絶望の先から光が見える




「五里霧中」という言葉がある。
五里のあいだにわたって
立ち込める霧
状況がつかめず
まわりが一切
見えない状態
先の見通しが立たず
困惑している様子
追い詰められて
逃げ出す場が無い
戦争で、病気で、貧困で
いわれなき迫害で
弱き民が
小動物たちが
絶望の先へ
追いやられる
微かな光を頼りに
五里霧中の中から
活路を見出すために
悩み苦しむが
その先は
きっと霧が晴れると
願いたい
「一日一言」より

「井戸に落ちたロバ」
ある農夫のロバが、枯れ井戸に落っこちた。
ロバが哀れな声で鳴き続ける間、農夫はどうしたら良いか考えをめぐらせた。
結論はこうだ。
ロバはもうかなりの歳で、この井戸はいずれ埋めなければならない井戸だ。
ロバを引っ張り上げることに、意味はない。

農夫は近所の人々全員を呼び集め、手伝いを頼んだ。
人々はショベルを手に取り、土を井戸に放り込み始めた。
初めの頃は、ロバは何が起こっているのか気付いているようで、
ひどく鳴いていた。
ところがその後 …皆が皆驚いたが… ロバは静かになった。

その後、何杯か土を放り込んでから、農夫は井戸の中を覗いてみた。
すると、驚愕(きょうがく)の光景がそこにあった。
ショベルで落とされた土がロバの背中に当たる度に
ロバは体を震わせて土を落とし
踏み固めて登っていたのである。

農夫の隣人達がショベルで土をかける度に、
ロバは土を振り落としてまた登る。
そのうちにロバはついに井戸の縁にまで達し、
嬉しそうに地面に駆け降りたのだった!

教訓:
人生はあなたの上から土を落としてくる。
土の種類は様々だ。
井戸から脱出するためには、土を振りはらい、踏み固めて登るのだ。
全てのトラブルは、踏み台であると考えよう。
休まず、あきらめなければ、どんなに深い井戸からでも脱出できる!
振りはらって登るのだ。

幸せになるための5つのルールを覚えておこう。
1. あなたの心を、憎しみから解放してあげよう。敵を許すのだ。
2. あなたの心を、不安から解放してあげよう。不安な事の大半は、
実際には起こりはしない。
3. シンプルに生きよう。そして、あなたが持っているものに感謝しよう。
4. 自分からいくらでも与えよう。
5. 人々に期待を寄せるのを控えめにしよう。
その代わり、神様にもっと期待しよう。
私たち全ての者に、神の恵みがありますように。
By: Hormuzd J Dadinath

「陰極まれば陽に転ずるまた逆も然り」

これが相対世界の真実である。
動きでしかない世界は一瞬たりとも止まることはない。
しかし脳は、部分だけを切り取って見るために事事物物に
意味価値を添えてしまう。
成功者を見ればその栄光の姿だけを切り取り、
失敗者を見ればその敗北の姿だけを切り取り、
あーだ・こーだと意味価値を添えていく。
その見方は自分自身にも向かい、過去の失敗をクヨクヨと嘆き続けるという
勿体無い時間を過ごす。

それ故、よくよく思惟を深めていくことが必要なのだ。
なぜなら、人間は放っておけば脳の癖にハマるからだ。
陰極まれば陽に転ずる、また逆も然り、それは個の力ではどうにもならない
宇宙森羅万象の理ならば、その理を引き受けていく姿勢が賢明ではなかろうか。
ニーチェがアモール・ファティ(運命愛)を語ったのは、そのことであろう。
どうにもならない運命が来る。それも一度ではなく何度も何度も、しかし
それを退けようとしたりするのではなく、能動的に引き受け尚愛してしまえ!
と言った。

人生にはどうしようもないどん底の時を耐え忍ぶ時もある。
それは人間として生きていれば避けられない運命だが、
どん底があるからこそ必ずベクトルが変わる時が訪れるのだ。
止めることなく現実を眺めよう。人生は陰陽の波を渡る冒険なのだ。

「艱難辛苦」
「艱難辛苦」は仏教でよく使われる言葉です。 由来は類語である「艱難」と
「辛苦」で、組み合わせて意味を強調しています。
「艱難」の意味は「非常な困難にあい苦しむこと、そのさま」です。
「艱」は「むずかしい」「なやみ、くるしみ」といった意味を持つ漢字です。
「辛苦」の意味は「辛い目にあって苦しむこと、そのさま」です。

戦国武将山中鹿之助は戦いに臨む前に「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
と気合を入れて戦場へと向かったのです。

山中幸盛(やまなかゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての
山陰地方の武将。尼子氏の家臣。通称は鹿介(しかのすけ)。
巷間では山中鹿介の名でよく知られる。
幼名は甚次郎(じんじろう)。尼子三傑の1人。
優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。
尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名。

私も困った時には井戸の底へ落ちるタイプです。
自分の経験ないことに恐怖を持たないようにしています。
たとえ罵詈雑言の砂をかけられても背中で振り払い何度も地上へ駆け上がります。


世界がもし100人の村だったら




言葉の勉強会を開催しています。
音楽プロデューサーが考える言葉の使い方。
学術的に攻めるのではなく感性で攻める方法を教えています。
現代人は余分な情報と知識で余分な言葉を使いすぎています。

「もしあなたが毎日100の言葉しか使えなかったら」
家族や友人との会話から始まり、ご近所の人との挨拶、
学校や仕事場で無駄話をすると、夜には言葉が10こぐらい
しか残っていません。

その時に突然電話が鳴り大好きなおばあちゃんの危篤の知らせが
届き病院で最後の言葉を交わします。
しかし残された言葉を見るともう3つしか残っていません。
「大好きだよ」「愛しているよ」「さよなら」で終わってしまいました。
その時に朝から夕方まで言葉を無駄に使っていたことを反省しても遅いのです。

これは人間関係にも当てはまります。
「世界がもし100人の村だったら」
もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。

その村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます
52人が女性です
48人が男性です 
70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教以外の人で
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者
6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません

50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています
1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、
相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、
そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは
火をみるよりあきらかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。
もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと
感じることができたなら・・・
あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。

もし、あなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの
悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・
あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または
死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・
あなたは世界の30億人の人達より恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、
寝る場所があるのなら・・・
あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った
入れ物があるなら・・・
あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・
それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の
祝福をうけるでしょう。
なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、
その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々より
ずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。
わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。

かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。

もし人生が80歳で終わるなら時間をどう使いますか?
27年間が睡眠にとられます。10年間が食事に使います。
5年間がトイレの時間です。
残り38年間で仕事とプライベートで使える時間です。
学業に励んだ16年間22歳で就職をします。30代で結婚する。
家族が出来る。毎日残された時間を日めくりでカレンダーにして
計算すると、あっという間に80年の人生が終わってしまうのです。

万が一不慮の事故に遭ったり、突然病気に成ったり、足が動かなくなったり、
認知症になったり、寝たきりになる場合もあるのです。
食事も気にせずに、夜も寝ないで、仕事ばかりで世界の大富豪になった
アップルのスティーブジョブスは癌になり死ぬ間際に言った言葉。
「もつと食事に気を使い「健康になる本」を読んでおけばよかった」

神様は全ての人に平等に時間を与えました。
人生の時間配分表を作ることをお勧めします。
毎年年齢と共に健康へのリスクは高まるのです。
10年毎に8に区切り全体を見ます。
学ぶに使う時間、仕事を始めて結婚するまでの時間、
仕事と家庭と両親の介護で使う時間、子供たちの成長を見守る時間、
仕事で責任を任される時間、定年を迎えて人生を楽しむ時間、
社会人として地域の事と国の事を考える時間、自己実現に到達する時間。

時間配分表を見ながら常に無駄な時間の使い方をしていないのか確認が必要です。


路上の人




堀田善衛を知ったのは宮崎駿さんの投稿を見た時です。
早速アマゾンで6冊購入して読むことにしました。
「バルセローナにて」「方丈記私記」「若き日の詩人たちの肖像」上下
「広場の孤独」「堀田善衛を読む」
この書籍たちはかなりの読解力が無いと読み続けるのは困難です。
そして文脈の中にある景色を頭の中に描ける人です。
ソフトノベルでは無いので若い人たちは手こずると思います。
しかしせめて大学生には読んで想像力と精神力を高めてもらいたい。
便利で役立つ手引書では無いことを最初にお伝えします。
読書好きには堪らない世界観を楽しんでみてください。

読後感想の中から選び出しました。
『路上の人』堀田善衞(徳間書店)
スタジオジブリの宮崎駿監督が最も尊敬する作家の作品として、
徳間書店から復刊されていますが、わたしが読んだのは古本で手に入れた
新潮社版になります。
冒頭から、中世ヨーロッパの路上に引きずり込んでいく筆力には脱帽です。
文化、言語も違う小さな村々が、深い森に点在するヨーロッパ。
それは森の海に浮かぶ小島のようでした。森にはオオカミやクマが跋扈する
危険な領域でした。
やがて、村々を結ぶ細い道が出来、町が発展し、小道が広くなり、
多くの人が行きかうようになっていきました。そこから物語が始まります。

主人公のヨナは、旅人の従者として生きていている40歳を過ぎる
その道のベテランです。多くの国を渡り歩き、何か国語も話すことができます。
僧侶にともすることを好んだため、ラテン語も少しわかるようで、
教会の受けもよいようでした。
従っていた異端と言われる僧が毒殺されたため、ローマから異端の調査に
派遣された騎士の従者になり旅をするストーリーとなります。
ローマカトリックの偏狭な異端審問と残虐な十字軍、迫りくるモンゴル帝国の影、
キリスト教の根本を追求していくような異端者の群れの中で、
主人公ヨナは観察者として、歩いていくのでした。

従っている騎士は、友人の僧を助けることができず、異教徒と行動を共にする
幼馴染の女性を救おうと策略を巡らせます。ヨナは補佐をしながら、
この騎士と何処までも旅をしたいと思うのでした。
中世前半のヨーロッパ、特にキリスト教の闇の深さを感じます。
同じキリスト教でありながら、考え方の違いで異端として残酷に断罪する
偏屈さは、異様に思えました。
このころのヨーロッパを路上から眺めたい人にはうってつけの本です。

「堀田善衛を読む」池澤夏樹(集英社)
本書に鹿島茂氏の「「中心なき収斂」の作家、堀田善衛」という論があり、
そこで鹿島氏が solidarité 連帯 ということを書いている。その辺りを少し
引用してみる。「フランス語に‟solidarité”(ソリダリテ)、連帯という言葉があります。
これはフランスを理解するためのキーワードです。

この‟solidarité”を求めるということは日本にはない。
これが日本という国の一つの特徴です。
フランス文学はどんなに身勝手な文学のように見えても ‟solidarité”
つまり社会というものを通して他の見ず知らずの人と、ある種の連帯を
求めていくという要素があります。
 
ところが、日本の私小説は、個人主義的というところは似ていますが、
社会の部分が決定的に欠けている。だから、日本の私小説はかなり
特異な文学になるわけです。この社会とは何かと言ったら、自分ではない他者です。
他者の中に自分を見出し、自分の中に他者を見出す。そいう視点が日本の
私小説には決定的に欠けている。」

このsolidaritéは、コミュニタリアニズム(共同体主義)とはまったく異なる
ものなのだろうと思う。リバタリアンがある局面においてはリバタリアン
同士が結びつくというような方向なのではないかと思う。

「池澤夏樹、文学全集を編む」という本の、石牟礼道子との対談で池澤氏が
自分について、「皆で一緒に何かやるというのが本当にだめなんですよ」
といっている。「チームを作るのがだめなんですね」、と。池澤氏というのは
今一つよくわからないところがある人で、眼高手低というか、いささか理論倒れの
傾向があるし、自分(あるいは自分の理論)へのこだわりが
ちょっと強すぎる感のあるひとで、それにわたくしの偏見であるが
いかにもインテリ風で、髭なども生やしているし、あまりそばにいてほしくない
タイプのひとであると感じるのだけれど、ここでいっていることは実によくわかる。

君子の交わりは「淡きこと水の如し」をよしとするはずで、
自分を君子であるというつもりはさらさらないが、べたべたとひっついている奴に
碌なのはいないとは感じる。

大岡昇平の「鉢の木会」という文章に、「「鉢の木会」の連中(神西清、中村光夫、
福田恆存、吉田健一、三島由紀夫、吉川逸治、大岡昇平)はみんな孤独である。
徒党を組むなんて、殊勝な志を持ったものは一人もいない」とあった。
わたくしには、人が一緒になにかをするということが、すぐに徒党を組むという
方向に思えてしまう。

しかし、そういう方向に話が向かうということは、
わたくしが日本人であって、日本での中間団体というと、鹿島氏にいわせれば
家の延長であり、ムラ社会を引きづっていて、機能集団とは決してならない
ということがある。
 
日本の中間団体は共同体化する、あるいは共同体化しない限り
うまく機能しないということを何とか克服しようとして堀田氏が志向しようと
したのが、フランスで solidarité といわれるような「何かであった」というのが
鹿島氏のいわんとすることなのだろうと思う。
堀田氏もとりあげたいわゆるフランス・モラリストの系譜のモンテーニュなどが
その例として取り上げられている。しかし、たとえば渡辺一夫さんのようなひとが
日本で何らか一定の影響力を持ったかといえば、そういうことはなかったように思う。

モンテーニュは決して潔癖主義的なひとではなかったということも鹿島氏は指摘し、
禁欲主義的方向の危険性ということもいうのだが(これはおそらく吉本隆明経由)、
どうも日本では(あるいは世界のどこででも?)清貧の思想にはフランス・モラリスト
路線はまず勝ち目がないのではないかと思う。
禁欲主義といえば本家本元はもちろんピュウリタニズムであって、
わたくしなどには、最近の#me too運動にも微かにピュウリタニズムの匂いを感じる。
(現在のピューリタニズムの象徴が禁煙運動であって、この運動が一定の成果を
上げた後は、矛先は、今度は飲酒に向かうはずである。) 

それでカトリーヌ・ドヌーブさんのいうことにも一理あると思ってしまう。
もっともドヌーブさんのいっているのは恋愛方面の話であるのに対し、
#me too運動はもっと即物的な方面の話なのであろう。

ごく最近では、何とかという写真家がセクハラ云々で問題になっている。
わたくしなどはまったく知らない名前だったが、一部の方面では著名な人で
あったらしい。一部の方面というのはいわゆる進歩陣営といわれる方面で、
わたくしが若い頃、進歩的文化人と呼ばれる人たちがいて随分と偉そうな
顔をしていたものだが、その人たちがシュンとしてしまったのが、
いわゆる全共闘運動の成果の一つだったのでないかと思う。

要するに進歩的文化人というのは偉そうな顔をしたいひと、人の上にたって
下のものを指導する立場にあることに快感を感じるひとが、その大勢を占めていて、
その時々で偉そうな顔をできる問題を探し当てて、そこに参加してくる
わけであるが、もとより一兵卒として働くつもりはさらさらない。

大学教授などというのにはそういう人がたくさんいて、その学説は民主的、
教室では暴君などというひとが掃いて捨てるほどいた。
鹿島氏がいう ‟solidarité” はこれとはまったく異なるものであるが、
日本にはこれは根付かないような気がする。
なにしろ日本では上下関係がわからないと対人関係がはじまらない。
それゆえの名刺交換である。

如何だったでしょうか?
これらの読後感想文を詠んだだけでも意味不明で頭が痛くなりませんか?
しかし私はここに大いなる興味の虫が湧いて出て来るのです。


自分に憧れる




子供の頃、誰かに憧れを持ったことがありますか?
経営者、政治家、スポーツ選手、映画俳優、大物歌手などですか?
私は大学の時にアメリカの歌手ボブディランに憧れました。
それまでの時代は美しい声と美しいメロディーが主流でした。
しかし突然現れたダミ声の彼が衝撃的でかっこいいと感じたのです。
そして政治的メッセージが音楽になる事を教えてもらいました。

最初に聞いた曲、「風に吹かれて」&「戦争の親玉」にはしびれました。
それからボブディランに憧れて、自作のハーモニカーホルダーを首につるし、
へたくそなギターを弾きながら大学の校庭で何度も歌いました。
あっという間に人だかりが出来て大勢の学生が私を取り囲んだのです。

1969年は学生運動が盛んな時で、学生を教室に入れないように
過激な学生によってバリケードが組まれていました。
授業を受けに来た学生は廊下や食堂に溢れ、
何をすることもなく時間をつぶしていました。
そんな暇を持て余した学生たちが私の歌を聞きに来てくれたのです。

しかし困ったのは学生運動家が自分達の集会でボブディランを歌ってくれと
頼みに来たことです。私は彼らの主張には共感したのですが行動が嫌いでした。
年老いた教授を一方的に取り囲んで断罪を迫る行為は見ていられませんでした。
そんな彼らも卒業と共に髪を切り普通のサラリーマンになったことも許せませんでした。

ある時に京都のお寺の参道でバンドの練習をしていたら、ドイツのテレビ局が
取材をしたいと言ってきました。その時の練習曲は「イムジン河」でした。
朝鮮の反戦歌です。ラジオで流れていたのを聞いてコピーをしていました。
「何故、日本はドイツと同じ戦争に負けてもこれほど経済が発展したのですか?」
という質問にわたしは「サムライスピリット」と答えた気がします。
「自分たちの誇りが相手を憎むのではなく相手を慈しむのです」と言った気がします。
同席したNHKの職員が通訳をしてくれて感動してくれました。

私が入学した関西の私立の外国語大学は裕福な家庭の子供が多く
真剣に学業を修めようとする雰囲気があまりないような感じでした。
私もこれが大学生活なのだと適当に時間を過ごしていました。
私はアメリカン・フォークソング・クラブに籍を置きコンテストや
ラジオ番組に出演して2年間は適当に過ごしていました。

しかしボブディランの歌詞に強く影響されて自分も世の中を変えようとして、
大学を3年で中退して1年間大学近くの工事現場でバイトをして旅費を作り、
横浜から船に乗り北回りの安いチケットでロンドンにたどり着きました。
しかし英国の入国審査で入国拒否にあい苦肉の策で持っていた尺八を吹いて、
一か月だけの滞在VSAを頂きました。強制送還ギリギリでセーフです。

ロンドンに着いたその日に英会話の学校に入学の手続きをして、
(これは学生書を発行してもらうため海外の若者が必ず使う方法です)
それから朝食付きの短期アパート(フラット)B&Bを見つけ一息つきました。
次の日からレストランを何軒も周りバイト先を探したのです。
その途中で見た名門のデパートハロッズにも面接に行きました。
しかし労働VISAを持っていないために採用はされませんでした。

毎日レストランの裏口に回り「Give me job」を言い続けました。
そして採用されたレストランで皿洗いをして生活費を稼ぎながら、休みの日は
ロンドンの地下鉄の通路で歌ったのです。ギターも未熟で歌も下手なのに
「時代が変わる」&「天国の扉」を披露したのです。
ほとんどの人が目もくれずに通り過ぎましたが、
なかにはギターケースに小銭を投げ入れてくれる人も大勢いました。
そのお金でロンドン名物の「フィッシュ&チップス」を帰りながら食べたのです。
無謀な挑戦でしたが恐れるものは何もありませんでした。

帰国後ボブディランが所属するレコード会社CBSSONYに就職しました。
電話一本で乗り込みアルバイトから半年足らずで正社員になったのです。
後にも先にもお前みたいなやつは初めてだと笑われました。
私はいつもボブディランの「Don’t think twice it’s all right」(くよくよするな)
精神です。悩む時間があれば挑戦しろ!失敗してもくよくよするな!
バイト期間中に人の3倍は働き、夜はレコードのプロモーションにも出かけて
「イチゴ白書をもう一度」を大ヒットに繋げました。
予想通り本社から採用するからと声がかかり入社になったのです。

当初、洋楽部門から声がかかったのですがボブディランに会えるのかと
聞いたら会えないと分かり、邦楽のプロデューサーになることを決心しました。
そして数年も経たずにヒットプロデューサーになることが出来ました。
売れないと言われた気難しいアーティストを担当したおかげです。
プロデューサーは売れないからこそ売れるようにするのが仕事です。
その頃はプロデューサーの定義が無く誰も目指していなかったので
私は勝手に「一流のプロデューサー稲葉」と名乗っていたのです。笑い

あれから40数年が経ちましたが今でも現役です。
50歳を過ぎたロックアーティストのプロデュースをしています。
一般的に年齢を重ねると若い時ほど憧れは無くなります。
色々な人生経験をして単純な憧れよりも現実の方が大事になり
つかみどころのない夢よりも現実のお金と健康が気になるせいでしょうか?
私はそれでも年齢に関係なく夢と希望と情熱を持ち続けています。

私はナルシストではないのですが日本で最初のプロデューサーを定義したので
仕事も遊びもスタイリッシュでありたいと願ったのです。
一流のプロデューサーになるために猛烈に働き、世界中を駆け巡り
沢山のヒット曲を作る仕事をしてきました。
どんな時にでも音楽プロデューサーとしてのスタイルは崩しませんでした。
その為の個人投資に多額の資金を使いました。家族にはおおきな迷惑を掛けました。

私の役目はヒットを作るのが仕事です。自分勝手な思い込みで作品に
難癖つける事もあります。その為に何度も録音のやりなおしの作業をしました。
これには原盤会社(制作費を出す会社)も頭を痛めていました。しかし
作品がヒットするので面と向かって誰からもクレームを受けたことはありません。

現在、76歳になり年相応の活動をしています。
今まで日本にはいなかった老人スタイルを作っています。
若者たちの悩みを聞きながら全面的にサポートをしています。
なによりもこの年齢になってもアーティストが頼りにしてくれます。
嬉しい限りです。一生情熱と才能が枯れない老人を目指しています。

皆様も他人に憧れを持つのではなく自分に憧れを持ってください。
自分の人生は自分の物語で最後まで埋めたくありませんか?
世界にたった1人の自分を愛してください。
徹底的に愛する事です。他人を愛することから切り替えてください。
自分に憧れてください。


三者火宅の教え




私はこの教えを友人から寄贈された「法華経の新しい解釈」で知った。
今回は基本的な宗教の捉え方を「日本人の宗教観」と合わせて考えたい。

「妙法蓮華経の持久走 法華七諭」
法華七諭とは、妙法蓮華経に説かれる七つの譬え話で、妙法蓮華経の理解を促します。
三車火宅の譬えは妙法蓮華経譬諭品第三に説かれます。
お釈迦さまが、舎利弗尊者に説かれます。

子供がたくさんいる長者がいました。家が火事になり、長者は逃げ出せましたが、
子供たちは燃える家の中で遊んでいます。長者は火事から逃げるよう言いますが、
子供たちは遊びに夢中なのと、火事の恐ろしさを知らずに家から出てきません。 
そこで長者は子供たちが欲しがっていた、羊が引く宝で飾られた車、鹿が引く宝の車、
牛が引く宝の車を用意したから、家から出てきなさいと言いました。
すると子供たちは火事の家から出てくることができました。
子供たちが宝の車をねだると、子供たちの予想を超える、真っ白な大きな牛の引く
宝の車が子供たちに与えられました。
 
この諭では、長者がお釈迦さま、子供が舎利弗尊者をはじめとする弟子たちに
あたります。お釈迦さまにとって人々は、火事の中で遊ぶ子供のようなのです。
人々を導きたいのですが、火事の中の子供のように耳を貸しません。
そこで、お釈迦さまは、人々が望む教えを説きます。
その教えは初心の修行者のものであったり、高等な教えであったりし、
この教えは羊車、鹿車、牛車にあたります。喜んで人々は弟子となり、
おのおのが望む修行をしていましたが、お釈迦さまが、本当に伝えたかったのは
妙法蓮華経であり、真っ白な大きな牛の引く宝の車が妙法蓮華経にあたります。

空海の教え
「損すれど盈(み)を招く」とは、
一見報われなくても誠実な心は、
やがて人との関係に豊かさをもたらすという教えです。
盈(み)は満たす・満ちるなどの意味を持つ

仏教では大日如来が真言宗では、大宇宙の数え切れない仏の中の最高の仏とされ、
大宇宙そのものとか、森羅万象がおさまっているともいわれます。
これらの「法界身」が大日如来のことで、「法界」とは、大宇宙のことですから、
大日如来は、大宇宙そのもので、他の諸仏菩薩の中心と言われたりします。
大日如来が最高仏だという人は、実はこれらを根拠に、大日如来を最高の仏として
いるのです。

神道では「森羅万象のなかにこそ神々が宿る」と解釈しています。
これは「八百万の神々(やおよろずのかみがみ。八百万の神とも)」の考え方に
沿ったものであり、アミニズム(霊魂主義。自然のなかに神々が宿るとする考え)
ともつながるものといえます。
神道におけるこの「森羅万象」という言葉の解釈は、日本古来の宗教観に
近しいものだといえるでしょう。「お米にはたくさんの神様が宿っているから、
丁寧に食べなければだめだ」と教育された人も多いと思われますが、
これは神道の「森羅万象に神々が宿る」という価値観によるものだと推測されます。

また神道においては、「神々はもともと、ご神体を持たない。
しかし清らかな事物に宿ることで、人にその存在をアピールしてきた」
と考えています。
神道における「祭り」は、この「森羅万象に宿る目には見えない神々」を、
居住まいを正してお迎えしようというところからきています。

キリスト教では「森羅万象は、すべて神によって造られた」と考える。
そしてその森羅万象は、自らの親である神の意志の通りに動くものであるとしています。

森羅万象と神の関係は、神>森羅万象であり、森羅万象は決して神を超えることはありません。

「森羅万象を解き明かすことなど絶対にできないと受け入れることが
『信仰』である」ともしています。
キリスト教では、「森羅万象を解明しようとすることには意味があるが、
どれだけ取り組んだとしても森羅万象のすべてを解き明かすことはできない。
また少しだけ解明されたとしても、結局はもっと大きな暗闇のなかにいることに
気づかされるだろう。しかしこの『大きな暗闇』にぶつかったとしても、
森羅万象を司る神は我々人間を導いてくれるのではないか」としています。

「陰陽五行説」
宇宙、天の営みには偏りがなく、日月星辰は規則正しく運行し、春夏秋冬が
移り変わり、生命を生かす根源の水が木を育て、木が燃えて灰となり、
燃えた灰が土となり、土中から金である鉱物が産出し、金は水を生みます。
そこには互いを生かす連鎖があります。万物を分け隔てなく育み生かす意思があり、
それが「道(タオ」の心なのです。大切な真理を失わず「命」を陽として生きること。

「命」が「陽の人であるということは、宇宙の法則と調和することにつながり、
「道(タオ)とひとつになるということ」なのです。

地位や名誉、金銭は自分のためだけのものではなく、「他」を生かし、
「自分」もともに生かし合うものである。これを忘れず陽の意識を連鎖させて
吉の流れを作り、自他ともに繁栄する。この意識を持つことが「宇宙の徳」と
調和することなのです。

「魂」とは
意識→信念→心→魂→悟り
「宗教」には、「魂」と「神」がつきものである
近代の我々が宗教に抵抗を感じるのは、この魂と神に対してである。
科学ではその存在を証明できないからである。どうも無いらしい。
ではないのか。無いものを無いと証明することは難しい。
それに魂・神は、科学・理性の取扱範囲外のものである。
だから存在の証明はできていないし、同時に否定もしきれてはいない。
だから宗教を否定する時には、そんなものは存在しないと思うし、
宗教を肯定する時には、否定できていないから存在するのだと言う。
人は誰でもこの両方の間で揺れ動く。どちらかに決着を付けてすっきりしたいが、
これは決着の付けようがない。それが人間である。
 
すでに述べたように、理性・科学が人間の全てではない。
人間は、科学・理性を越えている。
だから人間の「宗教心」からすれば、「魂」の存在が証明できるか
できないかなど関係ない。科学ともほとんど関係はない。
「魂」は人間を越えたものである。邪悪な魂も考えられるが、
ふつう「神聖」なものである。そしてそれは「神」に通ずる。
我々は死者に掌を合わせている。それはその神聖なものに掌を合わせ、
拝んでいるのである。
 
あるかないか分からないのに、それをありがたがって拝む。
それは人間が蒙昧さなのか。むしろそれは、人間の心の不思議さ、
深さではないか。
この心を人間から無くしてしまったら、人間の最も大事なものが
失われるのではないか。人間の崇高さはなくなってしまう。
それは人間だけに与えられた不思議な能力である。
だから人は、魂や神を認め、それを拝む。

魂や神は、人間だけに認められるものではない。太陽や月、山や巨木、
その他いろいろなものに対しても、何か精神的な神聖さを感じ、拝もうとする。
それがむしろ人間の素朴で自然な心ではないか。
西洋一神教の影響で考えてはいけない。一神教が高級でも何でもない。
一神教には無理がある。だから不寛容で、他を破壊しようとする。
自然な宗教にはそれがない。
 
例えば「針供養」がある。使い古した針を、お世話になりました、と豆腐に刺して
供養をする。
あなたは針供養教の信者ですか、針が成仏しますか、等と言う人はいない。
非科学的でも、迷妄でもない。ほほ笑ましい心ではないか。
一神教ではこんなことはできないから気の毒である。

富士山や大峰山を拝んでいる人がいる。この人は富士山教の信者でも大峰教の
信者でもない。ご本尊は何ですか、教義はどうですか、等と言う人もいない。
その教えを「信じるか」「信じないか」等と決断を迫られたら、
日本人ならみんな逃げ出すだろう。
 
だから日本人は「私は無宗教です」と言うが、それは「宗教心がない」
ということではない。これを海外の人に伝えるのは難しい。
私は問われるたびに返答に困った。


西洋精神




西洋精神の土台は「神」
医師長岡美妃の考え
(素晴らしい内容ですので皆様にご紹介します)

これは東洋に生きている人間からすると想像できないほどの
揺るぎない概念として根付いていることを知る。
西洋哲学とは、この「神」概念を超えようとする挑戦のように見えなくもない。
近代哲学の祖と言われるデカルトも、また現代にも多大な影響を
与えているカントも「神」の要請をした。

そしてカントは「神」の存在論証を次の4つで分類した。
1. 目的論的証明(自然神学的証明):世界が規則的かつ精巧なのは、
神が世界を作ったからだ。
2. 本体論的証明(存在論的証明):「存在する」という属性を
最大限に持ったものが神だ。
3. 宇宙論的証明:因果律に従って原因の、原因の、原因の・・・と
遡っていくと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
4. 道徳論的証明:道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。
つまり、物自体、絶対精神などと言葉の変換はあるが、
やはりそこに人智を超えた存在をみている。

その後、ニーチェは「神は死んだ」と言い放ったものの、
それを代行する思考土台を提唱できず、ある意味中途半端な概念破壊に留まった。

現代は西洋文明が引っ張っている時代である。
東洋は西洋に追従し、知らず知らずに西洋の思考方式を絶対として考えている。
合理主義、民主主義、物質主義が正しく、それに即わない考えはおかしいと
一笑に付す。しかしどうだろうか・・・東洋、特に日本においては
一神の神を全面的に受け入れている人は多くないのではなかろうか。
西洋が、特にアメリカが言うならば、それも良しだね。という具合の人も
かなりのいるのではなかろうか。
(ここで断っておくが「神」がいる・いない、の議論をしているのではない。
時代精神の主軸はどうなっているのかの話である。)

西洋哲学をみていて思うのだが、「神」に至った途端に
思考停止になるように感じる。
天才的な思惟を積み重ねてきて最後の最後「神」で括る。
またはヴィドゲンシュタインのようにそこには触れないというスタンスを取る。
ということは、コインの表(現実世界)から裏(神)に至ったらおしまい!である。
だから「人間とは何者か?」「この現実とは何か?」という
コインの裏から表の仕組みには至らない。
そしてこれが現実の悲惨さ残酷さを生み出している元凶なのだ。

現実とは何かがわかった時、人間の心にある不足感は雲散霧消する。
人間とは何かが誰もがわかった時、人間の世界に争いは無用となる。

・・・世界にある様々な危機問題の根本はここにある。
人類は今、「神」の概念すなわち「有」の概念を完全に超え、
新しい「動き」の概念を共通土台として持つに至る必要がある。
そしてそれをリードするのは東洋であり、その中でも「動き(心)」を
実生活に応用活用した武士道のある日本であることは間違いない。
日本の勇気、それが問われているのだと感じる今日この頃である。

22歳の若者と話していた。
「何をしたらいいのか分からない。」途方に暮れた顔をしていた。
とりあえず手っ取り早くお金を稼いで、東京ドームのVIPルームを借り切って云々…。
私は問う「それやってどうするの?」と。
「そうなんすよ。だから何?って感じです…
でも何をしたらいいのか分からないです。マジで」

私はそこでサルトルの言葉を思い出す。「人間は自由の刑に処せられている」
封建社会の時は生まれた時からやるべきことが決められていた。
だから迷うことはなく、豆腐屋は豆腐屋に、武士は武士に、大名は大名に。
それぞれのポジションを全うすることだけを肝に銘じて生きればよかった。
しかし現代は、人間は平等になり横一列に並ばされた。そこには親子の序列も、
先生・生徒の序列も、目上の人を敬うということもなくなった。
そう、ポジションなき自由を与えられたのだ。

しかしそれによって失われたものもある。それは何かと言うと、
敢えて不自由の中に身を投じるという自由さである。
人間の本質は無限の自由である。
しかしその自由には歓喜の爆発という演出はない。
ただただ続く無限の自由。だから本質は敢えて不自由を創ったのだ。
究極の不自由さの中にあるエクスタシー。サムライの忠義とは義務ではない。
それは能動的な明け渡し、自我の放棄。それこそが真の自由。

家庭も学校も自由平等を旗印に歩んできた戦後教育。あれから80年経った今、
若者たちは壊れた羅針盤のようになっている。
人間とは何者なのか?生きるとは何か?…その本質的な問いを持ち、
その答えを持って生きさせなければ大変な時代になっていく。
若者との会話からそんな危機感を感じた1日だった。

山鹿素行の「中朝事実」を知る。
吉田松陰、乃木希典が読み込んだとされる「中朝事実」である。
明治維新の精神はこの全2巻の著書によって貫かれていると言っても
過言ではないのではなかろうか。

日本は強かった…素直にそう思う。それは国体への仁があり、
天皇への忠があり、己のポジションへの義があったからであろう。
しかしそれだけではなく、日本という国は超現実主義で、
武は神武不殺をうたっていた。

神武不殺とは、「武の真髄は殺すにあらず、先に攻撃するのではなく、
相手の出方にどう対処するかに練磨の主体をおく、
相手を殺傷する技術を持ちながら、できるだけ殺傷しない
日本武道の永遠の理想」である。
つまり完全に勝てる準備は怠らず、しかしそれは自分も相手も殺さない
道を行くためということ。

ことわざに「負け犬の遠吠え」というのがある。それは神武不殺とは正反対。
何の準備もせず、或いは準備を怠っていることを棚に上げ、不甲斐ない結果に
クヨクヨしている姿が透けて見える。真の強さとは、完全に勝てる道を持ちつつ
余計な戦いをしないことだ。しかしいざ戦いになれば、容赦せずに断ちにいく。

今の日本、「二度と軍事戦争はしない!」「核は持たない!」私も大賛成。
ならば、誰もが戦争不可能な状態にしてしまう(教育)戦争の完璧な
準備をしておくことが必要なのではなかろうか。

ここ1ヶ月、儒教を勉強していた。
特に新儒教と言われる「朱子学」とそのアンチテーゼとして出てきた
「陽明学」について。

陽明学は日本の最大の事件である明治維新の倒幕の志士たちが貪るように
学んだ思想哲学である。吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、など、
あれだけの行動力の根底には陽明学あり。
人間はどんな思想哲学を入れるのかによって
行動が変わることを歴史の事実を通して教えてくれる。

さて、あれから160年。そのちょうど半分のところに1945年8月15日があり、
その時日本は日本精神を自ら無きものにしたという大事件が起こっている。
それは一つに日本を日本たらしめていたもの、儒教であり、古学であり、
国学であったのだが、それらを封印したのだ。
エリート教育は悪の根源とばかりに、暗記や技術習得が教育と化し、
リーダーに必要な哲学や倫理を教えることはなくなった。
その結果…日本は日本でなくなっていったのではなかろうか。

しかし儒教が、明治維新を起こした陽明学が両手をあげて素晴らしいと
言っているのではない。やはり世界をリードする日本になるためには、
人間完成に到らせる教育とその実践が必要である。
そしてそれはnTechが担える。

今回儒教を勉強していて、朱子学と陽明学のハイブリッドがnTechのように
思えてならなかった。孔子も朱熹も王陽明も、文明のパラダイムシフトに
やって来ているな、と彼らの意思を感じていた。

長岡先生の言葉は時代の核心をついているし思考の本質である。
特に現代人は教養として本を読むことが少なくなり、
哲学者の名前も宗教の本質も理解できなくなっている。

私もこのブログ「恩学」で極力それを伝えようとしている。
私は思考のきっかけを読者に与えることが目的で始めました。
今回の長岡先生の文章から何を読み取ることかが大切です。
何度も繰り返して読んでみてください。


奇跡とは




世界最大の奇跡は日本で起こった。
1945年8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下され、両都市は、
原爆の爆発とその後の火災で壊滅し、大量の死傷者を出した。
日本は東京をはじめほとんどの主要都市が破壊されて瓦礫の街になった。
第二次世界大戦において、イギリス・アメリカ・中国・オランダの連合国に
敗北し、朝鮮半島や台湾などの領地を喪失した上に、敗北と占領下による
経済活動の荒廃や混乱を経た上でも、日本は敗北から急速に復興した。

1940年代後半に発生した食糧危機の影響により経済状況が一時悪化し、
以後経済が不安定な状況が続くが、朝鮮特需を追い風に復興が続き復興特需と
インフラの再整備、内需転換が続き占領下を脱して1年半の1953年後半ごろ
には戦前の最高水準を上回った。
1956年10月には戦後11年で経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言。
世界から奇跡の復興と注目を集めた。

奇跡(奇蹟、きせき、英:miracle)は、人間の力や自然法則を超え、
神がかり的な現象とされるできごと。
基本的に奇跡は宗教および信仰と結びついていることが多い。
そして奇跡という表現はどちらかと言うとキリスト教などを中心として
西洋宗教で用いられる用語で、それに相当するような内容を仏教や神道では
「霊験」(れいげん)と言い、たとえば「霊験あらたか」などと表現する。

「奇跡」「奇蹟」は、古典漢文に由来し、単純に珍しいことを指していた。
19世紀末の日本でmiracleの訳語に使用され、中国にも逆輸入された。
宗教において宗教学では奇跡の真偽の研究はせず、各宗教において奇跡や
霊験とされる出来事・記述を収集・分類・比較し、またそれが信徒の心理や信仰と
どのような関係があるか、などといったことなどを研究するのみである。

地球が誕生したことも人間がゴリラやチンパンジーと同種ながらも
人間だけが二足走行に進化したのも奇跡です。
僅か0,1mmの卵子に精子が入り命が宿り人間となるのも奇跡です。
水素Hと酸素Oが合わさってH2Oになり、水となることも奇跡です。
宇宙空間に太陽があり、その周りに惑星が存在している事も奇跡です。
毎朝目が覚める事が奇跡です。生きている事自体が奇跡です。
これこそ奇跡の産物です。奇跡に感謝しなければなりません。

人々はあり得ないことを奇跡と言います。
奇跡に理由は不要です。多くは努力の結果です。
しかし天変地異を揺るがすほどの出来事なら本当の奇跡というのでしょう。
日航の御巣鷹山の墜落で生き残った川上慶子さんという女の子は本当に奇跡です。
先日インドでも飛行機事故で乗客一人だけが自力で脱出したことも奇跡です。

奇跡が幸福の象徴とは思わないでください。
奇跡によって新たな悩みが起こる可能性があります。
他人は新たにさらなる奇跡を求めるからです。
多くの奇跡は努力の限界の先から生まれて来るものです。
限界の先には大きな扉がありその扉を開けた者だけに奇跡が与えられます。

スポーツの世界では前人未到の奇跡ですとよく使われる言葉です。
シドニーオリンピックで金メダルを取った高橋尚子に対しても連呼されていました。
普段の実力以上の記録が出た時に興奮したアナウンサーが言う。
努力と運が混ざり合って実力以上の成績が出たときに奇跡という。
興奮した時に出るノルアドレナリンが奇跡の元かもしれません。

アメリカ映画「パッチ・アダムス」を観たことがありますか?
父親がアメリカ軍の兵士だったため、韓国やドイツなどの駐屯地で育つ。
父親とは疎遠で、父親が亡くなったあと、教師をしていた母親と兄とともに
アメリカに帰国。学校でいじめに遭い、それから逃れるために3度入院生活
をした。18歳のときに、問題から逃げるのではなく、社会変革を起こして
立ち向かおうと決心し、退院後、クラウン(ピエロ)の格好で人々を
楽しませる活動を始めるともに、多くの書物を読みはじめる。

学生時代から金儲け優先の医療のあり方に疑問を持ち、愛とユーモアを
根底において、人に優しい医療を目指す。1964年、ジョージワシントン大学
医学部進学課程入学。(米国は一旦大学を卒業した者が医大で学ぶ。
医学部進学課程とは、その予備門。)1967年、ヴァージニア医科大学入学。
1971年に同医科大を卒業すると、ウェストバージニア州のポカホンタスに、
自分の目指す医療のできる、しかも無料で医療サービスの受けられる病院
「ゲズントハイト・インスティテュート」を設立する。

「ゲズントハイト・インスティテュート」は「お達者(お元気)で病院」といった
意味。「die Gesundheit」は元は「健康」という意味のドイツ語でまた誰かが
突然くしゃみをした時に、そばにいる人が「大丈夫?」「気をつけて」
「お大事に」といったニュアンスで声をかけてあげる時の言葉である。
英語では「God bless you」ガッドブレスユーと言います。
12年間そこで無料の診療活動を行った。
(当時はかなり奇異に思われてまったく寄付がなかった為、無料診療を
続ける為に他で働かざるをえない状況だった。)

将来新たに建設を目指している新たな「ゲズントハイト・インスティテュート」
(アメリカではクリニック)は、ウェストバージニア州に予定されており、
総合医療の全般とヘルスケアの病院になることを期待されている。
「パッチ・アダムス」は、さらに社会的な活動家でもあり、一種の民間外交官
でもあり、プロの道化師、アーティストであり、俳優でもある。
たとえば、彼は毎年世界中のボランティアたちと共にロシアに出かけて、
孤児や患者やそのほかの大勢の人たちを喜ばせたり、希望を持たせるような
チャリティ活動をしている。これこそ奇跡から生まれた実話です。
主演は名優ロビン・ウィリアムスでした。

二股な道に差し掛かる右手は舗装された道路で快適そう。
左手はでこぼこ道で何が起こるか分からない。
Googleナビは右側を選んだ。しかし何故かその日は直感に従い左側を選んだ。
しばらく険しい道を行くと海の見える小高い丘に到着した。
すると目の前に天国に続くような夕日の道筋がいっぱいに広がっていた。
そこにまさに奇跡が潜んでいた。誰も行ったことがない道を選んだから
違った体験をしたのです。他人はそれを奇跡の出会いと言います。

奇跡は予期せぬ行動から生まれることもあるのです。
予定調和の人生を歩むより冒険に満ち溢れた人生を選んでみてください。
皆様も恐れずに自分の能力を信じて前向きに生きてください。
いつかきっとおおきな奇跡に巡り合うかもしれません。


名演説




名演説とジーンズ
「名演説」出石尚三作
歴史に遺る名演説といえば、ゲッティスバーグでしょうか。 
もちろん、エイブラハム・リンカーンの。
「人民の、人民による、人民のための政治が、
この地球上から滅びることがないよう、
堅く決心することである。」

これが結びの言葉。この少し前に。
「世界は私どもがここで話すことを、ほとんど注意しないであろうし、
またながく記憶しないであろう。」

こんなふうに語ってもいるんですね。ところがそうではなかったこと、
ご存じの通り。昔、英國のある文人が言ったそうです。
「アメリカにたったひとつ美文がある。それはゲッティスバーグにおける
リンカーンの演説である。」

あまりにも有名なこの演説、ニ、三分のことであったという。
これに対して、エヴェレットの演説は、二時間。
エドワード・エヴェレット(1794~1865年)は政治家にして、
名弁論家と謳われたお方。

はじめにエヴェレット、次にリンカーンが話した。
翌日、リンカーンはエヴェレットに宛ててお礼の手紙を。
それに対するエヴェレットの返事。
「小生の二時間の演説が、閣下の五分間のお話の要点に、
少しでも近づくことができていれば、望外の光栄と存じます。」

リンカーンが写真でよく見るような、フロック・コオトを着るように
なったのは、1835年頃のことなんだそうです。
リンカーン、二十六歳ころのこと。それまでのリンカーンは、
質素な身なりで平気だったという。

麻のシャツに鹿革のズボン、麦藁帽の出で立ち。
まあ、今の時代に置き換えれば、
Tシャツにジーンズといったところでしょうか。
堂々と胸を張れる素晴らしいジーンズを穿いてみたいものです。
でも、演説はできませんがね。

私が推薦する「名演説」とは。
亡くなったスティーブ・ジョブズ氏は多くの印象的な言葉を残した。
中でも2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、
自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、
広く感動を集めた。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」。

世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。
私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも
大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、
3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

まずは、1つ目は点と点をつなげる、ということです。
私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの
1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。
私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に
出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た
人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。
ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。

こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。
「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」
と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類に
サインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては
高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると
約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。
そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。

2つ目の話は愛と敗北です。
私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックと
ともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。
それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を
超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを
発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。

私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。
これは本当にしんどい出来事でした。
1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを
失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、
台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、
このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。

しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、
やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、
この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度
挑戦しようと思えるようになったのです。

そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、
人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は
持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者に
なるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、
私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。
そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。
ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画
「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功した
アニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、
アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。
いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。
そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。
アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。
非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。

好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。
決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、
不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、
時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。
絶対に、立ち尽くしてはいけません。

3つ目の話は死についてです。
私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、
その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。
それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に
問いかけるようにしているのです。
「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、
膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。
私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがない
がんで、もっても半年だろうと告げたのです。
医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。
つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて
伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。
家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。
別れを告げなさい、と言われたのです。

あなた方の時間は限られています。
だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。
ドグマにとらわれてはいけない。
それは他人の考えに従って生きることと同じです。
他人の考えに溺れるあまり、
あなた方の内なる声がかき消されないように。
そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。
ほかのことは二の次で構わないのです。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」私自身、いつもそうありたいと思っています。
そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。
ハングリーであれ。愚か者であれ。
ありがとうございました。
スティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で
行ったスピーチ原稿の翻訳。


老人脳




あるNPO団体の役員をなされている
年配の女性の方から相談を受けました。
組織内のトラブルで困っているという事でした。

団体のトップの方も高齢の女性なのですが、
以前に比べて包容力がなくなり、
人の意見に対して反対意見を述べることが多くなった。

会員の方々からの意見や提案もことごとく反対する。
それでみんなやる気をなくしている。
ボランティアで参加しているのに作業中の笑顔を中止される。
どうすれば良いでしょうかと云う内容でした。

私からの回答はあの方はすでに「老人脳」になられているので
それを分かった上でお付き合いくださいと言いました。
若い頃と違って肉体も精神も少しのことで敏感に反応します。
長い間いろいろな経験でうまくいってないことがあふれていて
これも駄目、あれも駄目、本人としては親切心で言っているのです。
それを「若者脳」で考えてあれこれ指摘するのは間違っているのです。
役員のあなたが間に入りそれをフォローすることが大切ですよ。

高齢者とのお付き合いは一般常識で正しい悪いでは判断してはなりません。
相手の悪いところばかり言い合うから気分が低下してしまうのです。
逆に相手の良かったところを取り上げれば、ちょっとした問題も
笑って気にならなくなります。
「私たちがフォローすればいいだけじゃないか」
と気持ちを切り替えて元気なスタッフと前に進めれば良いだけですよ。

総じて一般的に歳を取ると、周りが気にならなくなる、記憶が曖昧になる、
同じ主張をくり返す、感情的になる……年齢とともにそういう傾向になる
人がかなりいます。こういう行動を知らず知らずにとってしまうのは
脳の老化現象の一種です。これを「老人脳」と呼んでいます。

しかし、これまでの研究と世界中の脳の老化研究から分かってきた
ことは、脳の老化現象である「老人脳」は後天的な原因で40%起きており、
日々のさまざまな習慣(思考×行動)の積み重ねによって変えることが
できるということ。また、習慣を変えることで、
老人脳を遠ざけることができるのです。

新しいことをすることは、脳にいいという話をしてきましたが、
それを習慣化することが簡単ではない人もいるようです。
そういう人の話を聞いていると、「新しいこと」というのを
ちょっと大げさに考えすぎてしまっていることがあります。
この知人のように、「ちょっとしたこと」で十分です。
それだけで、脳は変化します。

例えば、散歩や通勤で歩いている人であれば、その道をときどき変えてみる。
図書館に行く、書店に行くという習慣をつけることも脳にいい行為です。
実は、読書の習慣がある人ほど健康寿命が長くなるという研究報告もあります。

ニューヨーク大学の実験でこのようなものがあります。
学生のグループを2つに分けて、言葉の羅列で文章をつくってもらう
という実験です。
1つ目のグループには「グレー」「孤独」「忘れやすい」「退職」などの
年配者のような言葉を使ってもらう。
2つ目のグループにはニュートラルな言葉で文章をつくってもらう。
「のどがかわいた」「キレイな」「プライベート」などです。
そしてグループごとに移動をしてもらったところ、なんと年配者のような
言葉を使ったグループメンバーの歩くスピードが遅くなってしまったのです。
これにはビックリしました。

この実験から分かることは、使った言葉がその後の行動に影響を
与えるということです。どういう言葉を使うかで、無意識のうちに
行動が変わります。どういう言葉を使うかは、大切です。

次の言葉は脳にマイナスになる「使わないほうがいい言葉」です。
これらの言葉は、使った瞬間に脳が悪い影響を受けてしまいます。
例えば、「疲れた」と言った瞬間に、疲れたイメージが脳に出てきます。
その結果、疲れたようなパフォーマンスをしてしまい、
本当に疲れた状態になってしまうのです。
実際にはそこまで疲れていなくても、脳が勝手に疲れた状態を
つくり出してしまうことになります。

「分からない」「難しい」などの言葉も、脳にとっては危険な言葉の1つです。
思考をフリーズさせないためにも、使わないほうがいいと思います。
また、自分のことをこう言ったり、考えたりするのは止めたほうが
いいでしょう。これは脳にとっての3大NGワードです。
・(老けた)・(歳をとった)・(もう若くない)
歳をとっているというイメージは、死亡リスクまで高めます。

自分の年齢に対して実年齢よりも8~13歳高く感じている人は、
死亡リスクや病気リスクが通常より18~35%高かったというのです。
「歳をとり、人生が悪化している」「若い頃に比べると幸せでない」
「実年齢より老けている」「顔が同年齢の人に比べて老けている」など、
自分は老けている、歳とともに幸せが減っていると考えている人は、
脳の老化のペースが速く、病気リスクや死亡リスクが上がるのです。

幸福度と脳の状態には関連性があるということを知っていますか?
残念なことに、日本は世界的に見て幸福度が高くない国ですが、
どうしたらここ日本でも手軽に幸福度を上げることができるのでしょうか?

1つ、すぐにできるいい方法を紹介します。
昔の楽しい思い出を振り返る。これだけです。
幸福度が高い人を調べていくと「過去の楽しい思い出を振り返る頻度が高い」
ことが分かりました。
どうでしょうか? これならすぐできそうですよね。
幸せは、過去の楽しかった記憶の数に比例するといわれています。
いま現在幸せを感じられなかったとしても、過去に楽しい記憶を
持っていれば幸福度は高まります。

それを思い出す頻度が高い人ほど幸福度が上がりやすくなるのです。
自分の頭の中で思い出すのでもいいですし、誰かと思い出を話しながら
共有するのもいいと思います。過去の楽しかったことを思い出すと、
どうでしょうか、すごくいい気持ちになりませんか。
ものを買っただけの幸せは長く続きませんが、幸せな思い出は長続きします。
また、私たちは24歳前後に流行っていた曲を最も好む調査結果もあるので、
当時の曲を聴いてみたり、カラオケで歌うのもおすすめです。

「老人叱るな行く道だから!若者叱るな来た道だから」
永六輔の「無名人名語録」に収録されている言葉です。
世代を超えてお付き合いするのは創意工夫が必要ですよ。
ましてや老人脳の年配の方には気配りが必要です。


魂とは




魂とは覚悟の代名詞、何世代前の辛い状況を乗り越えた時の記憶の甦り。
肉体は滅びても魂は滅ぶことはありません。輪廻転生を繰り返し
過去を忘れないようにする為の残された記憶の炎です。
現生では未経験の場所や事柄をふと思い出すことをデジャブーと言います。
これはまさしく何世代前の魂が経験したことを思い出すことです。
感動した時に「魂が震えた」と言いますが、その時の魂は何処に
あるのでしょうか?「心が震えた」と言わないのは何故でしょうか?
「魂」の字の部首「鬼」は,日本語でのおそろしい「おに」とは限らず,
「亡くなった人のたましい」の意味で,それに関係する文字が同じ部首に
属しています。云と鬼の組み合わせが「魂」です。

魂とは過去にあった民族の怒りや個人の憎しみが混ざり合った
塊ではないかと思うことがあります。
酷い仕打ちを受けた人たちは魂という言葉を多用します。
しかし裕福な人や成功者の口からは魂の話は聞いた試しがありません。
ですから魂は人間の怒りの原点ではないかと思うのです。
世界の民族音楽には怒りを乗り越えるための力強い歌が多数残されています。

魂とは肉体と相対するところにあるものです。(Spirit&Soul)
日本人は魂を身近な物体に預けることもします。
武士の魂を刀と言います。
調理人の魂は包丁と言います。
職人の魂も鉋との鑿と言います。

三つ子の魂百までは性質・性格を言います。
誕生した瞬間に神様が赤子にフット息を吹きかけるそれが魂と言われています。
神様から分け与えられた時のものは魂ということでしょう。
また霊というのは魂の昇華したのちの高次元の世界にある時の
呼び名「霊魂」と考えると言われています。

うたライブ5月テーマ曲「魂の叫び」作詞作曲伊丹谷良介。
宿命と運命、自分とは何なのか育てあげられてゆく魂の叫び
天命と必然、真我とは何か磨き続けていく魂の叫び
自問自答の末にたどり着く魂の叫び

魂の叫びとは身代わりの象徴ではないのか?
天皇が国の象徴と言われても皆目内容が理解できない。
私の魂論は自分の心の預かり場所、いわゆる実態のない抽象概念。
空気を読む研究者山本七平のようにその場の雰囲気で忖度する独特の観念。
第二次世界大戦の最高指揮官は昭和天皇である。日本人に取って天皇は神そのものです。
その下の最高指揮官山本五十六が言うから東條英機が言うから意見を覆せない。
日本の武力とアメリカの武力を比べて敗戦すると分かっていても
止めることができなかった。みんな今回の戦争も神風が吹くと信じていたからです。

魂は残り続ける
宿命(変えることができない)
運命(変えることができる)
天命(使命を与えられた人生)
寿命(与えられた人生の期間)

各国に代表される魂の歌。
米国ソウルミュージック、Earth Wind &fire、スリーデイグリース、ダイアナロス
韓国パンソリ、日本鳥取県貝殻節、ポルトガルファド、

黒人のブルース、リズム&ブルース、(歌は魂の叫び、魂の吐口)、
これに白人のカントリーウェスタンを取り込んだエレビス・プレスリー。
農業革命→産業革命→情報革命→2025年霊性革命(魂が入れ替わる時代)

まず、今日の無宗教の人たちに多いのは、
死んだら無になるという考え方です。
宗教でいえば、儒教は、現世についての教えで、
死後については知りません。
西洋哲学では、古代ギリシアで、デモクリトスが万物の根源は
目に見えない小さな粒々だと考えました。これをアトムと呼びます。


つまりすべては原子からなる物質できているということです。

そのため精神は存在しないといいます。
仮に霊魂のようなものがあったとしても、
それも原子でできていて、人間が死んだら散っていくそうです。
従って死んだら無になります。
このような、この世は物質のみからできている
という考え方を唯物論といいます。

ヘレニズム期になると、エピクロスが唯物論を継承し、死んだら無であり、
すべての宗教は迷信だと考えました。
その後、西洋では、霊魂を説くキリスト教が優勢になり、唯物論は
鳴りを潜めました。
ところがキリスト教の勢力が衰えてきた19世紀のドイツで、
このデモクリトスとエピクロスに関する論文を書いて学位をとったのが
マルクスです。マルクス主義は唯物論なので、
死んだら無になりますし、
宗教を民衆のアヘンだといいます。

プラトンの対話篇について、それがどのように哲学になるか、
もっといえば、「プラトンが対話篇において哲学をしている」とは
どういうことかを考えてきました。

そして、結局、問いが投げ出されているわけですが、それは、
「私たちはむしろ問いの中に投げ込まれている。その中で答えが与えられない。
ただソクラテスが吟味する言葉だけが与えられている」ということです。
そうした対話篇として書かれた対話を読んだ私たちは、
一体どのように哲学を始めるべきなのでしょうか。
これを最後に考えていきたいと思います。

これまで対話という言葉を使ってきましたが、これはギリシャ語の
ディアロゴス(英語のダイアログ)で、ロゴスとは言葉のことです。
ディアとは「何々を通じて」という接頭辞です。
つまり、言葉が人と人との間で行き交うこと、それが対話というものです。

対話という言葉は、プラトンにとって非常に重い言葉だと思いますが、
対話を交わすということはどういうことかというと、少しおどろおどろしい
言葉に聞こえるかもしれませんが、2つの魂が出会うことです。
つまり、決して私のこの体のこの喉が震えて何か言葉が出て、
それを耳の鼓膜を通じて聞くという話ではなく、私の魂が発するロゴスを、
別の魂、例えばあなたの魂がそれを受け止めるという営みが対話なのです。
つまり対話とは、まさに2つの魂が成立する場所だと、プラトンは
考えているのです。

私は、対話についてプラトンが書いている箇所を見ながら、
「対話とはそうした意味でソクラテスが交わしているのだな」と
読み解くわけですが、そのときに対話がどう成り立つのかが重要です。

ソクラテス、プラトン、アリストテレス、新プラトン派など代表的古代中世
哲学者、キリスト教、イスラームの思索を題材にして、魂という空間の奥深さ、
流動性、神秘性に思いを致すきっかけを与えることを目差します。
魂の部分すなわち諸能力の分け方、魂の定義、共通感覚論、潜在意識、
魂の物象化を避ける考察法、自己認識、神秘体験、啓示宗教への依存の有無、
魂論と形而上学体系との相即などが主要なトピックになるでしょう。

いずれにせよ魂は個人の信念の塊であることには違いない。
そしてアニミズムのように大地に岩に木々に全てに魂は宿っているのです。
私は毎朝大自然に宿る八百万の神々に世界平和の祈りを捧げています。
敬虔な祈りと共にざわついた魂が静まり返ります。


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