子どもの本質




今回AIと共同で文章を考えてみました。

哲学的に子供を語るには、さまざまな観点からアプローチできます。
ここでは、いくつかの主なテーマを取り上げます。

1.「純真性と無垢性」子供は、しばしば純真であり、
無垢であると見なされます。
哲学者は、子供の純粋さが、社会や大人の影響によってどのように
変化するかを考察します。ジャン=ジャック・ルソーの「エミール」では、
子供の自然な良さと、教育や社会化によって失われる可能性のある
純真性について触れています。

「子供の脳の発達と自然との触れ合い」
0歳で脳幹・3歳で小脳・6歳で大脳・12歳~16歳で前頭葉が作られていきます。

2.「道徳と倫理」子供は、善悪の概念をどのように理解するのか、
または倫理的な行動はどのように学ばれるのか、といった疑問が生じます。
子供の道徳観や倫理観の形成過程を考察することは、
哲学において重要なテーマです。

「自然の中に神々が住んでいる。だから道徳や倫理を自然から学ぶ」
アニミズムはすべてに神が存在する。八百万の神々が住む国です。
6歳までに礼儀と躾を教えなければなりません。

3.「自己とアイデンティティ」子供は自己認識をどのように発達させ、
自己アイデンティティをどのように確立するのかについても、
哲学的な議論が行われます。これには、子供の成長過程における自己理解や、
他者との関係を通じて形成されるアイデンティティが含まれます。

「つの教育(一つ~9つ)の大切さを教える」
3つで心、6つで躾、9つで言葉、更に12で文、15で理と続きます。
感情、情緒、礼儀、伝達、文章、理論です。

4.「教育と育成」子供を教育する目的や手段についても、
哲学的な考察が必要です。
教育の目的は、単に知識を教えるだけでなく、
子供の全体的な成長や人格の形成を促進することにあるとされています。
哲学者は、どのような教育が最善か、または教育による
道徳的な影響について議論します。

「能や歌舞伎の教育を3歳から始める理由」
3歳で小脳が発達します。小脳は動作の脳です。
全ての所作に疑いを持ちません。
特に女形はこの時期に覚えた女性の所作は一生忘れないそうです。

5.「子供の存在論」子供の存在は、大人や社会にとって
どのような意味を持つのか、また子供たち自身にとって存在の意味は
何かといった疑問が生じます。
これらの問いは、子供の成長、社会化、そして大人との関係に関連しています。
哲学的に子供を語ることは、単に子供の行動や成長を観察するだけでなく、
子供の存在やその価値、道徳、教育、そして社会との関係について
深く考えることを含みます。

「バジルホール・チェンバレンの日本事物史」社会の中のこどもの存在。
この国は貧乏があるが貧困は無い。社会の隅々まで自由平等が行き渡っている。
通りで遊ぶ子供たちは老人たちに見守られて天使のような笑顔をみせる。
また老人たちも分け隔てなく子供達の面倒を見ている。

仏教的に子供を語るためには、仏教の教えや価値観、概念を参考にして、
子供の成長や教育、倫理、そして存在の意味について考察する必要があります。
以下に、仏教的な観点から子供を考える方法をいくつかご紹介します。

1.「無常と変化」仏教の基本的な教えの一つである「無常」は、
すべてのものが変化することを示しています。
子供も成長と共に変化し続ける存在であり、
その成長過程には多くの気づきと学びがあります。
子供が持つ無垢さや純真さも、やがて成長するにつれて変化していきます。

「日本は神社仏閣が共存していて子供たちはそこで学びそこで遊んだ」
童謡「むすんでひらいて」は仏さまと神様に祈る仕草です。
仏様でむすんで、神様でひらいて、手をうってむすびます。

2.「因果応報とカルマ」仏教では、行為と結果の関係を示す
「因果応報」や「カルマ(業)」の概念があります。
子供が行う行為や選択は、その後の人生に影響を与えるとされています。
親や教育者は、子供が善い行為を選択するよう導く役割を持っています。

「江戸時代の読み書き算盤に全てが集約されている」
そのうえに意味も分からずに「論語」を読ませると大人の脳に変化していく。

3.「慈悲と共感」仏教は慈悲(メッタ)と共感(カルナ)を重要視します。
子供に対して慈悲の心を持つことは、愛情や優しさをもって接することを
意味します。子供は他者に対する共感や慈悲を学びながら成長します。

「子供はもともと優しさと協調性は持っている」
自然環境の中で生きていることが動物と人間の和合が生まれるのである。

4.「悟りへの可能性」仏教では、誰もが悟りに至る可能性を
持っていると考えられます。子供たちも例外ではありません。
子供たちの中には、悟りを求める心や、仏教的な知恵を持つことが
できる可能性があります。
教育や育成を通じて、子供たちの精神的な成長を支援することが重要です。

「アイヌのイヨマンテの儀式こそ悟りへの可能性が広がる」
冬眠から目覚めた子熊を大切に育て大人の熊として成長した時に食肉として、
毛皮として、骨は装身具にして売りに出す。ここにワンサードの精神が宿る。
1/3は自分の為に、1/3は自然の為に、1/3は未来の子供達の為に。

5.「教えと伝統」仏教は、経典や教えを通じて知識と価値観を
伝える伝統があります。子供に対して、仏教の教えや倫理を教えることで、
彼らの人生における道しるべとなることができます。
子供に対する教育は、仏教的な価値観を持ちながら行うことが奨励されます。
仏教的に子供を語ることは、慈悲、共感、因果応報、無常などの
基本的な仏教の概念を通じて、子供たちの成長や教育、倫理について
考えることを意味します。子供たちが善い行為を選択し、
精神的な成長を遂げるよう、仏教の教えを通じて支援することが重要です。

「中国では論語の素読、日本ではお経を読む、人の死から人性を学ぶ」
人間が特別ではなく自然の中の一員であることを教えることが仏道を
教えることになります。

如何でしょうか?チャットGPTと共作で仕上げた文章です。
しかし、理屈を並べるだけで本質には近づけません。
これで十分に学んだとは思わないでくださいね。

これからの子供たちはチャットGPTで対話することになります。
一般的な質問は検索すればすぐに回答が得られます。
学ぶ本質を誤解したままに人生を過ごすことになる恐れがあります。


本物の思いやり




何をもって本物の思いやりというのか?
受け止める側の価値観によっても大きな違いは出る。
雨を怖がる人もいるが雨を喜ぶ人もいる。
天気が良くて喜ぶ人もいるが、天気が続くと
日照りの始まりと悲しむ人もいる。
千円を喜ぶ人も1万円を喜ばない人もいるのに
皆一様に同等に扱う風潮が嫌いだ。
そこにはいつも真実がない。本当に思いやりは平等だろうか?

昔から疑問に思っていたことが「平等」という言葉である。
余裕のある人達がこの言葉を使うたびに嫌悪感がうまれた。
「万人」という文字も誰を指して万人というのだろうか?
「神は万人に平等である」。あり得ない妄想である。
貧しい人も傷ついた人も身体が不具な人も祈れば幸せになる。
本当にそう思っているのだろうか。
仏や神の名をかたって商いする人たちには天罰が下る。

本当に愛を伝えるなら近くにいる人にまず手を差し伸べるべきである。
遠くの身内を思うのでは無く身近にいる他人に手を差し伸べる。
目の前で倒れている人がいれば抱き抱えて起こしてあげる。
こんな単純なことも言えない神は神ではない。
地震で壊れた家の人の日常を取り戻せないは神の力が働かないからなのか?
戦争の犠牲になっている子供達も救えない神は本当の神ではない。
様々な神を信じる人達が戦争を引き起こすのは神への冒涜である。

キルケゴールは、すべての人を平等に愛する「隣人愛」と特定の他者に
愛情を向ける「恋愛・友情」を鋭く対立させる一方 で、他者の個性を
愛することと隣人愛は両立すると考えている。
〈キーワード〉 隣人愛、個性、差異性、平等、単独者

キルケゴールは『愛のわざ』において、キリスト教的な愛と自然的な愛
(恋愛や友情)を鋭く対立させている。 キルケゴールによれば、恋愛や友情などは
好みに基づく偏愛であり、本質的には自己愛である。
これに対して、キリスト教的愛であるところの隣人愛は、他者を愛すべき者と
そうでない者に区別することなく、すべての人を等しく「隣人」として
愛するものとされる。

このようなキルケゴールの愛の理論は、すべての人間が平等に持つ価値を
尊重する態度であるとして評価されて いる。
一方で、愛の平等性は同時に、他者の持つ個性をないがしろにするものだとして
批判的に議論されることもある。

とはいえ、実際のところ、キルケゴールは隣人愛が他者の個性を
ないがしろにするものだとは考えていない。
むしろ、恋愛や友情よりも隣人愛の方が、他者の個性を正しく捉えることが
できると『愛のわざ』で語っている。
しかしそうした議論は一見すると、キルケゴールが語る隣人愛の性質と
相いれないように見える。

キルケゴールはどのようにして、この二つの愛を結びつけているのか。
はたして、他者に特別な愛情をかけることと隣人愛は
両立しうるのだろうか。尋ねてみたいものである。

「かくれてしまえばいいのです」。
生きるのがしんどい子どもや若者向けに、
こんな名前のウェブサイトが公開されて注目を集めている。
自殺防止対策に取り組むNPO法人「ライフリンク」(東京)が
絵本作家のヨシタケシンスケさんの全面協力を受けて開設した。
ネット上の「かくれが」に込められた思いとは。

◆「かくれるのっていけないことじゃない」
「かくれがで遊ぶことにしたら、少し落ち着いてきた」
「かくれるのっていけないことじゃないんだと教えてくれる」
「今しんどい人、悩んでいる人は行ってみてほしい」。

Xには「かくれてしまえばいいのです」への投稿があふれている。
3月1日にオープンしたウェブサイトは「もしあなたが生きるのが
しんどくて、この世からいなくなりたいと思っているなら、
まずは1回かくれてしまいましょう」との提案を具現化した空間。

ヨシタケさんによる優しいタッチで描かれた「かくれが」が広がる。
死に対して「むきあうエリア」と「やりすごすエリア」に分かれており、
計九つのコーナーを用意。匿名・無料で24時間利用でき、4月17日に
アクセス数は300万件を突破し、現在も1日5万件前後で推移しているという。

◆「相談したくない人にも居心地が良い場所に」
運営するライフリンクの清水康之代表(52)は「想像以上の反響に驚いている。
自分から外部に相談できない人、相談したくない人にも居心地が良い
場所になってほしい」と語る。東京新聞「こちら特報部」の記者も、
アバターになってサイトに入ってみた。

まずは「むきあうエリア」の「むかんけいばあちゃんの部屋」に。
管理人のばあちゃんが「家族でも、先生でも、上司でも、
クラスメートでもない。何を話しても大丈夫」と呼びかけてくれる。
ここではヨシタケさんの描き下ろしで、つらい気持ちに寄り添う17話の
小話を読める。

同じエリアの「ロボとおしゃべりコーナー」は気持ちを打ち込むと
人工知能(AI)と会話でき、悩みを打ち明けられる。
「まずは自分の思いを外に出すことが大切。相談する練習の場」と清水さんは言う。
「やりすごすエリア」には、ミニゲームが楽しめる「ゲーム自習室」、
著名人がおすすめの映画や場所、つらいときのやり過ごし方を紹介する

「オススメ市場」といったコーナーも。清水さんは
「死にたい気持ちからとにかく一瞬でも別の気持ちになって、
『もう少し生きるか』『生きてていいかも』と思ってもらいたい」と語る。

◆「そんな自分を肯定できる場所に」
サイト開設の背景には、子どもや若者の深刻な問題がある。
2022年は小中高生の自殺者が過去最多の514人となり、
昨年も513人と高止まる。ライフリンクが18年3月から運営する
交流サイト(SNS)相談「生きづらびっと」には毎月1万人前後の
アクセスがあり、相談者の6割弱を20代以下が占める。
1日30人ほどのスタッフで対応しているが、「電話より相談しやすい半面、
SNSの文字だけではどうしても情報量が少なくなるので、
相談を深めていくのに時間がかかる傾向にある」(清水さん)。

23年度、スタッフが相談に対応できた割合は今年2月までは
39〜54%で推移したが、アクセスが1万5000人を超えた3月は
25%まで落ち込んだ。

すぐの相談に至らなくても、従来とは別の受け皿となる場所の
必要性から生まれたのが今回のサイトだ。
04年にライフリンクを設立し「誰も自殺に追い込まれることのない
生き心地の良い社会」を目指して活動している清水さん。

「死にたい気持ちは簡単にはなくならない。
でもその気持ちを抱えながら生きていくこともできるし、
そんな自分を肯定できる場所になってほしい」と願っている。

人はそうやって助け合いながら生きていく。
願わくば神の力を借りて多くの人を救いたいのです。
私の恩学を読んで少しでも救われることを願っています。
今、眼の前の困っている他人を助けるのが本物の思いやりです。
若者が強いものに追従するのではなく弱いものを助けていく心が大切です。

我々の国は「和をもって尊しとなす」の国なのです。


本当の幸せ




置かれた環境の中で身を整えていくことが大切です。
自分の境遇で楽しみを見つけ出さなければ不幸になります。
他人と比べて能力や容姿を気にして何になるのでしょうか?
人間にはそれほど大きな違いは無いのです。
重い病気や身体障害者の方も天から与えられた生命を
全うしなければならないのです。
私より頭が良いから、私より美しい顔を備えているから、私より能力を
発揮しているから、私より恵まれた環境にいるからと比べても何もなりません。

あなたが憧れている世界が本当に理想的な幸福なのでしょうか?
小さな矢車草が向日葵に憧れて大きく育ちたいと願っても叶うことはありません。
猿がキリンに憧れて背が高くなりたいと願っても叶うことは絶対にないのです。
努力もしないで裕福な家に生まれて贅沢をしても満足は得られないのです。

仏教用語に「三毒」というのがあります。貪・瞋・痴(とんじんち)です。
貪(とん)は貪欲に際限なくあれこれ欲することです。
他人の地位や名誉や財産をうらやみ手に入れることに奔走することです。
瞋(じん)とは感情を簡単にぶちまけることです。
不快なものに対して激しく怒ったり、妬んだりすることです。
最後の痴(ち)は無知であること。
自己弁護に走り、常識知らずのうえに利益しか考えないことです。
ゆえに、愚かであることを指します。

子供の心は純心で無垢です。大人と違って比較することを知りません。
見たまま、感じたままを発言するので、その物事の真意を知ることがあります。

『100人の村は楽園だった』
ある日、大変なお金持ちが、息子を連れて田舎へ行きました。
息子に、世の中の人々が実際にどれほど貧しいのかを見せようと思ったのです。
そしてその父親と息子は、田舎の大変に貧しい農家で数日を過ごしました。
田舎での滞在を終えて帰る道中、父親は息子に「どうだ?」と尋ねました。

「とってもよかったよ、お父さん」
「どんなに貧しいか、わかったかい?」と父親が聞きました。
「そうだね。よくわかったよ」と息子は答えました。
「おまえはこの旅で何がわかったんだい?」

 息子はこう答えました。

「僕たちの家には犬が1匹しかいないけど、あの農家には4匹いたよ」
「僕たちの家には、庭の真ん中までのプールがあるけど、
あの人たちのところには、どこまでも続く川があるんだね」

「僕たちは輸入したランタンを夜になると庭に下げているけど、
あの人たちのところには夜、満天の星空があるんだね」
「僕たちは、小さな地面に住んでいるけど、あの人たちの住んでいるところは、
見えないぐらい遠くまで広がっているんだね」

「僕たちには、僕たちに奉仕する召使いがいるけど、あの人たちは、
他の人たちに奉仕しているんだね」
「僕たちは自分たちの食べ物を買うけど、あの人たちは自分たちの
食べ物を育てているんだね」

「僕たちの家の周りには、僕たちを守るための壁があるけど、
あの人たちには守ってくれる大勢の友だちがいるんだね」
 
息子の返事に、父親は言葉を失いました。
そして、最後に息子はこう言いました。
「お父さん、僕たちがどんなに貧しいかを見せてくれてありがとう」
古川千勝 著

“貧しい=不幸”ととらえる 、その心が貧しいのかもしれません

絵画を書く時、先生は生徒にこう教えます。
『視点を物に固定して 描いてはならない、
物と物のあいだの空間を描くようにしなさい』と…

人生も同じで、
あらゆる障害物やネガティブなものだけに、
視点を固定させたら、人生は辛いものとなりますが、
「物と物のあいだの空間」を見るようにしていけば、
ネガティブなものも小さく見えてきて、
あらゆるものがありがたく感じられてきます。

いつも考え事ばかりしながら 歩いている人には、
空の色や風の音、咲く花の匂いや人々の笑顔に気づけないからです。
ちょっとした見方の違いによって、差が生じるのかもしれませんね。

音楽を作る時、私はアーティストにこう教えます。
「音符と音符の組み合わせに視点をおいてはならない。
一つの音に乗る様々な感情を描くようにしなさい」と…

同じ国籍で、同姓で、同年代だと同じ感情を持っているのではないかと
錯覚しがちですが、全く違うという観点で見ないと世代間のギャップは
埋まりません。同じ音楽を聴いても心地よく思う人と思わない人が
いるように人それぞれです。
その為に演奏者は作曲家の感情を受け継がなければ表現に誤解が生まれます。
クラッシックの世界では指揮者の能力が一番試されるところです。

音楽を好みのジャンルに拘らないで晴れた朝にはクラッシック、
午後の散歩にはレゲエミュージック、夕方から夜にかけてはジャズを
BGMとして聴く。勿論、朝は好きなK-POPでも、昼間はお気に入りの歌手を
聴くのも問題ないのですが、出来るなら様々な音楽を聴くと心の置き方が
違ってきます。

素直な気持ちを持ち続けるのは難しいと思います。
他人と比較して辛い思いをするのならどんな状況でも置かれた場所で
満足する方法を学ぶべきです。

私は悩みが増えると音楽を聴いて心を整えます。
時間とお金が許された時には海外へ旅に出かけます。
そしてその街に隣接する自然の中を歩き回ります。

頭の中に素直な思考がよみがえり視界も広がり、
物や金銭に拘っていた心が離れていきます。
過去と未来に縛られるのではなく、
現在の状況に満足できるようになるのです。

人間本来は無一物なのです。あると思うから欲が生まれるのです。
あるなしに関わらない空(くう)の世界を理解することが大切です。
合掌


いじめられている君へ




私は6歳の時に栃木県の母親の元から
大阪の父親のところへ行きなさいと言われた。
小学校一年生の転入である。
継母が教室の前まで連れて来てくれたのだがすぐにいなくなった。
そして挨拶をしたらみんなから笑われた。
自分では気づかなかったが語尾が上がる栃木弁がおかしかったのである。
次の日にクラスへ行くと廊下に机と椅子が出ていた。
先生から君の席はと指定されたところに机も椅子も無かった。

子供心にここで泣くとずっといじめが続くことは分かっていたので
机や椅子があるべき場所に笑って立っていた。
担任が入ってきてそれに気づいて机と椅子を中に入れさないと私に言った。
「出した人が入れるべきで僕が入れることではありません」と反発した。
それを見ていたクラスメイトは先生に反抗している私に驚いたのである。
当時、先生は絶対的存在で反抗は許されなかったからである。

いじめは逃げるから追いかけられる。泣くからもっとからかわれる。
そして黙っていると怖がっていると思われるので言葉を出すのです。
自分の弱みや欠点を恥じるから付け込まれるのです。
たとえスポーツが得意でなくても、勉強が苦手でも、ましてや貧乏でも構わない。
自意識過剰なぐらい自分を信じて自分を愛してあげれば良い。それが自信だ。
自分を信じてあげなければ他人を信じることができるだろうか?それが愛だ。

いじめを見て一番悪いのは「無言」と「無視」である。
見て見ぬふりをするのは加害者より罪は重い。
その時は正義感のあふれる子供たちが最後には立ち上がってくれた。
「私達が机と椅子を入れます」と言って運んでくれた。
それ以来、教室でのいじめは起こらなかった。

「いじめられている君へ」
あなたはいじめられて悔しい思いをしているだろう。
涙を流しているかもしれない。その涙は恥ではない。
有史以来の英雄もどんな人でも、泣いたことのない人など、
ひとりもいないはずだ。絶望しないでほしい。
いつか笑う日がくることを信じてほしい。

あなたの人生ははじまったばかりだ。
目の前には、時間という宝物がある。無限大の可能性がある。
未来は両手を広げてあなたを待っている。

人はみんな何かをなしとげるために生まれてくる。
それぞれ果たすべき役割がある。
自分は何のために生まれてきたのか。
それはいまわからなくてもいい。必ずわかるときがくる。
いずれ、自分はこうなりたいという夢が見えてくる。

それが、どんなに大きな夢でも恥ずかしがることはない。
夢は、大きければ大きいほどよい。
年をとればとるほど、夢は縮んでいく。
だから夢の土台は大きくかまえなければいけない。

あざけられたり、ひやかされたりしてもかまわない。
いちど見つければ、あとは夢があなたを支えてくれる。
だれに何を言われても気にしなくていい。
大人には時間がない。あなたにはある。
なにより自分の人生は自分で決めるべきものだ。

さびしくなったら、ひとりぼっちではないことを
思い出してほしい。
お父さんとお母さんがいたから、あなたがいる。
お父さんとお母さんも、そのお父さんとお母さんがいたから、
生まれてきた。

あなたの体の中には、ものすごい数の先祖代々の思いと
夢がつまっている。
あなたは、それほど多くのものを受け継いでいる、
とても大切な人間なのです。
「漫画家松本零士)のことばより

私は子供の時に預けられたお寺の住職から言われた言葉がある。
毎日、家族と離れて暮らすことに泣いていたら、
突然、両手を広げて指を一本ずつ、10数えなさいと言われた。
そして70になった時に扇子が小さな指の間に挟まれた。
「いいか泣いて暮らすも、笑って暮らすも、人生はわずか70年しか
生きることが出来ない。お前は笑って生きるのか、
泣いて生きるのか、今ここで決めなさい」
私は子供心のままで「笑って生きます」と応えた。

そして別の日には「いいか真珠と言うのは石粒や貝殻の破片を
飲み込んで痛さに耐えている。しかしその痛さに耐えたからこそ
光り輝く真珠が生まれるのだ。お前も今の悲しさや心の痛さを我慢していれば、
いつか心の中に光り輝く真珠が生まれて来るのだ」

それ以来、いじめにも人生の困難にも耐えて笑うことが出来るようになった。
他人の悲しみが自分の事のように分かるようになった。
泣いている人がいれば声をかけられるようになった。
正しいか正しくないかより、強い立場の者が、弱い立場の人間を
攻撃するのが一番良くないことを知った。

芸術家も音楽家もアスリートも同僚や世間から理不尽な攻撃を受ける。
しかし、その悔しさや、苦しさや、挫折を多く経験した者こそが強くなれる。
強くなるという事は記録を塗り替えることでは無く、心の痛みや優しさが
分かるようになる事だ。

目の前に傷ついて倒れている人が居れば手を差し伸べることが正義であり、
正義は沈黙の中で生まれるものではなく、声を上げてこそ意義のあるものである。
見て見ぬふりをして通り過ぎるのは人としてあるまじき行為である。

最後に私の心に残る言葉をご紹介します。
非暴力抵抗活動を行った穏健派指導者キング牧師の言葉より。

最大の悲劇は、悪人による圧力や暴力ではなく、善人による沈黙である。
直面する問題に対して沈黙しようと決めた時、我々の人生は終わりに
向かい始める。
あなた達は、「発言」にだけでなく、「無言」にも責任を負うべきである。
この世で、「究極の無知」と「真面目な馬鹿」ほど危険なものはない。
愛だけが、敵を友人に変えられる唯一の力だ。
マーティン・ルーサー・キングJI.
(1929年1月15日-1968年4月4日)

心に刻んでいて欲しい言葉です。


心に交わる




初めてのデートで奮発して高級レストランを予約した。
若い2人には似合わない雰囲気の店でしたが最高の思い出作りに選びました。
最初にパンが出て来て彼女が間違ってガーリックバターを塗ってしまいました。
本来ガーリックバターはステーキに塗るものですが、
彼女はそれを知りませんでした。ウェイターが驚いて言葉を出そうとした 
瞬間に、私もパンにガーリックバターを塗りました。
美味しいね!でももう一つのバターも試してみて、こっちはハニーバターだから
甘いのが好きな僕はいつもこっちのバターを塗るのさ。
彼女も微笑みながら「本当だね!私も好きかも」と言いながら食べました。
ステーキも食べて、デザートも食べて、コーヒーも飲んで楽しいデートでした。
食事を終えてお勘定の時にレジにいたオーナーが「ナイスフォロー」でした。
私達も勉強になりましたと声をかけてくれました。

ある日友達ががん治療の最中に学校へやって来ました。
長い髪が自慢の女の子が毛糸の帽子を被って教室へ入って来たのです。
みんな事情がわかっているので普段通りの笑顔で迎えました。
しかし、それを見てクラスの中でも一番の問題児が驚いた表情をしていました。
そして次の日にその児童は髪の毛を切って坊主頭で登校したのです。
いつも一番先に彼女をいじめていた彼が彼女の悲しみを察知したのです。
彼には彼女が勇気をもって登校した気持ちが伝わり、
慰めの言葉がかけられずにいきなり髪を切って来たのです。
そうすると次の日には坊主頭で登校する男子生徒が増えたのです。
そして最後には先生までもが髪を切ってきたので教室中に笑い声が響き渡りました。
がん治療の女の子はまもなく死ぬことがわかっていました。
最後のわがままとして学校へ行き友達に会いたかったのです。
息を引き取った彼女の病室に飾られた写真立てには坊主頭の友達と一緒に
笑顔の彼女も写っていたのです。

ボロボロの服を着て髪の毛も洗っていない男の子が毎日店の前に立っていました。
私はお客様の邪魔になるから毎日少量の食事を与えて帰らせました。
ある日その子が近くの薬局で万引きをして捕まりました。
警察に連れて行かれる寸前に私が立て替えるから離してくださいと
お願いをして解放されました。手に持つ袋にはいくつかの薬が入っており
事情を聞くと母親が病気であることを知りました。

店を手伝ってくれている娘にも彼が来たら食事を渡すように伝えて数年が経ちました。
さらに年月が過ぎた頃に私が突然心臓の病で倒れてしまいました。
病院へ担ぎ込まれた時には手術をしなければ助からないと言われたのですが、
高額な費用を支払う余裕はありません。

娘は、家もお店も売れば少しはお金が入るので、それを使って手術を受けさせようと
しました。貧しい我が家には貯金もなく全てを売って支払うしかありません。
そして無事に手術が終わり退院する時に看護師が請求書を持って部屋に来ました。
高額請求を予測していたので恐る恐る見るとそこには「支払い済み」と
書かれていたのでした。事情を看護師さんに聞いても分かりません。
院長先生がハンコを押しているので問題ありませんと言うだけです。
よく見ると請求書の最後に「子供の時に沢山支払っていただいたので、
その支払いと相殺しました」と書かれていました。
そうなのです。あの時の貧しい子が一生懸命勉強をして医者になっていたのです。

私は恥をかいている人を見過ごせない性格です。
それは子供の時に周りから散々恥をかかされたからです。
多くの人は貧乏を笑われても我慢できるのですが
恥をかかされることは苦手です。
しかし恥は他人がフォローすると笑いのネタになる事もしばしありました。
それが共感であり思いやりに繋がることになるのです。

わたしは猛烈に勉強をして実業家になり、もっと多くの人を救いたかったのですが、
選択したのが音楽の世界でした。
それなら音楽でたくさん夢を作れば良いと今まで頑張って来たのです。

音楽は瞬間の芸術です。ある意味食べ物と同じです。
その時には満足するのですが幸福感が長く続きません。
しかし何度でも繰り返すことは出来ます。

人に対する恩も「受けた恩は石に刻み与えた恩は水に流せ」です。
受けた人が負担に感じるようであれば本当の恩とは言えません。
さりげなく対応するのが親切です。決して恩を売ってはなりません。
ある意味空気と同じかもしれません。生まれた時から誰にも教わらずに吸って
吐いて来ました。太陽や水も同じですね。当たり前のように受けた恩です。
人は自然界からたくさんの恩恵を日々受けています。
そのことに感謝しなければなりません。

私は朝夕に神棚向かって感謝の祈りを捧げます。
全ての生き物は自然界に感謝の気持ちを伝えなければなりません。
これこそ最大に与えられた恩なのに人は心に刻んでいません。

相手の心に交わりながらできる時にできる最大の行為をするべきです。

「江戸仕草」という言葉は聞いたことがあるかと思います。
江戸時代の大衆が社交的マナーとして取り入れた所作です。
これは江戸には地方から来た多くの人が住んでいたために、暗黙の了解として
広まったのです。いわゆる地方の言葉や風習が理解できないことで、
多々問題があったということです。その時に諍(いさか)いの無いように
出来た思いやりの仕草です。
子供の時に礼儀として親から学びマナーとして身につけたのです。
相手に不愉快な思いをさせない為に言葉ではなく行動で示したのです。

今後日本の人口減少に伴い海外の人が大勢住むことになります。
言語や習慣やモラルも全く違う人たちと一緒に暮らすのです
いたずらに親切にするのではなく江戸仕草のような暗黙のルールを
作らなければならない時代が来ます。共存共栄の新しいスタイルです。
自分本位の若者が増えた日本ではとても難しいことでは無いでしょうか?
それ以上に外国人アレルギーの人にとっても難しい問題になると思います。

子どもは自然に相手の心に交わることを知っているのです。
大人になると損得で判断するので心とは無縁になります。
海外の人との暮らしも子供は抵抗なく受け入れると思います。
それは心で交わる方法を知っているからです。


全てが逆なのです




「不幸」の逆は「幸福」ではなく「幸不」です。
すなわち幸福が不要だということです。
ですから辛い時ほどあなたは幸福だということです。
その時が成長のチャンスです。心の鍛錬の時期です。

私は子供の頃から苦労しましたが、それが辛いと思わなかったのです。
いつまでも暗い夜が明けないことは絶対無いと信じていたからです。
転校先でいじめられても、友達からの裏切りも、担任教師の意地悪も、
笑顔で全部返したのです。

独立して事業が失敗した時にも一人で耐えて冷静に過ごしました。
何故ならどん底に辿り着けば上に上がるしか無いと思ったからです。
悩みがあるうちはまだどん底ではありません。
ほんとうのどん底は頭の中が空っぽの世界なのです。

コップの水の例えもありますように、もう水がこれしか無いよと
否定的に思うのと、まだ水はこれだけあるよと肯定的に捉えると
逆の意識で強くなれます。空っぽにこだわらなくなるのです。
諦めるはあなた自身で決めるもので他人が決めるものでは無いです。
そうなれば残っている少ない水を希望に変えることも出来るはずです。
たとえば道の野草に水を与える。そこから花が咲き多くの人に安らぎを与える。
水の役割を飲むから注ぐと考えれば「諦める」という言葉は生まれないのです。

あるとき韓国の教会へ多額の寄付を申し出た著名作家がいました。
そうすると牧師さんが一言いいました。
あなたの行為はとても嬉しいのですが、寄付は多くの人が
持ち寄ることで意味があります。あなたの寄付を受け入れてしまうと
貧しい人たちからの寄付の機会を奪ってしまうのです。
お金を持っている人が募集金額を全部払う行為には意味がありません。
貧しい人が希望を見つける機会を奪ってしまうからです。

普通で考えると1人の人で目標が達成されるなら
ラッキーと思えることが逆だということがわかりますか。
我々人間は損得勘定が先に頭に浮かびます。
時間が短縮できた、目標が達成された、手間暇が省けたなど、
効率の部分でしか判断できません。

大型の豪華客船も見えないところで頑張っている部分があります。
それは錨(いかり)です。錨が無ければ船は停泊できないのです。
見える部分はきらびやかですが見えない部分の錨があってこそ
停泊時にも快適に過ごせるのです。
見えない部分が見える部分をいつも補助しているのです。

お金に恵まれて派手な生活をしている人は落ち着くところがなくて不幸です。
財産を維持しようとして他人がみんな悪い人に思えてしまうことです。
それだといつまでも安心とやすらぎは得ることが出来ません。
あると思うところには何もなく、無いところにはすべてがあるのです。
見えないところを見る、逆から見る習慣を身につけましょう。

アメリカのミリオネラーの言葉に「Low key」というのがあります。
目立つような派手な暮らしを避けて質素に暮らそうという意味です。
お金のあるなしに関わらずに人間性を大切にして生きていこうという事です。
今の時代は派手さを嫌う風潮が尊ばれるようになってきたという事です。

みんな逆なんです。仏教のなかには,「托鉢」という行があります。
笠をかぶったお坊さんが手に鉢をもって家々を回りお布施を頂くという行です。
お釈迦さまは托鉢に向かう弟子たちに、こう言ったんです。
「お金持ちの家ではなく貧しい人たちの家を回って托鉢をしてきなさい」

普通、お布施をいただくのですから、お金持ちのところに行くのが常識ですよね?
しかし、お釈迦さまの思いは別のところにありました。
貧しい人がなぜ貧しいのか。それは、自分のためにしかお金を使わないからであり
その人たちに与える喜びを味わってもらう機会を生みだすのが、
托鉢の真の目的だったのです。

絵本作家の「のぶみさん」がこう教えてくれました。
「神社のご神体が鏡なのは、なんでだと思いますか?
鏡は、『この世界はすべて逆なのだ』ということを教えてくれているのです。
鏡に映すと、右と左が逆になるように。

神社では、お願いをしにくる人の願いが叶うんじゃなくて、
神様の願いを聞きにきてくれる人の願いが叶うんです。
逆なんです。

神社で売られているお守りもそう。
お守りに守ってもらおうと頼る人が守られるのではなく、
このお守りを守ろう・守ろう、大切にしようと思う人が守られる。
逆なんです。

神様の願いを聞きにきてくれる人というのは、自分の願いだけを言いに来る人ではなく、
みんなの幸せを願いにくる人だそうです。
だから、のぶみさんは神社ではこう祈っているそう。
「神様のお手伝いができますように。日本が ちょっとでも良くなるように、
がんばりますから」

私も昔宮司さんから言われたことがあります。
あなたが人生最後の食事を選ぶとしたら何を食べたいのですか?
おふくろの作ってくれたオムライスやおにぎりを食べたいと答えました。
そう言うと宮司さんは本当に神様に感謝の気持ちがあるのならば、
最後の食事はこれからも生き続ける人達に提供するのが正しいのです。
私は深く反省しました。頂けるからありがたいのではなく、
断ることもありがたいの行為であることを知りました。

今まで学校で教えていただいたことは一方向の教えです。
正義か悪か、高いか低いか、多いか少ないかの教えです。
これが民主主義の基本的な考えで、多数決で決める方式です。
声を上げられない人の意見は完全に無視されてしまうのです。

個人の置かれた環境やその村で正しいという考えは必要なく
日本全体の法律で取り仕切ろうとする考え方です。
都会暮らしの人が山の斜面の危険性や川の蛇行が引き起こす水害を
想像することは不可能に近いのです。

大勢の人が、これが正しいと手を上げている場合は疑ってください。
少人数の人たちが集まりことを起こした場合でも世の中が大きく変わります。
価値観は「逆もまた真なり」という考えで判断してください。


症状か原因か




不登校の児童を持つ家庭に先生が尋ねてきた。
学校に来ないと授業に遅れるぞ。テストの出来が悪くなるぞ。
友達も寂しがっているから学校に来る様にという話ばかりだった。
それを聞いていた母親が「先生、先ほどから話を聞いていると、
先生や学校の事情ばかりで子供がなぜ学校へ行かなくなった、
原因を一切聞こうとしないのは何故ですか?」
母親は「私も納得がいかないので子供を学校へ行かせません」と答えた。

学校の先生は大学で教員課程を学べば誰でも先生になれます。
しかし教師にはなれません。教え方の方法は学ぶのですが
子供は一律に同じではありません。
先生は年間のカリキュラムで決まっていることを教えるだけで、
各子供に適した教えはできません。
子供達に理解されようがされまいが一切関係ないのです。
だから教える師ではないのです。けっして教師ではないのです。
決められた内容しか教えられないのであれば、
これからはChatGPTに任せて授業を進めれば良いのです。

「この国は実利と効用に尽きる」
「心臓は何のためにありますか」と言う質問に「心臓は血液を送るポンプです」
と言えば皆さん納得されます。同じように「目玉は何のためにあるのか」
と言う質問に「ものを見るためにある」と答えます。「鼻は何のためにあるのか」
「においをかぐためにある」というと、そこで話は打ち切られます。
それ以上の質問は聞き入れてくれません。

私が小学生の時に学校の先生に「1+1は何故2になるのですか」
と聞いて叱られました。
私の質問は「誰が何のために何を必要としてこの方式を作ったのか」だったのです。
それに答えを求めたのですが、授業の邪魔になるからと廊下に立たされました。
教科書に在るべきことがすべてでそれ以外は質問を受け付けなかったのです。

「先生の為の学校」
先生にも世の中の変化や子供たちの心理状態などを学ぶ学校が必要です。
教員免除を習得して教室を受け持ったらそれで終わりではないのです。
そこから始まる学びの中に「不変の学び「倫理・道徳」」「哲学」、
「変化の学び「テクノロジー&AI」」
「世界の中の学び「地理・経済・国力」」が必要です。
日本は防衛と食料とエネルギーを他国に頼っています。
一旦戦争が始まってこれらを停止させられたら戦う間もなく敗北をします。

何故こんなに重要なことを子供達に教えないのでしょうか?
それは世界が強い日本を望まないからです。

敗戦国日本は未だ戦勝国のアメリカに頭が上がらないのです。
アメリカの51番目の属国として好きなように管理されているのです。
経済も医療も食品もあらゆるものが日本の地で試されているのです。
医薬品も農薬も食品添加物も自国では禁止して他国では使わせる。
直接的な痛みが現れない分だけ他人事で済ませているのです。
臆病な政治家や大人たちに任せるのではなく、若者たちが動き出さなければ
この先日本独自の理想的な未来はやって来ません。

「主人となるか奴隷となるか」

きこりの話
6時間で一本の大木を切り倒すきこりと、3時間ノコギリ歯を磨ぎ
1時間で大木を倒すきこりのどちらが正しいのでしょうか?
普通の主人は6時間の方を選びます。
なぜなら労働者に苛酷な作業に当たらせて思考を奪う方が使いやすいからです。

学習とは常に努力を奨励しますが、何故同時に効率も教えないのでしょうか?
一概にアメリカ流の効率ばかりを教えるのは良く無いと思いますが、
日本の職人の世界は効率よりも最初に無駄と思われることを教えます。
その無駄が初めてわかって職人としての工夫を見つけ出せるからです。
安易に楽な方を薦めるのではなく2つのことを同時に教えることが必要です。

サーカス団の象
ある時に近くに来たサーカス団のテント村へ尋ねたところ、空き地に繋がれている
象を見つけた。そこで不思議に思ったのは大きな象を結んでいるロープが
あまりにも細かったからです。そんな細いロープに繋がれた大きな象は
何故ロープを引きちぎり逃げ出さないのか?

飼育員に尋ねたところ象が未だ小さい頃に何度も逃げ出そうとしたのだが
その細いロープを引きちぎることができなかった。
その時から逃げるのを諦めてその細いロープでも抵抗しなくなったのだという。

一度の失敗で自分は能力がない力がないから無理だと、
決めつけている人は多くいます。
そこで挑戦することを諦めたらこの象と同じ道を歩くことになります。
世の中の理不尽な細いロープに縛られて逃げ出すことが出来なくなるのです。

自分が何故動けないのか症状ばかり見るのではなく原因を探るのです。
学校の先生が不登校の生徒を学校へ引き戻すのが仕事だと思っているから
何も改善されないのです。原因はどこにあるのかを探り出さなければ
何度も同じことを繰り返すことになります。

私は子供の時から挑戦ばかりしていました。
別に人より勇気があった訳ではなくそうせざる得ない家庭環境だったからです。
人と同じ考えを持ち、人と同じ道を歩けば、自分の居場所がないことが
分かっていたからです。
そして沢山の成功は沢山の失敗から生まれることも知っていたのです。

子供達に教えたいのはこの失敗の重要性です。
楽なことや調子の良いことに気を向けるのではなく、
人がそれは無理だと言われることに挑戦するのが重要なのです。

人は年齢を重ねたから老いるのではなく夢を諦めた時に老いる。
たとえ20歳の若者でも夢を諦めればそれは老人なのである。
サミュエルウルマン「青春」より

「若き日に薔薇をつめ」
赤く情熱的な薔薇(夢)を素手で掴め、
たとえ鋭い棘に刺されて血が出ても若者はすぐに傷が癒される。
棘を恐れ、挑戦をしないだけで人生を過ごすのはすでに老人である。
稲葉瀧文「恩学」より

ロックシンガー伊丹谷良介と始めたロックサロン「うた」。
毎月テーマを決めて音楽とナレーションと映像で展開する。
演奏終了後には観客と対話をする。
あえて小人数の場所で東京・京都・名古屋と展開をしているが、
今どき採算の合わないライブをやるアーティストはいないが決行している。
50歳を迎えたロックシンガーと75歳のプロデューサーの挑戦である。
熱い男たちの終わらない挑戦でもある。
音楽は常に市民活動の中にあって時代の主張がなければならない。
だから観客は決して音楽好きだけではなく一般の人たちを対象にしている。

1月「ブッダ」・2月「生命」・3月「芸術」・4月「科学」・5月「こども」
のテーマで行われた。6月は「音楽」で7月は「自然」です。
あなたには想像つくだろうか?このタイトルでライブが行われていることを?
毎回終了後の観客は周りの観客と対話を始めるのである。
まるで良質の芸術と触れ合ったあとの心地よさが言葉に変わるからです。
良質の音楽とは演者も聴衆者も垣根のない世界である。
左脳と右脳が同時に刺激されると思考は言葉に変わるのです。

音楽も教育も理屈ではない。誰もやっていないから無理だと決めつける
症状主義では何も変わらない。我々はあえて原点に挑戦しているのである。
音楽から紡ぎだされる感動は静かに伝わり市民を動かす。
そして国も変えることも出来ると信じているのです。

膠着した脳の原因を見つけることが出来れば簡単なのである。
症状で騒ぐのではなく、原因を探し出すことが大切である。
あなたも今悩んでいることの原因が見つかれば楽になります。


ブータンの子ども




ブータンの学校での出来事
ブータンの学校に行ったときに、女の子や男の子に
「いじめはありますか?」と尋ねました。
「いじめってどんなこと?」ということで
「一人だけをのけものにしたり、ものを隠したり、ひどいことを
みんなで言うこと」というと、

ブータンの少年は不思議そうな顔で私に、
「どうして、なんのためにそんなことをするの?」と聞きました。
「そんなことをしたら、自分のことが好きになれない。
好きになれなかったら、誰のことも幸せにできない。
自分も幸せに生きられない。どうしてそんなことをするの?」
と尋ねられました。

そして、ブータンには泥棒がいないとガイドさんが言いました。
どうして?と尋ねると「そんなことをしたら、自分が恥ずかしいでしょう。
そしてそんな自分を誇れない」と。
私たちも昔、「誰が見ていなくても、お天道さんがみておられる」
と言いました。少年の言葉にもガイドさんの言葉にも涙が出ました。

そして、泥棒やいじめがあっても当たり前のように思っている
自分が恥ずかしくなりました。私も自分を好きでいたい。
自分を誇りに思いたい。自分に恥じないことをしていきたいと思いました。

ブータンの子供達の話を聞いてお釈迦様の言葉を思い出しました。
臨済宗円覚寺 横田南陵管長日記より

お釈迦様は今から二千五百年も前にお生れになって、
厳しい修行をして、みんなが幸せに暮らせるのはどうしたらいいか、
一つの方法を見つけましたと話をしました。

それは何かというと、
「自分がされたらいやだなあ、と思うことは人にもしない!」
ということです。この一つが実践できたら、世界はすぐ平和になります。
簡単なことですが、大人もできないのです。

自分がされたらイヤだと思っていることを、したくなることもあるのです。
叩かれたら痛いのです、いやなのです、だから人を叩いてはいけないのです。
悪口を言われたらいやなのです、だから人の悪口を言わないのです。
自分が嫌だと思うことは、人も嫌だと、人のことを思いやるのです。
この思いやる心が仏様の心です。

誰しも人はこの思いやる心、仏様の心をいただいています。
そのことを説いてくださったのがお釈迦様ですとお話したのでした。

通園している園児のおばあ様より聞いた話です。
子どもが三歳の時というのですから、五、六十年ほど前のことでしょうか。
あるとき、その子がいつも暴力を振るうガキ大将に叩かれて帰ってきたというのです。
お母さんは「あなたが悪くないのだったら、やり返しなさい」と言ったそうです。
「男の子は負けてもそのくらいの気概は欲しい」と思ったのでした。

ところが、その三歳の子が「お母さん、叩かれるとものすごく痛いんだよ、
僕が叩いたらあの子も痛いだろう、だから僕は叩かないよ」と言ったのでした。
僕が叩かれると痛いのだから、あの子も叩かれたら痛いだろうと、
これが思いやる心です。その心をうまれながらに持っていたのです。
親から教わったのではありません。
親から教わろうとしたのは、やり返しなさいということでした。
しかし、本来もって生まれた心は、思いやる心だったのです。

私は今「老人と孫」という対話集会に老人として参加しています。
何故この会が始まったかと言うと昔話に由来しています。
「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました」
多くの童話はこの言葉から始まります。
そして子どもは桃の中や竹の中から生まれてきたのです。
しかし、不思議なことにどの昔話にもお父さんやお母さんは出てきません。

それは何故かと言うと子供たちはおじいさんやおばあさんから、
幸せや、優しさや、平和を教えてもらえるからです。
お父さんやお母さんは頑張ることばかり教えて叱ってばかり。
その為に子供たちは本当の悩みはおじいさんやおばあさんにしか言わないのです。

「老人と孫」は回を重ねるごとに参加者が増えてきています。
保育士、介護士、栄養学士、彫刻家、ストリートダンサー、演出家、企業家
不登校児童、アーティスト、著作者、講演家、画家など
多彩な人たちが集まってきます。

毎回、孫たちから出てきた議題に老人たちが話を加えます。
決して説教でもなくお仕着せの理屈ではなく悩みを解決していきます。
老人たちも、煎茶道の元家元、著名画家、元証券会社役員、音楽プロデューサーと
自分達の経験を通して対話を楽しみながら話を進めます。
学校の先生も親も教えてくれなかった悩み事をお爺さん達に質問するのです。
それに呼応して参加者の中から手が上がり話をする人が続出します。

老人と孫が素直に話し合えれば争いは無くなります。
あらゆる内容で今後「老人と孫」の活動を広めていきたいと思います。
仏教の教えにあるような正道を伝えていきたいと思います。
平和活動にも貢献できるような対話集会へとすすめていくつもりです。
世界で一番暮らしやすいブータンのように日本もそうありたいと思います。

その為には、「小欲知足」を守ることです。
奪い合えば足りなくなり、分け合えば余る。
我々が生きる為にあらゆる植物、動物、水産物に感謝する。
全てのものは、3/1は自分のために、3/1は自然の為に、
3/1は未来の子供達の為に!ワンサードの精神です。
この心を忘れないようにしていきたいですね。

世の中の大半の人は自分が目立つ綺麗な花になろうとします。
学校の教育では何事も成功することが正しいと教えるからです。
お金持ちが成功者だとみんな勘違いして略奪が始まるのです。
その為には他人の土地を荒らし、自分の畑を広げることが平気になり、
大人も子供も奪うことに専念して人を平気で騙すようになる。

日本人の生き方はブータンの子供達と同じ様に昔は思いやり国家であった。
生きる為にお金は必要だが、お金のために生きることは、
恥ずかしいことであると教えられた。
自分が隠れてした良い行いも、悪い行いも「お天道様が見ているよ」と
教えられて来たのです。そしてそれが自然に身について来た時代がありました。

神社やお寺の境内で子供たちが「むすんでひらいて」を歌い続けたのは
日々神様や仏様への感謝の気持ちを遊びながら学んだのです。
むすんで」は高皇産霊尊(たかむすびのみこと)が、神々の世界と人間界を
「むすであげましょう」という意味で。「ひらいて」は仏からほどけ、
ほどけるから、ひらくとなったという説です。

日本には不思議な童謡が多くありその中の一つに「かごめかごめ」があります。
一説によるとかごめかごめの籠の網目は妊婦さんのお腹で子供がいつ出てくるの、
鶴と亀は長寿の象徴でそれが滑ったとなると子供が流産した?
「後ろの正面だ~れ」で誰かが後ろから押したと結ばれるとなっていました。
それほど子供が無事に産まれるのが大変だった時代だと思われます。

ブータンも日本も狩猟採集の国です。
自然と共に生活をして自然に感謝しながら暮らしてきた国です。
その年に収穫した分で暮らしてそれ以上のものは不要とした。
荒野で暮らす騎馬民族の様に他人の物を奪うことは必要なかったのです。
彼らは体力を温存させるためには肉類を主食としたのです。
その為に多くの動物も犠牲になったのです。
我々は正しく真っ直ぐに生きる正直の国なのです。

皆様もどうぞ、
美しい花になるよりも美しい花を咲かせる土壌になってください。
この言葉を忘れない様にしてくださいね。


音と音楽




3月 6th, 2024 再投稿(改訂版)

音は自然界の音と古代人が二足歩行になってから、手を叩き、石を叩き、
落ちている木を叩き、手当たり次第に叩き回って、音を出していたのでは
無いかと推測される。それは襲ってくる動物から身を守るためのものであり、
神への祈りでもあり、歓迎の儀式でもあったかと思われる。
現代でもアフリカの民族の中には同じ行動をする種族もいる。

中国雲南省の山の民族は歌いながら求愛行動をする部族がいるという事です。
山を隔てて若い二人が歌いながら愛を告白する姿は、
まるで鳥のようであると言われている。
スペインの原始人はアルタミラ洞窟の中で火を焚き朦朧とした中で
壁画に没頭して描いていたとされている。壁画が書き終わるまで、
穴の入り口では物を叩いて音を出し大声で叫んでいたのでは無いかと推測される。

楽器の原型はすでにギリシャ時代からあり音楽として発展したのは
中国が発祥では無いかと思われる節がある。
音楽の文化でわかっていることは、BC.4000年ころに、
西南アジアに住んでいたスメル人によって作られたといわれている。
ペルシャ湾に近いウルという町からは、黄金をちりばめた楽器や、
楽人が演奏している図らしい彫り物なども発見されている。
西南アジアの文化は、エジプト・アッシリア・バビロニアへと広がり、
さらにアラビア・インド・中国へと伝わっていった。

また原始時代は今に残る遺跡や文字等ができる以前の時代であり、
比較的小さな集団で地域に合った生活を営んでいて、音楽においても(楽譜)と
いうものは無く、その場で即興的につくられたものだったと思われる。

生活様式と音楽との結びつきは密接であり、(協同)で作業する人々は
合唱や合奏が上手で、あらゆる機会に音楽したと思われ,子守歌や愛の歌,
喜びや悲しみを歌ったもの, 神をあがめた歌や労働のときの歌があったと
考えられる。また、古代以前の人々には音楽に魔的な力があると考えられ、
呪術や医療などにも音楽が使われていた。

楽器についても当然使われていただろうと考えられる。草、木、土、石、
骨など自然素材を利用し、簡単な(笛)や(打)楽器が用いられたと思われる。 
古代文明は紀元前3000年頃から始まり、メソポタミアや(エジプト)の遺跡には
楽器を演奏している様子を描いたものが多くあり、そのことから、かなり進んだ
音楽をもち、公私にわたり音楽が重要な役割をはたしていたことがわかる。
また、そうした音楽に必要な楽器も、この時代にはある程度の形を整え、
機能的にも十分に使用に耐えるものになっていた。

日本では、楽器には、東洋独特のものがあり、曲や音の扱い方などにも特徴がある。
まず縄文時代 BC.5000年では、打製石器を使って狩猟漁労が始まった。
そして、動物型や土偶の中には、明かに音を出すことを意識して作られたものがあった。声をあげるのがおもで、そのあいまにごく簡素な楽器が奏でられたのだった。

今日出土しているのは石笛その他、土笛、土鈴を双口土器及び象形土製品等がある。
ついで弥生時代 BC.200年に稲と金属使用とともに農耕社会が形成され、
収穫期にはシャーマニズム信仰による儀式が行われ、その儀式に付随して簡単な
歌謡や舞踊がはじまった。始めは即興的なものであったとされている。

この歌謡の形が芸能として後世まで伝わったと考えられている。
その楽器のうちこんにち出土しているものは陶、琴、銅鐸である。
それからも音楽は依然として歌と舞が中心だったが出土する楽器は増え、
笛、鈴、琴、太鼓、鼓、四ッ竹、それと共に歌いながら踊る楽人の集団が
すでにそのころ発生していた可能性があるといわれている。 

また「うた」の音域はせいぜい5度以内で、リズムは2拍・4拍を楽器で
きざむか無拍節リズムといわれる自由リズムで、音の高低だけで
メリスマティック(1つのシラブルについていろいろと異なった高さの音を
用いて長く延ばして歌っていく、このような歌い方は、今日に至るまで
邦楽のごく一般的な歌唱である)に歌ったと思われている。 

「うた」と「ことば」は互いに密接に関連して切り離して考えられないもので、
江戸時代が終わるまで音楽を楽しむということは、歌を歌うことだった。
音律とは、音律の歴史をみると、古代ギリシャまでさかのぼる。
ピタゴラスが活躍した時代であった。古代ギリシャ時代には
こんにち私たちが使っている音楽理論の基礎の多くが、
ピタゴラスたちによってすでに開拓されていた。

音律もそうである。ピタゴラスが作った音律は「ピタゴラス音律」と呼ばれて、
古代ギリシャだけでなく、その後も単旋律の旋律を美しく響かせる音律として、
グレゴリオ聖歌が中心的な存在であったヨーロッパ中世から
13世紀にいたるまで幅広く支持されていたといわれている。
彼はモノコードという楽器で弦の長さを比較して、音がどのように
鳴り響いているのかを数学的に解明しようとした。
そして、弦の長さを半分にすると音は1オクターブ高くなることを発見し、
さらに弦の長さを3分の2にすると「ソ」の音が出ることを発見した。
また「ソ」の音の弦の長さを3分の2にして「レ」というふうにして
音を作っていき独自で音律を作った。音の起源より

今回の文章は学生から縄文時代にも音楽はありましたかと言う
質問から書いてみました。
先日、縄文時代の研究をしている会でも同じような質問があり、
私は持論として絶対ありましたと言い切りました。
真偽は定かではありませんが多少なりとも文献も残っています。

縄文土器の波型模様、三内丸山遺跡のやぐら、明らかに酒造りをした
壺も見つかり、神への祈りと共に収穫を祝う祭りが執り行われていた。
そこには絶対音楽が無くては成り立たないと言いました。

おそらく縄文土器の波型は音楽を聴きながら、
音符の様に作られたのではないかと推測します。
縄文人はうめき声のような声を発して歌も歌っていたと思います。

そして踊りを踊るダンサー(巫女)もその場を盛り上げたと思います。
古代史を想像すると話は尽きなくなりますね。笑い

音と音楽、未来はどのような進化があるのだろうか?
AIが作り出す楽曲がヒットを飛ばしている様子が目に浮かびます。


音楽プロデューサー




私が音楽に目覚めたのは中学3年生の時だった。
同じクラスの不良少女がビートルズの「A hard day`s night」を
ホウキ片手に歌っているのを見て衝撃を受けた。
ただの不良少女だと思っていたのにいきなりディーバーとして現れ
尊敬をしてしまった。私も勉強嫌いで不良では無かったが冷めた子だった。

高校生になってラジオからボブディランの「Blowin’ in The Wind 」が
流れてきた時には、ただただ憧れが心から湧き出てくるのを
止めることは出来なかった。
それと同時にこんなガラガラ声でも歌手になれるなら
自分にもなれるかと勘違いをした。
家には親父の古いアコスティックギターがあつたが弾き方は分からなかった。
早速楽器屋で譜面を買ってコードを覚えた。
耳から聞いた音をコピーし始めた。しかしあまり上達はしなかった。

高校のクラスメイトがPPM(ピーター・ポール&マリー)のコピーバンドを
組むので入ってくれと頼まれた。PPMはボブディランのカヴァーを
何曲もしていたので練習になると思いバンドメンバーになった。
何よりも楽しみはマリーパートの女の子が可愛かったことである。
工業高校は90%が男子で女の子に触れ合う機会が無かったから天国だった。
そこから歌とギターの猛特訓が始まった。

そのころ人気の「YAMAHAのライトミュージック」のオーディションにも出た。
かなり上位に食い込んだ。なんとなくその気になってきた時、
京都のお寺の参道で練習していた時にドイツTVの取材まで受けた。
その時同席していたNHKの担当者とも仲良くなった。
取材の内容が結構評判が良かったと聞いたのでメンバーは喜んでいた。
少しだけプロの世界へ足を踏み込んだ気分になった

大阪で人気のあったラジオ番組ヤングタウンにも出演して盛り上がったのだが、
気分的には1人でボブディランをやりたかったので、その後バンドは解散した。

大学に入り本格的にボブディランのコピーを始めた。
自分でハーモニカーホルダーを作り、校庭でハーモニカーを吹きながら歌うと
学生たちが大勢集まってきた。外大の英米語学科だったので発音は気にした。
そして「アメリカン・フォークソング・クラブ」からお声がかかり入部した。
ここからオリジナル曲も作り出しコンサートに出演するようになった。
本格的に何も訓練をしていないくせに平気で人前で歌った。

大学の夏休みに一番衝撃を受けたのが70年中津川フォークジャンボリーに
行った時である。岡林信康や吉田拓郎や加川良に惹きつけられてしまった。
私も第二ステージの下で、飛び入りで「友よ」を歌ったら大合唱が始まり
益々調子に乗ってしまった。
もしかしたらプロとして活躍できるのではないかと錯覚をしてしまった。

大学3年で中退して学校近くの工事現場で1年間アルバイトをした。
当てもないが英国へ行き音楽の勉強をしたかったからだ。
一番安い行き方が北回りで船や飛行機や列車を乗り継いで行くコースだった。
愛読書であった五木寛之「青年は荒野をめざす」に書かれていたコースだ。
横浜から船に乗りソ連経由で北欧を通過して12日ほどでロンドンへ入国をした。
着いたその日のうちに住むところとバイトを見つけ英会話の学校にも登録をした。

英国へ到着した時入管でトラブルがあってビザが1か月しかもらえなかった。
銀行口座を開設して見せかけの貯金残高と在学証明書は必須だった。
早くすべての書類を整えて再申請しなれば不法滞在となってしまう。
あとは管理局へ出向きビザの延長をするしかなかった。
当たって砕けろ!何とかなるさ。なにも怖くは無かった。

ロンドンに着いて少し落ちついてきたところで、
アコスティック系アーティストのサマーフェスがあることを知り
飛び入りで参加しようと会場に乗り込んだ。
しかし控え室のテントの中で周りの出演者のテクニックを
目の当たりにしたら血の気が引いた。
ギターテクニックのオープンチューニングなど知らなかったからだ。
自分の未熟なレベルで出演したら日本のアーティストの恥になると思い
飛び入り参加は断念した。

今の自分のレベルで地下鉄や街角で歌うには良かったのだが、
ステージで歌えるレベルでないことに気づきショックを受けた。

それでも何故かバイト先で世界的有名なドラマーのエルビン・ジョンを紹介され、
デパートで時間を潰していたら目の前にアメリカの人気歌手
ジェーム・ステーラーと偶然出会い、
ジャズクラブで声をかけてきたギターリストがバーニー・ケッセルという
凄いおじさんだったりして音楽から逃げ出せない運命だと気づいた。

これはプレーヤーとしては無理だがプロデューサーになるしか無いと
決心したのである。
そして1年7ヶ月滞在したロンドンを後にして日本へ帰国した。

日本には帰るところがなかったので、ホテルに2泊3日で泊まることにした。
チェックイン後すぐに音楽雑誌を購入して雑誌社へ電話をかけた。
ヤングギターの編集長から色々情報を聞き出し、一番良いとされたレコード会社
CBSSONYへ即電話を掛けた。

「ロンドンから先ほど帰国して才能があるから採用してほしい」
受けた相手は驚きながらも折角だからスタジオへ遊びに来たらどうですかと
誘ってくれた。今夜でも良いですかと返事したら六本木飯倉片町に
CBSSONYのスタジオがあるからどうぞと言われた。
生まれて初めて本格的な録音スタジオへ足を踏み入れたのである。

その時、私はロンドンから帰ってきたばかりである。
アフロヘアーにロンドンブーツ、破れたジーパンに毛皮である。
スタジオのドアを開けたらスタッフが目を丸くして迎えてくれた。

スタジオでのバイトが始まり数ヶ月してから正社員として採用された。
最初は勝手に宣伝プロデューサーと名乗り仕事をした。
すでにバイトの時に実績は認められていたので誰も反対はしなかった。
それはレコーディング中に聞いた楽曲「いちご白書をもう一度」を
独自の方法で宣伝して回ったら、その曲が大ヒットになったのである。
異色の業界-デビューであった。

それ以来、癖のあるアーティストはほとんど回されて来て担当になった。
しかしそのアーティスト達が時代の要求にはまり殆どがスターになった。
アーティストが売れると同時に私もプロデューサーとして評判がたかまった。
そして念願の制作プロデューサーとなってヒットを量産するようになった。
私の独自の売り出し方が評判となり取材を何度も受けた。

80年代後半に時代が変わりデジタル化になったことと
ハウスプロデューサーとしての興味が薄れ18年間勤めたCBSSONYを
退社して独立をした。その時に系列会社の社長にならないかと声がかかったが
もうサラリーマンは卒業ですと辞退した。

そして独立して10年間は苦労の連続だった。
やはりSONYという金看板は大きかった。付き合ってきた様々なメディアも
手のひらを返すように態度が変わった。仲の良かった作詞家や作曲家も離れていった。
私の強引さは独立した途端に傲慢な人物として嫌われたのです。
会社を辞めたら応援すると言っていたプロダクションの社長達も
訪ねていくと居留守を使われた。

冷ややかな時が過ぎていく中でアメリカのメーカーとの契約が突然切られた。
その時に倒産と破産を同時に味わった。

2000年絶望の淵からコンピューターのシステム会社へ転職した。
暫くは音楽を離れて苦手な業界へ身を置くことにした。
システム会社の取引先が韓国に有ったのでソウルへ何度も訪れた。
ホテルのテレビで見たドラマに興味を持ち日本へ紹介をした。
同時に配給会社も設立した。しかし日本での反応はイマイチであった。
その後NHKで「冬のソナタ」を放映したら爆発的に韓流ドラマの人気が出た。

同時期に中国の友人から中国の演奏家グループ女子十二楽坊を紹介された。
友人は各レコード会社から民族音楽は絶対売れないからと断り続けられたと言った。
友人から預かったビデオとデモテープを聞いて即北京へ飛んで契約をした。
その後女子十二学坊のプロデューサーとして参加して空前絶語の大ヒットを飛ばした。

プロデューサーは好奇心が旺盛で行動力がなければヒットは作れない。
私は常に「感即動」心で感じたら先ずは動いてみるがモットーです。
信念が変わらなければどんな分野に居てもチャンスは訪れるのです。

それらの経験を元に生き方や人生の醍醐味をノートに書き始めました。
常に人の心を見つめながら、感情の発露を気に留めてきました。
時代によって移り変わる人としての価値観、その価値観によって変わる感情、
自分から作り出す精神的な強さや脆さ、他人から影響を受ける感情の起伏、
それらをブログ「恩学」として書き始めたのです。
それが今や500作を超えています。恩から始まり恩に終わる人生です。

音楽から離れない人生に感謝しています。
私は一生音楽プロデューサーです。