若者たちへ
「恩学塾」開校にあたり
(これはイメージです)
我々はここに誓う
①どんな困難にも弱音を吐かない。
②友の苦しみはみんなの苦しみ一緒に解決する。
③先人の教えを守り勉学をおろそかにしない
④礼節を重んじて老人・子供を大切にする
⑤慈愛に満ちた心で何事も取り組む姿勢を大切にする
⑥家族を、地域社会を、この国を守ることに専念しよう。
塾開校に当たり橋本佐内の「啓発録」を斉唱します。
橋本左内は越前国福井藩の武士の家に生まれました。
彼は幼い頃から聡明で様々な本を残し、「池中の蛟竜」と称えられましたが、
それだけでは飽き足らず十五歳の時に福井から大坂に出て福沢諭吉や
佐野常民などを輩出した適塾に入門。
緒方洪庵の下で医者の勉強をしたのちに福井に帰郷して医者として活躍しました。
しかし、適塾にいた時に習っていた蘭学にのめり込み、
さらには水戸藩の藤田東湖など著名な学者と交流して最終的には福井藩主
松平慶永の側近の蘭学者として活躍していくようになります。
しかし、安政の大獄の時に福井藩主であった松平慶永の処罰に連座して
二十六歳の若さで処刑されてしまいました。
「啓発録」
十五歳の時に「啓発録」という文章を書き上げています。
「啓発録」には、以下の 五つの項目が記されています。
一、「稚心を去る」
:自分とその運命を変えようと思うなら、結局、自分の手で何とかする
以外に方法はない。その第一歩は「稚心」、つまり「子供っぽい 心」を
捨て去ることである。
二、「気を振う」
:負けてたまるか、くじけてなるものかという負けじ魂こそが
ふる人を変えるエネルギーになる。
常にそうした心を持ち、緊張をゆるめず油断のないようにしなければいけない。
三、「志を立てる」
:夢や目標を持て。自分の心の向かうところをしっかりと決め、
一度決心したからには、その方向を目指して絶えず努力するべきである。
四、「学を勉める」
:学問を学ぶことは大切である。そして、それを世の中のたつとめに
正しく生かすこともまた大切である。
五、「交友を択ぶ」
:互いに切磋琢磨できる良き友を選ぶこと。自分を高めてくえられ、
心から尊敬でき、何かあった時に、真剣に心配してくれる友達こそ、
何よりも大切にするべきである。
左内は、十五歳という人生の節目に立てたこの誓いを守り、短い人生ながらも
素晴らしい人材として、教育や政治に大きな成果を残しました。
これら五つの項目は、現代の私たちにもそのまま当てはまるものであり、
私たちの気持ちを奮い立たせてくれます。
皆さんも、今の自分を見つめ直し、強い意志を持って邁進してください。
そしてこれからの人生を歩むときに年齢を理由に言い訳をしないようにしましょう。
アメリカの歴代大統領が就任式の演説で取り上げた
サミュエル・ウルマンの「青春」という詩を参考にしてください。
「青春」
(原作 サミュエル・ウルマン)
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞(たくま)しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑(こぎ)、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰(あたかも)も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨(せいしん)、
その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎(きんげい)、事に處(しょ)する
剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦(きえつ)、勇気と壮大、
そして偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
(ウルマン70歳で書いた詩です)
如何だったでしょうか?
そして「岐阜県中津川から生まれた伝説の音楽集会がありました。」
全国の若者が一同に集まり日本の夜明けを歌った音楽の祭典
「中津川フォークジャンボリー」(1969年~1971年)です。
地元の若者たちが手作りでステージを作り運営も行い、
岡林信康を筆頭に全国から多くの歌手が集まったのです。
メッセージのない歌は歌ではないと熱き若者たちが集まり、
日本における音楽の祭典の第一歩を踏み出したのです。
いま再び弱体化した日本を勇気づける為に立ち上がる時が来た。
この地から全国の若者たちに向けて熱きメッセージを送りましょう。
60年代当時の若者たち(戦後生まれた世代の代表)が、
学生運動を通じて日本の夜明け前を大人世代に遠慮することなく
大声を上げた時期である。
その頃に流行っていたこの歌を森山直太朗も歌っている。
彼もこの歌に共感を覚えて取り上げたという。
「若者たち」
ブロード・サイド・フォー
君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで
君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか あてもないのに
君の行く道は
希望へと続く空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる
フォークの神様と言われた歌手岡林信康がいました。
フォークジャンボリーでは常連の歌手です。
彼のこの歌が革命の歌のように若者たちは歌っていたのです。
当時、私も第二テントの会場で、飛び入りをしてこの歌「友よ」を歌ったのです。
岡林信康「友よ」
友よ 夜明け前の 闇の中で
友よ 戦いの炎をもやせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よこの闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある
友よ 君の涙 君の汗が
友よ むくわれる その日が来る
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある
友よ のぼりくる 朝日の中で
友よ 喜びを わかちあおう
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある
友よ 夜明け前の 闇の中で
友よ 戦いの炎をもやせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よこの闇の 向こうには
友よ 輝く あしたがある
私はこの音楽祭をキッカケに音楽プロデューサーになることを誓ったのです。
その夢を叶えるために英国に行き独学で学んだのです。
そして、今は「恩学」プロデューサーとして活動をしています。
人間の喜怒哀楽がいつどのようにして起こるのか、
その発露はどのようにして生まれるのか、本来求めるべきことは何かを探したのです。
人としての心根(こころね)であるべき「恩に始まり恩に終わる」を
皆様と一緒に考えて行きたいのです。
最後に「感即動」が我が門下生に贈る言葉です。
常に何かを感じたならば、すぐに行動に移してください。
クイックリー・アクションです。
人生の時間は思ったほど長くはありません。
「恩学塾」塾長稲葉瀧文