日本文化の核心




以前から日本文化及び日本人の美意識について関心をもっていました。
音楽プロデューサーとしてヒット曲を量産していく中で、日本人の心の動きが
時代によって変化するものと変化しないものがあることに気がつきました。

70年代日本では歌謡曲と演歌と言うジャンルが支流で、一部の洋楽ファンの
間からは、自分たちが聞きたい日本の音楽が無いと不満が出ていました。
私は72年~74年まで英国にいた強みを活かして、レコード会社に入社後
新しいジャンル「ニューミュージック」という枠組みを提案して採用されました。
楽曲の中に今までと違ったリズム・テンポ・ビートを取り入れたのです。

ヒットの大きな要因は、歌詞の世界は日本風で楽曲は洋楽風という混合です。
一言で言えば「和魂洋才」ということになります。
これはどこの国でもヒット商品を創り出すときに自国の文化と他国の
文化を組み合わせることによって売れる商品になると分かっているからです。
違うものを掛け合わせる「異種交配」と言うべきものです。

私は1949年の生まれです。戦争が終わって5年後に誕生したのです。
教科書の中身は変わったとしても先生方の教え方は戦前の意識のままでした。
よく悪戯をしてビンタをくらい、水一杯のバケツを持って廊下に立たされ、
ひどい時には校庭を100周走ってこいと厳しいスパルタ教育の中で育ちました。

私が特に文字から「日本文化」を学んだのは数多くありますが、
哲学書、仏教書、歴史書(茶道・華道・武芸・国学)などです。
愛読書として丸山眞男、山本七平、小林秀雄、堀田善衛もあります。
こちらは日本文化というよりも日本人の精神論が語られていました。

それらの中でも特に印象に残っているのが明治時代英国から来た御用学者の
バジル・ホール・チェンバレンの「日本事物誌」です。海外から来た
人達が見る日本の日常生活が描かれていました。外から見た日本文化です。
それともう一冊上げるとすれば2011年に入り出版された
松岡正剛氏の「連塾方法日本」です。
日本の面影の源流を解くと題された三冊のシリーズ本です。
これは内側から見た日本です。日本文化の特徴が事細かく書かれています。

生前に松岡正剛氏にお会いして話をしたことがあります。
物静かな学者タイプの印象と身体から沸き起こるマグマのような
印象が強く記憶に残っております。まさに「知の巨人」という表現が
ピッタリの人物でした。

ここに松岡正剛氏の書籍の紹介文がありました。
とても分かりやすいことと基本的な日本文化の核心が書かれています。
記事をそのまま掲載させていただきます。

日本人なのに「日本文化」を知らなさすぎる・・・
松岡正剛が最後に伝えたかった「日本とは何か」
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。
日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているのでしょうか?
昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最後に日本人にどうしても伝えたかった
「日本文化の核心」とは、2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」
をお届けします。

私は「連塾方法日本」三冊を何度も読み、なるほどと感心するばかりでした。

「分かりにくさこそ」日本文化
日本文化はワビとかサビとかばかり言って、どうもむつかしいというふうに
言われてきました。だからわかりやすく説明してほしいとよく頼まれます。
しかし、この要望に応える気持ちはありません。断言しますが、日本文化は
ハイコンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ
真骨頂があるのです。
分かりやすさを求めればいいというものではありません。

空海の書、定家の和歌、道元の禅、世阿弥の能、芭蕉の俳諧、
近松の人形浄瑠璃、宣長の国学、鴎外の小説、劉生の少女像に何か感じる
ものがあるというなら、わかりやすくしようなどと思わないことです。
彼らが放った「間架結構」「有心」「時分の花」「面影」「さび」
「もどき」「古意」「簡浄」「美体」などというコンセプトそのままに、
日本文化を会得していくべきです。

「おもかげ」「うつろい」こそ、ジャパンスタイル。
日本文化の正体は必ずや「変化するもの」にあります。
神や仏にあるわけでも、和歌や国学にあるわけでもありません。
神や仏が、和歌や国学が、常磐津や歌舞伎が、日本画や昭和歌謡が、
セーラー服やアニメが「変化するところ」に、
日本文化の正体があらわれるのです。

それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通してやってくる。
これがジャパンスタイルです。しかし、このことが見えてくるには、
いったんは日本神話や昭和歌謡や劇画などについて目を凝らし、
そこに浸って日本の歴史文化の「変化の境目」に詳しくなる必要があります。

白村江の戦いや承久の乱や日清戦争は、その「変化の境目」がどのような
ものであるかを雄弁に語ります。そこは見逃さない方が良い。
それはアン女王が分からなければピューリタニズムがわからにことや、
スペイン継承戦争が分からなくてはバロックが見えてこないことと同じです。

ところがいつのまにか日本文化というと「わび・さび・フジヤマ・巨人の星・
スーパーマリオ」に寄りかかってしまったのです。それでもかまいませんが、
それなら村田珠光の「心の文」や九鬼周造の「いきの構造」や柳宗悦の
「民芸とは何か」や岡潔の「春宵十話」はどうしても必読です。
せめて山本兼一の「利休にたずねよ」や岩下尚史の「芸者論」や中村昇の
「落語哲学」はちゃんと読んだほうがいい。

日本は一途で多様な文化を作ってきました。しかし、何が一途なのか、
どこが多様なのかを見極める必要があります。
日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎたのです。
これはムリです。安易な日本論ほど日本をミスリードしていきます。

如何だったでしょうか?
私達は以前に比べて海外の人達と関わることが多くなってきました。
そんな時に必ず聞かれる「日本文化」についての回答に適しています。
難しい海外の言葉も携帯翻訳機を使えば問題ないですよ。
先ずは少しでも日本の文化と歴史を知ってから海外の事に興味を持ってください。

今一度、日本は一途で多様な文化を作ってきました。
しかし、何が一途なのか、どこが多様なのかを見極める必要があります。
日本文化の核心に触れることが大切です。
私にとっての日本文化の核心は読書から体験へと移行していきます。
今後も日本文化への興味は尽きることがありません。