和敬清寂(わけいせいじゃく)




人との距離には正しい距離がある。お付き合いの距離である。
もっとも大切にしなければならないのが礼儀です。
「親しき中にも礼儀あり」という言葉があります。
友愛を示すために、大声で挨拶をして、いきなり抱きついてくる人がいますが、
その場の雰囲気を見て行わなければ礼儀に反します。
斯くいう私の周りの友人も私もハグは大好きです。笑い

諸外国では当たり前のように行われている動作でも、日本では場に合わないことが
あります。大切なことは礼儀を知って礼儀を崩すのは許されるのですが、
礼儀を知らずにくだけてしまうと恥知らずになります。

要するにお付き合いの距離とは、
干渉・依存・無関心。どれもギクシャクの種になります。身近にいる人にはつい
甘えてしまうものですが、お互いにある程度の距離感を保っていくことは必要です。
どうもぶつかりやすいな、という相手とは程よい距離を図りましょう。
しかしあまりに気を使い過ぎて、ぎこちなくなるのは居心地が悪くなります。
距離=気持ちの離れ、ではありません。相手の良さが一番見えやすく、
自分のペースをもっとも維持していきやすい、距離感を見直してみてください。

西洋人は握手とハグの距離感が親しみの礼儀だといいます。
我々東洋人はお辞儀をして頭が当たらない距離感が礼儀です。
中東はいきなりハグをして顔をつけあうのを礼儀としています。
最近ではメールやチャットでX0X0とついているのがあります。
これは「hugs & kiss」を表しています。

そして「和敬清寂」とは

「お茶を点(た)てる主人と、そのお茶をいただく客が互いの心を和(やわ)らげて、
敬い合い、精神だけでなく茶道具や茶室、露地を清浄な状態に保つことで澄み切った
こだわりのない境地に達することができる」という意味。

考えが違う人々が、一緒に生きるためには、お互いに尊敬し合わなければならない。
そうした心は、清らかで静かな心境からしか生まれない。
昔から茶道の精神を言い表した言葉で、禅でもよく取り上げられている。

千利休は、茶道の会合に共する懐石料理として「茶懐石料理」を作り出した。
懐石料理(精進料理)に「和(あ)え物」がある。例えばほうれん草の胡麻和え。
2種類以上の材料を混ぜて、調和のとれた「第3の味」を生み出す調理法だ。
それぞれの食材の個性を活かしつつ、互いの味を引き立て合う。

「人間」で考えれば、それぞれの個性を尊重しつつ、「和」を生み出していく
ことにも通じる。

「和敬清寂」は簡単な文字が並び、よく知られているため、つい軽く考えられがちだ。
しかし、激しい競争社会に生きる私たちにとって、忘れてはならない言葉です。
このマナーができる人を大人(たいじん)といいます。

日本には精神修養の場がたくさんあります。茶道、華道、香道、能、歌舞伎など、
昔から続く伝統的な作法や礼儀が日本人の心を鍛えて来たのです。
鎌倉時代から江戸時代まで「武士としての嗜み」として、心を落ち着かせる
手段として取り入れられました。これらは全て禅と繋がりがあります。
臨済宗禅は仏教の中でも無駄と格式を取り除きシンプルに真理の追求に
こだわったのです。

お稽古事の始まりが幼年期から始まり成人になると諸動作の中に深みと奥行きが
増していきます。歌舞伎では3歳から芸の仕草を教えます。
能では6〜7歳の頃から本格的な修行を始めます。
世阿弥が書いた「風姿花伝」は代表的な教科書です。

流石に茶道、華道、香道の修行には年少では無理ですが、その場にいるだけで
高度な精神性は学ぶことができると思います。

お付き合いの距離には、身体的距離と精神的距離があります。
さらにその人の持つ教養(文化的レベル)の距離が重要になります。
教養は表情から仕草までにじみ出て来ます。

それは大人の嗜みです。
「嗜み」(たしな-み)の意味は、大きく分けて以下の3つです。
1. 好み、趣味。特に、芸事にかんする心得。
2. 心がけ、用意。覚悟。
3. つつしみ。遠慮。
現代においては、「大人の嗜み」「酒の嗜み方」などのように、好んで親しむこと、
何かに打ち込むことや、その心得という意味での用法がよく見られます。
辞書的には上記のように、「芸事にかんする心得」を含んでいますが、実際には単純に、
「趣味・嗜好」の言い換えとして用いられることが多いようです。

「心得があること」(=技能があること、承知しておくこと)と、「好み」は、
必ずしも両立しませんが、「好きこそ物の上手なれ」の格言通り、「好み」と
「心得」を橋渡しする言葉が「嗜み」であると言えるでしょう。

礼儀と教養を押し付けるのではなくさりげなく表現する。
「和敬清寂」の精神でお付き合いを楽しんでいきましょう。