最悪を想定して最高を描く




一体全体最悪とは何をもっていうのか分からない。
人それぞれの価値観で使われる言葉であるから、
その受け取る解釈は千差万別である。
同じように最高も何をもっていうのかは分からない。
特に仕事の状況で願った通りの業績が出れば最高だし、
その反対に何をやっても結果が思わしくない場合は最悪となる。

私の生き方は「All or Nothing」百か零の人生であった。
人生を急いでいたから結果ばかりが気になり
地道な計画と努力を怠っていたのである。
気迫(パワー)と創造力(アイデア)だけでアーティストを
オールラウンドでサポートしてヒットに繋げたからです。
みんなと同じ常識の世界で戦えば流される気がした、
過去には無かった意外性を前面に押し出して功を奏した。

1991年にCBSSONYを退社して独立経営の厳しさを学んだ。
今までは制作だけに没頭していれば仕事が成立していたのに
何もかも(経理・マネージメント・コンサート手配など)
自分でやらなければならない大変さに気づいた。気づくのが遅い!
退職金も印税も自宅も担保に入れてすべて事務所の運営費に回して
10年間で2億5千万円ほどは失った。

10年間死に物狂いで経営を続けたのだが、最後はアメリカの
レコード会社との契約が入金直前で破棄されたので、
やむなく会社をたたむことにした。
所属アーティストやスタッフ及び関係者に多くの迷惑をかけてしまった。
すべて私の未熟さゆえに起こったことである
悔いても悔やみきれない出来事であった。

会社を立ち上げた時に仕事が順調に行かずに資金繰りで
苦しむことを想定しておくべきであった。創業の苦しみである。
それと同時に順調に業績が伸びた場合もどれほど事業の拡大を
図るかも想定すべきである。守成の苦しみである。

敗者になって悔しくて心に刻まれた場面がある。
音楽事業から少し距離を置いてビジネスプロデューサーになった時である。
アパレル会社の顧問として役員同行で百貨店へ売上提案に行ったところ、
先方の社長から「あなたの提案は理想論であってビジネスには役に立たない。
うちの社員も寝ずに業績を上げることを考えている。
百貨店に取って洋服屋の売上はたかが2~3%しかならず
話しあうのは時間の無駄だ」と一言放って会議室から出て行った。
仮にも私は取引先の役員である。その人間に向かって
客商売の百貨店代表が言う言葉ではない。

しかしこのような言葉を投げかけられるのは初めてでは無い。
独立して自社のアーティストの売り込みにTV局へ行ったところ、
「あなたとはSONYの社員ということで一緒に仕事をしたが、
いまはその肩書が無くなり、我々としては付き合うつもりは無い」
見事に手の平返しにあったのである。
どのような努力でトップになろうと人間的未熟は将来が危ぶまれます。

どのフィールド(事業規模)で、どのポジション(役割)かを
把握しなければ上記のようなことを言われても仕方がない。
正論や常識で判断しても社会を知らなければ意味が無い。
社会、特にサラリーマン社会は理不尽なことだらけである。
大学を出たばかりの新入社員が3か月もしないで辞めていくのは、
自分の理想と現実の社会があまりにも乖離しているので
耐えられないからである。

仕事以外にも自分の人生に置き換えることもできる。
一生かけて生きる「目的」を果たさなければならない。
直近の「目標」が見えなければ闇雲に動き回るだけになる。

私は少しの成功体験をしているので役職が上がれば上がるほど
性格が変わるのを実感している。
苦労した人間ほど傲慢になり冷酷になることが多い。
その時に「目標」と「目的」が分かっていれば
短絡的な判断をしなかっただろう。学びが足りなかったのである。

貞観政要に書かれている
「上に立つ者は3人の部下を持たなければならない」
①苦言を呈する身近な部下、
②正論を教えてくれる先生、
③命をかけて守ってくれる仲間。
このことの必要性が分かる人間は道を外すことは無い。
一番側にいる人間の重要性、つねに人の道を教えてくれる先生、
いざとなれば身を盾にしてでも守ってくれる仲間である。

初期の計画が思い通りになって成功というのであれば、
実績はその半分ぐらいになることを想定すれば良い。
いきなり大きな計画を希望しても人脈と資金力が無ければ上手く行かない。
夢を描いても良いが計画の実効性が無ければ意味が無い。
夢の語源は「夕暮れの景色が薄れていくときに見る景色」と
書かれているようにぼやけているからである。

自分の人生を想像したときにこうなれば良いのにと
想像することが夢である。夢は曖昧である。
しかし事業はそういうわけには行かないので理論化して構想を練り、
市場を見極めなければならない。最重要な課題は資金力である。
人を集めて適材適所に配置する掌握方法も知らなければならない。
いわゆる行き当たりばったりで経営は成り立たないということである。

最悪を想定して最高を描く。
人生においては最悪を避けて無難な道を歩もうとするのは、
誰しもが思うことで、特に親は自分の経験を通じて
子供達に安全な方法を教える(説教する)。
しかし子供達にとっては説教ほど聞いていてつまらないものはない。
将来起こるだろうというあやふやな説明は教師から言われても耳に残らない。

現代では悩みの解決方法はAIに聞けば教えてくれるが、
そこに愛がないので論理的な解決のみで益々理解するのには難しい。
大方、人間は失敗を経験してから最高を描くことができる。
最悪な状態こそ最高を描くことができるチャンスなのである。

「君がつまずいてしまったことに興味はない。
そこから立ち上がることに関心があるのだ」(リンカーン)
「失敗すればやり直せばいい、やり直してダメなら、
もう一度工夫し、もう一度やり直せばいい」(松下幸之助)
「ミスをしない人間は、何もしない人間だ」(ルーズベルト)

最後にイギリス首相ベンジャミン・ディズレーリの言葉を紹介します。
「私は最悪な事態に備え、最良の事態を期待する」
出来れば最悪な状態を経験せずに最高の成功を獲得できれば良いですね。