超人的人間




私の友人、医師の長岡美妃先生は私の感性に近い。
言葉の選び方が同じ高さにある。
彼女の比喩する言葉がいつも同じポイントを見ていると感じる。
彼女は哲学の勉強会令和哲学の中心人物です

今回のテーマの中でこの二人を例題として持って来たのは見事である。
大人たちはよく知っているニーチェと山中鹿之助である。

ニーチェが好きだ。
彼の発する一言・一言がたまらなく好きだ。「神は死んだ!」「超人たれ!」
「アモール・ファティ」
しかし彼は最期の10年間を狂人として精神病院の中で過ごした・・・
彼は発狂する直前、鞭に打たれる馬の首を抱いて慟哭した。
当時の人々の生きる基準軸であった「神」を殺し新しい基準軸「超人」を
打ち立てたが、人間は環境の鞭によって打たれる脆弱な存在であることを
見抜いていなかった。鞭打たれる馬と人間(ニーチェ自身)が重なった。。。
己の哲学、己が吐いた言葉によって己の神経が焼け焦げてしまった。

そんな話を聞いていた時、私の意識をノックして来た者がいた。
その者は戦国武将の山中鹿之介であった。
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に尼子家再興を
祈願した彼。
「我が身を救いたまえ」と神に祈る姿とは対照的なサムライの姿は、
ニーチェがいう「超人」であった。
超人・・・どんな運命であれ、その現実を直視し自分の運命を主体的
能動的に愛する人。

ニーチェは知らなかった。どうしたら軟弱な人間が超人に変容
することができるのか、を。彼に鹿之介の姿を見せてあげたかった。。。
ではなぜ、サムライは超人になることができたのか?
サムライは体が人間だとは思っていない。己のポジションを全うする
「義」そのものが人間の在り方だと思っている。彼らの脳裏には主語がない。
ポジション全う機能として己を捉えているのだ。

「自分」を握りしめた人間ほど弱いものはない。
「自分」とは宇宙一最弱な存在なのだから。
だから武士道は言う、武士道とは死ぬこととみつけたり。

日本には神武天皇よりの建国の初心がある。それは養正。
「人類を正しい方向に導く(養う)国であろう」だ。
武士道は真剣勝負の鍛錬の中、「自分」という概念を手放した。
しかしそれは日本だからこそ可能だったと言える。だから今、
自然と手放せるようになる心教育nTechが
世界にサムライの心を教えにいこうとする。

西洋のニーチェと日本のサムライが出会う、、、
一元の世界はもうすぐ近くまで来ている。そう感じる。

彼女の知性はnTechから来ている。
私は高額な授業料が払えず断念したが、ノジエスに心酔している
長岡美妃先生には敬意を表している。

時代は今本音で語る時期である。
職業や立場を抜きにして語らなければこの国が消滅してしまう。
国家再興のお手本になる大人がいなくては子供達が可哀想だ。

ここで私は山本七平の言葉を思い出す。
道徳は一国の首相を辞職に追い込むほど強力で、これからみても、
そういった規範は明らかに存在するのですから、それがどういう規範かを教えて
おかなければ、その子供が社会に出てから非常に困ると思います。

従って“現実社会には、こういう規範があります”という事実は、
一つの知識乃至は常識として、系統的に教えておく義務が教師にはあるでしょう。
そうでなければ子供がかわいそうです。」

そこでしめられていた言葉が「日本の道徳は差別の道徳であるという、
現実の説明からはじめられればよいと思います」。
これは有名な「空気の研究」の冒頭に書かれていた言葉です。
きれいごとの建前の道徳ではなく、本音の道徳を教えなければ世相の空気に
流されてしまう恐れがあるという事です。

自民党の裏金問題も悪いことだと分かっていても、先輩議員も同僚議員も
みんなやっているから断るわけにはいかなかったと、その場の空気に
押し流されて集団犯罪が行われてきたのです。
その悪の集団自民党に投票する人がまだ大勢いることに失望を感じる。

我々の周りでも似たようなケースが多々あります。
社会生活の様々な場面で威圧的で理論武装した上司には逆らえずに
理不尽な指示も受け入れてしまい鬱になった同僚。
簡単な友達付き合いでもリーダー格の人間から勝手に予定を組まれて
行きたくもない食事会へ行く羽目になる人。
飲めないお酒を無理やりに飲まされて急性アルコール中毒で病院へ運ばれる学生。
歌が苦手なのにカラオケをする羽目になる女子社員。

私は社会生活だから大人だから我慢するのだと言う周りの意見に反発した。
毎回そのような席を蹴ってその場から出ていった。
しかし首にはならなかった。仕事を二倍していたからです。

再度、この言葉を伝えます。
従って“現実社会には、こういう規範があります”という事実は、
一つの知識乃至は常識として、系統的に教えておく義務が教師にはあるでしょう。
そうでなければ子供がかわいそうです。」
そこでしめられていた言葉が「日本の道徳は差別の道徳であるという、
現実の説明からはじめられればよいと思います」。
これは有名な「空気の研究」の冒頭に書かれていた言葉です。

本音で語り合う時期です。
日本の現状を杞憂している愛国の士を集めて話し合う場を設けました。
対話集会「老人と孫」です。孫世代の子供を交えて真剣に話し合う場です。
まだ個人的な悩みが中心に会が進められていますが、来年度からは
政治的・経済的な問題から国際情勢まで議題に取り入れていこうと思います。

対話集会は無料です。皆様の参加をお待ちしています。
魂に火をつける機会を手に入れてください。


時雨の記




「時雨の記」
中里恒子(なかざと・つねこ)

なぜかこの歳になって再読している小説がある。
中里恒子の「時雨の記」である。
妙にリアルで艶かしい文章が秋の訪れとともに読みたくなった。

20年前に親類の葬式の時にであった女性に再会をする。
年甲斐もなくそこで昔感じたときめきを思い出す。
孤独な実業家の壬生は再会した翌日に多江の家に訪れる。
そこから始まる男と女の生活に肉体関係はなくプラトニックだけである。

私は日本語の風情と言う言葉に惹かれる。
恋愛小説なのだが前編に風情が溢れている。
西洋の芸術には風情が無く技量だけのものが多い。
東洋の芸術は技量もさることながら感情の風が吹かなければ評価が低い。

抽象的な表現だから読者の感想文を断りもなく掲載する。
書籍の読者感想と言う欄に掲載されていたので問題ないかと思います。

この小説の文体はとても古風。だから、わたしは最初この本のページを見た時に
「最後まで読み進められるかな?」と不安でした。しかし、それは杞憂でした。
この小説に登場する壬生が多江に対して抱いている、「だが……僕はやうやく
今になって、ほんとに生きてゐる氣がするんだ」という感情の烈しさに、
読み手であるわたしも心を掴まれたからです。そう。恋をすると、
全てが一新されますよね。それまでの人生がモノクロであったかのように。
世界が一気に極彩色になります。思い浮かぶのは相手のことばかり。

50代の実業家・壬生が出会ったのは20年前に見かけた多江はその後寡婦となり、
独りでひっそり暮らしている。会った翌日には家へ押しかける壬生の積極性は
男らしさも感じる。「俺には他に行く所も無い」と家庭では味わえない穏やかさを
多江との時間に求めている。しかし2人は燃え上がる訳でも無く、
ひっそり穏やかに愛を育んでいく。
その様子が抑制の効いた言葉で繰り広げられていく。壬生が逝った後も、
遺した家の図面を心に描いて、多江は寂しさを感じるだろうが、
孤独とは感じないのだろうと思った。誰かに必要とされる多江は幸せだと思う。

「僕が欲しいのは、金でも地位でもない、精神的な充足」と述べる妻子ある男。
息子に愛想をつかされるほど性格に難がある妻。その妻から逃げるように、
心のオアシスを見つける。それは恋愛に発展。異性間で恋慕の無い、
友情のだけの関係はあるかとの仕様もない議論があるが、そんなもの
ある訳ないではないか。この男性は、家族に迷惑をかけることなく結末を迎え、
後味は悪くない

ありきたりな婚外恋愛の物語なのに惹きつけられるのは
その抒情性ゆえにだけだろうか。
友人に対する男の独白の形で始まったのに、いつの間にかそこに女の声が加わり、
両者を隔てるのは敬体と常体の差だけで、その不分明なのは女の襟足の後れ毛の
茫洋としているのに似て、もはや個と個の別さえも消失しているかのようだ。
恋は時雨のようにさっと通りすぎて、気がついたときにはすでに思い人は
もはやそこにいないにもかかわらず、衿についた雨の露のように、いつまでも、
思いつづける人の心のなかに生きつづけるものであるのかもしれない。

お分かりになるだろうか?
谷崎潤一郎の「陰影礼賛」にも通ずる影を愛する国民なのである。
出会ってすぐに抱きしめて接吻などしない国民なのである。
山本常朝の「葉隠」忍ぶ恋にあるように、思いを寄せる人には
柱の陰から見守るようにして眺めるだけなのである。

何故年を取ると恋をしなくなるのだろうか?
川田順は明治時代の実業家で歌人としても活躍していました。

住友本社の常務理事という地位にありながらも、歌道に情熱を注いでいました。
60代半ばという年齢で、20歳以上年下の女性、鈴鹿俊子と恋に落ちます。
俊子は京大教授・中川与之助の妻で、川田は俊子を歌の弟子として指導したのが
出会いでした。川田は俊子への深い愛情を歌に託し、
俊子もそれに応える歌を詠みます。二人の熱い恋の歌は、
周囲の人々に驚きと賛否両論を巻き起こしました。

「老いらくの恋」という言葉は、年老いてからの恋愛、
特に世間一般の常識とは外れた恋愛というイメージが強く、
不倫などのニュアンスで使われることが多いです。
「老いらくの恋」に陥りやすい人には、パートナーに先立たれて
精神的に寂しい人、若い頃の恋愛経験が少ない人、地位や財産がある人などが
挙げられます。
「老いらくの恋」の体験談には、家族からの反対にあったり、
経済的な問題を抱えたり、健康面で不安を抱えたりなど、
様々な困難が付き纏うケースが多いようです。

しかし、一方で、晩年になって新たな恋を見つけ、
人生の後半を充実させている人も多くいます。「老いらくの恋」は、
人それぞれに異なる経験や価値観を持つため、
一概に良いか悪いか判断することはできません。
大切なのは、自分にとっての「幸せ」をしっかりと見定め、
後悔のない選択をすることです。

一休宗純(一休さん)
一休の生きた時代は応仁の乱などが起こった戦乱の時代でした。
あわせて15世紀は干ばつや冷夏、台風など異常気象が起こり、
飢饉や疫病も発生し、人々は苦しみの中にありました。
さらにその混乱の中、仏教は形骸化して僧侶の多くは堕落していました。
そのような時代の中、一休は寺を出て各地を行脚しながら自由人として
88歳まで生きました。一休は説法を行うとともに歌を詠んだり
画を描いたりしながら、奇妙な言動も重ねるような「風狂」の生活を送りました。

また一休は、仏教の戒律はことごとく破り、飲酒や男色、女犯も公然と
行っていました。晩年は盲目の女性「森女(しんじょ)」と生活を共にしました。
一休の生涯は弟子たちが一休の活動をまとめた『一休和尚年譜』で詳しく
知ることができます。

一休が亡くなる間際に、どうしても困ったときに開けないさい、
と弟子たちに残した手紙には「大丈夫だ、心配するな。なんとかなる。」
と書かれていたとされます。また、臨終の最後の言葉は森女のひざで
「死にとうない」だったとされています。
どちらも真偽のほどはわからない逸話ですが、
一休の人柄や生き方を伝えるものだといえます。

私の仕事は音楽プロデューサーです。
若者たちの出会いは沢山あるのですが恋愛の対象にはなりません。
高齢者の会へも一般の人よりかは出席しています。
いつの頃からか先生と言われるようになって「恋愛」の文字が消えました。
しかし作詞を頼まれたときには架空の恋は書くことができます。
その為に恋愛映画を見たり、新作の恋愛小説は読んでいます。
若い人から恋愛の相談も受けることがあるのでそれも参考になります。

壬生のような環境では多江のような女性を探し求めるのは仕方ないことです。
私がこの小説で一番気に入ったのが茶の嗜みがある多江の道具を見て
壬生が贋作に近い道具は持つべきでないと勝手に選別した部分です。

毛氈の上に出してある茶碗や、香合や、茶入れをひと通り見て、
二つ三つ脇へどけました。「こんなもの捨ててしまいなさい」「どうして」
「あなたが持っているにはふさわしくない、高いの安いの、という事では
ありませんよ、僕がいやなんだ」

高倉健と倍賞美津子の映画の中のワンシーンのようで目に浮かびます。
日本人男女の心の姿がそこに有ります。
初冬の夜長に勝手に妄想をしている老いぼれ爺です。


惨業から産業




悲惨(Misery)なことも経験して太陽(Sun)のような大成功も経験して
初めて一流の人物になる。

「倒産、破産、離散」の三つを経験した人を惨(さん)業人と呼びます。
倒産は債権者にも家族にも取引先にも迷惑をかけます。
破産は全ての人間関係が崩れてしまいます。
離散は愛する家族と離れ離れになる事です。

取引先、債権者、銀行、税務署から追い込みがかかり、
そのうえ世間から叩かれて・叩かれて絶望の淵にたどり着いて、
初めて一流の経営者になれるのです。
「鋼は叩かれて名刀になる」恩学より

艱難辛苦とは、非常な困難に遭ってしまい苦しみ悩むという意味のこと。
艱難辛苦の語源由来には、艱難は艱と難の両方に苦しみや悩みなどといった
意味があり、辛苦にはつらく苦しいことという意味がある。
悩みや苦しみといった言葉を並べていることで、より辛さや困難が
強調された四字熟語である。艱難辛苦を英語で表現すると hardship となる。

人間というのは、困難に直面して、苦しみ悩みながら克服していくことで、
立派な人間になっていくということを意味する。
芥川龍之介の侏儒の言葉では、「艱難汝を玉にすということならば、
日常生活に思慮深い男性というのは、到底玉になることはできない」
とされている。

フランスのことわざである「Vent au visage rend l’homme sage.」
という意訳すれば逆境は人を強くするというような意味になる言葉が
由来となる。13世紀の『薔薇物語』に、逆境のときに真の友人が見つかるため、
逆境は繁栄よりも有益であるというような場面がある。
そして繁栄は人々を無知のままに放置するが、逆境は知恵を与える
というような言葉が見られる。

1557年のラモン・リュイの『諺と金言ならびにその解釈』に
逆風は人を賢くするということわざが収録されている。
ここでの解説では、誰かが逆風を受けている場合には、
何らかの理由で人々に疎んじられて寵愛や愛情を失っているということである。
しかし、このことによってその人は賢くなり慎重になるので、
以後は前よりも一層自分を抑制して制御できるようになるため、
結果として疎んじてきた人々の元に戻ることが
できるようになるとしている。

あらゆる困難を克服して一流の企業人となった
「電力の鬼」松永安左エ門の人間的魅力に迫る。

松永氏は常々に「倒産、投獄、闘病」の三つの経験がなければ
一流の経営者にはなれ無いと公の場で発言をしていた。

卒業間際、安左エ門は福沢諭吉(慶應義塾創設者)に相談した。
学校もなにやらつまらぬ、学校を辞めて実業の世界に入りたいのだがと。
福沢の答えはあっさりしたもので卒業などというのは意味のあるものでない、
そう考えるのなら、それもよかろう。そして福沢が紹介したのは三越呉服店
(後の三越)の朝吹英二専務だった。しかし、それを謝絶し、福沢桃助の斡旋で
日本銀行に入る。総裁秘書役という役職だ。自前で作ったモーニングを
着用し、出仕してみたものの、秘書役の仕事は回ってこない。

日銀務めに飽き飽きしていた安左エ門には渡りに船だった。
こうして安左エ門は神戸支店に赴任する。桃助は意欲的な男で
丸三商会は北海道の木材を北米向けに輸出する仕事を手がけたほか、
もうかりそうなものなら何でも扱った。しかし、そこは素人商売だ。
新興商社はあえなく倒産する。それでも桃助は意気盛んで、
岳父福沢諭吉から借金して、神戸に「ゼネラルブローカー福松商会」を設立。

今度ばかりは会社を潰すわけにはいかぬ。神戸を拠点におくこの会社で
安左エ門は馬車馬のごとく働く。神戸時代に多くの友人を得ている。
生涯の親友ともライバルともいう小林一三(阪急グループの創業者)
との邂逅も、この時代のことであった。危ない仕事もやった。
大量の石炭を買い占め、巨額の利益を上げたこともある。
まあ、事業というよりも、この時代の安左エ門は、その社名が示すように
ブローカーだったのである。

その矢先のこと、安左エ門は市議会議員に対する贈賄容疑で逮捕される。
市電路線認可の斡旋を見返りに株を渡したという容疑だ。
明治のリクルート事件というわけだ。事態を憂慮した桃助が動き、
安左エ門は保釈されるが、この留置所暮らしを「自分にはよい勉強になった、
麦飯も美味かった」と豪気に語っている。しかし、堪えたことは確かだ。

安左エ門は盟友小林一三と同様に文人としての顔を持つ。慶應時代に
学究を志した安左エ門であるが、安左エ門はサミュエル・ウルマンや 
アーノルド・トインビーの翻訳者としても知られる。
ウルマンの詩の一節に「年を重ねるだけでは老いではないが、
理想を失うときに初めて老いが来る」という言葉がある。
柳瀬山荘に隠棲して、不遇をかこっているとき、安左エ門は自らの
人生に重ね、この詩を翻訳していたのであろうか。

そう考えると安左エ門のもうひとつの素顔が浮かび上がる。
安左エ門は有名な茶人でもあった。
柳瀬山荘に設えた茶道具は国宝級であった。
その一部は国立博物館に残されている。

昭和47年6月に安左エ門は逝く。享年97歳であった。
受勲を謝絶し、葬儀を行うことも遺言で止めさせ、法名もない。
世俗にまみれながらも、世俗に染まらず、福沢諭吉から薫陶を受けた
自由主義の道をひたすら歩み、
死ぬまで現役を通した。電力中央研究所は安左エ門の偉業を称え、
『松永安左エ門の思い出』を刊行している。

現在の経営者にこのような人物は見当たらない。
渋沢栄一や松下幸之助・盛田昭雄・豊田喜一郎のような
不世出の財界人は日本の経済界から消えたのである。
経済界も政治家も世襲制度で2世・3世の時代である。
苦労を知らない人間は一流の人物にはならない。
松永安左エ門の「倒産・投獄・闘病」の気概を学ぶべきである。

私の大好きな武士山中鹿之助の言葉に「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
というのがあります。最悪の状況の中でまだ困難を与えてくれと自己を発奮させて
最後の戦いに臨む姿に感動を覚えます。

困難から逃げると困難がずっと付きまといます。
敢えて困難に立ち向かう勇気が必要です。
そのように考えれば人生も捨てたものでは無いですね。


今日できることは




こうなると分かっていたらもっと身近な人に愛しているよと伝えていたのに!
こうなると分かっていたら父や母にもっと好きな場所へ連れて行ってあげたのに!
こうなると分かっていたら子供達にもっと美味しいものを食べさせていたのに!

突然の大地震で家族や友達・恋人まで失った人たちが異口同音に
こうなると分かっていたらと叫んでいた。
私たちは奇跡の毎日を送っている。明日また生きている保証はない。
明日の朝に目覚め無いかもしれ無い。そんな中で毎日を過ごしている。
こうなる前に後悔しない人生を送りましょう。

さだまさし
テレビのロケで被災地に入った。路地に車と船が折り重なり、
臭いと、ほこりと、空気感と、人々の絶望感……。「原子爆弾が落ちて
数カ月後の長崎の人も、こんな顔をしていたのかな」と思った。
避難所となった寺院の境内で小一時間ほど歌った。関白宣言、無縁坂、
雨やどり、秋桜(コスモス)。関白失脚が思いのほか受けた。
子どもは、笑いながら「がんばれがんばれ」と歌うし、しばらくすると、
大人もつられて、泣きながら「がんばれがんばれ」とついてくる。
 「こんなに喜んでくれるんだ」。歌い終わり、わき上がる拍手を聞きながら、
不思議な気分でいた。

歌手になってからずっと「平仮名の『さだまさし』は虚像」と思い続けてきた。
なんで「さだまさし」になったのか。だれのためか。自分のためか。
人のためか。お金のためか。
その「さだまさし」が東北で歌うと、目の前の観客が身体を震わせ、
涙を流し、「死」を咀嚼(そしゃく)し、「生」への希望を取り戻す。
(さだまさし気仙沼コンサートのスピーチより)

今日できることは今日しっかりと生きたかが大切です。

「2040年の世界が問うもの」なぜあの時に何もしなかったの?
イスラエルによるジェノサイドはパレスチナ人を殺している
イスラエルによるジェノサイドは人類を殺している
あの時あなたは何をしていたの?
2040年にいる小さな子どもたちがおじいちゃんにお母さんに聞いている。
「みんなは何故これを知っていて何もしなかったの?」
1分15秒の短い映像ですとテレビから流れた。

トルコのエルドアン大統領が2024年10月7日、「丸1年イスラエルの
虐殺戦争の惨禍にあるパレスチナと共にあることを示すもの」として
公開し、世界中に拡散され、英語化されて、
日本でも #報道1930 11/1放送回で取り上げられた動画。

環境問題も同じ様に子供達から問われたら大人はどう返事するのか?
森林伐採、動物駆除、二酸化炭素、北極海の氷の消滅、オゾン層拡大など
直近に迫る脅威に見て見ぬ振りをする各国のリーダー達。

アメリカ・ニューヨークの国連本部で2019年9月23日に開かれた
「気候行動サミット」に、地球温暖化対策を訴えているスウェーデンの16歳、
グレタ・トゥンベリさんが出席し、各国の首脳らを前に怒りで声を震わせながら、
演説しました。
トゥーンベリさんは、約60カ国の首脳や閣僚を前に、「あなた方は、
私の夢や私の子供時代を、空っぽな言葉で奪った」と激しい口調で語った。

大人のその場しのぎの言い訳など子供達は聞きたくないのである。
どの国も環境問題には真剣に取り組んでいない。
今も地球が壊れているのに、その現状から目をそらしている。
化学や経済よりも大切な自然保護をないがしろにしている。

平和活動もそうである。各国真剣に停戦の動きが見られない。
毎日悲惨な現場を報道するメディアは何が目的なのかわからない。
便宜上共同通信が提供した映像を流しているだけで野次馬である。

各局同じ映像が流れるのは自分達で取材する予算がないからである。
時折、現地特配員からとか報道カメラマンからとか真実味を出す為に
演出が加えられる。要するにテレビ局も売り上げを上げなければ
番組を維持でき無いので営業ネタとして報道するだけである。

昔は平和のためのストライキ、平和のデモ行進、平和のために僧侶の
断食など、訴える人が多かったのに今は殆ど無くなってしまった。
それは行われてもメディアが報道し無いから、何も行われていないかの
様な間違った意識を国民に植え付けるからである。

20世紀最大の哲学者マルティン・ハイデガーに学ぶ「限りある時間の使い方」
「存在とは何か」。ハイデガーが唱える死の先駆的覚悟とは。「死を自覚したときに、
はじめて人間は本来の人生を生きることができる」に焦点をあて、
私たちに本来的な生き方とは何かを問います。死を意識してはじめて、
後悔しない生き方が見えてくる。
ハイデガーの教えは、ただなんとなく浪費してしまっている日々に気付きを
与えてくれます。

人生を振り返ると、誰しも「あの時こうしておけばよかった……」
「なんであれをやらなかったんだろう?」と後悔する事柄があるものです。
特に、老後を迎えた高齢者にとって、その思いは、より深いのかもしれません。
高齢者が感じる人生全般に関する後悔の項目のなかで、上位の5つを以下に挙げます。

・1位:「学び」……もっと学べばよかった「57.1%」
・2位:「貯蓄」……もっと貯蓄を行えばよかった「54.2%」
・3位:「運動」……もっと運動をしておけばよかった「43.6%」
・4位:「家族との時間」 ……もっと家族との時間を大切にすればよかった「38.3%」
・5位:「生活習慣」……もっと生活習慣を見直せばよかった 「38.1%」

人生全般に関する後悔について、年齢別にみると、1位の「学び」、2位の「貯蓄」
においては、60代のうち約6割の人が後悔していると回答しています。
年齢が高くなるにつれて徐々にその割合は減少しますが、90歳以上においても
約5割を占めています。
3位の「運動」に関しては60代の5割の人が後悔していますが、
高齢になればなるほど割合は低くなっています。

今日できることは少しでも行動に移すことである。
年齢に関係なく、他人を意識することなく、自分の思いを貫くのです。
私も今日一日やり残すことの無いように過ごしたいと思います。


求感性とは




2024年11月9日(土)ロックサロン「うた」ライブ
今月のテーマは「人間」。抽象的概念から語る人間とは!
恵比寿Voices開場17時30分開演18時00分終演(未定)
終演はロックサロントークを楽しみにしているお客様次第です。

1月ブッダ2月生命3月芸術4月化学5月こども6月音楽
7月自然8月愛9月未来10月和そして11月は「人間」

伊丹谷良介の考える人間とは!彼の深い洞察力で全てを語ります。
人間とは身体的、精神的、社会的に統合された存在である。
定義としては公平・公正・正義、勇気・忍耐・努力・親切を兼ね備えた
動物の総称である。

「自然と人間」では環境問題を取り上げた「アニマルSDGs」の
あとがきから「クイズ文化の日本社会」を取り上げて、
日本には「考える基盤がない」と嘆きます。

「化学と人間」では人間にとっての化学とは何か?
原爆とアインシュタインの真実。歌声合成ソフトのボーカロイドの弊害。

「芸術と人間」では日本理化学工業という文具メーカーの話から
人間の可能性を追求する。障碍者雇用から学ぶこととは。
「芸術は長く人生は短い」良い芸術は永遠に残る。

「楽曲と人間」では25年間歌い続けた中国曲「我爱你」。
絶対売れないと言われた曲が中国で記録的な大ヒットになる。

「愛と人間」では「不完全な人間を許す」人間と人間を結びつける力。
「心と人間」では「和」から「求感性」を提示して、自分の本当に
納得させてくれるものを求める力が必要だと力説した。

そして今月のラストの曲は新曲「人間」でした。
「人間とは」様々な角度から本質を探る。
ロックシンガーとして飾りを捨てて本音を晒した。
洗いざらしの心をメロディーに乗せてソウルフルに謳いあげ、
ストレートな歌詞を見事に歌い切った。

今月も初めてロックサロンへ足を踏み入れたお客様で溢れ返った。
今までに見たことも無い右脳と左脳の交錯する世界。
楽曲ごとのナレーションと音楽の組み合わせに圧倒された中で、
お客様として来たアーティスト達の飛び入り演奏も含めて
異口同音に予想外の展開に大変満足しましたと感想を述べていた。

ライブパフォーマンス終了後はロックサロン恒例のトークタイム。
伊丹谷良介と稲葉Pのトークから始まり、その場にいるお客様を呼び出し
毎月のテーマに沿った話をしていただく。各界の著名人が登場するので
みなさま大喜びです。

日本で初めての対話型ライブに夜遅くまで帰る人がいなかった。
来月12月の「創造」を成功させて一年を締めくくりたい。
そして2025年は伊丹谷良介が更なる飛躍をする年にしたいと思います。
乞うご期待です。楽しみにお待ちください。

当日のサロントークで話した内容を振り返ります。
人間で思い浮かぶ言葉が「人間万事塞翁が馬」です。
不幸のあとには幸福がやって来る、そしてまた不幸がやって来る。
だからその都度一喜一憂するなよ。
不幸な時には不幸なままで過ごしなさい。
幸運が舞い込んだ時には有頂天にならずに冷静に過ごしなさいということです。

文学の中では「人間失格」というのもあります。
太宰治という人の作品です。
三度の心中を試みるのですが失敗して自分だけ生き残ります。
「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から
男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない
過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも、男が不在になると、
彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて
(中略)神様みたいないい子でした」と。
ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う、太宰治、捨て身の問題作。

江戸川乱歩の「人間椅子」
ある日、腕利きの椅子職人でありながら醜い容貌から蔑(ないがし)ろにされ、
貧困の底で喘いでいた「私」に悪魔が囁いた。
「外人専用のホテルへ納める椅子の中に入り、盗みを働いたらどうか」。
すぐさま椅子を解体し、中に居住スペースを作成。そして納品される椅子。
「私」は夜々椅子から這い出てホテルを徘徊し、窃盗を重ねる。
さすが日本を代表する推理作家です。

吉田拓郎「人間なんて」は彼の代表作です。
吉田拓郎のサードアルバム。タイトル曲は、1971年夏に開催された
第3回全日本フォークジャンボリーにおいて、PAトラブルでマイクが
使えない中、出演者/観客一体となって生音・生声で延々と歌った
という伝説を持つ。私もこの現場に客として参加していました。
10年後、YAMAHA「つま恋」で一万人規模の「吉田拓郎コンサート」には
スタッフとして又関係者として吉田拓郎の側にいました。

相田みつをさんの「人間だもの」という有名な言葉があります。
「つまづいたっていいじゃないかにんげんだもの」
著者の今井久喜さんとは長年の友人です。
彼はいつも身をもってつまずいています・・・・?大笑い!

動物かんきょう会議のイアンさんは、人間の目で環境を見るのでは無く、
動物の目で環境を見ようということで活動されています。
著書「アニマルSDGs」は27年間の活動が集約された素晴らしい本です。
私も新しい教育スタイルEMIのプログラムを完成させたいと思います。
来年、国連大学内で授業が行われるように提案していきます。

私は子供の頃から人間の正体を探していました。
生まれ落ちたところで価値が決まるのなら努力は何のためにするのか?
肉体があって精神があって生きる気力があれば人間として認められるのか?
社会の中で一個人として役立つことができれば
価値ある人間になれるのだろうか?

今月のうたライブのテーマ「人間」は様々な思索の旅の入口になったと思います。
私は誰ですか?あなたは誰ですか?あの人は誰ですかと考えることが
人間を知ることになると思います。
みなさまも改めて人間を考えてみては如何でしょうか?


日本人の教養




私達の、この国日本は、江戸時代から明治にかけて
教育熱心な人物が多数排出されています。
熊沢蕃山、横井小楠、吉田松陰、山本常朝、福沢諭吉、新渡戸稲造、
岡倉天心、内村鑑三など枚挙にいとまないほどです。

その中でも商人から私学塾を開いた石田梅岩には頭が下がります。

商売人の心得から田舎から出てきた人の悩み事を解決する
「都鄙問答」という素晴らしい本を書いています。

梅岩は農家の次男坊だったために、京都の呉服商に約20年間奉公しました。
梅岩は正式な学問を収めたわけではありませんが、奉公の経験と市井の隠者
小栗了雲との出会いから思想を深めていったのです。

石門心学とは江戸時代に石田梅岩(1685年~1744年)が
開いた庶民の為の生活哲学です。
梅岩は、儒教・仏教・神道に基づいた道徳を、独自の形で、
そして町人にもわかりやすく日常に実践できる形で溶きました。
その為に、「町人の哲学」とも呼ばれています。

梅岩は享保14年に、京都の御池上る東側の自宅で講義を始めました。
そこで彼は一切聴講料をとらず、また紹介者も必要としないだれでも
自由に聴講できるスタイルを取りました。
初めのうちは聴衆も数人という状況でしたが、出張講釈などを続けることで
次第に評判は高まっていきました。

梅岩が独自の学問・思想を創造したのも商人の精神的苦境を救うためでした。
士農工商という現実社会の秩序を肯定し、それを人間の上下ではなく
単なる職業区分ととらえるなど、儒教思想を取り込むのような形で
庶民に説いていました。倹約や正直、堪忍といった主な梅岩の教えも、
それまでの儒教倫理を基本としたものでした。

梅岩の学問は、おおむね独学ですが四書五経や仏教・神道書など
幅広く学んだようです。呉服屋の番頭をやりながら人付き合いもほとんどなく
勉強に明け暮れたようです。

そしてもう一人紹介する武士の大志願を訴えた横井小楠です。
文化6年(1809年)8月13日、肥後国(現在の熊本県)
熊本城下の内坪井町に、家禄150石の熊本藩士、横井時直の次男として
誕生しました。本姓は平氏で、北条時行の子孫を称していたと言われています。

横井小楠は鎖国体制・幕藩体制を批判し、それに代わる新しい国家と社会の
構想を、公共と交易の立場から模索しました。この公共性・公共圏を
実現するために、「講習討論」「朋友講学」といった身分階層を超えた討議を、
政治運営のもっとも重要な行動として重視しています。

横井小楠は、この実現のために、幕府や藩を統一した国家の必要性を説きます。
彼の体系的な国家論の文章として、「国是三論」があります。
また、学問と政治の関連を論じた「学校問答集」、ペリーやプチャーチンへの
対応についての意見書である。

明治維新の立役者坂本龍馬と横井小楠の初めての出会いは、「春嶽手記」に
松平春嶽の書いた紹介状を持って、坂本龍馬が小楠に面会をしたとのことです。
坂本龍馬は勝海舟を訪れて世界情勢を詳しく聞かされて感動し
弟子になったと言われています。

時代を動かした二人の武士は学問にたけて
教育者に相当する影響力を持っていました。
憂国の士が国を変えなければ日本が滅ぶことを懸念していたのです。

しかし横井小楠は61歳の時に暴徒の誤解によって暗殺されてしまいます。
坂本龍馬も33歳の時に京都の近江屋で暗殺されてしまいました。

令和6年11月1日に思うことは、
何故、日本から今の時代に素晴らしい教育者及びリーダーが生まれて来ないのか。
混沌とした世界情勢を乗り越えるだけの気力と建国の志をもった
不屈な教育者とリーダーが必要である。
国内だけでなく世界中が日本の強いリーダーを求めてやまない。

私の推薦書(日本人の英知)
武士の心得を書いた「葉隠」山本常朝
藩政の建直しを書いた「日暮硯」恩田木工
人としての修養書「言志四録」佐藤一斎
15歳の決心・26歳の時に斬首「啓発録」橋本佐内
世界へ日本人の精神を英語で紹介した「武士道」新渡戸稲造
世界へお茶の世界を英語で紹介した「茶の本」岡倉天心
世界へ禅の基本的な心得を英語で紹介した「禅による生活」鈴木大拙
五人の教育者を紹介した「代表的日本人」内村鑑三

若者が20代までに読んで欲しい本です。
私にはこのような本を推薦してくれる人が居ませんでした。
二度目の人生最大の山場を迎いれたときに(60歳)で読み漁った本です。

サムエル・ウルマンの詩「青春」に書かれている一説です。
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」

良書に親しむことは尊敬する師を迎い入れると同じです。
日本人の教養から日本を学びましょう。


完璧主義からの脱却




日本人は、「自分1人で頑張らなければならない」「弱みを見せてはいけない」
という考えに縛られがちだ。日本では失敗が許されない空気が流れている。
だからこそ、記者の質問のように「恥をかくのではないか」と常に心配し、
その記者自身も質問に失敗して、SNSという世間から許してもらえない。

この完璧主義的で重苦しい空気が、社会全体の停滞を
招いているのではないだろうか。
日本にはアメリカのGAFAのような新興企業が生まれていない。
優秀で勤勉な日本人が多くいるにもかかわらず、アメリカのGAFAのような
新興企業が生まれてこないのも、失敗を恐れてリスクを取れない
社会の風潮が一因だ。どれだけ「貯蓄から投資へ」とお金が回っても、
新たな挑戦をする人がいなければ、イノベーションは起こらない。

「凸と凹の噛み合い」
この「失敗を許さない空気」は、個人の生き方や働き方にも
深刻な影響を及ぼしている。ビジネスパーソンは、英語は話せないといけないし、
エクセルやチャットGPTも使いこなせないといけない。
プレゼンやコミュニケーション能力の向上が求められる。
しかし、小泉進次郎が語ったように、足りないところを補い合うことができれば、
もっと気楽に仕事ができるだろう。

社会学者の宮台真司氏も「凸と凹の噛み合い」の重要性を説いている。
英語ができなくても英語ができる人を頼り、体力がなければ体力のある人を頼る。
すべてを1人で完璧にこなそうとするのはコストが高すぎる。
だからこそ、お互いの得意な部分を活かし合うことで、集団全体の生産性を
高めるのが賢い生存戦略だ。感覚的な話ではなく、数理的に考えて
あたりまえの話なのだ。

アップルを創業したスティーブ・ジョブズも、
「人に助けを求めることが成功の基盤だ」と語っている。

最近、金融経済教育に力を入れる学校が増えている。
その際には「今日は、お金よりも仲間のほうが大事なことを証明します」
と語りかけている。
これは道徳の話ではない。お金という道具の意味を理解すれば
当たり前の話なのだ。

お金が存在しなかった時代、人々は村の中で協力し合いながら生活していた。
お金が発明されると、村の人に直接頼らずとも、支払いによって
必要なものを手に入れられるようになった。
しかし、それはお金が物に変わるということではない。お金を支払うことで、
まったく知らない人の協力を得られるようになったのだ。
お金とは、協力し合う仲間を増やすためのシステムなのだ。

では、「仲間を増やすためには、お金を増やせばいいじゃないか」
と思うかもしれないが、これはまったく反対だ。
「お金を増やしたい」という目標を掲げても、誰もあなたに
協力しようなんて思わない。あなたがお金を増やすことは
他の人にとってまったくどうでもいいことだからだ。

協力してくれる人がいないから孤立かがすすみ、
自分1人でいろいろ頑張らなきゃいけないと考えるようになる。
さらに、頼るものはお金しかないから、お金を増やすことを考えて
協力者が現れないという悪循環に陥っていく。

それよりも、人を楽しませるとかみんなの不便を解決するとか、
他の人の幸せが含まれる目標を見つければ、仲間はたくさん増えて、
いろいろなことが実現しやすくなると学生向けに話している。
社会全体では、そもそもお金を増やすことができない。

最近、利上げが行われて、金利によって全体のお金が増えると
信じている人もいるのだが、そこには大きな誤解がある。
拙著『きみのお金は誰のため』では、お金と社会の仕組みを説明しているが、
お金を奪い合うことよりも、未来を共有することの重要性を経済的な
視点から説明している。

小泉進次郎氏は、「足りないところを補ってくれる最高のチームを作る」
と言っていたが、これはチーム日本としても同じことが言えるだろう。
国の中にも仲間意識があれば、新しいチャレンジをする人や会社を
叩こうとする人も減るだろうし、仮に失敗したとしても、
それはチーム日本として、次の挑戦に活かせるはずだ。
その仲間意識を持つためにも、共有する日本の未来を描いてくれる
リーダーが必要とされているのではないだろうか。
そして、私たち1人ひとりも、周りとの協力を意識したほうが、
気楽に暮らしていけると思うのだ。
「きみのお金は誰のために」田内学より

完璧主義を緻密な構造を組み立てることと勘違いすると失敗をする。
ロダンの「言葉抄」を読むことを薦める。
19世紀フランス、近代彫刻の父ロダンの言葉の数々を、当時の弟子や秘書が
筆記したもの。よくぞ残してくれた!人間ロダンは頑固だけれど、感激屋さん。
芸術のためには決して迎合せず、馬鹿正直に苦しみ喜びながら生きた。
本は、どこをどう開いても詩的な情熱と、ものの本質を見抜く眼差しと、
生や自然、美への讃歌に溢れている。女性への賛美も真っ直ぐだからか、
カミーユ・クローデルをはじめ女性の弟子が多かった。
ロダンは、神々でなく生きた人間を彫った。
眼でなく叡智でものを見ろ、だがそれが出来る者は実に少ない。ロダン

リルケの流れで読む。
あまり文章を残していないロダンが語ったことなどを筆録し、高村光太郎が
翻訳した本。ロダンは繰り返し、自然を研究せよ、芸術家は創作する
必要はない、自然を掘り出すだけだ、というようなことを語る。
そして古代の芸術を見よ、彼らは自然を訳出する術を知っていた、と。
彫像家のロダンの言う「自然」には、もちろん人間そのものも含まれている。
それが、当たり前のことのようで、自分にはものすごく新鮮なことだった。

私の好きな文は大甲鉄艦について書かれていた部分である。
「大甲鉄艦を建造するには、ただそのあらゆる部分を数学的に構造し
組み合わせるだけでは駄目で、正しい度合いにおいて数学を乱し得る
趣味の人によって加減されなければ、船がそれ程よく走らず、
機械がうまくゆかないという事です。してみれば決定された法規というものは
存在しない。「趣味」が至上の法規です。」

完璧主義者は古い理屈に縛られてすべてが理論通りでないと納得しないのである。
時代が変わりこのことをAIがどのように判断するかである。
どのようなことも瞬時に答えを出すAIが「あそび・ゆとり」を
算出することは出来るのだろうか?
日本人の職人さんは完璧を目指すがそこに必ず「あそび」を入れる。
そこの「ゆとり」が日本の美を完成させたのである。


一本道を行くか




一本道をずっと歩き続ける人は辛抱強い人と言われ褒められる。
あらゆる可能性を求めて色々な道を歩く人は気移りが激しいと批判される。 
昔は親の仕事を子供達が引き継ぐのが当たり前とされて
自分が好む好まざるともその道を選ぶしかなかった。
侍の家に生まれれば侍として生きる。
農家の家に生まれれば百姓として生きる。
大工の家に生まれれば大工として、
八百屋に生まれれば八百屋として生きるしか無かった。

しかし長男は跡取り息子として大切に育てられるが、その下の兄妹たちは
家を出て仕事を探さなければならなかった。
同じ家にでも生まれ落ちた順番で過酷な人生を歩むことにもなる。

兄弟の殆どが町に出て商人の家に丁稚奉公へあがるか、寺子屋の教師になるか、
剣道道場の師範になるか、果ては大店の用心棒になるか、女の子の場合は
和裁の仕事をするか、めし屋で手伝いをするかしかなかった。
また農家の娘は借金の形で売り飛ばされて廓で女給の道を進むしかない子もいる。
器量の良い子は早いうちから見受けされて大店の旦那に囲われる子もいるが、
不器量な子は飯炊き女になるか帳場で雑務をやるしかない。

明治維新以降は名前も仕事の選択も自由になり
女性も学校へも通えるようになった。
女に学問は不必要と言われた時代から女性も学ぶことが
できるようになったのである。

しかし戦後日本の教育から毅然とした生き方を教えることが禁じられた。
アメリカの占領地政策で日本から「忠・義・孝」を抜き取った。
戦争に負けるという事は建物の破壊より心の破壊の方が痛手が大きい。
志を持った生き方、凛とした仕草、神仏を信じて文化を重んじる国民性が、
全面的に否定されたのである。

その上にアメリカの占領地政策として「歴史・地理・修身」が消されて、
代わりに「スポーツとシネマとセックス」が奨励されて
日本人は骨抜きにされた。いわゆる3・S政策である。
これに加えて3・C「カード・クレジット・コンビニエント」を
導入させて資本主義の餌食にした。

60年代後半から70年代にかけてニューシネマやロックが
日本へ入り込み若者たちはゲルマニュウム・ラジオを布団に入れて
FEN(極東放送)でアメリカのヒット曲を夜通し聞いた。

一気に世の中がカラフルになり誰もが金持ちになれると信じ込ませた。
ケンタッキーもマクドナルドもブロイラーも憧れの食べ物であった。
誰もがコカ・コーラを飲めばアメリカ人のような体形になると信じていた。

昭和の初期に流行った言葉が「末は博士か大臣か」と言う言葉である。
勉強に励めば博士にも大臣にもなれるのだという表語である。
町工場の経営者も努力すれば大会社の社長にもなれると夢を植え付けられた。
従業員も豊かな生活を求めて馬車馬の如く休みなく働き続けた。
高度成長期の波が押し寄せてきたのである。

田舎からの出て来た若者たちは金持ちになりたければボクサーか
ロックシンガーに成れとも言われた時代である。
正に広島の田舎から横浜に出て来てカリスマのロックスターになった
矢沢永吉などはその最たるものである。

実は私も一本道を歩けず何本の道を歩き続けた人生だったのである。
音楽プロデューサー、ビジネスプロデューサー、セミナー講師、
プランナー、経営者などの顔をいくつも持っていました。
それが正しかったとは言い切れませんが、さまざまな人との出会いや
海外での仕事は素晴らしい経験で後悔はありません。

人生で大切な事は大胆か慎重かの二つの選択です。
一本道を選ぶか、数多くの道を選ぶかは、あなた次第です。
しかし大胆になり過ぎて少し先走りで大怪我をすることもあります。
かといってあまりにも慎重になり過ぎると成功の時期を失うことにもなります。

節約と浪費も同じように選択に迷います。
若い時によく言われたのは老後のことを考えて
無駄遣いをするな貯金をしろです。
絶対に賭け事や株の投資に手を出すなとも言われた。
それと都会の女は怖いから有り金全部取られるから
注意しろとも言われた時代である。

日本の哲学者森信三の言葉
「たとえ99人が川の向こう岸で騒いでいても、
自分一人はわが志した川上に向かって
歩き通す底の覚悟が無くてはなるまい」
同調主義「付和雷同」の世界が大嫌いでサラリーマン時代は、
常に一人で行動を起こしました。

40歳で独立をして社会へ飛び出したときに、
業界の多くの人から言われた言葉があります。
「SONYの稲葉だから協力したがただの稲葉には協力できない」
この言葉を聞きこれが現実だと目が覚めた時です。
そして友人から詐欺にあい退職金も事業資金も全部失った時でした。
東京とLAに音楽制作事務所を開設して意気揚々としていた時期です。

再起を図りレコード会社とのバンス(前借制度)でアーティストを育て
10年間頑張ったのですが、突然アメリカから契約を切られて、
不渡りが出て倒産をしました。
私は全ての契約の保証人になっていたので自己破産を余儀なくされました。
家族とも別れて品川の小さなマンションに移り住み仕事探しを始めたところ
職安のスタッフから一番仕事が見つからないのは、
社長業や芸能関係の経験者ですと言われた。

しかし意外と冷静だったのは、自分の人生が沢山の道を歩いて来たので
怖くは無く、なんとかなると楽観的に考えていました。
私から友人たちにどんな仕事でもやりますと伝えたら、
起業したばかりのIT関係の会社が経営戦略部門の責任者を
探しているので紹介すると言われた。

面接の時に先方の会長に音楽関係からいきなりITの会社ですが
知識も経験もなく大丈夫ですか聞いた。
しかしヒットの数は多いので成功のノウハウはあります。
と応えたら即採用された。会長が音楽好きなのが功を奏した。

その後は韓国に映画会社を立ち上げ、中国に音楽制作の仕事で進出して
ゼロベースから大成功へと導いた。
一本道の人生だったらこのような臨機応変に身の振り方を変えることは
出来なかったと思う。しかし何本の道を歩いてきたので、
与えられたチャンスを逃さずに掴むことが出来たのだと思う。

職人の様に一つの事に執着することも大切ですが、
これからの世の中は人間の経験はAIが担うので、
変化に対応できる人間が必要な時代になります。

若者たちは多くの可能性にトライしてください。
私はこれからもいろいろな道へと挑戦を続けます。


もしもという心理




モチベーションを上げる言葉の一つに「もしも私が」と架空設定をして
気持ちを高揚させる方法があります。
これはとても重要な考え方で挑戦に対する恐怖を取り除く効果があります。
多くの先人たちは、この「もしも私が」という言葉で大きな問題を
乗り越えてきた状況がいくつも見られます。

もしも私が聖人ならば多くの苦しむ民を救えたのに、
もしも私が国の王ならばこの国をもっと良くしたのに、
もしも私が哲学者ならば人を導く幸福の言葉を書き連ねたのになどです。

NLP心理学の中には「as if フレーム=もしも…だとしたら」という
スキルがあります。このスキルは、ある状況や問題を解決するための
有用な考え方で、あたかも目標や望む状態がすでに達成されたかのように
考えて、行動するというアプローチを行います。
これにより、新しい視点や解決策が明確になり、自信が向上することが
あります。以下に、具体的な 「as if フレーム」の使用例を挙げてみます。

プレゼンテーションの準備:
自分がすでに成功したプレゼンテーターであると思い込み、
そのように行動する。「もし私がTEDのステージに立つ経験豊富な
プレゼンテーターだったら、どのように準備し、発表するだろうか?」
と想像する。成りきりです。

新しい技能の習得:
未経験の分野でも、すでにそのスキルを身につけているかのように
振る舞う。目標とする人物を真似ることです。
「もし私がプロの写真家だったら、どのようにこの風景を捉えるだろうか?」
と考える。その為には憧れのカメラマンのピントの合わせ方を研究するのです。

自己信頼の向上:
自己疑念に悩まされているときに、「もし私が尊敬する〇〇さんだったら、
どのようにこの状況を対処するだろうか?」と想像し、そのように行動する。

これらの例はすべて、未来の可能性を具体的に想像することで、
現在の挑戦に対する新たなアプローチや解決策を見つける手段の一つになります。

なぜ教育の中に架空を想定して
「無理を乗り越える」精神的手段として取り入れないのか?
これはアジアの後進国の教育方法としてはとても重要です。
貧しいエリアでは十分な教育資材が無いために教師の言葉だけに頼ります。
その為に重要なことはイメージトレーニングです。
自分と違うものに成り切り自分ならこうするなという訓練です。
西洋的な教育ではこの定義がなく「もしも」は神の領域で
人間が考えないように封印してきた世界であった。

もし私が動物だったら!
もし私が総理大臣だったら!
もし僕が宇宙飛行士だったら!
もし僕が全知全能の神だったら!
事実ではあり得ない領域に足を踏み入れることになる。
人間の特権は想像力である。この力は人間以外には授かっていない。

正しい創造は「善から始まる」もし私も道徳的観念が無ければなりません。
経済的な価値は「三方良し」の考えが成立しなければなりません。

そして、今なぜ新札に「論語と算盤」の著者が使われたと思いますか?
今の時代だからこそ必要な【五徳】の教えをお伝えしているのです。

渋沢栄一「論語と算盤」旧札と新札。
それぞれを代表する有名な言葉があります。
「学びて富み、富みて学ぶ」
学びが富を生み、またその富で学んだものが成功する。
まさしく資本主義を象徴する20年間でした。
ですが、世界情勢は大きく揺れ、
多様な価値観が生まれ時代は大きく変わってきています。

その中での新札に切り替わるタイミング。
「論語と算盤」
つまり経済と道徳という矛盾した関係と見られがちだけど、
どちらも正しく両輪を動かしていかなければ
真の豊かさが手に入らないということ。

今この時代に必要な心の教育。
人としてもっと大切にしなければいけない考え方。
つまりあなた自身の人間としての生き方やあり方が問われています。
・外側の成功ばかり追いかけていませんか?
・情報に惑わされていませんか?
・自分が大切にしたい生き方を心の底から理解できていますか?
こんな時代だからこそ学ぶ必要がある学問。

私が若者たちに問いかける言葉として「無難に逃げるな」というのがあります。
困難・災難が起きた時に無難に逃げるなよ。難から逃げようとすると
一生困難・災難に付き纏われるから、難に向かって身体ごとぶつかるのだ。
私はそうしていくつもの難を乗り越えてきたのです。難が有るから感謝が生まれる。
「有難う」は難があるから感謝している言葉です。

昔の武士に中山鹿之助という人がいて「我に七難八苦を与えたまえ」
と言って戦いに臨んだ人がいる。死を迎えるかもしれない時に
未だ難を受け入れるその気持ちが心に響きました。
私の人生も決して恵まれているとは言えない環境でした。
勝てる方法はたった一つ甘んじて難を受け入れることでした。
自ら難を受け入れて強い自分を作り上げたのです。
一度も中途半端な安楽など求めたことはありません。

50歳の時に倒産と破産の経験をしました。
60歳の時に反日運動の為に中国へ投資していた全財産が失われました。
それでも笑顔で元気に過ごしている姿を見て苦境に立っている経営者が
何人も相談に乗ってほしいとやってきます。
取引先から金融機関から追い込まれて苦しい、友人や家族や親類からも
これからどうするのかと毎日叩かれています。
悩み事を聞いてから一言「社長鋼は何度もたたかれて名刀になる。
しかし叩いているハンマーを誰も名ハンマーとは言わない。
おめでとう社長は名刀になる機会を得たのですよ」

私の造語ですが「鋼は叩かれて名刀になる」と言う言葉を使っています。
大難に何度も叩かれて大人物になるから叩かれ続けろ。
難は逃げると付きまとわれるから難を受け入れて笑顔で過ごすのです。
難ありで有難と書きそれを10回唱えると「有難う」になります。
強く生きる為に授けられた呪文です。
いつでも難ありきで「ありがとう」を唱えましょう。合掌


船のバランス




中国に「呉越同舟」という諺があります。
敵国同士の呉の国の兵士と越の国の兵士がたまたま同じ船に乗り合わせました。
しかし目的地に着くまでは敵同士でも、この船の中では助け合いながら
過ごしましょうという意味です。

日本人の根幹にある精神は「和を以て貴しとなす」です。
大変な時にはみんなで仲良く乗り越えましょうということです。
自然災害の被災地で列をなして順番を待つ姿に世界が驚きます。
誰もがいち早く水にも食料にもありつきたいと思うところでも
日本人は老若男女が整然と列を作るのです。
「和を以て・・・」とは年齢も地位も気にせずに話し合って
ものごとを解決するのが良いとする考えです。

どんな時にも意見は二つに分かれて当然です。
一方を応援して他方を批判するとそのバランスは崩れます。
これは「清濁併せ持つ」にも該当します。
常識で決められた正しさだけを主張するとそれ以外は全て悪になります。
間違っているかなと思う意見も取り入れてバランスを取るのです。

綱引きの綱も引っ張るばかりではなく手を緩めることが大切です。
これも中国の諺に「雑乱紛糾のときには控捲せず」というのがあります。
問題が起きた時には主張するだけでなくときには相手の意見も聞き入れろ。
お互いが引っ張ってばかりいたらいつまでたっても解決しないだろう。
ここもバランス感覚が重要だと言っているのです。

右寄りが正しいとする右翼の意見と左寄りが正しいとする
左翼の意見があります。これを時の権力者が力を持って片方に加担すると
必ず争いが起こります。
これは正しいか間違っているかの判断ではなく、一方的にコントロール
しようとすると共産主義の様に権力者の考え一つで決まります。
このような国では国民は国政に反対意見を言えば死刑を言い渡されてしまいます。

現在、世界の悪のリーダーとしてロシアのプーチンや北朝鮮の金正恩が
代表格です。最近ではイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフも加わりました。
今までは世界の警察官と言われた正義のアメリカが真っ向から立ち向かい
国家間問題のバランスの調整をして来ました。
しかし、今はトランプのいうように「America is No 1」と自国の繁栄だけで
良いとする考えが出て来て戦争の仲介には入らない政策をとっています。

アメリカのロースクールでの話です。
授業中に教授が一人の生徒をわけもなく批判します。
挙げ句の果てには私の講義には二度と参加するなと教授は言い放ちます。
そしてその女子生徒は唖然としながら教室から
出て行き授業は再開します。

すると教授は残った生徒に「何のための法律」かと聞いていきます。
個人の為に、社会の為に、国家の為にとそれぞれが答えて行きます。
最後に一人の生徒が「正義」の為と答えました。
教授はそうその通り「正義」なのですと答えた。
しかし何故いまの私の理不尽な行動に対して誰も文句を言わなかった
のかと問いただします。

明らかに理由もなく女子生徒を追い出した時にみんなの中に
「正義」は起こらなかったのか?それで法律を学んで何をするつもりなのか?
生徒たちはその言葉に驚きながらも恥ずかしさのあまり下を向いたのです。
この事はとても大切で「建前での知識」と「行動に移る知識」のバランスが
取れていないということです。

中国の陽明学のなかに「知行合一」という
言葉があります。知識は常に行動と共にあるという意味です。
学んだ時から行動に移すのが正しいという事です。

バランスを正しく保つには嫌いな者の存在を否定しないことです。
私は10人のメンバーのプロジェクトを作る際に8人の賛同者と
2人の非賛同者を加えます。
好きな意見も嫌いな意見も同時に聞くことが大切です。

この世界にはたくさんの人が住んでいます。
好きな人たちとだけ付き合うことは無理なのです。
意見の合わない人たちとも暮らしていかなければならないのです。
そして忘れてならないのが自然界の動物たちの存在です。
人間とのバランスを取りながら生きて来た動物たちを、
単に危険だから襲うから怖いからと言って殺傷してきた歴史です。
その為に年々数多くの動物が地球上から消えていくのです。

その上に環境破壊を繰り返して自然とのバランスを取らなかった
ツケが現れています。突然のゲリラ豪雨、巨大なハリケーン、地滑りと
各地で甚大な被害を残しながら人間に襲いかかる。
それを誰も止めようとしない。
京都議定書で取り決められたことが守られていません。

2019年9月26日ニューヨークで開かれた「温暖化対策サミット」。
ここでスピーチした一人の少女に世界の注目が集まりました。
スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさん(16)。
気候変動が緊急事態にあると訴えるグレタさんは、毎週金曜日に学校を
休んでストライキを続け、大人たちに本気の対策を要求。
世界中の若者たちを動かし、賛同の波が広がっている。

グレタ・トゥーンベリさんはサミットに集まった世界の要人を前に
「あなた方は、自分の子どもたちを愛していると言いながら、
その目の前で子どもたちの未来を奪っています。」
16才の少女が訴える温暖化非常事態のスピーチ映像を
見た方も多いと思います。堂々とした表情で論理的に話す姿に参加者の
感動の拍手が鳴りやみませんでした・

また芸術におけるバランスとは視覚と思考の中で行われる。
私は均整のとれた作品より均衡を少し壊したバランスの
良い作品が好きです。カンディンスキーの作品群「印象Ⅲコンサート)と
対峙して抱いた最初の印象は、「自由な生命力」とも呼べる、
のびのびとした躍動感です。
ステージ上のピアノや会場の観客の熱気が目に浮かぶように伝わります。

ひとつひとつの作品が、ユニークに、賑やかに自己主張して、
その有り様はまるで音楽のようでもあり、作品に囲まれていることが
心地よくもある。色彩が発する鮮やかな光と、静かな影が形成する
有機的なコントラストのせいで、作品そのものが常に音が聞こえているような
不思議な錯覚を覚えました。

「抽象芸術」は見ている人の思考を受け入れてくれます。
10人いれば10通りの思いで見ることが出来ます。
「写実芸術」は視覚的に見て納得は出来ますが感心するだけに
終わることが多いと思います。

バランスとは予定調和ではない不自然な和音から出来ています。
雅楽から派生した能楽のお囃子の基本は「序・破・急」の流れで出来ています。
始まりはバラバラで、少しまとめて、終盤で急ぎながら合わせる、
この流れがあって能楽師の演技と観客のバランスが整うのです。
伝統芸術は心の芸術でもあります。
このような形で世界がまわることを願っています。

生きていく上では心と身体のバランスが一番大切です。
心は常に押さえつけるのではなく解放してあげることが大切です。
あなたもあなたなりの自由なバランスを見つけてください。
他人に合わせる必要は無いのです。