モーツァルト音楽療法




義妹のソフィイ・ハイベルはモーツァルトに対して、
「彼はいつも落ち着きのない人で、手足をばたつかせ、独り言を言い続けたり
じっとしていない人だった」。モーツァルトは失語症であり、学習障害であり、
その上にひどいてんかん症であったと書かれている。
モーツァルトは自分で自分の病を癒すためにピアノ曲を多く残している。
一番好きなピアノ曲が「ソナタ二長調(K448)」と言われている。
いつもこの曲を弾くと落ち着きを取り戻したと言われています。

薬物耐性てんかん患者がモーツァルトの
「2台のピアノのためのソナタニ長調(K.448)」を30秒間以上聴くことが、
脳内でてんかんに関連した電気的活動のスパイクの頻度が低下することと
関連している可能性が明らかになった。
今回の研究結果は、この曲に対してポジティブ感情を伴う応答が生じることが、
この曲の治療効果に寄与している可能性のあることも示唆している。
研究の詳細が記述された論文は、Scientific Reports に掲載される。

てんかん患者の場合、「2台のピアノのためのソナタ ニ長調」を聴くことが、
脳内でてんかんに関連した電気的活動のスパイクの頻度が低下することと
関連していることが、これまでの研究によって明らかになっていた。
しかし、この曲を聴いている時間が、この関連性にどのような影響を及ぼすのか、
そして、その理由については明らかになっていなかった。

今回、Robert Quonたちは、薬物耐性てんかんの成人患者(16人)に、
「2台のピアノのためのソナタ ニ長調」を含むいろいろな楽曲の断片
(長さ15秒または90秒)を続けて聴かせた。
そして、Quonたちは、脳波記録法(EEG)を用いて、楽曲を聴いている患者の
脳内の電気的活動を測定した。その結果、「2台のピアノのためのソナタ ニ長調」
を30~90秒聴いた場合にてんかんに関連する脳全体の電気的活動のスパイク数が
平均66.5%減少し、他の楽曲の断片では、こうした効果が認められなかった。

スパイク数の減少が最も大きかったのは、情動応答の調節に関与する
脳の部位である左右の前頭皮質だった。
また、この曲の長い繰り返しの部分が終わるところを聴いた被験者の前頭皮質で、
電気的活動の一種であるシータ活動が増加した。
これまでの研究から、シータ活動は、音楽に対するポジティブ感情を伴う
応答と関連している可能性のあることが示唆されていた。

Quonたちは、「2台のピアノのためのソナタ ニ長調」をわずか30秒間
聴くだけで、音楽に対するポジティブ感情を伴う応答に関連しており、
前頭皮質によって制御される脳内ネットワークが活性化されると考えられるという
仮説を提起している。Quonたちは、これらのネットワークの活性化は、
薬物耐性てんかん患者の脳内におけるてんかん関連の電気的活動のスパイクの
減少に寄与している可能性があると考えている。

知り合いの音楽好きの元大学教授と音楽談義をする事があります。
教授は色々な事を良くご存知でいつも楽しい会話となります。
その中でも、特に興味をそそられたのは偉大なる作曲家達が抱えていた
持病や亡くなられた原因です。

大作曲家達であれ、同じ人間ですから色々病気になるのは当たり前ですが!
現代になって遠い昔の作曲家達の本当の病気が次々と解明されているそうです。
大作曲家達ついて結構病を患いながら作曲していた方が多いようなのです。

今回は、改めて教授に教えていただいた作曲家達の病気や死因の
お話しをしてみようと思います。

1:まずは、バッハ
バロックの代表的な作曲家バッハ!かねてより患っていた内障眼が
悪化したことにより視力もほとんど失っていた。
65歳の時に脳卒中で亡くなられたそうです。
2:ベートーヴェン
耳が聞こえなくなった理由は、鉛中毒だった事がわかつたそうです。
ベートーヴェンは、ワインが大好きで毎日相当量呑んでいたそうです.
当時の安いワインの甘味料は鉛だった事から、鉛中毒で聴覚を失ったとの事です。
しかし、最近の調査では本当の死因は「B型肝炎」だったと言われています。
そして有名なのは、ベートーヴェンは重度の梅毒患者だったという説もあります。
3:モーツァルト
サバン症候群だったと言う事ご存知の方もいらっしゃると思います。
こちらは、病気というより個性と言えるかもしれませんが!
知的障がいや、発達障がいと引き換えに、ある分野だけに特別な素晴らしい
能力を授かる!モーツァルトは大作曲家と言う能力を授かったようですね!
それに重度のてんかんで引き攣り割れるような頭痛持ちで悩んでいました。
苦しみだすと自分の作曲した「ピアノソナタ」を弾いて癒していたと言います。
4:ハイドン
鼻の中にポリーブがあって悩まされていたそうです。
当時は手術で取り除くことができなかったのですね。
現代医療では簡単に切除できたのでしょう。
老衰のために77歳で生涯を閉じました。
5:シューマン
精神障害(躁鬱その他)を持ちながら数々の、素晴らしい作品を残しました。
当時は精神障害の人が働ける環境が少なかったと思います。
そのうえに彼は梅毒を患っており、梅毒治療に用いられた水銀中毒が
直接原因ではないかと言われています。
また歌曲の王と称されたシューベルトも梅毒治療で用いられて水銀中毒で
命を締めた可能性があるとされています。
6ショパン:
ピアノの詩人と言われたショパン
肺に病気を抱えてそれが原因で亡くなったそうです。
いわゆる現代の肺結核病患者であったと思われています。
39歳の若さでパリにて死亡が届けられました。
7:ロッシーニ
有名なウイリアムテルな作曲家ですが一方かなりの美食家で
糖尿病を患っていたそうです。料理名で曲も書かれています。
晩年は極度の肥満となり体調を崩すことも多くなり、躁鬱病や慢性気管支炎
さらに直腸癌を手術したことにより丹毒によってこの世を去りました。

このような事が分かると大作曲家達に失礼とは思いますがなんだか、
偉大な作曲家達もやはり人間だと思い身近に感じてしまいます。
どんな偉大な方々も人間である限り病気にならない方はいないのだと
当たり前の事なのに何だか納得している自分が変です〜(笑)
過去の素晴らしい大作曲家達は、現代だったら治った病気もあった事でしようね。
いつの時代も後もう少し医学が進歩していたら〜と思うのは同じ事!

ただ、過去の偉大な作曲家達の曲の中には病気であつたからこそ
素晴らしい作品が出来た事も事実のようです。
たまには、このような雑学的なお話しをワイン片手に楽しいと思って
聞いてくれる方がいらしたら嬉しいのですが?如何でしたでしょうか?

今回はクラビアートピアノ教室 講師 田原礼子のお話に加筆させていただきました。
是非とも私と大学教授と三人でワイン片手にお話をしたいですね。

注釈
サヴァン症候群とは、知的障害(知的発達症)やASD(自閉スペクトラム症)
などの発達障害がある中で、特定の分野において突出した才能を持っている状態や、
その人を意味する言葉です。サヴァン症候群の概念は1887年に、
イギリスの医師であるJ・ラングドン・ダウン博士がその概念を提唱し、
のちに「サヴァン症候群」と呼ばれるようになりました。

なお、サヴァン症候群とは概念であり、医学的な用語ではありません。
そのため、明確な診断基準もありません。


日本の音




江戸から続く楽器として皷があり笛があり太鼓がある。
これらは声であり雷であり鳥や猿の声を表している。
能で使われるお囃子の調子は空気を表し怨霊の叫びを誘い出す。

お寺では毎年4月には地域の子供に集まっていただいて
花まつりを行っています。最初に灌仏(かんぶつ)といって、
お釈迦様の像に甘茶をかける作法を説明するのですが、
初めて来た低学年の子供にはなかなか難しいようで悪戦苦闘しながらも
しっかりと灌仏をしてもらっています。

上手くできない子には上級生のお友達が手助けをして一緒に灌仏を
したりする風景もとても微笑ましいものです。
子供たちは「天上天下唯我独尊」などという難しい言葉は知りませんが、
誰もが目の前のことを一所懸命にしています。
子供たち一人一人のその尊い姿を大人になった我々が見ることで
改めて気付かされることや学ばせていただくこともとても多いように感じます。 

日々の生活を慌ただしく過ごしていると気付けないことはたくさんあります。
忙しければ忙しい程自分のことで頭がいっぱいになり、
他者の人格などということを悠長に考えている暇が無くなってしまうからです。
あれこれと自分のことばかり気になってしまう中でもあえて一度立ち止まり、
お釈迦様の教えのもとで自らを振り返り、ゆっくりと思いをめぐらせてみる。
お寺がそのような場であれば何よりかと思います。
(ある寺の住職の話から抜粋)

私は無邪気に遊ぶ子供たちの声が音楽の様に聞こえます。
その昔(奈良時代~明治時代)日本のお寺と神社は神仏習合で
同じ敷地内に同居していました。
子どもたちは広い境内で神様や仏さまの教えを童謡の歌を交えて
お遊戯をしながら学んでいくのです。
森に囲まれた自然界の音の中で無邪気な声が響き渡っていたのです。

私たちが普段よく耳にしている音楽の多くは、西洋の長音階
(ドレミファソラシ)や短音階(ラシドレミファソ#)といった7つの音から
成る音階が基本になってできています。この音階では、長音階ならド、
短音階ならラがいずれも中心の音(主音とよぶ)となります。
実際の曲の中では7つの音に加えて、それらが半音上がったり下がったりして
厳密に7つの音だけでできている曲というのは少ないのですが、
基本的な音階としては長音階・短音階とも7音と考えることができます。
 
これに対して日本の民謡や伝統音楽では5つの音から成る音階が基本となって
できているものが圧倒的に多く、いずれもレを中心の音とする民謡音階
(レミソラド)、律音階(レファソラド)、都節音階(レミ♭ソラシ♭)、
琉球音階(レファ#ソラド#)の4種類にほぼ整理することができ、
レだけでなくソやラの音も中心の音になります。

実際の曲の中では、やはりこれらが混じったり変化したりもしますが、
このように5つの音から成る「5音音階」は、日本だけでなく世界の多くの
地域に見られます。

面白いのは、明治以降の日本で頻繁に使われている「ヨナ抜き音階」と
呼ばれる音階で、民謡音階と同じ5つの音から成るのですが、
中心となるのがレではなくドの音で「ドレミソラ」という音階です。
日本ではある時期にドレミファソラシを「ヒフミヨイムナ」と称していて、
長音階からファにあたるヨとシにあたるナが抜けていることから「ヨナ抜き」
と呼ばれるようになりました。この音階は唱歌や童謡、歌謡曲など非常に例が多く、

本公演で演奏する曲でも「夕日」「うみ」がそうですし、「花嫁人形」は
短音階のヨナ抜き(ラシドミファ)です。ヨナ抜き音階はメロディが5音でも、
それに付くハーモニーが7音からなるドミソやシレソといった西洋流の和音が
ぴったりとはまる、日本の5音音階と西洋の音階とのハイブリッドと言えるでしょう。
この音階はスコットランドの民謡にもよく見られ、「蛍の光」や「故郷の空」が
代表例です。(文・指揮者寺嶋陸也)

実はあのビートルズも「ヨナ抜き」音階で曲を作っています。
「LET IT BE」レット・イット・ビーがそうです。
ポールマッカトニーがビートルズ解散の危機を迎えた時に
亡き母が枕元に現れて「あるがままを、あるがままに受け入れるのです」との
囁きを元に書いたと語っています。メアリーは、マッカトニーが14歳の頃に
癌で死去した。亡き母が枕元に現れたことについて、マッカトニーは
「母に再会できたのは本当によかった。夢で祝福された気分だった。
だから僕は母の囁きの元に「レット・イット・ビー」を書いた」と語っている。

「ヨナ抜きはなぜ心に染み入るか」
7音階が既知のもの、自然なものとして人の心に染みわたっているから、
2音が抜けていることが意外な感覚を与えるのです。

私が世界の民謡に興味を持ったのはその民族が長年愛した音階だからです。
文化的背景以外に様々な辛い状況を乗り越えて来た思いが
楽曲に込められているからです。
イタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソン、ポルトガルのファド、
ブラジルのサンバ、アメリカのカントリーウェスタン、韓国のパンソリ、
イギリスのソング&バラッド、スイスのヨーデルなどです。

そして忘れてならないのが能で歌われる「謡曲」です。
能は古くから自作自演が原則であり、その台本と言われる謡曲は現存する
曲や俳曲になったものも含めると、その数は約二千番にのぼり、
その大部分が江戸時代以前に作られたものである。
しかし作者に関しては不明のものが多く、現在その中の2~3程度が
観阿弥・世阿弥・金春禅竹などの作者の確定できるものとされている。
謡曲は台詞と地の文とで構成され、その文章は古歌・古詩などの引用、
縁語・掛詞・枕詞・序詞といった修辞技法を駆使した和文体である。

日本は大自然と共に様々な文化を育んできました。
西洋は数学的に良し悪しを判断するのですが、日本は自然との対話型で
過去にあるものを否定せずに改良を重ねて継承を続けてきました。
正に「温故知新」の心です。

これからも日本の音を慈しみ大切にしていきたいものです。


若者たちへ




「恩学塾」開校にあたり
(これはイメージです)

我々はここに誓う
①どんな困難にも弱音を吐かない。
②友の苦しみはみんなの苦しみ一緒に解決する。
③先人の教えを守り勉学をおろそかにしない
④礼節を重んじて老人・子供を大切にする
⑤慈愛に満ちた心で何事も取り組む姿勢を大切にする
⑥家族を、地域社会を、この国を守ることに専念しよう。

塾開校に当たり橋本佐内の「啓発録」を斉唱します。

橋本左内は越前国福井藩の武士の家に生まれました。
彼は幼い頃から聡明で様々な本を残し、「池中の蛟竜」と称えられましたが、
それだけでは飽き足らず十五歳の時に福井から大坂に出て福沢諭吉や
佐野常民などを輩出した適塾に入門。
緒方洪庵の下で医者の勉強をしたのちに福井に帰郷して医者として活躍しました。
しかし、適塾にいた時に習っていた蘭学にのめり込み、
さらには水戸藩の藤田東湖など著名な学者と交流して最終的には福井藩主
松平慶永の側近の蘭学者として活躍していくようになります。
しかし、安政の大獄の時に福井藩主であった松平慶永の処罰に連座して
二十六歳の若さで処刑されてしまいました。

「啓発録」
十五歳の時に「啓発録」という文章を書き上げています。
「啓発録」には、以下の 五つの項目が記されています。

一、「稚心を去る」
:自分とその運命を変えようと思うなら、結局、自分の手で何とかする
以外に方法はない。その第一歩は「稚心」、つまり「子供っぽい 心」を
捨て去ることである。
二、「気を振う」
:負けてたまるか、くじけてなるものかという負けじ魂こそが
ふる人を変えるエネルギーになる。
常にそうした心を持ち、緊張をゆるめず油断のないようにしなければいけない。
三、「志を立てる」
:夢や目標を持て。自分の心の向かうところをしっかりと決め、
一度決心したからには、その方向を目指して絶えず努力するべきである。
四、「学を勉める」
:学問を学ぶことは大切である。そして、それを世の中のたつとめに
正しく生かすこともまた大切である。
五、「交友を択ぶ」
:互いに切磋琢磨できる良き友を選ぶこと。自分を高めてくえられ、
心から尊敬でき、何かあった時に、真剣に心配してくれる友達こそ、
何よりも大切にするべきである。

左内は、十五歳という人生の節目に立てたこの誓いを守り、短い人生ながらも
素晴らしい人材として、教育や政治に大きな成果を残しました。
これら五つの項目は、現代の私たちにもそのまま当てはまるものであり、
私たちの気持ちを奮い立たせてくれます。
皆さんも、今の自分を見つめ直し、強い意志を持って邁進してください。
そしてこれからの人生を歩むときに年齢を理由に言い訳をしないようにしましょう。

アメリカの歴代大統領が就任式の演説で取り上げた
サミュエル・ウルマンの「青春」という詩を参考にしてください。

「青春」
(原作 サミュエル・ウルマン)
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞(たくま)しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑(こぎ)、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰(あたかも)も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
 
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨(せいしん)、
その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎(きんげい)、事に處(しょ)する
剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
 
 人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる
 人は自信と共に若く  恐怖と共に老ゆる
 希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる
 
大地より、神より、人より、美と喜悦(きえつ)、勇気と壮大、
そして偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
(ウルマン70歳で書いた詩です)

如何だったでしょうか?

そして「岐阜県中津川から生まれた伝説の音楽集会がありました。」
全国の若者が一同に集まり日本の夜明けを歌った音楽の祭典
「中津川フォークジャンボリー」(1969年~1971年)です。
地元の若者たちが手作りでステージを作り運営も行い、
岡林信康を筆頭に全国から多くの歌手が集まったのです。
メッセージのない歌は歌ではないと熱き若者たちが集まり、
日本における音楽の祭典の第一歩を踏み出したのです。

いま再び弱体化した日本を勇気づける為に立ち上がる時が来た。
この地から全国の若者たちに向けて熱きメッセージを送りましょう。

60年代当時の若者たち(戦後生まれた世代の代表)が、
学生運動を通じて日本の夜明け前を大人世代に遠慮することなく
大声を上げた時期である。

その頃に流行っていたこの歌を森山直太朗も歌っている。
彼もこの歌に共感を覚えて取り上げたという。

「若者たち」
ブロード・サイド・フォー

君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで

君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか あてもないのに

君の行く道は
希望へと続く空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる

フォークの神様と言われた歌手岡林信康がいました。
フォークジャンボリーでは常連の歌手です。
彼のこの歌が革命の歌のように若者たちは歌っていたのです。
当時、私も第二テントの会場で、飛び入りをしてこの歌「友よ」を歌ったのです。

岡林信康「友よ」

友よ 夜明け前の 闇の中で
友よ 戦いの炎をもやせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よこの闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある

友よ 君の涙 君の汗が
友よ むくわれる その日が来る
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある

友よ のぼりくる 朝日の中で
友よ 喜びを わかちあおう
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある

友よ 夜明け前の 闇の中で
友よ 戦いの炎をもやせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よこの闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある

私はこの音楽祭をキッカケに音楽プロデューサーになることを誓ったのです。
その夢を叶えるために英国に行き独学で学んだのです。
そして、今は「恩学」プロデューサーとして活動をしています。
人間の喜怒哀楽がいつどのようにして起こるのか、
その発露はどのようにして生まれるのか、本来求めるべきことは何かを探したのです。
人としての心根(こころね)であるべき「恩に始まり恩に終わる」を
皆様と一緒に考えて行きたいのです。

最後に「感即動」が我が門下生に贈る言葉です。
常に何かを感じたならば、すぐに行動に移してください。
クイックリー・アクションです。
人生の時間は思ったほど長くはありません。

「恩学塾」塾長稲葉瀧文


自分の都合&自然との対話




自分の都合で話を進める人が多い。
自分の都合で時間を遅らせても平気な人がいる。
自分の都合で善し悪しの価値観を決める人が多い。
自分の都合で好き嫌いを言い張る人がいる。
これらは全て幼児期の育った環境によるものが多いのです。

兄弟がいるのか一人っ子なのか親類(大人)との交流はあったのかが大切です。
幼児期に周りに人が多い場合は自然に人と付き合う礼儀を覚えます。
いわゆる我慢することを覚えた子は周りとのバランスを取ることが
出来るのです。一人っ子の場合は周りの大人が子供のわがままは「可愛い」と
甘やかすから、何もかも自分本位で判断する様になってしまうのです。

しかしそうしなければならない国もある。お隣の中国です。
中国は日本の10倍の人口が存在しているので他人より目立たなければ
存在が無視されてしまう。私が俺がと声を出して手を上げなければ
取り残されてしまうのです。自立があるというのではなく自意識が強いのです。
一人っ子政策で甘やかされて育って来たので総じて我慢なのです。
しかし巨大な我儘は世界へ脅威を与えることも事実である。

アメリカのトランプのように「アメリカン・ファースト」と叫び、
自国の繁栄のためにだけに政策が執り行われば
戦争へと発展していくことは確実である。
アメリカは大量の武器を売りつけて罪なき人々を殺しているのです。
経済を優先すると必ずそこには多くの罪なき被害者が生まれてしまいます。

もし中国の習近平が「チャイナ・ファースト」と叫んだら
世界はどうなるのでしょうか?世界一の大国がエネルギーも食料も
確保するために隣国へ侵略することは明らかです。
万が一アメリカとロシアと中国が戦えば地球は完全に消滅します。
その引き金はお調子者の北朝鮮の金正恩かもしれません。
他国へミサイルを撃ち込んだ時点で第三次世界大戦が勃発します。

この巨大国家は相手のことを思いやる、譲り合い、平等、謙遜などは
通じない国である。日本流の外交政策は国際社会では通用しません。
戦わない日本へは金銭の要求だけがますます増えて来るのです。

ここで問題なのは全てが目の前の私利私欲にとらわれている事です。
自分達にとって心地が良いか、また利益があるのかということに
とらわれて大きな視点が失われてしまっていることです。
結局は自分(国)の都合でしか判断できないのです。
小事にこだわり大局を見失っています。
常に全体を俯瞰で見るようにすれば地球規模で守るべきものは
何かが分かるはずです。

自分の都合は何事も目の前の自分に焦点を合わせます。
一度相手の立場に焦点を合わせてみることが大切です。

私たちの心は、何かをしながら心のどこかで、他のことが気になったり、
他のことが心配になったりと、ついつい別のことを考えてしまいます。
案外、一つに集中するのは、簡単のようで実は難しいことではないでしょうか。
私も何か作業をしていても、つい他のことに気を取られ、
結局中途半端になることが多々あります。

そんな時こそ「常行一直心」の教えは私たちを導いてくれるのです。 
『六祖壇経』の語録には「常行一直心」を実践することで、道はただちに
広まると示されております。『六祖壇経』より 

一つのことに、真っ直ぐな心で取り組む姿勢は、
自分と周囲を明るく導いてくれます。
ただ単に一つのことをやるのではなく、そこに「真っ直ぐな心」という、
純粋で何ものにも執着のない心が伴っていなければなりません。
そこが難しく感じますが、私たちには、それができる素晴らしい可能性を
誰もが持っているのです。
その心に触れ感じることができたなら、きっと道は切り開き、
日常が豊かになると、私は強く信じております。

職人の教えの中に「一つのことを止める」というのがあります。
正に「常行一直進」です。「正しい」の文字は一つのことを止めると書きます。

実際、日本の伝統工芸には西洋工芸にはない異質性があります。
純化されきった感、突き抜けた感、浮揚した感、超自然感…。
理屈では説明できないなんとも言えない特殊性が宿っています。

それは数学的な世界観がベースの西洋人には「何か得体のしれないもの」
として伝わっているように思います。実際、欧州に住んでいて分かるのは、
「日本」の立ち位置は、かなり特殊であるということ。
欧州人には神秘的に映っているということです。
では、どうしてそこまで違って映るのか。
哲学的に分析するなら、やはり人文知の在り方の違いではないでしょうか。

西洋知と比較して、あきらかに日本知で際立っているのは、
自然との「対話」の在り方ではないでしょうか。
日本の方が自然との距離が近い、逆に西洋は理性(アカデミズム)を介在させる。
日本知には体系化された座学はない。実践ありきである。

そして、工芸単体だけでは成立せず、生活様式の美しい在り方の追求に
捧げるためのものである。この生活様式の在り方を追求したもの、
西洋的にいうなら「美学」が、茶道、華道、書道、
そして武士道といった「道」である。

そしてこれらを統合したのが宗教であり、それは向こう側の世界に
繋がるための方法。いわゆる彼岸の世界、桃源境、真美真実の宿る世界。
超自然。が、この「向こう側」で西洋と日本では大きな違いが生じます。

自然から学んだ日本知を今一度再確認する時期かと思います。
物事を俯瞰でみるとあらゆることが見えてくるはずです。

改めて自分の都合で判断するのではなく、相手の都合で判断することを
恩学を通じて学びましょう。


音の効用




音楽としての音がある。さまざまな音楽を聞く事によって、
楽しくなったり、悲しくなったり嬉しくなったり、切なくなったり、
心の中にそれぞれの表象が現れる。
音楽としての音がある。美しい旋律と心地よいリズムと熱きメッセージは、
未来の願望であり、過去の記憶であり、現在の活力でもある。
音楽としての音がある。忘れたエピソードが音楽によって目覚めさせられる、
叶えられない恋も叶う気がしてくる、見果てぬ夢も捕まえられる気がしてくる。

音楽にはそれぞれの景色がある。視覚で捉えたイメージが記憶に残り、
その記憶は好みの音楽を聞く事によって蘇って来る。

音楽は絵画や彫刻とちがって時間芸術である。演奏者と聴衆のあいだで
常に交感をしなければ、ただの音として消えて行くだけである。
一瞬のやり取りの中に鮮やかな景色が浮かび上がり、その時に感じた心が
心象風景と重なり合うのである。

「音は心の中で音楽になる」

大好きな人と 
大好きな音楽を聞く

心を通わせながら 
ときめきの調べを聞く

星も月も太陽も 
愛の賛歌に声を合わせる

悲しい出来事に涙して 
音は勇気を与え

嬉しい出来事に微笑んで 
音は笑顔を与える

心が穏やかだと 
聞こえる音 
すべてが優しくなる

そして 音は心の中で祈りになる

また、音楽は脳や心にどのような影響を与えるかにこのような文章があります。
「文字文化を持たない社会はあるが、音楽文化を持たない社会はない」
といわれるほど、人にとって音楽は身近なものである。

音楽を聴くことで自然と気分が向上したり、リラックスしたりするという
経験は、おそらく多くの人にあるだろう。その経験からも分かるように、
音楽は人の心と身体にさまざまな影響を与える。
音楽には特定の感情を誘発させる効果や、“覚醒水準を調整する効果”が
あることが多くの実験によって確かめられている。

覚醒水準を調整する効果とは、脳や神経の覚醒水準が高いときは
それを抑え、低いときは高めるという働きである。
すなわち、過度の興奮状態であればそれを抑え、過度の落ち込み状態であれば
気分を高める効果を持つ。

音楽は音の集合体です。澄んだ音であれば澄んだ
音楽になります。自分の大好きな音が集まればそれだけでも音楽になり
脳にも心にも影響するのです。
子供の頃から大好きな人の話す声は音楽のように聞こえていた筈です。
そして大好きな人の表情は素敵な映画を見ている様だった筈です。
大好きな人と経験を共にすれば思い出が色あせても記憶にずっと残るものです。
日常の風景が全て音と繋がるのです。

「音は心の中で音楽になる」
谷口高士編著
<内容説明>
心理学の本を探せば音楽心理学のことがわかるかというと、
まずそんな項目は存在しない。それなのに、世間では「音楽心理学」とか
「音楽療法」などという言葉だけが、どこからともなく現われて
目の前にちらついている。これでは、「音楽心理学って何?」と
たずねたくなるのも無理はない。特に最近は、「音楽」と「癒(いや)し」
がセットになって頻繁にマスコミに登場している。

いったい「癒し」とは何か、音楽の何がどのように人間に効果を
もたらすのかということを曖昧にしたまま、音楽療法のなにやら
身近でとっつきやすそうなイメージだけが広まっている。
楽器を演奏できる人が、自分にも「音楽療法とやら」ができるのでは
ないかと勘違いしてしまう。

そのような、音楽を知っているが音楽心理学に対しては疑問や期待
(あるいは幻想)を抱えている人のために、本書の企画は生まれた。
もちろん、これから音楽心理学研究を始めようという人にも役立つものである。

人はどうして音楽するのか? 
音の集まりがどうして「音楽」として感じられるのか? 
音楽を聞き演奏する時に心や頭の中で何が起こっているか? 
音楽にまつわる人の認識,思考,感情のメカニズムやプロセスについて
研究する分野の本格的入門書です。
興味のある人は是非読んでみてください。

私は更に音域の周波数が脳にもたらす効用について勉強中です。
それぞれの楽器が脳に働きかけて治療効果が生まれるメカニズムを解析中です。
モーツワルトが子供の時からサバン症候群(知的障害・発達障害)と
てんかん症で苦しんでいたのをピアノ交響曲の高域の連打を弾くことによって
癒していたといいます。特にてんかんに効果があったのが
「2台のピアノのためのソナタ二長調」だと言われています。
ベートーヴェンもショパンもそれぞれ持病を抱えていたのを音のちからで
(周波数の力で)癒していたと伝記に書かれていました。

自然界の可聴範囲を超える音の波に楽器の音を加える音楽療法もあります。
その為には森の中の演奏会へ出かけるか、ハイレゾの再生機で聞くかの
方法があります。
私の知り合いの医者は治療で和太鼓の演奏を聴かせます。
和太鼓の低周波が精神を落ち着かせる作用があるので取り入れている
という事です。

音の世界はまだまだ未知の世界です。
全ての音が脳の働きを動かすスイッチのような気がします。
AIの時代通信速度が一気に加速する中で音の能力をコンピューターが
管理するとどうなるのでしょうか?

開けてはいけないパンドラの箱をすこし覗いてみることにしました。



未来予測2025年7月5日




あなたは予告を信じますか?
1人の漫画家が自身の「予知夢」で見たことを発表したら
あまりにも当たるので一時話題になりました。
しかしその後突然作者は表舞台から消えてしまったのです。

その予告の中で本当の大震災は2025年7月5日4時10分に起こると
言われています。ほぼ私の生まれた月日と時刻が同じで驚いています。
2025年7月5日、私はこの年に75~76歳となる日です。
予告の直前までの年齢が75歳で7と5まで符合している。

予告はさまざまな憶測が飛んでおり真実は定かではないが、
隕石が地球に衝突して完全に破壊されるというものです。
過去に隕石が衝突して氷河期が始まったように、
地球のあらゆる生態系が変わってしまうということです。

その突然表舞台から消えた人の名前は「たつきさん」です。
漫画家の「たつきさん」の予告はアジアのどこか(フィリッピン)
南方の海から異変(巨大地震)が起こりあらゆる国が壊滅状態になるということです。
これはさまざまなプレートに囲まれた地震大国の日本は笑い事では無い。

私もどちらかというと子供の頃から「予知夢」は、
よく見ていたので枕元にはいつも筆記用具を用意していました。
だからこの手の話は先ず疑うより信じる方なのです。
私の見た「予知夢」は地震予告や開発前のドローンやフライングスーツや
UFOに乗って宇宙人と一緒に行った宇宙旅行の話です
どちらかというと破壊の夢よりも未来に造られる創造の夢が多かった気がします。

著者の「たつき諒」氏は、1975年に「月刊プリンセス」(秋田書店)で
「郷ひろみ物語」という漫画でデビューした女性漫画家です。
その後、同誌を中心に「月刊ボニータ」などで執筆した。

「私が見た未来」は、著者が見たとされる予知夢を、
94年から98年にかけて、雑誌「ほんとにあった怖い話」
「恐怖体験」に掲載された漫画をまとめたものだ。
 
その中にはフレディー・マーキュリーやダイアナ妃の早逝、
さらには「大災害は2011年3月」と東日本大震災を予知する
記述があったことで、マニアの間では「予言の書」として話題になった。

しかも著者のたつき氏が、「私が見た未来」を最後に、突然、漫画家を
引退したことで様々な憶測が広がり、プレミアム本として人気沸騰。
長年、入手困難な状態が続いていた。

富士山噴火の予言は幸いにして外れたものの、現在発売されている
「完全版」には「本当の大災難は2025年7月にやってくる」との
記述があることから、サブカル・マニアを中心に、人気が再燃しているという。
 
2025年7月に起こるという大惨事についての詳細な説明は控えますが、
端的に言えば「日本の南方の海でなんらかの異変が発生し、その影響で
東日本大震災より大きい被害に見舞われる」というものです。
 
数々の予言を的中させてきた、たつき氏の「予知夢」。
今度ばかりは、予言がハズレることを願うばかりである。

これを悪魔の囁きと取るか、神からの予告と取るかはあなた次第です。
「流言飛語」、根拠のない情報。都市伝説的な的な話です。
お酒の席の話として盛り上がるのは良いですが、大勢の人の前で、
真顔で話すのは絶対やめてくださいね。

そういえば今年話題になった本「今日誰のために生きる」の
作者SHOGENショウゲンも同じことを言っていた。
上記の漫画家たつき氏に影響されて言ったのではなく、
以前から、そのことを周りの人たちには伝えていたという。
2025年7月5日の大災害説です。
Youtubeの中の番組でも明言していました。

本日新たに2025年7月に地球上のエネルギーの変換期に入るという
情報が友人から送られてきました。
地球上のエネルギーがすでに枯渇されているので、
新たなエネルギーが生まれる必要がある。
地球上の80億人の人々の暮らしを守るために
すでにどうするかが研究されている。
自然エネルギーに頼らない超音波の世界である。

例えば、5G⇒7Gに変わると劇的に通信環境が変わるので、
あらゆるモバイルが手で打つ状態から
意識の中で操作が行われる時代になる。
その時に超音波の電波が身体を通過した時に
人の感覚がどう変わるかも既に研究されているという。

立体音響(音波)による人の意識の変化は産業革命を上回る革命になる。
音の環境であらゆる満足感が得られれば、
必要以上に物に執着することもなく争うことが無くなるのである。
人々のイライラした感情が無くなれば最終地点は世界平和である。

我々は専門家の様に科学による未来予測は出来ないが
来年の7月5日には結果を体験する被験者になることになる。
これを信じるか信じないかはあなた次第です。


大人の決めつけ




君たちは将来結婚して家族を持つことになる。
子供が生まれて地域社会の連携を図らなければ日本は成り立たない。
この言葉に違和感を覚えませんか?これが日本の指導者の大間違いです。
LGBTの意味が理解していないことを暴露しているようなものです。
同性婚、子供が産めない、子供を必要としない人たちを、認めるための法案を
受け入れながら無視している大人が大勢いるのです。
いつも表面だけ理解している風を装い、その実は昔の考えのままです。
これが日本のダメな点です。一向に進化しません。
本音と建前の二枚舌です。同調主義の典型です。

君たちは何も心配なく食事ができて幸せだね。
世界には食事のできない子供も大勢いるのだからと
言われたら、今の若者は「ドン引き」するのを大人は知らなさすぎです。
大人が勝手に良かれと思っていることをお仕着せのように
自慢されると、その時点で意識の断絶が起こることが考えられないのです。
自分達のクラスに給食費を払えない貧困児童がいて
子供食堂に通っている現状を知っています。
大人がこんな世の中にして「君たちは幸せだ」と平気で言うことを
腹の底では笑っているのです。子供達は怒りを面に出しませんが怒っています。

親たちは子供に良かれと思い塾や習い事を半ば強制的に行っています。
本来は子供を突き放して辛い思いをさせるのが親の役目です。
その役割を果たさいということは完全に育児放棄をしていることと同じです。
遊びたい年頃に遊びを奪うと情緒が欠落して自己判断が出来なくなります。
それ以上に創造力の楽しみを奪ってしまうと未来を描くことが出来ません。
社会に出てから悩むのはあなたの子供達です。

この国がダメになったのはそんな勘違いの大人ばかりになったことです。
平和とはみんなで「ぬるま湯」に入ることではなく、
世間の厳しさを体験してから初めて理解できることです。
我々は平和と言う言葉を頻繁に口に出しますが、だれも平和の定義づけを
したことが無いのです。戦争放棄が平和でないことを子供達と話し合うべきです。
我慢することを覚えさせなければ健全な人間関係も作ることが出来ないのです。

日本の教育の欠点は学力向上を目指して頑張ることだけを教えることです。
画一化した内容を誰よりも早く正確に覚えることを教えます。
教育も均一化して訓練のように教えることに何の意味があるのでしょうか?
先生もそうやって大学で教員免除を取得したので、
この点については疑問を持たないのでしょうか。
残念ですがこの教育ではデジタル社会AI時代には役に立ちません。

教えて育てることが教育の基本ですが、
ここには個性が完全に無視されています。
時代が変わっても子供の心は変わらないと思っているのでしょうか?
子どもたちの脳は日進月歩、価値観や感性が変わっているのです。
アナログの時代とデジタルの時代では判断がまったく違うのです。
子どもたちの心の変化に対応できないのは教育ではありません。

子供達は既に2050年問題を知っているのです。
日本の人口が半分になり全国の896の市町村が無くなることを
うっすらと感じているのです。
東京の一部の地域では既に中国人街(池袋)と印度人街(葛西)が
出現しています。地方に行けばフィリッピン人もベトナム人も大勢います。
昔、家族で群馬県の伊香保温泉へ行った時にホテルの従業員が
全員ブラジル人だったので驚きましたが、今や都内のコンビニの店員は
ほとんどがアジア系の外国人の方です。

この国は将来外国の労働者に頼らなければ国としては成り立たなくなるのです。
その上に定住者の海外の人に参政権を与えることになるとしたら、
今の英国の様に首相もロンドン市長もインド人になってしまうのです。
別にインド人が悪いとか差別で行っているわけではありません。

日本の様に小さな島国では人口が減ったとしても、最低70%は日本人で
議席を占めて欲しいのです。
日本独特の伝統文化が守られなくなってしまいます。
その上に他国には無い独特の言語や歴史が失われてしまうのです。

大人の決めつけで世の中が回っています。
民主義国家なのに右へ倣えの社会主義のようです。
日本は平和国家で自由主義の安全安心な国です。
この嘘の神話が崩れ始めています。

育児放棄した親は乳母車に乗せた幼児が携帯電話で遊んでいるのを見て、
デジタルネイティブだと喜んでいるのです。
子どもたちはデジタルネイティブではなくデジタルスレーブなのです。
このような子はAIの奴隷になり操られてしまいます。

人間がAIに対応できるのは未来への創造力です。
データに記録されていない未来です。
デジタルの欠点は無駄が無いという事です。
クリエイティブは無駄から生まれて来るのです。
その無駄を取り除くと無機質な便利な商品ばかりになります。
アルミ製品やプラスティック商品に愛着がわかないのは無機質だからです。

これからはAIを使いこなす能力は誰でもが知っている能力で特別ではありません。
モバイルを使えない大人が感心して子供を褒めると笑われますよ。
さてこれからの大人の役割は何になるのでしょうか?
決して昔の価値観で決めつけないようにしてください。


適量を知る(愛のハンマー)




自分の欲を知るところから自分の適量を知ることになります。
常識と言われる知識ばかりに頼ると自分の適量を知ることが出来ません。
学びも仕事も生活も恋愛も誰かの基準に合わせるのではなく、
自分の基準を持たなければ適量を判断することは出来ません。

例えば薬を飲む時に大人3錠、小学生以下は1錠という表示に
違和感を覚えたことはありませんか?
大きな身体の大人と小さな身体の大人は、大人という括りで
本当にいいのでしょうか?
子供も元気な子供と病弱な子供も一括りにして良いのでしょうか?
大人より大きな子供たちも増えているのに、
子供ということで同じ1錠で良いのでしょうか?

私はいつも政府が発表する「高齢者」という言葉にも違和感を覚えています。
元気な高齢者、体が不自由な高齢者、寝たきりの高齢者、金持ちの高齢者、
貧乏な高齢者も一括りになっているということです。
高齢者の安心と安全と豊かな残りの人生の為に何何しますという発表に
寒気が走ります。どの高齢者へ向けて発表しているのか意味がわかりません。

誰もが警戒心を無くして他人の言うことを鵜呑みにしてしまっています。
私の弟子がいつも飲み物にケイ素の液を垂らしているのを見て聞きました。
「何のためにそれを飲むのか?」答えはワクチンの副作用が軽減されるからだ
というのです。日本で一番学力の高い大学を卒業した人間でも騙されるのです。
遺伝子組み換えをされた細胞を外から何かを加えても何も変わりません。
それなら免疫力を上げることに専念すれば良いのに、研究者から勧められたから
飲んでいるという。

私と彼は過去に2回コロナに罹患しています。
彼は一回目の時に重篤な状態で入院をしています。
その為にもう二度と罹患したくないという恐怖に縛られた結果、
ケイ素を飲むことが正しいと脳に植え付けてしまったのです。

サーカス団の象の話
大きな象がロープに縛られて自由を奪われています。
しかしよく見ると足のロープは布製の細いロープで大きな象が本気になれば
簡単にちぎれてしまうほどです。飼育員に何故この象はロープを切って
逃げ出さないのだと聞いたらこんな答えが返ってきました。
「象が小さい時にロープを切って逃げ出そうとしたのだが、
力が無く逃げ出せなかった。それ以来諦めて同じ行為はしなくなった。
だから小象の時の記憶に縛られているのさ」

人も同じ様に一回の失敗がトラウマになって、苦手意識に縛られてしまいます。
何故そのロープを切って逃げ出そうとしないのでしょうか?
トーマスエジソンの言葉にこの様な金言があります。
「私の成功は一万回の失敗から生まれた」そう失敗は成功を生むのです。
エジソンは何度もロープを切っているうちに
ロープに縛られるのが気になら無くなったのです。

きこりの話
6時間の時間をかけて一本の木を倒すきこりと、4時間かけてノコギリを研いで
1時間で木を倒すきこりはどちらが正しいか?
雇い主は何も考えずに黙々と汗をかきながら木を倒す方を奨励する。
次の日も次の日も同じ作業をさせる方が森を開拓するのに都合が良いからである。
効率よく1時間で木を倒す方だと、作業のあまりの時間で
きこりを辞めることばかり考えてしまう恐れがあるからです。

人の適量は人の意識から生まれるとするとAIが参加した途端に
適量計算が難しくなる。分量は身体と密接な関係があり人それぞれだからである。

食品添加物も遺伝子組み換え食品も防腐剤入りの野菜も
仕方なく食べているのだが、大人はそれなりに免疫力があるのでいいのだが、
子供は様々な病気の誘発を受けることになる。

ここで私の作詞した「愛のハンマー」を紹介します。
私は作詞家として登録がしてあり「レコード大賞」も受賞しています。

「愛のハンマー」
大サビ
打ち砕けその脳天を
打ち砕けそのハートを
打ち砕けその脊髄を
打ち砕けその指先を
もう立ち上がれないほど
僕の身体に叩きつけろ

Aメロ
言葉のナイフで弱い心を突き刺して来る
僕の感情の痛みを容赦なく突き刺して来る
優しさが欲しい時にでもお構いなしに突き刺して来る

Bメロ
ママ僕は言葉で友を殺めてしまった
ママ一番大切な人を殺めてしまった
ママその愛のハンマーで僕を殴りつけて欲しい
今は僕を抱きしめないで僕を突き放して欲しい

Cメロ
人は偽りの愛を求めて冒険を諦める
嘘だらけの愛に溺れて自分を見失う
快楽の湖で溺死を望んでいる
ヴィトゲンシュタインの言葉に騙される
政治家どもの嘘に騙されるな

Dメロ
Japan Calling Japan Calling Japan Calling
環境問題を叫ぶ奴らは原発の汚染水を垂れ流しに目を瞑(つぶ)る
貧しい奴らが身体を売って自殺するLGBTどころじゃ無い
おかしな奴らを守る為にジェンダーフリーを掲げてる
地震で破壊された村を守れない弱腰の役人たちよ
今警告の鐘が鳴り響くこの国は終わったとリンドンドン

A1メロ
国連も戦争を止められない能書だけのスーツ族
WHOワクチンを打ちまくれ死体の山を築くのさ
綺麗事だらけのSDGs裏で隠れた金儲け

B1メロ
ママ僕は言葉で友を殺めてしまった
ママ一番大切な人を殺めてしまった
ママその愛のハンマーで僕を殴りつけて欲しい
今は僕を抱きしめないで僕を突き放して欲しい

C1メロ
子供達よ戸棚の奥から出て来るのさ
嵐は過ぎ去らないから逃げるのだ今すぐに
大人はもう君たちを守れないから
キルケゴールの言葉に騙されるな
大人たちの言葉に騙されるな

Dメロ
Japan Calling Japan Calling Japan Calling
貧困児童が苦しむ横でお笑いタレントが貪り食う
貧乏人を煽り立てるよ宝くじ競輪競馬のコマーシャル
税金逃れの政治家たちが国民に税金払えと騒ぎ立て
伝統芸能や職人たちを守れずクズに堕ちた日本民族
今警告の鐘が鳴り響くこの国は終わったとリンドンドン

大サビ
打ち砕けその脳天を
打ち砕けそのハートを
打ち砕けその脊髄を
打ち砕けその指先を
もう立ち上がれないほど
お前の身体を叩きつける

Shattered that brain
Shattered that heart
Shattered the spinal cord
Shattered that fingertip
I can’t stand up anymore.
I’ll beat your body.

打ち砕けその脳天を
打ち砕けそのハートを
打ち砕けその脊髄を
打ち砕けその指先を
もう立ち上がれないほど
僕の身体を叩きつけろ


自然の中にある




意識して自然は作られていない人間も同じ様に意識して作られていない。
意図的に作るものは全て自然ではない。
都会は人工物で意図的に作られた世界である。

人間の誕生も0,2ミリの卵子に偶然的に精子が入り込み奇跡の様に作られる。
土から生まれて土に帰るとは自然界にある食物を食べているからである。
人間の体はそうして作られている。だから田んぼを見ると私の体はここで
作られていると思う。人間の細胞は速い勢いで新細胞と入れ替わっている。
昨日の自分と今日の自分は同じ人間ではない。養老孟子

「馬よりすごい日本人」
明治時代、日本に招かれたお雇い外国人のエルヴィン・フォン・ベルツは、
27年にわたって日本に西洋医学を教え、医学の発展に尽くしたドイツ帝国の
医学博士です。ベルツは日光東照宮の観光を勧められ、ある日110kmの道のりを、
馬を6回乗り換えて14時間かけて行きました。ところが2度目は車夫に依頼した
ところ、なんとその車夫はたった一人で、馬より30分余分にかかっただけで
東照宮に着いてしまったのでした。

普通に考えれば、人間より馬の方が体力はあるし格段に速いはずですが、
これではまるで逆です。この体力はいったいどこから来るのだろう。
ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、「玄米のおにぎりと梅干し、
味噌大根の千切りと沢庵」という答えでした。
聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食。
もちろん肉など食べません。ベルツからみれば相当の粗食でした。

驚いたベルツは、この車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すればきっとより一層の
力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと実験を試みました。
「ベルツの実験」です。22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人に従来どおりのおにぎり
の食事、他の1人に肉の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを
走らせました。

すると肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、
3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきました。
そこで仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになったそうです。
一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けました。

当時の人力車夫は、一日に50km走るのは普通でした。ベルツの思惑は
見事に外れたのでした。彼はドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、
日本人には日本食がよいという事を確信せざるをえませんでした。
また日本女性についても、
「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」と
ベルツはもらしています。その後ベルツは日本女性を娶り、
帰国後はドイツ国民に菜食を与えたほどでした。

ベルツは無条件で西洋文化を受け入れようとしている日本政府に対し、
こんな言葉を残しています。
「もしあちらのすべてを受けようというのなら、日本人よ、おさらばだ」と。

フンザ食の実験
車夫は努力して「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」を
食べていたのでしょうか?きっとそれが当たり前の暮らしだったのでしょうね。
健康は意識して成すものではなく、無意識のうちに自然に形成される底力のような
ものです。ですが私たちは西洋料理の美味しさも知ってしまいました。
どうすることが最善なのでしょう。

以前アメリカは「がんの発症率が世界で一番」でした。
政府は医療費負担の増大の問題もさることながらその原因と解決を
至急調べるように研究機関に通達しました。
世界中を調査したところ当時日本人にはガンを発症する人がほとんどいないことに
気づきました。その為に日本の食生活を取り入れてがんの発症を抑え込んだのです。
それが今や日本人の死亡率の一位がガンです。
元気で強い日本人はアメリカとって都合が悪くその為西洋料理を推進したのです。
牛乳や肉食を奨励してそのうえ甘味類のお菓子やジュースも強制的に取り入れるよう
植え付けてしまったのです。戦後の「ギブミーチョコレート」はその象徴です。

自然界の食物は体力形成には無くてはならない物ばかりです。
それを加工して添加物や調味料を加えた食品を電子レンジで温める(放射線漬け)。
身体を悪くするすべての要素が日本の現代人の食生活です。

オーガニックレストランを49年間経営している友人から聞いた話です。

マクロビオティックの基本理念は3つ
「一物全体」(自然の恵を残さず丸ごといただくこと)
ひとつのものを丸ごと食べる、という意味です。食材そのものは、
丸ごとでバランスがとれており、穀物なら精白していない玄米、
野菜なら皮や葉にも栄養があり、
全てを摂ることでからだのバランスがとれるという考え方です。

「身土不二」(暮らす土地の旬のものを食べること
人間も植物も生まれた環境と一体という意味です。例えば、熱帯地域でとれる
フルーツには体内の熱を下げる働き、寒い地域でとれる野菜には体内を温める
働きがあり、四季のある日本では、季節ごとの旬の食材をとることで、
からだのバランスがとれるという考え方です。

「陰陽調和」(食材、調理法を陰陽に分け、そのバランスをとること)
すべてのものに「陰」と「陽」がある、という考え方があります。陰性の食材とは
上に向かってのび、からだを冷やす作用があり、陽性の食材とは地中に向かってのび、
からだを温める作用があると考えられています。
旬の食材を例にすると、夏のキュウリ(陰性)は、ほてったからだから熱をとり、
冬のゴボウ(陽性)は、冷えたからだを温め、わたしたちのからだのバランスをとる
手助けをしてくれます。マクロビオティックではこの陰性と陽性のバランスがとれた
状態(中庸)を大切としています。

ベルツはドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、
日本人には日本食が良いという事を確信しました。
それにもかかわらず、明治政府の指導者たちはベルツの「日本人には日本食」という
研究結果よりも、フォイトの「体を大きくする栄養学」の方を選んでしまったのです。
時は流れ、戦後に食の欧米化がさらに進んだことはご存知のとおりです。

「健全なる精神は、健全な身体に宿る」と言われます。
私たちは自然界からの贈り物を享受できる国なのです。

自然の中に強く生きるヒントが隠されています。


終わってから始まる




全てが終わってから始まる世界がある。
オカルトの世界ではなく現実の世界である。
我々は終わりのある世界で常に再生しているのである。

死に際に「ハイサヨナラごきげんよう」と言って終わりを迎えたい。
人生いくら悩んでも最後にはこの言葉しかない。
「ありがとうまた会いましょう」

だから高潔でありたい。
自分に対して忠実でありたい。
誰の人生でもない。自分の人生だから。

青春時代は悩みと友達になるしかない。
悩みのない人間なんていないのだから開き直るべきである。
吉田拓郎とはアルバム「今はまだ人生を語らず」のレコーディングで
ご一緒しました。そして深夜番組中に突然の離婚発表で大騒ぎになった時に、
吉田拓郎と一緒に報道陣の波を抜けて脱出したのが良き思い出です。

「私は今日まで生きてみました」
歌:吉田拓郎
作詞:吉田拓郎
作曲:吉田拓郎
私は今日まで 生きてみました
時には誰かの 力を借りて
時には誰かに しがみついて※
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています明日からも
こうして生きて行くだろうと※

私は今日まで 生きてみました
時には誰かを あざ笑って
時には誰かに おびやかされて(※くり返し)
私は今日まで 生きてみました
時には誰かに 裏切られて
時には誰かと 手をとり合って(※くり返し)
私には 私の生き方がある
それは おそらく自分というものを
知るところから 始まるものでしょう

けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きて行く
明日からの そんな私です
私は今日まで 生きてみました
私は今日まで 生きてみました
私は今日まで 生きてみました(※くり返し)

ある演奏家の回想
お前が小澤征爾先生から何を言われたかでは無く、
お前がその言葉をどう受け止めたかが大切だ。
小澤征爾先生もそこを気づいて欲しいと思っている。

小澤征爾の手の中にオーケストラのすべての音が集まる。
彼は指揮しているというより音を操る魔術師だ。
一瞬目が合った瞬間にソリストは自分の使命を思い出す。
この場面で最高の音を出すことに命を懸ける。

ルーシー・リューが、エンターテイメントやスポーツ、
ビジネスの世界で活躍するアジア・太平洋初頭系アメリカ人を称える
ゴールド・ハウスからゴールド・レジェンド賞を授与された。

5月11日(現地時間)にロサンゼルスで開催された2024ゴールド・ガラにて
レジーナ・キングから賞を手渡された
彼女は、ハリウッドにおけるアジア系俳優の先駆者として孤独だったと
振り返り、近年躍進しているアジア系俳優たちの活躍を喜んだ。

私が仕事を始めた30年前には、選べるほど役柄の選択肢がありませんでした。
今夜ここに立つことができ、うれしく思います。
今や我々には限界がないからです。これまで自分自身には感じられなかった
ことです。我々のコミュニティとして一丸になって、
この特別な意味を分かち合いたいと思います。
私に力を与え、ここまで押し上げてくれた皆さんと、この賞を共有します。
皆さんのおかげで、私は誇り高くなれました。

「私はずっと孤独だったように感じます。もっと家族からの励ましがあれば
よかったのにと。ほんの些細なことが、あなたの行く先や旅路に大きく
影響するからです」と語り、こう続けた。「部屋で最初の人になるのは
大変ですが、一人ぼっちなのはまた違うんです」。

そして、当初は受賞を断ったことを半ばジョーク混じりに告白する。
「この賞をいただくことを最初はお断りしました。おまえはふさわしくない
だとか、資格はないと言われた幼少期のトラウマが原因かもしれません。
ですが、このコミュニティを想い、ここに参りました」

大谷翔平も何事もなく順風満帆な人生だと思う人は多いが、
彼なりにアメリカを意識した人生計画を実行するにあたっては、
ストイックなまでにすべてが忠実である。
人に語らずとも多くの問題を乗り越えて今の地位を手に入れたと思います。
わずか20代のアジア人の青年がアメリカで評価される、
ましてやアメリカの国技とまで言われるメジャーリーグでの評価は
過去にはほとんど例のない話である。
ひと昔のアメリカであれば日本人が活躍するのを絶対に認めなかったと思います。
しかし誰もなしえなかった二刀流で次々に記録を塗り替えてしまったのです。

自分のモチベーションを閉ざさない為に取り入れた体力増強と食生活、
十分な睡眠を取り入れる為に夜遊びやアルコールは御法度。
巨額な報酬を受け取っても驕ることなく謙虚な姿に、世界中の野球ファンが
敬意を表しているのである。

通訳水谷一平氏の裏切り行為(詐欺)は大谷選手もショッを受けて眠れない夜が
度々合ったと報じられた。強運の持ち主である大谷選手は事件発覚寸前に
結婚をしていた。この人生最悪の時に陰で支えることのできる伴侶が
現れたことにもスーパースターの強運のなせる技である。

逆境に陥った時に初めて見えて来る世界がある。
失敗から学ぶことは全て「終わってから始まる」ことである。


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