日本の音




江戸から続く楽器として皷があり笛があり太鼓がある。
これらは声であり雷であり鳥や猿の声を表している。
能で使われるお囃子の調子は空気を表し怨霊の叫びを誘い出す。

お寺では毎年4月には地域の子供に集まっていただいて
花まつりを行っています。最初に灌仏(かんぶつ)といって、
お釈迦様の像に甘茶をかける作法を説明するのですが、
初めて来た低学年の子供にはなかなか難しいようで悪戦苦闘しながらも
しっかりと灌仏をしてもらっています。

上手くできない子には上級生のお友達が手助けをして一緒に灌仏を
したりする風景もとても微笑ましいものです。
子供たちは「天上天下唯我独尊」などという難しい言葉は知りませんが、
誰もが目の前のことを一所懸命にしています。
子供たち一人一人のその尊い姿を大人になった我々が見ることで
改めて気付かされることや学ばせていただくこともとても多いように感じます。 

日々の生活を慌ただしく過ごしていると気付けないことはたくさんあります。
忙しければ忙しい程自分のことで頭がいっぱいになり、
他者の人格などということを悠長に考えている暇が無くなってしまうからです。
あれこれと自分のことばかり気になってしまう中でもあえて一度立ち止まり、
お釈迦様の教えのもとで自らを振り返り、ゆっくりと思いをめぐらせてみる。
お寺がそのような場であれば何よりかと思います。
(ある寺の住職の話から抜粋)

私は無邪気に遊ぶ子供たちの声が音楽の様に聞こえます。
その昔(奈良時代~明治時代)日本のお寺と神社は神仏習合で
同じ敷地内に同居していました。
子どもたちは広い境内で神様や仏さまの教えを童謡の歌を交えて
お遊戯をしながら学んでいくのです。
森に囲まれた自然界の音の中で無邪気な声が響き渡っていたのです。

私たちが普段よく耳にしている音楽の多くは、西洋の長音階
(ドレミファソラシ)や短音階(ラシドレミファソ#)といった7つの音から
成る音階が基本になってできています。この音階では、長音階ならド、
短音階ならラがいずれも中心の音(主音とよぶ)となります。
実際の曲の中では7つの音に加えて、それらが半音上がったり下がったりして
厳密に7つの音だけでできている曲というのは少ないのですが、
基本的な音階としては長音階・短音階とも7音と考えることができます。
 
これに対して日本の民謡や伝統音楽では5つの音から成る音階が基本となって
できているものが圧倒的に多く、いずれもレを中心の音とする民謡音階
(レミソラド)、律音階(レファソラド)、都節音階(レミ♭ソラシ♭)、
琉球音階(レファ#ソラド#)の4種類にほぼ整理することができ、
レだけでなくソやラの音も中心の音になります。

実際の曲の中では、やはりこれらが混じったり変化したりもしますが、
このように5つの音から成る「5音音階」は、日本だけでなく世界の多くの
地域に見られます。

面白いのは、明治以降の日本で頻繁に使われている「ヨナ抜き音階」と
呼ばれる音階で、民謡音階と同じ5つの音から成るのですが、
中心となるのがレではなくドの音で「ドレミソラ」という音階です。
日本ではある時期にドレミファソラシを「ヒフミヨイムナ」と称していて、
長音階からファにあたるヨとシにあたるナが抜けていることから「ヨナ抜き」
と呼ばれるようになりました。この音階は唱歌や童謡、歌謡曲など非常に例が多く、

本公演で演奏する曲でも「夕日」「うみ」がそうですし、「花嫁人形」は
短音階のヨナ抜き(ラシドミファ)です。ヨナ抜き音階はメロディが5音でも、
それに付くハーモニーが7音からなるドミソやシレソといった西洋流の和音が
ぴったりとはまる、日本の5音音階と西洋の音階とのハイブリッドと言えるでしょう。
この音階はスコットランドの民謡にもよく見られ、「蛍の光」や「故郷の空」が
代表例です。(文・指揮者寺嶋陸也)

実はあのビートルズも「ヨナ抜き」音階で曲を作っています。
「LET IT BE」レット・イット・ビーがそうです。
ポールマッカトニーがビートルズ解散の危機を迎えた時に
亡き母が枕元に現れて「あるがままを、あるがままに受け入れるのです」との
囁きを元に書いたと語っています。メアリーは、マッカトニーが14歳の頃に
癌で死去した。亡き母が枕元に現れたことについて、マッカトニーは
「母に再会できたのは本当によかった。夢で祝福された気分だった。
だから僕は母の囁きの元に「レット・イット・ビー」を書いた」と語っている。

「ヨナ抜きはなぜ心に染み入るか」
7音階が既知のもの、自然なものとして人の心に染みわたっているから、
2音が抜けていることが意外な感覚を与えるのです。

私が世界の民謡に興味を持ったのはその民族が長年愛した音階だからです。
文化的背景以外に様々な辛い状況を乗り越えて来た思いが
楽曲に込められているからです。
イタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソン、ポルトガルのファド、
ブラジルのサンバ、アメリカのカントリーウェスタン、韓国のパンソリ、
イギリスのソング&バラッド、スイスのヨーデルなどです。

そして忘れてならないのが能で歌われる「謡曲」です。
能は古くから自作自演が原則であり、その台本と言われる謡曲は現存する
曲や俳曲になったものも含めると、その数は約二千番にのぼり、
その大部分が江戸時代以前に作られたものである。
しかし作者に関しては不明のものが多く、現在その中の2~3程度が
観阿弥・世阿弥・金春禅竹などの作者の確定できるものとされている。
謡曲は台詞と地の文とで構成され、その文章は古歌・古詩などの引用、
縁語・掛詞・枕詞・序詞といった修辞技法を駆使した和文体である。

日本は大自然と共に様々な文化を育んできました。
西洋は数学的に良し悪しを判断するのですが、日本は自然との対話型で
過去にあるものを否定せずに改良を重ねて継承を続けてきました。
正に「温故知新」の心です。

これからも日本の音を慈しみ大切にしていきたいものです。