今日は死ぬのにもってこいの日だ




美しい死に方を望む人は多いと思います。
病院で死ぬか、自宅で死ぬか、愛する家族に見守られて死ぬか。
苦しまずに死ねるのであれば安楽死を望む人も多いと思います。

どうせ死ぬのであればと自暴自棄になる人もいます。
しかし仏門に入り心静かに過ごしたいという人もいます。
人それぞれですが大自然に抱かれて死にたいという人はいません。

もし死ぬ日がわかるのであれば私は身辺整理をした後に餓死を望みます。
食べない事は人間の機能を徐々に弱らせて静かに息を引き取る事が
できると聞いています。慌てず騒がずに好きな場所で息を引き取りたい。
叶うのなら少数の身内と気のおけない少数の仲間に囲まれて死にたい。

一般的には老人と言うレッテルを貼られて車いすに座り、子供の様に
あやされて老人ホームで死の順番待ちをしている方が大勢います。
反発する力もなくなすがままにされて「こんなはずじゃなかった」と
後悔する老人の方も多いと思います。

こんなタイトルの本があることを知りました。
インディアンの教えは先祖から伝わる素敵な物語があります。

「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
ナンシーウッド著

生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。

わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。

万物は一度死ぬことによって、生を取り戻す。
冬に枯れるから、春に芽吹く自然のように。
母なる大地を切り売りすることなどできない。

「所有」から離れたインディアンの哲学に学ぶところ多い
大自然の中では人間が創り出したものは何もない。
寿命が来れば先祖の霊や森や川の例に囲まれて幕を閉じるだけです。

こんな話もあります。
カナダの北西部地方の総合病院には言葉や習慣の色々異なる
エスキモーやインディアン、それに少数の白人患者が送り込まれて
来ていました。
重症のやけどで、白人なら助かるかどうかで五分五分というような
症状の場合、エスキモーはだいたい生き延びるし回復も早いが、 
インディアン中でもヘアーインディアンは、あっという間に
死んでしまうというのです。

「ヘアーインディアンはちょっとした事で、すぐ生きる意欲とか
執着心とかを失ってしまいます。白人なら絶対死なないような
軽度のやけどや肺炎でも、コロリと死んでいくんですからね。
それに痛いとか苦しいとか、とても大袈裟でね」

「ヘアーインディアンは、ちょっとしたことで大騒ぎするの。
それに患者が、もう死ぬといいだしたら、あっという間に死んでいくのよ。
ヨーロッパ流の医療がよく効くのは、本当に軽いカゼとか、
麻酔で手術してしまえる虫様突起炎とか、お産、
それから乳幼児の栄養指導だわ。肺炎には弱いのよ」

ヨーロッパ流の医学は「死を悪と見て」、避けられるだけ
死を避けようとして来ました。
そのヨーロッパ流の医学と、ヘアーインディアンの生き方、
死に方とがすれ違うのです。

ヘアーインディアンの場合は「死ぬこと」を重視し、それを優雅に、
言い換えるなら生にしがみつく醜い態度を呈することなく、
引き潮のように死にゆくこと。

ヘアーインディアンの世界では生きている者も死者も、
あらゆる言語活動が「死」に向かって動員される。
言祝ぐ。「言祝ぐ」と言ったのは、集団の成員だけでなく、
彼らの祖先が守護霊となって、彼らの「死」に
積極的に関わっているからである。

「ミルトン・エリクソン「魔法使いの秘密の言葉」より」

世界中のどの国も高齢者問題を抱えています。
21世紀は戦いの時代でした。
侵略と略奪を繰り返し多くの人の命を奪ったのです。
その反面に労働力として兵隊として国を支える国造りの一環として
子どもを増やす必要があったのです。

日本でも1945年に第二次世界大戦争が終了後に「産や増やせよ」の
スローガンのもとに我々団塊の世代が誕生したのです。
家族の中に4~5人の兄弟が居て、学校に行けば一クラス50人前後で
学年12~15クラスは当たり前の時代だったのです。

その方々たちが、2020年代に入り「死は身近」になり
死の順番待ちをしている状態です。私もその一人です。
私は死を怖いと思ったことはありません。
お寺で「生老病死」を学んだお陰で死の段階が来たと受け入れます。
それよりも突然記憶が無くなる方が怖いと思います。
愛する家族や友人の顔も思い出せなくなると「生きている存在」が
無くなるからです。

意識を持って死を迎える。
「今日死ぬのにもってこいの日だ」と言える余裕が欲しいですね。
死はそれほど怖いものではありません。
残された人たちも笑顔で手を振って「いってらっしやい」と
送り出してあげてくださいね。