悩みの深さと重さ




悩みは人それぞれに違う。深く悩んでいるとはどれほど深いのかは分からない。
しかしその重さはほとんど同じである。悩んでいる人には些細なことでも、
心が重さに耐えきれないこともある。

哲学者が悩むのも、宗教学者が悩むのも、一般人が悩むのも左程違いは無い。
悩みの種はどこからきて誰が植え付けたのだろうか分からない。
パスカルが言う「人間は考える葦である」葦という草は弱い草である、

人間も同じように弱いのだが考えることが出来る。だから悩むと言われても真意はわからない。

悩みとは、問題の解決のためにあれこれ考えて苦しむこと。しかし、いくら考えても
問題は解決されず、なんの結論も出ないからこそ苦しむわけであって、そうしてみれば、
悩みとは、なんの解決にもならない無駄なことを、あれこれ考えて苦しむことだと
言い換えられる。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を持ち出すまでもなく悩みは若者の特権である。
学生時代にこの本を読みあまり感動は無かった。ヨーロッパではこの本を読んだ多くの
若者たちが自殺に追い込まれているということに興味があっただけである。

ウェルテルのロッテを世界だと思い込んでしまう視野の狭さに終始うんざりしてしまう。でも、それでもやっぱりここで描かれるあまりに純粋な破滅に惹かれないわけにはいかない。

人はここまで人を好きになれるのか?
ウェルテルのような文学や絵が好きで繊細な感性を持っていて、それが故に傷つきやすく恋愛で上手くいかない青年というのがあまりにも普遍的で親しみやすかったから。

多くの若者たちは自分の感情と重ね合わせて熱狂したのだと思う。
純粋な恋心は相手を追い詰めても許されるのだろうか?
現代ならストーカーとして訴えられるケースである。

本の発刊が1774年、日本で言う江戸時代の中期。
なんと解体新書が刊行されたのと同じ年にこんなにも理解しやすい文学が
あったということにまず驚いた。

この当時の江戸文学で言えば井原西鶴の「好色五人女」で取り上げられた
「八百屋お七」は、恋狂いで放火を働き死罪に会った女性である。
江戸では、「火つけは十五歳を過ぎていれば火あぶりだが、十五歳になっていなければ
島流し」という決まりがあった。

そこでお七の心根の哀れさに加え、被害もボヤだったことから、なんとか命だけは
助けてやりたいと、奉行が、「お前は十五であったな?」と声を掛けると、
奉行の思いやりを察せられないお七は「いえ、十六でございます。」と言ってしまった。
お七は江戸市中引き回しのうえ、鈴ヶ森の刑場で火あぶりに処せられました。

発刊は寛文八年1668年となっている。ゲーテより106年早く発刊されているが文章の質は遠く及ばない。

両者とも芝居の脚本家としての実績は高い。

ウェルテルはもともと「死に対する憧れ」があったということ、そして自分と似た境遇の人間がたどる悲惨な運命を目にしていくうちに、それに憑りつかれてしまったという
ことなど恋愛以外の要素が多い。そしてそんな環境の中で出会ったロッテが自分にとって
唯一の希望だったというところに、どうしようもない危うさと魅力を感じてしまうのだ。
この小説にはウェルテルが本当に夢遊病の患者のようにふらふらと

ロッテに吸い寄せられているような空気感がある。

また、許婚アルベルトという自分とは全くの正反対の快活な青年にロッテを奪われて
しまったことも、ウェルテルが自分を認められなくなった理由だったと思う。
いかに正反対だったかは「自殺を認めるかどうか」を2人が話し合っているシーンに
顕著に表れている。ウェルテルは精神的な病も本当のウイルスのように心身を蝕むもの
だと理解していたが、アルベルトは終始「自殺する奴の気が知れない」という考え方
だった。

ウェルテルを通して語られるゲーテの言葉は現代にも通じる考え方というか、
「不機嫌は怠惰なのだ」という言葉には改めてはっとさせられた。

「自分をもはたの人をも傷つけるものがどうして悪徳じゃないのでしょうか。
むしろこの不機嫌はわれわれ自身の愚劣さにたいするひそかな不快、つまりわれわれ
自身にたいする不満じゃないのではないですか。」

「不機嫌が悪徳なんて言いすぎじゃないですか」とある青年に聞かれた際、
ウェルテルはこう答える。そしてこのような人間は暴君だと言い、「不機嫌によって
台無しにされた誰かの大切な一瞬を償うことはできない」ということを熱心に語る。

これはもうこの小説の発刊から249年以上経った現在でも考えさせられるテーマだと
思った。「若きウェルテルの悩み」は単に恋愛だけの小説ではなく、人間の生き方に
関する示唆に富んだ小説で、人間の精神の脆さについても考えさせられる時代の制約を
超えた名作だと思う。機会があればぜひ読んでみてほしい。

日本語の「なやむ」は、身体の力が抜けるという意味の「萎(な)ゆ」から派生したとも、「萎え」と「病む」の合成語だともいわれるように、本来は身体の病気などによって苦しむという意味だった。

ウェルテルの悩みのドイツ語Leidenも悩み、苦しみのほか、病気という意味が含まれている。

つまり「悩み」は肉体的な病気のようなものと
見なされていたわけだが、肉体的な病気のように有効な薬はないのである。

悩みの重さはウェルテルにもロッテにもアルベルトにもましてや作者の
ゲーテにとっても違いがあるはずです。死に至るまで悩んでしまう読者も、
その重さは計り知れないものがある。
繊細な人間は悩みから解放されたくて死に至れば救われると勘違いをしてしまう。
愛で死ぬなんて美しく考える人は時代の制約や環境の複雑さに負けてしまう人である。

東大の学生課の書籍で一番よく読まれていた本「愛と認識の出発」倉田百三
善とは何か、心理とは何か、友情とは何か、恋愛とは何か、信仰とは何か。
若き日に悩むことのテーマが、著者自身が考え抜いたプロセスをそのまま記している。

「ああ私は恋をしているんだ。これだけ書いた時に涙が出て仕方なかった。
私は恋のためには死んでも構わない。私は始めから死を覚悟して恋したのだ。
私はこれから書き方を変えなければならぬような気がする。

何故ならば私が女性に対して用意していた芸術と哲学の理論は、一度私が恋してから何だか役に立たなくなったように思われるからである。

私は実に哲学も芸術も放擲して恋愛に盲信する。
私に恋愛を暗示したものは私の哲学と芸術であったに相違ない。
しかしながら私の恋愛はその哲学と芸術とに支えられて初めて価値と権威とを保ち得る
のではない。今の私にとって恋愛は独立自全にしてそれ自ら直ちに価値の本体である。」

ウェルテルも、お七も、倉田百三も、自分の全てを投げ打っても恋愛に没頭したのである。
悩みの深さと重さに違いがあれ、これは多感な青年期に逃げることのできない現実である。
しかし恋愛の悩みこそ過ぎ去れば笑い話になることも知っていて欲しい。


誤認識を正す




友人が病の不幸に会う。みんなで助け合って回復の手助けをする。
しかし同じ友人がまた違う病の不幸に会う。助ける人が少なくなる。
更に友人がまた別の病の不幸に会うと災いは違うところにあると認識を変える。
これ以上関わりあうとこちらに病の不幸が襲いかかるのではと恐怖が募る。
認識の変化は恐怖から誤認識と変わる。

友人の会社が不渡りを出して倒産してしまった。1回目の失敗は許されるけれど
その後も失敗が繰り返されると、同じ様に原因は違うところにあると認識する。
自分の運も悪運に引き込まれるのでは無いかと遠ざかる。
ましてや資金援助で参加していた場合はなおさらである。ご認識の後悔が始まる。

医者も最初のうちは職業柄献身的にみるが、同じ患者で同じ症状が度重なると
ぞんざいに扱う傾向がある。その上治療における自分の能力の範疇を超えると
手の施しようがなくなり転院を進めることもある。良い医者の認識がここで変わって
しまう。これらは仕方のないことである。

人の親切や優しさは期限付きであって永遠では無いからである。
親ですら養育の期間(0~18歳)は責任を持つがそれ以降は独立させるのである。
一人の人間として自立させなければ永遠に親離れは出来なくなる。
親離れをしなければ子供は不幸になる。なかよく暮らすの誤認識である。

生きる上で思いがけない窮地に陥った場合は、1人で解決の道を歩まなければならない。
その為に人々は姿・形の無い神や仏に縋(すが)ろうとするのである。
しかし縋(すが)るあなたのそこに「感謝の恩」をあるのか?

「恩返し」という言葉がある。与えた者が見返りを求めてやる行為は、
恩返しに該当しない。恩の大小に関わらず恩を受けた本人が感謝の気持ちを添えて
恩返しすることに意義がある。恩は無償の愛があって初めて成立する。

「与えた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め」

恩という字は、原因の下に心と書く。原因を心にとどめるという構成である。
恩とは何がなされ、今日の状態の原因は何であるかを心に深く考えることなのである。
もっと簡単に言えば、してもらったことを思い出すことである。お蔭さまの心である。
恩の考え方は、ややもすると、封建的な古い考えであると思う人があるが、
それは恩の正しい意味がわかっていないのである。 

中国の諺に「恩を受けて恩に酬いざるは禽獣に等し」とあり、恩知らずを罵っている。

我が国に欧米から権利とか義務の思想が近代になって入ってきて、
民主主義の根幹となった。しかし、それが近頃では、権利だけを主張し、
義務を忘れるという身勝手な風潮が蔓延するようになってきたのである。 

物が豊かになり、福祉が充実してきた今日の繁栄の裏には、その享受を当然と
考える人は少なくない。当然だと思う気持ちには、感謝の念は湧かない。
そして、恩を忘れると権利ばかり主張するようになる。

権利・義務には他への厳しい要請があるが、恩は自覚するものである。 

恩について、仏教ではさまざまな経典に説かれている。『正法念処経』には、
母の恩・父の恩・如来の恩・説法法師の恩の四恩が説かれているし、
『大乗本生心地観経』では、父母の恩・衆生(社会)の恩・国王(国家)の恩・
三宝(仏・法・僧)の恩の四恩を説いている。

また、同じく『大乗本生心地観経』には、父母の恩・師長(先生)の恩・国王の恩・
施主の恩という四恩も説かれている。
人の人たる道は恩を知り、恩に報いるべきと四恩の経典は説いている。

弘法大師は、「恵眼をもって観ずれば、一切衆生は皆これ、わが親なり」と説き、
道元禅師は「一切衆生斉しく父母の、恩のごとく深しと思うて、作す所の善根を、
法界にめぐらす。」と仰せられた。
自分の生命を知り、家族の力添えを知り、社会の仕組みを知れば、恩にゆきあたる。
他に厄介をかけずに生活はできないのである。

人間は、一人で生きていくことはできない。たくさんの人に支えられているから、
生きていけるのである。世間は、恩という陰の力が働いている。
その力によって私たちは、生かされているのである。

恩にまつわる話がある。
エルトゥールル号は、1887年の小松宮彰仁親王殿下のトルコ訪問への返礼などの
目的で、オスマン帝国から日本に派遣された船です。

親善使節団を乗せて1889年7月にイスタンブールを出港したエルトゥールル号は
厳しい航海の中、途中イスラム諸国に立ち寄りつつ、1890年6月に日本に到着。
無事に明治天皇に親書を手渡し、東京に3ヶ月滞在した後、1890年9月に横浜港を
出航して帰国の途につきました。

しかし、その途中で台風に遭遇し、エルトゥールル号は暴風雨によって和歌山県串本町
紀伊大島沖の樫野埼付近で座礁・沈没。使節団を含めた656人の乗員のほとんどは
荒海に投げ出されてしまいました。

このとき、エルトゥールル号の乗員を救助したのが、地元串本町大島の島民たちです。
海岸に流れ着いた乗員を発見し、遭難事故を知った大島の人々は不眠不休で生存者を
捜索し、生存者の救護活動を懸命に行いました。

海岸に打ち上げられた傷だらけの遭難者をロープで自分の身体に縛り付け40メートル
の崖を登って救護所に運び込む人もいれば、海水に浸かって冷えきった彼らの身体を
抱きしめ、自らの体温で温めた人もいました。さらに当時は貴重な食料であった
畑の芋や非常食用のニワトリを惜しみなく供出し負傷者に分け与えたのでした。

エルトゥールル号の死者・行方不明者は587人に上りましたが、こうした献身的な
救助活動の甲斐あって69名の命が救われたのです。

知らせを受けた明治政府も、明治天皇の意向を受け、すぐ現地に医師や看護師を派遣。
日本全国からは多くの義援金や物資が贈られました。
救助された69人の生存者は神戸で治療を受けてそれぞれ快方に向かいました。

そして、同年10月に比叡、金剛2隻の日本海軍の軍艦により帰国の途につき、
翌年1月に無事イスタンブールに無事入港したのです。
当時は日本との国交は樹立されておらず、軍艦2隻による送還には多額の出費を
伴うため、異例中の異例の対応でした。

トルコ側はこのときの日本人の救助活動や政府の対応に大きな感銘を受けたそうです。

エルトゥールル号遭難事故での感謝を忘れなかったトルコ人は、1世紀の時を経た
イラン・イラク戦争の際に、今度は日本人の危機を救ってくれました。

イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日にイラクのフセイン大統領が「48時間
後にイラン上空を飛ぶ航空機を無差別に撃ち落とす」という声明を発表。
世界各国が自国民のために救援機を出す中で、自衛隊の海外派遣がタブー視されていた。
日本は救援機を送れず、イラン在住の日本人はテヘラン空港に取り残されて
しまいました。

そんな中、2機のトルコ航空の救援機が、自国のトルコ人よりも優先して日本人を
救出し、215名全員が無事イランを出国できました。しかし、なぜトルコ政府が
自国民を危険にさらしてまで日本人を優先救助してくれたのか、当時は日本政府にも
マスコミにも分かりませんでした。

駐日トルコ大使は後に、このときトルコが日本を助けた理由について、次のように語っています。「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです。エルトゥールル号
事故のときの日本人の献身的な救助活動を、トルコ人は今も忘れていません。

私も小学生のとき、歴史の教科書で学びました。トルコでは子供たちでも
エルトゥールル号事件を知っています。だから、日本人を助けるためにトルコ航空機が
飛んだのです」

エルトゥールル号事件から95年を経て、日本への恩を返したイランでの救出劇は、
トルコの親日感情と両国の友好を象徴する出来事といえるでしょう。
(長文になりましたが当時の記事をそのまま掲載しました)

常に自分の頭の中にある認識をチェックしなければなりません。
時代や世代や環境によっても「常識」は変化しているのです。
新しい常識は古い常識をから生まれることを知り、「誤認識」を避けるようにしましょう。


夜明け前




夜明け前が一番暗いと言うが本当は一番明るいのである。
絶望から始まる希望があるとすれば、その時希望が一番輝いているのです。
人の世も苦しみを味わった人達が復活に立ち上がった時が一番強くなります。
貧しい子がパンを修道院に寄付したことで世界中の人々の奉仕の光になったのです。
平和とは暗い恨みを晴らすことではなく、明るい恩を返すところにある。

日本は先の大戦で原爆を落とされて罪なき人が大勢亡くなった。
そしてアメリカに恨みを募らせることもなく、相手の力を利用して経済大国になった。
正しく武士道で言うところの「肉を切らせて骨を断つ」精神である。
これは世界広しといえど類のないことです。

悲しみを悲しみとして受け取るのではなく、悲しみを復興のバネとしたところに
日本人の本当の力がある。暗い恨みを募らせても発展的には進めない、
悲しみの現状を把握して明るく前へ進んだ時に、日本は一番輝いていたのです。

だから日本は世界のどの国よりも「平和を提案」できる国なのです。

東日本大震災の時に家族や家を流されて悲しみのどん底に突き落とされても、
食料や水の配給の列に子供から老人まで整然と待つ姿に世界中が感動した。
奪い合うところに平和はなく、分け与えるところに平和がある。
ここから世界中の支援を受けて復興の10年が過ぎたのです。

夜明け前で思い出すのが島崎藤村の書いた「夜明け前」である。
「木曽路は全て山の中である。」の書き出しから始まり、(中略)
そして、末尾はこのように〆られた。

御嶽のすそを下ろうとして、半蔵が周囲を見回した時は、黒船のもたらす影響はこの
辺鄙(へんぴ)な木曾谷の中にまで深刻に入り込んで来ていた。

ヨーロッパの新しい刺激を受けるたびに、今まで眠っていたものは目をさまし一切が

その価値を転倒し始めていた。

急激に時世遅れになって行く古い武器がある。眼前に潰(つい)えて行く旧ふるくからの
制度がある。下民百姓は言うに及ばず、上御一人(かみごいちにん)ですら、
この驚くべき分解の作用をよそに、平静に暮らさるるとは思われないようになって来た。

中世以来の異国の殻(から)もまだ脱ぎ切らないうちに、今また新しい黒船と戦わねば
ならない。半蔵は『静の岩屋』の中にのこった先師の言葉を繰り返して、
測りがたい神の心を畏(おそ)れた。

人智及ばぬところに時代の夜明けは訪れるのである。

「万里清風」」

昨夜一声の雁は、修行者が長い修行の末、機縁熟して、ある日、忽然として悟りを開くことを意味し、

そして、一夜明ければ、すなわち、悟りを開いて見れば、今までのモヤモヤが消し飛んで、

スカーッとした清々しい気分を「万里清風の秋」と頌したのです。

なにも禅の悟りを待つまでもありません。私たちの日常生活の中で、何か一つ
すばらしいこと、清々しいことを聞けば、残暑厳しい中でも万里清風の思いが
するのです。

こどもたちは、水筒の水をダムのえん堤から一斉に流した。拍手とかん声が起きる。
渇水で水位をさげたダム湖に、水筒の水は消えた。 
この一瞬のためにこどもたちは長い道を歩いた。豊橋をはじめ愛知県東三河地方は、
昨年秋から慢性的な水不足になった。この一帯をうるおす豊川用水の水源である
宇連ダムは、ことしはじめにはカラになった。 こどもたちの家庭でも、
水に対する関心が高くなった。そんなとき、このこどもたちは、すこしでも
水をダムに返してやろうと、近くのお寺の井戸からくんだ水を水筒につめて運んだのだった。……

道元禅師は谷川の水を汲んで杓底の水を元の谷川に還されたといわれます。
茶人は釜から柄杓でお湯を汲み、必ずその半杓の湯をもとの釜にもどします。
水筒の水を水源地のダムに還す、それは量の問題ではありません。水を大切にする
「心の問題」です。

どちらの話にも「万里清風」を渡るように、清々しさを感ぜずにはおれません。

悲しみや苦しみに対して千言万語の言葉で言い尽くすより、小さな行動で気持ちを
表した方が人々の協力を得て神々への祈りにつながる。

ここでも思い出すのが「江戸しぐさ」である。

さりげなく道を譲り、雨水が当たらぬように傘を傾げ、拳一つ空けることで席を詰める、

決して刺し言葉で相手の話を閉じさせないなどです。

江戸しぐさは争いのない平和な町を願って考えられ、そのしぐさや考え方は

現在の生活に大切なものと思います。

江戸しぐさは、その人の思いや考えが「しぐさ」として表現されるということで
「心の在り方」を大切にしたようです。「あい、澄みません」、『板橋を出るときは
「いたばし」、入る時は「いたはし」』と言って心が濁ることを嫌いました。

また、争いをしない平和な生活を送るための「往来しぐさ」や相手を尊重し、
思いやり(惻隠の情)、助け合い、共生、相互扶助の精神の「心」を大切した「しぐさ」
や「言葉遣い」が考えられ実践されました。

夜明け前の自然から受ける「万里清風の風」のエネルギーを受けて、
感謝するところから一日を始めてください。

夜明け前の暗い内から禅僧たちは明るく活動を始めます。


平衡感覚




大好きな事を仕事にしたい。そうするには嫌いな仕事をしなさい。
デジタルを極めたい。そうするにはアナログの勉強をしなさい。
貧しさから抜け出したい。そうするには金持ちと付き合いなさい。
人として素晴らしい人になりたい。そうするには苦労をしなさい。
要するに片手落ちにならないようにしなさい。
表だけを知って知ったつもりにならず、裏も知らなければ知ったとは言わないのである。

一休宗純(1394~1481)は室町時代の禅僧です。当時より多くの人から破戒僧、
異端児などと揶揄されていましたが、一休さんは今からおよそ550年も前に、
多様性の重要性と共存を説かれていました。
「世の中は 乗合船の 仮住まい よしあし共に 名所旧跡」
この世の中は多くの人が共存していて、いずれあの世に往くまでの仮住まい。
住んでいればお互いに良いことも、悪いこともありますよ。
 
一休さんは、「この世の中には様々な考え方や想いが存在していて、そのような人々が
一つの社会(乗合船)で生きている。だから自分の考えや想いだけが
正しいわけではない」と説いています。 

例えば「門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句が
あります。多くの人が正月は目出度い、楽しいと思っていることに対し、
年をとることは死に近づいている。何が目出度いかと否定をしています。
それは私達が思い込んでいるものに対し、別の見方を示しているのです。 

晩年一休さんは、森侍者(しんじしゃ)という、若い、盲目の女性と同居していました。

禅僧が若い女性と、さらに障害をもたれた方々は生きていくことが厳しい時代、
一休さんの行動に対して当時の人々は否定的に捉えています。
しかし、男性で、年寄りで盲目でなかったら、何も問題にしなかったでしょう。
そのことについて一休さんの言及はありませんが、
「年齢、性別、容姿など差別するな。同じ人間やないか」と言われるかも知れません。
私達が自分達だけの価値観を押し付けているだけなのです。 

現代になり徐々にではありますが、多様性の重要性が話し合われるようになりました。
しかし、民族、思想や宗教など様々な過去の価値観から脱却できていないことも事実です。

戦争や国家内の分断や対立で、自分とは違う人を切り捨てる傾向が見られます。
「正しいこと」は「正義」とも言えますが、「正義」とは人が創ったものです。
見方が変われば絶対に正しいとは言い切れません。宗教も同じです。
時代の変化と共に考え直す部分もあると思います。 
すべての人が穏やかに楽しく暮らせる乗合船の実現のために、
まず相手の考えや想いに対し否定するのではなく、聞くことから始めることが
大切ではないでしょうか

ドイツの哲学者カールヤスパースが「弥勒菩薩」を見たときに言った一言があります。
「このように美しいお顔のお方は生きているときには散々悪いことをしてきたのでしょう」
凛とした顔立ちの奥に秘められた思いをヤスパースは見て、
そのように言ったと言われています。

そしてカールヤスパースの親友に哲学界の巨人ハイデガーがいます。
「存在と時間」を書いた哲学者です。ハイデガーの講演は誰にも真似できないぐらいの
存在感がありレベルの高さは抜きんでていたと言われています。
しかし調べていくと性格の悪さが目立ち、仲間のユダヤ人の教授たちをナチスに通報して
捕虜収容所へ連れて行かせたのです。それは自分が学部長のポストを狙うために作為的に
行ったのです。そして自分の受け持つクラスの女生徒にまで手を付けた男です。

また「法華経」の教えの中にこのような一説が書かれていました。
「妙光菩薩」に求名という弟子がいました。名誉や利益に心が引っかかっているし、
お経を読んでも本当の意味が分からず、よく忘れてしまうので求名という名がつけられて
いたのですが、しかし、この人は自分の欠点を素直に認めてそれを懺悔し、だんだんと
いいことをしていったために、たくさんの仏にお会いすることが出来たのです。
そして仏に感謝し、敬い、ほめたたえる心持を起こしたので、とうとう悟りを開くことが
できました。それは誰かといえば、実は「弥勒菩薩」よ、それはあなたの前の姿だったの
です。

美しいお顔には悪が潜んでいる。天才的な哲学者は悪を実行していた。
その上、仏教僧の中にも駄目坊主が悟りを開き菩薩になった記述がある。
「嘘と真」「正義と悪」「虚偽と真実」「赤と黒」「光と闇」「勝利と敗北」
どちらかに偏った考えに付くのではなく、どちらも併せ持った平衡感覚が大切です。

ロダンの「言葉抄」の中にこのようなことが書かれていました。
奇妙なことには正確な科学に全然属しているとわれわれに見える事物までが同じ
法規に置かれています。私の友達の造船家が私に話したには、大甲鉄艦を建造するには、
ただそのあらゆる部分を数学的に構造し組み合わせるだけではだめで、正しい度合い
において数字を乱し得る趣味の人によって加減されなければ、船がそれほどよく
走らず、機械がうまくいかないという事です。してみれば決定された法規というものは
存在しない。「趣味」が至上の法規です。宇宙羅針盤です。

そしてロダンと言えば彫刻家として有名ですが、そのロダンが弟子に教えている記述が
ありました。筋肉は肉体の上に足していくのではなく、内側から肉体の表側に押し上げて
作るのだと云ことと、葉っぱの彫刻は枝から上に作るのではなく、葉っぱの先端を持って
枝の方へ作っていくのが正しい。ようするに、一流の人は決められた法則や表面だけを
見るのではなく、子供のような感覚で遊び心を入れながら楽しんでいるという事です。

また、仏を作る仏師も必ず言う言葉があります。

「仏像を彫っているのではなくこの木材の中から仏像をお出ししているのだ」

如何でしょうか「平衡感覚」とは常識と非常識を併せ持つことです。
芸術は遊び心(趣味)の世界で作られているのが、お分かりになったでしょうか?


呪縛から逃れる




海外へ行くと日本の情報が入って来なくなる。
勿論、求めれば新聞やネットからの情報は手に入る。
しかし多くの場合はその国に慣れ親しむために無理やりに日本の情報を求めない。
そういう生活を一週間も続ければ何が起こるか!
日本における様々なゴミ情報が頭から一掃されるのである。
自分にとって何が大切で、何が無駄かハッキリ分かるのです。

所謂、日本に於ける常識と言われる部分が無くなり呪縛から解き放されるのである。
あれは駄目、これも駄目、それは食べてはならない、食品添加物が体に悪い、
自民党がこの国を駄目にしている、ウクライナの戦争は聖戦でイスラエルは悪魔の所業、

天候異変は地球環境を壊した人間のせい、熊が人を襲えば全頭殺してしまえ、
円安・物価情報も騒ぐだけで何も解決案が出されない、あれだけ大騒ぎしたコロナも
ワクチンも下火になれば、今度はインフルエンザが猛威を振るっていると国民を
騙し続ける政府、裏情報としてここ2〜3年以内にワクチンによる不審死が大量に
起こると言われている。

一体我々国民はどうすれば良いのか具体的対策はどこからも全く出て来ない。
中国や北朝鮮が核ミサイルで戦争を仕掛けてくる恐れがあるから、日本も核ミサイルを
保有すべきだとなると完全に恐怖の呪縛を、政府とマスコミが仕掛けているのである。
我々国民は恐怖をあおられるだけです。

先日テレビ番組で京都大学出身の夫婦が脱サラをして田舎で農業と民宿を経営して
いるのを見た。子供達も農業を楽しんでいる元気な姿に、日本の原風景を見た思いが
した。貧しいから都会から脱出したのでは無く心の豊かさを求めて移住したのである。
京大出身となればもっと国の為に活躍する場もあったのでは無いかと勝手に
憂いてしまった。しかし昔から考えてみたらこのような姿は存在していたのである。

武士の社会では定年が早く40代から隠居生活に入るのが当たり前の時代であった。
家督制度のために長男に早くからバトンを渡さなければならなかったのである。
そこで隠居した武士は、寺子屋や私塾で学問を教えたり、田舎へ移り農業を営んだり、
植木を育てながら盆栽を作っていたのである。まさしく晴耕雨読の時間を楽しんでいた。

ある意味地方出身の子供達が学問に才長けて運動能力も高かったのは、引退した武士
たちが一緒に暮らしたその延長線上にあったからでは無いかと思います。

そして世界でいちばんの識字率国家でモラル意識が一般の人たちに備わっていたのは、
お寺の貢献も見過ごしてはならない。村々のお寺は学校であり、病院であり、
人々の憩いの場であり、おとなの社交場でもあった。
子供達は自然にお坊さんを敬い、大人たちから躾を習い、取れた農作物を分け合う
「和を持って貴すとすべし」共存共栄の精神を学んだのである。
問題が起これば村人全員の問題であり、個人の悩みとして考える必要はない。

我々は身近に人生の助言者としてのお坊さんを忘れてはならない。

「我思う、故に我在り」16~17世紀のフランスの哲学者

デカルトは疑い得るものはすべて疑って、とうとう最後にいくら疑っても疑えぬもの
として、「考える私」というものに行きついた。
デカルトはその卓越した洞察力と思考力において、天才と言われるにふさわしい
人物であることは間違いない。しかし、内観という点においては修練を経た禅僧には
一歩及ばなかったのである。

ヨーロッパ語の「私は考える」という文法の呪縛から最後の一歩で逃れることが
出来なかった。「考えられたこと」と「考える私」を混同してしまった。

禅仏教においては、デカルトが「考える私」と見たものを「無」と称している。
私が考える時、そこに「考える私」というものは認められない、
確かなことは「考え」があるだけである。

「無」は存在者であるとも無いとも言えないようなものである。
無門慧海も彼の手になる「無門関」において「虚無の会を作ること莫れ、
有無の会を作ること莫れ」と述べている。
「無」は何もないという意味でもなく、有る・無しという考えにとらわれても
ならないという意味である。

道元禅師の正法眼蔵の中に次の有名な一節がある。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己を忘るるなり。
自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり。

最後のフレーズの「万法」というのはすべての事物を意味する。
山川草木やすべての自然現象、私達の感官に触れるありとあらゆるものを万法という。

「証」は悟りの意味で、大方の解説では「森羅万象が私に悟らせてくれる」と
いうような解釈が一般的だが、私はあえて
「森羅万象がそのまま自己の証(あかし)である」と読みたい。

つまり、森羅万象の関係性の中に自己というものが形式的に成立している、
とした方が哲学としてはすっきりするからである。
表現方法を工夫すれば、仏教哲学は西洋哲学と同じ土俵で論じることができる
はずである。 究極の主体としての「無」はよく鏡の面に例えられる。
鏡はあらゆるものを忠実に映し、しかも鏡面の存在を感じさせないからだ。

禅僧は山を見れば「私は山である」と言い、木を見れば「私は木である」と言う。
そこに山や木を認識する主体はなく、ただただ映し出された山や木があるだけだと
いうような感覚を表現しているのだろう。

宗教としての禅においては感覚的な表現で十分なのかもしれないが、感覚的なたとえに
終始してしまっては、公共の学門としての蓄積につながらない。
これからはもっと哲学の方から仏教にアプローチして、その表現方法を洗練していく
ということを考えても良いのではないだろうかと考えている。

呪縛が自然氷解してほしいと望むのは愚か者のすることで、自分の知の力で
解決しなければその答えは永遠に見つけることは出来ない。

「人間は考える葦である」フランスの思想家パスカルの名言
「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」
人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを
言い表したものである。

真実は考えに考え抜いて自分自身の理解と追求から姿を現す。
その為には仏教書(禅)と多くの哲学書から学ぶことである。
悪戯に「考えよう」とする呪縛から解き放されるのである。


大いなる旅路




若者たちへ忍耐の大切さを教えたい。
耐えることから生まれる自信の物語を味わいさせたい。
誰も挑戦しない物語の数々を作り出してほしい。
大きさや遠さでは無く自分が冒険をするという気持ちが大切です。

学生時代に読んだ五木寛之の「青年は荒野を目指す」を読んで北回りでロンドンへ
行った。日本へ戻った時に沢木耕太郎の「深夜特急」を読み、

バスで香港からインド経由でロンドンに辿り着くたびに憧れた。

社会人になり働き始めてからも毎年海外へ行くことが楽しみだった。
出張でNYやLAへも度々行った。自費で中国・韓国・香港・ハワイへも行った。
猛烈に働いたのは旅費を稼ぐためでもあったのかもしれない。

その後に読んだ開高健の「オーパ!」と国分拓の「ガリンペイロ」を読んで
一度は必ずブラジルに行きたいと思うようになった。

開高 健(かいこうたけし)
「オーパ!」は作家、開高健のブラジル釣り紀行である。多数の写真に彩られて派手な
外見をした本である。熱帯の魚その他の動植物や風景が被写体であるから、

豊かな色彩にあふれているのは当然であろう。「オーパ!」とは、驚いたり感嘆したりするときに
ブラジルの人たちが発する言葉だそうだ。

 献辞には次のように記されている。

何かの事情があって
野外へ出られない人、
海外へいけない人、
鳥獣虫魚の話の好きな人、
人間や議論に絶望した人、
雨の日の釣師・・・・
すべて
書斎にいるときの
私に似た人たちのために贈る。

ブラジルでは、何もかもが桁違いなのである。河やジャングルのみならず、そこに
生息するものたちの種類・量・大きさが、私たちの日常の物差しはまったく役に
立たないような圧倒的なとめどなさ、果てしなさで迫ってくる。
ブラジリアという人工都市にさえ、それはあてはまる。

そんな、釣師の法螺話の調子がぴったりくるような土地を、著者は1977年の夏、
約70日間にわたって旅をした。恐ろしい牙のような歯で知られる殺し屋ピラーニャ。
最大体長5メートル、体重200キロにも達するという巨魚ピラルクー。
尾のつけ根に美しいホクロをもつトクナレ。それらの魚を求めて。

「ドラド」という鮭に似た全身金色の猛魚は、釣師に対して激しく抵抗する。
その様子を著者は、「渾身の跳躍。不屈の闘志。濫費を惜しまぬ華麗。
生が悔いを知ることなく蕩尽される。」と表現している。

国分拓「ガリンペイロ」
ブラジル・アマゾン川流域の奥地にある、名前を口にしてはいけない場所。
そこには、《黄金の悪魔(ジャブ・デ・オーロ)》と呼ばれる男が所有する闇の
金鉱山と、一発逆転を狙う荒くれ者たちがいた――。
本書は2016年に『NHKスぺシャル』で放送された「大アマゾン」シリーズの第二集
「ガリンペイロ 黄金を求める男たち」を書籍化したノンフィクションだ。

「最初にガリンペイロ=金掘り男の存在を知ったのは、1999年に環境問題の取材で、
ブラジルに行ったときです。ある川の奥深くに、川底を攫(さら)って金を取っている
男たちがいる、と耳にしました。実際に向かうと、おびただしい量の船と、
船上で暮らす人々がいた。奥地なので他になにもなく、船上に雑貨屋や娼館まで
ありました」 いつか取材したい、との思いを持った国分さんは、2014年、
「大アマゾン」の取材で同じ場所に向かった。しかし、到着した時にはすべてが
摘発され、もぬけの殻になっていたという。

私が知っている「ガリンペイロ」は宝石採掘の男たちの物語です。
地球の内部へ、人一人しか入れないほどの小さな縦穴を掘り、体に巻き付けたロープ
一本でダイヤモンドやルビーなどの宝石を採掘する男たちの話です。
宝石は見つかる確率が低いのに命を懸けて何日も掘り続ける。駄目な場合にはまた別の
穴を掘り続けるのである。プロデューサーになりたての頃ヒット曲を作る心境と
重ね合わせて男のロマンを感じたのです。

1980年後半にフジテレビから電話がありアイドルの写真集の撮影でブラジルへ行くから
とお誘いがあった。そのアイドルの所属会社は別のレコード会社であったが、
稲葉がおニャン子のメインプロデューサー(?)だから立ち会うようにと言う事で
あった。もうCBSSONYの役員には了解を取っているから、用意するようにと言う事で、
予てから念願のブラジル行が決まった。それもリオのカーニバルのタイミングである。
ホテルで同室になった秋元康とジャングルに迷い込んだ兵隊とおかまクラブのママの
コスプレで多いに盛り上がった。(どちらがどのコスプレかは想像に任せます)

本当はアマゾン探検をしたかったのだが、その後フジテレビのプロデューサーから、
折角だからアルゼンチンへ行って生のタンゴを見に行こうという話になって
仕方なくアルゼンチンへ飛んだ。

しかし、また折角アルゼンチンに居るのだから、オランダ経由でロンドンへ行こうという
とんでもない提案があった。つい最近上演された「オペラ座の怪人」が評判だから
我々も見に行かなければならない。私はその都度、上司に連絡をして「お前はどこの
会社の社員」だと嫌味を言われていました。無理も無いですよね。

海外へ出かけていくキッカケは映像からの情報より書籍からの情報の方が多かった
気がします。映像だとイメージが限定されてしまうので、

本で読んでイメージを膨らませる方が興奮しました。飛行機に乗る前も、現地に到着した時も、

町中を歩き回った時も、自分のイメージの確認をして行動していたのです。

旅から学ぶことはとても多いのです。あらゆる国や町へ旅して思うことは自分の物語を
自分で作れる楽しみがあるからです。予期せぬトラブルがあっても自分で解決する力も
得ることが出来るようになるのです。
乗り換えの待ち時間、いつまでたっても来ないバス、得体のしれないまずい飯、

ギャングに囲まれて九死に一生を負ったこと、楽な観光旅行ではないので危険は当たり前です。

若者たちへ忍耐の大切さを教えたい。
耐えることから生まれる自信の物語を味わいさせたい。
誰も挑戦しない物語の数々を作り出してほしい。
大きさや遠さでは無く自分が冒険をするという気持ちが大切です。

一人で行っても、仲間と行っても、旅は人間を大きく成長させてくれます。

港で外国船を見るより外国船に乗って港を振り返る方が人生にとっては重要です。
それではBon Voyage(ボン・ヴォヤージュ)良い旅を!


自然に学ぶ




禅の教えや文化を西欧に広めた、我々臨済宗の僧侶にとってもとても偉大な
仏教学者である鈴木大拙居士は、この自然というものについて次の様に述べられました。
「人間の力で動かぬもの、人間の考えのままに働かぬもの、人間の智(ち)で
測られぬものがあるとして、これを自然と名づけておこう。
こんな自然と名づくべきものが、人間以外にあって、人間性を帯びずに人間の心理を
超越して、利害得失の考えも、善悪美醜の念もないということが、人間にとって、
如何ばかり仕合(しあわせ)なことであるとも考えられぬではないか。
ある宗教や哲学は実にこの「自然」観をもって人生を規制せんとしたのである。」
(鈴木大拙『鈴木大拙全集 第十九巻 文化と宗教 随筆 禅』より)

自然と言うものは我々人間の力の及ばないものです。さきの彼岸花の様に決まった
季節が来れば満開に咲く花々も、我々が勝手に綺麗だとか、そうでないとか
言っているだけです。花自身「よし、綺麗に咲いてやろう」等と特別力んで
いるわけではありません。正に自然体であります。美醜を追い求めたり、
物事を役に立つ、立たないと計らったりしません。
ただひたすらに自然の中で自分の役割を全うしているのです。

こうした生き様に、時として我々は魅了されるのです。 
我々人間が生きる上で「苦しい」と感じるのは、「自分の思い通りにいかない」と
いうところからくるものであり、

それは裏を返せば「全ての事は自分の思い通りになる」と言う思い込みであります。

「もっと上手くできたのに。」といった今更の後悔であったり、
「なんであの人は分かってくれないんだろう。」という責任転嫁であったり。
私自身も幼いときは勿論、大人になってからも沢山そうした経験があります。
夜ふとした時に思い出しては恥ずかしくなるばかりです。 

仕事にしても日々の生活にしても、日々工夫や努力をする事は大切です。
しかし成功を追い求めたり、失敗したくないと他人に当たってしまうようでは
ただただ苦しくなるばかりです。 周りの人の評価を求め気にし、特別なものや
完璧なものばかりを追い求めるのではなく、自分の置かれた立場で自分のするべき事を
一心にやっていく事が一番大切な自然な生き方ではないでしょうか。

思い計らわずに生きるというお手本、自然というすがたこそ美しいという
禅の教えが私たちのそばにあってくれるという事が何よりのしあわせであると
大拙居士は教えて下さっています。

昨今、熊が人を襲うから全頭射殺しろとある自治体の長が発言していました。
この町長は熊が森を作り、森を守っていることを知らないのです。

ツキノワグマは日本の野生の生き物のなかで最も多くの植物の種を運んでくれている。
ニホンザルをはじめとして、遠くまで移動しそうな野生動物ですが、
種子の散布としては500メートルぐらいなのです。それに比べ、ツキノワグマは、
最大で22キロ先まで散布できるという調査で分かっています。
夏場はさくらの実などを食べるし、多くの植物の種を食べています。
そして一日中歩き回り、だいたい20キロから40キロくらい動き回れることが
出来るのです。

今年は異常気象によりドングリや柿や栗の実りが悪く、熊も仕方なく街に出て食べ物を
探すしかなかったのです。人を襲う殺人熊もいることは確かです。
しかしそれは一部の熊であり大方の熊は人を襲わないのです。
人が騒ぐから、逃げるから追いかけるのであり、正しい対処方法を教えることにより
被害は最小に抑えることは出来るのです。

我々は熊に襲われないように腰に鈴をつけて歩くと安全と教えられますが、
あまり効果が無いということです。あるとすれば大人数の場合なら多少の効果は
出ると言います。

一番危険なのは背中を向けて逃げ出すことです。熊はおっとりしているように見えますが
走り出すと時速60kmぐらいで追いかけて来るということです。
また大声上げて退治する方法もただ「こら!こら!こら」では効果がなく、
人を追い払う時と同じように「お前は何をやっているのだ、馬鹿野郎こっちに来るな」
という会話型が最も効果があると言います。

熊スプレーに至っては熊の顔をめがけて発射しなければならないために近い距離での
使用しか効果がないとも言います。これは危険すぎて実用向きではありません。

アイヌでは熊は神様の化身で肉を纏(まと)ってこの世界に現れていると伝えられています。
冬眠中の子熊を捉えてきて、自分たちの子供以上に育てます。そしてイヨマンテの儀式で
神様へ送り届けるのです。アイヌの人たちは熊を解体してすべてを使い切ります。
そして大切な教えであるワンサードの教えに従い、3/1は自分たちのために、3/1は自然のために、

そして3/1は未来の子供たちのために分けるのです。
これが熊にも伝わる儀式なのだということを知りました。

ヒグマは鮭を取って食べますが、食べるのは一部だけで大方残します。残した鮭は
キツネが食べ、タヌキが食べ、カラスが食べ、オオワシやオジロワシが食べ、
小さな鳥たちが食べ、ネズミが食べ、虫たちが食べて糞にし、微生物が分解し土に還します。
正にワンサードの精神です。

そのヒグマが獲った鮭で森が栄養を得ます。それによって木が育ち、キノコが出来、
薬草も生えます。木が育つことで水を作ってくれます。
森は自然のダムです。雪が降って溶けることで水を土中深く染み込ませ地下水を作って
くれます。それらの水によって農作物を作ることが出来るのです。

簡単に殺処分を言う議員たちはそれらのことを知らない大バカ者たちなのです。
我々はもっと自然から学ばなければならないのです。

科学の発展やコンピューターの発展だけで生きて行けると思っているのでしょうか?
お金があれば食料もエネルギーも水さえも買えると思っているのでしょうか?
何ら解決にはならないことです。

我々は自然に学ぶことを改めて知り、実践しなければなりません。
もう時間がないのです。山々から悲鳴が聞こえてきます。
動物たちと共生する方法を考えなければなりません。


その色に馴染む




新しいクラスでも、新しい職場でも、新しいサークルでも、最初は居場所がなくて
居心地がいいものではありません。暫くして会話をする人が現れてなんとなくホッと
します。クラスに応じた学びも、与えられた仕事も、サークル内での役割も理解が
進むにつれてストレスが無くなります。

「身(み)、初心(しょしん)なるを顧(かえりみる)ことなかれ」とは、
誰しもが初めは初心者であり初めから完璧な人など居ないから、経験や知識が
ないからと気後れする事なく新しい事に挑戦していきなさいと言う意味の禅語です。

置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。時間の使い方は、
そのままいのちの使い方です。自らが咲く努力を忘れてはなりません。
雨の日、風の日、どうしても咲けないときは根を下へ下へと伸ばしましょう。
次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように。
渡辺和子「置かれた場所で咲きなさい」より

運命で導かれた道を歩むのか、今流行りの仕事だからその道を行くのか、
高額の報酬だからその道を選ぶのか、人それぞれですが、あなたの行きたい
道は別のところにありませんか?
心がワクワクドキドキする様な感覚が起こる道です。
自分のこれまでの経験や知識が活かされて自分の存在も認めてもらえる場所です。
流行りの仕事でなくても、高額な報酬でなくても、気持ちが楽な仕事が一番です。

他人の推薦や見た目の体裁で選ぶと「これは違うな」とすぐ反応して後悔をします。
悔しいのはその間に費やした時間も経費も無駄になることです。

花を弄(もてあそ)んでいると、花の中に身を置いることになり、
その花の香りがいつの間にか着物にしみつくように、人もよき友、よき環境の中に
身を置いていれば、いつの間にかよくなるものだ、という意味です。

「朱に交われば赤くなる」という諺にもある通り、人というものは交わる
環境や愛玩するものに、いつとはなしに影響されてゆくものであるから、
つとめてよき師、よき教え、よき友やよき環境に身を置けというのです。

『華厳経』という経典の中にも”薫習”(香りがしみ込むの意味)ということについて、
こんなお話が伝えられています。

ある日、お釈迦様は数人の弟子を連れて町を歩いておられた。道に一本の縄きれが
落ちているのに気付いたお釈迦様は、弟子の一人に振り返り、こう言われた。
「その縄を拾ってごらん。どんなにおいがするかね」。
縄を拾って、においを嗅いだ弟子は「お釈迦様、大変いやなにおいがいたします」と
答えました。

またしばらく歩いていると、今度は一枚の紙切れが落ちていました。お釈迦様は、
さっきの弟子に振り返り「その紙を拾ってごらん。どんなにおいがするかね」と
お尋ねになられました。紙切れを拾って、においを嗅いだ弟子は「お釈迦様、大変
よいにおいがいたします」と答えました。
 
お釈迦様はそこで立ち止まり、静かにおおせられました。「弟子たちよ、縄も
初めからいやなにおいがしていたわけではなかろう。
いやなにおいのものをしばったために、縄まで人に嫌われるようになってしまった。
紙切れも、初めは何のにおいもないものが、よいにおいのお香か何かを包んだおかげで、

みんなに喜ばれる紙になることができた。
お前たちも、つとめてよき友を持たなければならない」

お釈迦様は”対機説法”の名手で、まことに臨機応変。とても、わかりやすいお話だと
思います。

藍甕(あいがめ)の中の黒ずんだ藍液に浸した白い布は、それだけでは発色しない。
最初は茶色っぽく変色し、空気に触れるとくすんだ濃い緑色に。さらに時間を経て
乾いてくると、鮮やかな青が現れた。そして何度も染め上げを繰り返すことで、
より青く変化する。

中国の思想家である荀子は「青は藍より出でて藍より青し」と書いた。
「青い色は藍から取るが、出来上がった青は、原料の藍よりももっと濃い青だ」という
藍の神秘が言わしめた言葉だ。 そもそも原料のタデアイは緑色なのに、
なぜ青い色ができるのか。藍は、時を積み重ねて一層美しく変貌すると
いうのも、なかなか魅惑的ではないでしょうか。

「石は激流を選べず」恩学
最初はゴツゴツしていた岩も流れにまかして下流へとくだっていくと角がとれて
丸い石になる。しかし流れに逆らうと丸くはならずにより角張った岩のままである。
人は運命に逆らわず、決められた人生を、流れに任せて生きろという意味です。

若い時に不良であった人が年を重ねるごとに性格が丸くなり、立派な経営者になった
という話はよく聞きます。失敗から多くの学びを得て智慧がついたのでしょう。
反対に楽な人生を求めて他の岩にぶつからないように無難な流れに身を置くと、
思わぬ問題に引き込まれてしまうこともあります。

あえて失敗の経験を望む必要はありません。しかし失敗を起こしたときには、
知識で解決するよりも、人柄で解決した方が丸く収まります。
角張った知識つめで言い訳されるより、丸く素直な人柄で詫びる方が好感を持たれます。
角は掴みやすいですが丸いと掴みにくいですよね。

さまざまな人生の激流の中を流れに身を任すことも成長には必要です。
そして、もっと年を取るとその丸みを帯びた石が光り輝く宝石になることもあります。

「流石」流れる石が「さすが」と誉め言葉になるのも面白いですね。
英語では「ローリングストーン」と言います。
世界最年長ロックグーループの名前と同じです。

良き友人や良き環境の中に身を置けば、あなたもそうなります。
その上で人生の流れに逆らわずに、丸く輝く宝石のように生きることが大切です。


うた




「うた」は声域と声量と声質で構成されていてリズムやメロディーに合わした言葉を
声に乗せていくことです。我々が作るポピュラーソングは「歌」と呼ばれるものです。
歌は歌手のためにあるのではなく聴衆のためにあるものです。旋律に乗せた言葉が
時には勇敢に、時には情念を、時には歓喜を、時には癒しを誘発してくれるものです。
民族の歌や讃美歌などは国民性や歴史や誇りなどを想起させる役割も果たすのです。
歌は人種や貧富の差はなくそれぞれの願いを叶えるためにも必ず自由であるべき
なのです。

「うた」を詳しく説明するとこの様になります。(社会人の教科書より)
「歌」の意味は、主に2つあります。1つは、「旋律やリズムをつけた言葉を、
声に出して表すもの」というものです。また、そうした出される言葉も言います。
英語では、「song」がこれにあたります。分かりやすく言うと、
普段私たちが耳にしているポピュラーソングやコマーシャルソング、あるいは歌謡曲・
民謡などのような、メロディーに乗せて発せられる言葉が「歌」にあたります。
「歌を歌う」「心にしみる歌だ」「聴いたことのない歌」のような使い方をされます。

「歌」のもう1つの意味合いが、「和歌、特に短歌」というものです。
日本における伝統的な「歌」と言えば、「短歌」を指します。
こちらは、「歌を詠む」などのように使われます。

「歌」の字は、「口」や「人が口を開けている」などの象形から成っています。
ここから「口を大きく開けてうたう」という意味の漢字として成り立ちました。

「詩(うた)」とは、文学の一様式としての「詩(し)」を意味します。
「詩(し)」は、自然や人間の営みなどから受けた感動を言葉で表したもので、
一定の形式を持つ「定型詩」と、形式を持たない「自由詩・散文詩」に分けられます。
時代ごとにさまざまな種類がありますが、特に「詩(うた)」と読む場合は、
近代詩、現代詩を指すのが通常です。
「初恋の詩」「自然の詩」などのように使われます。

「詩」は「歌」と違い、メロディーやリズムがつきません。そうしたものを
つける場合もありますが、一般的には例外にあたります。
「詩」の字は、「言う」や「ゆく」などを表す象形から成っています。そこから
「内面が言語表現に向かったもの=うた」を意味する漢字として成り立ちました。

「唄」は、辞書においては「歌」と同じ意味の言葉として載せられています。
確かに「メロディーやリズムに合わせた言葉」という意味では同じですが、
細かい使い方には違いがあります。「唄」が通常表すのは、
「伝統的な邦楽に乗せて発せられる言葉」という意味合いです。
例えば、「馬子唄」や「御座敷唄」などといったものが、それにあたります。

「唄」の字は、本来「仏の行いをほめたたえるうた」という意味合いを
持ちますが、これが日本で「音楽に合わせてうたうための韻文」を指すように
なり、現在のような使われ方になったという経緯があります。

先日東京渋谷セルリアンタワー能楽堂で開催された伊丹谷良介生誕50周年記念
「うた」のコンサートへ行ってきました。
伊丹谷良介といえば中国で活躍をしてヒット曲を多数持っているロックシンガーである。
その彼が何故「能楽堂」でライブを行おうとしたのか?
そこには彼独自の思いがあったのです。

以前から交流があり師事している観世流シテ能楽師松木千俊さんとのコラボレーションで行われた「能とうた」。テーマは能楽の中から選んだ「安達原」です。

普段はバンドを引き連れマイクを通じて煽り立てるロックシンガーが一人で舞台に立ち
ノーマイク(生声)で2時間強歌い続けたのです。上・下白の衣装で白足袋を履いて
能舞台の真ん中に立ち、魂のこもった歌声を披露した。
50年間の思いを声が枯れるまでの気迫で堂々と歌い続けたのです。

その間に能楽「安達原」が入り円熟した能楽師松木千俊さんの舞台も繰り広げられた。
能楽堂の独特の雰囲気と能舞台。この日不思議な世界観を観客は体験したのです。
初めて能を鑑賞した人たちにとっては日本の伝統的文化を、この様な形で体験することが
できたのは得難い貴重な時間となったと思います。
勿論、伝統と格式の世界でうたう伊丹谷良介の魅力をファンも充分に味わったのです。

伊丹谷良介が行った事は今の日本には必要な事です。

日本全体が過去の亡霊に取り憑かれて身動きができなくなり、それ以上に数々の
不祥事や醜聞事件が浮き彫りにされて、国民は絶望感から容易に脱却は出来ない
状態です。ジャニーズの問題や宝塚歌劇団の問題は氷山の一角であり、芸能界の
事務所では似たり寄ったりの問題を抱えているのです。

他人の問題には無関心を装う人間が多くなった為に、意識のある人間も「諦めるか
戦うか」の二者択一になるのだが、伊丹谷良介は戦う挑戦を選んだ。

ロックとお能のコラボレーションは奇異を衒っているかの様に思われるのか、それとも
彼が言う様に「温故知新」(古きを温めて新しきを知る)伝統芸能の様式を変えずに
表現の仕方を変えることにより、お能から生まれるロックンロールがあっても良いのでは
ないか。彼はあらゆる意味で「うた」の持つ力を信じて熱唱したのです。

そして、お能の中でもとても難しい演目である「安達原」を選んだのは、
単純な思い付きではなく学生時代からの思いれのある演目であり、彼の崇拝する
漫画家手塚治虫の映画でも取り入れられていたからです。

物語「安達原」

熊野那智・東光坊の阿闍梨・祐慶の一行は、本山を出、諸国行脚の旅に出ます。陸奥・
安達原にさしかかると、日はとっぷりと暮れ、ぽつんと灯った明かりを頼りに、
一軒の家に宿を乞います。

一人で淋しげに住む中年の女性(前シテ)が住むその家は、月光も射し込むほどの荒屋。
宿を貸すことを躊躇しますが、さすがに哀れに思って、一行を中に招き入れます。
女は祐慶(ゆうけい)に乞われるままに、糸車を回しながら、人の世の虚しさを
嘆くのでした。
やがて女は、寒くなってきたので薪を集めに山に行こうと言い、留守の間、くれぐれも
閨(ねや)の内を見ないように念を押して出かけます。(中入)

不審に思った能力(間狂言)が、祐慶の戒めも聞かず、こっそりと閨の内を見ると、
そこは死体が軒と同じ高さまで積み上げられていました。肝を潰した一行は、大急ぎに
逃げ出しますが、鬼女となった女が追って来ます。祐慶の祈りの法力によって鬼女は
姿を消します。

「うた」

みんなが誕生した
この星で

春夏 秋と冬と
四季に包まれて

水と太陽を浴びて
育って来れた

楽しみ 苦しみ
今ここにいる

うた
人生はうたであり
うたは人生である

うた
また何か始まる
終わりじゃない

愛情 別れ
想い出をバネに
未来へ飛ぼうよ

うた
一緒に歌おうよ
何か始まる

うたを歌おう
産まれた時のあの声で  

うたを歌おう
春夏秋と冬の中


うたを歌おう
昨日より明日成長して

うたを歌おう
苦悩の中で出逢えるから

うたを歌おう
愛情を知り 別れも知る

うたを歌おう
想い出 未来 
そして 



うた

うた

Lalalalala

Lalalalala

Lalalalala…

この日の能楽堂には万雷の拍手がいつまでも鳴りやまなかった。
有難う伊丹谷良介。


莫妄想




3年前に政府発表で外出自粛令が発表された。
あらゆる場所で人と接触したらコロナに感染するという。
報道は決まったように病院の緊急病棟を映し出し苦しむ人を見せつけた。
同時に入院ベッドと人工呼吸器のエクモが不足していることも発表した。

人々はマスク生活を余儀なくされて家庭の中でも外さなかった。
ワクチンが唯一の防御法だと喧伝し国民全てが接種するように言い続けた。
会社や学校や飲食店も移動制約と集団行動の規制が言い渡された。
様々な記念行事がなくなり子供達の記憶から卒業式や運動会が消えた。

海外へ出かける際には3回のワクチン接種証明が必要だということで、
仕方なく私は3回接種した。
ワクチンの安全性も確認しないで接種奨励は明らかにきな臭さを感じる。
アメリカ政府と日本政府と製薬会社との組織だった謀略だったかも知れない。

多くの医者や友人達から何度もワクチン接種は危険だと警告をいただいたが、
正常(?)な社会生活を営む為には打つしかなかった。
親子でも罹患しないか警戒を強めて疑り深くなってしまった。
この国はいつからお隣の中国と同じに共産主義になってしまったのだろうか?

実を言うと私は2度コロナに感染した。
1度目は2021年9月無症状感染だった。
最初の時には保健所から役所の衛生課共々大騒ぎであれこれ指示をしてきた。
毎日の検温と酸素濃度の確認、身体に異常がないかを電話とメールで
報告しなければならなかった。そして自宅待機は5日間で終わった。

そして2度目は2023年2月海外でコロナに感染をしてしまった。
その国ではコロナは風邪と同じ扱いで町の薬局で治療薬が買えた。
その為に、沢山の要人とお会いしたのだが誰もマスクはしていなかった。
しかし滞在最終日、前日のPCR検査で陽性反応が出てしまい帰国ができなくなった。
ホテルに迷惑をかけない為に人との接触を避けて部屋で過ごすようにした。
その後も2度3度と検査で陽性反応が出てさすがに辟易とした。
食欲もあり、睡眠も十分にとれて、元気いっぱいなのに原因は分からない。

今は如何だろうか?
政府からの制約が全て解除されて国内の移動も海外からの観光客も戻り
元の賑わいを取り戻した。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」である。
我々は得体の知れないものに恐怖を抱きすぎる。流言飛語に影響を受けやすい
周りに合わさなければ異端の人と思われるからである。
頭のどこかに昔の「村八分」の記憶が残っているからだろうか。
しかしいまだ街行く人の三分の一はマスクをしている。
マスクはウィルス防止に役に立たないと知りながらマスクを着用している。

先日とある山奥の村にお邪魔した時にマスクをかけて畑仕事をしている老夫婦がいた。
めったに人に出会わない空気の綺麗な場所でマスクはとても違和感があった。
地元の友人に訳を聞いてもらって愕然とした。私たちは大丈夫です。
政府も村役場もワクチンを「ただで打ちます」と言っているので6回打ちました。
7回目も打つつもりです。マスクは健康のためです。意味不明である。

莫妄想(まくもうそう)するなかれ(伝灯録・無業章)

中国から来た禅僧無学祖元を北条時宗は全面的な信頼を寄せていた。
そんな中また元軍が攻めてくると聞き時宗は眠れなくなる。
何日も眠れない日が続き無学祖元にどうしたら良いか
尋ねてみたら、一言「莫妄想」と言われた。

未だ起きもしていないことをあれこれ想像しても仕方が無い、
落ち着いて時の流れを待て。その時に考えればよい。
ご存知のように元軍は日本に二度襲来してきたのだが、
二度とも台風にやられて撤退したのである。

莫は「なかれ」と読み、妄想は誇大妄想と普段に遣う虚妄の想念。
現実からかけ離れた空想、夢想のことで、正しい考えでない状態をいう。
私たちは普段の生活においては多かれ少なかれ煩悩妄想に支配され惑わされ、
苦悩に呻吟しているといっても過言ではなかろう。

ある禅宗の住職の話より
檀家さんから「一度正式に座禅したいものと思いながら、本で読んで見よう、
見まねで座禅に取り組み、年数だけは30年選手で、齢50を過ぎますと、折に触れ、
死後のことが気になりできるかどうかわかりませんが一度じっくり座って大安心を
得たいものとこの頃は考えています。
この希望は叶えられるものでしょうか」というような書き込みがあった。
まさにこの男性に「莫妄想」と一喝かませたいところである。

「8世紀中国唐代。熱心に座禅する若き僧に対し、南嶽和尚は
『お前はそこで黙々と座禅をしているが、何のためか?』と問う。
『ハイ、仏になるためです』。そこで南嶽和尚、傍の瓦のかけらを拾ってきて、
砥石でゴシゴシと磨き始めた。

僧問う。『和尚さん何をなされているのか?』
和尚『鏡を造るんじゃよ』 
僧曰く『瓦をいくら磨いても鏡になるわけ無いじゃないですか。 
和尚『それなら、いくら座禅しても仏にはならんということだわい』と。 

座禅を成仏の手段と考えていた若き僧は、その一言に己のすべてを打ち砕かれて
大ショック。すなわち「莫妄想」である。
禅の道は悟ろうとか、仏になろうとか真理体得をしようと計らい
執われる心がすでに妄想なのである。

さらに南嶽和尚は説いて聞かせた。『お前さんは牛車に乗って出かけるとき、
車を叩くか牛を叩くか。』
『お前は座禅を学ぼうとするのか、それとも作仏を学びたいのか。
もし座禅を学ぼうとするなら、座るだけが座禅じゃない。
もし作仏を学ぶのなら決まった相〈すがた〉などありはしない、
形や相に執われるなら、真実の座禅でもなければ作仏の道でもない』と。

そこで煩悩妄想の塊の私は、さらにこの男性に
「座禅で大安心が得られるのなら私が得たい」ものだと言い放ってやったが、
どうも理解は届かなかったようだ。

この語は中国唐代の馬祖道一禅師の門下の汾州無業禅師の語といわれ、
無業和尚は常の口癖のように「莫妄想」を唱え、
この語をもって人々を接化教化したという

ギリシャ時代の哲学者ソクラテス曰く
「この世に悩みなどは無い、悩みを持っている人間がいるだけだ!」

私はこの言葉が大好きで相談に乗ってくださいと来る人に必ず言うのである。
あなたはこの世が終わりのような悩みだというが、
周りの人たちはあなたの悩みなど誰も気にしていない。何が心配なのですか?

自分の中で勝手に悩みを膨らませて大変だというけれど、それは完全に「莫妄想」だ。
「看却下」自分の足元を見て、心で整理すれば、問題など消えてなくなるのだ。

皆様も起こるか分からないことをあれこれ悩むことなく平常心に努めてください。