日本の美




美とは何か?
美という漢字は羊が大きいと書きます。
その他、善、義、洋、佯、祥にも多くの羊が書かれています。
いかに羊が大切な動物であったかが分かるかと思います。
漢字の中に秘められた語源を探ることも大切です。
漢字成り立ちの真理が分かります。

日本の美とは?
西洋との大きな違いは、西洋は宗教に基づいた内容で華美で装飾的である。
反対に日本は質素で写実的であり素材や影の部分を大切にしてきた。
それを表す言葉として「ワビ・サビ」と「間と余白」がある。
ワビとサビとは何か?間と余白とは何か?
「ワビ」はわびしいこと。思いわずらうこと、悲しみなげくこと
「サビ」は現象としての渋さと、それにまつわる寂しさとの複合美。

「間」は、構成要素によって作り出されるものではなく、
むしろこれらの要素を経験する人間の想像力の中で認知される。
したがって、「間」は間隔を重視して理解される経験的な場所。
「余白」は、「間」の感覚を背景にして、日本美術とともに発展してきた。
これらは、「引き算の美学」とも言え、余白を美しく感じるために、
草花などが描かれているのではないかと思えるほどです。

北斎の浮世絵に見る「余白」とは色を抜き取り、
見る人の想像力を高めるための技法である。
華美な装飾で飾る西洋人に対して日本人は簡素であり枯れている。
勢いでは無く衰退でも無く物静かなのである。
谷崎潤一郎という作家が書いた「陰翳礼讃」という本がある。
日本家屋は影を取り込みながら、それを活かすことに美を感じる。
床の間にさす朝日が、縁側の日差しが、欄間から漏れるあわい光が
住人の心を癒し、四季の移ろいを家屋の中で楽しむようになっている。

70年代後半から「和魂洋才」という言葉が作られた。
その頃の音楽はこの定義に基づいて作られたものが多い。
街中に日本と西洋をミックスした洋服や雑誌で溢れかえっていた。
今でも若い人たちにはまだまだ西洋文化で作られた衣服装飾に憧れる。
素顔と化粧顔と比べたらもっと美を求めてプチ整形が当たり前になった。
本来の美を求めずに流行りの美を身にまとうことで満足している。

しかし年齢を重ねると一時の流行ものに無頓着になる。
着飾るよりも個人の人間性に重点を置くようになる。
中年になり渋み苦味が少し分かるようになると、
甘味一辺倒の若造が口先青く御託を並べても負けることは無い。
人間関係も派手な人と地味な人ではどちらを好むか?
そう見た目ではなく醸し出す人間性に魅力を感じるようになる。

静かな薄明かりの中でオールドジャズを聴く、出来れば片手にブランディーと
もう片手にハバナ産の葉巻があれば最高です。
イサムノグチの薄明かりが竜安寺の石庭が、嵯峨野野宮神社の白砂が、
上賀茂の太田神社のカキツバタに日本の美の原点を見る。
これこそが侘び寂びの象徴に思えてならないのです。
海外の観光客が一番に訪れる場所が日本の美を感じられる場所です。

更に世界最古の美は何かという質問の答えは、
スペインのアルタミラ洞窟に書かれた壁画ですと答える。
紀元前35,000~前11,000年の後期旧石器時代の
壁画や線刻画が残る洞窟群を登録した世界遺産で、特にアルタミラ洞窟は
その芸術性の高さからバチカン宮殿(世界遺産)の礼拝堂になぞらえて
「先史時代のシスティーナ礼拝堂」と称賛されている。

私見であるが「美」は「空間認識」である。自分と対象物の間にある存在を
空間認識という。その空間で美が漂うのである。美は物ではなく空間にある。
脳は錯覚の臓器です。美しき対象物を情報としてとらえたものを
美しいと感じてしまうから、そこに醜悪が混じり込むと戸惑うのです。

たとえば、
美しい女性が通りの向こうから歩いてくる。それを見惚れていたら
突然噛んでいたガムを道路に吐き出した。美から醜悪へと変わる瞬間。
美しい海辺の朝日に見惚れていたら突然戦闘機が横切った。
これも美から醜悪へと変化した瞬間である。
花壇で育てた美しい薔薇の花の上にカラスの糞が落ちた。
美から憎悪と醜悪が入り混じる瞬間です。

脳は錯覚の臓器である。
美しいと認識しているからモナリザの絵は美しいのであって
チョット表情を変えれば意地悪そうな醜悪の部分が見えて来る。
我々が美を認識するのは小学校の授業からである。
美術の時間、に教師から美術の定義を教えてもらい
脳にその内容が刷り込まれる。
自然は美しい、草花も美しい、朝焼けも夕日も綺麗だ、
子イヌやネコはかわいい、牛や馬もかわいいと覚えてしまうのです。

「道の美」
茶道が、華道が美しいと感じるのは無駄のない美しさがあるからです。
茶道「和敬清寂」
和は調和、茶の道をお互いに分かち合い、楽しむことです。
敬は、自らは謙虚に他者を敬い、自然を敬い、先人達を敬うことです。
静は清ともいい、邪念の無い清らかな心や
清められた道具や茶室のことです。
寂は空や無といった、禅の究極の根本思想です。
この和敬静寂こそ茶道の基本的精神であり、
支柱となる心得なのです。

これを茶道の稽古を通じて求めていく修業が茶道です。
さらに、「一期一会」の精神の元、一度かぎりの茶席の
かけがえのなさを大切にすることも問われます。

華道「引き算の美」
四季折々の樹・枝・草・花などを切って花器に挿して、
その美しさや命の尊さを表現し、観賞するものです。
人と同じ命のあるものとして草花を扱い、
その美しさを花器の上で表現するのです。
花を生ける時に命を感じ、心をみつめ、
理想とする美しさを花で表現することが華道の心得です。

元来、仏へ草花を供える供花から始まったものです。
室町時代の東山文化での書院造りの建築の床の間に、
決められた方法に従って飾られるようになりました。

三流の華人は季節の花を取り揃えても使いきれない。
二流の華人は季節の花を全部いけてしまう。
一流の華人は季節の花を抜き取り空間を意識していける。

美は空間認識です。
正しい知識とそれを捉える自分を意識して楽しんでください。