七つの穴(荘子)
あなたは本当の絶望を知っていますか?
何もかもが失われて生きる望みを断たれるほどの苦しみを。
息もできない、声も出せない、逃げ場もなくなるような苦しみ。
目の前の景色ですら色をなくして灰色のモノトーンになってしまう苦しみ。
耳に聞こえる音は自分の呼吸と心臓の音ぐらいになる苦しみ。
現代ならSNSの世界にいっとき逃げ込むことは出来るので最悪の苦しみからは逃れる。
僅か20年前の時代では手紙か電話しか無くて逃げ場を探すのには時間が掛った。
絶望のどん底では正常な意識が保てなくて、考えることすら億劫で無理な状態になる。
見ることもできない、聞くこともできない、臭いも無くて、味もしない世界で
立ち往生してしまう。
いわゆる人間の持つ五感が働かなくて骨もなくなる世界に取り残される感じです。
私の解決方法は宗教と哲学で救いを求めた。各地の寺社仏閣に出向き救いを求めた。
絶望の原因を追求して解決方法を探して回って救われたのです。
そんな中でも時折、芥川龍之介や太宰治、三島由紀夫の小説も読んだ。
いずれも三人は究極の選択で(自死)を選んだ作家である。
フィンセント・ファン・ゴッホ(自死)やサルバトーレ・ダリ(自死)、
エゴン・シーレ(病死)の絵も見た。人間の内面を描いた作品です。
そうすることによって徐々に体内に血が巡り出して五感も少しずつ戻り始めた。
私の短い人生の中でいくつもこのような体験をして来たのです。
突然成功したり、突然失敗したり、突然孤独になったりして来たのは、
これらの体験を人に「伝えよ」という運命に生きているからだと思います。
ブログ「恩学」はその経験が活かされている内容です。
『荘子』の中に「応帝王篇・渾沌」の話があります。
「南と北に儵(しゅく)と忽(こつ)という極めて人間的な二人の神と、その両者の間に
孤高の存在である渾沌(こんとん)という三人の神がいた。
ある時、南北の儵と忽がその間に住んでいる渾沌の地で会った。
すると、そこに居合わせた渾沌は、この二人を大変もてなし、これに喜んだ儵と忽は
渾沌にお礼をすることにした。
そこで二人は、『人はみな、眼に二つ、耳に二つ、鼻に二つ、口に一つ、
合計七つの穴を持っているが、渾沌はこれを持っていない。だからこの穴を開けてやろう』と決めた。
こうして、儵と忽は渾沌に一日に一穴ずつ空けていったが、七日目の最後の
一つを開けた時、渾沌は死んでしまった」という何ともせつないお話です。
仏教では、「眼耳鼻舌」それに付随して身、「見聞覚知」の感覚器官が備わっているからこそ起こる意、
これら六つ(眼耳鼻舌身意)を合わせて「六根」といいます。
先ほどの話にこれを当てはめると、「眼耳鼻舌」を持たない渾沌にこれらを与えたら、
渾沌は死んでしまったということです。つまり、「眼耳鼻舌」を持っていないものが
急に眼耳鼻舌を持つと、生きるに耐えられない程の苦しみや悲しみを背負わなければ
ならないとも言えます。よって、生まれながらに六根を持っている我々人間は、
最初から生きるに耐えられないほどの苦しみや悲しみの元を背負っているということに
なります。しかし、我々は渾沌のようにそれらがあるために死んだりはしません。
生まれたその瞬間から何とかその六根を使いこなし、悲しみや苦しみを背負いながらも
生きているのです。ですから、我々は無意識のうちに「死ぬほどの覚悟」で六根を
もって生まれてきているとも考えられます。では、六根から得られる様々な苦しみとは
いったい何なのでしょうか。それは「憎い・可愛い・惜しい・欲しい」といった
人として決して無くすことができない感情です。
私はこれが「人情」なのだと思っています。しかし、それは苦しみだけではなく、
安楽もあるはずです。ですから、それら全てが人情なのであり、それがあるから我々の
人生に彩りを添えてくれるのです。この物語では、
儵と忽の二人によって「眼耳鼻舌」を付された渾沌は最後に死んでしまいます。
しかし、私は「本当は死んではいない」と思っています。
禅語に「大死一番絶後に甦る」とあるように「徹底的に死に切り、その後しっかりと
甦った」のだと思います。つまり、六根を得たことで人の心の苦しみを知り一度は
絶望し死に切った。しかし、人の苦しみを知ることで他人を思いやる心、すなわち
慈悲心も生まれたのです。そしてその時、自ずと心の底から
「全ての人々が健やかで幸せでありますように」という大慈大悲の願いが湧き上がり、
絶後に甦ったのだと思います。
これにはここまでの物語は書かれていませんが、仏教を信じ出家している者として、
渾沌がそうあってほしいという私の切なる願いでもあります。参考臨黄ネットより
仏教で人生を語るとき「四苦八苦」という言葉が出てきます。
四苦「生・老・病・死」(しょうろうびょうし)
八苦「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」という表現を使います。
私はこの解釈の中で一番辛いと思ったのが「五蘊盛苦」です。
自分の心や、自分の身体すら思い通りにならない苦しみ。
健康で元気なのにやりたいことがやれない苦しみです。
人間の持っている能力「七つの穴」を渾沌は持っていない。
儵と忽は渾沌に良かれと思って毎日一つずつ穴を開けたところ七日目に混沌は
死んでしまった。人間の持つ様々な苦しみを知ってしまったからである。
混沌は不自由だと勝手に思い込んだ儵と忽の善意が仇となって死んだのである。
他人が感じる絶望は本人の苦しみとは違うところに存在しているのです。
お金があれば幸福でお金がなければ不幸、美人に生まれれば幸福で美人でなければ不幸。
実際は不治の病に悩まされ、親が作った借金に苦しめられて、男運が悪く家族にも恵まれ
なくて絶望を抱えているかもしれません。絶望を感じたら自分で基を解決するしか
方法がないのです。
私の拙い文章「恩学」が皆様の人生に少しでもお役に立つと信じています。
皆様も「六根」全てを使い尽くしてより幸せだと思える人生を送ってください。
冬場の寒い季節ですが、お互いの思いやる心で、心を温かくして、
更なる良い年をお迎えください。