日本人の教養




私達の、この国日本は、江戸時代から明治にかけて
教育熱心な人物が多数排出されています。
熊沢蕃山、横井小楠、吉田松陰、山本常朝、福沢諭吉、新渡戸稲造、
岡倉天心、内村鑑三など枚挙にいとまないほどです。

その中でも商人から私学塾を開いた石田梅岩には頭が下がります。

商売人の心得から田舎から出てきた人の悩み事を解決する
「都鄙問答」という素晴らしい本を書いています。

梅岩は農家の次男坊だったために、京都の呉服商に約20年間奉公しました。
梅岩は正式な学問を収めたわけではありませんが、奉公の経験と市井の隠者
小栗了雲との出会いから思想を深めていったのです。

石門心学とは江戸時代に石田梅岩(1685年~1744年)が
開いた庶民の為の生活哲学です。
梅岩は、儒教・仏教・神道に基づいた道徳を、独自の形で、
そして町人にもわかりやすく日常に実践できる形で溶きました。
その為に、「町人の哲学」とも呼ばれています。

梅岩は享保14年に、京都の御池上る東側の自宅で講義を始めました。
そこで彼は一切聴講料をとらず、また紹介者も必要としないだれでも
自由に聴講できるスタイルを取りました。
初めのうちは聴衆も数人という状況でしたが、出張講釈などを続けることで
次第に評判は高まっていきました。

梅岩が独自の学問・思想を創造したのも商人の精神的苦境を救うためでした。
士農工商という現実社会の秩序を肯定し、それを人間の上下ではなく
単なる職業区分ととらえるなど、儒教思想を取り込むのような形で
庶民に説いていました。倹約や正直、堪忍といった主な梅岩の教えも、
それまでの儒教倫理を基本としたものでした。

梅岩の学問は、おおむね独学ですが四書五経や仏教・神道書など
幅広く学んだようです。呉服屋の番頭をやりながら人付き合いもほとんどなく
勉強に明け暮れたようです。

そしてもう一人紹介する武士の大志願を訴えた横井小楠です。
文化6年(1809年)8月13日、肥後国(現在の熊本県)
熊本城下の内坪井町に、家禄150石の熊本藩士、横井時直の次男として
誕生しました。本姓は平氏で、北条時行の子孫を称していたと言われています。

横井小楠は鎖国体制・幕藩体制を批判し、それに代わる新しい国家と社会の
構想を、公共と交易の立場から模索しました。この公共性・公共圏を
実現するために、「講習討論」「朋友講学」といった身分階層を超えた討議を、
政治運営のもっとも重要な行動として重視しています。

横井小楠は、この実現のために、幕府や藩を統一した国家の必要性を説きます。
彼の体系的な国家論の文章として、「国是三論」があります。
また、学問と政治の関連を論じた「学校問答集」、ペリーやプチャーチンへの
対応についての意見書である。

明治維新の立役者坂本龍馬と横井小楠の初めての出会いは、「春嶽手記」に
松平春嶽の書いた紹介状を持って、坂本龍馬が小楠に面会をしたとのことです。
坂本龍馬は勝海舟を訪れて世界情勢を詳しく聞かされて感動し
弟子になったと言われています。

時代を動かした二人の武士は学問にたけて
教育者に相当する影響力を持っていました。
憂国の士が国を変えなければ日本が滅ぶことを懸念していたのです。

しかし横井小楠は61歳の時に暴徒の誤解によって暗殺されてしまいます。
坂本龍馬も33歳の時に京都の近江屋で暗殺されてしまいました。

令和6年11月1日に思うことは、
何故、日本から今の時代に素晴らしい教育者及びリーダーが生まれて来ないのか。
混沌とした世界情勢を乗り越えるだけの気力と建国の志をもった
不屈な教育者とリーダーが必要である。
国内だけでなく世界中が日本の強いリーダーを求めてやまない。

私の推薦書(日本人の英知)
武士の心得を書いた「葉隠」山本常朝
藩政の建直しを書いた「日暮硯」恩田木工
人としての修養書「言志四録」佐藤一斎
15歳の決心・26歳の時に斬首「啓発録」橋本佐内
世界へ日本人の精神を英語で紹介した「武士道」新渡戸稲造
世界へお茶の世界を英語で紹介した「茶の本」岡倉天心
世界へ禅の基本的な心得を英語で紹介した「禅による生活」鈴木大拙
五人の教育者を紹介した「代表的日本人」内村鑑三

若者が20代までに読んで欲しい本です。
私にはこのような本を推薦してくれる人が居ませんでした。
二度目の人生最大の山場を迎いれたときに(60歳)で読み漁った本です。

サムエル・ウルマンの詩「青春」に書かれている一説です。
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」

良書に親しむことは尊敬する師を迎い入れると同じです。
日本人の教養から日本を学びましょう。


完璧主義からの脱却




日本人は、「自分1人で頑張らなければならない」「弱みを見せてはいけない」
という考えに縛られがちだ。日本では失敗が許されない空気が流れている。
だからこそ、記者の質問のように「恥をかくのではないか」と常に心配し、
その記者自身も質問に失敗して、SNSという世間から許してもらえない。

この完璧主義的で重苦しい空気が、社会全体の停滞を
招いているのではないだろうか。
日本にはアメリカのGAFAのような新興企業が生まれていない。
優秀で勤勉な日本人が多くいるにもかかわらず、アメリカのGAFAのような
新興企業が生まれてこないのも、失敗を恐れてリスクを取れない
社会の風潮が一因だ。どれだけ「貯蓄から投資へ」とお金が回っても、
新たな挑戦をする人がいなければ、イノベーションは起こらない。

「凸と凹の噛み合い」
この「失敗を許さない空気」は、個人の生き方や働き方にも
深刻な影響を及ぼしている。ビジネスパーソンは、英語は話せないといけないし、
エクセルやチャットGPTも使いこなせないといけない。
プレゼンやコミュニケーション能力の向上が求められる。
しかし、小泉進次郎が語ったように、足りないところを補い合うことができれば、
もっと気楽に仕事ができるだろう。

社会学者の宮台真司氏も「凸と凹の噛み合い」の重要性を説いている。
英語ができなくても英語ができる人を頼り、体力がなければ体力のある人を頼る。
すべてを1人で完璧にこなそうとするのはコストが高すぎる。
だからこそ、お互いの得意な部分を活かし合うことで、集団全体の生産性を
高めるのが賢い生存戦略だ。感覚的な話ではなく、数理的に考えて
あたりまえの話なのだ。

アップルを創業したスティーブ・ジョブズも、
「人に助けを求めることが成功の基盤だ」と語っている。

最近、金融経済教育に力を入れる学校が増えている。
その際には「今日は、お金よりも仲間のほうが大事なことを証明します」
と語りかけている。
これは道徳の話ではない。お金という道具の意味を理解すれば
当たり前の話なのだ。

お金が存在しなかった時代、人々は村の中で協力し合いながら生活していた。
お金が発明されると、村の人に直接頼らずとも、支払いによって
必要なものを手に入れられるようになった。
しかし、それはお金が物に変わるということではない。お金を支払うことで、
まったく知らない人の協力を得られるようになったのだ。
お金とは、協力し合う仲間を増やすためのシステムなのだ。

では、「仲間を増やすためには、お金を増やせばいいじゃないか」
と思うかもしれないが、これはまったく反対だ。
「お金を増やしたい」という目標を掲げても、誰もあなたに
協力しようなんて思わない。あなたがお金を増やすことは
他の人にとってまったくどうでもいいことだからだ。

協力してくれる人がいないから孤立かがすすみ、
自分1人でいろいろ頑張らなきゃいけないと考えるようになる。
さらに、頼るものはお金しかないから、お金を増やすことを考えて
協力者が現れないという悪循環に陥っていく。

それよりも、人を楽しませるとかみんなの不便を解決するとか、
他の人の幸せが含まれる目標を見つければ、仲間はたくさん増えて、
いろいろなことが実現しやすくなると学生向けに話している。
社会全体では、そもそもお金を増やすことができない。

最近、利上げが行われて、金利によって全体のお金が増えると
信じている人もいるのだが、そこには大きな誤解がある。
拙著『きみのお金は誰のため』では、お金と社会の仕組みを説明しているが、
お金を奪い合うことよりも、未来を共有することの重要性を経済的な
視点から説明している。

小泉進次郎氏は、「足りないところを補ってくれる最高のチームを作る」
と言っていたが、これはチーム日本としても同じことが言えるだろう。
国の中にも仲間意識があれば、新しいチャレンジをする人や会社を
叩こうとする人も減るだろうし、仮に失敗したとしても、
それはチーム日本として、次の挑戦に活かせるはずだ。
その仲間意識を持つためにも、共有する日本の未来を描いてくれる
リーダーが必要とされているのではないだろうか。
そして、私たち1人ひとりも、周りとの協力を意識したほうが、
気楽に暮らしていけると思うのだ。
「きみのお金は誰のために」田内学より

完璧主義を緻密な構造を組み立てることと勘違いすると失敗をする。
ロダンの「言葉抄」を読むことを薦める。
19世紀フランス、近代彫刻の父ロダンの言葉の数々を、当時の弟子や秘書が
筆記したもの。よくぞ残してくれた!人間ロダンは頑固だけれど、感激屋さん。
芸術のためには決して迎合せず、馬鹿正直に苦しみ喜びながら生きた。
本は、どこをどう開いても詩的な情熱と、ものの本質を見抜く眼差しと、
生や自然、美への讃歌に溢れている。女性への賛美も真っ直ぐだからか、
カミーユ・クローデルをはじめ女性の弟子が多かった。
ロダンは、神々でなく生きた人間を彫った。
眼でなく叡智でものを見ろ、だがそれが出来る者は実に少ない。ロダン

リルケの流れで読む。
あまり文章を残していないロダンが語ったことなどを筆録し、高村光太郎が
翻訳した本。ロダンは繰り返し、自然を研究せよ、芸術家は創作する
必要はない、自然を掘り出すだけだ、というようなことを語る。
そして古代の芸術を見よ、彼らは自然を訳出する術を知っていた、と。
彫像家のロダンの言う「自然」には、もちろん人間そのものも含まれている。
それが、当たり前のことのようで、自分にはものすごく新鮮なことだった。

私の好きな文は大甲鉄艦について書かれていた部分である。
「大甲鉄艦を建造するには、ただそのあらゆる部分を数学的に構造し
組み合わせるだけでは駄目で、正しい度合いにおいて数学を乱し得る
趣味の人によって加減されなければ、船がそれ程よく走らず、
機械がうまくゆかないという事です。してみれば決定された法規というものは
存在しない。「趣味」が至上の法規です。」

完璧主義者は古い理屈に縛られてすべてが理論通りでないと納得しないのである。
時代が変わりこのことをAIがどのように判断するかである。
どのようなことも瞬時に答えを出すAIが「あそび・ゆとり」を
算出することは出来るのだろうか?
日本人の職人さんは完璧を目指すがそこに必ず「あそび」を入れる。
そこの「ゆとり」が日本の美を完成させたのである。


一本道を行くか




一本道をずっと歩き続ける人は辛抱強い人と言われ褒められる。
あらゆる可能性を求めて色々な道を歩く人は気移りが激しいと批判される。 
昔は親の仕事を子供達が引き継ぐのが当たり前とされて
自分が好む好まざるともその道を選ぶしかなかった。
侍の家に生まれれば侍として生きる。
農家の家に生まれれば百姓として生きる。
大工の家に生まれれば大工として、
八百屋に生まれれば八百屋として生きるしか無かった。

しかし長男は跡取り息子として大切に育てられるが、その下の兄妹たちは
家を出て仕事を探さなければならなかった。
同じ家にでも生まれ落ちた順番で過酷な人生を歩むことにもなる。

兄弟の殆どが町に出て商人の家に丁稚奉公へあがるか、寺子屋の教師になるか、
剣道道場の師範になるか、果ては大店の用心棒になるか、女の子の場合は
和裁の仕事をするか、めし屋で手伝いをするかしかなかった。
また農家の娘は借金の形で売り飛ばされて廓で女給の道を進むしかない子もいる。
器量の良い子は早いうちから見受けされて大店の旦那に囲われる子もいるが、
不器量な子は飯炊き女になるか帳場で雑務をやるしかない。

明治維新以降は名前も仕事の選択も自由になり
女性も学校へも通えるようになった。
女に学問は不必要と言われた時代から女性も学ぶことが
できるようになったのである。

しかし戦後日本の教育から毅然とした生き方を教えることが禁じられた。
アメリカの占領地政策で日本から「忠・義・孝」を抜き取った。
戦争に負けるという事は建物の破壊より心の破壊の方が痛手が大きい。
志を持った生き方、凛とした仕草、神仏を信じて文化を重んじる国民性が、
全面的に否定されたのである。

その上にアメリカの占領地政策として「歴史・地理・修身」が消されて、
代わりに「スポーツとシネマとセックス」が奨励されて
日本人は骨抜きにされた。いわゆる3・S政策である。
これに加えて3・C「カード・クレジット・コンビニエント」を
導入させて資本主義の餌食にした。

60年代後半から70年代にかけてニューシネマやロックが
日本へ入り込み若者たちはゲルマニュウム・ラジオを布団に入れて
FEN(極東放送)でアメリカのヒット曲を夜通し聞いた。

一気に世の中がカラフルになり誰もが金持ちになれると信じ込ませた。
ケンタッキーもマクドナルドもブロイラーも憧れの食べ物であった。
誰もがコカ・コーラを飲めばアメリカ人のような体形になると信じていた。

昭和の初期に流行った言葉が「末は博士か大臣か」と言う言葉である。
勉強に励めば博士にも大臣にもなれるのだという表語である。
町工場の経営者も努力すれば大会社の社長にもなれると夢を植え付けられた。
従業員も豊かな生活を求めて馬車馬の如く休みなく働き続けた。
高度成長期の波が押し寄せてきたのである。

田舎からの出て来た若者たちは金持ちになりたければボクサーか
ロックシンガーに成れとも言われた時代である。
正に広島の田舎から横浜に出て来てカリスマのロックスターになった
矢沢永吉などはその最たるものである。

実は私も一本道を歩けず何本の道を歩き続けた人生だったのである。
音楽プロデューサー、ビジネスプロデューサー、セミナー講師、
プランナー、経営者などの顔をいくつも持っていました。
それが正しかったとは言い切れませんが、さまざまな人との出会いや
海外での仕事は素晴らしい経験で後悔はありません。

人生で大切な事は大胆か慎重かの二つの選択です。
一本道を選ぶか、数多くの道を選ぶかは、あなた次第です。
しかし大胆になり過ぎて少し先走りで大怪我をすることもあります。
かといってあまりにも慎重になり過ぎると成功の時期を失うことにもなります。

節約と浪費も同じように選択に迷います。
若い時によく言われたのは老後のことを考えて
無駄遣いをするな貯金をしろです。
絶対に賭け事や株の投資に手を出すなとも言われた。
それと都会の女は怖いから有り金全部取られるから
注意しろとも言われた時代である。

日本の哲学者森信三の言葉
「たとえ99人が川の向こう岸で騒いでいても、
自分一人はわが志した川上に向かって
歩き通す底の覚悟が無くてはなるまい」
同調主義「付和雷同」の世界が大嫌いでサラリーマン時代は、
常に一人で行動を起こしました。

40歳で独立をして社会へ飛び出したときに、
業界の多くの人から言われた言葉があります。
「SONYの稲葉だから協力したがただの稲葉には協力できない」
この言葉を聞きこれが現実だと目が覚めた時です。
そして友人から詐欺にあい退職金も事業資金も全部失った時でした。
東京とLAに音楽制作事務所を開設して意気揚々としていた時期です。

再起を図りレコード会社とのバンス(前借制度)でアーティストを育て
10年間頑張ったのですが、突然アメリカから契約を切られて、
不渡りが出て倒産をしました。
私は全ての契約の保証人になっていたので自己破産を余儀なくされました。
家族とも別れて品川の小さなマンションに移り住み仕事探しを始めたところ
職安のスタッフから一番仕事が見つからないのは、
社長業や芸能関係の経験者ですと言われた。

しかし意外と冷静だったのは、自分の人生が沢山の道を歩いて来たので
怖くは無く、なんとかなると楽観的に考えていました。
私から友人たちにどんな仕事でもやりますと伝えたら、
起業したばかりのIT関係の会社が経営戦略部門の責任者を
探しているので紹介すると言われた。

面接の時に先方の会長に音楽関係からいきなりITの会社ですが
知識も経験もなく大丈夫ですか聞いた。
しかしヒットの数は多いので成功のノウハウはあります。
と応えたら即採用された。会長が音楽好きなのが功を奏した。

その後は韓国に映画会社を立ち上げ、中国に音楽制作の仕事で進出して
ゼロベースから大成功へと導いた。
一本道の人生だったらこのような臨機応変に身の振り方を変えることは
出来なかったと思う。しかし何本の道を歩いてきたので、
与えられたチャンスを逃さずに掴むことが出来たのだと思う。

職人の様に一つの事に執着することも大切ですが、
これからの世の中は人間の経験はAIが担うので、
変化に対応できる人間が必要な時代になります。

若者たちは多くの可能性にトライしてください。
私はこれからもいろいろな道へと挑戦を続けます。


もしもという心理




モチベーションを上げる言葉の一つに「もしも私が」と架空設定をして
気持ちを高揚させる方法があります。
これはとても重要な考え方で挑戦に対する恐怖を取り除く効果があります。
多くの先人たちは、この「もしも私が」という言葉で大きな問題を
乗り越えてきた状況がいくつも見られます。

もしも私が聖人ならば多くの苦しむ民を救えたのに、
もしも私が国の王ならばこの国をもっと良くしたのに、
もしも私が哲学者ならば人を導く幸福の言葉を書き連ねたのになどです。

NLP心理学の中には「as if フレーム=もしも…だとしたら」という
スキルがあります。このスキルは、ある状況や問題を解決するための
有用な考え方で、あたかも目標や望む状態がすでに達成されたかのように
考えて、行動するというアプローチを行います。
これにより、新しい視点や解決策が明確になり、自信が向上することが
あります。以下に、具体的な 「as if フレーム」の使用例を挙げてみます。

プレゼンテーションの準備:
自分がすでに成功したプレゼンテーターであると思い込み、
そのように行動する。「もし私がTEDのステージに立つ経験豊富な
プレゼンテーターだったら、どのように準備し、発表するだろうか?」
と想像する。成りきりです。

新しい技能の習得:
未経験の分野でも、すでにそのスキルを身につけているかのように
振る舞う。目標とする人物を真似ることです。
「もし私がプロの写真家だったら、どのようにこの風景を捉えるだろうか?」
と考える。その為には憧れのカメラマンのピントの合わせ方を研究するのです。

自己信頼の向上:
自己疑念に悩まされているときに、「もし私が尊敬する〇〇さんだったら、
どのようにこの状況を対処するだろうか?」と想像し、そのように行動する。

これらの例はすべて、未来の可能性を具体的に想像することで、
現在の挑戦に対する新たなアプローチや解決策を見つける手段の一つになります。

なぜ教育の中に架空を想定して
「無理を乗り越える」精神的手段として取り入れないのか?
これはアジアの後進国の教育方法としてはとても重要です。
貧しいエリアでは十分な教育資材が無いために教師の言葉だけに頼ります。
その為に重要なことはイメージトレーニングです。
自分と違うものに成り切り自分ならこうするなという訓練です。
西洋的な教育ではこの定義がなく「もしも」は神の領域で
人間が考えないように封印してきた世界であった。

もし私が動物だったら!
もし私が総理大臣だったら!
もし僕が宇宙飛行士だったら!
もし僕が全知全能の神だったら!
事実ではあり得ない領域に足を踏み入れることになる。
人間の特権は想像力である。この力は人間以外には授かっていない。

正しい創造は「善から始まる」もし私も道徳的観念が無ければなりません。
経済的な価値は「三方良し」の考えが成立しなければなりません。

そして、今なぜ新札に「論語と算盤」の著者が使われたと思いますか?
今の時代だからこそ必要な【五徳】の教えをお伝えしているのです。

渋沢栄一「論語と算盤」旧札と新札。
それぞれを代表する有名な言葉があります。
「学びて富み、富みて学ぶ」
学びが富を生み、またその富で学んだものが成功する。
まさしく資本主義を象徴する20年間でした。
ですが、世界情勢は大きく揺れ、
多様な価値観が生まれ時代は大きく変わってきています。

その中での新札に切り替わるタイミング。
「論語と算盤」
つまり経済と道徳という矛盾した関係と見られがちだけど、
どちらも正しく両輪を動かしていかなければ
真の豊かさが手に入らないということ。

今この時代に必要な心の教育。
人としてもっと大切にしなければいけない考え方。
つまりあなた自身の人間としての生き方やあり方が問われています。
・外側の成功ばかり追いかけていませんか?
・情報に惑わされていませんか?
・自分が大切にしたい生き方を心の底から理解できていますか?
こんな時代だからこそ学ぶ必要がある学問。

私が若者たちに問いかける言葉として「無難に逃げるな」というのがあります。
困難・災難が起きた時に無難に逃げるなよ。難から逃げようとすると
一生困難・災難に付き纏われるから、難に向かって身体ごとぶつかるのだ。
私はそうしていくつもの難を乗り越えてきたのです。難が有るから感謝が生まれる。
「有難う」は難があるから感謝している言葉です。

昔の武士に中山鹿之助という人がいて「我に七難八苦を与えたまえ」
と言って戦いに臨んだ人がいる。死を迎えるかもしれない時に
未だ難を受け入れるその気持ちが心に響きました。
私の人生も決して恵まれているとは言えない環境でした。
勝てる方法はたった一つ甘んじて難を受け入れることでした。
自ら難を受け入れて強い自分を作り上げたのです。
一度も中途半端な安楽など求めたことはありません。

50歳の時に倒産と破産の経験をしました。
60歳の時に反日運動の為に中国へ投資していた全財産が失われました。
それでも笑顔で元気に過ごしている姿を見て苦境に立っている経営者が
何人も相談に乗ってほしいとやってきます。
取引先から金融機関から追い込まれて苦しい、友人や家族や親類からも
これからどうするのかと毎日叩かれています。
悩み事を聞いてから一言「社長鋼は何度もたたかれて名刀になる。
しかし叩いているハンマーを誰も名ハンマーとは言わない。
おめでとう社長は名刀になる機会を得たのですよ」

私の造語ですが「鋼は叩かれて名刀になる」と言う言葉を使っています。
大難に何度も叩かれて大人物になるから叩かれ続けろ。
難は逃げると付きまとわれるから難を受け入れて笑顔で過ごすのです。
難ありで有難と書きそれを10回唱えると「有難う」になります。
強く生きる為に授けられた呪文です。
いつでも難ありきで「ありがとう」を唱えましょう。合掌


船のバランス




中国に「呉越同舟」という諺があります。
敵国同士の呉の国の兵士と越の国の兵士がたまたま同じ船に乗り合わせました。
しかし目的地に着くまでは敵同士でも、この船の中では助け合いながら
過ごしましょうという意味です。

日本人の根幹にある精神は「和を以て貴しとなす」です。
大変な時にはみんなで仲良く乗り越えましょうということです。
自然災害の被災地で列をなして順番を待つ姿に世界が驚きます。
誰もがいち早く水にも食料にもありつきたいと思うところでも
日本人は老若男女が整然と列を作るのです。
「和を以て・・・」とは年齢も地位も気にせずに話し合って
ものごとを解決するのが良いとする考えです。

どんな時にも意見は二つに分かれて当然です。
一方を応援して他方を批判するとそのバランスは崩れます。
これは「清濁併せ持つ」にも該当します。
常識で決められた正しさだけを主張するとそれ以外は全て悪になります。
間違っているかなと思う意見も取り入れてバランスを取るのです。

綱引きの綱も引っ張るばかりではなく手を緩めることが大切です。
これも中国の諺に「雑乱紛糾のときには控捲せず」というのがあります。
問題が起きた時には主張するだけでなくときには相手の意見も聞き入れろ。
お互いが引っ張ってばかりいたらいつまでたっても解決しないだろう。
ここもバランス感覚が重要だと言っているのです。

右寄りが正しいとする右翼の意見と左寄りが正しいとする
左翼の意見があります。これを時の権力者が力を持って片方に加担すると
必ず争いが起こります。
これは正しいか間違っているかの判断ではなく、一方的にコントロール
しようとすると共産主義の様に権力者の考え一つで決まります。
このような国では国民は国政に反対意見を言えば死刑を言い渡されてしまいます。

現在、世界の悪のリーダーとしてロシアのプーチンや北朝鮮の金正恩が
代表格です。最近ではイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフも加わりました。
今までは世界の警察官と言われた正義のアメリカが真っ向から立ち向かい
国家間問題のバランスの調整をして来ました。
しかし、今はトランプのいうように「America is No 1」と自国の繁栄だけで
良いとする考えが出て来て戦争の仲介には入らない政策をとっています。

アメリカのロースクールでの話です。
授業中に教授が一人の生徒をわけもなく批判します。
挙げ句の果てには私の講義には二度と参加するなと教授は言い放ちます。
そしてその女子生徒は唖然としながら教室から
出て行き授業は再開します。

すると教授は残った生徒に「何のための法律」かと聞いていきます。
個人の為に、社会の為に、国家の為にとそれぞれが答えて行きます。
最後に一人の生徒が「正義」の為と答えました。
教授はそうその通り「正義」なのですと答えた。
しかし何故いまの私の理不尽な行動に対して誰も文句を言わなかった
のかと問いただします。

明らかに理由もなく女子生徒を追い出した時にみんなの中に
「正義」は起こらなかったのか?それで法律を学んで何をするつもりなのか?
生徒たちはその言葉に驚きながらも恥ずかしさのあまり下を向いたのです。
この事はとても大切で「建前での知識」と「行動に移る知識」のバランスが
取れていないということです。

中国の陽明学のなかに「知行合一」という
言葉があります。知識は常に行動と共にあるという意味です。
学んだ時から行動に移すのが正しいという事です。

バランスを正しく保つには嫌いな者の存在を否定しないことです。
私は10人のメンバーのプロジェクトを作る際に8人の賛同者と
2人の非賛同者を加えます。
好きな意見も嫌いな意見も同時に聞くことが大切です。

この世界にはたくさんの人が住んでいます。
好きな人たちとだけ付き合うことは無理なのです。
意見の合わない人たちとも暮らしていかなければならないのです。
そして忘れてならないのが自然界の動物たちの存在です。
人間とのバランスを取りながら生きて来た動物たちを、
単に危険だから襲うから怖いからと言って殺傷してきた歴史です。
その為に年々数多くの動物が地球上から消えていくのです。

その上に環境破壊を繰り返して自然とのバランスを取らなかった
ツケが現れています。突然のゲリラ豪雨、巨大なハリケーン、地滑りと
各地で甚大な被害を残しながら人間に襲いかかる。
それを誰も止めようとしない。
京都議定書で取り決められたことが守られていません。

2019年9月26日ニューヨークで開かれた「温暖化対策サミット」。
ここでスピーチした一人の少女に世界の注目が集まりました。
スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさん(16)。
気候変動が緊急事態にあると訴えるグレタさんは、毎週金曜日に学校を
休んでストライキを続け、大人たちに本気の対策を要求。
世界中の若者たちを動かし、賛同の波が広がっている。

グレタ・トゥーンベリさんはサミットに集まった世界の要人を前に
「あなた方は、自分の子どもたちを愛していると言いながら、
その目の前で子どもたちの未来を奪っています。」
16才の少女が訴える温暖化非常事態のスピーチ映像を
見た方も多いと思います。堂々とした表情で論理的に話す姿に参加者の
感動の拍手が鳴りやみませんでした・

また芸術におけるバランスとは視覚と思考の中で行われる。
私は均整のとれた作品より均衡を少し壊したバランスの
良い作品が好きです。カンディンスキーの作品群「印象Ⅲコンサート)と
対峙して抱いた最初の印象は、「自由な生命力」とも呼べる、
のびのびとした躍動感です。
ステージ上のピアノや会場の観客の熱気が目に浮かぶように伝わります。

ひとつひとつの作品が、ユニークに、賑やかに自己主張して、
その有り様はまるで音楽のようでもあり、作品に囲まれていることが
心地よくもある。色彩が発する鮮やかな光と、静かな影が形成する
有機的なコントラストのせいで、作品そのものが常に音が聞こえているような
不思議な錯覚を覚えました。

「抽象芸術」は見ている人の思考を受け入れてくれます。
10人いれば10通りの思いで見ることが出来ます。
「写実芸術」は視覚的に見て納得は出来ますが感心するだけに
終わることが多いと思います。

バランスとは予定調和ではない不自然な和音から出来ています。
雅楽から派生した能楽のお囃子の基本は「序・破・急」の流れで出来ています。
始まりはバラバラで、少しまとめて、終盤で急ぎながら合わせる、
この流れがあって能楽師の演技と観客のバランスが整うのです。
伝統芸術は心の芸術でもあります。
このような形で世界がまわることを願っています。

生きていく上では心と身体のバランスが一番大切です。
心は常に押さえつけるのではなく解放してあげることが大切です。
あなたもあなたなりの自由なバランスを見つけてください。
他人に合わせる必要は無いのです。


怒りの矛先(人間)




人間の怒りの矛先を外面に向けるのではなく内面に向ける。
今更社会や国や人間関係に怒りをぶつけても何も解決はしない。
怒りは自分の未熟さからくる不安を表に出すことにより発散しているのだ。
だから怒りの矛先を向けるのはいつも自分自身の内面にである。

いつの時代でも若者は怒りの矛先を探している。
理不尽な世の中に対して、なすべき答を持たない社会や大人たちに
向けて破壊や暴力を持って抵抗する。
世界は60年代後半から70代前半に起こったベトナム戦争反対の狼煙を上げて、
ヒッピーが生まれ、パンクロックが流行り、鎖を体中に巻き付けて頭をとさかにした
若者たちがロンドンの街中を練り歩いた。そして大人たちに言論の唾を吐きかけた。

日本でも多くのフォークシンガーが歌にメッセージ(主に反戦)をのせて
学生デモの後押しをした。私も新宿西口で機動隊に追いかけられた。
70年代~80年代にかけてニューシネマとサブカルチャーが渋谷で沸き起こった。
そして同時期に高田賢三、山本寛斎を筆頭に菊地武夫、三宅一生、コシノジュンコ、
川久保玲が世界へ躍り出た。世界中の評論家たちは、
彼らは単なるファッションを芸術にまで昇華させたとデザイナーだと絶賛した。

日本人の特質は世界を「肩越しに見て」おそるおそる真似をして
完全に自分たちの文化に取り込んでしまう。
私も80年代に「肩ごしの文化論」を文化服装学園の授業で公表した。
家電も車も住宅も海外の模倣から自分たちの使い勝手が良いように
作り直しオリジナルにしてしまう。
日本の技術力とデザイン力は圧倒的に世界に誇れるのである。

あなたは、この文章を覚えていますか?
”クレージーな人たちがいる。
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
四角い穴に、丸い杭を打ち込むように
物事をまるで違う目で見る人たち。

彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。
彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは誰にも出来ない。

なぜなら彼らは物事を変えたからだ。
彼らは人間を前進させた。
彼らはクレージーと言われるが、
私たちは天才だと思う。

自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから”

Apple Inc.(アップル社)が1997年に公開したCM「Think Different.」
(The Crazy Ones)の日本語版です。

このCMに登場するのは、

Albert Einstein, Bob Dylan, Martin Luther King, Jr., Richard Branson, John Lennon
(with Yoko Ono), Buckminster Fuller, Thomas Edison, Muhammad Ali, Ted Turner,
Maria Callas, Mahatma Gandhi, Amelia Earhart, Alfred Hitchcock, Martha Graham,
Jim Henson (with Kermit the Frog), Frank Lloyd Wright and Pablo Picasso.です。

あなたは彼らのように世界を変えたいと思いますか?
自分は彼らのように世界を変えたいけれど、自分だけでは変えられないと
思っているなら、ぜひ怒りの矛先をどこに向けるか考えてください。。

世の中の疑問や怒りをクリエイティブで表現する。
アルバート・アインシュタイン、ボブ・ディラン、マーティン・ルーサー・
キング・ジュニア、リチャード・ブランソン、ジョン・レノン
(オノ・ヨーコと共演)、バックミンスター・フラー、トーマス・エジソン、
ムハンマド・アリ、テッド・ターナー、マリア・カラス、マハトマ・ガンジー、
アメリア・イアハート、アルフレッド・ヒッチコック、マーサ・グラハム、
ジム・ヘンソン(カエルのカーミットと共演)、フランク・ロイド・ライト、
パブロ・ピカソです。

怒りの矛先を自分に向けると「Change」変わろうと歩みを進める。
この時にいつも思い出すのは「Chance」機会を逃さないことである。
この二つを見比べてみると気づくことがあります。英単語の「g」と「c」です。
GはCに寄り添うようにTimeが付け加えられています。Gです。
他人に影響されずに世の中を変えようとする人はTimingを大切にします。

変人、変わり者、頑固者、小心者、気が違った人と批判され後に
賛美の声で評価された人たちは怒りの矛先を自分に向けた人達ばかりです。
あらゆる怒りがエネルギーとなって大きな賛同者を得たことも確かです。
だからその頃のサラリーマンを「怒りなき人たち」と揶揄したのです。

あなたも怒りの矛先を自分に向けてみてください。
何も恐れるものはないのです。
そして内なる声を聞いて今自分が何をすべきか問うのです。
批判もされないということは何もしていないという事です。
変わり者と言われた方が楽しい人生を送ることが出来ます。

過去から現代に至るまで人類は欲求を満たすために自然を破壊し続けた。
そのせいで多くの動物たちは絶滅し、森林は焼き尽くされて砂漠化した。
その為にあらゆる天候異変を引き起し自然災害が頻発したのです。
車を走らせるために石油が、電気を作るために自然エネルギーが
枯渇するまで掘りつくしたのです。
そのために原子力が電気を作りレアアースが石油の代わりとなった。
自然エネルギーから代替えエネルギーの交代の時期である。

デジタルAIの発達進化で便利になった分だけ人間の仕事が奪われた。
若者たちは将来を考えて収入が多い会社へと転職を繰り返す。
デジタル関連の会社、医療関係の会社、健康食品の会社、金融関係と
無くても困らない世界へと大量に移動する。
農業や小売店や大工などの職人や生活に身近な分野の人出が足りなくなる。

海外の人へ土地を売り日本が荒れていく、命の源である水源までも売り渡して奪われる。
少子高齢化で労働者が減るので海外から移住者を増やしていく傾向にある。
すぐに街中にチャイナタウンやコウリャンタウンが出来てしまう。
最近ではインドタウンやベトナムタウン、その上に移民を受け入れて
クルド人が大量に入って来た。
仕方がないと言えばそうなのだが、我々が愛した日本の自然も文化も
気質までが奪われればこの地は日本ではなくなる。

政治家も学者も経営者も傍観者になり果てて何も手を打たない。
「あとからくる者たちのために」坂村親民(詩人)
何も残さなくて良いのだろうか?せめて日本語と漢字と歴史と修身を守りたい。
何があっても次の世代の子供達の為に残さなければならない。

もう怒りの矛先を政治家や大人たちへ向けても良いからね。
東横キッズも、闇バイトに群がる若者たちも怒りの果てに生まれて
きたのだから、これをただの犯罪で取り締まっても根本は変わらない。
人が人間らしく生きていく教育をしっかりやらなければならない。
只の労働者予備軍の教育はもう必要は無い。

もうアメリカの言いなりになって奴隷のままでいるのはやめるべきである。
怒りの矛先を向ける相手を真剣に考えよう。


義を見てせざるは勇なきなり




正しい行いを出来ずに生きている事は勇気がないということです。
いくら努力して成功しても世の中の役に立てず、
私利私欲で生きている人は尊敬される事はないのです。
要塞のような豪邸を建てて世間から目立たぬように生きている人は、
頭隠して尻隠さずの愚か者のする事です。
起業して眠るのを惜しんで成功しても身体を壊してしまえば元も子もありません。
また家族に贅沢をさせて子供が堕落して世間から嫌われては元も子もありません。
「義を見てせざるは勇なきなり」を学び行動で示さなければつまらない人間です。

義を見て為ざるは勇なきなりの意味は、人としてやらなければいけないこと、
やるべきことを分かっていて、理解しているにもかかわらず、
それを実行しないのは勇気がないと言う意味です。
ここでいう義と言うのは儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つであり、
筋道の通った正しい行いのことを指しています。本来やるべき事は人の道として、
やるべきであると説いています。

常に今です。この瞬間に思ったことを形に表さなければ意味がありません。
正しい行いとはタイミングが遅れては意味がないのです。
たとえば川で溺れている子供を今助けなければ命がなくなります。
他人を呼びに行っている時間はありません。
でも義を重んじて力無き人が川に飛び込む必要はありません。

大声をあげて近くにある枝や紐や自分服を切り裂きロープにすることも出来ます。
流されていく子供を見て見ぬふりをしてその場を立ち去る人は勇なきなりです。
このような場面で立ち去る人は人生これから逃げてばかりになります。

今回は中国戦国時代の思想家“墨子”の教えをご紹介させていただきます。
義が、いちばん大切だ。
たとえば、「おまえに冠と履(くつ)をやろう。
その代わり、手と足を切るが、どうだ」といわれて、承知する男はいないだろう。
いくら冠や履が欲しくても、手足にはかえられぬからだ。

あるいは、「おまえに天下をやろう。その代わり、命をもらうがどうだ」
といわれて承知する男はいないだろう。
いくら天下が欲しくても、命にはかえられぬからだ。
しかし、たった一字のために、命を捨てる場合もある。

その一字とは、“義”である。
義を売りわたすくらいなら、命を捨てたほうがましだ。
だからわたしは、義ほど大切なものはないという

義とは、正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と
対立する概念として考えられています。
しかし、墨家では「義とは利なり」と定義し、義とは人民の大利だと考える。
一般的には利を私心からの私利の意にとらえ、墨家は公利ととらえた
為のようです。

人として正しい行いを守る“義”を実践していくのですが、人間ですから“間”が
差すこともあるでしょう。
そんな人たちに対して墨子は言いました。
「いくら義の実践がうまくいかないからといって、義を棄ててはいけない。
大工をみるがいい。材木がまっすぐに削れないからといって、
墨縄を投げ捨てたりするだろうか」どんな立派なモノを持とうが、
どんな立派な地位に就こうが、義がなかったらそれは一瞬で消えてなくなる
泡のようなものになるのでしょう。

「日本人の親切」
聖書学者の塚本虎二先生は「日本人の親切」という、非常に面白い随想を
書いておられる。氏が若いころ下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、
寒中に、あまり寒かろうと思って、ヒヨコにお湯を飲ませた。そしてヒヨコを
全部殺してしまった。そして塚本先生は「君、笑ってはいけない、日本人の親切とは
こういうものだ」と記されている。私はこれを読んで、だいぶ前の新聞記事を
思い出した。それは若い母親が、保育器の中の自分の赤ん坊に、寒かろうと思って
懐炉を入れて、これを殺してしまい、過失致死罪で法廷に立ったという記事である。
これはヒヨコにお湯を飲ますのと全く同じ行き方であり、両方とも、まったく
善意に基づく親切なのである。山本七平「空気の研究」の一説より。

日本人が気を付けなければならないのは親切から起きる迷惑である。
善意の塊の隣人と悪意の塊の隣人とは同じ地域に住むなら対応が難しい。
善意の隣人は悪気が無いのでいたずらに避けてならないがお節介は困る。
悪意の塊の隣人はあえて付き合うことを避ければ被害を受けることは無い。

「おもてなし」これは厄介な言葉である。礼儀作法を知っている年代では
多少我慢も出来るし時には気分が良くなることもある。
しかし若い世代や外国に人ならば店員の過剰なサービスは押し売りと
受け取ることもある。日本食もゆっくり味わいたいのにお店の都合で次から次へと
出されるとせかされているみたいで怒り出す人もいる。
家族で旅館に泊まり静かに過ごしたいのに突然仲居さんが部屋に来て
館内の案内や近隣の観光案内を説明する。これも不要なお節介である
ここは大変難しいのだが世界から観光客を受け入れている国としては
コミュニケーションとサービスをしっかりと教育をしなければならない。

私が得意とする人間の特性に合わせたコミュニケーション術がある。
これは「気配り、目配り、心配り」の方法を知れば簡単である。
相手が何を求めているか気配りをする。そして少しの動作も見逃さない
目配りを取り入れて、最後にはおおかたの予測して心配りの中
満足の行くケアに心がける。
一番気を付けなければならないのが過剰に反応してしまうことである。
相手の表情を見て迷惑でないか満足しているかの判断が重要です。
ケアとは添えることである。そして支えることでもある。

常に義を取り入れて親切に心がければ喜ばれることは絶対である。
考えと行いが一致する「知行合一」を忘れないことです。
「義を見てせざるは勇なきなり」とは論語にある言葉です。
人として行うべきことがわかっていながら行わないのは臆病者だという意味。
これからも心して義に生きましょう!私も勇気ある人を常に心がけています。


いじめと空気




私が山本七平氏の著作「空気の研究」を読んだのが50歳の時である。
ある日突然猛烈に読書がしたくなり山本氏の作品を貪るように読み漁った。
そこで出会ったのが「空気の研究」であった。
そこに書かれていたのは戦争時代の軍隊の様子であった。

「陸軍の総反撃に呼応し敵の上陸地点に切り込み、ノシあげて陸兵になるところまで
お考えいただきたい」といわれれば、ベテランであるだけに余計に、この一言の
意味するところがわかり、それがもう議論の対象にならぬ空気の決定だとわかる。
そこで彼は反論も不審の究明もやめ、「それならば何をかいわんや。よく了解した」
と答えた。この「了解」の意味は、もちろん、相手の説明が論理的に納得できたの
意味ではない。それが不可能なことは、サイパンで論証ずみのはずである。
従って彼は、「空気の決定であることを、了解した」のであり、そうならば、
もう何を言っても無駄、従って「それならば何をかいわんや」とならざるを得ない。

一事が万事軍隊のやり取りが上の者に只従う「空気」がまん延していたのである。
日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に
処せられるからであって、これは軍人・非軍人・戦前・戦後に無関係に思われる。
「空気」とはまとに大きな絶対権をもった妖怪である。

この「空気」の妖怪はいたるところに出没する。
学校といわれる囲われた世界では校長と教師、教師と生徒、それに保護者などが
呪縛に捕らわれてかってに「教育」と言う言葉が強制的な威力を発揮する。
しかし子供達は窮屈な世界で気分展開を図るために「いじめ」を開始する。

①いじめで「空気」はどんな役割を持つのでしょうか。ほとんどの加害
生徒側は、いじめを始める際に「クラスの空気をさぐる」つまり、「クラスの
前提をさぐる」行動をしています。

②いじめの発端は、加害側の生徒が被害者となる生徒を軽く小突く、
言葉で一方的におとしめるなどの行為から始まります。そのとき、誰からも
反論がなく、先生にも怒られなかったとき、加害側の生徒は「ここまでは大丈夫」
というクラスの〝小さな前提〟を一つ確かめたことになるのです。

③いじめに関する著作を複数持つ、社会学者の内藤朝雄氏の『いじめの構造』
には、加害者側の生徒が、クラスの空気を読む様子をほうふつとさせる
描写があります。『加害少年たちは、危険を感じたときはすばやく手を引く。
そのあっけなさは、被害者側も以外に思うほどである。
損失が予期される場合には、より安全な対象をあらたに見つけだし、
そちらにくら替えする。』

④最初のいじめで、担任の教師が「そのような行為は絶対に許さない!」
という確固たる態度と反応で臨むとき、そのクラスの空気(前提)を知って
なりを潜めます。

『「自分が損するかもしれない」と予期すると迅速に行動をとめて様子を見る。  
そして「石橋を叩き」ながら、少しずついじめを再開していく。
ほとんどすべてのいじめは、安全確認済みで行われている。』

⑤担任の先生が初期のいじめを放置すると、このクラスは「いじめが
許容されている」、と生徒全体が感じます。クラスの前提(空気)で
倫理の基準が変わってしまうという意味では、教室の一君である先生から、
〝いじめがお墨付きを得てしまった〟とも言えます。  

⑥山本七平氏は『「空気」の研究』で、戦犯の行動、リンチなどの特殊な
状況下で「倫理観が狂った」者たちが〝あの状況下では仕方なかった〟
と述べる現象を「状況倫理」として説明しています。そして、日本社会の
空気が最終的には、状況倫理に結びついてしまうのだと指摘しました。

⑦この構造は、まさに日本の教育現場の「いじめの現実」に如実に
現れています。『いじめの構造』には、加害生徒が、被害者の子どもの
苦しみを微塵も感じていないそぶりと、被害生徒の自殺のあとも、
反省や憐憫の情をまるで持たない様子が描かれています。

⑧この事件では、生徒のいじめに先生も参加してしまったことが
指摘されています。共同体の前提をつくるのがうまい加害生徒がいることで、
「被害者をいじめることでクラスが楽しむ」という狂気の前提を誘導的に
つくられてしまったのでしょう。

⑨まともな良識を備えている大人から見ると、加害生徒たちの倫理観は、
狂気と呼びたくなるようなおぞましいものです。しかし、次の条件が揃うと、
日本の共同体・組織では倫理の崩壊が進行してしまうのです。

⑩日本の集団が状況倫理に陥るとき
・共同体の前提(空気)が管理されず、その集団が隔離されて存在して
いるとき・一君として空気(前提)を管理する者から、お墨付きを得たと
感じられたとき・異なる共同体を貫き共有されるべき、
社会正義が確立されていないとき

⑪学校の教室は、ある意味で外界から隔離された空間であり、
空気に影響を受けやすく、悪賢い者がいれば、自分に有利な状況倫理を生み出す
ことができてしまいます。

⑫もちろん、状況倫理だからいじめは仕方がないというわけではありません。  
一人の生徒を無残な死に追いやる行為は、絶対に許すわけにはいかない
はずです。

⑬学校の教室では、先生が空気を正しく支配する役割を放棄したら
終わりです。「これをやっても叱られない」 「あれをやっても問題ない」、
悪意ある生徒がそのように解釈を始めると、クラスの空気(前提)は
とたんに悪化の一途をたどります。

⑭さらに「あの生徒をいじめても問題は起きない」「先生からも叱られない」
とわかると、ある種のお墨付きを得た形になり、特定の被害生徒への
いじめがより気安いものになってしまう。それにより、いじめに加担する
生徒が増える可能性も高まります』

宗教施設ないで起こる数々の犯罪行為は逃げ出す事の出来ない「空気」が
存在するからです。
自民党の裏金問題もこれは正しい慣習だと先輩議員から言われたので断れなかった。
これも政治団体の悪習がまねいた「空気」が原因です。
コロナワクチンも盲信している医者も製薬会社も人命の為と「空気」に踊らされている。
それを反対する人たちも人命を守るためにと正義の「空気」で抵抗をする。

どちらにしても人間性を奪うような「空気」は排除しなければなりません。
自分の身体の中に空気清浄機が必要な時代です。
お気を付けください。


学びて時にこれを習う




『論語』のはじめに、「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」
という有名な言葉があります。
岩波文庫の『論語』には、「学んでは適当な時期におさらいする、
いかにも心嬉しいことだね。」と訳されています。

「学ぶ」というのは『広辞苑』で調べてみると、
①「まねてする。ならって行う。
②教えを受けて身に付ける。習得する。
③学問をする。勉強する。
④経験を通して身に付ける。わかる。」
という意味があります。

また「習う」には、
①くりかえして修め行う。稽古する。
②「教えられて自分の身につける。まなぶ」
という意味があります。
「学習」という言葉は、まさに「学びて習う」ことなのです。
教えを受けて、それを繰り返し修めて行うのであります。

「臨済宗円覚寺館長横田南陵の言葉より」
私などは役目柄、人さまに話をしたり、教えることが多いのであります。
しかし、その分常に学んでいなければならないと思っています。
なかなか学ぶということは努力しないとできないものです。
先日は、椎名由紀先生にお越しいただいて教わり、その次の日には、
甲野陽紀先生に起こしいただいて教わることができました。
生徒になれることはいつもながらうれしいものであります。

椎名先生は、その翌日から海外に出張なさるというのに、
そんなお忙しい中、講座を開いてくださいました。
修行道場では、お盆が終わってご自分のお寺に帰っている者も多く、
いつもよりは小人数となりました。
それだけにじっくりと学ぶことができました。

今回のテーマは中心軸であります。
本題に入る前に、椎名先生は、「癖」について話をしてくださいました。
椎名先生といつもご一緒に教授してくださる先生が、人前に話をなさるときに
癖があって、「あのー」という言葉をよく無意識に使ってしまうそうなのです。
緊張したりすると、なお一層「あのー」という言葉が出てしまうという話でした。
よほど気をつけていないと、わずかの間に「あのー」が何度も入ってしまって、
本人は気がついていないけれども聞く方は聞きづらくなってしまうものです。
私などは先代の管長のおそばにお仕えしていて、よく話のときに「えー」とか
「あー」とか言わないようにと注意をされていました。
それでも「えー」と出てしまいます。

先代の管長は、「えー」とか「あー」とかいう間は、なにも言わずに間を
保つのだと教えてくださいました。
ところが、我々はなかなかこの間を保つことが難しいのです。
なにか言わないといけないと思ってつい「えー」とか「あのー」とか
言ってしまうのです。こういうのは無意識の癖であります。
そんな話をなさってから言われたのが体にも癖があるというのであります。

はじめに各自の姿勢を調べてみました。
ヨガで使うベルトを用いて、足のくるぶしの前あたりに置いて、
そこから畳に対して垂直に頭の上まで伸ばします。
それを橫から見てみると、肩や頭はかなりずれてしまっていることが多いのです。
修行僧たちに多いのは、仙骨の後傾であります。
無理に腰を入れようとして仙骨が後傾して、大転子がベルトよりもかなり
前に来てしまっています。
そうすると肋骨が反ってしまい、首が前に傾くのです。
中には逆に仙骨前傾の者もいました。
橫から見ると、まっすぐなベルトに対してジグザグになってしまって
いるのがよくわかります。

私はというと、腰のあたりまでは幸いにまっすぐなのですが、
肋骨が後傾してしまっています。上半身が反り気味なのです。
これも長年の癖であります。
いついつも椎名先生からは肋骨を矯正してもらっています。
みぞおちを落とすような感じにするのです。

これもわかっているのですが、癖というのは、
ついついそうなってしまうのです。
各自の癖、傾き具合を点検したあとに、
それらを治すために、体をほぐしてゆきました。
じっくり体をほぐしていって、終わりにもう一度ベルトを使って
調べて見ると皆かなり姿勢がよくなっているのでした。

こういう癖をもっているので、何度も何度も学びそして繰り返し
習うことが必要だと改めて思ったのでした。

その次の日は甲野陽紀先生の講座でした。
二日も続けて学べることは有り難いことです。
前回甲野先生とお話していた折りに、歩くこと、走ることの
話題になって、歩くことも走ることも私がとても興味をもって
学んでいるところなので、是非教えてくださいとお願いしたのでした。
特に走るということは普段なかなか行いませんので、関心があります。
甲野先生は、注意の向け方で体が変わるということをいろいろ教えて
くださいます。

たとえば手を振るにしても腕を振ると意識を向けて振るのと、
手の内を振ると注意するのとでは体の安定感が違うのであります。
それから足首の角度でも体全体が変わるのです。
足首を九十度にして足を上げ下げしていると、肩が緩んで体が安定します。
足首が九十度でないと肩などが固くなってしまうのです。
これは眠るときにも気をつけるといいと教えてくださいました。

足首を立てるようにすると肩のあたりも緩むのだというのです。
そうして足先に注意を向けて、足をあげさげします。
あげさげしていて、そして体を前傾させるのです。
前傾させると自然と前に歩き、走るようになるのです。
やっているのは足先を上げ下げしているだけなのですが、
それが体を前に傾けるだけで歩くことにもなり、走ることにもなるのです。
そんな基本を習ってから境内を走りました。
なるほど注意の向け方で軽快に走れるものであります。

円覚寺は坂や階段が多いのですが、坂を上るにしても階段を
上るにしても要領は同じなのです。
自然とするするのぼってゆけました。
ただ八月後半になったとはいえ残暑が厳しく、
ずいぶん汗をかいたものでした。
それでも修行僧たちと共に生徒になって教わり体を動かすことは
楽しいものであります。
臨済宗円覚寺館長横田南陵

私もこの文章から多くの学びを得ました。
学びの興味は尽きることはありません。


山頭火




私は苦難困難に強い。そして貧しさにも強い。
人よりも孤独にも慣れていて何日も喋らなくても平気である。
若い時から勉強も真剣にしたことがない。だからお金に執着もしなかった。
そして努力もなしに願えば叶うことが多かった。
高校受験も大学受験も就職も全部望むところへ行った。
常に礼儀正しくて元気で笑顔でいれば誰でも好かれるはずだと思う。
別にそんな人間が褒められるわけでもないがこれも個人の生き方である。

音楽プロデューサーとして活躍をして作詞も作曲も編曲もした。
その中の一曲が日本レコード大賞作詞大賞に選ばれた。
才能があったわけでも無いのに選ばれたのは嬉しかった。
現役を退いてからマーケティング講座も引き受けて各地で講演もした。
多くの会社や団体から役員として要望があり忙しい毎日だった。

LAで音楽会社を立ち上げ、韓国で映画会社を立ち上げて、北京の音楽会社と手を組んだ。
その後中国のアーティストが大ヒットして中国政府から仕事の依頼があった。
特別に能力があるわけではないが常に時代の先を走り続けた。
豊かな時には豊かな暮らしをして、貧しい時には貧しい暮らしをする。
収入のほとんどは活動費や投資で消えてしまうので家族に迷惑をかけた。
一体全体「俺は何だろう」と考えた時に、この俳人の名前が思い浮かんだ。

孤高の俳人種田山頭火だ。

1882年(明治15年)に山口県防府市で生まれた種田山頭火(本名:種田正一)は、
自らのことを「無能無才」や「小心にして放縦」、「怠慢にして正直」と評し、
その57年の生涯を「無駄に無駄を重ねたような一生だった」と振り返って
います。山頭火という人物は、一体どのような人生を歩んできたのでしょうか?

種田家は村の大地主で、父親は役場の助役なども務める顔役でしたが、
女性関係が派手な方で、母親はそれを苦に、山頭火が11歳の時に井戸へ
身を投じ亡くなっています。俳句を始めたのは15歳の頃からで、
高校を主席で卒業し早稲田大学へ進学するなど、学業の方は優秀だったそうです。
大学在学中に神経症を患い故郷へ戻ることになった山頭火は、その後、
一家で開業した酒造場の仕事を手伝いますが、およそ10年で破産に
追い込まれ、父親は消息を絶ちます。不幸続きの山頭火は、
酒に溺れたようですが、俳人として頭角を現してきたのは30代頃からで、
投稿した句が俳句誌に掲載されています。

私はその日その日の生活に困っている。食うや食はずで昨日今日を
送り迎へている。多分明日もいや、死ぬまではそうだろう。
だが私は毎日毎夜句を作っている。飲み食いしないでも句を作ることは
怠らない。いいかへると腹は空いていても句は出来るのである。
水の流れるように句心は湧いて溢れるのだ。私にあって生きるとは
句作することである。句作即生活だ。
 
私の念願は二つ。ただ二つある。ほんとうの自分の句を作りあげることが
その一つ。そして他の一つはころり往生である。病んでも長く苦しまないで、
あれこれと厄介をかけないで、めでたい死を遂げたいのである。
私は心臓麻痺か脳溢血で無造作に往生すると信じている。

私はいつ死んでもよい。いつ死んでも悔いない心がまえを持ちつづけている。
残念なことにはそれに対する用意が整っていないけれど。
—無能無才。小心にして放縦。怠慢にして正直。あらゆる矛盾を蔵している
私は恥ずかしいけれど、こうなるより外はなかったのであらう。
意思の弱さ、貧の強さ、あゝ、これが私の致命傷だ。

俳句は言葉の「音」や「リズム」を楽しみ、そこに美しさを見出す芸術ですが、
山頭火の作品は、同じ音を繰り返し用いるなど、特にこの傾向が
強く見られます。
“てふてふひらひらいらかをこえた”
“春の山からころころ石ころ”
“あざみ鮮やかな朝の雨あがり”
“ほろほろほろびゆくわたくしの秋”
“もりもり盛りあがる雲へあゆむ”(辞世の句)

何だかラップのような趣がありますよね?そのほか、情景や感情を詩的に
呟いた作品も多く、現代のツイッターに通じるところも、
今の人に受け入れられる要素かも知れません。
“まっすぐな道でさみしい”
“笠にとんぼをとまらせてあるく”
“ころり寝ころべば青空”
“あたたかい白い飯が在る”
“咳がやまない背中をたたく手がない”

1932年(昭和7年)9月から1938年(昭和13年)まで暮らした庵。
50歳を迎えた山頭火は、体力の衰えから作句と行乞(ぎょうこつ)の
旅に限界を感じていました。そこで、山口市小郡(おごおり)に庵を結び
「其中庵」と名付け生活を始めます。安住の地を得た山頭火は、
数々の句集を発行するなど、最も充実した文学生活を過ごしました。

この地は私の家内の実家がある場所です。
私と結婚するまでは家内はこの地で暮らしていました。
私もこの地防府へ何度か訪れました。親しみを感じるのはそういう縁が
あったからかもしれません。

旅の途中に書いた代表作
☆どうしようもないわたしが歩いている
☆分け入っても分け入っても青い山
☆酔うてこほろぎと寝ていたよ
☆おちついて死ねそうな草萌ゆる
☆生死の中の雪ふりしきる
が好きでした。
山頭火が俳人として生きていくことを決意したときに
詠まれたものだと言われています。

禅の言葉に「本来無一物」というのがあります
「本来無一物」という語は、誰でも知っている禅の代表的な言葉である。
誰でも知っているけれど、ほんとうに分かっているかどうかは、まったく別であろう。
普通には、「もともと何も無い」というように理解されやすい。
 
しかしこの「本来」という語は、もともとという意味ではなく、「本質的に」とか、
「根源的に」ということである。また「無一物」は何も無いということではない。
禅宗で言う「無」は大乗仏教の説く「真空」の中国版で、有と無の両方を超えた
次元を意味しているのである。したがって「本来無一物」もまた、有も無もそこから
出てくるような「根源」をいうのである。
 
われわれの身体や心もまた、そういう「一切を超えた根源」から現われ出ている
ものであるから、それを「清浄なもの」だと考え、煩悩のような「不浄なもの」を
避けようとするのは、「小乗仏教的」な二元論に過ぎないのである。
 
大乗仏教では、「清」も「濁」も、ともに根源の「空」の現われ方の違いであるとする。

だから清と濁、善と悪というように、分別してしまうのは、真実についての誤った
理解で、それを迷いというのである。なるほど清らかな処に塵が溜るなら払わなければ
ならないが、何にもなければ塵も溜らないというのが、大乗仏教の尊い考え方である。
 
清も濁も同じ「空」の現われであるから、両者は同じ価値である。
それを差別することが迷いである。「悟りは迷いの道に咲く花である」という句は、
それを言うのであろう。

いま山頭火が面白い!
何度もブームが再来するのは日本人の心に響く演歌に似ているからかもしれない。
俳句の定型化から離れて自由律俳句と言葉遊びの響きが若者たちにも
好まれるのはラップ調だからかもしれない。

山頭火の俳句はお昼に読んでも夜中に読んでもそれなりに響き方が違う。
みなさまもお時間のある時に読まれてみては如何でしょうか?