怒りの矛先(人間)




人間の怒りの矛先を外面に向けるのではなく内面に向ける。
今更社会や国や人間関係に怒りをぶつけても何も解決はしない。
怒りは自分の未熟さからくる不安を表に出すことにより発散しているのだ。
だから怒りの矛先を向けるのはいつも自分自身の内面にである。

いつの時代でも若者は怒りの矛先を探している。
理不尽な世の中に対して、なすべき答を持たない社会や大人たちに
向けて破壊や暴力を持って抵抗する。
世界は60年代後半から70代前半に起こったベトナム戦争反対の狼煙を上げて、
ヒッピーが生まれ、パンクロックが流行り、鎖を体中に巻き付けて頭をとさかにした
若者たちがロンドンの街中を練り歩いた。そして大人たちに言論の唾を吐きかけた。

日本でも多くのフォークシンガーが歌にメッセージ(主に反戦)をのせて
学生デモの後押しをした。私も新宿西口で機動隊に追いかけられた。
70年代~80年代にかけてニューシネマとサブカルチャーが渋谷で沸き起こった。
そして同時期に高田賢三、山本寛斎を筆頭に菊地武夫、三宅一生、コシノジュンコ、
川久保玲が世界へ躍り出た。世界中の評論家たちは、
彼らは単なるファッションを芸術にまで昇華させたとデザイナーだと絶賛した。

日本人の特質は世界を「肩越しに見て」おそるおそる真似をして
完全に自分たちの文化に取り込んでしまう。
私も80年代に「肩ごしの文化論」を文化服装学園の授業で公表した。
家電も車も住宅も海外の模倣から自分たちの使い勝手が良いように
作り直しオリジナルにしてしまう。
日本の技術力とデザイン力は圧倒的に世界に誇れるのである。

あなたは、この文章を覚えていますか?
”クレージーな人たちがいる。
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
四角い穴に、丸い杭を打ち込むように
物事をまるで違う目で見る人たち。

彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。
彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは誰にも出来ない。

なぜなら彼らは物事を変えたからだ。
彼らは人間を前進させた。
彼らはクレージーと言われるが、
私たちは天才だと思う。

自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから”

Apple Inc.(アップル社)が1997年に公開したCM「Think Different.」
(The Crazy Ones)の日本語版です。

このCMに登場するのは、

Albert Einstein, Bob Dylan, Martin Luther King, Jr., Richard Branson, John Lennon
(with Yoko Ono), Buckminster Fuller, Thomas Edison, Muhammad Ali, Ted Turner,
Maria Callas, Mahatma Gandhi, Amelia Earhart, Alfred Hitchcock, Martha Graham,
Jim Henson (with Kermit the Frog), Frank Lloyd Wright and Pablo Picasso.です。

あなたは彼らのように世界を変えたいと思いますか?
自分は彼らのように世界を変えたいけれど、自分だけでは変えられないと
思っているなら、ぜひ怒りの矛先をどこに向けるか考えてください。。

世の中の疑問や怒りをクリエイティブで表現する。
アルバート・アインシュタイン、ボブ・ディラン、マーティン・ルーサー・
キング・ジュニア、リチャード・ブランソン、ジョン・レノン
(オノ・ヨーコと共演)、バックミンスター・フラー、トーマス・エジソン、
ムハンマド・アリ、テッド・ターナー、マリア・カラス、マハトマ・ガンジー、
アメリア・イアハート、アルフレッド・ヒッチコック、マーサ・グラハム、
ジム・ヘンソン(カエルのカーミットと共演)、フランク・ロイド・ライト、
パブロ・ピカソです。

怒りの矛先を自分に向けると「Change」変わろうと歩みを進める。
この時にいつも思い出すのは「Chance」機会を逃さないことである。
この二つを見比べてみると気づくことがあります。英単語の「g」と「c」です。
GはCに寄り添うようにTimeが付け加えられています。Gです。
他人に影響されずに世の中を変えようとする人はTimingを大切にします。

変人、変わり者、頑固者、小心者、気が違った人と批判され後に
賛美の声で評価された人たちは怒りの矛先を自分に向けた人達ばかりです。
あらゆる怒りがエネルギーとなって大きな賛同者を得たことも確かです。
だからその頃のサラリーマンを「怒りなき人たち」と揶揄したのです。

あなたも怒りの矛先を自分に向けてみてください。
何も恐れるものはないのです。
そして内なる声を聞いて今自分が何をすべきか問うのです。
批判もされないということは何もしていないという事です。
変わり者と言われた方が楽しい人生を送ることが出来ます。

過去から現代に至るまで人類は欲求を満たすために自然を破壊し続けた。
そのせいで多くの動物たちは絶滅し、森林は焼き尽くされて砂漠化した。
その為にあらゆる天候異変を引き起し自然災害が頻発したのです。
車を走らせるために石油が、電気を作るために自然エネルギーが
枯渇するまで掘りつくしたのです。
そのために原子力が電気を作りレアアースが石油の代わりとなった。
自然エネルギーから代替えエネルギーの交代の時期である。

デジタルAIの発達進化で便利になった分だけ人間の仕事が奪われた。
若者たちは将来を考えて収入が多い会社へと転職を繰り返す。
デジタル関連の会社、医療関係の会社、健康食品の会社、金融関係と
無くても困らない世界へと大量に移動する。
農業や小売店や大工などの職人や生活に身近な分野の人出が足りなくなる。

海外の人へ土地を売り日本が荒れていく、命の源である水源までも売り渡して奪われる。
少子高齢化で労働者が減るので海外から移住者を増やしていく傾向にある。
すぐに街中にチャイナタウンやコウリャンタウンが出来てしまう。
最近ではインドタウンやベトナムタウン、その上に移民を受け入れて
クルド人が大量に入って来た。
仕方がないと言えばそうなのだが、我々が愛した日本の自然も文化も
気質までが奪われればこの地は日本ではなくなる。

政治家も学者も経営者も傍観者になり果てて何も手を打たない。
「あとからくる者たちのために」坂村親民(詩人)
何も残さなくて良いのだろうか?せめて日本語と漢字と歴史と修身を守りたい。
何があっても次の世代の子供達の為に残さなければならない。

もう怒りの矛先を政治家や大人たちへ向けても良いからね。
東横キッズも、闇バイトに群がる若者たちも怒りの果てに生まれて
きたのだから、これをただの犯罪で取り締まっても根本は変わらない。
人が人間らしく生きていく教育をしっかりやらなければならない。
只の労働者予備軍の教育はもう必要は無い。

もうアメリカの言いなりになって奴隷のままでいるのはやめるべきである。
怒りの矛先を向ける相手を真剣に考えよう。


義を見てせざるは勇なきなり




正しい行いを出来ずに生きている事は勇気がないということです。
いくら努力して成功しても世の中の役に立てず、
私利私欲で生きている人は尊敬される事はないのです。
要塞のような豪邸を建てて世間から目立たぬように生きている人は、
頭隠して尻隠さずの愚か者のする事です。
起業して眠るのを惜しんで成功しても身体を壊してしまえば元も子もありません。
また家族に贅沢をさせて子供が堕落して世間から嫌われては元も子もありません。
「義を見てせざるは勇なきなり」を学び行動で示さなければつまらない人間です。

義を見て為ざるは勇なきなりの意味は、人としてやらなければいけないこと、
やるべきことを分かっていて、理解しているにもかかわらず、
それを実行しないのは勇気がないと言う意味です。
ここでいう義と言うのは儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つであり、
筋道の通った正しい行いのことを指しています。本来やるべき事は人の道として、
やるべきであると説いています。

常に今です。この瞬間に思ったことを形に表さなければ意味がありません。
正しい行いとはタイミングが遅れては意味がないのです。
たとえば川で溺れている子供を今助けなければ命がなくなります。
他人を呼びに行っている時間はありません。
でも義を重んじて力無き人が川に飛び込む必要はありません。

大声をあげて近くにある枝や紐や自分服を切り裂きロープにすることも出来ます。
流されていく子供を見て見ぬふりをしてその場を立ち去る人は勇なきなりです。
このような場面で立ち去る人は人生これから逃げてばかりになります。

今回は中国戦国時代の思想家“墨子”の教えをご紹介させていただきます。
義が、いちばん大切だ。
たとえば、「おまえに冠と履(くつ)をやろう。
その代わり、手と足を切るが、どうだ」といわれて、承知する男はいないだろう。
いくら冠や履が欲しくても、手足にはかえられぬからだ。

あるいは、「おまえに天下をやろう。その代わり、命をもらうがどうだ」
といわれて承知する男はいないだろう。
いくら天下が欲しくても、命にはかえられぬからだ。
しかし、たった一字のために、命を捨てる場合もある。

その一字とは、“義”である。
義を売りわたすくらいなら、命を捨てたほうがましだ。
だからわたしは、義ほど大切なものはないという

義とは、正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と
対立する概念として考えられています。
しかし、墨家では「義とは利なり」と定義し、義とは人民の大利だと考える。
一般的には利を私心からの私利の意にとらえ、墨家は公利ととらえた
為のようです。

人として正しい行いを守る“義”を実践していくのですが、人間ですから“間”が
差すこともあるでしょう。
そんな人たちに対して墨子は言いました。
「いくら義の実践がうまくいかないからといって、義を棄ててはいけない。
大工をみるがいい。材木がまっすぐに削れないからといって、
墨縄を投げ捨てたりするだろうか」どんな立派なモノを持とうが、
どんな立派な地位に就こうが、義がなかったらそれは一瞬で消えてなくなる
泡のようなものになるのでしょう。

「日本人の親切」
聖書学者の塚本虎二先生は「日本人の親切」という、非常に面白い随想を
書いておられる。氏が若いころ下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、
寒中に、あまり寒かろうと思って、ヒヨコにお湯を飲ませた。そしてヒヨコを
全部殺してしまった。そして塚本先生は「君、笑ってはいけない、日本人の親切とは
こういうものだ」と記されている。私はこれを読んで、だいぶ前の新聞記事を
思い出した。それは若い母親が、保育器の中の自分の赤ん坊に、寒かろうと思って
懐炉を入れて、これを殺してしまい、過失致死罪で法廷に立ったという記事である。
これはヒヨコにお湯を飲ますのと全く同じ行き方であり、両方とも、まったく
善意に基づく親切なのである。山本七平「空気の研究」の一説より。

日本人が気を付けなければならないのは親切から起きる迷惑である。
善意の塊の隣人と悪意の塊の隣人とは同じ地域に住むなら対応が難しい。
善意の隣人は悪気が無いのでいたずらに避けてならないがお節介は困る。
悪意の塊の隣人はあえて付き合うことを避ければ被害を受けることは無い。

「おもてなし」これは厄介な言葉である。礼儀作法を知っている年代では
多少我慢も出来るし時には気分が良くなることもある。
しかし若い世代や外国に人ならば店員の過剰なサービスは押し売りと
受け取ることもある。日本食もゆっくり味わいたいのにお店の都合で次から次へと
出されるとせかされているみたいで怒り出す人もいる。
家族で旅館に泊まり静かに過ごしたいのに突然仲居さんが部屋に来て
館内の案内や近隣の観光案内を説明する。これも不要なお節介である
ここは大変難しいのだが世界から観光客を受け入れている国としては
コミュニケーションとサービスをしっかりと教育をしなければならない。

私が得意とする人間の特性に合わせたコミュニケーション術がある。
これは「気配り、目配り、心配り」の方法を知れば簡単である。
相手が何を求めているか気配りをする。そして少しの動作も見逃さない
目配りを取り入れて、最後にはおおかたの予測して心配りの中
満足の行くケアに心がける。
一番気を付けなければならないのが過剰に反応してしまうことである。
相手の表情を見て迷惑でないか満足しているかの判断が重要です。
ケアとは添えることである。そして支えることでもある。

常に義を取り入れて親切に心がければ喜ばれることは絶対である。
考えと行いが一致する「知行合一」を忘れないことです。
「義を見てせざるは勇なきなり」とは論語にある言葉です。
人として行うべきことがわかっていながら行わないのは臆病者だという意味。
これからも心して義に生きましょう!私も勇気ある人を常に心がけています。


いじめと空気




私が山本七平氏の著作「空気の研究」を読んだのが50歳の時である。
ある日突然猛烈に読書がしたくなり山本氏の作品を貪るように読み漁った。
そこで出会ったのが「空気の研究」であった。
そこに書かれていたのは戦争時代の軍隊の様子であった。

「陸軍の総反撃に呼応し敵の上陸地点に切り込み、ノシあげて陸兵になるところまで
お考えいただきたい」といわれれば、ベテランであるだけに余計に、この一言の
意味するところがわかり、それがもう議論の対象にならぬ空気の決定だとわかる。
そこで彼は反論も不審の究明もやめ、「それならば何をかいわんや。よく了解した」
と答えた。この「了解」の意味は、もちろん、相手の説明が論理的に納得できたの
意味ではない。それが不可能なことは、サイパンで論証ずみのはずである。
従って彼は、「空気の決定であることを、了解した」のであり、そうならば、
もう何を言っても無駄、従って「それならば何をかいわんや」とならざるを得ない。

一事が万事軍隊のやり取りが上の者に只従う「空気」がまん延していたのである。
日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に
処せられるからであって、これは軍人・非軍人・戦前・戦後に無関係に思われる。
「空気」とはまとに大きな絶対権をもった妖怪である。

この「空気」の妖怪はいたるところに出没する。
学校といわれる囲われた世界では校長と教師、教師と生徒、それに保護者などが
呪縛に捕らわれてかってに「教育」と言う言葉が強制的な威力を発揮する。
しかし子供達は窮屈な世界で気分展開を図るために「いじめ」を開始する。

①いじめで「空気」はどんな役割を持つのでしょうか。ほとんどの加害
生徒側は、いじめを始める際に「クラスの空気をさぐる」つまり、「クラスの
前提をさぐる」行動をしています。

②いじめの発端は、加害側の生徒が被害者となる生徒を軽く小突く、
言葉で一方的におとしめるなどの行為から始まります。そのとき、誰からも
反論がなく、先生にも怒られなかったとき、加害側の生徒は「ここまでは大丈夫」
というクラスの〝小さな前提〟を一つ確かめたことになるのです。

③いじめに関する著作を複数持つ、社会学者の内藤朝雄氏の『いじめの構造』
には、加害者側の生徒が、クラスの空気を読む様子をほうふつとさせる
描写があります。『加害少年たちは、危険を感じたときはすばやく手を引く。
そのあっけなさは、被害者側も以外に思うほどである。
損失が予期される場合には、より安全な対象をあらたに見つけだし、
そちらにくら替えする。』

④最初のいじめで、担任の教師が「そのような行為は絶対に許さない!」
という確固たる態度と反応で臨むとき、そのクラスの空気(前提)を知って
なりを潜めます。

『「自分が損するかもしれない」と予期すると迅速に行動をとめて様子を見る。  
そして「石橋を叩き」ながら、少しずついじめを再開していく。
ほとんどすべてのいじめは、安全確認済みで行われている。』

⑤担任の先生が初期のいじめを放置すると、このクラスは「いじめが
許容されている」、と生徒全体が感じます。クラスの前提(空気)で
倫理の基準が変わってしまうという意味では、教室の一君である先生から、
〝いじめがお墨付きを得てしまった〟とも言えます。  

⑥山本七平氏は『「空気」の研究』で、戦犯の行動、リンチなどの特殊な
状況下で「倫理観が狂った」者たちが〝あの状況下では仕方なかった〟
と述べる現象を「状況倫理」として説明しています。そして、日本社会の
空気が最終的には、状況倫理に結びついてしまうのだと指摘しました。

⑦この構造は、まさに日本の教育現場の「いじめの現実」に如実に
現れています。『いじめの構造』には、加害生徒が、被害者の子どもの
苦しみを微塵も感じていないそぶりと、被害生徒の自殺のあとも、
反省や憐憫の情をまるで持たない様子が描かれています。

⑧この事件では、生徒のいじめに先生も参加してしまったことが
指摘されています。共同体の前提をつくるのがうまい加害生徒がいることで、
「被害者をいじめることでクラスが楽しむ」という狂気の前提を誘導的に
つくられてしまったのでしょう。

⑨まともな良識を備えている大人から見ると、加害生徒たちの倫理観は、
狂気と呼びたくなるようなおぞましいものです。しかし、次の条件が揃うと、
日本の共同体・組織では倫理の崩壊が進行してしまうのです。

⑩日本の集団が状況倫理に陥るとき
・共同体の前提(空気)が管理されず、その集団が隔離されて存在して
いるとき・一君として空気(前提)を管理する者から、お墨付きを得たと
感じられたとき・異なる共同体を貫き共有されるべき、
社会正義が確立されていないとき

⑪学校の教室は、ある意味で外界から隔離された空間であり、
空気に影響を受けやすく、悪賢い者がいれば、自分に有利な状況倫理を生み出す
ことができてしまいます。

⑫もちろん、状況倫理だからいじめは仕方がないというわけではありません。  
一人の生徒を無残な死に追いやる行為は、絶対に許すわけにはいかない
はずです。

⑬学校の教室では、先生が空気を正しく支配する役割を放棄したら
終わりです。「これをやっても叱られない」 「あれをやっても問題ない」、
悪意ある生徒がそのように解釈を始めると、クラスの空気(前提)は
とたんに悪化の一途をたどります。

⑭さらに「あの生徒をいじめても問題は起きない」「先生からも叱られない」
とわかると、ある種のお墨付きを得た形になり、特定の被害生徒への
いじめがより気安いものになってしまう。それにより、いじめに加担する
生徒が増える可能性も高まります』

宗教施設ないで起こる数々の犯罪行為は逃げ出す事の出来ない「空気」が
存在するからです。
自民党の裏金問題もこれは正しい慣習だと先輩議員から言われたので断れなかった。
これも政治団体の悪習がまねいた「空気」が原因です。
コロナワクチンも盲信している医者も製薬会社も人命の為と「空気」に踊らされている。
それを反対する人たちも人命を守るためにと正義の「空気」で抵抗をする。

どちらにしても人間性を奪うような「空気」は排除しなければなりません。
自分の身体の中に空気清浄機が必要な時代です。
お気を付けください。


学びて時にこれを習う




『論語』のはじめに、「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」
という有名な言葉があります。
岩波文庫の『論語』には、「学んでは適当な時期におさらいする、
いかにも心嬉しいことだね。」と訳されています。

「学ぶ」というのは『広辞苑』で調べてみると、
①「まねてする。ならって行う。
②教えを受けて身に付ける。習得する。
③学問をする。勉強する。
④経験を通して身に付ける。わかる。」
という意味があります。

また「習う」には、
①くりかえして修め行う。稽古する。
②「教えられて自分の身につける。まなぶ」
という意味があります。
「学習」という言葉は、まさに「学びて習う」ことなのです。
教えを受けて、それを繰り返し修めて行うのであります。

「臨済宗円覚寺館長横田南陵の言葉より」
私などは役目柄、人さまに話をしたり、教えることが多いのであります。
しかし、その分常に学んでいなければならないと思っています。
なかなか学ぶということは努力しないとできないものです。
先日は、椎名由紀先生にお越しいただいて教わり、その次の日には、
甲野陽紀先生に起こしいただいて教わることができました。
生徒になれることはいつもながらうれしいものであります。

椎名先生は、その翌日から海外に出張なさるというのに、
そんなお忙しい中、講座を開いてくださいました。
修行道場では、お盆が終わってご自分のお寺に帰っている者も多く、
いつもよりは小人数となりました。
それだけにじっくりと学ぶことができました。

今回のテーマは中心軸であります。
本題に入る前に、椎名先生は、「癖」について話をしてくださいました。
椎名先生といつもご一緒に教授してくださる先生が、人前に話をなさるときに
癖があって、「あのー」という言葉をよく無意識に使ってしまうそうなのです。
緊張したりすると、なお一層「あのー」という言葉が出てしまうという話でした。
よほど気をつけていないと、わずかの間に「あのー」が何度も入ってしまって、
本人は気がついていないけれども聞く方は聞きづらくなってしまうものです。
私などは先代の管長のおそばにお仕えしていて、よく話のときに「えー」とか
「あー」とか言わないようにと注意をされていました。
それでも「えー」と出てしまいます。

先代の管長は、「えー」とか「あー」とかいう間は、なにも言わずに間を
保つのだと教えてくださいました。
ところが、我々はなかなかこの間を保つことが難しいのです。
なにか言わないといけないと思ってつい「えー」とか「あのー」とか
言ってしまうのです。こういうのは無意識の癖であります。
そんな話をなさってから言われたのが体にも癖があるというのであります。

はじめに各自の姿勢を調べてみました。
ヨガで使うベルトを用いて、足のくるぶしの前あたりに置いて、
そこから畳に対して垂直に頭の上まで伸ばします。
それを橫から見てみると、肩や頭はかなりずれてしまっていることが多いのです。
修行僧たちに多いのは、仙骨の後傾であります。
無理に腰を入れようとして仙骨が後傾して、大転子がベルトよりもかなり
前に来てしまっています。
そうすると肋骨が反ってしまい、首が前に傾くのです。
中には逆に仙骨前傾の者もいました。
橫から見ると、まっすぐなベルトに対してジグザグになってしまって
いるのがよくわかります。

私はというと、腰のあたりまでは幸いにまっすぐなのですが、
肋骨が後傾してしまっています。上半身が反り気味なのです。
これも長年の癖であります。
いついつも椎名先生からは肋骨を矯正してもらっています。
みぞおちを落とすような感じにするのです。

これもわかっているのですが、癖というのは、
ついついそうなってしまうのです。
各自の癖、傾き具合を点検したあとに、
それらを治すために、体をほぐしてゆきました。
じっくり体をほぐしていって、終わりにもう一度ベルトを使って
調べて見ると皆かなり姿勢がよくなっているのでした。

こういう癖をもっているので、何度も何度も学びそして繰り返し
習うことが必要だと改めて思ったのでした。

その次の日は甲野陽紀先生の講座でした。
二日も続けて学べることは有り難いことです。
前回甲野先生とお話していた折りに、歩くこと、走ることの
話題になって、歩くことも走ることも私がとても興味をもって
学んでいるところなので、是非教えてくださいとお願いしたのでした。
特に走るということは普段なかなか行いませんので、関心があります。
甲野先生は、注意の向け方で体が変わるということをいろいろ教えて
くださいます。

たとえば手を振るにしても腕を振ると意識を向けて振るのと、
手の内を振ると注意するのとでは体の安定感が違うのであります。
それから足首の角度でも体全体が変わるのです。
足首を九十度にして足を上げ下げしていると、肩が緩んで体が安定します。
足首が九十度でないと肩などが固くなってしまうのです。
これは眠るときにも気をつけるといいと教えてくださいました。

足首を立てるようにすると肩のあたりも緩むのだというのです。
そうして足先に注意を向けて、足をあげさげします。
あげさげしていて、そして体を前傾させるのです。
前傾させると自然と前に歩き、走るようになるのです。
やっているのは足先を上げ下げしているだけなのですが、
それが体を前に傾けるだけで歩くことにもなり、走ることにもなるのです。
そんな基本を習ってから境内を走りました。
なるほど注意の向け方で軽快に走れるものであります。

円覚寺は坂や階段が多いのですが、坂を上るにしても階段を
上るにしても要領は同じなのです。
自然とするするのぼってゆけました。
ただ八月後半になったとはいえ残暑が厳しく、
ずいぶん汗をかいたものでした。
それでも修行僧たちと共に生徒になって教わり体を動かすことは
楽しいものであります。
臨済宗円覚寺館長横田南陵

私もこの文章から多くの学びを得ました。
学びの興味は尽きることはありません。


山頭火




私は苦難困難に強い。そして貧しさにも強い。
人よりも孤独にも慣れていて何日も喋らなくても平気である。
若い時から勉強も真剣にしたことがない。だからお金に執着もしなかった。
そして努力もなしに願えば叶うことが多かった。
高校受験も大学受験も就職も全部望むところへ行った。
常に礼儀正しくて元気で笑顔でいれば誰でも好かれるはずだと思う。
別にそんな人間が褒められるわけでもないがこれも個人の生き方である。

音楽プロデューサーとして活躍をして作詞も作曲も編曲もした。
その中の一曲が日本レコード大賞作詞大賞に選ばれた。
才能があったわけでも無いのに選ばれたのは嬉しかった。
現役を退いてからマーケティング講座も引き受けて各地で講演もした。
多くの会社や団体から役員として要望があり忙しい毎日だった。

LAで音楽会社を立ち上げ、韓国で映画会社を立ち上げて、北京の音楽会社と手を組んだ。
その後中国のアーティストが大ヒットして中国政府から仕事の依頼があった。
特別に能力があるわけではないが常に時代の先を走り続けた。
豊かな時には豊かな暮らしをして、貧しい時には貧しい暮らしをする。
収入のほとんどは活動費や投資で消えてしまうので家族に迷惑をかけた。
一体全体「俺は何だろう」と考えた時に、この俳人の名前が思い浮かんだ。

孤高の俳人種田山頭火だ。

1882年(明治15年)に山口県防府市で生まれた種田山頭火(本名:種田正一)は、
自らのことを「無能無才」や「小心にして放縦」、「怠慢にして正直」と評し、
その57年の生涯を「無駄に無駄を重ねたような一生だった」と振り返って
います。山頭火という人物は、一体どのような人生を歩んできたのでしょうか?

種田家は村の大地主で、父親は役場の助役なども務める顔役でしたが、
女性関係が派手な方で、母親はそれを苦に、山頭火が11歳の時に井戸へ
身を投じ亡くなっています。俳句を始めたのは15歳の頃からで、
高校を主席で卒業し早稲田大学へ進学するなど、学業の方は優秀だったそうです。
大学在学中に神経症を患い故郷へ戻ることになった山頭火は、その後、
一家で開業した酒造場の仕事を手伝いますが、およそ10年で破産に
追い込まれ、父親は消息を絶ちます。不幸続きの山頭火は、
酒に溺れたようですが、俳人として頭角を現してきたのは30代頃からで、
投稿した句が俳句誌に掲載されています。

私はその日その日の生活に困っている。食うや食はずで昨日今日を
送り迎へている。多分明日もいや、死ぬまではそうだろう。
だが私は毎日毎夜句を作っている。飲み食いしないでも句を作ることは
怠らない。いいかへると腹は空いていても句は出来るのである。
水の流れるように句心は湧いて溢れるのだ。私にあって生きるとは
句作することである。句作即生活だ。
 
私の念願は二つ。ただ二つある。ほんとうの自分の句を作りあげることが
その一つ。そして他の一つはころり往生である。病んでも長く苦しまないで、
あれこれと厄介をかけないで、めでたい死を遂げたいのである。
私は心臓麻痺か脳溢血で無造作に往生すると信じている。

私はいつ死んでもよい。いつ死んでも悔いない心がまえを持ちつづけている。
残念なことにはそれに対する用意が整っていないけれど。
—無能無才。小心にして放縦。怠慢にして正直。あらゆる矛盾を蔵している
私は恥ずかしいけれど、こうなるより外はなかったのであらう。
意思の弱さ、貧の強さ、あゝ、これが私の致命傷だ。

俳句は言葉の「音」や「リズム」を楽しみ、そこに美しさを見出す芸術ですが、
山頭火の作品は、同じ音を繰り返し用いるなど、特にこの傾向が
強く見られます。
“てふてふひらひらいらかをこえた”
“春の山からころころ石ころ”
“あざみ鮮やかな朝の雨あがり”
“ほろほろほろびゆくわたくしの秋”
“もりもり盛りあがる雲へあゆむ”(辞世の句)

何だかラップのような趣がありますよね?そのほか、情景や感情を詩的に
呟いた作品も多く、現代のツイッターに通じるところも、
今の人に受け入れられる要素かも知れません。
“まっすぐな道でさみしい”
“笠にとんぼをとまらせてあるく”
“ころり寝ころべば青空”
“あたたかい白い飯が在る”
“咳がやまない背中をたたく手がない”

1932年(昭和7年)9月から1938年(昭和13年)まで暮らした庵。
50歳を迎えた山頭火は、体力の衰えから作句と行乞(ぎょうこつ)の
旅に限界を感じていました。そこで、山口市小郡(おごおり)に庵を結び
「其中庵」と名付け生活を始めます。安住の地を得た山頭火は、
数々の句集を発行するなど、最も充実した文学生活を過ごしました。

この地は私の家内の実家がある場所です。
私と結婚するまでは家内はこの地で暮らしていました。
私もこの地防府へ何度か訪れました。親しみを感じるのはそういう縁が
あったからかもしれません。

旅の途中に書いた代表作
☆どうしようもないわたしが歩いている
☆分け入っても分け入っても青い山
☆酔うてこほろぎと寝ていたよ
☆おちついて死ねそうな草萌ゆる
☆生死の中の雪ふりしきる
が好きでした。
山頭火が俳人として生きていくことを決意したときに
詠まれたものだと言われています。

禅の言葉に「本来無一物」というのがあります
「本来無一物」という語は、誰でも知っている禅の代表的な言葉である。
誰でも知っているけれど、ほんとうに分かっているかどうかは、まったく別であろう。
普通には、「もともと何も無い」というように理解されやすい。
 
しかしこの「本来」という語は、もともとという意味ではなく、「本質的に」とか、
「根源的に」ということである。また「無一物」は何も無いということではない。
禅宗で言う「無」は大乗仏教の説く「真空」の中国版で、有と無の両方を超えた
次元を意味しているのである。したがって「本来無一物」もまた、有も無もそこから
出てくるような「根源」をいうのである。
 
われわれの身体や心もまた、そういう「一切を超えた根源」から現われ出ている
ものであるから、それを「清浄なもの」だと考え、煩悩のような「不浄なもの」を
避けようとするのは、「小乗仏教的」な二元論に過ぎないのである。
 
大乗仏教では、「清」も「濁」も、ともに根源の「空」の現われ方の違いであるとする。

だから清と濁、善と悪というように、分別してしまうのは、真実についての誤った
理解で、それを迷いというのである。なるほど清らかな処に塵が溜るなら払わなければ
ならないが、何にもなければ塵も溜らないというのが、大乗仏教の尊い考え方である。
 
清も濁も同じ「空」の現われであるから、両者は同じ価値である。
それを差別することが迷いである。「悟りは迷いの道に咲く花である」という句は、
それを言うのであろう。

いま山頭火が面白い!
何度もブームが再来するのは日本人の心に響く演歌に似ているからかもしれない。
俳句の定型化から離れて自由律俳句と言葉遊びの響きが若者たちにも
好まれるのはラップ調だからかもしれない。

山頭火の俳句はお昼に読んでも夜中に読んでもそれなりに響き方が違う。
みなさまもお時間のある時に読まれてみては如何でしょうか?


禅の人間形成とは




人間には知性と四つの感情(喜怒哀楽)がある。
知性もなく感情もなければ何ら動物と変わらなくなる。
本来知性も感情も生まれた時から兼ね備えているもので、
それを正しくコントロールする為にも知性を磨き、感情も場面に応じた
表現を変えなければならない。それぞれの階級に応じた教養と知性(行)に
裏付けられた表現と仕草(道)を学び行わなければ下民として扱われる。

例えば人間を禅的に表現するとこの様になる。

自然はどこまでも「人間のため」のものである。
この「人間のため」ということは、しかし、「人間は何のためか」という
人間存在の究極的問いに対する答えの欠落、すなわちニヒリズムと
一体のものである。人間中心主義と一体のニヒリズム、いわば人間
虚無主義は、前述のように、一面において人間の欲望中心と知性中心とを
もたらしたが、他面においては退屈.不安.懐疑・絶望という現代人の
根本気分とそれからの逃避や麻痺の手段としての気晴し文化とも称すべき
ものをもたらした。

現代のいわゆる近代化された社会の根本状況は、これら両面の悪循環の
渦巻の加速度的拡大・深化にあると言えるであろう。
すなわち、合理的知性ジーを求めるという循環とともに、その循環によって
ますますニヒリズムが深刻化され、その深刻化されたニヒリズムが新たな
気晴しを求め、その気晴しの手段としてますます欲望が追求されるという
悪循環である。

「すべては人間のため」は「すべては許されている」を惹起するのであるが、
「すべては人間のため」ということの裏面に本来的に含まれている
「すべては空しい」がとりわけ現代において露わになることによって、
その空しさの感覚の麻痺として新たな「すべては許されている」が追求され、
さらにそれが「すべては空しい」をますます増幅させるのである。

このような現代の精神状況は、最初に述べた現代における人間形成および
それにおける「行」の欠落ということと必然的な連関性を有している。
そのことが明らかになるためには、まず人間形成における行というものの
基本的特徴が簡単に確認されておかれねばならない。

その特徴は一応、1主客合一、2知行合一、3前二者の合一であると同時に
それらの成立根拠である「道」の存在、の三つにまとめられるであろう。
次にこの三つの特徴について簡単に述べることにしたい。

(1)主客合一いわゆる近代化ということの基本的特徴の一つが知性中心主義に
あることはすでに指摘した。知性の本質は一科学に代表されるように、
客体的事物に関する対象章魚にある。それは主客の対立をその働きの基本的
枠組みとしている。ということは、「客体についての究明と主体の自己究明とが
切り離せない一つのものであるようなそういう知の次元が閉ざされる」
(西谷啓二)ということである。こで「そういう知」と言われている知の特色は
「主客合一」と「知行合一」ということにある。

(2)知行合一
先に、近代化の立場が知性中心主義に陥り、全人の一部にすぎない
知性(頭)が肥大化してきた結果、他の部分である情意(心)と(狭義の)身体
(手)が澗渇し萎縮させられてきたことを指摘した。
これら三つの部分は人間(全人)において本来一体のものであるにも
かかわらず、それらが分裂してきたということは、本章の初めに人間形成に
おける行の欠落ということと関連しているが、このことは同時に前節で
述べたような知(「客体についての究明と主体の自己究明とが一つのもので
あるような」知)の欠落をも意味している。

行とは「全知行合一」とは、選る事に即しての(つまり仕事ということにおける)
全身心を挙げての自己の統一である。回る事になり切るということ,
(主客合一)において全身心が統一される(知行合一)のであり、また逆に、
全身心が統一されることによって或る事になり切ることができる。
それゆえ、主客合一と知行合一とは一体のものであると言えるであろう。
細る事柄に「身を入れ」「念を入れる」という身心一如的な行(行ない)によって
初めて、その事柄が「身につき」「身になる」のである三共に、その事柄が
その事柄そのものとして露わそこでは自己の形成と事物の形成とが一つである。

そしてそういう仕方で同時に自己の知(自知)と事柄の知(事知)とが
もたらされる。職人(古来芸術家は職人であったという広い意味で)
は、自己の具体的な職に精通することを通して、事物を形成すると同時に
自己の.人格形成や人間形成を行なうのである。真の職人になることと
真の人間になることとは切り離すことができない。古来、行とか修行と
言われてきたものには下のような意味が含まれていたであろう。

(3)道
以上、行における主客合一と知行合一とについて述べた
わけであるが、これら両者の合一を成立せしめる場が道(みち・どう) である。
行とはまず、道を行くことである。道がなければ、行ということは
成り立たない。では道とはいかなるものであろうか。

先に拙論(一)において次のように述べた。「禅は無立場であるが故に一切の
立場に伸びて行く。禅は、およそあらゆる人間の営みに伸びて行くことが
可能であり、しかもそれらのいかなる領域にあっても、それらを道とか
術とかに課することによって、どこまでも究め尽すことのできない無限の
奥行きをそれぞれに与えたのである。 ここから道について二つの意義を区別して
取り出すことができる。 ひとつは、文中で「道とか術」と言われて
いるような個別的な道であり、他は、これらの個別的な道を成り立たしめる
ものとして、文中で「禅」と言われているものである。

前者の個別的な道とは、具体的には剣道・茶道などの道、武士道・商人道など
の道、学問の道とか俳書の道などの道等々を指すが、それらのみにとどまらず、
およそ人間の行ないのある所には道がある(道が拓かれる)という意味において、
道は無数にあり「禦後者の揮」とは・例えば禅門で・大道黒門・千蘇有り唖と
言われ、また「南泉、因みに型鋼問う」、『如何なるか是れ道』。

峨と言われる場合の大道とか道がそれである。
これらの両者を強いて簡単に特徴づけるとすれば、前者が三昧
(群臣三昧・事三昧・個々三昧)とすれば後者は王三昧(一行三昧・真如三昧)、
前者が偏位(差別相)とすれば後者は正位(平等感)、また西田哲学に即して
前者が「無の一般者の自己限定」とすれば後者は「無の一般者」、等々と
言うことができるであろう。

この知的好奇心は尽きることが無くても「行」を行うことは出来ない。
何ひとつ「道」を極めたわけでもなくただの凡人である。

私は勿論学者のような知的能力も巧みな文章も書けない。
しかしその文章の内面に入ることは出来る。
禅僧なような修行の経験もなく、それらの行の修羅場も知らない。
しかし禅僧と同じ経文を読むことは出来る。

今回は「人間とは」の追求だった。
デジタル化する前の人間と言う定義の根本は自然の中における人間である。
しかし、今後デジタルAIの中における人間とは科学に中における人間である。
よって人間の努力や経験や感情は必要ないのである。
誰もが「行」とか「道」は究めなくても簡単に知ることが出来る。
完璧なAIロボットがお点前を披露してお茶を差し出す日が目の前に来ている。


受け取らない




苦手な人からの言葉が気になって苦しんでいます。
気にしないようにすればするほど頭から離れません。
こんな時にはどのような解決方法がありますかという質問がありました。

例えばこの様な話があります。
お釈迦さまが弟子から聞かれて答えた言葉です。

周りの人たちがお釈迦さまを悪く言いますがお釈迦さまは平気ですか?
お釈迦さまの答えが「悪口をいくら言われても受け取らないことです」
そうするとその悪口は本人の元へ戻ることになる。

あなたが嫌いな人から贈り物が届いたら受け取らないでしょう。
そうすればその贈り物は本人の元へ送り返されるよね。
それと同じで何を言われても「受け取らない」というのが答えです。
さすがお釈迦さまの言葉は分かり易いですね。

我々の日常でも些細なことで悩むのはその悩みの種を受け取るからです。
その悩みの種はいつしか頭の中で大きくなり身動きができなくなる。
何故か人は聞きたくない言葉を聞くとその言葉から逃れられなくなる。
勝手にその言葉に苦しめられて悩みの深みにはまり込みます。

それは犯罪グループからの脅迫に苦しめられる人も同じです。
現場を見てしまったから仕方ない、指示を聞いてしまったから仕方ない、
車で送り迎えをするだけだと言われたので従っただけと言い訳する。
相手が自分の個人情報を知っているから家族を殺すと言っていた。
その一言に怯えて悪の組織から抜け出せなくなる若者たち。
人生経験が少ない分、解決方法が分からないのです。

「莫妄想」という言葉があります。
勝手に妄想をして悩むなよという意味です。
無学祖元禅師が北条時宗に言った言葉です。

「莫妄想(まくもうぞう)~妄想すること莫れ~」
-過去や未来を思い悩まず、今に集中する-
肉体や心の欲望、未来への不安や執着など、私たちの心を曇らせる
最大の原因が妄想です。 それをくよくよ考えるなというのが「莫妄想」
(妄想すること莫れ)です。

元寇の危機にさらされていた鎌倉時代、執権・北条時宗は、強大な元軍との
戦いに悩み、中国から招いていた無学祖元禅師のもとを訪れました。
無学禅師は時宗に「莫妄想」とさとしたといいます。
時宗はこの一言で決心を固め、今できるかぎりの防備に全力を尽くして、
あとは天命を待つ心境 にいたったといわれています。
結果、元軍は二度とも暴風雨に襲われ、壊滅状態になりました。

『転ばぬ先の杖』とは、「転んでケガをする前に、杖を用意して体を支える
準備をしておくこと」という成り立ちから、「さまざまなリスクや不測の
事態に対し、十分な準備をして備えておくこと」のたとえとして使用される
言葉です。「転ばぬ=失敗しない」「先=未来」「杖=準備」と置き換えれば、
意味が分かりやすいでしょう。

心配事が予測されるのならその前に準備をすることです。
苦手な人との応対、苦手な言葉への対応、苦手な状況に対する対処など
事前に予測して心構えをすることです。
完全に取り除くことは出来ませんから戒めとして少しは残しておくことです。

受け取らない!の逆に受け取る場合はこのようになります。
目標達成後の状況を具体的に思い浮かべる。
これも脳の「無意識」への働きかけになります。
決めた目標が達成したときの状況を可能な限り具体的に思い浮かべ
イメージすることで、脳がそのようにセットされ目標に近づく行動が
自然に起きていきます。
できればその時に感じるであろう感情や感触まで味わえるぐらい具体的に
イメージします。

例えばネイリストの資格を取得して開業することを目標にしたとします。
その場合は、開業したお店の部屋の壁などの内装、仕事机、置いてあるソファ、
窓から見える風景などを可能な限り具体的に詳細に頭の中にイメージします。
できればその仕事を開業できたときの嬉しさ、わくわく感も味わってみます。

仕事机の感触、窓の外から聞こえてくる街のざわめきなども体感します。
五感すべてで感じるぐらい具体的に思い浮かべることで、脳がセットされて
「その気」になり、自然に目標が叶う行動をとるようになります。
イメージの中から喜びを受け取るのです。

私も担当した新人アーティストに楽曲がヒットして武道館でコンサートを
開いているときの情景を思い浮かべるように指導をしていました。
バンド仲間とのリハーサルや当日の衣装や照明やスピーカーから流れる音も
会場に集まったお客様の顔も詳細に思い浮かべるように伝えていました。
もし何かの手違いで失敗してもそれをカヴァーする方法も想定して望むのです。

コンサート終了後に親や親しい友人や恋人も楽屋に呼んで大成功の乾杯を
酌み交わしている姿も想像するとモチベーションが高まりワクワク感で包まれます。
声が出なくなって歌えなくなったらどうしようか?歌詞を忘れてしまったら
どうしようか等ネガティブなイメージは取り除くのもプロデューサーの役目です。
成功したら海外でレコーディングするぞという素敵なプレゼントも効果があります。

最後にこの言葉もお伝えします。
運を引き寄せるのに一番必要なこと
運は、暗い人や、怒っている人、意地悪な人にはやってきません。  
大切なことはたったひとつ。ご機嫌でいること。
運は楽しいこと、明るいこと、風通しのいいところ、気持ちいい場所が
大好き。ですから、たったこれだけで、運はどんどんやってきます。
とはいえ、今は先行きの見えない混沌としたご時世。そして現代人は忙しく、
多くの情報にも惑わされやすい環境にあって、いつもご機嫌でいるのも
難しいことと思います。  

正しい運を引き寄せるには、
「悪口をいくら言われても受け取らないことです」
正しい運を受け取るときには、
「成功の夢が叶えられた時のイメージを具体的に描くこと」
この二つを守れば気持ちが楽になり頑張れますよ。


夢なんて持たなくていい




夢に向かって夢中になれ!
夢の解字は夕暮れ時に目を細めて遠くを見る。
はっきりと見えない様を表している。
焦点がぼやけている状態である。
ハッキリと見えずに手に入れられないものなら追いかける必要はない。
それなら夢ではなくタスクを持て毎日何をやるか「課題」を持つ事が重要です。

与えられた仕事に優劣をつけずに完璧にこなしていく。
今ある仕事に感謝して丁寧にこなしていく。
例えそれが便所掃除でも同じである。
便所掃除を嫌がり恥ずかしいと思った時点でチャンスが逃げていく。
辛い孤独な作業ほど他人は見ているものだ。

ある時に給料が少ないと上司に言ったら「仕事がつらいか?仕事がつらいから
給料が頂けるのだ。もしお前が仕事を楽しいと思ったら会社に給料を払うのだ」
と言われた。その言葉が妙に腑に落ちてそれ以来ベースアップを望んだことは
一度もない。給料なんてベースカーゴ(作業量)でそれ以上のものではない。
(ベースカーゴとは1回の航海において、その船舶輸送収入の中心あるいは
基礎となる貨物)

豊臣秀吉が信長の草履取りをしていたとき、どういう働きぶりをしていたか。  
よく知られている通り、どんなにつまらない仕事でも全気全念を集中して、
手を抜かずにやり遂げたからこそ大抜擢されたのだ。われわれ凡人は、
たとえば箒の使い方など、取るに足りないことは「いい加減にやっつけろ」
ということになりがちだ。ところが、取るに足らないと思われることさえ
できなくなって、どうして大きな仕事ができようか。これも積もり積もって
何のみのりもない一生が終わってしまうのである。
 
そのつまらぬことに対して、全気全念をもって立ち向かう健全純善なきの
習慣は、やがて確たる偉業を打ち立てることにつながるのである。
儒教でいう《敬》というのが、すなわち全気全念で事に従うことであり、
そして道教でいうところの《錬気(呼吸をととのえ心気を練る)》の
第一歩が全気全念を保持することなのである。
 
この造作もない日常のつまらぬことが、ちゃんとできるまでには
多少の修業が必要だ。しかし一度身につけたら、水泳と同じことで
水に入れば自然に体が浮かぶように、容易にできるようになるのだ。
机の前に座るだけが修行ではない。
日常一日中、何事をなすにも気を集中させるのだ。

暗闇の中で脱いだ下駄は暗闇の中でも履くことができる。
しかし全気を入れて脱がなかった下駄は明かりをつけても、
すぐにうまくは履けないものだ。 
 
何事においても、全気で取り組んだとき、どんな具合に進行展開して、
そしてどのような結果になったか見届けることだ。そうすることによって、
刹那・刹那、秒・秒、分・分、時々刻々に当面することと、
全気で対応することができるようになる。こうなるとしめたもの、
いつの間にか《散る気》の習癖は消え失せてしまっているであろう。

今の時代はタスクをどう見つけてどう解決していくのか、
更にそのタスクを磨き次のタスクの解決方法として残していくかが重要である。
指示された仕事を無難にこなすのではなく、指示された仕事の分析をして
いち早く処理する方法を考える。デジタルに囲まれた環境の中で悩みなく
仕事をこなすということは人間性を失うことを意味する。

人間とはどんな些細なことにも全気全念で取り組む事が出来る。
無駄だと思うことを真剣に取り組むのが人間である。
杓子定規に論理的に解決の糸口を見つけようとしている人は
遊び心がなくてはならない。
このような人にはロダンの「言葉妙」を勧める。

ジュディト・クラデル筆録
奇妙な事には正確な科学に全然属しているとわれわれに見える事物までが
同じ法規に置かれています。私の友だちの造船家が私に話したには、
大甲鉄艦を建造するには、ただそのあらゆる部分を数学的に構造し
組み合わせるだけではだめで、正しい度合いにおいて数字を乱し得る
趣味の人によって加減されなければ、船がそれ程よく走らず、機械がうまく
ゆかないという事です。
してみれば決定された法規というものは存在しない。
「趣味」が至上の法規です。宇宙羅針盤です。

しかしながら、芸術にある絶対の理法もあるべきです。
自然の中にそれがありまたそれは世界の護衛者ですから・・・

人間とはどんな些細なことにも全気全念で取り組む事が出来る。
無駄だと思うことを真剣に取り組むのが人間である。
杓子定規に論理的に解決の糸口を見つけようとしている人は
「遊び心」がなくてはならない。

論理的に物事を考えると答えの結論は想定できます。
しかし、どんなことにも遊びが無くては事故に繋がります。
車のハンドルは適当に「あそび」を持たせるのはその為です。
特に我々日本人は真面目過ぎて理論通りに進まないと反発が起こります。
職人や技術者なら正確な計測によるものづくりも大切かと思います。
そこにあそびを持たせるのは全てにおいてトップリーダーの役目です。

リフレーミングとういうマーケティングの手法があります。
一つの商品をあらゆる角度から見て消費者の気持ちになって作り変えることです。
老若男女、病気の人、健常者の人、外国の人の気持ちになり創造力を高めます。
形を変えたり、色を変えたり、素材を変えることで爆発的に売れることがあります。

これは人にも応用が出来ます「ジョハリの窓」というゲームです。
自分が考える自分、他人が考える自分、自分が知らない自分、可能性を見つける自分
などをゲームとして行うのです。これを心理学の教材として使うのは反対です。
いたずらにからかわれたりいじめの原因にもなるからです。

夢なんて持たなくていいは現実主義者に成れと言っているのではなく、
若い人たちが将来を考える時に2~3年で変わるデジタル社会において
必要なのは夢では無くてタスクを考えた方が良いとの発言です。


人間の一生




人間の一生とは「生老病死」の移り変わりです。
「生」とは生まれる先を選べず神に委ねるしかありません。
できるなら幸福な家庭に生まれてきたいと思います。
しかし不幸な家庭に生まれたとしても偉大な学者や成功者は大勢います。

福岡伸一先生提唱のエントロピーの法則では、
なぜ、私たちの体は絶え間なく合成と分解を繰り返さなければ
ならないのでしょうか。シェーンハイマーはその答えを出していません。
その後、「どうして生物が秩序を守り続けていられるか」について考察を
巡らせた物理学者のアーウイン・シュレディンガーも、そこには重要な
秘密があると感じていましたが、それを明確な言葉にはできませんでした。

現在の私たちも明確な言葉をもっていません。ただ、次のようには言えます。
生命現象は、例えば人間なら60~80年は生命の秩序を固体として維持することが
できます。それに対して、宇宙の大原則「エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)」
があります。エントロピーは「乱雑さ」という意味です。

その中で、生命現象は何十年も秩序を維持し続けています。
これは法則の例外でしょうか? いいえ違います。生命現象は、
非常に特殊な方法で「エントロピー増大の法則」と必死で闘っているのです。

ある秩序を維持しようとする場合どうしたらいいか。
工学的な発想に立てば、頑丈にすればいいわけです。
高層マンションは「エントロピー増大の法則」から免れるため、
強力なパイルを地中深く打ち、風雪や風化から守るために腐食しない
セラミックタイルで覆います。しかし、どんな建物も20年ほどすれば、
大規模な修繕を行わないと立ち行かなくなります。

ところが生命は、もちろん徐々に老化はしますが、メンテナンスフリーで長期間
生き長らえます。それは生命が「頑丈につくる」という選択を諦めたからです。
生命現象は最初から「ゆるゆる、やわやわ」につくり、あえて自らを壊し続ける
ことを選択したのです。

全てが生まれ変わると新しい細胞が生まれて古い細胞は排出されるのです。
生まれた時から死に向かって生きていることこそ人生の醍醐味です。

「老い」とは一年一年歳をとります。20代をピークに老いることになります。
20代に社会へ出て仕事を覚えます。30代には会社で地位につき家庭を
持つことになります。40代になると大勢の部下を持ち指導者の立場になります。
50代になると社会へ貢献しなければならないと考えるようになります。
60代になるといよいよ老いを感じて慎重になります。
70代は肉体的には衰えが来ても精神的には円熟みを増して
人生を楽しむことが出来ます。

「病」とは長いようで短い人生の中で一番怖いものです。
今はいつ起こるかわからない不慮の事故も怖いですね。
病気は生まれつきのものと生活習慣から起こるものと二つあります。
生まれつきは致し方ないのですが、それ以外の病気には医療が発達して
長寿が当たり前になり、今や人生100年時代になりました。
私たちは肉体の病気も怖いのですが精神的な病気はもっと怖いです。
アルツハイマーや認知症などになり過去の記憶が失われるのは耐えられません。

「死」とは人生最後の場面ですが、これはもういつになるか
運命に任せるしかありません。
どんなに大成功しても死だけは避ける事が出来ないのです。
多くの偉人たちは異口同音に死と健康を結び合わせて辞世の句としています。
アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブスも
最後に「もっと健康について学んでおけばよかった」と言葉を残しています。

脳科学者中野信子さんの対談の時の言葉をご紹介します。

人間の一生というのは、気づいたら高速道路を走らされている、
そんな状況に似ていると思う。ときどきおそろしくハイスペックな車に
煽られたり、ルールがわからないために馬鹿にされたりして、
もう走りたくないと思っても高速から降りることは絶対に許されず、
出口もわからず、どこまで走るんだろうと思いながらハンドルを握っている。

見よう見まねで交通ルールを覚えるんだけど、それも走っていくうちに
変わってしまったりする。出口を降りるときは、人生が終わるときでも
あります。でも私は、仮に自分が望んだわけではないにせよ、
せっかく走っているのだから、つまりどういうわけだかせっかく生というものを
与えられたのだから、その利益は最大化したいんですよ。
私はすごくケチな人間なので(笑)、
その生の価値を最大化する工夫はしたいと思っているんです。

自己責任という言い方に、なにかネガティブな結果に対してはペナルティを
負わないといけないといったようなニュアンスが含まれるとしたら、
それはちょっと違うかもしれない。後悔したっていいと思うんですよ。
失敗というのは、してはいけないものだからこそ、
それを失敗と言うわけですが、その定義も自分で決めて良いし、
実はとてもフレキシブルなものなんですよね。

例えば、私がなにか失態をおかして仕事を失ったとしたら、周囲からは
失敗だと見られるんでしょうけど、自分はもともと裕福な育ちではないから、
貧乏になったらなったでその生活を楽しむだけだし、
そんなに怖がることではないと思っているんです。

人間の一生と言えばモーパッサンの「女の一生」を思い浮かべる人も多いと思います。
1883年に発表したされた、ギ・ド・モーパッサンの長編『 女の一生』を紹介します。
モーパッサン(1850年〜1893年)は、ノルマンディーで生まれ、
パリで活躍した自然主義の作家です。短編小説が有名ですが、6つの長編小説を
残していて、日本では島崎藤村などが影響を受けたと言われています。
今回紹介する『女の一生』は、ロシアの文豪レフ・トルストイが、
「モーパッサンの著作の中で最高の小説というだけでなく、ユゴーの『レ・ミゼラブル』以降で最高のフランス小説」と絶賛した作品でもあります。
 
この物語の主人公ジャンヌは、12歳から修道院に入り、浮世のことを知らずに育ちました。17歳になり、恋や結婚に憧れを抱いて修道院を出ると、両親の所有している
海辺の街レ・プープルの家に住み始めます。そして間もなくミサで出会った子爵の
ジュリヤンに求婚され、結婚します。憧れの生活に入ったのもつかの間、
ジュリヤンの不倫や身近な人々の死によって、ジャンヌは徐々に人間への嫌悪を増し、
絶望していきます。苦難の人生をたどったジャンヌに、どのような結末が
待ち構えているのか、是非最後まで読んでほしい作品です。

この本を読むと「人の一生」とは中野信子さんが行っている言葉と重なります。
人間の一生というのは、気づいたら高速道路を走らされている、
そんな状況に似ていると思う。ときどきおそろしくハイスペックな車に
煽られたり、ルールがわからないために馬鹿にされたりして、
もう走りたくないと思っても高速から降りることは絶対に許されず、
出口もわからず、どこまで走るんだろうと思いながらハンドルを握っている。

自分で作り出していると勘違いしている人の一生は、運命に抗うことのできない
決められた道路を走り続けているのと同じである。
私も好き放題に自分勝手に生きていたと思っていたのは決められた道路上を
必死に走り過ごしてきただけである。
「生老病死」私に残されているのは最終章の病と死です。

少しは人の役に立ち潔く最期を迎えたいものです。
惜しまれて散りゆく桜に未練なし「恩から始まり恩で終わる」


死について




「老人と孫」の対話集会で最初の質問が「死ぬのは怖くないですか」でした。
私は未練のある人は怖いと思いますが、悔いのない人生を送った人には
怖さは起こらないと伝えました。
60歳までは積み重ねる人生で、60歳を過ぎてからは減らす人生だと思います。
それでは何を減らすのか?
そんな時に横田南陵老師のこんな言葉に触れました。

死というのは捨てていく営みだというのです。
はじめに趣味を捨て、金に対する執着を捨て、異性に対する関心も捨て、
家族との関わりも捨ててゆくというのです。
みな手放してゆくのだというのです。

最後に残るのは自然とのふれあいだと説かれていました。
窓を開けて心地よい風に吹かれたいとか、星を見たいと思うのだそうです。
ともあれ死はこの世のすべてを手放してゆくのです。
そこで幸せな最期を迎えようと思うなら、普段から手放すこと、
出すことを訓練しておくことだと仰っていました。
何かを得ることばかり考えるのではなく、与える生き方をするというのです。

特別な寄付をするというようなことだけでなく、日常の暮らしでも
笑顔を与えるというのもそうなのです。
なにか手伝ってあげるというのもそうです。
このように出すこと、手放すことに慣れていると、最期ににっこり微笑んで
迎えることができるというお話でした。
これはなるほどと深く受け入れることの出来るお話でした。

またこのような話もあります。
「お食いじめ」とはあまり聞き慣れないことばです。
お食い初めに対する造語だそうです。
お食い初めは、はじめて子供にご飯を食べさせる祝い事です。
お食い初めがあるのだから、お食いじめもあるだろうというのです。
人生の最期に何を食べたいのかということを考えるのです。
この最期の食事を支援するというのです。

まわりの家族などは、あなたのために食べさせたいと思い、
ご本人もまた大事な家族のために食べたいと思うのです。
60代の重い病の方の実例が紹介されていました。
最期にウナギを食べたいというのです。
家族は好きだったお酒も飲ませたいということでした。
奥様と娘さんと一緒にうなぎ重とお吸い物、
それにお酒で最期の食事会をなさったのでした。
奥様は新婚の頃からの思い出話をして、娘さんも幼かった頃の
思い出を語ります。

そろそろ食べようかと、お酒を一口さしあげ、ウナギも一口を
四回かけて飲み込み、もう一口を三回かけて飲み込まれて、
最後に有り難うと言われると拍手が沸き起こったという話でした。
ウナギをもって家族と写った写真は素敵な笑顔でした。
実に幸せな最期だったと感じました。

とても素敵な話だと思いますが、私は以前友人の神主さんに
言われた言葉を思い出しました。
あなたは死ぬ間際に何が食べたいですか?
同席していた友人たちは思い思いに「カレーライス、母親の手料理、オムライス」
などを言い、私も「家内の作るビーフシチュー」が食べたいと伝えました。

そして最後に神主さんが「死ぬ間際にまだ食べ物に未練がありますか?」
と言われたのです。どうせ明日死ぬのだったらこの食べ物を生きていく人に
譲るという気持ちが大切です。周りの人の気遣いを無下にするのは失礼だから
と言って無理やりに食べる必要は無いというのです。
この言葉を聞いてとても恥ずかしい気持ちになったことは確かです。

幸せな最期をどう迎えるのか、生前に考えておくことは大事であります。
しかし、人生はどうなるか分かりません。
いくら考えていても思い通りになるかどうかは分からないのです。
そこでやはりどのような死を迎えてもいいように死生観を持って
おくことの大切さをお聞きしました。

また井上義衍老師(曹洞宗師家)と横尾忠則さんの対談の話が紹介されました。
横尾さんが「老師には死の恐怖はありませんか」と問うと、井上老師は、
「死なんて、小便するのと同じことですわ、ただそうだったというだけ」
とお答えになったのでした。

死についてあれこれ考えていた私は、この言葉に衝撃を受けました。
実際はそのように、死というのはひとつの現象に過ぎないと言えるのでしょう。
ただそのように受け止められないので、あれこれと悩むのです。

山本玄峰老師は、お亡くなりになる前に葡萄酒をおいしそうに飲んで、
十分ほどのちに「旅に出る、きものを用意しろ」と言われて
亡くなられたそうです。

それから「生は寄なり、死は帰なり」という『淮南子』の言葉を紹介しました。
「人は天地の本源から生まれて暫くこの仮の世に身を寄せるに過ぎないが、
死はこの仮の世を去ってもとの本源に帰ることである」という意味です。

朝比奈宗源老師は、この「天地の本源」を「仏心」と説かれました。
「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る」のです。
そのことをしっかり受け止めておきさえすれば、柳宗悦さんが、
「吉野山ころびても亦花の中」と詠われたように、どこでどのような
死に方を迎えても、それは万朶の花咲くただ中なのだとお話したのでした。

最後には桜井先生が漢方医の立場からお話くださいました。
桜井先生は、幼少の頃から死について考え、西洋医学の外科医になり、
更に法医学も学ばれました。
法医学者として多くの悲惨な死もご覧になってきたそうなのです。
そしてひとつの確信を持たれたのでした。

見た目ではどんな悲惨な死を迎えたようでも、どんな状況であっても
死の祝福があるというのです。
どこでどういう状況で亡くなっても祝福されていると確信されたと
話をしてくださいました。
これは私の拙い話を裏付けてくれるもので有り難く思いました。

このように出すこと、手放すことに慣れていると、
最期ににっこり微笑んで迎えることができるというお話でした。
これはなるほどと深く受け入れることの出来るお話でした。
いろいろと学べて実りの多いほろ酔い勉強会でありました。
臨済宗大本山 円覚寺横山南陵老師

文章の途中で私の思いも書き添えましたが死は使い切ることでは無く
生の残りを分け与えることも大切だと思います。
皆様も機会があればご家族と死について話し合うことも必要ですね。
今回のタイトルは高齢者の方々の目に触れることを祈ります。
若い方でもご両親に紹介して頂くことになれば幸いです。