表層意識




ものごとの上部(うわべ)の点だけで生きている人が大半である。
情報化社会になって取り敢えずいち早く知ることだけに集中している。
物事の本質などお構いなしに上部だけで毎日を過ごしている。
ビジネス書、トリセツ、啓発書、処世術などの本を読んで
分かったつもりになる。しかもそれらの情報をデジタルで取り込み
他人にシェアする。共感力を試すかのようにグループチャットを組む。
そこに想像力を誘発する要因はなく上辺だけの点で面を見ている気だけになる。
今こそ我々は帯状のストライプのように縦線でつなげていく必要がある。

いわゆる思考も入力した時点でドットになるのです。
短絡的に二項対立でしか判断できないのです。好きか嫌いか、悪か善か、
儲かるか損するかと単純な判断に思考が奪われてしまうのです。
このようにパターンかすると花を見ても地下の根っこには
目もくれなくなるのです。温室で作られた野菜や果物も同じ形だから
迷わず買ってしまうのです。楽な方へ流されて逆らうことを忘れてしまう。

いつの時代でも力仕事も汚れ仕事も危険な仕事も誰かがやらなければならないのです。
農家の方や土木作業員や自衛官の協力が無ければ国がまわらなくなるのです。
親が表層意識で公共料金や給食費などお金を支払っているから
なにも問題ないと思えば子供にもうつるのです。お金で何事もことが済む。
内層意識のこころからの感謝が無ければ相手に失礼になる。

パターン認識、これが鍵なのだ。
宇宙の森羅万象にはパターンが隠されている。
そのパターンを認識することができれば、これほど複雑に絡み合っている
世の中の事象がシンプルにみえてくる。
哲学者ヴィトゲンシュタインは「世界は要素命題の塊である」と捉え、
要素命題の最小単位を見つけ出そうとしたのはこのためであろう。
世界の最小単位のパターンを見つければ、それ以降はすべてが
そのパターンのフラクタルに過ぎない。
それゆえ、世界が限りなくシンプルになるからだ。

こんな滑稽なことがなぜ起こっているのか?
その理由は脳の認識に依るところが多い。
脳は模様形として存在を捉え暗記していく。そのため応用が効かない。
ちなみに人間がAIの知能に劣る最大の理由である。
現在の人類は「模様形」の認識に留まっているため、
つまり人間もパターン認識できるように脳の改造が必要なのである。
そしてそれは「存在が動く」認識から「動きが存在させる」認識への
チェンジによって可能になる。

宇宙はとてつもないシンプルな動きひとつで成り立っている。
だから目の前に繰り広げられている世界は「あなたの物語」にすぎない、
これは映像であることが分かる。
そう、私たちは限りなく自由だったのだ。

日本の思想史家丸山眞男は「執拗低音」という定義をこのように発表している。
日本人の外来思想に対する精神態度を称して
「私たちはたえず外を向いてきょろきょろしていて新しいものを外なる
世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分は一向に変わらない」と。

そしてこうした日本人の「外来イデオロギー」に反応するときの国民的常同性を
丸山眞男氏は、「執拗低音(basso ostinato) 」と形容している。
かように「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める日本人のふるまい」
を見事に総括した点もすごいが、このbasso ostinatoという音楽用語で形容した
丸山眞男氏のセンスもまたみごとである。

このbasso ostinatoは、主旋律にはならないが、低音部分がostinatoに
繰り返されることによって、主旋律である外来イデオロギーを一定の音形が
見事に同じ音でからみつき、モディファイし、まざりあって響く、丸山眞男氏は、
その日本的なユニークな本質的な部分を喝破している。

そのbasso ostinatoは、中国大陸から外来イデオロギーを移入していた
時代から明治時代以降の欧米諸国から外来イデオロギーを移入していた
時代を経て、今日に至るまで全然変わっていないのである。

ここから、さらに話を発展させて、内田樹氏は面白い議論を展開している。
日本人は、「他国との比較でしか自国を語れない」という総括である。
その場において、自分より強大なものに対して、屈託なく親密かつ無防備に
なってみようとする傾向があり、おのれの思想と行動の一貫性よりも、
場の親密性を優先させる態度が日本人の深層にあるとの分析である。
いまの自民党等の永田町での動きも、こうした切り口から観察すると
なるほどと妙に納得できる。今回米国へ関税見直し交渉に出かけた
赤沢亮正経済再生担当大臣の言動からもそれが伺える。

最後に、内田樹氏は、「世界の中心たる絶対的価値体が、外部のどこかにあり、
もっぱらそれとの距離意識において思想と行動が決定される。」として、
日本人はその意味で昔も今も「辺境人」であると締めくくっている。

過去から現代に至るまでキリスト教に代表される西洋文化の侵入を
ことごとくはねのけた東アジアの辺境日本は独特の文化を構築してきているのである。
独自の伝承・伝統文化を維持しながら中国の思想を取り入れたのである。
和魂洋才といよりも和魂中才の趣の方が色濃く反映されている。

「私たちはたえず外を向いてきょろきょろしていて新しいものを外なる
世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分は一向に変わらない」と。
日本の強みは海外の文化や技術をすんなりと受け入れながら自国風に
アレンジする能力である。
他を認めながらも自分たちの意識を変えることは無い。

私が海外から持ち込んだシステムを日本人風にアレンジして
プロデューサーという概念を業界に染み込ませた。
日本人は目新しいものが好きである。しかし100%新しいと受け入れないが
ほどよいさじ加減で新しさを出せば必ず受け入れられる。

1980年代の頃に私なりにヒット理論を「肩越の文化論」と名付けた。
直接表面には出て来なくて海外の文化を肩越しにのぞき見しながら、
西洋文化の流行を真似して時代の先端を捉えながら商品化する。
音楽もパフォーマンスもメディアの露出もすべて計算して発表した。
中心軸は変えずに表層に変化をつけながら流行を作り続けたのです。

世の中はたった一つの言葉から認識が変わるのを知っていた。
面と向かって言われる言葉より肩越しに言われた言葉の方が印象に残る。
毎朝SNSで「一日一言」を発信しているのも脳内意識を変えるためである。
「門前の小僧経を覚える」とおなじように良い言葉を聞き続けると
自分の言葉のように使えるようになるからである。
四文字熟語はアナログ的感覚が無ければ意味を理解できない。

デジタル情報をモバイルから拾う癖がついた若者たちに
文字から生まれる意識の変化を教えたいのである。
日本の歴史と文化を紐解き日本人とは何者かにスポットをあてて
次の時代の世の中が何を必要としているのかを考えて行きたい。

世界を変えるのには表層意識だけに固執していると負けてしまう。
「執拗低音」を鳴り響かせながら次の時代の扉を開くことが必要です。


出会いの大切さ




江戸時代、仲介の労で名高い勝海舟が坂本龍馬に西郷隆盛を紹介した。
後日、勝海舟が龍馬に「西郷さんはどうだったか?」を聞いたところ
「西郷さんは寺の釣り鐘のような人だった。小さく叩けば小さく鳴り、
大きく叩けば大きな音になる。」と応えたそうです。
西郷の器量の大きさと懐の深さを表した逸話です。
西郷隆盛は持論を展開する一方的な人物ではなく、人の話を聞きその内容に
応じて受け応えをするタイプの人物だということです。
全ての考えの基本は「敬天愛人」天を敬って人を愛する精神です。

中国の教えでは人間関係がもつれた際には「雑乱紛糾のときに控捲せず」
互いに引っ張るのではなく紐をほどけということです。
またインドでは「右に回して開かない時には左に回せ」同じ方向性で
解決しない時には逆の方向に切り替えろということです。

折角のご縁で知り合った仲でももめることもあります。
もつれた糸をそのままにせずに解くことも大切です。
その時は自分の主張で引っ張るのではなく、相手の主張も聞いて緩めることが
問題解決の一番の近道です。

また出会いの中でこの場限りの客で会っても「一期一会」のおもてなしで
客に施せという茶道の教えもあります。
「一期一会」は茶道書「山上宗二記」に書かれた言葉です。
茶会で出会う主人や客人は、もしかしたら一生に一度しか同席できない
巡りあわせかもしれない、そのため、心残りがないよう、
どの茶会でも常に誠心誠意に向き合うことが必要です。と書かれていた。

『けさのひと言』出石尚三
(あなたの幸を祈りつつ)
☆ 出会いこそがすべて
出会いこそがすべてです。
人との出会いを大切にしましょう。
人は皆、人によって生かされているのですから。
大きな会社も、人と人の出会いによって生まれています。
経営者ひとりで大きくなった企業はひとつもありません。
社員がいて、役員がいての企業なのです。

昭和二十一年の話。
井深大は戦争が終って、東京に帰って来ました。
そこで偶然に、旧友、嘉治隆一に会う。会って、近況を話す。
嘉治はそれを記事にしてくれたのです。
「朝日新聞」の『青鉛筆』のコラムに。
これを故郷の小鈴谷で読んだのが、盛田昭夫。
盛田昭夫は『青鉛筆』の記事を読んですぐに連絡を。
盛田昭夫は上京して、日本橋で井深大に会っています。
ここから後に「SONY」が誕生したのですね。
出会いこそすべてです。

知るということはすなわち行動がともなう。
それを「知行合一」だと陽明学は言う。
真に「知る」ということは行動することである。
行動が伴わない知は真に「知る」とは言わない。これが「知行合一」の心髄です。

なるほど、悟りというのは真理を「知る」ということである。
そして真理とは誰もが一時も離れることなく、いや寧ろすべては真理
そのものであることを知るのだ。そして今ここのプレゼンスとは体である。
その体で行為することは真理の顕現となる。

陽明学と対比される朱子学においては、「性即理」と言い宇宙の
根本原理に沿うことを至上の命題としている。
今ここのプレゼンスよりも原理を重んじるということは、瞬前に戸惑いが
混入する暇を与える危険性がある。もちろん、すべては宇宙の原理で
動いているのだが、行為する時には爆発的なプレゼンスで、
今ここにあれ!と陽明学は言うのだ。

陽明学に学んだ吉田松陰は言うのだ。
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
彼の行動の瞬前に宇宙の原理に沿うか沿わないかを一瞬でも考える暇はない。
だからこそ、彼の行為は宇宙の原理そのものになるのだろう。
宇宙の原理の通りに生きようとしているうちは脳の中、つまり因果の中である。
行為そのものが宇宙の原理そのものになることこそ、
心即理すなわち「知行合一」なのだ。

ずるい大人たちは都合が悪くなったり利用価値がなくなるとすぐにいなくなる。
こうゆう人は一生涯誰とも信頼関係が築けない人達である。
あの西郷隆盛が西南の役の戦争で、若者たちに教えた自分の言葉の責任を
取る為に自決した話は有名である。これこそリーダーの責任です。
尊王攘夷を掲げた仲間たちが、政府軍と武力反乱軍に分かれて戦い
若い武士たちがつぎつぎに死んでいくのを見るに見かけて取った行動である。

私の大好きな物語「三国志」の中から「桃園の誓い」です。
「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、
心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、
下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、
同年同月同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。
義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし。」

文章を読む劉備と関羽・張飛
所は涿県(たくけん)。
黄巾軍対策の義兵を募集している高札の前で劉備がため息をつくと、
「大の男が世のために働かず、立て札の前でため息とは情けない」と
声をかけてきたのが身長八尺(約184cm) 豹頭環眼 燕頷虎鬚 聲若巨雷
勢如奔馬という男、張飛であった。劉備が、自分がため息をついたのは
己れの無力に気付いたためだと言うと、張飛はそれなら
自分と一緒に立ち上がろうと酒に誘う。

訪れた酒場で彼らは、身長九尺(約208cm) 髭長二尺(約46cm)面如重棗
唇若塗脂 丹鳳眼 臥蠶眉 相貌堂堂 威風凛凛という赤ら顔と見事な髯を持つ
一人の偉丈夫、すなわち関羽と出会い意気投合する。

張飛の屋敷の裏の桃園で義兄弟の誓いを交わした三人は、彼らの呼びかけに
応じた者達と酔いつぶれるまで酒に興じた。その翌日、人が集まったは良いが
軍馬が無いことに気づくが、偶然近くを訪れた馬商人張世平と蘇双に
馬や軍資金などを援助してもらう。そして劉備は雌雄一対の剣、関羽は八十二斤
(48kg)の冷艶鋸(青龍偃月刀)、張飛は一丈八尺(約4.4m)の点鋼矛(蛇矛)を
鍛冶屋に造らせた後、彼らは集まった約500の手勢を率いて幽州太守劉焉のもとに
馳せ参じた。物語はまだまだ続く・・・・

建国の意志と志が共通であればどんな問題も解決する。
出会いの中から真の友人を得れば世の中を変えることができる。
「一燈照隅・万燈照国」天台宗最澄
小さな燈は隅しか照らさないが、小さな燈が万燈集まれば国をも照らす。

私が大好きな言葉に「人との出会いは一瞬早からずまた一瞬遅からず。
出会うべき人には必ず出会う。しかし求める気持ちが無ければ運命の人も
目の前を通り過ぎる」哲学者森信三先生の言葉です。

良き出会いは運命を変えることになる。


夢を追いかけて




「I AM A DREMER」夢見る人
夢という字は夕暮れに遠くを見ることを表します。
「視線の明らかならざるなり、夕に従い、瞢(ぼう)の省聲」
子供たちに将来の夢はと聞くと憧れや好きなことを述べるのが一般的です。
大人は今どきの若者には夢がないと発言する人が大半です。
高度経済成長期と経済安定期では描く夢が違うのが当たり前です。
昔の男の子は「末は博士か大臣か?」という立身出世の憧れがありました。
女の子は「デパートガールかスチュアーデスか?」がその頃の定番でした。
今は「ユーチュバーかインフルエンサー」が圧倒的に多いそうです。

一般的に使われる夢の意味は睡眠中に現れる意識の映像を指します
夢を分解すると「 寬 かん 」+「夕」となります。
「寬」は「眉を太く大きく描いた神に仕える女性が座っている様子」、
「夕」は「夜」を表しています。 その女性が夜の睡眠中に現れると
されていました。 そこから転じて「ゆめ、ゆめみる」の意味となったようです。

私が夢で思い出すのがジョン・レノンの名曲 ‘imagine’ の中に出てくる歌詞 。
‘You May say I’m a dreamer. But I’m not the only one’
「( 平和な世界を信じる) 私の事をあなたは
夢見がちというかもしれないけれど、私は一人じゃない」
暗いニュースが続く中でも、明るい未来を信じて、夢を見ていたい。
私は一人じゃないし、みんなで夢見た世界が、きっと未来になって
行くのだと信じて。 平和は身近な行動に現れる。

今の時代にピッタリの曲であり平和を求める人たちのテーマ曲でもある。
今こそ「全ての武器を楽器に変えて」活動に参加しなければならない。
音楽は国境のない共通言語です。何もしないで待っていても平和は来ないのです。
一歩前に出て勝ち取らなければなりません。愛する人のために!
なぜ戦争は始まるのでしょうか?各国の宗教や経済から来る思惑があるからです。
なぜ戦争は終わらないのでしょうか?利権を持っている財閥が富を独り占めする
からです。

一般的に大衆は力なき弱者の集まりです。
幾ら大きな声を上げても何も変わりません。
それでも声を上げなければ平和は訪れません。
平和を夢見ることは罪ではありません。

ここに曹洞宗最澄の言葉「一灯照隅・万灯照国」があります。
小さな燈は部屋の片隅しか照らすことが出来ません。
しかし、その小さな燈を大勢の人たちが持てば国をも照らすことになる。
これは単なる夢物語ではありません。現実に叶うのです。

「夢」という意味は睡眠中の現れる映像と自分の意思を夢と捉えているの
2通りがあります。我々が通常使うのは後者の意思の現れです。
誰もやったことが無いことに挑戦すると「そんなこと夢の中の世界」だよと
馬鹿にされるのが常です。
しかし、創造の世界で夢見ることは誰にも止める権利はありません。

工業高校から外国度大学へ入ると言った時も、先生は「ありえない」
ロンドンへ音楽の勉強に行くと言った時も、同級生は「ありえない」
帰国後に一流のレコード会社CBSSONYへ入ると言った時も、家族は「ありえない」
また、同僚に一流のプロデューサーを目指すと言った時にも、「ありえない」と
言われ続けました。私は夢を見ていたのでしょうか?

ここで「夢」が物語になった作品をいくつか紹介します。
「白日夢」(はくじつむ)は、
谷崎潤一郎の戯曲。全四幕から成る。歯科の治療を受けに来た青年が
同じ患者の美しい令嬢を見るうち、麻酔と昏睡の中で
白日夢を見る物語。1926年(大正15年)、雑誌『中央公論』9月号に掲載された。
1922月(大正11年)発表の戯曲『白孤の湯』と『白日夢』を元に書いた
ヌードショーのレビュー白日夢』は、1959年(昭和34年)2月から5月まで、
谷崎のお気に入り女優・春川ますみ出演で、日劇ミュージックホールで
上演された。

「古代ローマ貴族の夢」
本作は元来、『ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の創建
教皇リベリウスに夢のお告げを明かす古代ローマ貴族ヨハネと妻』
(プラド美術館) と対をなしていた。
両作ともローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の創建にまつわる
物語を表している。古代ローマ貴族ヨハネの夢に聖母マリアが現れ
エスクイリヌスの丘(画面左側の雪に埋もれた部分) に教会を建立せよ、
そしてそこに行けば、雪の上におのずと建物の配置がわかるであろう、
と告げる。穏やかで静謐な場面に光を伴なって現れた聖母は、
円熟期のムリーリョの画風を特徴づける非常に軽く淡い筆致で描かれている。
人物の衣装はムリーリョの時代のもので、画家は絵画を古代ローマに
設定していない。

「落語芝浜の夢」
三遊亭圓朝の三題噺が原作。三題噺とは、寄席で客から三つのお題を貰い、
それらを絡めて、その場で作る即興の落語である。
ある日のテーマが、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だった。
(3代目桂三木助は「三遊亭圓朝が作った『笹飾り』『増上寺の鐘』
『革財布』の三題噺」と噺していた)。ここから生まれた三題噺がベースとなって、
その後本作が成立したとされているが、『圓朝全集』に収録されていないことや
圓朝以前に類似の物語があることから、この説を疑問とする声がある。
現在のものとはストーリーも異なっていたという説もある。
川戸貞吉は、8代目林家正蔵からの聞き書きとして、「昔の『芝浜』は、
男が財布を拾った後、長屋の連中が財布を拾ってめでたいってんで、
みんなで歌を歌って騒ぐだけの話で、軽い話だったよ」と述べているが、
8代目正蔵が生まれる以前に口演速記された落語本では、すでに現在と
同じ人情噺になっている。少なくとも19世紀中には「芝浜」として
演じられた記録がある。

経済的に貧しい庶民は夢を見ることで喜びと自由を得ることが出来ました。
その中から芸術や音楽や歌舞伎など様々な文化が生まれてきたのです。
しかし、国を変えようとして夢見た武士たちが居たことも確かです。
地方の下級武士が徳川幕府を倒すために決起して立ち上がり
明治維新が起こり、そこから日本が大きく変わったのです。

そんな彼らに大きく影響を与えた江戸時代の儒学者吉田松陰の言葉。
「夢」なき者に「理想」なし
「理想」なき者に「計画」なし
「計画」なき者に「実行」なし
「実行」なき者に「成功」なし
ゆえに「夢なき者に成功なし」

夢を見るのが不器用なった現代の若者たちに届いてほしい言葉です。
私も夢を追いかけてこれからも生きてゆきます。


人生のクライマックス




人生のクライマックス(最高潮)を死ぬことと大げさに捉えるか、
仏教でいう「生老病死」のひとつとして淡白にとらえるか、
どちらにしてもお迎えが来れば身体は燃やされて無くなるだけである。
私は子供の時から死を恐れたことがありません。
やりたいことをやるだけやれば悔いを残す必要は無いと!
寺の住職から言われたからです。
いつか死が訪れたら元気に笑って「さよなら」を言うだけである。

年を取ると周りは勝手に「死」のイメージを作り可哀そうだのとのたまい、
老い先短いからと妙に親切にされてもありがた迷惑である。
ただ恐れるのはボケが入り足腰が悪くなり寝たきりになる事だけである。
そして予期せぬ転倒事故で歩けなくなるのは家族に迷惑をかけるので
階段の上り下りなど特に気をつければならない。
かといっていたずらに不安がっても仕方のないことである。
なるようにしかならないのである。

良寛和尚の「災難の逢う時節には災難に逢うがよく候死ぬ時節には死ぬがよく候」
の言葉通り、仏さまから与えられた宿命を潔く従うだけである。

私は行き当たりばったりの人生であったから、
成功した時には成功を楽しみ、失敗した時には失敗を受け入れて、
元気な時には健康を謳歌して、体が具合悪くなれば病院に入り手当てを受けるだけ、
ただそれだけのことである。

家族に言っていることは助かる見込みがない時に「がん治療と延命治療は絶対するな!」
そして死が近づいてきたらすべての臓器をドナーに提供するから、
早めに医者に伝えるようにと言ってある。
葬式もするな!お墓も作るな!しかし家系は閉ざすな!ときちんと伝えている。
なるようにしかならないのに不安がっていても仕方が無いことである。

多くの老人は死が間近に迫るとパニックになるそうだが、
楽な死に方の方法なんて看護師や医者に聞いても困るだけである。
医者はただ治療するだけの人である。宗教家ではないので生命を語ることは
出来ない。いわゆる肉体的な生命ではなく精神的な生命(魂)である。

SNSで医者からの投稿にこんな記事がありました。
外来で92歳の女性と話していた。
昨年末に娘さんを、今年2月にお嫁さんを立て続けに亡くした。
「自分はなんて業の深い女だろうね。」と目に涙を浮かべて話してくれた。
どんなお気持ちだろうと、彼女の悲しみは計り知れない。
しかしこうも言っていた。「でもね、どこかでほっとしているところもあるんだ。」と。
一昨年前から外来に来る度に娘さんとお嫁さんの病気のことを
話していた。92歳の小さな体全身で居た堪れなさを漂わせながら、
「いつ死んでしまうか、いつ病院から連絡が入るか、常に緊張している。」
と語っていたのを思い出す。

「生きる・死ぬとは不思議なものだ」といつも思う。
生きているものはどうして死ぬのか・・・有るものがどうして無くなるのだろう。
本当に無くなっているのか。
先日、父の七回忌だった。兄は本堂でお経をあげている時、時々背後から
父の視線を感じると言う。私も車の運転をしている時に父の声をリアルに
聞くことがある。死んだとは思えないほどリアルに。

一般的に生きるとは、姿形があり維持されていることを言う。
死ぬとは、姿形が維持できずに無くなることを言う。
しかし有ったものが無くなることなどあるのだろうか・・・
ただ五感覚で捉えられなくなっただけと考えた方が、理が通る。
有るものが本当に無くなってしまうなら、
92歳の彼女のように無くなる怖さに縛られながら生きるのは地獄の辛さがある。

…死は幻想なのだ。それと同時に生も幻想なのだ。生死が繰り返される
夢を見ているにすぎない。一つの壮大な幻想を80億の人間が作り出し、
それぞれが自分のポジションを一所懸命にやっている。
そこに人生最大のクライマックスである生死という事件を織り込みながら。
だから、もしこの世界への愛着があるならば、
たとえ死んでもポジションはあり続け、体がない状態でポジションをまっとうする。

ということは、体の自分ができることなど何一つない。
すべては壮大な幻想の中の自分のポジションが動かしているのだ。
歩くことも、食べることも、仕事をすることも、呼吸することも、
ポジションがやっている。そしてそのポジションを作り出したもの、
それが真の実在であり、真の意志である。

・・・それをパルメニデスは「有って有るもの」と言った。
そう、真実は永遠不変であり、失われるものなどなにもないのだ。
「不生不滅」、それが実在なのだ。
投稿文章はここで終わっていた。

勝手な想像に過ぎないが、若い時から自分の立場と損得にこだわる人は
死を恐れる傾向にある。その上に財産に執着する人は、死によって財産を
手放さなければならないことは耐えがたい苦痛を伴うのだろう。

私は子供のころから家が貧しかったせいで物には恵まれなかった。
そのせいか成人しても立派な家も高級車も欲しいと思ったことが一度も無い。
お金が入ればいつも海外へ旅に出た。一人旅ほど楽しいものは無かった。
他人と精神的満足を共有する必要が無く十分満足していた。

30代に音楽プロデューサーで成功したからといって、このまま音楽業界に
しがみつく気持ちも最初からなかった。
短い人生の中で沢山の仕事の経験を望んでいたのでそれなりの転職を繰り返した。
システム会社、映画会社、海外の音楽制作会社、専門学校の理事、セミナー講演者、
アパレルメーカー顧問などである。今ではその経験を活かして高齢者の支援や
子供たちの相談相手も率先して参加するようにしている。

人生は望めばそのようになるものである。
ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」そのものである。
やりたいことをやり続けたから死など恐れるものではないと思っている。

今とくに子供たちに言いたいことは正しい日本語を学びなさい。
自由は束縛の中からしかつかみ取れない。成功は失敗の連続から生まれる。
公平と平等の違いをしり、「小欲知足」奪い合えば足りなくて分け与えれば
余るという意味をしっかりと学び日本人としての誇りを持つことである。

漢字の意味が分かるようになればAIなんて恐れに足らずである。
上辺だけの常識を妄信すると情報が操作されてAIの奴隷になるだけである。
未来がこの先どうなるのか考えると死など忘れてしまう。
もしかすると人生のクライマックスは宇宙で迎えているかもしれない。

そうやすみやすみ死んでたまるか!
毎日がワクワクドキドキするような時間で溢れている。


心のあり方




人間と動物の違いは時間軸と思考軸である。
人間は自然の中にある暦を利用して時間を知った。
狩猟や採集の経験から生まれた知識を他人とも共有できた。
そしてそこから言語が生まれた。
動物には時間という観念が無い。空腹になれば餌を求めて行動するだけ。
仲間と情報を共有することもないので言語も生まれない。呻くだけである。
動物は武器も作れないので人間の侵略には無抵抗状態で常に絶滅の危機を強いられる。

心はどこにあるのか?心臓にあるのか?頭の中にあるのか?腹の中にあるのか?
心は経験から生まれた知識とは違い感性から生まれるので「心のあり方」が
重要である。自分の「欲」の為の心でなく「義」の為の心でなくてはならない。

私は昔からなりふり構わずあらゆるものに挑戦して来た。
失敗すると元も子もなくなるのだがそんなことはどうでも良かった。
他人からチャレンジャーとかドリーマーと言われても嬉しくはなかった。
その時の感情で心の赴くままに冒険を重ねて来た。
幸い幸運なことにいつも運がついてきた。この運は行動が無くては現れないし、
どんな状況でも人を憎まず、人を騙さず、人に尽くす、ことを忘れなければ
必ず運は付いてくる。

「多種多様な人間の心がある」
好奇心に飛び込むタイプ、石橋を叩くタイプ、とにかく挑戦するタイプ、
とにかく疑うタイプ、現状を好むタイプ、現状打破を試みるタイプ、etc.
どのようなタイプであったとしても身体の人間はいつか消える。
これは100%の確率で起こる絶対。

では一つの大いなる宇宙を持たされた人間という存在は消える時に
何を思うだろう?
「挑戦して良かった!」と冒険に満ちた人生を振り返る者もあれば、
「騙されなくて良かった」とつつがなく過ごした人生を振り返る者もある。
人生とは未知との出会いであると思う。私は死の間際に前者でありたいと
思うのだが、人によっては後者であろうと世界に対し疑いの目を光らせて
生きる。まるで騙されなかった自分という勲章を彼岸のコレクションに
するかのようだ。

しかし本来の人間というものを考えた時、
人間は一体何に騙されるというのだろうか?
人間は環境の奴隷ではない。環境を作り出す主人である。
それにも関わらず、自分が作り出した対象に騙されるとはどういうことなのか?

ここで人間には二段階の意識の爆発が必要であることが分かる。
一段階、「自分」とは宇宙を創造破壊する
心そのもの(一元)であるということを知ること。
それを知った時、環境の奴隷ではなく環境を統制できる「自分」に変容する。

そして次に二段階へ進む。不二一元の境地である。つまり「自分」の物語を
生きるということ。というのも、一段階で環境を統制できることを
知ったとしても、ただ生きるのでは主導権を環境に呆気なく取られてしまうだろう。
環境を統制するためには、「自分」の物語を積極的に能動的に生きるということが
必要なのだ。それによって生死を超え環境を統制する尊厳として
今ここに立つことができる。

古今東西の英雄と呼ばれる人たちはただ生きた人たちではない。
時代に合った自らの物語を、その主人公として積極的に能動的に生きた人たちである。
彼らを見ていると、環境の奴隷であることを断固拒否し環境を統制しにいく
気概を感じる。

人間の人間たる理由とはここにあるように思う。ただ生きるというと
動物となんら変わらない生き方ではなく、神にも仏にもましては他者にも
隷属しない尊厳の「自分」を演出することこそ、「私は人間である」と
全宇宙に号令をかけられる存在として有ることができるのだろう。

不思議なことにこの文章「多種多様な人間の心がある」は私の作ではない。
まるで文章を読むと自作のような錯覚に陥ってしまった。
私の文章の作り方と構成が全く同じである。
投稿後に見た人から「これは私の文章です」と言われれば素直に認める。

昔から何か事を始めようとすると頭の中にマニュアルが現れる。
自分の記憶にも経験も無いのにやりかたが手に入る。
別段、特別に能力や学力があるわけでも無いのに、
高校も大学も一流会社の就職も高い壁とはおもわずにすんなり進んできた。
そのうえ音楽の素養があるわけでも無いのにプロデューサーになって
ヒット作を連発した。時代の波に乗ったとしか言えない。
勿論、音楽制作は大勢のスタッフがいて作品が作られるので
私の力など微々たるものであるがプロデューサーということで
多くのヒット賞をいただいた。

子どもの頃は勉強嫌いというよりもあまりにも貧しくて勉強する環境が無かった。
さほど劣等生ではなかったが容易に進学できるレベルでも無かった。
いつも進学も就職もここしか行くところが無いという気持ちで臨んだら
その通りになった。決して努力のたまものでは無かった。
学校も会社も色々受けるほどの選択権が無かったからである。
いわゆる「背水の陣」で自ら逃げ場を無くしたのです。
常に心の在り方、心の置きどころ、心の決心、に誰よりも強い思いがあった。

「武士道」新渡戸稲造著から学ぶ日本人の美しい心
「武士道教育の精神について」
日本の一般的な学校には宗教教育がありませんが、海外では「善悪の基準を
宗教による宗教教育」により子孫に道徳教育を授けています。
ベルギーの法学者に「日本人は何をベースに道徳教育を授けているのか?」
という問いに答えられなかった新渡戸稲造が、日本の道徳観を世界に伝えたのが
「武士道」という道徳教育でした。
1900年に英文で発表された「武士道」は世界的ベストセラーとなりました。

「武士道の「義」の精神」
『打算や損得を超越し自分が正しいと信じる道を貫く』武士道の中心となる
良心の掟を「義」の精神といいます。
「義」とは人間としての正しい道、つまり正義を指すものであり武士道で
もっとも厳格な徳目です。
義を貫く…武士道の基本はフェアプレイの精神であり、卑怯なやり方を嫌います。
幕末の志士、真木保臣がいうには「義は体に例えるならば骨である。
骨がなければ首も正しく胴体の上につかず手も足も動かない」つまり、
たとえ才能や学問があったとしても「義の精神」がなければ
武士ではないということです。

「武士道の「勇」の精神」
「勇」とは、義を貫くための勇気、正義を敢然と貫く実行力です。
孔子が論語の中で「義をみてせざるは勇なきなり」つまり、勇気とは
正しいことを実行することだと述べています。
勇気といっても、わざと危険をおかし討ち死にすれば単なる「犬死に」であり、
武士道ではこれを「匹夫の勇」と呼びさげすみました。
武士は幼少の頃から「匹夫の勇」と「大勇」の区別を学びました。

「武士における「大勇」とは?」
「勇気とは、恐れるべきことと、そうでないことがわかること」と、
古代ギリシャの哲学者プラトンはいいます。
「本当の勇気とは、生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬことである」と
徳川光圀(黄門さま)もいいます。
以上のことから、勇気の精神的側面は冷静さであると理解できます。
武士にとって「犬死に」はつまらない行為ですが、自分が間違いと思うことに
対しては、ためらうことなく命をかけて戦わなければなりませんでした。

「文武両道の精神」
「勇」をまっとうするためには、肉体的強さが不可欠でした。
義の精神を机の上で学んでも自分より強い相手に怯えて実行できなければ
無意味でした。そのため、武士たちは精神修行と同時に肉体も鍛えました。
武士たちは文と武の両立、つまり文武両道を追求していました。

たまには日本人として心の在り方を「武士道」から学んでみては如何でしょうか?


落ち着くとは




2000年に米国のレコード会社から突然の契約解除を言われ倒産に追い込まれた。
そして代表者である私は全財産没収で自己破産を余儀なくされ、
身動きが取れなくなった。
不渡りを出した日から銀行や消費者金融の取り立ては昼夜を問わずやって来て
私と家族を悩ませた。
そして親しくお付き合いがあった取引先への未払いも起こりお叱りを受けた。
所属していたアーティストからもいろいろ心ない言葉を浴びせられた。

顧問弁護士の指示に従い家族とも別れることになりました。
後に判明したのですが全く必要のない協議離婚をさせられたのです。
今まで何もかも弁護士が正しいと思い違いをしていたのです。

家族とも別れて完全に無一文になりこれからの事を相談に乗っていただきたくて、
かねてから親交のある哲学の先生のところへ行き事情を説明したところ、
何故か最初に「おめでとう」と言われました。
全て失ったか!これ以上いき場のない底についただろう。
私に頼るな、自分に頼れ!
これでお前も「底に落ちて着いたから落ち着く人間となったのだ」、
これからは浮かれる事なく人生を落ち着いて歩めるぞ!
だから「おめでとうなのだ」と言われました。

変に倒産の事情を聞かれて慰められるよりその言葉がなぜか腑に落ちました。
底に着いたから上がるしかない人に救いを求めるのでなく
自力で這い上がれ、そうしなければまた同じ過ちを繰り返す。
凄く的を得たアドバイスに気持ちが楽になりました。
とりあえず生活費を稼がなければなりません。
今までの経歴も見栄もかなぐり捨ててとりあえずゼロからのスタートです。
どうせなら「下座業」もかねて自分が一番苦手な仕事を探すことにしました。
日当払いの夜中の道路工事の旗振りや、操業前の工場のLED蛍光灯の交換をしながら、
次の就職先を探したのです。辛い作業も希望への一歩と思えば楽しくやれました。
私は敢えて得意な音楽業界でなく違う業種で探していたところ、コンピュータのシステム
会社から、声がかかり入社しました。上場に向けての戦略室長の立場です。

100%絶望をすることが二度と絶望することのない希望となる。
中途半端な絶望は中途半端な希望を見出し人はその偽物の希望に縋りつく。
目の前のラッキーが次のアンラッキーとなることはよくある話で、またその逆も然り。
これは、中途半端な絶望と中途半端な希望が次々とループの中で起こっているのだから
当然のことである。

例えば、誰かに誤解されたとする。悲しみに打ちひしがれている時、
自分を理解してくれる人が現れる。このようなことはよくある話で
「捨てる神あれば拾う神あり」と世間では言う。
実はここに目覚めを妨げるトラップがある。自分を理解してくれる人と
思ったその人もまた、次の瞬間誤解していることが判明するのが世の常である。
そして人間の弱さは無意識に一縷の希望に縋らせる。
「もしかしたらあの人なら、あの人なら分かってくれるはず」
「世界は広い。自分を分かってくれるひとは必ずいる」などと
自分に言い聞かせながら。世間もその人も無責任に慰める
「きっとあなたを分かってくれる人が現れる」と。

しかしこの自分の内外で囁かれる囁きはトラップなのだ。
このトラップに掛かっているうちは、人間は100%の絶望ができない
宙ぶらりん状態に居続けることになる。

Hit the bottom!という言葉がある。1mmの希望も入る余地なく絶望し切った時、
ベクトルが変わる。その100%の絶望は五感覚の絶望ではなく、哲学的思惟による
絶望である。
「人と人とは100%分かり合うことはできない。」だ。
この「100%分かり合えない」という絶望と出会えた時、この世界に
散りばめられた「偽」のベールが剥がれ「真」を追求する一歩を踏み出すことになる。
そこから始まるのだ。そこからループからの脱出の流れが生まれるのだ。
そしてその流れにさえ乗れば、人は必ず100%希望そのものの世界と
出会うことができる。

剣を扱うサムライにとって体は、剣の延長であり剣同様に道具であるという
認識を持つ。剣の切先で世界を感じ、宇宙を感じ、相手の心を感じ取る。
切先の一点に己の全宇宙を没入させ、他者との境界線を解かしていく。
だから五感覚よりもはやく、光の速度よりもはやく反応することができるのだ。
それは柔道や空手とは違う剣独特の世界、サムライが禅に傾倒していく心は
そこにあるのだろう。

では、体が道具ならば道具を動かす主体は何か?という問いが生まれるのは
当然のこと。そしてその問いを持つサムライに悟人が多く輩出されるのも頷ける。
第一段階、体が自分ではないことを、剣を扱う者ならば誰もが感覚的に会得する。
もし剣のみを道具として扱うのなら五感覚の世界に捕われ、瞬時に負けが決まるだろう。
宮本武蔵が記した「観の目強く、見の目弱く」とはまさにこのことなのだ。
そして第二段階の思惟が始まる。体を道具として扱う主体、その主体は体と
剣だけではなく宇宙森羅万象をも動かしている・・・「お前は一体何者だ?」と。
「何者だ?何者だ?・・・」その問いが究極に達したその瞬間、何者もないことを
「知る」。自分と自分の宇宙が静かに消え、涅槃寂静を観る。

人間には2通りの生き方がある。

生命体として生きるのか、はたまな精神体として生きるのか。
その違いは「体が自分」と思っているのか、「心が自分」と思っているのかの
違いである。

ホモ・サピエンスの言語の発達により人間が動物を制圧してからは、
地球は人間の星である。その人間が生命原理で世界を認識している限り、
つまり物質世界として世界を見ている限り、地球は物質である。
現に人間は地球を物体として捉え、物質の開発開拓に力を注いでいる。
その象徴が科学技術である。

人類は今分岐点に立っている。ここで生命体に留まるか、
精神体へジャンプアップするか。
精神体へのジャンプアップは認識の変化から始まる。
有だったものが無に、無だったものが有に。さらには有もなし無もなし。
この認識で人類は「有限」の概念を突破できる。突破した先は心だけが実在する
精神体の視座である。
(令和哲学より抜粋)

何もかも失った時に見えて来るものがある。
そこでは自分の人間性を演技することも弁解することも無い世界である。
守るものがあるから見栄を張る。言葉で弁解するから嘘が生まれる。
過去の記憶が蘇るから苦悩が始まる。
「おめでとう底に着いたのだな」この言葉で吹っ切れた。
哲学的思考にシフトチェンジした瞬間である。

その後、悩みを抱えた経営者にアドバイスをする機会が何度かあった。
私と同じで金融関係と取引先から追い込まれて自殺まで考えていた時に
逢うことにした。その時に最初に発した言葉が「社長おめでとう」である。
「鋼は叩かれて、叩かれて名刀になる。しかし叩いているハンマーはいくら叩いても
名ハンマーとは言われない」今社長を叩いている人たちに感謝しなければならない。

絶望の時、悩みや苦悩に溺れてはなりません。浮き上がる事だけを考えれば
ほぼ問題は解決したと思ってください。


問いを放て




君に問いはあるのか?
君の問いは正しいのか?
常に問いをもて
生き方の問いをもて
人としての問いをもて!

何が大切で何をしなければいけないのか真理を探し出すのだ。
人はだれしも使命を授かりやらなければならないことがある。
生き方の問いなき者は生を楽しめず死を恐れることになる。
その苦しみから逃れる為に短絡的な快楽へと逃れる。
そこに人間としての尊厳は生まれて来ない。

問いは疑問である。現状を疑うことから始まる。
そして疑問が生まれて好奇心が生まれる。
科学の進化はすべて疑問から生まれた。
自問自答の精神から始めよう。

問いかけをしない若者たち、彼らは現状の世界に絶望している。
環境も経済も大人たちが壊すだけ壊して、次は君たちがバトンを
受け取るのだと言われても呆れ果てて言葉を返えせないのだ。
大人たちはそれを見て今の若者は無気力だと言い切る。
これではますます世代間のギャップが起こる。

ニュースで国会議員の不正や大企業の不祥事で騒いでも、
一切正式に裁かれない現状をみて呆れ返っている。
無意味な謝罪会見ばかり開いても改善は見られない。
報道の在り方までもが議論の対象になっている。
ましてやメディアの不祥事は報道に対する信頼性を著しく落とし込め、
芸能界との癒着も次々に暴かれていき、いった全体この国に真実の報道は
あるのかと白けてしまっている。

今や検索とシェアが当たり前の世代はチャットGPTを使いこなす。
疑問は全て生成AIから聞き出す。所要時間はわずか2~3秒である。
大人の嘘をここで見破る。そして未来に絶望する。
こんな世界にしても大人は一切責任を取らない。

トランプとゼレンスキーとの和平交渉決裂の顛末は全世界に恥を晒した。
アメリカンファーストはモラルもコモンセンスも関係なく
金・金・金の世界の行き着く果ての姿を見てしまった。
この中に人道支援の言葉は無かった。平和を使ったただの取引だけだった。

就職しても友達と話しても金・金・金の一辺倒である。
国を憂いる前に信用できるのは金儲けである。
しかし欲を満たすための金をいくら集めても尽きることはない。
挙げ句の果てに投資話に騙されて一文無しになることもある。
人生の貴重な時間の無駄遣いである。タイパもコスパも関係ない。

ここで令和哲学の会・長岡美妃医師の投稿を紹介したい。
世界に対して「問い」を投げる。
人間と他の存在との決定的な違いは「問い」を持てるかどうかである。
人間以外の存在は環境に依存するため、環境に対していかに反応するかが
存在の宿命である。しかし人間は違う。
環境を自らが統制することができる唯一の存在である。

その為には五感覚脳の初期設定を超克しなければならない。
なぜなら、初期設定は環境に隷属しているからである。
目で見て見える。耳で聞いて聞こえる。手で触って触れる…
これらは環境に対して受動的な反応であり、環境が主人となる。
それ故、必然的に人間は環境の奴隷状態となる。

だから「問い」を放て!と古今東西の賢人たちは言う。
「この現実とは何か?」「人間とは何者か?」「世界とは何か?」、
この「問い」こそが主客逆転の端緒となる。そして気づくの。
「問い」を放った自分は、、、現実世界の中にいなかったということに。
環境から独立していたからこそ、「問い」を投げることができたのだと。

では、現実世界の中に自分はいないのなら一体、どこに自分はいると
いうのか?…デカルトはそれを「我、思う」と言った。我、我、我、、、
そう!思う「我」こそが実在!我こそ、完全独立!

そしてここで「問い」の終焉。「問い」が斬られる。
考え卒業、人間卒業、錯覚卒業。次のゲーム、スタートのベルが鳴る。

このブログをお読みの皆様はこの内容をどのように受け止めたでしょうか?
「問い」は千差万別あるのです。
一方が正しくて他方が間違っているというわけではありません。
「問い」は哲学的に考えるか、宗教的に考えるか、先人たちの言葉で考えるか
常識と言われる知識で考えるかによって回答は変わるのです。

環境から独立していたからこそ、「問い」を投げることができたのだと。
長岡医師の環境は自然の環境ではなく身の回りの生活環境である。

私は今「世界動物かんきょう会議」の一員として席を置いている。
広い意味での地球保護と人間が生存する為の新思考「動物になって考える」です。
デジタルの対極にあるアナログは自然環境を知らなければ始まりません。
我々人間社会はSDGsを謳っているが、いくら人間のエゴで考えても答えは無い。
そこに問いかけをしたら「世界動物かんきょう会議」にたどり着いた。

子供たちが動物になって環境を考えるとこのようになるのだという
ワークシップを各地で開催している。専門のインストラクターも養成して
学生から社会人まで環境について真剣に話し合っている。

デジタルを神のように崇めることを辞めにして、もう一度自然との共生を
考えなければ世界は何も変わらない。経済を発展させるために自然を破壊して良いなど、
神への冒涜であることを知らなければならない。

さて皆様は何に対して「問い」放ちますか?
問いは脳への刺激剤です。
問いは心の栄養剤です。
問いは共通認識の清涼剤です。
問いは人生の活力剤です。
私は毎日問いかけながら生きています。

皆様も多いに問いを放ってください。


友情とは




友情とは「友」とは語源からお話しましょう。
人間関係の基礎となる「友」という言葉。この漢字一文字には深い意味が
込められており、日本の文化や社会において重要な役割を果たしています。
常用漢字「友」の起源から現代における使われ方までを深掘りしその魅力を探ります。

漢字「友」は、古代中国にその起源を持ちます。「右手」と「又」(または)の
組み合わせで、「手を携(たずさ)える」という意味があり、互いに支え合う
関係性を象徴しています。この漢字は、信頼と協力の精神を表しており、
古来より人々の間の絆を意味する重要な文字として使用されてきました。

「友」という漢字は、「友人」や「友達」として、親しい人との関係を示す
言葉として用いられます。また、「友好」や「友愛」といった言葉にも
見られるように、国家や集団間の良好な関係を指す場合にも使用されます。
心を寄せ合う、信頼し合う、共に時を過ごすといった意味合いを持ち、
日本語における人間関係を表す上で欠かせない漢字です。

小説における「友情」を描いた作品をいくつか紹介します。
太宰治(だざいおさむ)
冒頭の「メロスは激怒した」のフレーズが有名な『走れメロス』は、
太宰治の代表作の一つであり、国語の教科書にも収録されました。
『走れメロス』は、人間の根底にある心理を巧みに描きながら、
信頼とは何かを問う物語です。

まずは、あらすじを簡単に解説していきます。
妹の結婚準備のためシラクスの市を訪れたメロスは、人づてに聞いた
国王による残虐な行いに激怒し、城へ乗り込みます。王に歯向かった罪で、
メロスは処刑されることになります。メロスは処刑を受け入れるものの、
妹の結婚式のため3日間の猶予がほしいと述べ、親友のセリヌンティウスを
人質にすることを提案し、認められます。

そして無事に妹の結婚式を見届けたメロスは親友の待つ城へ向かって走りだします。
肉体的疲労や自身との葛藤、度重なる障害を乗り越えて約束を守ったメロスの
姿に、王は改心します。親友の為に命を投げ出すセリヌンティウスに頭が下がります。
処刑場でセリヌンティウスの縄がほどかれた後、メロスは途中で約束を
諦めそうになったことをセリヌンティウスに伝え、自分を殴ってほしいと頼みます。
うなずき、友の頰を力いっぱい殴ったセリヌンティウスも、
メロスを一度疑ったと告白し、同じく自分を殴ってほしいと彼に頼みます。
お互いを殴り合った後に「ありがとう、友よ」と言って抱きしめ合う2人の姿を
見たディオニスは改心し、自分も仲間に入れてくれるようお願いしました。
そしてそれを聞いた群衆は、「王様万歳」と歓声を上げたのでした。

「三国志」
陳寿(ちんじゅ)桃園の誓い(とうえんのちかい)は、桃園結義(とうえんけつぎ)
とも称され、『三国志演義』などの序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、
宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、
生死を共にする宣言を行ったという逸話のことである。
これは正史の『三国志』にない逸話であって創作上の話であるとされており、
劉備が2人に兄弟のような恩愛をかけ、関羽・張飛は常に劉備の左右に侍して
護り、蜀漢建国に際して大いに功績があった、という史実に基づいて作られた
逸話である。

「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして
助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。
同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん。
皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。」

シェイクスピア『ヴェローナのニ紳士』はイギリスの代表的な劇作家
シェイクスピアの作品。16世紀末に制作された。ヴェローナの二人の紳士は親友だ。
一人がミラノへ旅立つ。もう一人は恋人のためにヴェローナに留まろうとするが、
まもなくミラノへ旅立つ。二人の紳士はミラノ公爵の娘に恋する。
すでに恋人のいる紳士は、彼女への愛と、親友への友情を犠牲にして、
公爵の娘にのめり込んでいく。その果てに待つものとは・・・。

プロテウスの父は、プロテウスの将来を案じている。
(この時代、旅には人を成長させる教育の役割があると考えられていた。
10代の若い貴族が特に教育の重要な段階として旅にでた)。プロテウスの父は
プロテウスを旅にいかせて、成長させるべきだと考えた。 

そこで、プロテウスの父はプロテウスをミラノへ旅させることに決めた。

プロテウスはジュリアへの
未練があったが、しぶしぶ旅立つことに同意する。

ジュリアとは、変わらぬ愛のしるしとして、指輪を交換する。
(長文のために一部割愛した)
プロテウスは男装したジュリアと会う。「彼」がジュリアだと気づかない。
シルヴィアに贈り物を渡してほしいといって、変装したジュリアに指輪を渡す。
それは、かつてプロテウスがジュリアと愛を誓いあった時に交換した
指輪だった。ジュリアは深く傷つき、そのまま言う通りにしようとして、
これを引き受ける。

だが、それでもプロテウスを諦められなかった。ジュリアは言う通りに指輪を
シルヴィアのもとにもっていく。 だが、ジュリアはシルヴィアに
この贈り物を断るよう仕向ける。正体を明かさないまま、これがプロテウスへの
ジュリアという女性のプレゼントしたものだったことを知らせる。
シルヴィアはそれを聞いて、指輪の受け取りを拒否する。 

シルヴィアは友人とともに、マントヴァへの移動を開始する。
だが、森を通っている時に、上述の無法者の集団に捕まる。友人は逃げてしまう。
公爵はシルヴィアがいなくなったのに気づき、捜索隊を組織する。
プロテウスとトゥリオ、変装したジュリアがこれに参加する。
そこに、公爵やトゥリオたちがやってくる。トゥリオはシルヴィアを
自分のものだというが、ヴァレンタインの威勢に怖気づく。
公爵はヴァレンタインに頼もしさを感じて、シルヴィアとの結婚を許可する。
ヴァレンタインとシルヴィア、プロテウスとジュリアの結婚式が行われることになる。

友情にまつわる話は古今東西山ほどあります。
思春期から青年期には同性の友と夢を語り合い異性の友には人生を語ります。
手紙しかなかった時代に想いを伝える時に重宝だったのが「詩集」でした。
最近ではどこの本屋でも見かけることがありません。
ゲーテやハイネ・牧水を愛読していた私にとっては寂しい限りです。
音楽が一般に普及していなかったころは「歌声喫茶」へ友と一緒に出向く人と
怪しげな「ジャズ喫茶」へ一人で出向く人と二派にわかれていました。

私は後者のタイプ一人でジャズ喫茶へ出向きニューヨークジャズの魅力に
取りつかれました。飲めないウイスキーと苦手な煙草をくゆらせて、訳の分からない
デカルト・ショウペンハウアーを読み、大声上げて学生街を
「デカンショウ、デカンショウで半年暮らせ、あとの半年は寝て暮らせ」
と友と肩を組みながら練り歩いたものです。
中学生の時に唯一無二の親友がいました。
彼の父親は大きな化学工場を経営していて裕福な家庭でした。
私は市営団地に住む貧乏人の子供です。
彼は顔も性格も勉強も申し分のないタイプで学校中の女子生徒の憧れの的でした。
そんな彼が何故私を友人に選んだのかが分かりませんでした。
放課後、学校帰りに誘われて彼の家に行きお手伝いさんが持ってくる赤い紅茶と
青い缶に入っている外国のクッキーがあまりにも美味しくて驚いたことがあります。

それから学校は別々でしたが高校・大学と長年仲良く親友として付き合っていました。
しかし悲劇が起こったのです。それは同じ女性を好きになったことです。
最初、彼女は私に好意を寄せている素振りを見せたので仲間内で公認の中になりました。
しかし後で分かったことですが、彼女は僕を踏み台にして友達に近づこうとしたのです。
その後二人が交際していることが発覚して長年の友情が壊れてしまいました。
まるでシェイクスピアの物語風ですが苦い青春の思い出の一ページです。

「友情は静かな月のように、太陽の現れない前の大空に輝く。
だが、恋の光を受けるとすぐに色褪せてしまう」リュナール侯爵


詩人はどこへ消えたのか?




何故、世界から詩人が消えてしまったのか?
様々な通信手段の進化にともない言葉までも簡略化されてしまい、
平易な言葉とマニュアル的な指示型言葉で人々を誘導する。
普段、目にする文章は広告のキャッチコピーの
羅列にしかみえない文章ばかりである。
ここには大人としての教養や知性などまったく存在しない。
あらゆる詩人の言葉のように短い行数で印象に残る文章に触れると
読み手側の想像力と知性が引き出されるのである。

「詩」とは文字の裏がわを読んで作者の真意に問いかけるのである。
詩人は時には怒り、時には難問を吹っ掛け、時には休息を与える。
人々は文字が創り出す世界に自分の意識を織り込むことが出来る。
時代に応じた読み手側の知性と感情の起伏を織り込み、そこから
あらたなる創造力がカラフルに生まれてくるのである。

私が好きな詩人として茨城のり子や谷川俊太郎がいる。
茨城のり子は怒りをストレートに表現してとても共感する詩人である。
谷川俊太郎は子供からお年寄りまでファンが多く心をつかむ詩人である。
お二人は何度か私のブログでご紹介したので、
今回は最もポピュラーな中原中也を取り上げてみた。

日本で最も読まれてきた詩人の一人と言っていいだろう。
1907年・山口に生まれた中原中也(なかはら ちゅうや)は、
時代を越えて読み継がれている数少ない詩人だと思う。

有名な詩「サーカス」は、
『幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました』とはじまり、
ブランコの揺れる『ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん』という印象的な擬音で結ばれる。

その独特な感性は、今も愛唱される数多くの詩を生みだした。
もっとも、繊細な詩風とは違って、私生活では周囲に迷惑かけまくりの人だった。

学校を落第し、家族から乞われても定職に就かない。
三角関係でモメては失恋して、独特な人間関係の築き方のせいで
作家仲間からも嫌われた。
中原中也の「空気を読まない」ノリには、太宰治も犠牲になっている。
晩年には精神の病も経験し、結核性脳膜炎によって、30歳の若さで亡くなった。
短すぎる生に、ありあまる詩才を燃やした生涯だった。
                   
中原中也の代表作には、「秋」の気配がただよっている。 
一人ぼっちの心細さに、乾いた風が落ち葉とともに吹きつける。
高い空が澄み渡り晴れていても、そこには途方もないさびしさがある。

いくつかの詩から、断片的に抜粋すると――
港の市の秋の日は 
大人しい発狂 
私はその日人生に 
椅子を失くした
(「港市の秋」)

飛んで来るあの飛行機には
昨日私が昆蟲の涙を塗つてをいた。
(「逝く夏の歌」)

あ〃 おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
(「帰郷」)

中也の詩では「秋」の切なさが、日本的な自然描写を含んで表現されている。
それは今もなお多くの読者を引きつける魅力の一つだ。
けれどもう一つ強調したい作風に、「夏」的な熱度と息苦しさもある。
国語の教科書には載らないタイプの詩で、静けさとかナイーブな心境とかでない、
怒りと悲鳴による言葉がある。

わが生は、下手な庭木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
(「つみびとの歌」)

私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。
(「夏」)

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!
(「少年時」)

「ギロギロする目で諦めていた」ってどういうことだろうか。
意味としてはわからなくても、感覚としてはわかる気がする。
中也には詩一つとってみてもいろいろな作風があり、俳句、散文詩、
また訳業もある。中原中也の世界は、底知れない。

私も個人的には未熟だが詩人だと自負している。
勿論、歌の歌詞は山ほど書きその数は500作を超えていると思う。
プロデューサーが担当アーティストの歌詞を書くのは賛否両論があった。
アーティストが可哀そう!気に入らなくても受け入れなくてはならない。
プロの作詞家たちも私達の職域を荒らしていると批判の声が上がった。
その上社内からも社員のアルバイトは認めないと声が上がった。
なんとも情けない話である。日本人らしい島国のひがみ根性である。

中学生の時にハイネやゲーテを読んで最初の詩に触れた。
その後、若山牧水や志賀直哉・高村幸太郎も読み詩人に憧れた。
職業として詩人なりたかったがその方法が分からなかった。
今なら検索すればすぐに教えてくれる。

日本ではヨーロッパほど詩人が文化人として注目されることは無いが、
フランスやイギリスでは画家も作家も詩人も文化人として国から援助を受ける。
貴族などのパーティーでは何人文化人が参加しているのかが一流の証になる。
お隣の韓国でも国策として文化・芸能人を援助していると聞いている。
何故か日本では政府から職人の技術も画家も詩人も助成金の対象にはならない。
近年大企業もメセナに予算が組まれなくなった。
株主からのクレームで文化芸能関係に協賛金を支払うのが無駄だということになり
展覧会やイベントなども作家自身が自力で開催する羽目になる。

これじゃ詩人どころか素敵な文化人が日本からいなくなる。
残念な国である。


哲学への誘い




西洋哲学と日本哲学の難解さには大きな違いがある。
西洋哲学の追求は宗教(特にキリスト教)の教えに抵触しないかの
壁が立ちはだかる。
たとえば地球が宇宙の中心にあり、すべての天体が地球の周りを回っている
とする天動説と、太陽が宇宙の中心にあり、地球や他の惑星がその周りを
回っているという地動説。
日本のアニメ「ち」を見ると、いかに真実を広めるのに教会が壁となって
邪魔をしていたかが分かる。天動説を唱えていたキリスト教にとって地動説は
神の教えにおおきく反するもので全てが異端で犯罪人、国中の隅々まで異端審問官を
派遣して拷問にかけて殺してしまう。現代でも全ての戦争の原因がこれに付随する。
聖書に出て来る「天地創造」この世は六日間と安息日を入れて七日間で作られた
という説も何人たりとも疑ってはならぬ。疑うイコール異端児として扱うのである
過去の常識がすべて正しいとする考えには無理がある。

それに反して日本哲学は仏教に影響されていることがおおうにある。
人間の真理を追究する時に西洋では科学の進化が大いに役立ったが、
東洋では精神論に起因する曖昧な物語が多い気がする。
しかし、そこには修行僧の英知がこめられていて大方の悩みは解決する。
もともと神仏習合のおおらかな国であるから宗教もオープンである。
勿論、昔から宗派同志のいざこざはあったが相手方を殺すほどではなかった。
哲学の謎解きは「無一物」最初から何もない、「不立文字」文字で表せない、
「只管打坐」座禅を組んで座り続けろ。何も考えるな!心を解放しろ!である。
日本の禅を通じて英語で日本人の哲学思考を書き表した鈴木大拙の功労は大きい。
それ以外に西田幾多郎、田辺元、九鬼周造、三木清、和辻哲郎、森信三などが
挙げられる。昔は哲学に嵌ると気が狂うから読むなと言われていた。

ここに令和哲学の長岡美妃先生が書いている文章がある。
とても分かりやすく書かれているので全文を紹介したい。

私の哲学論は「生きる為の自分への手引書」である。
なぜ哲学が貧しい人々に響くのか?
哲学をするということ、すなわち真理を追求するということについて。

「なんでそんな難しいを考えるのか?」と言われる。
もっと世間一般的なことや感覚的なことよりも、知りたい「問い」が
あるのだ。病とは何か?人間とは何か?生死とは何か?苦しみとは何か?
現実とは何か?…その「問い」が私を哲学的思惟に誘う。

ヴィトゲンシュタインの哲学をまとめ出会った言葉がある。
彼は言う。「人間の体には水面に浮かび上がる自然な傾向があって、
水の底へと潜るには努力しなければならない。
それと同様に、哲学的に思考をするためには、その自然の傾向性に
逆らって水の底へと潜っていく努力が必要である」と。
逆もまた真なりということか?

人間の初期設定のまま、つまりは世界に投げ出された状態のまま、
目で見て、耳で聞いて、世界というモノサシを当然と思って生きるだけでは
何も分からなかった。水面に浮かび世間一般の楽しみや感覚的な満足に
浸るより、水の底にある真理を知りたいという渇望がうごめく。
だから私は哲学的思惟を起こす。

人は誰もがいずれスピリチュアルペインに出会う。
その時、何者かに向かって叫ぶように問う。「人間とは何か?」
「この苦しみとは何か?」「生きるとは何か?」「死ぬとは何か?」を・・・
その問いを投げるのが今なのか、先なのかの違いだけ。哲学は特別な人が
する学問ではない。人間の根源を問う、人間にとって第一優先にされるものない

人間はみな孤独である。
それを自覚したくないが為に日常に埋没する生き方を選ぶとハイデガーは言う。
世間話や薄っぺらい好奇心や曖昧な話に終始し続け、そこになんら責任は
発生しない関係性を続けるのだ。

そしてそれでも感じる孤独の穴を埋めようと、悲劇のヒロインを装い
人の関心を引こうとする。「自分はこんなに酷い状態だ」「自分は可哀想な存在だ」
「自分は慰められて当然だ」というストーリーを作り出し、
食肉植物のように誘い込む。誰かがストーリーに乗ってきたならば、
「よし掛かった!」とばかりにストーリーを炸裂させ、相手からエネルギーを
吸い取っていく。そしてこれが生きる活力源となる。

このような関係性は共依存であり、どちらかが完全に目を覚さない限り同じ
ループを永遠に繰り返す。なぜならこのループには
ある種の悦びが付き纏うからだ。それは人間の根源的な痛みである孤独を
麻痺させてくれるという甘い蜜。この蜜の味を締めているため蜜を
取り上げようとするものなら、強烈に抵抗する。孤独と対峙させられる
からである。

しかし人間は孤独なのだ。「体が自分だ」と思っている限り、人と人とは分かり
合うことはない。この絶望を受け入れられるかどうか・・・もし受け入れる
勇気を持つならば、永遠ループから抜け出せるだろう。甘い蜜を「偽物だ!」
と喝破して真の犯人を探しに行く。「こんなにも孤独を生み出す張本人は
誰なのか?」と自らの内に問うていく。そしてそれが真の問いのスタート地点となる。
非本来的な生き方から本来的な生き方に変わる瞬間。

そして真の問いのスタート地点に立ったならば、後は哲学的思惟で問いを
投げ続ければゴールに辿り着く。「はじめから何もなかった」のだと、
「なにもはじまっていなかった」のだと、「すべては一元であった」のだと、
「孤独は幻想にすぎなかった」のだと。

人間は孤独でもある。しかし「知った」瞬間、目の前の現実は
何も変わらないのにすべてが変わっていることを認識する。
以上。
この話の真意は理解できたでしょうか?

米イエール大学助教授成田悠輔がバンタン卒業式での言葉に哲学が存在する。
2000年前ローマ帝国のマルクス・アウレリウス皇帝が言った言葉に
「投げられた石にとって登っていくことが良いことでもないし
落ちていくことが悪いことでもない」この哲学的な言葉の意図は何か!

「ご卒業おめでとうございます」は何がおめでたいのか?
ゲストの成功話をする人がお決まりのパターンである。
人生はどんなに頑張ってもたいしたものにはならないのです。
たまたま運と出くわし、運が良かった人が成功しただけで、
そんな人の話は聞いてもあまり意味が無い。

上手くいくかは分からない未だ試されていない領域へ足を踏み出してみる。
一歩踏み出す勇気、それにはコンプラ社会で実験てきなことを試してみる。
その方法は「幼児性」・「異国性」・「武士性」の三要素が重要である。
幼児性、子どもであるとか子供になる。裸の王様という物語を知っているか。
もともとのタイトルは「王様の新しい服」です。
詐欺師集団が王様に「世にも不思議な透明の服」を作りましたと差し出す。
大人たちは王様が偉い人なので裸のままに歩いていても、素晴らしい服ですねと
見えない服をほめちぎる、しかし一人の少年が「王様は裸だ」と言ってしまった。
みんな馬鹿になれ、無知になれ、世間に迎合するな。

異国性、外国人は好き勝手に言える。日本に忖度しない。外に属している。
この二つは外から変革を求めている。
日本人の同調主義は「空気を読む」という風に反論はご法度なのです。
そこを異国性でズケズケとものを申さなければならない。
内に属していない外から勝手にものを申す。

武士性、社会を変化させるには内側から変える。周りと一緒に没落しよう。
この潔さが武士性である。明治維新のときのように在野の下級武士が集まり
徳川幕府を倒そうとした精神=武士性は、外に変革を頼るのではなく
自らから死を覚悟して変革に臨んだのである。

「成功するより没落しよう。ニコニコと没落しよう」
当時大蔵大臣であった渋沢栄一にGHQから財閥解体の指令が来た。
協力すれば渋沢財閥だけは助けてやろうと言われたときに、構わない
我々も他の財閥同様に解体して「笑って没落する」といった回答をしたという。
「ニコ没」、ニコニコ笑って没落しよう。潔い破壊からしか創造は生まれて来ない。

社会や経済を次のステージに持っていくために自分達も解体していく。
自分達の成功や成功システムを解体していかなければ次に向かえない。
「投げられた石にとって登っていくことが良いことでもないし
落ちていくことが悪いことでもない」卒業生はこれから投げられて石になる。
合言葉は成功するより没落しよう。

世の中が常識として捉えている事柄に反抗しなければ真実は見えてこない。
知識は迎合であり、哲学は苦悩である。疑問を持ち悩むことから始めよう。
成田悠輔は変態であり、個人主義であり、屁理屈屋である。
村おこしの時には「若者・よそ者・馬鹿者」がいなければならない。
絶対的に馬鹿者の部類だが彼のように人間からしか新しい社会は生まれない。
どちらかというと私も同じ部類の人間であることは確かである。