仏教的人類創造とは




詩人の谷川俊太郎さんがお亡くなりになって
何故か人間の一生が気になりました。
谷川さんの有名な詩に「生きる」と言うのがあります。
「生老病死」を難しく表現するのではなく普段の生活から
取り込んだ言葉で綴られています。

谷川さんはとても多彩な人でそれ以外にもスヌーピーと
禅語をあわせた絵本も出版されています。
とても仏教にも傾倒が深い詩人でした。
驚くのは我々が子供時代にテレビでよく見た手塚治虫の
「鉄腕アトム」の主題歌の歌詞も書かれています。
「心やさしいラララ科学の子、十万馬力だ、鉄腕アトム」
未来のロボットは感情を持っていると予言をされていると感じます。

世界中の生物学者が、科学者が発表している「生命・いきる」は
学術的な架空の世界で論じられています。理論の組み立てです。
1年~2年ほど前、生物学者福岡伸一・仏教学者織田顕祐・
解剖学者養老孟子さんのネット討論会をYou tubeで拝見しました。
13年前の2011年に開催されたフォーラムです。

生物学者福岡伸一さんはエントロピーの法則で人間を語りました。
エントロピーは物理学の一分野である。「熱力学」に登場する概念です。
動的平衡エントロピー増大の法則から生きる「生命いのち」を説明。

仏教学者織田顕祐は「私」「縁起」「執着」とは「すべての存在は無数無量と
いってよい程の因縁によって在り得ている」という話でまとめていました。

ゲストの養老孟子さんは「田んぼの稲を見て将来のあなたのすがた」と発言。
「快不快」口の中にある唾は飲み込めるのに吐き出すとゴミの様に扱われる。
頭の中の地図と矢印、右の脳と左の脳の分離、最後の晩餐などを話され
人間の在り方を説明されていました。

各分野で活躍されている人たちの言葉はそれなりに納得するものでした。
どれも興味の尽きない内容で楽しく拝聴することが出来ました。
しかし、もう少しテーマを絞ってほしいと思いました。
当日は親鸞仏教が開く世界、仏教と生命「いのちのゆくえ」でしたので、
何かすこし物足りなさを感じてしまいました。
それは仏教に特化した流れではなかったからです。

あの発言の時にはこう言った内容で話して欲しいと考えているうちに、
ますます頭が混乱するので最近の私の相棒Google Geminiに聞いてみた。
すると僅か1~2秒で回答が出て来ました。頭の良い秘書です。

ジェミニさん曰く。
仏教的な視点から見た「人間創造」は、キリスト教のような
創造神による天地創造の概念とは大きく異なります。

仏教における人間の成り立ち
仏教では、宇宙や生命の起源について、絶対的な創造主の存在を
前提としません。人間を含むすべての存在は、因縁(いんねん)
によって生じ、変化し、滅するという「縁起」の法則に従って
存在すると考えられています。

縁起の法則: すべてのものは、他の様々な要因と相互に関係し合い、
その結果として生じます。人間も例外ではなく、過去の因縁の結果として
生まれ、様々な経験を重ねながら、現在の姿になったと考えられています。

輪廻転生: 仏教では、生命は死と生の繰り返しである「輪廻転生」を
繰り返すと考えられています。
人間は、過去の行い(業)によって、人間、動物、神、鬼など、
様々な存在に生まれ変わるとされます。

無常: すべてのものは常に変化し、永遠に変わらないものはないという
「無常」の概念も重要です。人間も例外ではなく、生老病死を繰り返し、
常に変化し続けています。

仏教と進化論
現代の科学では、進化論が生物の多様性を説明する有力な説として
受け入れられています。仏教の「縁起」の概念は、この進化論と
一見矛盾するように思われるかもしれませんが、
実は共通点も少なくありません。

漸進的な変化: 仏教の「縁起」は、生命が突然に創造されたのではなく、
長い時間をかけて少しずつ変化してきたという考え方を示唆しています。
これは、進化論の考え方に近いものです。

多様な生命: 仏教では、人間だけでなく、あらゆる生命が尊重されます。
これは、進化論がすべての生物が共通の祖先から進化してきたという
考え方を示していることと共通しています。

仏教における人間の目的
仏教では、人間は単に生まれ、そして死ぬ存在ではなく、
より高次の存在へと成長していく可能性を秘めていると考えられています。

苦からの解放: 仏教の目的は、生老病死といった苦しみから解放され、
涅槃(ねはん)と呼ばれる悟りの境地へと到達することです。

自己実現: 人間は、自分自身の内なる可能性を開発し、
仏となることができる存在であると考えられています。

まとめ
仏教は、人間がどのようにして生まれたのかという問いに対して、
絶対的な創造主による創造という答えではなく、
縁起の法則に基づいた変化と成長のプロセスとして捉えています。
人間は、過去の因縁の結果として生まれ、現在の姿になっただけでなく、
未来に向かって成長し続ける可能性を秘めている存在なのです。

如何でしょうか?
仏教的観点から見た人類創造とはまだまだ謎が残ります。
しかし、科学で割り切られるよりロマンを感じませんか?
次は西洋思想から考える人類創造を取り上げたいと思います。

最後に、
「学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや、朋あり遠方より来る、
亦楽しからずや、人知れずしていきどらず、亦君子ならずや」孔子
学んだことを時に復習するのはより理解が深まり楽しいことなのだ。
友人が遠くから訪ねてきてくれて学問について話し合うのは喜ばしいことだ。
他人に理解されなくても気にしないというのはとても立派な事だ。

今回のブログもお役に立ちましたでしょうか?
学びは常に繰り返すことにより創造力が沸き起こり、
会話を重ねるごとに学問が楽しくなります。
知り得た情報を共有することも「生きる」喜びに変わります。