす】この世界は天と地から始まりそれを繋ぐのが
天地人=人間、同じところで繋がっているから
バラバラに生きているような人間も調和がとれ、団結できるのだ。
つまり体を整えることが力の根源であり、見えない力こそが団結を生む。
真の歴史を学び日本人の精神大和魂をいまこそ取り戻そう!
居合抜きの達人から歩き方を指導された。
高齢になるとかかとから着地する歩き方をするが、この歩き方は階段などで
つまずきやすく、転倒する恐れがあるから歩き方を変えなさいと言われた。
つねに親指のところに意識をして土を掴むようにして歩けば転倒することはない。
そして足元ばかり見て階段を降りると逆に転倒するぞと言われて
なるべく下を見ずに前方を見るようにしている。しかしこの方法は
高齢になると筋肉が弱まりすぐにバランスを崩して危険である。
通常の生活で身体機能を維持するには自分の努力でしか得ることは出来ない。
私は食事を魚や根菜類を中心にして毎日ストレッチ運動と散歩は欠かさない。
高齢者になっても背筋を伸ばして颯爽をと歩けるのはそのお陰である。
鍛えた筋力は衰え知らずといい長生きの秘訣でもある。
チョットした歩き方ひとつでその人の持つ人間力が分かってしまう。
5月 22nd,2025
恩学 |
歩き方作法 はコメントを受け付けていません
全ての判断が損得で考えて勝ち負けの意識で生きている。
人間の尊厳や幸福論についての論議もなく経済中心の思考が跋扈する。
他人の上位に立つことが偉いと勘違いして訳もなくマウントを取りに行く。
霊験あらたかな富士山がラッシュアワーの状態で神の山も悲惨である。
そこに人間の醜さが曝け出されて現代の縮図を見るようである。
日本で一番美しくて高い山に世界中から観光客がやって来る。
Tシャツ、短パン、草履、登山装備も持たずに山へ登る。
急な天候異変で救助隊が迎えに行かなければならない言語道断である。
これは登山でもなく挑戦でもなく征服意欲の成れの果てである。
子供の時からテストで順位を決められて優秀と落ちこぼれで区分けされる。
それより以前に親の収入で格差社会の洗礼を受ける。
社会に出ても会社にいかに貢献したかで職位が決められ給料も変わる。
結婚しても愛する女房からあれこれ要求されて息が詰まる状態になる。
子供の教育費、友人たちとの付き合い、両親親類縁者への配慮、住宅購入費、
夫婦で幾ら働いても収入はたまらない。支払いに追われる日々、
まるで羽根車の中を走るマウスと同じである。
鬼さんこちら
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ
鬼さんこちら 手の鳴るほうへ
人の心の中にも住むといわれる鬼。
最初に鬼にであったのは神社のお祭りです。
鳥居から境内まで並んだ屋台。
その中に沢山の玩具のお面が売られていました。
天狗やお猿さんにまじって鬼のお面も。
友だちがその鬼のお面をかぶり、
こわいぞ~、こわいぞ~、などと
仲間をおどかしたりしたものです。
鬼の面は古来より私たちのそばにありました。
怖い鬼も、
人の力を超えた存在として、
恐れられ、また、崇められていたからです。
鬼は怖いだけでなく、
ときには、その大いなる力をもって、人間を戒め、
災難から救い出し、悪霊を退治し、五穀豊穣をも
もたらすものだったのです。
私たちはその鬼の力が発揮されることを願い、
さまざまな郷土芸能を生み伝承されてもきました。
鬼と呼ばれてきたのは、
その土地・土地の祖霊や地霊。
山岳宗教における鬼や山伏などに語られる鬼。
たとえば、鞍馬山で牛若丸に剣術を教えたとされる天狗。
また、仏教寺院などにみられる邪鬼。
社会から疎外され盗賊や凶悪な行いをして
人から鬼と呼ばれてしまった人たち。
怨みや恨めしさで鬼になってしまう人。
いろんな形で私たちの周りには鬼が存在するのです。
もっとも親しい鬼はなんでしょう。
それは、節分の鬼ですね。
家族と一緒に、
“鬼は外、福は内。福は内、鬼は外”などと叫びながら、
豆まきをしましたね。
心とは何か?
それを具体的に言ったら「勇気」と「発動力」であろう。
よくよく考えてみたら、人生には「合理的思考」と「死狂い」の2種類しかない。
損得を計算するのが前者であり、体当たりで行動するのが後者である。
勝算を立てて行う行為が賢い選択であると、もてはやされるようになったのは
いつからだろうか?
大学に行くのも、ビジネスをやるのも、結婚するのも、離婚するのも、
そこに勝算があるからというのが常識となり、
「賢く生きなさい。」「損はするな。」と子供の頃から教えられ育てられた結果である。
損得の勘定の上でしか生きられないという、まるで綺麗な箱の中に収まるような
こじんまりとした人生となった。
しかし魂はそれでは満足はしない。なぜなら魂とは炎だからである。
命とは燃え盛る火だからである。
死狂いになって飛び込んでいく。結果など気にならない。
やむにやまれぬ思いだけで局面・局面に体当たりしていく。
そう、結果は幻想にすぎない。つまり結果などないのだ。
実在するのは今ここの行為のみ。
その死狂いの行為を聞き慣れた言葉で言えば「勇気」である。
そしてそれこそが本質であり、つまり心なのだ。
勇気とは勇ましく戦うだけでなく逃げる勇気もあることを知るべきである。
戦略において一度の敗退で逃げると次の戦いでも逃げることになる。
しかし、計画的に逃げるふりをしてチャンスをうかがう逃げならば
勇気に等しい行為である。これこそが逃げるが勝ちである。
中国の教えである「反客為主」(はんかくいしゅ)の戦略である。
アメリカのトランプ大統領の各国に対する関税引き上げは常軌を逸した行為である。
これをアメリカ国民は勇気ある行為と捉えているのだろうか?
対する中国は4000年(?)の英知を持つしたたかな国である。
このような時に孫子の兵法ではどのような策があるのだろうか?
現在の中国は以前の好景気の中国と違った不況の真っただ中である。
軍事強化とバブル崩壊、若者への失業率が高まり国民の怒りが頂点に達している。
アメリカが関税を上げれば報復的に中国も関税を上げる。
アメリカの要求が145%の関税で中国はアメリカに対して125%で戦うことになる。
これでアメリカ中国、同時に経済的にダメージを受けることになる。
世界中が1%でも関税の引き下げに交渉を向かうなか中国だけは別次元である。
兵法「三十六計逃げるに如かず」の意味
戦で、形勢不利の時は、いろいろ挽回(ばんかい)する策を考えるより、
まずは逃げて自分たちの身を守るのが一番。
形成が不利なんだから、見栄も外聞もすてて、まずは逃げることで、
身の安全を確保することが大切ですよね。
人間、あせっているときには、ろくな考えはうかびません。
まずは、逃げて、その後ゆっくりと考えればいいということなんですね。
中国の要人たちは科挙のテストで合格した英才ばかりである。
勿論、時代が違うので科挙は無いにしても国内屈指の一流大学の出身者
ばかりである。一般教養として論語、四書五経、兵法書、易学などは学んでいる。
日本では戦後「歴史と地理と修身」が無くなり国を防衛する意識が奪われた。
戦略も兵法もない日本の官僚たちは交渉が苦手な人間たちばかりです。
負ける勇気ではなく負けて弁解するのがおちである。
大義なき人間の交渉は必ず負ける。条件交渉においても国を守る気持ちがあれば
ひるまずに強気で交渉をするべきである。
吉田松陰の言葉
「身を皇国に生まれて、皇国の皇国たるを知らずんば、
何を以て天地に立たん」
日本に生まれた日本人として、この国の風土や歴史の独自性を知らないで、
どうして日本人として力強く生きて行けるだろうか。
いまこそ憂国の士は桃太郎のように鬼退治に出かけるべきである。
様々な対決の中で負けるが勝ちを選ぶならそれも良しである。
5月 20th,2025
恩学 |
負ける勇気 はコメントを受け付けていません
ものごとの上部(うわべ)の点だけで生きている人が大半である。
情報化社会になって取り敢えずいち早く知ることだけに集中している。
物事の本質などお構いなしに上部だけで毎日を過ごしている。
ビジネス書、トリセツ、啓発書、処世術などの本を読んで
分かったつもりになる。しかもそれらの情報をデジタルで取り込み
他人にシェアする。共感力を試すかのようにグループチャットを組む。
そこに想像力を誘発する要因はなく上辺だけの点で面を見ている気だけになる。
今こそ我々は帯状のストライプのように縦線でつなげていく必要がある。
いわゆる思考も入力した時点でドットになるのです。
短絡的に二項対立でしか判断できないのです。好きか嫌いか、悪か善か、
儲かるか損するかと単純な判断に思考が奪われてしまうのです。
このようにパターンかすると花を見ても地下の根っこには
目もくれなくなるのです。温室で作られた野菜や果物も同じ形だから
迷わず買ってしまうのです。楽な方へ流されて逆らうことを忘れてしまう。
いつの時代でも力仕事も汚れ仕事も危険な仕事も誰かがやらなければならないのです。
農家の方や土木作業員や自衛官の協力が無ければ国がまわらなくなるのです。
親が表層意識で公共料金や給食費などお金を支払っているから
なにも問題ないと思えば子供にもうつるのです。お金で何事もことが済む。
内層意識のこころからの感謝が無ければ相手に失礼になる。
パターン認識、これが鍵なのだ。
宇宙の森羅万象にはパターンが隠されている。
そのパターンを認識することができれば、これほど複雑に絡み合っている
世の中の事象がシンプルにみえてくる。
哲学者ヴィトゲンシュタインは「世界は要素命題の塊である」と捉え、
要素命題の最小単位を見つけ出そうとしたのはこのためであろう。
世界の最小単位のパターンを見つければ、それ以降はすべてが
そのパターンのフラクタルに過ぎない。
それゆえ、世界が限りなくシンプルになるからだ。
こんな滑稽なことがなぜ起こっているのか?
その理由は脳の認識に依るところが多い。
脳は模様形として存在を捉え暗記していく。そのため応用が効かない。
ちなみに人間がAIの知能に劣る最大の理由である。
現在の人類は「模様形」の認識に留まっているため、
つまり人間もパターン認識できるように脳の改造が必要なのである。
そしてそれは「存在が動く」認識から「動きが存在させる」認識への
チェンジによって可能になる。
宇宙はとてつもないシンプルな動きひとつで成り立っている。
だから目の前に繰り広げられている世界は「あなたの物語」にすぎない、
これは映像であることが分かる。
そう、私たちは限りなく自由だったのだ。
日本の思想史家丸山眞男は「執拗低音」という定義をこのように発表している。
日本人の外来思想に対する精神態度を称して
「私たちはたえず外を向いてきょろきょろしていて新しいものを外なる
世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分は一向に変わらない」と。
そしてこうした日本人の「外来イデオロギー」に反応するときの国民的常同性を
丸山眞男氏は、「執拗低音(basso ostinato) 」と形容している。
かように「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める日本人のふるまい」
を見事に総括した点もすごいが、このbasso ostinatoという音楽用語で形容した
丸山眞男氏のセンスもまたみごとである。
このbasso ostinatoは、主旋律にはならないが、低音部分がostinatoに
繰り返されることによって、主旋律である外来イデオロギーを一定の音形が
見事に同じ音でからみつき、モディファイし、まざりあって響く、丸山眞男氏は、
その日本的なユニークな本質的な部分を喝破している。
そのbasso ostinatoは、中国大陸から外来イデオロギーを移入していた
時代から明治時代以降の欧米諸国から外来イデオロギーを移入していた
時代を経て、今日に至るまで全然変わっていないのである。
ここから、さらに話を発展させて、内田樹氏は面白い議論を展開している。
日本人は、「他国との比較でしか自国を語れない」という総括である。
その場において、自分より強大なものに対して、屈託なく親密かつ無防備に
なってみようとする傾向があり、おのれの思想と行動の一貫性よりも、
場の親密性を優先させる態度が日本人の深層にあるとの分析である。
いまの自民党等の永田町での動きも、こうした切り口から観察すると
なるほどと妙に納得できる。今回米国へ関税見直し交渉に出かけた
赤沢亮正経済再生担当大臣の言動からもそれが伺える。
最後に、内田樹氏は、「世界の中心たる絶対的価値体が、外部のどこかにあり、
もっぱらそれとの距離意識において思想と行動が決定される。」として、
日本人はその意味で昔も今も「辺境人」であると締めくくっている。
過去から現代に至るまでキリスト教に代表される西洋文化の侵入を
ことごとくはねのけた東アジアの辺境日本は独特の文化を構築してきているのである。
独自の伝承・伝統文化を維持しながら中国の思想を取り入れたのである。
和魂洋才といよりも和魂中才の趣の方が色濃く反映されている。
「私たちはたえず外を向いてきょろきょろしていて新しいものを外なる
世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分は一向に変わらない」と。
日本の強みは海外の文化や技術をすんなりと受け入れながら自国風に
アレンジする能力である。
他を認めながらも自分たちの意識を変えることは無い。
私が海外から持ち込んだシステムを日本人風にアレンジして
プロデューサーという概念を業界に染み込ませた。
日本人は目新しいものが好きである。しかし100%新しいと受け入れないが
ほどよいさじ加減で新しさを出せば必ず受け入れられる。
1980年代の頃に私なりにヒット理論を「肩越の文化論」と名付けた。
直接表面には出て来なくて海外の文化を肩越しにのぞき見しながら、
西洋文化の流行を真似して時代の先端を捉えながら商品化する。
音楽もパフォーマンスもメディアの露出もすべて計算して発表した。
中心軸は変えずに表層に変化をつけながら流行を作り続けたのです。
世の中はたった一つの言葉から認識が変わるのを知っていた。
面と向かって言われる言葉より肩越しに言われた言葉の方が印象に残る。
毎朝SNSで「一日一言」を発信しているのも脳内意識を変えるためである。
「門前の小僧経を覚える」とおなじように良い言葉を聞き続けると
自分の言葉のように使えるようになるからである。
四文字熟語はアナログ的感覚が無ければ意味を理解できない。
デジタル情報をモバイルから拾う癖がついた若者たちに
文字から生まれる意識の変化を教えたいのである。
日本の歴史と文化を紐解き日本人とは何者かにスポットをあてて
次の時代の世の中が何を必要としているのかを考えて行きたい。
世界を変えるのには表層意識だけに固執していると負けてしまう。
「執拗低音」を鳴り響かせながら次の時代の扉を開くことが必要です。
5月 8th,2025
恩学 |
表層意識 はコメントを受け付けていません
江戸時代、仲介の労で名高い勝海舟が坂本龍馬に西郷隆盛を紹介した。
後日、勝海舟が龍馬に「西郷さんはどうだったか?」を聞いたところ
「西郷さんは寺の釣り鐘のような人だった。小さく叩けば小さく鳴り、
大きく叩けば大きな音になる。」と応えたそうです。
西郷の器量の大きさと懐の深さを表した逸話です。
西郷隆盛は持論を展開する一方的な人物ではなく、人の話を聞きその内容に
応じて受け応えをするタイプの人物だということです。
全ての考えの基本は「敬天愛人」天を敬って人を愛する精神です。
中国の教えでは人間関係がもつれた際には「雑乱紛糾のときに控捲せず」
互いに引っ張るのではなく紐をほどけということです。
またインドでは「右に回して開かない時には左に回せ」同じ方向性で
解決しない時には逆の方向に切り替えろということです。
折角のご縁で知り合った仲でももめることもあります。
もつれた糸をそのままにせずに解くことも大切です。
その時は自分の主張で引っ張るのではなく、相手の主張も聞いて緩めることが
問題解決の一番の近道です。
また出会いの中でこの場限りの客で会っても「一期一会」のおもてなしで
客に施せという茶道の教えもあります。
「一期一会」は茶道書「山上宗二記」に書かれた言葉です。
茶会で出会う主人や客人は、もしかしたら一生に一度しか同席できない
巡りあわせかもしれない、そのため、心残りがないよう、
どの茶会でも常に誠心誠意に向き合うことが必要です。と書かれていた。
『けさのひと言』出石尚三
(あなたの幸を祈りつつ)
☆ 出会いこそがすべて
出会いこそがすべてです。
人との出会いを大切にしましょう。
人は皆、人によって生かされているのですから。
大きな会社も、人と人の出会いによって生まれています。
経営者ひとりで大きくなった企業はひとつもありません。
社員がいて、役員がいての企業なのです。
昭和二十一年の話。
井深大は戦争が終って、東京に帰って来ました。
そこで偶然に、旧友、嘉治隆一に会う。会って、近況を話す。
嘉治はそれを記事にしてくれたのです。
「朝日新聞」の『青鉛筆』のコラムに。
これを故郷の小鈴谷で読んだのが、盛田昭夫。
盛田昭夫は『青鉛筆』の記事を読んですぐに連絡を。
盛田昭夫は上京して、日本橋で井深大に会っています。
ここから後に「SONY」が誕生したのですね。
出会いこそすべてです。
知るということはすなわち行動がともなう。
それを「知行合一」だと陽明学は言う。
真に「知る」ということは行動することである。
行動が伴わない知は真に「知る」とは言わない。これが「知行合一」の心髄です。
なるほど、悟りというのは真理を「知る」ということである。
そして真理とは誰もが一時も離れることなく、いや寧ろすべては真理
そのものであることを知るのだ。そして今ここのプレゼンスとは体である。
その体で行為することは真理の顕現となる。
陽明学と対比される朱子学においては、「性即理」と言い宇宙の
根本原理に沿うことを至上の命題としている。
今ここのプレゼンスよりも原理を重んじるということは、瞬前に戸惑いが
混入する暇を与える危険性がある。もちろん、すべては宇宙の原理で
動いているのだが、行為する時には爆発的なプレゼンスで、
今ここにあれ!と陽明学は言うのだ。
陽明学に学んだ吉田松陰は言うのだ。
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
彼の行動の瞬前に宇宙の原理に沿うか沿わないかを一瞬でも考える暇はない。
だからこそ、彼の行為は宇宙の原理そのものになるのだろう。
宇宙の原理の通りに生きようとしているうちは脳の中、つまり因果の中である。
行為そのものが宇宙の原理そのものになることこそ、
心即理すなわち「知行合一」なのだ。
ずるい大人たちは都合が悪くなったり利用価値がなくなるとすぐにいなくなる。
こうゆう人は一生涯誰とも信頼関係が築けない人達である。
あの西郷隆盛が西南の役の戦争で、若者たちに教えた自分の言葉の責任を
取る為に自決した話は有名である。これこそリーダーの責任です。
尊王攘夷を掲げた仲間たちが、政府軍と武力反乱軍に分かれて戦い
若い武士たちがつぎつぎに死んでいくのを見るに見かけて取った行動である。
私の大好きな物語「三国志」の中から「桃園の誓い」です。
「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、
心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、
下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、
同年同月同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。
義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし。」
文章を読む劉備と関羽・張飛
所は涿県(たくけん)。
黄巾軍対策の義兵を募集している高札の前で劉備がため息をつくと、
「大の男が世のために働かず、立て札の前でため息とは情けない」と
声をかけてきたのが身長八尺(約184cm) 豹頭環眼 燕頷虎鬚 聲若巨雷
勢如奔馬という男、張飛であった。劉備が、自分がため息をついたのは
己れの無力に気付いたためだと言うと、張飛はそれなら
自分と一緒に立ち上がろうと酒に誘う。
訪れた酒場で彼らは、身長九尺(約208cm) 髭長二尺(約46cm)面如重棗
唇若塗脂 丹鳳眼 臥蠶眉 相貌堂堂 威風凛凛という赤ら顔と見事な髯を持つ
一人の偉丈夫、すなわち関羽と出会い意気投合する。
張飛の屋敷の裏の桃園で義兄弟の誓いを交わした三人は、彼らの呼びかけに
応じた者達と酔いつぶれるまで酒に興じた。その翌日、人が集まったは良いが
軍馬が無いことに気づくが、偶然近くを訪れた馬商人張世平と蘇双に
馬や軍資金などを援助してもらう。そして劉備は雌雄一対の剣、関羽は八十二斤
(48kg)の冷艶鋸(青龍偃月刀)、張飛は一丈八尺(約4.4m)の点鋼矛(蛇矛)を
鍛冶屋に造らせた後、彼らは集まった約500の手勢を率いて幽州太守劉焉のもとに
馳せ参じた。物語はまだまだ続く・・・・
建国の意志と志が共通であればどんな問題も解決する。
出会いの中から真の友人を得れば世の中を変えることができる。
「一燈照隅・万燈照国」天台宗最澄
小さな燈は隅しか照らさないが、小さな燈が万燈集まれば国をも照らす。
私が大好きな言葉に「人との出会いは一瞬早からずまた一瞬遅からず。
出会うべき人には必ず出会う。しかし求める気持ちが無ければ運命の人も
目の前を通り過ぎる」哲学者森信三先生の言葉です。
良き出会いは運命を変えることになる。
5月 7th,2025
恩学 |
出会いの大切さ はコメントを受け付けていません
「I AM A DREMER」夢見る人
夢という字は夕暮れに遠くを見ることを表します。
「視線の明らかならざるなり、夕に従い、瞢(ぼう)の省聲」
子供たちに将来の夢はと聞くと憧れや好きなことを述べるのが一般的です。
大人は今どきの若者には夢がないと発言する人が大半です。
高度経済成長期と経済安定期では描く夢が違うのが当たり前です。
昔の男の子は「末は博士か大臣か?」という立身出世の憧れがありました。
女の子は「デパートガールかスチュアーデスか?」がその頃の定番でした。
今は「ユーチュバーかインフルエンサー」が圧倒的に多いそうです。
一般的に使われる夢の意味は睡眠中に現れる意識の映像を指します
夢を分解すると「 寬 かん 」+「夕」となります。
「寬」は「眉を太く大きく描いた神に仕える女性が座っている様子」、
「夕」は「夜」を表しています。 その女性が夜の睡眠中に現れると
されていました。 そこから転じて「ゆめ、ゆめみる」の意味となったようです。
私が夢で思い出すのがジョン・レノンの名曲 ‘imagine’ の中に出てくる歌詞 。
‘You May say I’m a dreamer. But I’m not the only one’
「( 平和な世界を信じる) 私の事をあなたは
夢見がちというかもしれないけれど、私は一人じゃない」
暗いニュースが続く中でも、明るい未来を信じて、夢を見ていたい。
私は一人じゃないし、みんなで夢見た世界が、きっと未来になって
行くのだと信じて。 平和は身近な行動に現れる。
今の時代にピッタリの曲であり平和を求める人たちのテーマ曲でもある。
今こそ「全ての武器を楽器に変えて」活動に参加しなければならない。
音楽は国境のない共通言語です。何もしないで待っていても平和は来ないのです。
一歩前に出て勝ち取らなければなりません。愛する人のために!
なぜ戦争は始まるのでしょうか?各国の宗教や経済から来る思惑があるからです。
なぜ戦争は終わらないのでしょうか?利権を持っている財閥が富を独り占めする
からです。
一般的に大衆は力なき弱者の集まりです。
幾ら大きな声を上げても何も変わりません。
それでも声を上げなければ平和は訪れません。
平和を夢見ることは罪ではありません。
ここに曹洞宗最澄の言葉「一灯照隅・万灯照国」があります。
小さな燈は部屋の片隅しか照らすことが出来ません。
しかし、その小さな燈を大勢の人たちが持てば国をも照らすことになる。
これは単なる夢物語ではありません。現実に叶うのです。
「夢」という意味は睡眠中の現れる映像と自分の意思を夢と捉えているの
2通りがあります。我々が通常使うのは後者の意思の現れです。
誰もやったことが無いことに挑戦すると「そんなこと夢の中の世界」だよと
馬鹿にされるのが常です。
しかし、創造の世界で夢見ることは誰にも止める権利はありません。
工業高校から外国度大学へ入ると言った時も、先生は「ありえない」
ロンドンへ音楽の勉強に行くと言った時も、同級生は「ありえない」
帰国後に一流のレコード会社CBSSONYへ入ると言った時も、家族は「ありえない」
また、同僚に一流のプロデューサーを目指すと言った時にも、「ありえない」と
言われ続けました。私は夢を見ていたのでしょうか?
ここで「夢」が物語になった作品をいくつか紹介します。
「白日夢」(はくじつむ)は、
谷崎潤一郎の戯曲。全四幕から成る。歯科の治療を受けに来た青年が
同じ患者の美しい令嬢を見るうち、麻酔と昏睡の中で
白日夢を見る物語。1926年(大正15年)、雑誌『中央公論』9月号に掲載された。
1922月(大正11年)発表の戯曲『白孤の湯』と『白日夢』を元に書いた
ヌードショーのレビュー白日夢』は、1959年(昭和34年)2月から5月まで、
谷崎のお気に入り女優・春川ますみ出演で、日劇ミュージックホールで
上演された。
「古代ローマ貴族の夢」
本作は元来、『ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の創建
教皇リベリウスに夢のお告げを明かす古代ローマ貴族ヨハネと妻』
(プラド美術館) と対をなしていた。
両作ともローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の創建にまつわる
物語を表している。古代ローマ貴族ヨハネの夢に聖母マリアが現れ
エスクイリヌスの丘(画面左側の雪に埋もれた部分) に教会を建立せよ、
そしてそこに行けば、雪の上におのずと建物の配置がわかるであろう、
と告げる。穏やかで静謐な場面に光を伴なって現れた聖母は、
円熟期のムリーリョの画風を特徴づける非常に軽く淡い筆致で描かれている。
人物の衣装はムリーリョの時代のもので、画家は絵画を古代ローマに
設定していない。
「落語芝浜の夢」
三遊亭圓朝の三題噺が原作。三題噺とは、寄席で客から三つのお題を貰い、
それらを絡めて、その場で作る即興の落語である。
ある日のテーマが、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だった。
(3代目桂三木助は「三遊亭圓朝が作った『笹飾り』『増上寺の鐘』
『革財布』の三題噺」と噺していた)。ここから生まれた三題噺がベースとなって、
その後本作が成立したとされているが、『圓朝全集』に収録されていないことや
圓朝以前に類似の物語があることから、この説を疑問とする声がある。
現在のものとはストーリーも異なっていたという説もある。
川戸貞吉は、8代目林家正蔵からの聞き書きとして、「昔の『芝浜』は、
男が財布を拾った後、長屋の連中が財布を拾ってめでたいってんで、
みんなで歌を歌って騒ぐだけの話で、軽い話だったよ」と述べているが、
8代目正蔵が生まれる以前に口演速記された落語本では、すでに現在と
同じ人情噺になっている。少なくとも19世紀中には「芝浜」として
演じられた記録がある。
経済的に貧しい庶民は夢を見ることで喜びと自由を得ることが出来ました。
その中から芸術や音楽や歌舞伎など様々な文化が生まれてきたのです。
しかし、国を変えようとして夢見た武士たちが居たことも確かです。
地方の下級武士が徳川幕府を倒すために決起して立ち上がり
明治維新が起こり、そこから日本が大きく変わったのです。
そんな彼らに大きく影響を与えた江戸時代の儒学者吉田松陰の言葉。
「夢」なき者に「理想」なし
「理想」なき者に「計画」なし
「計画」なき者に「実行」なし
「実行」なき者に「成功」なし
ゆえに「夢なき者に成功なし」
夢を見るのが不器用なった現代の若者たちに届いてほしい言葉です。
私も夢を追いかけてこれからも生きてゆきます。
5月 3rd,2025
恩学 |
夢を追いかけて はコメントを受け付けていません
人生のクライマックス(最高潮)を死ぬことと大げさに捉えるか、
仏教でいう「生老病死」のひとつとして淡白にとらえるか、
どちらにしてもお迎えが来れば身体は燃やされて無くなるだけである。
私は子供の時から死を恐れたことがありません。
やりたいことをやるだけやれば悔いを残す必要は無いと!
寺の住職から言われたからです。
いつか死が訪れたら元気に笑って「さよなら」を言うだけである。
年を取ると周りは勝手に「死」のイメージを作り可哀そうだのとのたまい、
老い先短いからと妙に親切にされてもありがた迷惑である。
ただ恐れるのはボケが入り足腰が悪くなり寝たきりになる事だけである。
そして予期せぬ転倒事故で歩けなくなるのは家族に迷惑をかけるので
階段の上り下りなど特に気をつければならない。
かといっていたずらに不安がっても仕方のないことである。
なるようにしかならないのである。
良寛和尚の「災難の逢う時節には災難に逢うがよく候死ぬ時節には死ぬがよく候」
の言葉通り、仏さまから与えられた宿命を潔く従うだけである。
私は行き当たりばったりの人生であったから、
成功した時には成功を楽しみ、失敗した時には失敗を受け入れて、
元気な時には健康を謳歌して、体が具合悪くなれば病院に入り手当てを受けるだけ、
ただそれだけのことである。
家族に言っていることは助かる見込みがない時に「がん治療と延命治療は絶対するな!」
そして死が近づいてきたらすべての臓器をドナーに提供するから、
早めに医者に伝えるようにと言ってある。
葬式もするな!お墓も作るな!しかし家系は閉ざすな!ときちんと伝えている。
なるようにしかならないのに不安がっていても仕方が無いことである。
多くの老人は死が間近に迫るとパニックになるそうだが、
楽な死に方の方法なんて看護師や医者に聞いても困るだけである。
医者はただ治療するだけの人である。宗教家ではないので生命を語ることは
出来ない。いわゆる肉体的な生命ではなく精神的な生命(魂)である。
SNSで医者からの投稿にこんな記事がありました。
外来で92歳の女性と話していた。
昨年末に娘さんを、今年2月にお嫁さんを立て続けに亡くした。
「自分はなんて業の深い女だろうね。」と目に涙を浮かべて話してくれた。
どんなお気持ちだろうと、彼女の悲しみは計り知れない。
しかしこうも言っていた。「でもね、どこかでほっとしているところもあるんだ。」と。
一昨年前から外来に来る度に娘さんとお嫁さんの病気のことを
話していた。92歳の小さな体全身で居た堪れなさを漂わせながら、
「いつ死んでしまうか、いつ病院から連絡が入るか、常に緊張している。」
と語っていたのを思い出す。
「生きる・死ぬとは不思議なものだ」といつも思う。
生きているものはどうして死ぬのか・・・有るものがどうして無くなるのだろう。
本当に無くなっているのか。
先日、父の七回忌だった。兄は本堂でお経をあげている時、時々背後から
父の視線を感じると言う。私も車の運転をしている時に父の声をリアルに
聞くことがある。死んだとは思えないほどリアルに。
一般的に生きるとは、姿形があり維持されていることを言う。
死ぬとは、姿形が維持できずに無くなることを言う。
しかし有ったものが無くなることなどあるのだろうか・・・
ただ五感覚で捉えられなくなっただけと考えた方が、理が通る。
有るものが本当に無くなってしまうなら、
92歳の彼女のように無くなる怖さに縛られながら生きるのは地獄の辛さがある。
…死は幻想なのだ。それと同時に生も幻想なのだ。生死が繰り返される
夢を見ているにすぎない。一つの壮大な幻想を80億の人間が作り出し、
それぞれが自分のポジションを一所懸命にやっている。
そこに人生最大のクライマックスである生死という事件を織り込みながら。
だから、もしこの世界への愛着があるならば、
たとえ死んでもポジションはあり続け、体がない状態でポジションをまっとうする。
ということは、体の自分ができることなど何一つない。
すべては壮大な幻想の中の自分のポジションが動かしているのだ。
歩くことも、食べることも、仕事をすることも、呼吸することも、
ポジションがやっている。そしてそのポジションを作り出したもの、
それが真の実在であり、真の意志である。
・・・それをパルメニデスは「有って有るもの」と言った。
そう、真実は永遠不変であり、失われるものなどなにもないのだ。
「不生不滅」、それが実在なのだ。
投稿文章はここで終わっていた。
勝手な想像に過ぎないが、若い時から自分の立場と損得にこだわる人は
死を恐れる傾向にある。その上に財産に執着する人は、死によって財産を
手放さなければならないことは耐えがたい苦痛を伴うのだろう。
私は子供のころから家が貧しかったせいで物には恵まれなかった。
そのせいか成人しても立派な家も高級車も欲しいと思ったことが一度も無い。
お金が入ればいつも海外へ旅に出た。一人旅ほど楽しいものは無かった。
他人と精神的満足を共有する必要が無く十分満足していた。
30代に音楽プロデューサーで成功したからといって、このまま音楽業界に
しがみつく気持ちも最初からなかった。
短い人生の中で沢山の仕事の経験を望んでいたのでそれなりの転職を繰り返した。
システム会社、映画会社、海外の音楽制作会社、専門学校の理事、セミナー講演者、
アパレルメーカー顧問などである。今ではその経験を活かして高齢者の支援や
子供たちの相談相手も率先して参加するようにしている。
人生は望めばそのようになるものである。
ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」そのものである。
やりたいことをやり続けたから死など恐れるものではないと思っている。
今とくに子供たちに言いたいことは正しい日本語を学びなさい。
自由は束縛の中からしかつかみ取れない。成功は失敗の連続から生まれる。
公平と平等の違いをしり、「小欲知足」奪い合えば足りなくて分け与えれば
余るという意味をしっかりと学び日本人としての誇りを持つことである。
漢字の意味が分かるようになればAIなんて恐れに足らずである。
上辺だけの常識を妄信すると情報が操作されてAIの奴隷になるだけである。
未来がこの先どうなるのか考えると死など忘れてしまう。
もしかすると人生のクライマックスは宇宙で迎えているかもしれない。
そうやすみやすみ死んでたまるか!
毎日がワクワクドキドキするような時間で溢れている。
5月 3rd,2025
恩学 |
人生のクライマックス はコメントを受け付けていません
人間と動物の違いは時間軸と思考軸である。
人間は自然の中にある暦を利用して時間を知った。
狩猟や採集の経験から生まれた知識を他人とも共有できた。
そしてそこから言語が生まれた。
動物には時間という観念が無い。空腹になれば餌を求めて行動するだけ。
仲間と情報を共有することもないので言語も生まれない。呻くだけである。
動物は武器も作れないので人間の侵略には無抵抗状態で常に絶滅の危機を強いられる。
心はどこにあるのか?心臓にあるのか?頭の中にあるのか?腹の中にあるのか?
心は経験から生まれた知識とは違い感性から生まれるので「心のあり方」が
重要である。自分の「欲」の為の心でなく「義」の為の心でなくてはならない。
私は昔からなりふり構わずあらゆるものに挑戦して来た。
失敗すると元も子もなくなるのだがそんなことはどうでも良かった。
他人からチャレンジャーとかドリーマーと言われても嬉しくはなかった。
その時の感情で心の赴くままに冒険を重ねて来た。
幸い幸運なことにいつも運がついてきた。この運は行動が無くては現れないし、
どんな状況でも人を憎まず、人を騙さず、人に尽くす、ことを忘れなければ
必ず運は付いてくる。
「多種多様な人間の心がある」
好奇心に飛び込むタイプ、石橋を叩くタイプ、とにかく挑戦するタイプ、
とにかく疑うタイプ、現状を好むタイプ、現状打破を試みるタイプ、etc.
どのようなタイプであったとしても身体の人間はいつか消える。
これは100%の確率で起こる絶対。
では一つの大いなる宇宙を持たされた人間という存在は消える時に
何を思うだろう?
「挑戦して良かった!」と冒険に満ちた人生を振り返る者もあれば、
「騙されなくて良かった」とつつがなく過ごした人生を振り返る者もある。
人生とは未知との出会いであると思う。私は死の間際に前者でありたいと
思うのだが、人によっては後者であろうと世界に対し疑いの目を光らせて
生きる。まるで騙されなかった自分という勲章を彼岸のコレクションに
するかのようだ。
しかし本来の人間というものを考えた時、
人間は一体何に騙されるというのだろうか?
人間は環境の奴隷ではない。環境を作り出す主人である。
それにも関わらず、自分が作り出した対象に騙されるとはどういうことなのか?
ここで人間には二段階の意識の爆発が必要であることが分かる。
一段階、「自分」とは宇宙を創造破壊する
心そのもの(一元)であるということを知ること。
それを知った時、環境の奴隷ではなく環境を統制できる「自分」に変容する。
そして次に二段階へ進む。不二一元の境地である。つまり「自分」の物語を
生きるということ。というのも、一段階で環境を統制できることを
知ったとしても、ただ生きるのでは主導権を環境に呆気なく取られてしまうだろう。
環境を統制するためには、「自分」の物語を積極的に能動的に生きるということが
必要なのだ。それによって生死を超え環境を統制する尊厳として
今ここに立つことができる。
古今東西の英雄と呼ばれる人たちはただ生きた人たちではない。
時代に合った自らの物語を、その主人公として積極的に能動的に生きた人たちである。
彼らを見ていると、環境の奴隷であることを断固拒否し環境を統制しにいく
気概を感じる。
人間の人間たる理由とはここにあるように思う。ただ生きるというと
動物となんら変わらない生き方ではなく、神にも仏にもましては他者にも
隷属しない尊厳の「自分」を演出することこそ、「私は人間である」と
全宇宙に号令をかけられる存在として有ることができるのだろう。
不思議なことにこの文章「多種多様な人間の心がある」は私の作ではない。
まるで文章を読むと自作のような錯覚に陥ってしまった。
私の文章の作り方と構成が全く同じである。
投稿後に見た人から「これは私の文章です」と言われれば素直に認める。
昔から何か事を始めようとすると頭の中にマニュアルが現れる。
自分の記憶にも経験も無いのにやりかたが手に入る。
別段、特別に能力や学力があるわけでも無いのに、
高校も大学も一流会社の就職も高い壁とはおもわずにすんなり進んできた。
そのうえ音楽の素養があるわけでも無いのにプロデューサーになって
ヒット作を連発した。時代の波に乗ったとしか言えない。
勿論、音楽制作は大勢のスタッフがいて作品が作られるので
私の力など微々たるものであるがプロデューサーということで
多くのヒット賞をいただいた。
子どもの頃は勉強嫌いというよりもあまりにも貧しくて勉強する環境が無かった。
さほど劣等生ではなかったが容易に進学できるレベルでも無かった。
いつも進学も就職もここしか行くところが無いという気持ちで臨んだら
その通りになった。決して努力のたまものでは無かった。
学校も会社も色々受けるほどの選択権が無かったからである。
いわゆる「背水の陣」で自ら逃げ場を無くしたのです。
常に心の在り方、心の置きどころ、心の決心、に誰よりも強い思いがあった。
「武士道」新渡戸稲造著から学ぶ日本人の美しい心
「武士道教育の精神について」
日本の一般的な学校には宗教教育がありませんが、海外では「善悪の基準を
宗教による宗教教育」により子孫に道徳教育を授けています。
ベルギーの法学者に「日本人は何をベースに道徳教育を授けているのか?」
という問いに答えられなかった新渡戸稲造が、日本の道徳観を世界に伝えたのが
「武士道」という道徳教育でした。
1900年に英文で発表された「武士道」は世界的ベストセラーとなりました。
「武士道の「義」の精神」
『打算や損得を超越し自分が正しいと信じる道を貫く』武士道の中心となる
良心の掟を「義」の精神といいます。
「義」とは人間としての正しい道、つまり正義を指すものであり武士道で
もっとも厳格な徳目です。
義を貫く…武士道の基本はフェアプレイの精神であり、卑怯なやり方を嫌います。
幕末の志士、真木保臣がいうには「義は体に例えるならば骨である。
骨がなければ首も正しく胴体の上につかず手も足も動かない」つまり、
たとえ才能や学問があったとしても「義の精神」がなければ
武士ではないということです。
「武士道の「勇」の精神」
「勇」とは、義を貫くための勇気、正義を敢然と貫く実行力です。
孔子が論語の中で「義をみてせざるは勇なきなり」つまり、勇気とは
正しいことを実行することだと述べています。
勇気といっても、わざと危険をおかし討ち死にすれば単なる「犬死に」であり、
武士道ではこれを「匹夫の勇」と呼びさげすみました。
武士は幼少の頃から「匹夫の勇」と「大勇」の区別を学びました。
「武士における「大勇」とは?」
「勇気とは、恐れるべきことと、そうでないことがわかること」と、
古代ギリシャの哲学者プラトンはいいます。
「本当の勇気とは、生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬことである」と
徳川光圀(黄門さま)もいいます。
以上のことから、勇気の精神的側面は冷静さであると理解できます。
武士にとって「犬死に」はつまらない行為ですが、自分が間違いと思うことに
対しては、ためらうことなく命をかけて戦わなければなりませんでした。
「文武両道の精神」
「勇」をまっとうするためには、肉体的強さが不可欠でした。
義の精神を机の上で学んでも自分より強い相手に怯えて実行できなければ
無意味でした。そのため、武士たちは精神修行と同時に肉体も鍛えました。
武士たちは文と武の両立、つまり文武両道を追求していました。
たまには日本人として心の在り方を「武士道」から学んでみては如何でしょうか?
4月 24th,2025
恩学 |
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2000年に米国のレコード会社から突然の契約解除を言われ倒産に追い込まれた。
そして代表者である私は全財産没収で自己破産を余儀なくされ、
身動きが取れなくなった。
不渡りを出した日から銀行や消費者金融の取り立ては昼夜を問わずやって来て
私と家族を悩ませた。
そして親しくお付き合いがあった取引先への未払いも起こりお叱りを受けた。
所属していたアーティストからもいろいろ心ない言葉を浴びせられた。
顧問弁護士の指示に従い家族とも別れることになりました。
後に判明したのですが全く必要のない協議離婚をさせられたのです。
今まで何もかも弁護士が正しいと思い違いをしていたのです。
家族とも別れて完全に無一文になりこれからの事を相談に乗っていただきたくて、
かねてから親交のある哲学の先生のところへ行き事情を説明したところ、
何故か最初に「おめでとう」と言われました。
全て失ったか!これ以上いき場のない底についただろう。
私に頼るな、自分に頼れ!
これでお前も「底に落ちて着いたから落ち着く人間となったのだ」、
これからは浮かれる事なく人生を落ち着いて歩めるぞ!
だから「おめでとうなのだ」と言われました。
変に倒産の事情を聞かれて慰められるよりその言葉がなぜか腑に落ちました。
底に着いたから上がるしかない人に救いを求めるのでなく
自力で這い上がれ、そうしなければまた同じ過ちを繰り返す。
凄く的を得たアドバイスに気持ちが楽になりました。
とりあえず生活費を稼がなければなりません。
今までの経歴も見栄もかなぐり捨ててとりあえずゼロからのスタートです。
どうせなら「下座業」もかねて自分が一番苦手な仕事を探すことにしました。
日当払いの夜中の道路工事の旗振りや、操業前の工場のLED蛍光灯の交換をしながら、
次の就職先を探したのです。辛い作業も希望への一歩と思えば楽しくやれました。
私は敢えて得意な音楽業界でなく違う業種で探していたところ、コンピュータのシステム
会社から、声がかかり入社しました。上場に向けての戦略室長の立場です。
100%絶望をすることが二度と絶望することのない希望となる。
中途半端な絶望は中途半端な希望を見出し人はその偽物の希望に縋りつく。
目の前のラッキーが次のアンラッキーとなることはよくある話で、またその逆も然り。
これは、中途半端な絶望と中途半端な希望が次々とループの中で起こっているのだから
当然のことである。
例えば、誰かに誤解されたとする。悲しみに打ちひしがれている時、
自分を理解してくれる人が現れる。このようなことはよくある話で
「捨てる神あれば拾う神あり」と世間では言う。
実はここに目覚めを妨げるトラップがある。自分を理解してくれる人と
思ったその人もまた、次の瞬間誤解していることが判明するのが世の常である。
そして人間の弱さは無意識に一縷の希望に縋らせる。
「もしかしたらあの人なら、あの人なら分かってくれるはず」
「世界は広い。自分を分かってくれるひとは必ずいる」などと
自分に言い聞かせながら。世間もその人も無責任に慰める
「きっとあなたを分かってくれる人が現れる」と。
しかしこの自分の内外で囁かれる囁きはトラップなのだ。
このトラップに掛かっているうちは、人間は100%の絶望ができない
宙ぶらりん状態に居続けることになる。
Hit the bottom!という言葉がある。1mmの希望も入る余地なく絶望し切った時、
ベクトルが変わる。その100%の絶望は五感覚の絶望ではなく、哲学的思惟による
絶望である。
「人と人とは100%分かり合うことはできない。」だ。
この「100%分かり合えない」という絶望と出会えた時、この世界に
散りばめられた「偽」のベールが剥がれ「真」を追求する一歩を踏み出すことになる。
そこから始まるのだ。そこからループからの脱出の流れが生まれるのだ。
そしてその流れにさえ乗れば、人は必ず100%希望そのものの世界と
出会うことができる。
剣を扱うサムライにとって体は、剣の延長であり剣同様に道具であるという
認識を持つ。剣の切先で世界を感じ、宇宙を感じ、相手の心を感じ取る。
切先の一点に己の全宇宙を没入させ、他者との境界線を解かしていく。
だから五感覚よりもはやく、光の速度よりもはやく反応することができるのだ。
それは柔道や空手とは違う剣独特の世界、サムライが禅に傾倒していく心は
そこにあるのだろう。
では、体が道具ならば道具を動かす主体は何か?という問いが生まれるのは
当然のこと。そしてその問いを持つサムライに悟人が多く輩出されるのも頷ける。
第一段階、体が自分ではないことを、剣を扱う者ならば誰もが感覚的に会得する。
もし剣のみを道具として扱うのなら五感覚の世界に捕われ、瞬時に負けが決まるだろう。
宮本武蔵が記した「観の目強く、見の目弱く」とはまさにこのことなのだ。
そして第二段階の思惟が始まる。体を道具として扱う主体、その主体は体と
剣だけではなく宇宙森羅万象をも動かしている・・・「お前は一体何者だ?」と。
「何者だ?何者だ?・・・」その問いが究極に達したその瞬間、何者もないことを
「知る」。自分と自分の宇宙が静かに消え、涅槃寂静を観る。
人間には2通りの生き方がある。
生命体として生きるのか、はたまな精神体として生きるのか。
その違いは「体が自分」と思っているのか、「心が自分」と思っているのかの
違いである。
ホモ・サピエンスの言語の発達により人間が動物を制圧してからは、
地球は人間の星である。その人間が生命原理で世界を認識している限り、
つまり物質世界として世界を見ている限り、地球は物質である。
現に人間は地球を物体として捉え、物質の開発開拓に力を注いでいる。
その象徴が科学技術である。
人類は今分岐点に立っている。ここで生命体に留まるか、
精神体へジャンプアップするか。
精神体へのジャンプアップは認識の変化から始まる。
有だったものが無に、無だったものが有に。さらには有もなし無もなし。
この認識で人類は「有限」の概念を突破できる。突破した先は心だけが実在する
精神体の視座である。
(令和哲学より抜粋)
何もかも失った時に見えて来るものがある。
そこでは自分の人間性を演技することも弁解することも無い世界である。
守るものがあるから見栄を張る。言葉で弁解するから嘘が生まれる。
過去の記憶が蘇るから苦悩が始まる。
「おめでとう底に着いたのだな」この言葉で吹っ切れた。
哲学的思考にシフトチェンジした瞬間である。
その後、悩みを抱えた経営者にアドバイスをする機会が何度かあった。
私と同じで金融関係と取引先から追い込まれて自殺まで考えていた時に
逢うことにした。その時に最初に発した言葉が「社長おめでとう」である。
「鋼は叩かれて、叩かれて名刀になる。しかし叩いているハンマーはいくら叩いても
名ハンマーとは言われない」今社長を叩いている人たちに感謝しなければならない。
絶望の時、悩みや苦悩に溺れてはなりません。浮き上がる事だけを考えれば
ほぼ問題は解決したと思ってください。
4月 24th,2025
恩学 |
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