信頼と期待




SNS上には感動の言葉の羅列が目に付く。
読みやすいように箇条書きにしている。
私も同じ手法を使うが果たしてこれは記憶に残るのだろうか?
多分発信者は思い入れがあっても受信者は無関心な場合が多い。

日々テレビに流されるコマーシャルは15秒から30秒サイズで作られる。
これを何回も繰り返して放映するので先に子供たちがCMを覚えてしまう。
CMは正しい日本語ではなくダジャレに近い造語が多いのが気になる。
そして商品とは無関係なお笑いタレントやアイドルが笑顔で会社名を言う。
消費者が商品選択の場合に「この名前聞いたことがある」で
買ってしまうことが多い。マーケテイングのAISASの法則です。
最近ではテレビよりSNSに流す方が、効果があると判断している。

一番気に入らないのはお酒と公営ギャンブルのCMである。
不特定多数の人達が見る公共の電波を使い悪影響の垂れ流しである。
儲かれば良いとする考えで作られるCMに対する企業の倫理は何処にある。
飲酒もたばこもギャンブルも年端もいかない子供への影響の配慮に欠ける。
何が秩序正しく規律を守る日本人なのか?嘘だらけである。

このようなCMに出演しているタレントや映画俳優は
イメージダウンにつながる心配はしていないのだろうか?
高額な報酬ならなんでもよいと営利主義になっているのだろうか?
お笑いを売り物にしている芸人さんは論外である。
もともと非常識を売り物にしているので一向にかまわない。
観なければ良いだけである。

正しい漢字に秘められた正しい解釈をしていれば正しい人間が育つ。
日本語表記は漢字・カタカナ・ひらがな・アルファベット・数字の5表記があり
右側から・左側から・上から下に自由に書くことが出来る。
最近では絵文字が加えられて6表記になったとも言われています。
世界でも珍しく識字率が高いのは漢字国家であるからである。
しかし我慢強くあれこれ欲しがらず必要な物だけを手に入れる
倫理的教育が完全にこの国から消えた。
規律なき民主主義、悪徳商法自由経済はアメリカから持ち込まれた。

いつの世も時の政治家に全幅の信頼を寄せて国民は思うままに従った。
しかし世界広しといえど政府に頼りすぎる国民は決して幸福にはなれない。
アメリカや中国の奴隷議員ばかりと失望しても抵抗は出来ない。
70年代、心ある若者たちは学生団体を主軸にして安保条約反対の声を上げた。
新宿西口で機動隊に殴られデモ行進を続けたが卒業前に親に泣きつかれて
力尽きた。その頃の若者たちはもうこの国も大人たちも信じないからと
海外へ飛び出して行った人間も多かった。
私も北回りの安いチケットを手に入れて英国へ渡った。

デジタルモバイルで感動の言葉を眼にしても流している場合が多い。
例えばこのような言葉を見た時にあなたはどのように感じるのだろうか?
「自分の幸せ」と「相手の幸せ」は違うこと
「悪い所」より「良い所」を見つけること
「言葉」に「責任」を持つこと
「知る」よりまずは自分を「知る」こと
文字を見る限りでは良い言葉ばかりである。
これをどのように受け取るかが大事です。
そして実践の方法が無ければただの言葉のメモになってしまいます。

人生の最後にスティーブジョブスが語ったこと
人生の最後に悟った紛れもない5つの真実。
金持ちになるために子供達を教育するのではなく
幸せになるために子供を教育するのだ。
そうすれば、彼らは大人になったとき
値段ではなく物の価値を知ることができるだろう。

食べ物を薬として食べなさい。
食事として薬を食べなければならない。
あなたを愛する人たちは決して見捨てることはない。
たとえ諦める理由が100あったとしても。
彼らは耐える理由を一つ見つけるだろう。

ただ早く歩きたいなら一人で行きなさい
でも、遠い道のりを歩くなら、仲間と共に進むべきだ。
世界で最も優れた6人の医師は、
日差し、休息、運動、ダイエット、自分への信頼、そして友人たち。
全てのステージでそれらを保ち、健康的な人生を楽しもう。

信頼は正しい発言をしたから良いのではなく、
正しい行いをしてから生まれるのです。
期待は他人に求めるのではなく自分に求めるのが大切です。
他人に期待すると失望が現れますので期待しないことです。

私の座右の銘は「愛語よく回天の力あり」です。
美しい言葉を使う方が正しいコミュニケーションが取れます。
どのような言葉も気を付けなければならないのは相手の受け止め方です。
自分が正しいと思う言葉でも相手を傷つけることもあります。

最低のマナーとして、
一) 勇気を与える言葉は面と向かって伝える。
二) 戒めの言葉は人のいないところでする。
三) 褒める時には他人から伝わる方が嬉しくなる
この三つを守ってください。

どんなに良い言葉でも伝え方を間違えれば相手に恥をかかせることもあります。
そして心に傷をつけてしまいます。
たった一言でも自殺の誘導になる事があります。
言葉は人生を変えるほどの力があることを忘れないでください。
そして極力「愛の言葉」をお使いください。

信頼するから期待をする、期待をするから絶望が生まれる。
私が最近学んだことは、言葉はほうり投げるのではなく手渡しすること。
それも、その言葉を求めている人、受け止める人の期待度にもよります。

昔TPOという言葉が流行りました。
時間と場所と目的と言う意味です。
話をするときにはまさしくその時の時間(朝・昼・夜)が気になります。
そして市民講座や大学の講義や社会人のフォーラムなどは場所も重要です。
そして最後に目的です。
主催者側とお客様のニーズが何かを知らなければなりません。
年齢も大きなファクトになります。

信頼と期待に応えるために正しい情報を集めるようにしなければなりません。
そして常に発信することも大切です。その時は言葉の手渡しをしてください。


あっさりと見放す




人との縁は良縁と薄縁がある。
長いお付き合いが大切だと言われるが執着する必要は無い。
できれば自分の意に添わない人間との関係は早めに終わった方が良い。
縁とはタイミングなのである。出会うべき時に出会う人が良縁で、
出会う必要がない時に出会う人はなるべく薄縁で終わらせた方が良い。

私のプロデュース法の基本は信頼と可能性である。
アーティストが頼ってくれば必死になって応援するが、
売れて反論が多くなれば担当から外ずれる。

例えばプロデューサーは象使いである。
相手が獰猛な象のままでは一生訓練だけで終わることがあり、
従順な象であればつねに晴れの舞台を用意することもできる。
象が主役でプロデューサーは誘導する人である。
この誘導の仕方で売れるかが決まる。
誘導とは共有の価値観と信頼がなければ務まらない。

アメリカのキング・オブ・ロック、エルビス・プレスリーと
プロモーター、パーカー大佐の関係を見ると分かる。
大佐はプレスリーの人気を商売道具として売り込み大儲けをした。
当初より音楽にはあまり興味が無くプレスリーの注目度に目を付けただけである。
しかし、当時のアメリカ(ロックに対して批判的)では、彼の存在が無ければ
エルビス・プレスリーがあれほどまでの人気は得られなかった。

白人社会では黒人の匂いのするR&B風ロックンロールは、自分たちが信じる
神への冒涜だと世の中に出ていくことを猛烈に反対したのである。
その為にプレスリーの母親は熱心な信者なのに教会への出入りを禁止された。
プレスリーに対して様々な妨害の中でコンサート会場の貸し出しも
禁止にしたのである。

私はヒットを出すためのプロのプロデューサーであったから、
常に売れることを目的として活動した。
新人を売り込むために放送局や雑誌社や有線放送やレコード店に
日参しました。代理店へタイアップの依頼もしてCMを取り付けもしたのです。
そして最後はテレビ局へ行って人気歌番組への出演もブッキングしました。

私の口癖は世の中の音楽には「好きな音楽」「良い音楽」「売れる音楽」の
3通りしかない。
偶然でヒットを出す人もいるがそんなタイプは一発屋で終わる。
ヒットが長く続かないのはプロデューサー不在のアーティストに多い。

必ずアーティストの面接の時に聞く言葉として上記の3点を言い、
「君たちはどの音楽がやりたいのか」決めてください。
そして「売れる音楽」と答えた人とだけ仕事をしたのです。

私のプロデューサー理論。
3流のプロデューサーは業界のルールと礼儀作法を教える、
2流のプロデューサーは現在売れている人の真似をさせる、
1流のプロデューサーはアーティストの才能を引き出す。

アーティストの才能の種を見つけても育てなければ意味がない。
そして良い作物に育てても市場に出さなければならない。
市場に出しても高値で売れなければ意味が無い。
どんなに良品であっても世間の市場価値を知らなければ売れ残ってしまう。

ビートルズのプロデューサー、ブライアン・エプスタインも
彼らの才能を認めつつ、髪形を変えて、服装を変えて、言葉使いを変えさせた。
メジャーになるには才能だけでなく印象にも注意を払わなければならない。
それに見事にこたえたビートルズのメンバーも売れることを望んだのです。
反骨のロックをファッションとして売り出した天才的なプロデューサーである。
私のお手本になった人です。

新人アーティストは売れていない時にはプロデューサーに従順であるが、
売れるとプロデューサーに対して反抗的な態度が現れる。
その為にエンタテインメントの世界では長期契約で縛ることが多い。
私は約3年をめどとして作業に取り掛かることがほとんどでした。

デビュー前は毎日未来の成功話で花が咲いた。
少し売れ出すとお互いの連絡の頻度が少なくなる。
アーティスト側から取材やコンサートや個人的な悩みの相談も無くなる。
どんな時にも夢を語らくなったアーティストは輝きが薄れていった。
そんな空気が伝わるとプロデューサーのスイッチもオフになる。

プロデューサーの仕事は、表向きは華やかで楽な仕事のようにとられる。
しかし、一人のアーティストを売り出すためには苦労の連続である。
代理店や放送局や出版社にどれほど頭を下げたか分からない。
音楽評論家からも悪口を好き放題書かれたこともある。
でも、そんなことよりもアーティストの新曲を心待ちにしている
ファンの事を考えると泥水も平気で浴びることができた。

普通の人に言いたいのはもっと「ドライに生きる」ことです。
その為に、
お人好しにならなくていい
いちいち反応しなくていい
よかれと思って動き過ぎない
やたらと笑顔を振りまかない
むやみに関わらない
必要以上に話さない
やみくもに心を注がない
いたずらに口を挟まない
わざわざご機嫌をとらない
無理に答えを出さない

社会に馴染もうとして無理をする。
会社に馴染もうとして周りに合わせる。
人間関係に馴染もうとして無口になる。
そんなことしなくても良いんだよ。
自分のペースで少しずつ慣れればそれで十分さ。
くだらない仲間や理不尽な社会に合わせる必要はない。
他人から自分らしさを笑われても気にしないこと。

ただ人を思いやる気持ちは失わないようにしなさい。
お金に執着しないようにしなさい。
ささやかな喜びを積み重ねて幸せになりなさい。
人生は自分磨きの連続です。
しっかりと磨いてくださいね。


アメリカの策略




石原慎太郎の書いたある書籍は、すぐさま英語に翻訳され、海賊版が出回った。
アメリカの政治家や実業家などの有力者たちは、この海賊版を手に入れようと、
書店をかけずりまわり、まさにお祭り状態となった。
その問題の書籍に全米が怒りをあらわにしたのだが、
その怒りの理由はむしろ、そこに書かれた意見というよりも、
そこに書かれた事実が真実であったからだった。

その書籍は「NOと言える日本」。
この本は石原慎太郎だけのものではなくソニーの会長盛田昭夫氏との共著である。
なぜアメリカ全土の怒りをかったかというと、
そこには、日本がアメリカを屈服させる方法が書いてあったのだ。
太平洋戦争で完全に負けたアメリカに、いまさら何で勝てるのだろうか?
鍵を握るのは、「半導体」だった。

実は、石原慎太郎のこの著書に書いてあることは、強がりでもなんでもなく、
実際に、当時のアメリカ国防省長官ブラウンが、強い危機感を抱いていた。
「もはや、日本の半導体なしでは、
 アメリカはミサイルを作ることはできない…」
当時、日本の半導体は世界シェア49%を誇り、世界の半分を占めていた。
特に大陸間弾道ミサイルを作るために使うような高性能な半導体は、
日本にしか作れないという状態だった。

日本は、半導体の製造技術でもって、アメリカの軍事的優位に揺さぶりをかけた。
それこそが、石原氏の主張した「日本がアメリカを屈服させる方法だった」
しかし…あなたもご存知の通り、
その後の「半導体戦争」に勝ったのはアメリカでした。

Apple、Google、マイクロソフト、半導体の力を駆使して、
世界のトップ企業に立ったのは全てアメリカ企業です。
そして、今では日本の世界における半導体シェアは、49%から6%まで
下がってしまいました…
では、いったいなぜ、そんなに半導体のシェアが下がってしまったのか?

1980年代に、日本とアメリカの間で何があったのか?
テレビや新聞は報じない、アメリカが日本に仕掛けた罠とは?
金融政策であった。
貿易関税を引き上げ、実質日本製品を買わせないようにした。
日本の半導体会社は幾ら良質の製品を作っても
売れなければ工場を占めなければならない。
その間、韓国と台湾に追い抜かれてしまった。

しかし現在2024年11月1日ワールドシリーズでドジャーズが優勝した。
その中で活躍したのは日本人の大谷翔平である。
ベースボールの記録を数々塗り換えて誰もが認めるスーパー・プレイヤーです。
WASP(ワスプ)と言われる白人たちは、はらわたが煮えかえっているはずです。
車や半導体なら関税を上げて阻止することもできたのだが、さすがに
人間の活躍には関税をかけることは出来ない。
しかしアメリカは怖い国である。ケネディーもキング牧師もジョンレノンも
理由をつけて射殺する事ぐらい平気で行う。そのような悲劇が起こらないように
祈るばかりです。

この原稿は昨年選挙前に書かれたもので古い情報になりますが、
今回敢えて掲載しました。
共和党のトランプ陣営が集まるフォーラムに参加した時に下書きをしました。

大統領選挙が間もなく行われるトランプにしてもハリスにしても
発言内容を聞く限りでは建国のリーダーの資質がまったくない。
逆に亡国の輩と言う言い方の方がふさわしいかも知れない。
アメリカを、移民を、女性を守ると言いながらうわべだけの
荒唐無稽な話を続けている。

政治情報サイト「リアル・クリア・ポリティクス」によると、
全米を対象にした各種世論調査の平均では、10月27日時点で、
支持率は民主党のハリス副大統領が48.4%、共和党のトランプ前大統領が
48.5%とトランプ氏が0.1ポイント上回っています。

選挙の行方を左右する7つの激戦州では、ハリス氏が複数の州でリードした
時期もありましたが、現在はトランプ氏がすべての州でハリス氏を上回っています。

ただ、その差は0.1ポイントから最大で2.3ポイントとわずかで、激しい競り合いが
続いています。ハリス氏は集会で「トランプ氏による分断と怒りの政治から脱却する
必要がある」などと訴えているほか、民主党内で今も人気が高いオバマ元大統領らが
激戦州に入るなどして、党を挙げて支持を呼びかけています。

これに対してトランプ氏は、バイデン・ハリス政権がインフレ対策や
メキシコとの国境管理で十分な対応をとらなかったとして
「ハリス氏は大統領にふさわしくない」などと批判し、支持を訴えています。

ただ、トランプ氏に対しては共和党内でも距離を置く有権者が一定数いて、
トランプ氏がみずからの支持層に加え、支持を広げられるかが焦点です。

大統領選挙の投票日が近づく中、郵便投票のために路上に設置されている
投票箱に火がつけられるなど、放火事件が相次いでいます。

このうち西部ワシントン州バンクーバーでは、28日の朝、日本の
郵便ポストのような形の投票箱から煙が上がっているのが見つかりました。

アメリカABCテレビが直後に撮影した映像では、駆けつけた警察官が
投票箱を開けてかき出した投票用紙が、ほぼ燃え尽きている様子が確認できます。

前日の27日朝以降に投函されたおよそ数百枚の投票用紙のほとんどが、
焼失したとみられるということです。

この少し前には、隣のオレゴン州ポートランドでも投票箱の一部が焼けて
投票用紙3枚が損傷し、警察は防犯カメラの映像などから、火が出る直前に
投票箱の横に車を止めた人物が相次いで火をつけたとみて、放火事件として
調べています。

日本ではありえないことです。
選挙とは政治とは、一部の権力者たちがゲームのように取り扱って
良いものでしょうか?民主主義とはそのようなものなのでしょうか?
しかし歴史を見る限りでは世界を征服したイギリスもフランスも
スペインもバイキングの国でした。
世界の金・銀・香辛料とありとあらゆるものや歴史ある財宝を盗んでいった
バイキングの国だったのです。

世界のありとあらゆる紛争・戦争は「金の流れを見ると分かる」と言われています。
民衆からの声「愛と平和と正直」で世界が変わったためしがない。

2025年1月20日トランプ大統領が大統領公約100の発令をだしました。
あらゆる団体から猛反対の声が上がりアメリカの良識が崩れたと言われています。
パリ協定からの脱退、WHOの援助停止、関税の大幅引き上げに
各国とも納得がいかず容認できるものではありません。

しかし、この混沌とした世の中を変えるのは常識では判断できない
トランプ大統領のような人物なのかもしれません。
裏取引のバイデン元大統領よりも分かりやすいのがトランプ大統領です。

今後ますますアメリカの策略が猛威を振るいます。
トランプがくしゃみをすれば日本も風邪をひくのです。
今は動向を見守るしかありません。


狂気なき天才とは




才能がある一般人と特別な能力を持つ天才との違い。
天才たちが必ずいう言葉は「天才とは努力の積み重ねが結果として
現れたもので、何もしなくて天才という人間は生まれない」
天才とは努力の積み重ねを言う。しかし多くの天才は克服の追求者で
あることには間違いない。自己実現型ではなく自己追求型である。

天才の顔つきは共通点が有る。どこか一点を睨め付けているような顔である。
そして一様に寡黙な顔つきで喜怒哀楽の表情を表さない。
天才は年齢に関係なく頑固者が多い。
何があっても信念は変えない一途な顔をしている。

天才に言葉は必要ない。しかしインタビューに答えるために
いつも目が動きキョロキョロしているのは精神的な不安と、質問者から
愚問を投げかけられた時に答えに窮して戸惑った表情になるからである。

以前、IPS細胞の研究をしている山中伸弥先生にお会いした時に感じた事がある。
山中先生といえば2006年にマウスの皮膚細胞から、2007年にはヒトの
皮膚細胞から人工多能性幹(IPS)細胞の作製成功を発表し、
新しい研究領域を拓く。これらの功績により、2010年に文化功労者として
顕彰されたことに続き、2012年には文化勲章を受章。
2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

お話上手で人の良い印象を持ったのですが、その眼光は鋭く目標に向かって
曇りない一点を見つめている顔が印象的でした。一度は研究発表を話された時、
また別の機会では支援金を集めるためのコンサート会場でお見かけしました。
ノーベル賞受賞者自ら資金を集めなければならない現実に少し驚きました。
ここに日本政府の文化芸術及び医学の研究者に国の宝として援助する気持ちが
無い事です。

過去と現代を比べてみると天才のスタイルが大幅に変わって来ている。
野球の大谷翔平選手や将棋の藤井聡太八冠といった、常人の想像を超えた
前人未到の道を切りひらいている“天才”の姿に日本中がわいている。
特定の分野に愚直に向き合い、それを楽しんでいる彼らの姿が、
いっそう私たちの好感度を高めている。

一方で、「天才と狂気は紙一重」という
言葉で表現されるような特徴は、かつての天才に欠かせぬものだった。

精神科医で批評家の斎藤環さんは「天才が持っているダークサイドに
今や人々が興味を失っている」と分析する。
天才像の変容について聞いた。
たとえば、19世紀の天才画家・ゴッホの人生はトラウマだらけです。
他にも天才的な詩人・宮沢賢治も妹を早くに失うなど、トラウマ的な
経験のなかで、激烈な創造性を発揮しています。

彼らが経験した厳しい逆境を踏まえるなら、最近の作家や制作者たちは
天才を“キレイ”に描いているなと思いますが、それはすなわち、
今や人々は天才の持つダークサイドに興味がないことの裏返しだと思います。
天才のダークサイドを描いても、人々に響かない時代になりつつある。
トラウマ的な経験のなかで、激烈な創造性を発揮してきたかつての天才たち。

AIの時代に入ると勝手にコンピューターが天才を分析してしまう。
少年時代、青年時代、世の中に登場した時代を理路整然と語る。
大谷翔平のように高校時代の計画表であるマンダラマップが提示されて
天才の凄さを見せることが簡単にできてしまう。
しかし波ならぬ練習方法や肉体改造の苦労までは書かれていない。

その上にSNSの影響で簡単に自宅が紹介されて奥様とのプライベート迄
毎日書き込まれてしまう。下品なのはそれをメディアが取り上げることである。
正式に取材できない部分SNSの情報を大衆に流してしまう。
モラルの低下とプロとしてのプライドの無さにはあきれてしまう。

過去には天才と称された画家山下清がいた。
<山下清(やました・きよし)> 1922〜71年。東京・浅草生まれ。
知的障害児教育施設「八幡学園」で貼り絵と出会い、顧問医らの指導で
才能を開花させた。18歳の時、学園を脱走。放浪生活を繰り返す。
戦後、各地で作品展が開かれ「日本のゴッホ」と評された。
徳川夢声との対談などでの発言「兵隊の位に直せば…」が流行語となる。

山下清に対する美術の専門家たちの評価は今も昔も散々です。
中身がない、深みがない、踊らされているだけ…。
彼を支援するはずの福祉の専門家からも「一人の天才を称賛するのは、
障害者の教育・支援の方向として間違い」と批判されます。
 
共通しているのは、山下への忌避感。専門家、職業人といわれる人たちが、
自分の地位の土台である「芸術は、福祉はこうあるべきだ」という固定観念が
揺らぐ危険を感じ、排除しようとしたとさえ感じます。
 
特に、美術の専門家たちの反応には、「高尚で洗練された」美術制度とは
無縁の山下のほうが大衆的には人気が高かったことへのねたみや怒りが見てとれる。
表面上は見えないように繕ってきた偏り、ゆがみ、傲慢(ごうまん)さが
見えてしまう。山下はまるで魔鏡のようです。
 
それでは山下の作品をどう見るか。正直、今でも正当に評価されているとは言い難い。
構図や色の選択はある意味で「凡庸」。絵はがき的と思えるかもしれません。
しかし、よく見ると常人には不可能な超絶技巧で作られています。
その技術の冴えだけでも一見の価値はある。

加えて、その描かれた時空間の独特さ。一瞬を写したような作品なのですが、
そこには山下が経験した長い時間が凝縮されて閉じ込められています。
それは写実のようで写実でない。克明に描かれた風景なのに、その中に入って
行ける気がしない。ギリギリのところで拒絶されているような、夢の中にいるような、
不思議な非現実感、距離感があります。

かと言って生気がないというわけではなく、山下が体感した現地の空気感も
生き生きと描かれています。
山下とは何だったのか。それが分からないから魅力的なのだと思います。
美術の世界でも福祉の世界でも外側に置かれてきた。
障害がある人たちの独特な美術作品が「アウトサイダーアート」として
注目されていますが、少年期に受けた美術教育の痕跡を色濃く残す山下の作品は、
そこにも居場所がない。

皆様は天才のダークサイドをどのように印象としてとらえたでしょうか?
私にとって天才とは狂気と努力の中から生まれるものと思っています。


AIの分別知




俗にいう「Al対人間」とはどの人間を指して述べているのか分からない。
AIのどのような機能と人間のどのような能力とを戦わせようとするのか。
進化という抽象的で曖昧な表現にもう人間は欺かれない。
全ての人がAIを受け入れているわけではないAIに無縁な人もいる。
便利なツールであることに変わらないのだが、便利ゆえに人間の思考が
退化する恐れがある。指先ひとつで文章からデザインから写真や動画まで
瞬時に操れる時代がすでに目の前に現れた。
頭の中でイメージするだけで理想的な作品が出来上がる。

私が人間として誇れるのは朝日を浴びて森の中を散歩する。
木々の緑の中を鳥たちが飛び回る。川の流れが聞こえてくる。
広がる大空を見ながら絵の具を取り出す。
そして真っ白なキャンバスに最初の一筆を塗りこめる。
黄昏時には真っ赤に染まる山々を眺めながらテントを張る。
漆黒の闇の中では星空が心を洗ってくれる。
流れ星を数えながらフクロウの声を聞く。
それぞれの音を出し合いながらコミュニケーションを取る。
そこに美しい音楽が生まれて来る。
頭の中も身体も指先にも感じる大自然の息吹が心地よい。
人間の想像力はそんなところから生み出されることである。

西洋学の「分別知」は良いか悪いかを分ける二元論的な考えです。
AIはここに力を発揮します。データー情報の収集力と分析力を瞬時に
判断して、天候も経済も様々な人間の感情も見極めるのです。

基本、人は「考えれば分かる」と思っています。
そうやって物事を理解するために考えること(知恵)を、
仏教でも「分別知」と呼んでいます。
「分別知」の特徴は、物事を分けて、分析することです。
しかしAIと違うのは理解力が人間を中心に考えていることです。

「分別知」によって、「無分別智」を理解することは不可能です。
「分別知」は、自と他を区別し、見るものと見られるものを区別する
二元論的な知ですので、どうしても見る自分が残り、
ありのままの世界を見ることができないからです。
「分別知」が理解しているのは、自分中心に見た世界です。
しかも、私たちはそれをありのままの世界と思いこみ、
知っているつもりになっています。
AIは「無分別智」の世界にまで踏み込んでくるのだろうか?

最近お気に入りの生物学者福岡伸一氏がこのように述べている。
「美の起源」が生命にとって必要なもので鮮やかな青が美の最初の
出発点としてあったと考えます。
その後、人の歴史の中で美の基準は変化してきました。

シンメトリーで規則的なものがいいとか、むしろ変調したほうが
美しいとか、ずらしたほうが美しいとか……いろんなバージョンが
出てきたけれど、それらをもう一度噛み砕いて考え、根本に立ち返ると、
生命にとって必要なものや生命の在り方や自然に適ったものが
美しいはずなんです。
だから無理をして創り出されたものは本来美しくない。

個々の個性に美しさを見出すようになったのは、
それが自然な生命の在り方なのだと皆が認識し始めてきたから
ということですよね?そう思います。人間の思考の一つの傾向として、
幾何学的に整ったもの、左右対称や黄金比などある種の理想的な
完成された美というのが、求められた時代もありました。

でもそれは人間が頭の中で創り出したイデアと言えるのではないでしょうか。
人工的で定式化された美は、それに近づくことが美を求めることではないと
思います。“理想の美”を求められていた時代を反省してありのままの姿にこそ
美しさがあると思えるようになってきたのは、
正気を取り戻してきた証拠なのかなと。

人類は今正気を取り戻した!
でもこの現象って最近のことのように思うのですが、なぜ今なのでしょうか?
やはり行きつくところまで行ったからではないでしょうか。
科学技術やテクノロジーを過信して何でもコントロールできたり、
整ったものに改編できたりすると信じて近代化してきたわけです。

確かに建物や乗り物などの工学的な物の場合、テクノロジーはそれをより
完成形に近づけることができるようになったでしょう。
しかし、忘れてはならないのは我々の生命というのは自然であって、
工学的なものからもっとも離れた、偶然によって成り立っている
福岡伸一「エントロピー増大の法則」より

秩序あるものはすべて秩序ない方向にいこうとして逆らうことは出来ない・・・
というのが「エントロピー増大の法則」という宇宙の大原則。
AIを否定するつもりはない。むしろAIの進化に興味を持っている。
人間の代わりに危険な作業をAIが担うわけですから歓迎すべきかもしれない。
しかし、そこに多くの人が取り残されるのはあきらかである。

自然界の美を愛でるという行為が数値的な判断でAIが述べたとしても、
それに従う必要は無いのである。
人間の価値までもがAIの判断に任せることだけは反対である。
科学の進化に必要なのは芸術です。
芸術こそが人間の正気を取り戻すことが出来る唯一の手段です。

私は若い頃からずっと音楽の世界に居ました。
感情を音に乗せる作業と言うのは感性がものをいいます。
昔、録音したCDにノイズが多く入っていると指摘されたことがあります。
コンピューターがそう判断したから取り除きなさいと指示が来た。
ふざけるな!意図したため息をノイズと判断するコンピューターに何が分かるのか?

好きか嫌いか、美味しいかまずいか、心地よいか心地悪いかなどの感覚は
人間の脳が判断するものでAIに任せる必要は無い。


億劫とは




みんな口癖のようにいう言葉。
「億劫」だから行きたくないと返事をする人。
最近では若者もよく使うが歳をとるとどうしても出てしまうのがこの言葉です。
もう面倒くさいことはやりたく無いと避けるようになって「億劫」がでてくる。

億劫とは「おっこう」が「おっくう」に
億劫(おっこう)とは、1劫の億倍ですから、とても想像できないほど
長い時間のことです。その億劫(おっこう)が、
どうして今日(こんにち)の億劫(おっくう)になったのでしょうか。
億劫とはとてつもなく長い時間ですが、「時間が長くかかるため、気乗りしない」
「時間がかかることは面倒くさい」ということで、長い時間の「おっこう」が、
今日の「おっくう」の意味で使われるようになりました。

ここで億劫とは、人間に生まれない前の過去世の果てしない
長さを表されています。この果てしない過去世から比べますと、
今、生まれてから死ぬまでの人生はあっという間、瞬間的なものです。
「ついこの間、あけましておめでとうございますと年が明けたと思ったのに」
と時の過ぎゆく速さへの驚きを、何度言ったり思ったりしてきたか
わかりません。あれよあれよと、時間は過ぎていきます。
時間は一方通行で逆戻りはありません。

さらに「劫」の永さを強調したのが「永劫(えいごう)」です。
一般には、「未来永劫」とか「永劫回帰」と使われますが、仏教では
「ようごう」と読みます。永劫も仏教から生まれた言葉です。

更に憶測(おくそく)とは
憶測には「自分で勝手に推し量ること」の意味があり、根拠なく、
いい加減に推量することをいいます。「憶」と「測」の漢字の意味を確認しましょう。
憶(臆): あれこれ思いを巡す、推し量る測: 予想する、推し量る
つまり「憶測」とは、似た意味の言葉から成り立っていることがわかります。

憶測は「根拠なく、いい加減に」という意味があるのに対して、
推測は「得た知識や情報をもとにして」という意味があります。
つまり憶測と推測とは、根拠となるものがあるかないかで使い分けることが
できるというわけです。

ある出来事に対してあれこれと意見が挙がったとしても、確実な根拠がなく
どれも信用できないという意味です。「事故原因について多くの意見が
出ているが、どれも憶測の域を出ないものばかりだ」などと使います。

憶測でものをいう
根拠がないにもかかわらず、あれやこれやとまるで真実であるかのように
話すことを言います。「憶測でものを言うのはやめなさい」などと使います。
今話題の仲居正広のSNS上における発言はすべて憶測によるものです。

憶測を生む・憶測を呼ぶ
ある出来事をきっかけに、根拠のない意見が多く出回ることを「憶測を生む」
「憶測を呼ぶ」と言います。「彼の死はさまざまな憶測を生んだ」
「その会社の倒産が、多くの憶測を呼んだ」などと使います。
先日行われたフジテレビの記者会見は「倒産」という憶測が生まれました。

憶測の類語・言い換え表現
憶測の類語は推測や予測のほかにもあります。いくつか見ていきましょう。
忖度(そんたく)
忖度とは「人の気持ちを推し量る」という意味の言葉です。忖度は2017年の
流行語大賞に選ばれたこともあり、聞いたことがあるという人も多いでしょう。
「根拠なくいろいろと思いめぐらす」という意味で、憶測と似た意味になります。
日本人は集団になると必ず「忖度」が生まれます。
ある意味ゴマすりと同じ感覚で使われています。

見做す(みなす)
見做すとは「そうでないものを、仮にそうだと決める」
「こうであると判断して決める」という意味の言葉です。
「返信のない方は、欠席だと見做します」のように使います。
「彼は貧しいから勉強しないと見做します」こういう風潮がありました。

当てずっぽう
当てずっぽうは「当て推量」が由来だとされています。この「当て」とは
「将来の見通し、見込み」のことで、つまり当てずっぽうとは、
「将来の見通しをいい加減に思いめぐらせること」という意味です。
女性週刊誌の売り方の手法で、最初はあてずっぽうで、
次は今の段階はこうです、最後に真実が明らかにされましたと、
一つの情報を三回に切り分けると有名なレポーターから聞いたことがあります。

揣摩憶測(しまおくそく)
あまり聞き慣れないかもしれませんが、「揣摩憶測」という言葉もあります。
「揣摩」とは「他人の気持ちなどを推し量る」という意味です。
勝手に想像し、あれこれ意見をいうことを「揣摩憶測が飛び交う」などと
表現します。しかし最近ではほとんど使われることはありません。

憶測の対義語は、断定、熟考、吟味
憶測の対義語には、断定、熟考、吟味といった言葉が挙げられます。
意味はそれぞれ、以下のとおりです。
断定: 物事にはっきりと判断をくだすこと熟考: 念を入れてよく考えること
吟味: 念入りに調べること、選ぶことこれらの言葉は、
「根拠があいまいなまま思いを巡らせる」という憶測とは、
反対の意味の言葉だといえるでしょう。

さて億劫と憶測の違いはお分かりになったでしょうか?
話し言葉は使う言葉を選ぶ時から意味を理解しなければ笑われます。
日常でよく使われるこの二つの言葉は年寄言葉かと憶測します。
みなさまも億劫がらずにこれからも勉強に励んでください。

私のSNSでの投稿「今日の一枚・今日の一言」でも「億劫」を紹介します。
そちらもお楽しみください。私のブログも億劫がらずに更新します。


真善美とは




日本の美を語るうえで必ず出て来る「真善美」
意味は朧気に理解していても本質を語ることは難しい。
「知性から真を得て、意思から善を得る」という発想が、
「真善美」の考え方が誕生する前にはありました。

日本の美に対する感受性の中心には、自然を尊ぶ思いが存在します。
古代の宗教観、特に神道においては、自然は神聖な存在とされ、
そのため自然の美しさや変化に魅了される心が日本人の精神に深く根付いています。
特に、山や川、木々、花々といった自然の要素は、日常生活や芸術表現において
なくてはならない存在です。

鎌倉時代に入ると、禅の影響により、より洗練されたシンプルな美意識が
確立されました。ここで「侘び寂び」という概念が登場し、不完全さや
静けさに潜む美しさが重要視されるようになりました。この影響によって、
茶道や庭のデザインにおいても自然とのバランスがさらに
強調されるようになりました。

近世においては、町人文化が栄え、一般市民の生活に根ざした新しい美意識が
芽生えました。浮世絵や歌舞伎といった身近で楽しめる芸術が流行し、
これまでにはなかった色彩や表現が盛り込まれるようになりました。
この時期は、「粋」や「雅」といった洗練された感覚が人々の生活に影響を与え、
多様性が生まれました。

つまり、信念のベースは、真実を判断する力を、学問を志して獲得し、
自分を意志の力で律することによって自分を正しい行動に導くことが
よりいい人としてのあるべき姿であるということになっています。

「真善美」という言葉は、感性から生じる「美」がこれにプラスされ、
社会的・自然的・倫理的に超越した存在というような意味合いで生まれました。

哲学的に「美」という概念についての考察が行われている。
明治維新以降、日本の哲学者たちは「言葉」「身体」「自然」「社会・国家」
といったテーマについて深く思索してきました。
特に「美」に関する探求は、私たちの日常生活に密接に関わっている
テーマであり、哲学の中でも重要な位置を占めています。

「真善美」という言葉でまとめられるように、真理や善の問題は難解であり、
容易に答えが見つかるものではありませんが、美については誰もが
経験しやすいものです。

美は単に見る対象に存在するのか、それとも見る側の主観に依存するのか、
また、美は直感的に感じられるものなのか、それとも思考のプロセスが
関与するのかという問いも提起されています。

美の本質についての様々な考察が行われました。
多くの読者が、哲学が「美しいとは何か?」という問いに対して
明確な答えを示せていないと感じていました。
特に、哲学は形而上学的な遊びに過ぎず、実際の問題解決には
寄与していないとの意見がありました。
また、西洋美術史を引き合いに出し、時代によって美の概念が
変遷していることを指摘する声もありました。

これに対して、普遍的な美しさは存在するとしつつも、
それを言葉で説明することの難しさが強調されました。
「キレイ」と「美しい」の違いについての気づきも多く見られました。
ある意見では、見た目の美しさだけではなく、精神性や生き様が美しさに
必要だというものがあり、読者自身の価値観を反映した深い考察がなされました。

美とは何かを探求する中で、真理や感性についての議論もあり、読者は美を
理解することの難しさを感じていたようです。

美学とは、美とそれが人間の心身に及ぼす影響について研究する学問である。
科学的な観点から見ると、美学は心理学、神経科学、哲学、美術史などを
包括する学際的な分野である。
このセクションでは、美学の背後にある科学を探求し、それが美の知覚に
どのような影響を与えるかを検証する。

美学研究には長く複雑な歴史がある。古代ギリシャでは、プラトンや
アリストテレスといった哲学者たちが、美の本質と人間社会における
役割について議論した。
その後、ルネサンス期には、芸術家や思想家たちが美学をより深く
探求し始め、芸術理論や批評の発展につながっている。
 
今日、美学は進化を続ける活気ある研究分野である。
近年の神経科学と心理学の進歩は、私たちが美を感じるメカニズムに
新たな光を当てており、研究者たちは美学と人間の経験の複雑な関係を
探求し続けている。美学には普遍的な側面もあるが、
文化的・歴史的要因によって形成される側面もある。

美学の科学は複雑で多面的な分野であり、幅広い学問分野を
包含している。美の知覚における脳の役割、美的経験を構成する要素、
美学に対する文化的・歴史的影響を理解することで、人間の表現の
多様性をより深く理解することができる。

自然の美しさは複雑で多面的な現象であり、心を落ち着かせる効果、
遠近感を与える能力、多様性、季節の移り変わり、創造性とのつながりなど、
さまざまな要素を包含している。自然が私たちの生活に与える影響を理解する
ことで、未来の世代のために自然界を保全し保護することの重要性をより
理解することができる。

自然とアートの結びつきは多面的かつ複雑であり、インスピレーション、
自然素材、環境意識、科学、自然保護などを包含している。
このつながりを探求し、祝福することで、アーティストは見る人を鼓舞し、
感動させる作品を創り出すことができ、自然界の美しさと複雑さに対する
理解を深めることができる。

私たちが環境問題に直面し、より持続可能な未来に向けて努力し続ける中、
アートは私たちと環境との関係を形成し、保全活動を促進する上で重要な
役割を果たすことができる。

その為にデザイン思考で考える「アニマルSDGs」の提唱をしています。
我々は国連を通じてSDGs18番目を「未来の子供たちのために」の
運動を、世界のクリエイターや見識者と共に行動を起こしています。

日本的美学思考で人間と動物が手を組み循環型の環境再生モデルを
教育に取り組むように働きかけています。

日本には「知性から真を得て、意思から善を得る」という発想が、
「真善美」の考え方が誕生する前にはありました。
勿論、我々は生まれた時から四季の有る自然からたくさんの
「美」を享受していたのです。


NYの不思議な店




マーケティング理論やマズローの5段階の欲求などで使われる手法です。
しかし、この「ハズバンド・ショップ」には驚きました。
さすがアメリカのマーケターの発想は素晴らしいと思います。
全世界に通じる話では無いのですがジョークの取り入れ方が朱越です。

NYに出来た「ハズバンド・ショップ」旦那ショップ
6階建てのお店で上に上がることはできるが下には降りられない。
上に上がるほど料金は高くなる。
1階の入り口には「仕事についている旦那」と書いてある。
勿論、それも大切だけど他の魅力も欲しいと思い上の2階に上がる。
その入り口には「仕事についていて、子供が好きな旦那」と
書かれていた。

どうせならその上の3階はどうなっているか気になり上に上がると
「仕事についており、子供好きで、かっこいい」と書いてあった。
これでも十分満足なのだが誘惑に負けてしまった。

勿論、その上の4階へも行きたくなり階段を上がると
「仕事について、子供好きで、かっこよくて、家事も手伝う」と書いてあった。
またまた欲は高まるばかりで満足いかないので上に上がった。
5階の入り口には「仕事について、子供好きで、かっこよくて、家事を手伝い、
ロマンチックな旦那」と書かれていた。

もうここまで来たら最後の階へ行きたくなり6階へと上がった。
「あなたで訪問者は31,000,456人目です。ここには旦那はいません」
このフロアには女性が満足できる旦那はいませんと書かれていたのである。
店に入る前に最初の注意書きに上には行けるが下にはいけないと書かれていた。

これはマーケティングの手法で世界的な時計メーカー・スオッチの
戦略として紹介されたのが最初である。お客様のニーズを聞いたのちに
こちらは最初に最上階の6階へと案内して美術品的な時計を見せる。
勿論、一般人には買えない高額商品である。
頭の中にはその価格が焼き付けられて、その後に5階へと移動する。
話題の時計がずらりと並べられているフロアは活気に溢れているが、
未だお金持ち以外は手が出せない価格である。
仕方なく4階へと移動すると一般的な高級時計に巡りあえる。
1階は観光客相手のお土産時計ばかりであることを知っているので、
2階まで降りて安い価格で決めるか、3階へ移動して拘りのビンテージ
時計を選ぶか悩んだ挙句に欲求と価格が合う3階で購入することにした。

アメリカの化粧石鹸の最大手ドゥーブが行った「リアルビューティー スケッチ」
雑誌、テレビ、広告、ソーシャルメディアなどで目にする、美しさの基準。
私たちはそんな”一般的”な価値観によって、自分自身の美しさを低く評価する
ことがあります。ダヴは、自分自身の容姿をもっと肯定的にとらえることが、
より幸せな毎日を送るための第一歩であると考えます。

そこで私たちは、ある実験を行いました。 「リアルビューティー スケッチ」
という大胆な実験は、米国連邦捜査局(FBI)の似顔絵捜査官のジル・ザモラ氏に、
女性の似顔絵を2枚ずつ描いてもらう、というものです。
まず、ひとりの女性に自分の容姿を描写してもらい、それに基づいてザモラ氏に
似顔絵を描いてもらいました。ザモラ氏に女性の姿は見えません。

次に、第三者の説明に基づいてザモラ氏が似顔絵を描き、本人と第三者の説明が
どう違うのかを観察してみました。その結果できあがったのは、2枚のまったく
異なる似顔絵でした。そして、第三者の描写に基づく似顔絵のほうが、美しく、
幸せそうで、事実に近い姿を表現していました。

あなたは、自分が思うよりも、ずっと美しい。世界中の多くの女性に、
自分の美しさに気づいてもらいたい。私たちはその願いを込めて、
女性が自分の似顔絵にどう反応し、自分に対する見方をどう変えていったかを
記録して、動画を制作しました。

マーケティングの手法に「返報の法則」と「フット・イン・ザ・ドア」
と言うのがあります。
返報性の法則とは、何かをしてもらった時に「自分もお返ししなければ」と
感じる心理のこと。例えばバレンタインにチョコレートをもらったら、
ホワイトデーにお返しをしなければと感じるのも、返報性の法則による
気持ちの変化です。お返しの文化は、日本人の常識として根付いています。
しかし返報性の法則が提唱されたのは、ロバート・B・チャルディーニ氏
(心理学・マーケティング学の教授)の著書『影響力の武器』の中。
年代も国籍も問わず、世界中で活用されている心理テクニックということです。
返報性の法則によるついお返ししたくなる気持ちは、マーケティングや
恋愛テクニックなど、あらゆる場面で活用されています。

例えば買い物でお店に入り階数ごとに案内されたら、その親切に応えなければ
ならないという心理が働き手ぶらでは帰れなくなる。
NYの「ハズバンド・ショップ」も「高級時計スオッチ」のケースも
顧客心理を見事に捉えています。

私は個人的に「リアルビューティー スケッチ」の手法に大賛成です。
本当のあなたの美しさは第三者が知っている。
素顔の美しさを保つために保湿石鹸「ダヴ」のキャンペーンは見事です。

フット・イン・ザ・ドア・テクニック(Foot-in-the-door technique)とは、
「最初に小さな要求を承諾させ、徐々にその要求を大きくしていく事で、
本当に承諾させたい要求へと近付けていく」
という交渉術であり、「段階的要請法」とも呼ばれます。
「フット・イン・ザ・ドア」という名前の由来は、
「セールスマンが玄関口から追い返されそうになった時に、
ドアと壁の間に足を挟んでそのドアを閉めさせないようにした」
という描写を語源とする、「get a foot in the door(上手く最初の一歩を踏み出す)」
から来ています。」
つまり、最初の小さな要求が「ドアの間に足を挟む」という事であり、
それを足掛かりにして「話を聞いてもらい」、最後には「セールス」という
本来の目的を達成しようとするテクニックだという事です。

原理:何故テクニックが有効なのか?
フット・イン・ザ・ドア・テクニックが実際に多くの人に通用する理由は、
「一貫性の原理」および「逐次接近法」によります。

一貫性の原理は、
「人は自分の信念や行動などに一貫性を持たせようとする」
という人の心理傾向です。
フット・イン・ザ・ドア・テクニックの場合は、最初に「小さな要求」を
承諾する事によって、後に「もう少し大きな要求」を提示された時に、
「前に似たような要求を受け入れたんだから、この要求も同じように
受け入れた方が良いんじゃないか・・・」と感じる事から、
「自分の行動に一貫性を持たせたい」という心理が働いていると言えます。

如何だったでしょうか。
くれぐれもお買い物時には相手の術中に嵌らないように注意して下さい。


フロイト性




「生」の行き着く先は「死」である。
紛れもなく人間は生まれた時より死を目指して生きている。
仏教のおしえ「生老病死」で書かれているとおりです。
少しでも生存するために科学が発展して死から遠ざかるように工夫がされた。
若い時に自由に使えてきた身体的機能を維持するためである。
よって老いるとは身体の自由が思うように働かなくなるということです。

70過ぎてから老いから始まる生活は未知の世界です。
身体的苦しみや痛みより心が弱くなることの方が怖くなります。
「万が一」予期せぬ病が発生したらどうしたら良いか、
「万が一」階段を踏み外したらどうなるのか悩むことです。
それと同時に同年代の人達の死亡のお知らせが届くたびに心弱くなります。

しかし、その分改めて健康についての意識が高まり食生活の改善や、
弱った筋肉のトレーニングにも励むようにもなります。
歩けるうちは自分の足で歩きたいですから苦にはなりません。

死とは恐れるものではなく安息の領域です。
いかに人生を後悔なく過ごしたかです。
いずれにしても我々は避けては通れぬ
「生老病死」の世界に取り込まれています。

しかし人間の執着心が未練がましく「性」に対して悔いを残すのです。
自分は何者で、この現実とは何なのか、生きるとは死ぬとは何なのか、、、
知りたい。これが人間の究極の欲動。

フロイトはこれを「リビドーである」と言った。
周りの弟子たちには理解されなかったかもしれないが、
人間の究極の欲動に「性」を見ていた彼の眼差しは鋭いと思う。

人間は五感覚を通じて世界を認識する。しかしこれでは世界の表象しか
見ることができず、五感覚の究極の先の一点、つまり感覚が一点に収斂する
ところの先に突破口を見出そうとしたのがフロイトのリビドーです。

彼の言葉にこのようなものがある。
「あらゆる生あるものの、目指すところは、死である」・・・
すべての五感覚から解き放たれる死の擬似経験こそ、性の究極。

人間はみな、「生きたい」という欲求の裏に「死にたい」という欲求を
隠し持っている。それは無意識に死がすべてを証してくれることを
知っているからだろう。

私たちは体を持っていろいろな経験をする。
寝てみる、起きてみる、怒ってみる、笑ってみる、泣いてみる、
悩んでみる、喜んでみる、生きてみる、死んでみる、、、
いろんな経験をして「みる」のは、自分とは何者なのか!!を
ただただ知りたい一心である。

そしてこれに対するAnswerと出会った時、私たちの傷ついた魂に癒しが
訪れる。すべてのトラウマから解放される。
魂の癒しに遠回りも近道もない。私たちはただ知るだけでいいのだ。

明治憲法下の日本 (= 大日本帝国 ) では、富国強兵・殖産興業が
国是でしたので、未来のある若者に対しては立身出世が強要され、
また青年たちに大和魂という名の自爆思想を植え付けることは
当然のこととされました。

太平洋戦争の後の日本の昭和時代にも、少しくらいは明治憲法下での
トレンディーが残りましたが、大日本帝国が滅亡したという現実の
後なので、日本社会全体は虚脱し、エコノミック・アニマルにでも
成り下がるしかありませんでした。

他方、第2次世界大戦の後の世界は東西冷戦時代であり、
全面核戦争が勃発する危険が本当にありました。

政治に可能なのはカオスやカタストロフを回避することだけであり、
それ以上のことは宗教の役割・任務になりますが、冷戦下の世界の
指導者たちは、なんとか全面核戦争を回避することによって、
その使命を果たしてくれました。
私などは草の根でノタくって生きているだけの人間なので、本当に感謝です。

大日本帝国の指導者たちには、カオスやカタストロフを回避する
能力が無かったので、全てがパーになり、全ての日本人がクルクルパーにでも
なるしかなかったのです。
如何でしようか?これは女性医師長岡美妃の檄文です。

彼女は今「令和哲学の会」のメインの責任者です。
主宰者No jes氏と共に哲学の勉強会と日本を元気にする活動を
全国で展開しています。BEST BEINGパレードです。
私はこの団体の活動に注目しています。
精神的つながりの強い団体は新興宗教の様相を呈するからです。
日本の若者たちが正しい道を歩んでいるのか見極めるためにです。

主宰者のNo jes氏は韓国人です。
とても日本贔屓であらゆる学問に精通しています。
独自にそれらを体系化して勉強会を繰り広げられています。
私も何度かオンラインの勉強会へ出席をしました。
私にはその独特の理論体系が合わずに接触を閉じることにしたのです。

しかし当時のメンバーとのつながりは続行しています。
今年2025年は全国に10,300校の塾を開講すると発表がありました。
気になる存在です。それにしても目標値の設定が凄すぎます。

老婆心ながら吉兆のご主人が言った言葉が蘇りました。
「店と屏風は広げ過ぎると倒れる」さてどうなりますやら?

全国の若者たちだけではなく、一般の社会人や主婦まで参加している
熱気あふれる活動を行っています。
ご興味のある方は先ずはネットで検索して調べてみてください。


国力と人口




2025年戦後80年からはじめる「世界平和アクション」
アースディ&ピースディ2025年新年交流会へ参加してきました。
今回の交流イベントは大きな社会課題に対し、コレクティブインパクトを
生み出す仲間づくりのためのイベントでした。

2025年は私たち日本人にとって第二次世界大戦が終結して80周年、
広島長崎被爆80年の節目です。世界の人々が皆、安心して暮らせる土台として
「地球環境」があるように、本来「世界平和」も一人ひとりの生活基盤であるはずです。
「16、平和と公正をすべてに人に」を含め、SDGsの目標はまさにそのように
設定されています。

今回の交流イベントでは「気候変動」「生物多様性」「エネルギー」「経済」
「農業」「教育」など、それぞれの分野で活躍するゲストを招き、多様な視点から、
改めて、それぞれの分野における「平和とは何か?」について問います。
私は役員を務める「動物かんきょう会議」から「アニマルSDGs」について
各方面の方々に紹介をしました。

それぞれの会は年配者が旗を振り、若者たちが活動をする理想的なスタイルです。
これから「平和と公正をすべての人に」のテーマに若者たちの熱い思いが
各地および各活動に注ぎ込まれると思います。

最近、関心事がある投稿をそのまま掲載します。
「国力と人口」です。

「残酷な現実」日本人なら絶対に知るべき2030年問題。
日本に未来はないのか?
あなたは2100年の日本の人口予測数を知っていますでしょうか。
国立研究所によると6300万人だそうです。
今が人口1億2000万人ですから、2100年には今の半分になってしまう訳です。
基本的な概念として人口は国力の源泉ですから、これからどんどんと人口が
減るに伴って、日本の経済にはますます逆風が吹くことが予想されます。
そして今回、この日本の人口動態においてさらにショッキングなニュースが
入ってきました。

それが2023年の出生数です。つまり「2023年の1年間で生まれた赤ちゃんの数」
ということですが、2月27日に厚生労働省が発表したデータによると、
過去最少の75万8000人を記録したそうです。
少子高齢化が進む日本において、年間の出生数が過去最少を記録するのは、
決しておかしなことではありません。ただ衝撃的だったのは減少ペースです。
それに伴って「2030年問題」が叫ばれ始めています。

その上地震に関しての2014年版の予測地図が発表されて、
実際に地震があった地点の確率を比較。
その結果、15年から9年間で震度6弱以上の揺れを観測した22地震のうち、
発生確率が高いとする6%以上の地域に影響があったのは9回だけだったとし、
「次は南海トラフだと思い込ませ、(予測地図は)罪が重い」と指摘した。
また予測地図に「確率が低くても安全とは限らない」「油断は禁物」と注釈を
入れている点を挙げ、試作品だと白状している。
そんなものを社会に出すこと自体が問題だと批判した。
南海トラフの発生可能性が高まったとみなされた場合に政府が発表する
「臨時情報」についても「ほとんどが外れる情報。国民が地震は突発的に
起きることを忘れないか懸念がある」とした。
 
調査委が2013年に南海トラフ地震の確率を発表した際の検討メンバー。
22~23年には本紙と共同で時間予測モデルの根拠となる古文書を調査し、
今年2月に「確率計算にモデルを使うべきではない」とする論文をまとめた。

音楽家・坂本龍一がこの世を去り、あっという間に1年が過ぎた。
Yellow Magic Orchestra(YMO)での世界的ブレイク、
ソロアーティストとしての活動やプロデュースワーク、
映画「ラストエンペラー」の劇伴で日本人初のアカデミー賞・
作曲賞を受賞するなど、その功績は今更言うまでもない。
“坂本”の音楽はこれからも世界中のリスナーを魅了し、
数多くのアーティストに影響を与え続けることになるだろう。
 
坂本は精力的な音楽活動を継続する一方、社会的な問題にもコミットし続けた。
2012年の原発反対派の集会に参加した際の「たかが電気のために、
この美しい日本、国の未来である子供の命を危険にさらすようなことは
するべきではありません」という発言で賛否両論を巻き起こしたことを
覚えている人も多いはずだ。
 
2000年代前半から少しずつ活性化してきたアクティビストとしての坂本龍一の活動。
その軌跡を追体験できるのが、「TBSドキュメンタリー映画祭2024」で公開される
映画『坂本龍一WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』だ。
「筑紫哲也のNEWS23」(1989年~2008年)をはじめ、TBSの報道番組で
報じられた坂本龍一の活動やインタビューを1本のドキュメンタリー作品に
仕上げた本作。そこに映し出されているのは、葛藤を抱えながらも、社会的・
政治的な問題に関わり続けてきた教授の姿だ。
 
本作で取り上げられている最初のアクションは、モザンビークでの
地雷除去活動の取材をきっかけに生まれたユニット「N.M.L.」。
佐野元春、DREAMS COME TRUE、桜井和寿(Mr.Children)、
SUGIZO(LUNA SEA)、TAKURO(GLAY)、TERU(GLAY)ほか、
世界中のアーティストが参加し、2001年にシングル『ZERO LANDMINE』
を発表。収益は地雷撤去に使われた。

現在、環境破壊、森林伐採、水質汚染、自然災害、その上に戦争で
地球が傷みつけられて、世界が混乱をしている。
2015年「国連持続可能な開発に関するサミット」が世界各国の政府によって
採択された。
この「2030年アジェンダ」のなかに、SDGsの17の目標が示されています。
これらの17の目標を2030年までの15年間で達成することを目指して、
世界は2016年から取り組みを始めている。

SDGsが策定される以前から、世界は社会、環境、経済の問題に
それぞれ取り組んでいました。しかしSDGsは、それらの問題の目標を
一つにまとめたところが特徴的です。

経済発展だけに取り組むのではなく、環境や社会が抱える問題に
バランスよく取り組み、その根本的な解決によって、
世界を持続させることをSDGsは目指しています。

また、世代を超えたすべての国、すべての地域の人々が、
だれ一人取り残されることなく、尊重される社会を目指しています。
それ以前は世界開発ミレニアム開発目標としてMDGsに取り組んできました。

人口が減れば収入も減ります、それらを税金で補うとしても賄いきれません。
財政が減れば国力が弱まります。
何故この時点で人口減少の歯止めをかける対策が行われないのでしょうか?
若い夫婦が子供を欲しがらない、産んだとしても一人でいい、子育てのために
自分達の時間が取られるのは嫌だと様々な意見があります。

全ての国民が「国力と人口」を真剣に学ぶべきである。
近隣の国からいつ何時に戦争を仕掛けられるかもしれない時に、
戦争放棄した国だから大丈夫という呑気なことを言っていられない。
政府もメディアも国民の目をそらすための嘘情報ばかりを流している。
低レベルの犯罪のオンパレードやお笑い芸人のスキャンダルなど不要で
もっと真剣に国を守ることを議論してほしい。