いじめられている君へ




私は6歳の時に栃木県の母親の元から
大阪の父親のところへ行きなさいと言われた。
小学校一年生の転入である。
継母が教室の前まで連れて来てくれたのだがすぐにいなくなった。
そして挨拶をしたらみんなから笑われた。
自分では気づかなかったが語尾が上がる栃木弁がおかしかったのである。
次の日にクラスへ行くと廊下に机と椅子が出ていた。
先生から君の席はと指定されたところに机も椅子も無かった。

子供心にここで泣くとずっといじめが続くことは分かっていたので
机や椅子があるべき場所に笑って立っていた。
担任が入ってきてそれに気づいて机と椅子を中に入れさないと私に言った。
「出した人が入れるべきで僕が入れることではありません」と反発した。
それを見ていたクラスメイトは先生に反抗している私に驚いたのである。
当時、先生は絶対的存在で反抗は許されなかったからである。

いじめは逃げるから追いかけられる。泣くからもっとからかわれる。
そして黙っていると怖がっていると思われるので言葉を出すのです。
自分の弱みや欠点を恥じるから付け込まれるのです。
たとえスポーツが得意でなくても、勉強が苦手でも、ましてや貧乏でも構わない。
自意識過剰なぐらい自分を信じて自分を愛してあげれば良い。それが自信だ。
自分を信じてあげなければ他人を信じることができるだろうか?それが愛だ。

いじめを見て一番悪いのは「無言」と「無視」である。
見て見ぬふりをするのは加害者より罪は重い。
その時は正義感のあふれる子供たちが最後には立ち上がってくれた。
「私達が机と椅子を入れます」と言って運んでくれた。
それ以来、教室でのいじめは起こらなかった。

「いじめられている君へ」
あなたはいじめられて悔しい思いをしているだろう。
涙を流しているかもしれない。その涙は恥ではない。
有史以来の英雄もどんな人でも、泣いたことのない人など、
ひとりもいないはずだ。絶望しないでほしい。
いつか笑う日がくることを信じてほしい。

あなたの人生ははじまったばかりだ。
目の前には、時間という宝物がある。無限大の可能性がある。
未来は両手を広げてあなたを待っている。

人はみんな何かをなしとげるために生まれてくる。
それぞれ果たすべき役割がある。
自分は何のために生まれてきたのか。
それはいまわからなくてもいい。必ずわかるときがくる。
いずれ、自分はこうなりたいという夢が見えてくる。

それが、どんなに大きな夢でも恥ずかしがることはない。
夢は、大きければ大きいほどよい。
年をとればとるほど、夢は縮んでいく。
だから夢の土台は大きくかまえなければいけない。

あざけられたり、ひやかされたりしてもかまわない。
いちど見つければ、あとは夢があなたを支えてくれる。
だれに何を言われても気にしなくていい。
大人には時間がない。あなたにはある。
なにより自分の人生は自分で決めるべきものだ。

さびしくなったら、ひとりぼっちではないことを
思い出してほしい。
お父さんとお母さんがいたから、あなたがいる。
お父さんとお母さんも、そのお父さんとお母さんがいたから、
生まれてきた。

あなたの体の中には、ものすごい数の先祖代々の思いと
夢がつまっている。
あなたは、それほど多くのものを受け継いでいる、
とても大切な人間なのです。
「漫画家松本零士)のことばより

私は子供の時に預けられたお寺の住職から言われた言葉がある。
毎日、家族と離れて暮らすことに泣いていたら、
突然、両手を広げて指を一本ずつ、10数えなさいと言われた。
そして70になった時に扇子が小さな指の間に挟まれた。
「いいか泣いて暮らすも、笑って暮らすも、人生はわずか70年しか
生きることが出来ない。お前は笑って生きるのか、
泣いて生きるのか、今ここで決めなさい」
私は子供心のままで「笑って生きます」と応えた。

そして別の日には「いいか真珠と言うのは石粒や貝殻の破片を
飲み込んで痛さに耐えている。しかしその痛さに耐えたからこそ
光り輝く真珠が生まれるのだ。お前も今の悲しさや心の痛さを我慢していれば、
いつか心の中に光り輝く真珠が生まれて来るのだ」

それ以来、いじめにも人生の困難にも耐えて笑うことが出来るようになった。
他人の悲しみが自分の事のように分かるようになった。
泣いている人がいれば声をかけられるようになった。
正しいか正しくないかより、強い立場の者が、弱い立場の人間を
攻撃するのが一番良くないことを知った。

芸術家も音楽家もアスリートも同僚や世間から理不尽な攻撃を受ける。
しかし、その悔しさや、苦しさや、挫折を多く経験した者こそが強くなれる。
強くなるという事は記録を塗り替えることでは無く、心の痛みや優しさが
分かるようになる事だ。

目の前に傷ついて倒れている人が居れば手を差し伸べることが正義であり、
正義は沈黙の中で生まれるものではなく、声を上げてこそ意義のあるものである。
見て見ぬふりをして通り過ぎるのは人としてあるまじき行為である。

最後に私の心に残る言葉をご紹介します。
非暴力抵抗活動を行った穏健派指導者キング牧師の言葉より。

最大の悲劇は、悪人による圧力や暴力ではなく、善人による沈黙である。
直面する問題に対して沈黙しようと決めた時、我々の人生は終わりに
向かい始める。
あなた達は、「発言」にだけでなく、「無言」にも責任を負うべきである。
この世で、「究極の無知」と「真面目な馬鹿」ほど危険なものはない。
愛だけが、敵を友人に変えられる唯一の力だ。
マーティン・ルーサー・キングJI.
(1929年1月15日-1968年4月4日)

心に刻んでいて欲しい言葉です。