今日は明日の前日




毎日、今日のことばかり考えているとただ予定をこなすだけになる。
朝起きて食事して学校行くか働きに出るかどちらかだ。
決められた宿題か指示された作業をこなして1日がすぎていく。
帰りに友達と息抜きにお酒を飲んで騒いでも何かスッキリしない。
そして部屋に戻りNetflixを見てシャワーを浴びて眠るだけ。

本来ならば1日が貴重で必ず無駄な時間を過ごさないように気をつける。
今日は明日の前日と思えば自分で毎夜反省会をするようになる。
自己啓発の本を片手にカレンダーに赤丸をつける。

今日は明日につながる有意義な1日として過ごすことができたかだろうか?
今日は健康に良いものを口にしただろうか?
今日は朝日を浴びて運動をして体力を鍛えただろうか?
今日は対人関係を円滑に行う為の勉強はしたのだろうか?
今日は人として生きるための本を読んだのだろうか?

若者は失敗や人間関係に悩みながら精神的ダメージを受けて立ち止まる。
酷い時には1週間ぐらい何も手がつけられなくなる。
色々なアドバイスやメンタルアップする本を何冊も読んだけど効果はない。
場所を変えれば気分が変わると言われて旅にも出たが効果はなかった。
それじゃダイエットなど気にせずに食べたいものを食べ続けて醜くなった。
どんなやり方も何も解決方法にはならなかった。

私は悩む時には徹底的に悩み続けてその原因を探った。
そうしなければ同じことで悩み続けることになるからである。
結局原因はいつも自分の中にあり他人が作ってはいなかったことが分かった。
自分の心持ち一つで陰から陽に下から上に変わることを学んだ。
悩みの解決は思考だけに頼っては駄目で悩みを紙に書き続けると
答えが見えてくる。観察して、分析して、判断して、何を行動すれば良いかを
紙に書き出す。そして実行表を作る。

メンターと言われる人は必ず自分らしさ、ありのままの自分、
素直な自分と言うけれど、それを言われても何が自分なのかわからない。
自己分析などしたことがないからね。
単純に血液型と生年月日でタイプを決められるのは不愉快だよね。
最も自分らしさが現れるのは我儘な時の自分かもしれません。
好き嫌いを言っている時が一番自分らしいかも知れない。

「恐怖は自分で作っている」
受験失敗したらどうしょう?面接でとちったらどうしょう?
大事なお客様との商談で不手際があったらどうしょう?
これ考えたら怖いよね。
一つ言えるのは、緊張は許せるけれど恐怖は許せないよね。

緊張は意識を高める為には必要なもので身体全体をドーパーミンが包み込み
挑戦モードにしてくれます。しかし恐怖は逆に身体全体をアドレナリンが出て
萎縮させて逃げるモードになってしまいます。

恐怖を緊張に置き換える方法としては又平常心に戻す方法としては
幾つかの方法があります。手のひらに人と書いて飲み込んでも駄目ですよ。
先ず苦手意識を克服する為に以下のようにしてください。

何気なく音楽を聞いているときは、メインボーカルの声や主旋律だけが
聞こえているのではないでしょうか。耳を澄ませて、さまざまな楽器の音に
意識を向けてみましょう。例えば、最初はギターの旋律だけを追いかけ、
2番目にベース、3番目にドラム、4番目にボーカルというように、
時間をかけて順番に注意(意識)を変えていきます。

その後、もう一度全体を聞いてみると、集中して聞いていた音が全体の中の
一部でしかなかったことに気づいたり、客観的に全体を把握する感覚が
得やすくなったりします。これによって、さまざまなところに柔軟に注意を
向けるスキルが身につきます。

このように、日頃から自分以外の物事に集中する練習をしておくと、
全体を俯瞰で捉えて細かく意識を区切ることが出来るようになります。
緊張しやすい場面でも、注意を向ける先をコントロールできるのです。

心や体が張り詰めた状態である緊張には自律神経のバランスがかかわっています。
普段は交感神経と副交感神経が適度なバランスで働いていますが、
不安を感じると交感神経が優位になり、筋肉が緊張して震えたり、顔が赤くなったり、
心臓がドキドキしたり、汗をかいたりと、身体に反応が表れます。

個人差はありますが、どんな人でも不安を感じることはありますし、
まったく緊張していないように見える人でも手に汗をかいていたり
するものです。

そもそも、不安は生物として必要な感情です。不安や恐怖による警戒心と
うまく付き合ってきたからこそ、人類は長く生き延びてこられたといわれて
います。また、ほどよい緊張感が必要な場面もあります。
例えば、アスリートは適度な緊張感があったほうが良い結果につながると
いわれます。不安や緊張は必ずしも悪いものではないのです。

緊張と上手に付き合う方法の一つは、緊張を極端に隠そうとしないことです。
緊張することはごく普通の反応なので、「緊張してはいけない」
「絶対に隠し通さなければならない」と思う必要はありません。
「緊張していることがばれてもいい、相手にわかってしまってもいい」と
思えるようになると、不安は和らいでいきます。

「人前で話すのって緊張しますよね」などと、不安な気持ちを自分から相手に
素直に伝えてみると、かえって初々しさや真面目さを感じてもらえて、
好印象を持ってもらえる場合もあります。
また、周りから自分がどう見えているのかという自意識が過剰になると、
誰でも不安になり、緊張してしまうものです。

緊張しやすい人は特に、不安や緊張を隠そうと自分の体の反応やイメージに
注意を向けすぎてしまいがちですが、自分のことばかりを意識するのではなく、
他の物事に意識を向けることで、不安や緊張を和らげることができます。

今日は明日の前日です。
貴重な一日を無駄なく過ごすのは自分を知ることです。
自分の器を知ることがポイントになります。
大きく見せようとか!かっこよく見せようとか!頭のいい人に見せようとか!
考える必要はありません。自分は自分です。
出来ることを精いっぱいやればよいのです。


思考の循環




私の哲学の師匠から聞いた話です。
ドイツの哲学者カールヤスパースが弥勒菩薩を見て「こんなに美しい仏様は
よほど悪いことをなさったのに違いない」と言われたのです。
この言葉を聞いた時に「美は悪を取り除いたところに存在する」という
自分なりの解釈に到りました。

その後がカールヤスパースを調べていくと友人に哲学界の巨人ハイデガーが居た。
あの難解な哲学書「存在と時間」の作者である。
彼の講義を聞くと誰しもが魅入るような素晴らしい内容であったと言う。
しかしハイデガーは悪い男でも有名で学部長争いの時ライバルをナチス軍に通報して
収容所送りにしたり、自分のお気に入りの女生徒を無理矢理娶ってしまった。

その哲学者ハイデガーと日本の禅研究家鈴木大拙は友人同士であった。
(鈴木大拙(だいせつ、1870〜1966)とは、禅をはじめとする仏教、広くは東洋・
日本の文化や思想を海外に伝えたことで知られる。本名は鈴木貞太郎だが、
居士号の大拙「Daisetz」の「D」、貞太郎「Teitaro」の「T」をとった英文表記
「D. T. Suzuk」の方が、ZENに関心を抱く欧米人にとってはなじみがあるだろう。)

大拙の盟友である哲学者・西田幾多郎(1870〜1945)の高弟・西谷啓治(
1900〜1990)は次のように語っている。「(大拙)先生の仕事は仏教、特に禅を
伝えることに中心があったわけだが、これは考えてみると、禅に通じていて、
同時に語学力があるという人なら、誰でもできるという種類のものでない。

この仕事が本当にできるためには、禅の長い伝統の中に深く根をおろしている
ことはもちろん、同時に、それが現代に生きている人間の血肉になり、
現代世界のものとしてつかみ直されることが必要であろう」。これは、
大拙の仕事が単なる禅籍の英訳または禅語の英語解説ではないことを示している。

余談であるがハイデガーも大拙もどちらも身長が156cmほどの背丈の低い
男たちであった。当時の二人の写真を見る前までは、ハイデガーはナチスの
軍服が似合う男だったという記述を読んで勝手に大男と勘違いをしていた。
大拙も文章を読む限りでは大男を想像していた。認識と事実の違いです。

その後友人から頂いた「法華経の新しい解釈」という本の中に「求名」という
坊さんの話が出て来た。名誉や利益に心が引っかかりお経を読んでも本当の意味が
分からずよく忘れてしまうので求名と名がつけられた。
しかし彼は、自分の欠点を素直に認めて改心して悟りを開くことができた。
そして妙光菩薩から弥勒菩薩よ!それはあなたの前の世の姿だったのですと言われた。
ぐうたら駄目坊主の「求名」を経て仏の最高位の弥勒菩薩になられたのです。

哲学の師匠から聞いたあの弥勒菩薩のエピソードを繋ぎ合わせると素敵な物語が
出来ました。これは私のオリジナルの発想であり公的なものではありません。

このようにして思考の循環を繰り返す訓練が必要だと思います。
何かに興味を惹かれたら疑問を持つことです。
その疑問の答えをつなぎ合わせて、その上に様々な思考を巡り合わせて
本質を探る訓練です。知識に対する好奇心を養ってください。

それを文章にするために気になる部分を抜き出して
自分なりの文章を作ってみてください。

私なりに良く使う文章の作り方を教えます。
ビジネス提案型の方法ですが、短い文章で簡潔にまとめることが出来ます。
「PREP」PREP法は、最初に話の結論を述べる構成方法です。

次の4つのパートに分けて展開していきます。
Point(結論):結論は○○です
Reason(理由):なぜなら○○だからです。
Example(具体例):たとえば○○があります。
Point(結論):したがって○○です。

例文
P:このビジネス書の魅力は、図解が多く短時間で理解できることです。
R:なぜなら、文章による説明だけでは体系的に理解するのが難しいからです。
E:具体的にいうと、各項目の冒頭に図解があり、これを文章で説明していく
流れで構成されています。
P:したがって、忙しいビジネスパーソンでも、短時間で要点を体系的に学べる本です。

PREP法には、「要点がすぐに伝わる」「文章に説得力が生まれる」というメリットが
あります。プレゼンのように、限られた時間内で相手の納得感を得たい場面でも
多く使われています。

PREP法が適しているのは、次のような文章です。
ブログ記事(ノウハウ・知識系の記事など)
ビジネス文書
プレゼン資料
Web記事の場合、ユーザーが知りたい結論が最初に書かれていないと、
すぐにページ離脱されてしまう傾向があります。
PREP法は冒頭で何について話すか明示するため読者の離脱を防ぐ効果もあります。

そして文章にとって最も大切なことは起承転結です。
起承転結の構成とは、物事の始まりから終わりまでを順に説明していく方法です。

次の4つのパートで構成されます。
1. 起:物事の前提を説明(導入部分)
2. 承:物事の始まり・何が起きたか
3. 転:物事が転換する事柄や場面
4. 結:結果、どうなったのか
起承転結の構成にするメリットは、ストーリーとしての面白さで読者を惹きつけ、
共感を得られる点にあります。

起承転結の構成が適しているのは、次のような文章です。
• インタビュー記事
• ブランドストーリー
• 企業ストーリー
起承転結の構成は、読者のイメージや感情に訴える力があるため、人や商品、
企業などのブランディングを進めたいときに有効な方法です。
一方で、ブログ記事やビジネスシーンでは結論を最初に示してほしいという
ニーズが高いため、この書き方は適していません。
文章の目的によって、使い分けるようにしましょう。

単に思考の循環を繰り返すのではなく文章にまとめることが重要です。
私も文章を作るのが苦手でしたがブログ「恩学」を500以上作品に
書き上げることが出来たのはPREPのお陰です。

皆様も試してみては如何でしょうか?
思考の循環を繰り返しながら自分なりの文章にまとめてみてください。


自分の感受性ぐらい




詩人茨城のり子に接したのはいつの頃だか忘れてしまった。
しかし妙に惹かれるものがあり幾度となくページをめくった。

21世紀に入ってデジタル社会になり、アナログ的な感情をどこかに
置き忘れたのか、何もかもが効率重視になり、人間らしさが失われてしまった。
仕事も恋愛も人生までもマニュアル化したテキストどおりに行動するのが
正しいとされてきた。
我々世代は会議資料にアルファベットとカタカナが多用されると
小馬鹿にされているようで腹立たしかった。日本人なら漢字を使えです。

昨今、詩人の言葉はなぜ色褪せてしまったのだろうか?
学生時代に読んだゲーテ、ハイネ、北原白秋、中原中也、荻原朔太郎、宮沢賢治、
社会へ出てから読んだ谷川俊太郎、寺山修司、早川義男などである。
大人になると青春時代に狂ったように読み耽った詩集が心ときめかなくなるのは、
社会の理不尽さを知ってしまったからなのか?
置かれた立場によって言葉の重さが変化することに気づいた。

詩人は哲学者と違い短い言葉で真理を表現する。
俗人とは違う目で、感性で本質をえぐり取る。
言葉の刃先を社会へ向ける。
それを自分の感性と合わせて理解する。

友人から茨城のり子という詩人がいます。
読んでみたらどうですかと二冊頂いた。
私は正直言って少し苦手な詩人でした。
口うるさい老婦の愚痴のようで言葉がきれいでないからです。
しかし徐々に慣れてくると何度も読み返しているのです。

この詩を紹介したいと思います。
「自分の感受性ぐらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
詩集「自分の感受性ぐらい」(茨木のり子)

私の仕事は言葉をメロディーに乗せて楽曲として完成させることである。
昔ターゲットたちの生の言葉を探して学生街の喫茶店に入り浸った。
女子学生が小声で話すときには決まって異性の話である。
たわいもない会話の中にも光る音葉が時折あるものです。
男子学生が大声で話すときにはクラブ活動の話か飯の話である。
果てない夢を語りながら一杯のコーヒーで長居するのが常でした。

勿論、時代が変わり若者たちは推し活関係の話で盛り上がる。
少女たちが店に入りバッグを開けてパステルカラーの小物を取り出した。
そして好きなタレントの写真やキャラクターグッズをアクリルスタンドに並べて
話しかけながら自撮りをする。一人の世界に入り込んで悦になっている。
だからほとんど会話がないのである。

男子たちは昔の女子がそうであったように小声で会話をする。
皆一様に背が高く眉毛をそろえていて韓流ドラマの役者のようである。
最新ゲームの攻略法や携帯の裏技で盛り上がる。
ネット上で繰り広げられる危険な会話にも耳を傾ける。

昔の男子学生は国の行く末を熱く語り合っていた。
校内にも腰にタオルを下げて大股で歩く硬派の若者は見なくなった。
彼らは「君たちはそれでいいのか」を常套句に会話は盛り上がる。
仲間と喜怒哀楽を共有していつも泣いたり笑ったりしていた。
デカルト・カント・ショウペンハウエルを合言葉に「デカンショ」を歌った。

現代の若者はある意味で心がパサパサになった経験がないのである。
失意のどん底に落ち込んで何もかも奪われた経験が無いと
心がパサパサにはならないのである。
「大恋愛」、最近ではこの言葉も死語になっているのかもしれないが、
狂う程の恋を経験していないとパサパサ感は分からない。

倉田百三「愛と認識との出発」のような苦しみは分からないのである。
恋愛はときめく心から入り肉体関係に至るまでに相当な時間がかかった。
現代の若者には考えられないのである。
これは男だけの問題だけではなく女も性に関しては無防備になったからである。

好きな相手を口説き落とすまでに詩が生まれて文学が発達してきた。
恋が成就できない場合は駆け落ちをして二人で死を選ぶこともあった。
これに演出家達が音楽を添えて台詞を入れた。
有名な「ロメオとジュリエット」の作者シェークスピアなどは
演劇を通じて愛の悲哀を表した代表格である。
日本では「好色一代男」江戸時代の井原西鶴も同じような存在であった。

私が日本レコード大賞作詞大賞を受賞した曲「涙のジャスミンLOVE」は
(検索するとT2とでてきます、これはもう一人のTと言う意味です)
歌手河合その子の不思議な魅力を歌で表すのであれば物語を作ることだと考え、
香港を舞台にした映画「慕情」をモチーフにしたのです。
河合その子の独特の歌唱法が受けて大ヒットになりました。

最近読書離れが進んで映画離れも多いと聞いています。
本の中の行間を読み、想像することが人々をどれだけ豊かにできるか。
又、良質な映画の中から空気感を読み、感情の機微はどのようにして起こるか。
自分の感受性ぐらい自分で育てるべきです。
何もかにも便利で安価を求めるのではなく、少し時間を取って図書館に出かけ、
映画館へ出向き読書と映画鑑賞に時間を割いてください。

秋の夜長ですよ。芸術の秋ですよ。こころを少し湿らせてみてはいかがですか?


和について考える




和で思い出す言葉として必ず平和が挙げられます。
しかし一番の不思議は今までに平和の定義がない事でした。
戦争の定義はあるのに平和の定義がない!
だけど神仏混合の日本では平和の定義が無くても和合は当たり前の考えです。
これは世界に類が見られません。
海外では制定されたものでない限り人を崇め奉ることはしないことです。

飛鳥時代の貴人、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」が活きています。
日本人が子供の頃から疑問を持たない平和について検証したいと思います。

平と和にはどんな意味があるのでしょうか。
[平]は、于(う)と八を組み合わせた形です。于は手斧の形、八は木片。
手斧で木を平らかに削って木片が左右に飛び散る形が、
平で「たいらかにする、たいら」の意味となりました。
平定、平和、平安、公平、平等、平生などよく使われます。理想の都平城京、
平安京は素晴らしい名称です。「平穏無事」も平和で幸福な状態を表しています。
平和と幸福はふかく結ばれています。

[和]は、禾(か)と口(さい)で出来ています。口(神への誓いや祈りの
文を入れる器)を置いた軍門の前で誓約して講和(戦争をやめて平和な状態に
もどす)することを和といいます。
和睦のしるしとして、双方が共に参加して祝宴を開き、互いに平和を祝う
祝餐を行います。一説によると、禾は穀物や食物をあらわし、これを口に
入れる、食べると自ずから「なごやか」になることから、
幸福の状態としての和やかさになったとも言われます。
必要なものに満たれる、充足、満ち足りると平和で「しあわせ」を
感じるものです。幸福になる秘訣は何処にあるのでしょうか、
考え思い巡らせてみたいと思います。 

「神からの恵みと平和がみなさんにありますように!」このように祈ります。
しかし口当たりの良い挨拶言葉として使われていることが多い。
「ご機嫌よう」と同じように扱われていると思います。

「和」は形声文字です。「口」の象形と「穂先が茎の先端に垂れかかる」
象形(「稲」の意味だが、ここでは、「會(か)に通じ、「会う」の意味)から、
人の声と声が調和する「なごむ」を意味する「和」という漢字が
成り立ちました。

わ‐かい【和解】
[名](スル)
1 争っていたもの、反発しあっていたものが仲直りすること。
「対立する二派が和解する」
2 民事上の紛争で、当事者が互いに譲歩して争いをやめること。
契約によるものと、裁判所においてなされるものとがある。
3 ⇒わげ(和解)
[補説]書名別項。→和解
[類語]仲直り・和睦・和議・和平・和戦・講和・休戦・停戦・終戦・
矛を収める・水に流す・元の鞘に収まる

和が解けると書いて和解です。反発が解けて和解では無いのです。
それでは不和という意味はどうなるのでしょうか?
単に仲が悪いことを不和というのでしょうか?
自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調することを
「付和雷同」という言葉があります。多くの政治家は反省すべきです。
どうしても和と言えばポジティブなイメージが湧き起こりますが、
そうでないこともあるということです。

不和に関する文章を紹介します。

• 云々という言葉の内容自身が、人間というものは独創的でなくっちゃいかん、
不和雷同するな、人の言ったことや、したことの真似をすると嗤われるぞという、
いわば独創の宣伝みたいな意味を含んでおります。ところがですね、「猫も杓子」も
云々というような・・・ 織田作之助 「猫と杓子について」

• 世間或は之を見て婦人の嫉妬など言う者もあらんなれども、凡俗の評論
取るに足らず、男子の獣行を恣にせしむるは男子その者の罪に止まらず、
延いて一家の不和不味と為り、兄弟姉妹相互の隔意と為り、其獣行翁の死後には
単に子孫に病質を遺して其身体を虚弱なら・・・ 福沢諭吉 「新女大学」

• およそ古今世界に親子不和といい兄弟姉妹相争うというが如き不祥の沙汰少なからず
して、当局者の罪に相違はなけれども、一歩を進めて事の原因を尋ぬれば、
その父母たる者が夫婦の関係を等閑にしたるにあり。なお進んで吟味を遠くすれば、
その父母の父母・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」

• 夫婦の不和や家庭破壊の問題がおこったとき、どんな幼稚な身の上相談にしろ、
先ずその原因を冷静につきつめて、と答えている。あのことも、このことも
敗戦がわるい、というならば、どうしてその敗戦などという現象がおこったのか。
そもそもの原因までさ・・・ 宮本百合子 「ことの真実」

和の語源を追求していたら明け方を迎えました。笑い
明日も「和顔愛語」で生きていきます。

そして最後に忘れてならない「和」とは川端康成の「陰翳礼讃」です。
日本建築の陰を主役にした発想が「和」そのものです。
明るさを求める西洋の文化と暗さを褒め称える日本の文化の違い。
平和の陰で悩む苦しむ戦争の被害者達うずくまる子供達を
救えるのは日本だけなのです。

2024年10月11日
ノーベル平和賞受賞「日本原水爆被害者団体協議会」
世界で平和を訴えることが出来るのは日本だけです。

伊丹谷良介「うたライブ」今月は10月11日・12日開催。
テーマは「和」でした。平和を謳いあげる直前にこの受賞が発表されました。
奇跡です。これまで日本文化を推奨してきて良かったと思った瞬間でした。
12日には篠笛奏者の方と即興で「イマジン」を演奏しました。
感動の夜を「うたライブ」では毎回お客様と作り上げています。

ご興味のある方は伊丹谷良介のサイトへお申し込みください。
来月11月のテーマは「人間」です。
お待ちしています。


引力と斥力




引き込む力が引力と言い、突き放す力が斥力(せきりょく)という。
「雑乱紛糾のときに控捲せず」中国の諺
意味は「揉め事が起きたときは、互いに引っ張り合おうとするのではなくて、
お互いに手を緩め合いなさい」ということです。

人間関係においても重要なことは互いに引き合うばかりでなく、
突き放すことも必要な場合もあります。
それは関係の上で甘えが出てきた時です。
礼儀を欠くような言動が出てきた時には曖昧に済ませるのではなく、
思いっきり突き放すことも重要です。

これは外交においても同じことが言えます。
中国深圳で小学生が反日活動家によって殺されてしまいました。
これに対して上川外務大臣は強く遺憾を申し入れたと
記者会見で述べているが外交の根本を知らなさすぎです。
反日感情の強い国では日本人を騙したり傷つけたりすると英雄扱いになります。
ものごとを性善説で考えたい日本人は中国人の考えを一生理解できないでしょう。
このままの対応だとやられっぱなしで終わります。

1937年7月29日に起こった通州事件で多くの日本人が命を落とした。
この時、日本政府の弱腰外交により日本では真実が報道されなかったのです。
中国から見れば日本は「空威張りの国」で問題が起きれば飴でもわたせば
すぐに言いなりになるという考えである。
過去の日本政府はその手にまんまと乗っかってきたのである。
今回も同じようなことが行われた。
突然、日本産水産物の禁輸を解除という話が岸田政権へ届いた。
これに喜んで飛びついてしまえば中国政府から笑い者になる。
しかし見事に餌に食いついた岸田政権は手柄を取ったかのように
記者会見で発表している。

歴史を知って日本を守り毅然とした態度で臨まなければ
日本人が馬鹿にされる。
今年に入りすでに中国で子供たちが襲われた事件が2件発生している。
もうこれ以上の被害者が出ないことを祈るばかりである。

日本が何かことを起こすと海外からは強く謝罪を求められます。
戦争放棄した国が偉そうなことを言うなという事です。
どの国でも首相や大統領やリーダーは国を守ることと国民を守ることが鉄則です。
日本人の毅然とした態度と矜持を相手に堂々と申し入れではなく!通告として
伝えるべきである。憲法第九条の戦争放棄は、戦争はしないとの約束事ですが
異国民の好き勝手な行動まで容認することでは無いと思います。

このことは政府にも責任がありますが、国民一人一人の問題でもあります。
自分の身に火の粉がかかるまで、見猿、聞か猿、言わ猿を決め込んでいる。
その上に日本国民は平和ボケで茹でガエル状態で腑抜けになっているのです。
このまま人間以下の動物集団になったままで良いのでしょうか?
こんな逆境にこそ正しい方向に進むべきです。

ここで是非とも今一度この文章を読んでいただきたいと思います。

逆境にある人は常に「もう少しだ」と言って進むといい。
やがて必ず前途に光がさしてくる。新渡戸稲造の言葉

(1)
吾々は日本に生まれた以上、日本人の皮を着替えるわけにはゆかない。
私など、生国を去って勉学に出たのは八歳の時であったが、
六十余歳の今日なお東北弁が抜けない。
(2)
いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである。
逆境にある人は常に「もう少しだ」と言って進むといい。
やがて必ず前途に光がさしてくる。
(3)
信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。
(4)
違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である。
(5)
真の学問は筆記できるものではない。真の学問は行と行との間にある。
(6)
進む勇気と退く勇気があってこそ真実の勇気。
(7)
若い人たちは、自分たちは絶対年を取らないとでも思っているのだろうか。
人生のうち、青春として知られる時期ほど短いものはない。
(8)
もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である。
(9)
急がば回れだ。休むなかれ、急ぐなかれ。
(10)
強き人はよく耐える。よく耐える人を強者という。
(11)
とかく物事には明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。
そうすれば、おのずから愉快な念が湧いてくる。
(12)
自分が生まれてきたときより死に至るまで、
周囲の人が少しなりともよくなれば、
それで生まれた甲斐があるというものだ。
(13)
武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。
(14)
あの黒雲の後ろには太陽が輝いている。
(15)
真の勇気とは、猪突猛進ではなく、しっかりと立ち上がり
周囲を見回して、いま成すべきことを見つけ出すことができるかである。 

新渡戸稲造は「武士道」を英語で書いて世界に紹介した人です。
彼は狭い意味での武士道論を論じたのではなく、
日本の道徳思想文化論を世界へ発表したのである。
日本には宗教教育は無いが武士道があり、日本の道徳の基礎となっていることを
広く世界へ知らせようとした国際人である。

みなさんの口から出た言葉は責任を持って守らなければなりません。
子供だから、知らなかったから、未熟だったからと言い逃れは出来ません。
知識を知識としてだけで捉えるか、知識は行動が伴って初めて価値が
あるのです。知ることはすでに行動が伴わなければなりません。

若者よ!陽明学の「知行合一」を実践すべきです。
今こそ「感即動」の行動あるのみです。
もっと良書に親しんでください。


人間




無限の思考を持ち有限の創造を完成させる。
人間は列車を作り、飛行機を作り、ロケットを作り、高層ビルを建て、車を走らせた。
有史以来、先人から後人へと知恵を繋ぎ進化は止まらない。

この偉大なる人間の欠点は平等に死を迎えなければならないことである。
絶対的な権力者でも病気には勝てず必ず寿命が来れば死ぬのである。
神の象徴であるイエスキリストも十字架に張り付けられて死刑になった。
いくら科学や医療が発展しても与えられた運命は変えられない。
ここに哲学や宗教が生まれて人々は心の平穏を知識に求めたのである。

そして近未来は人間持つ力をAIに託していく。
アトムも哲人28号もマジンガーZも現実に登場する時代が来る。
益々弱い人間が奴隷になって逃げ場を失い世界の隅へと追いやられる。
メタバースの闇に逃げ込んでも永遠の寿命は手に入らない。

苛酷な状況でも変わらないのは子供達の遊ぶ姿と笑顔である。
哺乳類としての人間は子孫を絶やさないように子供を産み慈しむ。
古代から現代へとバトンを渡してきたのは子供達にだけである。
しかしそのサークルの中に愛情は残されるのだろうか?

どんな状況の中で人間のすごいところは芸術を作り出せることです。
音楽も絵画も墨絵もクラッシックバレイも近代ダンスも多くの感動を作り出す。
頭脳だけではなく肉体の限界に挑戦したところに思考が覚醒する。
自然の美しさを形に表しそれを鑑賞することにより一時争いを忘れさせてくれる。

人間の持つ五感を最大限に利用して食と医術を発展させて健康を作り出した。
自然界にあるものを栄養として摂り入れることをしてきた。
体の表面に現れる症状を直すための医療もその内部まで入り込めるようになった。
その甲斐あって平均寿命が30年の頃から今では100年超えが当たり前になりつつある。

しかしどれほど時代が進化しても変わらないものが一つだけある。
それは愛である。人が万物を好きになる愛である。
愛があるからこそ夢と希望を描き未来へと歩きだせる。
過酷な時代変化を耐えられるのは愛があるからである。

フランスの哲学者ベルクソン(Henri Bergson, 1859-1941)は、
Bergson(1907)(『創造的進化』)において、人間の知性の本質を創造性で
あるとの考えを示し、人間にホモ・ファーベル(Homo faber, 工作人)
との定義を与えた。

人類を規定するのに、歴史時代および先史時代を通じて人間と知性の不変の
特徴とみなされるものにのみ厳密に限るならば、おそらくわれわれは、
ホモ・サピエンス(知性人)と言わないで、ホモ・ファベル(工作人)と
言うことであろう。要するに、知性とは、その根原的な歩みと思われる
点から考察するならば、人為的なものをつくる能力、とくに道具を
つくるための道具をつくる能力であり、またかかる製作を無限に変化させる
能力である。

人間は目的に従って道具を制作する。寒さを凌ぐことを目的として
衣服を創ったり、雨露を凌いで生活を営む目的で住居を創ったり、
食材を焼くことや暖を採ることを目的として火を創ったりする。

もちろんベルクソンは、動物の中にも一種の道具を製作する事例があることに
言及しているが、彼の創造的進化論において、動物の制作活動と
人間の創造活動を質的に隔てる決定的境界線として述べられている内容を
簡潔にまとめるとすれば以下のようになる。

すなわち、①自己形成の創造活動、②自己の創造活動の反省、
③創造活動における他者との協調、などである。
さらには抽象的な概念にまで拡張すれば、個人との間で人間関係を創ったり、
一定のコミュニティの中で役割分担をすることで社会を創ったりもする。
このように、人間の生きる営みにおける事物の創造性とは「自由意志に基づく
自在の変形」にあるようである。

自己形成は、自身のセルフ・イメージを明確に持つところから始まる。
先に人間の創造活動の事例として、寒さを凌ぐために衣服を創造することを
挙げたが、人間は自身が他者からどう見られるかを常に意識しており、
それぞれの民族の文化に随って自身の身体を隠し、自らが理想とする姿の
イメージに近づくように衣服の素材や模様や色彩などを選択する。
このような行為は、まさに人間のみが行う行為と言える。

また、自己の創造活動を反省することによって、創造方法の効率性や利便性
などを追求し、創造の方法を改良することができる。
また、創造方法を言語化することによって、創造活動を記録したり、
他者に伝達したりできるようになる。この点も動物にはいっさい見られない
人間の創造活動の特徴である。

そして人間は裏切る性格を持っていることも忘れてはなりません。
大きな歴史の変わり目は殆どが裏切りから行われているのです。
自分の忠実な側近が、家族が主人を裏切るのです。

世界三大裏切り者は、イスカリテオのユダ・ブルータス・呂布だそうです。

弟子たちのところに来て、「まだ眠っているのですか。目を覚ましなさい。
時が来ました。いよいよ、わたしは悪い者どもに売り渡されるのです。
立ちなさい。さあ、行くのです。ごらんなさい、裏切り者が近づいて来ます」
イエスがまだ言い終わらないうちに、十二弟子の一人ユダがやって来ました。
彼といっしょに、ユダヤ人の指導者たちが差し向けた大勢の群衆も、
手に、手に剣やこん棒を持っていました。 彼らの間では、ユダがあいさつする
相手こそイエスだから、その人物を捕まえるように、
前もって打ち合わせがしてありました。

それで、ユダはまっすぐイエスのほうへ歩み寄り、「先生。こんばんは」
と声をかけ、さも親しげにイエスを抱きしめました。
イエスが、「ユダよ。さあ、おまえのしようとしていることをしなさい」
と言われた瞬間、人々は飛びかかり、イエスを捕らえました。

紀元前44年3月15日、ユリウス・カエサルが暗殺される前に
発したとされる言葉が「ブルータス、お前もか!」です。
元老院会議が開催されるポンペイウス劇場に向かっていたカエサルは、
一説によると60名もの議員に取り囲まれ、刃物で全身を刺されたのでした。

カエサルはそのとき、自分を襲う群衆の中に信頼していたブルータスを
見つけます。そして、嘆きの言葉を口にしながらこの世を去った
といわれています。
しかし、カエサルを刺した者もその場にとどまることなく逃走したと
されており、「ブルータス、お前もか!」という言葉を、
実際に誰が耳にしたかはよくわかっていません。

三国志の武将で最も勇猛だともいわれる呂布。しかし彼は、世話になった
相手をことごとく裏切ったことでも知られています。中国であれ日本であれ、
ここまで人を裏切り続けた男もめずらしいでしょう。
呂布の裏切り人生がどのようなものだったのか。
そして「裏切り野郎」はどんな末路をたどったのか、見ていきましょう。

董卓がねらいを定めたのは、呂布の主人である丁原の兵力でした。
まずは丁原を暗殺しようとしますが、丁原のそばには勇猛で鳴る呂布がいて、
うまくいきません。しかしそこはさすが大物の董卓。簡単にはあきらめません。
なんと、呂布を味方につけて丁原を殺させ、その兵力を横取りしようとしたのです。
ほんと、レベルが高い悪党になると、考えることのレベルもちがいます。

普通に考えれば、呂布の立場でこんな誘いに乗ることは、考えにくいですよね。
いい条件を提示されたからといって、世話になっている主人を殺し、
寝返るだなんて。ところが、この呂布という男。誘いに乗っちゃうんです。
誘われるまま、本当に主人の丁原を殺し……丁原の軍勢をそっくり連れて、
董卓の家来になってしまうんです(189年)。このとき呂布は、董卓と親子の
契りまで結びました。なんというか誘う方も誘う方、乗っちゃう方も乗っちゃう方。
悪役として歴史に名を残す人は、レベルがちがいますね。
しかし……この裏切り、呂布の「裏切り人生」においては、まだまだ序曲に
すぎなかったのです。

人間は偉大なる創造力の神を抱えながら、悪魔のような裏切りも
持つことが出来るのです。古き歴史を知り新しき生き方を考える。
こんなハチャメチャな人間の姿に私は愛おしさを感じています。

予想できない人間の思考力と行動が数々のドラマを創り出しているのです。
人間の進化こそが未来への羅針盤となるのです。


日本文明




モースからの一言
「日本間の全般的な色調は、花一輪、清雅な一幅の絵、陶器の一片、
あるいは古い青銅製置物を完璧にまで引き立てる。
同時に、高価で見事な金塗りの逸品が、これら簡素な事物の中に
宝石のように輝いている。
-しかもその場の色彩の調和が乱れることがない(モース 明治時代)」

大森貝塚の発見者として知られるエドワード・モース。
1877(明治10)年から3度にわたって日本を訪れた彼は、
日本の庶民の暮らしや心根に魅せられ、多彩な品々を「記録」として
アメリカに持ち帰っていました。
モースが感嘆した、明治の名もなき日本人の「こころ」とは何だったのか。

明治の庶民を写した写真やモース自身の日記、スケッチなども加え、
失われた明治の日常がおよそ140年の時を経てよみがえる。

「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が
払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで
幸福であるらしい。」
E.S.モース『日本その日その日』二巻(石川欣一訳)より抜粋

またアメリカの国際政治学者である「サミュエル・ハンチントン」は、
著書「文明の衝突」で、世界を次の八つの文明圏に分けている。
「西欧文明」「ラテンアメリカ文明」「アフリカ文明」「中華文明」
「ヒンドゥー文明」「東方正教会文明」「イスラム文明」と「日本文明」。

案外、日本人のなかに「日本は中国文明に入っているのではないの?」
と思う人が多いかもしれない。
そのことについて、サミュエル・ハンチントンはこう言っている。

一部の学者は日本の文化と中国の文化を極東文明という見出しで
一括りにしているのだが、 ほとんどの学者はそうせずに、
日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して西暦100年ないし
400年の時期にあらわれたと見ている
(文明の衝突  サミュエル・ハンチントン)

ということで世界では、ほとんどの学者は日本と中国とを
別の文明だと考えているらしい。

ちなみにこの「日本は世界の八大文明の一つ」という考えは、
明治時代に日本を訪れたシドモアというアメリカ人女性もいっている。
「世界八大文明の」一翼を担う伝統ある日本は、
今や中世的美風や東洋的画趣を惜しげなく捨て去っています
(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)

その「日本文明」には、次のような特徴がある。
世界のすべての主要な文明には、二カ国ないしそれ以上の国々が含まれている。
日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。
(文明の衝突 サミエル・ハンチントン)

「中華文明」は中国だけで成立しているわけではなくて、
隣国の韓国・ベトナム・北朝鮮、そのなかに入っている。

それにしてもなんで日本という国は、それ1国で固有の文明だと
考えられているのか?「日本を固有の文明として認識し、中国文明から派生して
西暦100年ないし400年の時期にあらわれたと見ている」と書いてあるけど、
それ以上に具体的な記述がない。

「西暦100年ないし400年の時期」というと、日本は弥生時代で銅鐸を
つくっていたり、卑弥呼が女王だったりしていた。
このころの日本で、中国文明から派生したような出来事ってあったのか
よく分からない。

でも、世界的な学者から見たら、日本という国にはこんな特徴があることは
覚えておいてもいい。
「ユニークなのは、日本国と日本文明が合致している」ということ。
他国から入って来た文化に影響されながらも独自の文明を築いていること。

「日本に似ている国がない理由」
学校では、日本は古代より、中国・朝鮮から文化のほとんどを
学んだように習います。それなのに、日本の文化や人の気質が、
中国や朝鮮にあまり似ていないのはなぜでしょうか?

朝鮮から稲作、青銅器、鉄器が伝わった。渡来人が日本に漢字、儒学、
仏教を伝えた聖徳太子は中国や朝鮮に学び、天皇を中心とする政治の仕組みを作った。
その他にも、朝鮮から移り住んだ渡来人が、かまどを使う文化を伝えた。
大和政権は渡来人を盛んに採用し書類の作成や財政管理など任せた。

日本から遣隋使・遣唐使を中国へ送り、
中国の進んだ制度や文化を取り入れた。
法隆寺などの建物は、主に渡来人やその子孫によって造られた。

天武天皇は中国に習った律令や都、歴史書を作るよう命じた。
奈良時代中期、天皇や貴族の服装は、唐風のものだった。
平城京は中国の都を手本に造られた。

などなど、教科書の内容を挙げても、政治、宗教、文字、生活まで、
ほぼ全てを中国・朝鮮のお世話になったかのようです。

それでも、日本が日本らしい独特の文化を
開花させていったのは不思議ではないでしょうか?

例えば、1996年に出版され世界的ベストセラーになった
『文明の衝突』という本があります。
この本では世界を9つの文明に分けていたのですが、
日本を1つの文明として定義づけていました。

世界196カ国ある中で、9つの文明はこの通り複数の国を含みますが、
1つの国で1文明を築いたのは日本だけでした。

日本だけを1つの文明として考えるのは、
この本『文明の衝突』の著者だけではありません。
その他にも、九大文明論や五大文明論などを唱えた著名な学者たちが、
日本を1つの文明と捉え、唯一無二のユニークさを認めています。

なぜ日本は、あれだけ学んだ中国・朝鮮に似ず、
ひたすらユニークな国を作れたのか・・・

日本の長い歴史の中で、皇室と天皇は日本文明の確固とした
核であり続けている。
恵まれないときもあったが、皇室は常に権力ではなく権威として、
日本国の揺るぎない基盤であり続けた。日本が危機に陥る度、
皇室が中心になって、国民をまとめ、国を守り通してきた。
明治維新のときや大東亜戦争の終戦時に
果たしたお役割が記憶に残る事例である。

皇室は、早くも聖徳太子の時代、つまり七世紀初めには貧しい人、
親のいない子供たち、身寄りのないお年寄りのための救済施設を造っていた。
それらは聖武天皇の后、光明皇后の力によって施薬院、悲田院となり、
病と貧困に苦しむ民の救済施設として定着し、やがて全国に広がった。
その善き伝統は、平成の現在も藤楓協会として連綿と続いている。

天皇と皇室が民の幸福と国家の安寧のために祈り続けて下さっている
お姿が、長い歴史を通して浮かび上がってくるのが日本であり、
このような背景が日本民族の記憶に深く刻まれているからこそ、
天皇陛下のお言葉は、国民の心にスッと沁み込んでくる。
大切にするべきはこうした伝統である。

皇室の伝統と価値観は紛れもなく日本の神話と一体化したものだ。
御代替わりの儀式は、これら神話の時代の伝統にのっとるのがよい。
昭和天皇崩御のときの「大喪の礼」では、
反皇室の人々が憲法20条3項を盾に、政教分離と称して、
儀式の簡略化や変更を求めた。

だが政教分離は宗教に対する圧迫や干渉を禁じているのであり、
政治に一切の宗教色を持たせてはならないという意味ではない。
そもそも神話の時代からの伝統を宗教だと断じて切り捨てること自体、
間違いである。200年振りの御代替わりの儀式は、大喪の礼のときよりも
まともに伝統を踏まえるべきだと考える。

これらは常識として知らなければならない「日本文明」です。
皆様はどう思われたでしょうか?


珠玉の言葉たち




「恩学」を書き始めたころには胸打つ言葉は本の中からでしかありませんでした。
しかし最近ではSNS上に氾濫しています。
勿論、受け取る人が感動すれば記憶に残しておけば良いのですが、
簡単に手に入るものは簡単に忘れてしまうのです。
自分の足で富士山へ登頂した人とその人が写した映像を見るのとでは
感動の度合いが違います。
記憶は頭の中だけで起こる現象ではありません。
五感全部で感じるものです。

人は感動した時にふと頭に浮かぶ言葉があります。
それを書き留めておくことが重要です。
日記や記念写真に書き込めば後々まで変わらぬ感動が蘇りますね。
本日はそんな心に残る言葉を紹介します。

*馬鹿にされる人ほど成長し、馬鹿にする人ほど落ちていく。
*嫌いな人と関わっている程、人生は長くはないが
*大切な人との時間を削るほど、人生は短くない。
*出来ないと思えば限界の壁が出来、出来ると思えば可能性の道ができる。
*出来ることからやる人が、出来ないことをやれる人。
「一生懸命だと知恵が出る」
「中途半端だと愚痴が出る」
「いい加減だと言い訳が出る」
*晴れの日には葉が育ち、雨の日には根が育つ。
*無いものを数えれば不満が増え、あるものを数えれば感謝が増える。
*幸せだから感謝するのではない、感謝できることが幸せなのである。
*毎日の小さな努力の積み重ねが、歴史を作っていく。
*言葉は時に刃物になるし、誰かの背中を押す優しい力にもなる。
*貴方の良さが分からない人のせいで、貴方が落ち込む必要なんて一つもない。

「水はつかめません。すくうのです。心もつかめません。くみ取るのです」
「幸せだから感謝するのではない。感謝できることが幸せなのです」
「楽で苦労しないことを望めば細かなことがくるしくなる」
「あなたを苦しめた高い壁が今度はあなたを守る盾になる」
「他人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」
「誰かに与えるとき、それは自分自身に与えることです」
「心の平安は、外の世界ではなく内にあります」
「言葉は力を持つ。それを使って癒すことも、傷つけることもできる」

如何でしょうか?今あなたの心が求める言葉はありましたか?
無理に良い言葉だからと言って覚える必要はありません。
しかし良き言葉を傍に置くとあなたの口からその言葉が出るようになります。

哲学書や仏教書の中には人生に役立つ文章がいっぱいあります。
ひとつご紹介します。

逆風に帆を張るという禅語があります。
「逆風張帆(ぎゃくふうちょうはん)」です。

帆船が向かい風(逆風)にもかかわらず、敢えて帆を張る、の意。
逆境に耐え、前に突き進もうと努力することで、道が開けるという、
禅の言葉です。ヨットは、逆風でも、風の角度を見極め
一定の角度で帆を匠に操れば、斜め前方にジグザグ経路で
前に進んでいく技があります。
これは、飛行機が空を飛ぶ原理の「揚力」と「推力」の関係と
同じことで、帆が翼の役目を果たします。

船は、逆風の中では、何もしないと、ただ流されてしまう。
時には後退さえしてしまう。
だからこそ、逆風の中にいても、その時にできることを懸命に
一歩でも、半歩でも前に進んでいこうとするのです。

白隠禅師のお師匠さんだった正受老人が、晩年に村人相手にやさしい言葉で
生き方を説かれたのが、有名な「一日暮らし」です。
人間の一生、どんな辛いことがあってもきょう一日の辛抱だと思えば耐えられるし、
逆に嬉しいことがあってもきょう一日と思えばそれに耽ることもない。
誰でも、きょう一日、目の前のことであれば頑張れる。
きょう一日一所懸命やればいいと。そうして最後に、
「一大事と申すは今日只今のこと」と締め括っています。

〈境野〉 
心に染みる説法ですね。実は、私は人生の目標って立てたことがないんです。
ただ「縁」だけは大事にして、いつもそれに精いっぱい報いてまいりました。
そうしたら、思いがけず素晴らしい出会いに恵まれ、東洋思想の本を30冊ほど
書かせていただくことができた。ただひたすらご縁に従ってやっているうちに、
こういう自分になったんです。

いまの若い人の中にも、目標が立たないと言って悩んでいる人が多いんですね。
そういう青年たちには、俺も目標を持たなかったよ。だけど人の縁を大事にして、
「今日只今」を一所懸命やってれば人生は開けていくんだよと申し上げるんです。

〈境野〉 
「前後裁断」という禅語もございますね。明日と昨日を切って、今日一日を生きよと。
高い目標達成のためプレッシャーを受けている人も、「今日只今」自分のやるべき
仕事に集中すれば、余計なストレスももらわないし、結果も自ずとついてくると
思います。覿面の今を失うに気づかず

〈横田〉 
正受老人は「一大事と申すは今日只今の心なり」という言葉に続けて、
「それを疎かにして翌日あることなし。全ての人、遠きことを思いてはかること
あれども、覿面の今を失うに気づかず」と説かれています。
遠い目標を持つことも大事ですけれども、そればかりにとらわれて覿面の今、
いま目の前のことを見失っては ならないと。
一刹那正念場というのはそういうことだと思います。

〈境野〉
「刹那」というのは極めて短い時間という意味ですね。
そして禅では「刹那生滅」という言葉もございますが、「生滅」というのは
生きる・死ぬということ。死ぬまであっという間なんだから、
「今日只今」この一瞬を大切に、楽しく明るく生きよという教えなのですね。
私が一番好きな禅語を挙げるなら、やっぱり「喝!」ですね。天地と一体に
なったこの体から迸る「喝!」という音が、悩みや執着を取り去ってくれ、
また新しい一歩を踏み出せるんですね。

〈横田〉 
最近はテレビの影響でしょうか、あまりその真意が理解されていないようですね。
本当は、一切の執着を捨て去って天地いっぱいのいのちを生きるという意味です。
それには「回光返照」といって、外ばかりみる目を内に向けてみることが必要です。

〈境野〉 
やっぱり天地自然の回光を返照して、迸り出るような「喝!」でなければ
いけないのですね。
逆境の中で苦しんでいる方もいらっしゃるでしょうが、この一喝によって
一度自分が固執している価値観、理念、発想から離れてみられると、
そこからまた新たな活路が見出せたりするものです。
なんとか心新たに、一日一日をみんなで明るく生きていただきたいと願います。

作家・東洋思想家の境野勝悟氏と禅の一道を歩み、弊誌でも「禅語に学ぶ」を
連載している鎌倉円覚寺管長・横田南嶺さん。白隠の師・正受老人の言葉から
お二人が読み解く、きょう一日を輝かせる禅の精神とは――。でした。

如何だったでしょうか?
貴方の心に響く珠玉の言葉たちに出会えましたでしょうか?


百折不撓




勝手な思い込みで弱い立場の人間に対して命令をしてしまう。
自分の苦労を隠すようにして強がる自分を前面に押し出す。
折角手に入れた地位を奪われたくなくて持論を繰り返す。
強固な城も人がいなくなればただの箱になる。
信頼できる部下と尊敬できる先生と親身になってくれる友を
手に入れられなかった人生の悲しい末路である。

こんな言葉を知っていますか?「1人なら龍3人よれば虫」
これは中国人がよく使う言葉です。
意味にすれば一人で物事を進める時は判断も行動もまるで龍のように
振る舞えるが、なぜか複数になると怠け者の虫のように力を発揮できなくなる。
これは中国人だからということではなく一般的な人間心理です。
「三人よれば文殊の知恵」しかし三人よれば依存が芽生えることも事実です。
少しでも心を緩ませると逃げたい気持ちが湧き起こるということです。

地震や豪雨の災害で家も家族も失った人は絶望と共に一人で生きることを
余儀なくされて無口になりただ黙々と怒れる龍の如くに行動を始める。
東北の震災、熊本の震災、能登半島の震災、皆同じようになる。
しかし仮設住宅の生活が始まると急に精神的に耐えられなくなり
自殺する人も増えるという。壊れた家にいる時は気丈に生きていたのに
避難所へ移った途端に気が緩み悲しみに耐えられなくなる。
本当の復興支援とは建物だけではなく心を支える柱が必要です。
カウンセラーの派遣も多く行われていますがとても重要です。
そこで聞いた言葉を更に復興支援に活かされることを願う次第です。

「こんな言葉があります」
【百折不撓】ひゃくせつふとう
何度失敗して挫折感を味わっても、くじけずに立ち上がること。
どんな困難にも臆せず、初めの意志を貫くこと。
「百折」は、何度も折れること。「撓」は、枝などがたわんだり、
まがったりすることで、気力がなえること。「不撓」でくじけないこと。

「このような事例もあります」
年齢に関わらず就職の悩みをもつ方が多い時代。自信を失い、希望を失い、
目的を失い、何もかにも失って来られる場合もあります。
じっくりとお話に耳を傾け、温かく寄り添いながら、一歩、また一歩と、
階段を一緒に上がり始めるような気持ちで接しています。決して無理を
強要するつもりはありません。ただ、自分の心の中に、わが生命の源に、
折れても、折れてもくじけない「負けじ魂」が誰にでも本来備わっている
ことを自覚することが大切と考えます。
勇気と希望を私にも、そして多くの方に与えてくれた友に感謝。
これからも山も谷もあるでしょう。それでも百折不撓で生きていく限り、
人生勝利の歴史が輝くことを確信しています。本当にありがとう。

「私の場合もこのような経験をしています」
6歳の時に母親と兄妹と別れて大阪の父親に引き取られました。
当初は自分の置かれた立場がわからず泣くことも我慢できたのですが、
色々な人と関わるようになり「可哀想な子だね」と言われるたびに
悔しくて泣くこともありました。ああこれからは誰にも頼らずに
一人で生きていくのだと決心したのです。
名前に瀧が付いていることもあり恐れることはありませんでした。
それ以上にもっと困難に見舞われれば良いとも思ったのです。
自虐的ではありますが苦しみから解放されるのには
徹底的に底まで落ちて自分の置かれた立場を知ることでした。
他人に確認や同意を得てから慎重に行動しては駄目です。
色々な意見は役に立ちません。それどころか情熱が冷めることにもなります。
私は誰にも相談せずに無謀と思われることに挑戦してきたのです。
熱き心を忘れないように敢えて困難に飛び込んだのです。

しかし気をつけたい態度としては傲慢になり人の意見を無視することです。
少し成功すると今までの我慢が噴き出して怒りに変わるのです。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」この心境にはなかなか近づけません。
それでも失敗を重ねると自然に謙虚さが身につきます。
小さな虫になって身動きが自由に取れなくなって初めて後悔するのです。
もっと他人を思いやる心があれば良かったと思うのです。

あらゆる発想の起点は自分であっても協力者は必要不可欠です。
どんな素晴らしい企画でも具体的な裏付けが必要です。
ブローカープランナーは他人の意見をコピペして組み立てます。
そこに参加予定のメンバーを紐つけて組織があるような見せ方をします。
どんな時にも「そこに人がいるか・そこに物があるか・そこに金はあるのか」
の確認が大切です。脆弱な土壌の上には建物は立ちません。

私が哲学書や仏教書を読むのは過酷な修行をされた方の本音です。
人間の本能の欲や探究心の限界を知ることにより見える世界です。
奥深くに入り込む研究家ではないので上辺だけの世界しか知ることは
出来ませんが、それでも自分の失敗の原因と思慮の浅はかさが
大きな災いを作ってきたことが手に取るようにわかります。
そして自分にとって高かった壁が、広すぎる世界が、こんなにも低くて
こんなに狭い社会だったのかと気づかされます。良書に触れる醍醐味です。
まさに「百折不撓」の精神が養われます。

強く生きるとは弱さを知ってわかるもの、
愛を知るとは裏切られた時に感じるもの、
信頼は傷つけあって乗り越えた時に生まれるものです。
空を飛ぶ鷹の目を持ち、
草木の間に生きる虫の目を持ち、
流れる水間の魚の目でこの世界を眺めることが必要です。

最後に「平和は和解から始まり柔和の心で帰結する」
憎しみから平和は生まれません。和を大切にしましょう。
この時代だからこそ「和」を意識した心が基本になります。
考えの中に行動の中に「和」を取り込んでください。
皆様の心の中に「和顔愛」の世界が広がりますように祈ります。


誰にでも平等に舞台はある




人は皆同じ方向を目指して歩き始める。
しかし同じ方向へ顔を向けていても見ているポイントが違う。
いわゆるピントの合わせている部分が違うということです。
例えば森の景色を全員で眺めている。
森全体を眺める人、目の前の大木を見ている人、森の木に生息している
鳥を見ている人、それぞれが違うところにピントを合わせているのです。

若者たちが俺たち音楽で成功して金持ちになろうなと話しても、
どんな音楽で誰と組んでどんなメッセージを出すかは話していない。
美味いものを腹一杯食べて、かわいい女の子を侍らせて、楽しもうと言っても、
何が美味いのかどんな女の子がいいのかを話していない。
スティーブ・ジョブスのような開発をして世界を驚かそうと話しても、
スティーブ・ジョブスがどんな人間で何を開発したのかは話していない。

一般的に一つの表題で会議が始まっても眺める視点が違えば意味をなさない。
そのためにアメリカから取り入れた会議の進め方の方法を取り入れる。
進行表(アジェンダ)の作成と進行役(ファシリテーター)が重要なポイントになる。
ここで決められた時間内に話し合い、決められた目的の成果を作り出す。
日本の国会答弁のようなダラダラした話し合いは時間の無駄である。

今回のブログのタイトル「誰でも平等に舞台はある」は、
常に自分のピントが何処にあるかが重要になるということです。
仕事でも恋愛でも社会活動でもあらゆる所に舞台は用意されている。
しかし自分の意識(ピント)が明確に無ければ舞台に上がっても役に立たない。
お分かりのようにピントは意識の作用が大きく影響する。

例えば、机の上に置いてあるリンゴをさしてこれは何ですかと質問すると
ほとんどの方がリンゴですと答える。ただの赤い球状の物を
リンゴと答えるのは脳に刷り込まれた情報によって判断されるからです。
リンゴが腐り、食べられなくなればリンゴとは言わずにゴミに変わるのです。
しかし貴方の意識は机の上のリンゴに目を向けられるのでは無く、
リンゴのわきの消しゴムに目が行くとこれは何ですかという
質問に答えられなくなる。
見ているあなたのピントは意識を何処に置くかで答えが変わるのです。

アーティストも経営者も時代にピントを合わせて仕事を進めていきます。
それでも同じ商品を違ったポイントで作り出すから市場が賑わうのです。
ピントを合わせる方法はいつも全体をボヤかして見ることです。
街を歩く時、会社や教室に入る時、全体をほのめかして見れば良いのです。
そして何事かに意識を向けたときにピントを合わせるとピタッと決まります。
不要な情報にピントを合わせると焦点が定まらずにぼやけてしまいます。
そうなれば自分の言葉から核心を突いた意見が出なくなるのです。

情報は集めるだけ集めて分析(Observe)を行い検討会(Orient)に入る。
その時から集中して自分の脳のファインダーにピントを合わせる、結果
決定(Decide)をする。そこから最速で行動(Act)に移る。行動した内容を持ち寄り、
また必要な情報を集める。これをループ上にして繰り返すのです。
これはアメリカ政府が取り入れているOODAという手法です。

余談ですが全てのビジネスの方法とデジタルの発展は軍部と関係しています。
コンピューターの最新技術は全て軍隊が使いこなせるように開発されるのです。
国家にとって最重要課題は防衛です。そこに国の英知が使われるのです。
又、NASAの技術はディズニーランドで多く使われています。
宇宙飛行士の訓練で使われる機材が人々の興奮を創り出しているのです。
アメリカの凄いところは最新技術をオープンして誰でもが使用できるように
することです。アイデアのシェアーを頻繁に行っています。

「ピントとアイデア」
あるときに電気修理工が電波塔の不具合を治しているときに、
いつもポケットに入れているチョコレートバーが溶けているのに
疑問を持ちます。次の日もキットキャットを持ち込んだら、
同じように溶けていることに気づきます。
このことに開発者のピントが合わさり、電子レンジの構想が生まれたのです。
電波が物を温める力があることが発見されたエピソードです。
多くのビジネスのヒットは少し違ったところにピントをおくことによって
生まれたものが多数あります。

例えば魚の群れを探すための魚群探知機から胎児の成長見るエコー検査機が
生まれた。胎児の体重は健診時に超音波検査で測る3点の長さから
自動的に算出されているのです。エコー画像からBPD(児頭大横径)、
AC(躯幹周囲長:腹囲)、FL(大腿骨長:太ももの骨の長さ)の3点を計測し、
その数値を計算式に当てはめると、推定胎児体重(EFW)が算出されます。
お腹の中の胎児の状態がエコーで分かるという事です。

面白いところでは「フリスビーの誕生伝説」
砂浜でのパーティーを終え思い思いに遊び始める大学生たち。
テーブルには食べ終えたパイ皿が散乱している。一人がふざけて
そのブリキ皿を取り上げて投げた。円盤型なので遠くまでよく飛ぶ。
面白がって何人も後につづき、しまいには投げ合いになる。
一人が落ちたパイ皿を拾う。表面には「Frisbie’s Pies Company」とある。
のちに世界で記録的な大ブームを起こすフリスビーが生まれた瞬間だった。

「ウォークマン誕生秘話」
SONYの会長大賀典夫は芸大出身のオペラ歌手です。
世界中を飛び回るビジネスマンとしても有名ですが、ある時にSONYの技術者に
飛行機の移動中に音楽を楽しみたいので、持ち運びできるステレオを作れるかと
打診します。SONYの技術者は出来ますと答えて開発されたのが
「ウォークマン」です。

「ウォークマン」という機械は、もともと商品として売り出す、
という明確な意志で企画されたものではないというのが真相です。
それは若いエンジニアの遊び心から生まれたもので、
テープレコーダー事業部の商品企画のラインアップにはなかった商品でした。
いわば筋書きになかったわけで、だからこそウォークマン・ストーリーは
面白いのです。

古巣SONYの凄いところは全ての社員にチャンスを与えている所です。
自分が欲しいと思える商品なら好きに開発しろという事です。
技術者たちは自由に研究室においてある機材が使えることです。
ウォークマンこそピントとチャンスが合わさった成功事例です。

生まれ育った環境や、自分の知識の限界や、
参加したプロジェクトの優劣で愚痴を言っても始まりません。
誰にでも舞台は用意されているのですが、それを使いこなすには
あなたのモノの見方、発想の仕方、想像力の組み立て方など
すなわちピントの合わせ方に大きく左右されます。

自由な発想から世界を驚かす商品は生まれます。
データドリブンのコンピューターには出来ないのです。

誰にでも平等に舞台は用意されています。
あなたも舞台の中央に立ってみてください。
そこから見える景色から新たなピントを合わせてみてください。