ソムリエがワインの説明をする。
ボトルを見せながら産地、品種、評判、味わいなどを言う。
そこで最初に自分の飲んだ味わいを言わないのが礼儀である。
しかし客から問われれば詳しい味わいの感想は述べる。
私はいつもソムリエにあなたのこのワインに対する飲んだ評価はと聞く。
自分が飲んだことの無いワインを客に勧めるのは、単にソムリエの
儀式だけであって、本当の推薦にはならないからである。
ソムリエが最も陥りやすい誤りとは情報と知識(データー)に頼るからである。
そのデータが、最新のものか、使い古したものかは判断に大きく左右される。
大切なことはブドウの品質だけではなく、その時代の政治的背景や世相や
気候の状態なども含まれなければ片手落ちになる。
ワイナリーの歴史と開発者の意図と土壌の特徴が説明されても
まだまだ十分とは言えない。そこにはワイナリーの秘密が存在するからである。
それを聞いて口にするのがワインの醍醐味である。
ここにこのような文章がある。
「ストーリーで選ぶ」
作家塩野七生氏の心に響く言葉より…
私がワインを選ぶときはね、ぜんぶストーリーがある(笑)。
つまりねぇ、私は、その「心」であじわう。
なんども申しますけれど、多くのことは、
やはり「心」であじわうんですよ。
どのワインがいちばんうまいかってを
選ぶコンテストがありますとね、
イタリア人やフランス人は意外とだめなんです。
イギリス人が優勝したりして。
私なんかはワインのいい悪いって、
そんなに神経質になるような問題じゃないと思うの。
飲むときの空気、ヨットの上で飲んだとかね、
つまり潮風の香りとか、いろいろな要素がはいって、
おいしいとね、感じる…
それほど客観的な基準なんて、悪いけどないのよ。
要するに私たちは心であじわう。
そのために歴史や物語が助けてくれるんです。
◇『おとな二人の午後』(塩野七生&五木寛之)世界文化社
ワインのプロなら、産地や葡萄の品種、作った年代等の詳細なデータが頭に入り、
専門的な基準でワインを選ぶだろう。しかし世界中にワインがあふれている現代、
酒造メーカーを選ぶのも、商品を選ぶのも、そこに、愛好家の心に響き、
共感するような物語や歴史があるのかが最も大事になってくる。
その物語が、具体的で、真実味があればあるほど心に訴える。
プロではない一般の人たちは、客観的な基準という細かいデータや
スペックにはあまり関心がない。
全てのワインに、心に響く歴史や物語があると素敵だ。
私には友人から勧められた特別なワインがある。
そのワインはイタリアの小さなワイナリーで作られたものである。
そのワインの原料である葡萄の収穫方法に心惹かれた。
彼らは毎朝、葡萄畑へ向かってオーナーと農夫たち全員で
「今年も良いワインが出来ますように」と神に祈りを捧げていると聞かされた。
そのワインの名は「グランソール(偉大なる魂)」です。
コルクの栓を抜きそのコルクの匂いを嗅ぐ芳醇なチーズの香りがする。
グラスに少量注ぎ口に含み一口目を丁寧に味わう。
最初に土の香りを楽しむ。
フランスではワインの育った土壌はテロワールという言葉をつかい、
土壌、気候、日照、地形など、ブドウが育つ自然環境要因に
昔から重きを置いてきました。なかでも、ブドウ栽培において
土壌はとても大事な要素で、土壌がブドウの味わいに大きく影響を与えます。
例えば、海の近くの土壌で育つブドウで造られたワインは、
海水のようにほんのり塩味が感じられる。
ミネラルが豊富な味わいになったり、これは、貝などの化石を多く含んだ
石灰質の土壌で育つブドウに多くみられます。
このように、ブドウの味に直接影響を与える土壌は、
ワインの個性を生み出します。
ボトルからデキャンタにワインを移し十分に空気に馴染ませてから
お客様に振舞います。その日は妻の誕生日だったのでお客様は家内です。
口に含むたびに味が変化するので家内はとても喜んでくれました。
私は大好きなオリーブの実とブルーチーズで
ボトルが空になるまで堪能しました。
とても不思議なワインで飲み心地が良く毎年誕生日には購入しています。
しかし一般の店頭では販売しておらず申込によって購入が出来るワインです。
塩野七生さんの言うように私もワインを選ぶ時はストーリーを大切にします。
ロスアンジェルスで開かれたオークションでロスチャイルドの幻のワインを
2本購入して、近くのナパ・バレーで当時注目されていたワイナリーのオーナー
ロバートモンダミ氏にお会いして、新商品のオーパスワンを紹介して頂きました。
それ以外にも映画監督で有名なコッポラのワインもモンダミの68年?のワインも
試飲させていただきました。
ここに私なりのストーリーが作られるのです。
世界の最高級ワインと言われるロマネコンティや
シャトーペトリュスなども会員制の倶楽部で友人たちと楽しみました。
北京の友人たちにロマネコンティとダビドフ(高級葉巻)を紹介したところ
世界の市場から商品が消えたという話もありました。
その当時イタリアの高級車フェラーリも町中には溢れていました。
高度成長期の国ではよくある話です。
今は天下の素浪人になったので高級ワインを楽しむ機会は無くなりました。
貴族の嗜みのワインの知識も本棚の奥にしまい込んでいます。
今となれば良き経験をしたと満足しています。
知識は情報から学ぶか経験から学ぶかが大切です。
プロになるのであれば情報も経験も必要ですが、それ以上に会話の妙技も
必要になります。お客様の食事の満足度を誘導するのもソムリエの仕事です。
ワインだけの知識に頼りすぎるとプロとして判断を見誤りますよ。
お気をつけください。
12月 30th,2024
恩学 |
プロの見誤り はコメントを受け付けていません
神田の古本市へ行って予てから念願の鈴木大拙全集を買い求めた。
といっても小本ばかりの六冊シリーズである。
禅の思想・禅問答と悟り・禅による生活・金剛教の禅・禅への道・禅百選・
禅堂の修行と生活・禅の世界。
今までも数冊愛読していたが古書の作品は初めてである。
見るからに古本の様相を呈して開くと独特のカビの匂いがした。
カビの匂いと、カビの胞子なのか鼻と目にまとわりつく。
マスクと眼鏡を着用しなければ読むことのできない曲者であった。
これも古本を読む醍醐味である。
鈴木大拙は日本人の精神の根本である「禅の世界」を英語版で
世界へ紹介した仏教研究家であり哲学者である。
鈴木大拙(だいせつ、1870〜1966)は、禅をはじめとする仏教、
広くは東洋・日本の文化や思想を海外に伝えたことで知られる。
本名は鈴木貞太郎だが、居士号の大拙「Daisetz」の「D」、貞太郎「Teitaro」の
「T」をとった英文表記「D. T. Suzuk」の方が、
ZENに関心を抱く欧米人にとってはなじみがあるだろう。
大拙の業績は、禅の紹介だけではない。
浄土真宗の宗祖・親鸞の『教行信証』を英訳した意義は極めて大きいし、
妙好人(浄土真宗の在俗の信者)に関する
研究成果は『日本的霊性』(1944)などにも現れている。
しかし、禅の真髄を欧米諸国に知らしめたことで、
ZENの紹介者として認知されているようだ。
海外では彼を禅僧だと思っている人も多いが、そうではなく、
そもそも布教の意図や禅の理論や哲学を語る意図は持っていなかった。
「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」、
つまり、全てのものを救おうという誓いに基づき、大拙は彼個人の
参禅体験から導き出された思想を生涯において語り続けたのである。
鈴木大拙は、霊性という言葉を宗教意識というような意味で使っている。
というのも大拙は、霊性という言葉を感性や知性と並列する形で
使っているからだ。
感性が感覚についての、知性が知的認識についての意識であるように、
霊性は霊即ち宗教的な対象についての意識であると考えているわけだ。
この霊性というものは、民族ごと宗教ごとに違う形をとると
大拙は考えていた。キリスト教的、インド仏教的霊性がある一方、
日本には日本人的な独特の霊性がある。
それを大拙は日本的霊性と名づけて、その生成と本質について議論する。
「日本的霊性」と題した著作がそれである。
この著作の中で大拙は、日本的な霊性が芽生えたのは
鎌倉時代だったと言っている。
それ以前の日本人には深い宗教意識はなかった。
仏教や神道が存在したではないかとの反論があるかもしれぬが、
仏教は上層階級に限定されて一般庶民とはあまり係わりがなかったし、
日本古来の神道は、宗教と言うよりは、
「日本民族の原始的習俗の固定化したもので、霊性には触れていない」。
ある民族が霊性に目覚めるためには、「ある程度の文化段階」に進む必要がある。
日本人の場合、鎌倉時代に至って初めてそのような文化段階に至り、
全民衆的な規模で霊性に目覚めたというのである。
鎌倉時代に目覚めた日本的霊性を大拙は、禅と浄土系思想がもっとも
純粋にあらわしていると考えた。
両者とも大陸から伝えられた仏教系の思想をもとにしているが、
鎌倉時代の日本人は、それを外来の思想として受け入れたのではない。
それらを日本人独特の宗教意識とマッチさせるような形で、内面化した。
ということは、外来の思想が日本人の宗教意識を高めたというよりは、
もともと日本人の中に潜在的にあった宗教意識が、
これら外来の思想を触媒として花開いた、というべきであると大拙は主張する。
そこで何故、鎌倉時代以降の日本人が、絶対者との超越的な係わりを
主題にした宗教を発展させるようになったのか、が問題となるが、
大拙はそこまでは触れていない。
終戦直前の1944年に出版された「日本的霊性」は、
一般に、大拙の代表作とされています。
つまり、禅は、日常の活動の中での悟りを重要する
動態的なものであるということです。
また、禅の思想を「無分別の分別」、禅の行為を「無功用」という
言葉などに代表させています。
単なる「無分別」ではなく、「分別」があること、
そして、それが行為において働きとなることがミソなのです。
人類が今、第一に優先すべきことがある。
それは地球温暖化を止めることよりも、核戦争の危機を回避することよりも、
闇の勢力が云々と言うよりも、目先のお金のことを考えるよりも大切なこと。
それは鈴木大拙が1945年焼け野原になった日本国土を見つめながら言ったこと
「日本には日本的霊性的自覚が足りなかった」、この言葉と繋がりであり、
今人類には日本的霊性的自覚が欠如している。
では日本的霊性とは何か?それは物質に対比した精神ではない。
物質-精神などという二元を超克した「一」の世界、無分別智である。
そこに繋がらない限り、人類はヤ・バ・イのだ。
そして特に日本人であるならば、日本的霊性的自覚に目覚めなければ
ならない使命がある。
日本は他国を真似してはならない。
他の国が武力や経済力で自国を守ったとしても、日本はその道を選ばない。
日本は徹底的に日本的霊性に繋がることを命とする。
だから1945年8月15日の昭和天皇の終戦宣言があったのだ。
過去の歴史の解析はいろいろとできるだろう。
しかし最も高い視座からみた時にはやはりこの国は「知っている」のだと
感心する。鈴木大拙が言っていた「二元論は対立理論であり、
それが世界を平和にできるわけがないのだ。」と。その通りである。
今人類がしなければならない唯一のことは、「一」との接続。
これに尽きるのだ。
そしてそれは難しいことではない。
何も痩せ我慢して悟った良き人のフリをすることでもない。
脳の錯覚世界と心の実在を明確に分け、
世界を脳で捉えるのではなく心で捉えるだけである。
そしてこの技術の秘密が「言語」にあるため、新しい「言語」を
習得するだけのことなのだ。
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
この言葉は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。
次の時代への鍵は間違いなく、「言語」です。
それは歴史を知り、日本的霊性を知り、無分別の分別を知るところから始まる。
言語と共に日本的霊性再認識の時代へ突入したのである。
12月 29th,2024
恩学 |
日本的霊性 はコメントを受け付けていません
心とは人間のどこにありますか?
よく交わされる問いかけである。
それは心臓だよと胸を指す人も大勢います。
またそれは頭の中だよと頭を指す人も大勢います。
いやいや腹だよと腹を指す人も大勢います。
老婆心、好奇心、心が折れる、魚心あれば水心と心を使う言葉は沢山あります。
心の語源には、「凝々(こりこり)」「凝々(ころころ)」「凝る(こごる)」
などから 転じたとする、「凝」に絡めた説が多くあるが、正確な語源は未詳である。
漢字の「心」は心臓の形をかたどったもので、中国語では心臓の鼓動と
精神作用が結びつけて考えられていた。
cetasika(チェータシカ:心所)は「心にあるもの」「心によるもの」で、
言い換えれば、心の成分のようなものです。心は必ず心所と共に生じます。
この場合の『心』とはパーリ語の citta(チッタ)のことで、「生きている」
というような意味です。仏教では、「心がある物体」を生命、「心のない物体」
を物質と言っています。
私たちが自分で「心」と感じているのは心(citta)ではなく
心所(cetasika)です。「私は悲しい」と言うときは、心を悲しませる
心所が心にあるということです。
「私は悲しい」ということは決して事実ではありません。
『私』という存在があるわけではなく、実際にあるのは心と心所なのです。
悲しんでいたのは私だし、勉強をしていたのも私だし、今ふざけているのも
私だし…やはり『私』がいる、と思うのですが、それはただ心の作用に
悲しい波や楽しい波などいろいろな波があっただけのことです。
遊んでいる、勉強している、悩んでいる、考えている、怠けているなど
私たちの状態や動作を表す言葉はすべて心所に基づいて言っている言葉です。
心とは何かということですが、それは具体的に理解できるものでしょうか。
簡単に考えると、心というのは、身体という物体とくらべて考えれば
より分かりやすくなります。身体というのは、この地球から借りたただの
物質のかたまりなのです。とはいえ、その辺にある岩とか、池とか、
道路などとくらべるとどこかで違うのですね。
この岩と、自分の身体をくらべると、どちらも地球の一部だから
同じだけれど、どこか違うところもあるのではないかと気が付くはずです。
その違うところは「心」と見ましょう、「心」という言葉で一応確認して
おきましょう。では何が違うのか探してみます。
たとえば私はしゃべっている。岩はしゃべっていない。
それで喋るということは「心」の働きとします。
ではスピーカーも喋っているのですか。そうではありません。
スピーカーは音というエネルギーを作っているだけで、決まった振動を
送りだしているだけです。一方的で相互的ではないのです。反応はしません。
「こんにちわ」といっても反応はありません。私は話をしていますが、
皆さんがつまらないと言って出て行ったら、話す相手がいないのですから
話をやめる。そのような動きをするのが「心」なのです。
また、この部屋は涼しいとか暑いとか、私達は感じます。岩は感じません。
暑さ寒さを感じるのも、心の働きのひとつなのです。ものを見る。
それから面白いと思う、つまらないと思う、楽しいと思う。
いろいろなことを感じます。岩を棒切れでたたけば、岩は割れるかも
知れませんが、それ以上の反応はありません。
しかし、人の身体が殴られたら、反応はまた違うのです。痛いと思ったり、
あるいは気持ちいいと思ったり、また、何をするのだと怒ったり、
いろいろな感情的な反応をするわけです。
このように、物体と違うところ、それが心なのです。
心は隠れているものではありません。ものすごく巨大な動きです。
それが、この身体の中にあるのです。
人と喋ったり、喋る相手がなければ頭の中でいろいろなことを考えたり、
またいろいろなものを作ったり、さらに、自然を破壊したり、
自然を破壊しながら自然を守っているのだと嘘をついたり、
それらすべては「心」の働きです。
(余談ですが、本当に自然を守っているのは自然そのものなのです。)
しかし自然はぜんぜん自慢しませんしね。植物も、石も山も雲も、川も海も
ちゃんと自然の循環を守っているのですが、海が自慢するのを、
一度も聞いたことがありません。
「私がいなければ地球はもうダメですよとは誰も言いません。」でも、
人間だけは自然を守っていると自慢するのです。自慢もこころです。
また、動物も、生きるためにいくらかは自然を破壊します。
ですから、動物にも心はあるのです。動物も反応します。
泣いたり、痛がったり、嫉妬したり、喧嘩したり、また子供を作ったり
するすべての生き物は、人間と同じように「心」を持っているのです。
すべての行動には知性よりも感性で行われます。
危険を察知する能力も心が反応して次の動作に写るのです。
その中でも最も顕著に表れるのが「愛」の感情表現ではないでしょうか?
好意を寄せる、守ってもらえる、子孫を残す、家族として群れる。
「心」は「本音」と比較されることもあります。
「心のない言葉ではなく本音で話をしてくれ」と恋人同士は詰め寄ります。
大切な愛の確認をしなければ心の底から心ある物体として満足が出来ないからです。
最後に今一度心とは
心所は「心にあるもの」「心によるもの」で、言い換えれば、
心の成分のようなものです。心は必ず心所と共に生じます。
この場合の『心』とはパーリ語のチッタのことで、「生きている」
というような意味です。仏教では、「心がある物体」を生命、
「心のない物体」を物質と言っています。
「心」は肉体を動かす原動力なようなものです。
直観で集めた情報をまとめて、次の行動に移るために
必要なエンジンの役目を心が担っています。
心は善意の塊です。心が悪の為に動くことは無いのです。
心を失わなければ善意の物体人間となるのです。
濁りのない子供のような心を「純心」と言います。
聖母マリアの「けがれない心」を意味しています。
本来は「純真」と表記するのですが東京純心女子学園の
シスター江角ヤスさんが女子教育の理想として「純心」を掲げたのです。
12月 28th,2024
恩学 |
心とは はコメントを受け付けていません
・道路を渡れない老人を見て子供が走り寄り手を引いた。
・片手を包帯で巻いた人の靴紐がほどけてホームレスが結んであげた。
・エスカレーターに乗るのを躊躇っている人に少女が腕を組んだ。
・座るところを探している老婆のもとに妊婦が席を譲った。
・マクドナルドで商品を受け取って席に着こうとして客が転倒した。
それを見ていた学生が食べていない自分のハンバーガーを渡して店を出た。
・ファミレスで子供がうるさいと怒鳴る男性に向かって横にいた女子高生が
そうですね。うるさいですね。あなたがねと男性に向かって言った。
このような光景を見てあなたは何をしていますか?
簡単なことなのに言葉をかけないのは何故ですか?
恥ずかしいからですか?
それとも関わりたくないからですか?
戸惑っている間にも時間が過ぎてしまいます。
見て見ぬふりをするのは卑怯なことなのです。
面倒なことに巻き込まれたくないと思いで視線を逸らす。
しかし、確実に周りの子供はその光景を見ているのです。
マドリード:スペインの国防大臣は土曜日、
マドリードがパレスチナ国家を承認する決定を下したことで
イスラエルとスペインの関係が悪化する中、
ガザでの紛争は、「真のジェノサイド」であると述べた。
イスラエルは、国際司法裁判所において南アフリカが提起した、
パレスチナ人に対するジェノサイド(大量虐殺)であるとの
非難を強く拒否しており、ハマスに対して戦争であると述べている。
スペインのマルガリータ・ロブレス国防大臣が国営テレビ
TVEのインタビューに答えたこの発言は、
スペインのヨランダ・ディアス副首相が今週初めに述べた、
ガザ紛争をジェノサイド(大量虐殺)だとする
コメントと呼応するものだった。
このような話を子供が聞いたら世界が動かないことを不思議に思うのです。
私が最近見た「2040年子供がジェノサイドを見て」という
映像の中で、「お爺さんはこの時何をしていたの」と質問する場面です。
その時に関心を持たなかったおじいさんは恥ずかしそうに下を向くだけです。
同じようにおばあさんも申し訳なさそうに下を向くだけでした。
世界中の平和を邪魔するのは国民の無関心なのです。
世の中から正義が無くならないのも我々の責任なのです。
以前ブログに書いた文章を思い出します。
ある大学の法学部の授業で教授が理由もなく女子学生を教室から追い出します。
そのやり取りを見ていた周りの学生たちは何も行動を起こしません。
そして授業が再開されて教授が「正義」とは何か、「法」とは何かを
順番に学生へ質問していきます。
流石に法学部の優秀な生徒たちはよどみなく答えを述べていきます。
そして、一通り回答が終わった時に教授はこのような言葉を述べたのです。
さきほど意味もなく女子学生を追い出した。彼女は涙を浮かべながら
教師室を出て行ったのを全員が見ていたはずなのに。
誰も何もしなかった。その訳を聞かせてほしいと問い詰めました。
君たちは正しい答えを知っていて、それを使わなかったのは、
知識は知っているが行動の起こし方を知らないのだ。
法廷だけで使う法律なら知っていても役に立たない。
行動を伴わない法律ならあっても役に立たない。
教室がシーンと静まり返りました。
道路を渡れない老人を見て素通りしていく人間が、
法律を学んでも何にも役立ちません。
盗みを働いている現場を見ても行動に起こさない人間が
法律を学んでも役に立ちません。
学問とは知識を記憶するだけの行為なら、
今後はAIがすべて行うので人間は必要なくなる。
人間は感情の動物であり理性で瞬間に行動を起こせるのです。
結果は過去の分析では何もできないのです。
AIは予測できても現状の解決には役に立ちません。
人間との連係プレーが活かされなければ効果が出ません。
そんな時代が目の前に来ていることを知らなければなりません。
争いごとに目を背ける人は争いに巻き込まれた時に何も出来ません。
普段から条件反射の如く動く訓練をしなければなりません。
多くの人がスマホの画面に釘付けで周りの状況を見ていません。
自分の事も他人の事も無関心すぎるのです。
正義の行為は誰も見ていなくても自分は見ています。
情けない自分を正当化しないでください。
関わりたくないと思わないでください。
日本の倫理意識の中に「お天道様は見ているよ」という言葉があります。
誰も見ていなくても自分の心は見ているよという意味です。
ニュースでは毎日悲しい事件を取り上げて報道します。
コメンテーターは井戸端会議の野次馬です。
へらへら笑って悲惨な事件を読み上げている。
放送作家が作った原稿を読むだけです。
駄目なものは駄目と自分の意見を言うべきです。
正しい発言や行動する人は面白味が無いから採用しない。
政府やマスコミを批判する過激な評論家はすぐにおろされる。
それよりも安くて美味しい店を探すグルメ情報や、
動物のズッコケ写真を探す方が、視聴率が上がるので採用される。
騒音おばさんやゴミ屋敷のおじさんを取材して
お笑い芸人出身司会者の解説を入ればバラエティー番組になる。
そうして国民は問題の本質から目をさらされて茹でガエルになる。
日本の歴史の中で一番多く使われてきた言葉「尊敬」。
アジアの国々の人が尊敬に値する国は日本だけとまで言わしめた言葉。
今は尊敬(リスペクト)と言う言葉はカバンの中に収めたままである。
2024年辰年は世界が揺れ動く年と言われていました。
正にその通りになり自然災害の猛威も、いまだ終わらない戦争も、
不正を働く政治家たちも、経済不況も原因がすべて暴露された時代です。
そして来年2925年は巳年過去を脱皮して新しい時代を迎える。
その時に必要なのは進化したテクノロジーではなく、
人として尊敬に値する人がリーダーシップを発揮しなければならない。
リスペクトの時代です。
私達は誰かが命がけで守った未来に生きている。
自分達が未来を作っているのではなく、
未来はいつも誰かの犠牲の上に成り立っていることを忘れないでください。
12月 27th,2024
恩学 |
リスペクト尊敬 はコメントを受け付けていません
仲の良かった同級生、同じ大学の同窓生、故郷の同郷人と
何か事ある毎に集まり酒を飲んで語らい肩を組んだ。
会社の同僚、近所付き合い、親戚付き合いなども
新入社員歓迎会、町内会の集まり、冠婚葬祭があれば必ず顔を出す。
なぜ人は群れたがるのか?
人間にとって一番辛いのは悩みを抱えた時の孤独なのである。
人から相手にされなくて無視されるのが、人間も動物も生きる気力が
奪われてしまうので死よりも恐れたのである。
恐怖は恐れるから付き纏われるのであって恐れなくなれば恐怖は薄らぐ。
私は少年時代から孤独との戦いの中で恐怖を知った。
その為に付き合う喜びよりも、別れる悲しみを恐れていたのである。
恋愛感情が芽生えても距離を置いて様子をうかがった。
本音は群れたいのに群れることが出来なかったのである。
ここにこのような文がある。
人間というのは、つくづく群れる生き物なんだなあと思う。
南の海の水中映像とかに、よく小魚が何千匹と群れている様子が写される。
みんなが右を向けば右、左を向けば左と、小魚たちは見事なくらいに
一斉に向きを変える。
そうやって、捕食者である大きな魚から身を守っている。
皆で群れていれば、一匹で泳いでいるよりも捕食者である
大きな魚に食われる確率を減らせる。
他の魚が左を向いたときに、もし右を向いてしまったら、
自分一匹だけが取り残される。
捕食者にガブリと食われる危険は、一気に高まる。
だから必死で群れの動きに合わせる。
人間も同じことをしている。
みんなが流行のバッグを買えば、自分も同じバッグを買う。
誰かが麻薬で捕まれば、みんなで叩きのめす。
誰かがヒーローということになれば、みんなで褒めまくる。
みんながどう思っているかが大事で、そのバッグだの
タレントだのを自分が好きとか嫌いとかは、二の次なのだ。
あるいは、自分が好きかどうかなんて、
考えすらしないのかもしれない。
見る目のある人間なら、笑いが止まらないはずだ。
網をしかけて、その小魚を根こそぎ捕まえるのは
ちっとも難しいことではない。
まあ、人間の場合は食われるわけじゃない。
おそらくそのまま網の中で生かされて、何も気付かないまま
搾り取られるだけ搾り取られることになるのだろう。
そういう生活が嫌じゃないという人には、
別に何も言うことはない。
けれど、そこから逃げ出したいのなら、
周囲の群れの動きをよく観察することだ。
そしてみんなが右へ動いたら、何があっても
その方向にだけは行かないようにする。
群れから抜け出して、自分のいた群れを、
離れた場所からもう1回よく眺めてみるといい。
自分がどんなに恥ずかしいことをしていたかが、
はっきりと見えるだろう。
周りの人間がみんな、王様の衣装は素晴らしいと言っても、
自分の目に裸に見えるのなら、王様は裸なのだ。
そこで自分の抱いた違和感に蓋をして
王様の服が見えるふりをしていたら、
いつまでも群れからは抜け出せない。
ただし、そこで実際に自分の感じていることを口に出して、
「王様は裸だ!」と言うかどうかはまた別の話だ。
いったんそれを言ったが最後、後戻りはできない。
周りの人間に叩かれようとも、その道を行かなきゃいけなくなる。
それがつまり、俺のやってきたことで、
自分のことだからよくわかるのだけれど、
それで喰えるという保証はどこにもない。
のたれ死にすることになっても、俺に文句は言わないように。
出典「超思考」 北野 武 幻冬舎
ビジネスの世界だけでなく、スポーツでも芸能界でも、成功している人は
人と同じことはしない。人と違うことをするから一歩先んじることができるし、
生き残ることもできる。
皆が右を向いたときに、左も見ることができる人は、冷静に自分を
客観視することができる。多くの人が熱狂の中にいるときほど、
「待てよ」と違う選択肢を考えることができる。
それは、一発あててやろうというような派手なことを目指すのではなく、
むしろ地味でコツコツと報われない努力の方が多い。
だからこそ、人と違う道を行くには勇気と覚悟が必要だ。
「人は群れる」あえて、違う道を進む勇気を持ちたい。
哲学者森信三の言葉に「たとえ99人が川の向こう岸で騒いでいても、
自分一人はわが志した川上に向かって、歩き通す底の覚悟が無くてはなるまい」 というのがある。私はいたく感動した。
何故なら私は子供の時から変わり者で通っていたから
誰も私とは群れたがらなかった。好都合であった。
しかし何故かクラスの中では人気者であった。
高校生の時にはロックバンドを結成した。
タートルズのコピーバンドである。
大学生の時にはソロではボブディラン
グループではPPMのコピーバンドを組んでいた。
神戸には谷村新司がいて京都には加藤和彦がいて大阪には高石友也がいた。
奈良が空席だったので一時面倒を見てくれと頼まれて主宰をした。
奈良パークジュビリーと命名して初のコンサートを開いた。
ゲストは「戦争を知らない子供達」の杉田二郎だった。
何故か群れたがらない私にいつもお誘いの声は多かった。
今でもそうである。色々な団体の理事を仰せつかっている。
もうそろそろ諦めて群れるしかないか!笑い
12月 26th,2024
恩学 |
人は群れる はコメントを受け付けていません
今の人には馴染みがないので分からないと思います。
ポンプ式の井戸を掘った時に最初上から水を入れて押さないと
下から水が上がってこないのです。それを誘い水と言います。
また呼び水と言う地域もあります。
映画やアニメなどでポンプ内に水を入れているシーンがあります。
あれって何のためにいれているんだろうか、そんな疑問をもつ方が多いようです。
まず、ポンプを使用する前に水を入れることを呼び水といいます。
呼び水は、水によって隙間を埋めて配管内の気密性を高めるために行います。
これによって、配管内部からの空気を抜き取り、必要な真空状態をつくりだします。
まさに水が水を呼ぶわけですが、魔法のようですね。
話し上手な人は必ず会話の合間に合いの手(誘い水)を入れて
相手の会話を誘導します。最近ではこれを傾聴の上手な人と言いますが、
これは間違いです。聞く以上に難しいのが引き出すテクニックです。
会話を途切れさせずに話題の本質へと誘い出すのです。
大人が子供に接する時に意識せずとも頭ごなしに命令をしてしまいます。
子どもは言っても分からないだろうという前提で話をするからです。
学校でも家庭でも子供が話をしたくなるような状況に誘い、
関心を持って話をさせると思いがけない本音を聞くことができます。
昔の私は一方的に持論を繰り返すアジテート的な話し方でした。
音楽業界の古い体質を批判して、新しい時代へと誘導するために
いつも大声を上げていたのです。
海外へ出かけても「日本人を馬鹿にするな」と
強気の発言ばかりしていました。大きな勘違いでした。
ある時に哲学の先生より頭の悪い奴ほど大声で理屈を言う。
気の弱い奴ほど偉そうな態度になる。自信のない奴ほど他人を気にする。
等と言われて最後に「実るほど首を垂れる稲穂かな」を勉強しろと
怒鳴られました。今お前は注目されているが、そんなもの長くは続かないぞ
もっと謙虚になれと言われたのです。
その直後に友人から詐欺にあい多額の金を奪われたのです。
弁護士から詐欺にあうのは、俺は絶対詐欺にあわないと自信を持っている
人が一番多いと言われました。
家族や社員にも迷惑をかけてしまい反省しきりでした。
どれほど謝罪しても許されない過ちです。
それ以来意識しながら誰にでも「謙虚」の心で接するようになりました。
ここから数年私なりに「下座業」が始まったのです。
ここに北野武さんの言葉があります。
とても参考になる話です。
作法というのは、
突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。
具体的な細かい作法をいくら知っていても、
本当の意味で、他人を気遣う気持ちがなければ、
何の意味もない。
その反対に、作法なんかよく知らなくても、
ちゃんと人を気遣うことができれば、
大きく作法を外すことはない。
駄目な奴は、この気遣いがまったくできていない。
人の気持ちを考えて行動するという発想を、
最初から持っていないのだ。
他人への気遣いで大切なのは、
話を聞いてやることだ。
人間は歳を取ると、
どういうわけかこれが苦手になるらしい。
むしろ、自分の自慢話ばかりしたがるようになる。
だけど、自慢話は一文の得にもならないし、
その場の雰囲気を悪くする。
それよりも、相手の話を聞く方がずっといい。
料理人に会ったら料理のこと、
運転手に会ったらクルマのこと、
坊さんに会ったらあの世のことでも何でも、
知ったかぶりせずに、
素直な気持ちで聞いてみたらいい。
自慢話なんかしているより、ずっと世界が広がるし、
何より場が楽しくなる。
例え知っていたとしても、一応ちゃんと聞くのだ。
そうすれば、専門家というものは、
きっとこちらの知らないことまで話してくれる。
井戸を掘っても、誘い水をしないと水が湧いてこないように、
人との会話にも誘い水が必要なのだ。
北野武より
高齢になると気を付けなければならない基本が書かれています。
頭では理解できても態度に表す人は少なく感じます。
若い人とコミュニケーションが大切だと言う人ほど自慢話が
多い気がします。私も気を付けなければなりません。
私が行儀作法にこだわるのは言葉にしない挨拶の形だからです。
どのような場所にもマナーがあります。
そして相手には個人の歴史があります。
職人さんだけに限らず働く人すべてに敬意を表さなければなりません。
正しいマナーと謙虚さがあれば丁寧に応対していただけます。
海外へ出かけても飛行場の係員に、ホテルの従業員に、カフェの店員に
出来る限り話しかけるようにしています。そうすることによって
私は安全な人間ですよとアピールできるからです。
自然に彼らもサービスの質を上げてくれます。
仕事の上でも通常の人間関係でも、もちろん家族との関係も
すべておいて「誘い水」は必要です。
あなたの一言で会話が弾むことになるでしょう。
毎日良い言葉を使うようにしましょう。
「愛語よく回天の力あり」道元
12月 25th,2024
恩学 |
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私を知る人たちは一様に子供の時の話を聞いて「苛酷な人生だったね」
と言います。そして悲しんでくれるのですが、私はそれほど辛いという
意識は無かったのです。
6歳の時に母親と兄弟と離れて父親に引き取られました。
故郷から遠く離れた大阪で後妻家族と一緒に暮らしていました。
絶望的な孤独を味わいましたが、それは一瞬で解決しました。
いつまでも悲しんでいるわけにはいかず自立する決心をしたのです。
信じられないでしょうが事実なのです。幼心でそう決めたのです。
それは父親の姉が嫁いだ寺の住職から言われた一言で変わったのです。
「泣いても笑っても人生70年!おまえは泣いて生きるのか?笑って生きるのか?」
この場で決めろと言われて「笑って生きます」と答えたんです。
その瞬間に何か気持ちが楽になり迷いが吹っ切れました。
言葉の力です。真実の言葉は子供にも強い影響力を与えるのです。
子どもだからと遠慮することはありません。ハッキリ伝えてください。
言葉の意味は分からなくても理解はできるのです。
「愛語よく回天の力あり」良き言葉は人生を変えるほどの力があるのです。
「涅槃寂静へのブッダの教え」
ブッダは悟りを開いたのち、この世のものはすべて移ろいゆく「諸行無常」、
「人生で変わらないことはないという「諸法無我」など、
多くの人々・門弟たちに煩悩を消すための教えを伝えています。
人々が苦しむ原因を明かし、物事に執着する自我を自覚してその考え方を改め、
正しい行いを続けることで悟りへの道が開けることを指し示してくれました。
そのブッダが煩悩を消すために説いていたのが、「四苦八苦」をなくすための
考え方である「四諦」(したい)と正しい行いをするための
実践法「八正道」(はっしょうどう)です。
あわせて「四諦八正道」(したいはっしょうどう)とも伝えられる
この教えは、現在の仏教の根本的な教えとして伝えられています。
皆さんには「居場所」と呼べる場所がありますか?
それは家族の中であったり、友だちや恋人との関係かもしれません。
それでは「心の居場所」はどうでしょうか?
心の居場所、という言葉を聞くと何を思い浮かべるでしょうか?
心の居場所、という言葉は、1990年代の子どもの不登校問題の中から
出てきた言葉のようです。
大人にとっては子どもが学校に復帰をするということをゴールとしても、
不登校の子どもはそれを望んでいないかもしれません。
子どもが望んでいるのは、自分の存在感を実感できて、精神的に安心できる
場所=心の居場所なのではないか、ということが言われるようになったのです。
これは子どもに限らず、大人にとっても必要な場所ではないでしょうか。
つまり、心の居場所とは、自分が自分らしくいられる場所
気持ちが落ち着いて、安心できる場所であると言えるでしょう。
あなたにとっての「心の居場所」は?
考えてみると、「居場所」と「心の居場所」は必ずしも一致しないことも
あるのではないでしょうか。
たとえば家族は居場所の1つかもしれませんが、心の居場所と自信をもって
言えるでしょうか。
家族の関係はお互いの距離が近いからこそ、助け合える部分もありますが、
一方でうっとうしく思うこともあると思います。
それだけなら良いのですが、暴力を振るわれるのでは、
安心できる場所ではありません。
また親の前では1つ仮面をかぶらなければ接することができない、
というのも、自分らしくいられないことを意味しています。
もちろん自分らしく、そして安心できる関係があれば、その人といることが、
心の居場所だと思います。しかしそんな人が見つからないからと言って、
心の居場所がない、と嘆く必要もないと思います。
心の居場所は、自分自身が作り出しても構いません。
つまり、自分らしくいられる場所は自分で作れば良いですし、
安心できる環境は自分だけで作っても良いのです。
たとえばそれは芸術や創作の世界に没頭する、と言うことがあると思います。
誰かと比較したり、認められようと思ったりせずとも、自分の中に
落ち着く世界を作り出せば良いのです。
そうやって落ち着いて、自分らしくいられる心の世界を持っている人は、
自然と輝き始めることができます。輝いている人のもとには、
いつの間にか人が集まってくるようになります。
「桃李成蹊」良き人のそばには道が出来る。
そして、そこが自然と「心の居場所」になっていくのではないかと思います。
時間はかかるかもしれませんが、少しずつ自分らしくいられるものを
見つけていけば良いのです。
居場所は実際の人との関係の中にあるものですが、
心の居場所は実は自分の心の中にあるのではないでしょうか。
自分の心の中に、自分らしくいられる気持ちがある人は、
自分を肯定できます。
誰かと一生懸命繋がろうとして疲れてしまった人は、
まず自分の心の中で、自分を認めてみましょう。
自分で自分を認められること、ここから心の居場所探しは始まることでしょう。
子どもの頃に「心の居場所」を探したことがあります。
小・中で優しくしてくれた担任の先生に求めたことも、
中・高で仲良しになった友達の家庭に求めたことも、
大学の頃は実の兄弟に求めたこともありました。
しかし、他人にそれを求めても無駄だということに気づいたのです。
それから自分の居場所探しに一人で海や山や寺社仏閣巡りをしました。
夜中に公園に寝そべって星空を見ながら探したこともありました。
そこで到達したのは読書と音楽の世界でした。
高校生の後半から音楽の世界で働くことに心の居場所を求めました。
大学を中退して英国に行き帰国後音楽プロデューサーになりました。
多くのアーティストやタレントは同じような経験をしたことがあるので、
意思の疎通が容易にできました。心の痛みが少し分かり合えたからです。
今で言うなら「ワンピース」の世界です。
それぞれ問題を持った人間でも宝の地図を目指して助けあえる、
それが仲間として本当に大切なことなのだという事です。
皆様も是非良き書物と良き音楽に触れてみてください。
世界が広がります。間違っても第三者へ期待してはいけません。
そこには「心の居場所」はありません。
「心の居場所」は自分で作り出すのです。
12月 24th,2024
恩学 |
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プライドとは恥を知ることである。
個人の尊厳を守り切ることである。
男は男としての恥を知る。
女性は女性として恥を知る。
昨今は自由平等を履き違いをしている人が多い。
男女平等をなんでも許されると勘違いをしている。
男が守るべき領域は男が守り、女が守るべき領域は女が守る。
こんなに簡単な方程式を複雑にする必要はない。
しっかりと着物を着こなしている人と、だらしなく着崩した人とは
どちらを友人として選ぶか?
礼儀をおもんじる人と無礼な人ではどちらを相談相手として選ぶか?
恥を気にしない人と規律を守る人ではどちらを仲間として選ぶか?
マナーを守る人と守らない人どちらの人と
末長く付き合いたいと思うのでしょうか?
私のプライドに対する考え方の基本は全て江戸時代にあります。
山本常朝「葉隠」、新渡戸稲造「武士道」、山川菊枝「武士の妻」
この3冊で十分に足りる。
スピリチュアルアーティストの江原啓之氏はプライドについてこう述べる。
私はスピリチュアルな世界から受け取る翌年のキーワードをお伝えしています。
2022年は「亀裂」、2023年は「終焉のワルツ」と申し上げましたが、
2024年を象徴するワードは「プライドの失墜」。
ここでいうプライドは、この世で今まで物質的な意味で築いてきた
価値観のこと。たとえば、社会全体のシステムで当たり前とされて
きたことがガラリと変わり、根底から打ち崩される年という意味があります。
心の姿勢でいうと、すべてにおいて“原点に立ち返る”ことが重要です。
コロナ禍以降、私たちの住む世界も生活も大きく変わりましたが、
その間、自分ひとりではままならない人生を痛感し、
「何のために生きているのか」「自分にとって何が幸せなのか」と
自問自答した人は多かったと思います。
ちなみにここでいう幸せは現世の物質的な豊かさではなく、
“心のありよう”。原点に一度立ち戻り、自分を見つめ直す必要があります。
それと同じように、今年のワード「プライド」を自己中心的な自尊心ではなく、
「これまで自分を愛し大事にしてくれた人たちを裏切らないこと」
「自分が受けてきた愛を守る力」のことだとそっと心の中で変換して
みてください。現世でいう幸せが失われたとき、自分のたましいは
何を求めて一番幸せだと思うのかスピリチュアルな世界でいう、
プライドのあり方が自分の中で明確になれば、何が起こっても大丈夫です。
厳しいことばかり言ってきましたが、2024年も悪いことばかりではない。
人生をリセットする機会ととらえて、新しい自分に生まれ変わる
一歩を踏み出す人もいるでしょう。
今年は仕切り直しが必要な“シフトチェンジ”の年です。
「私はいつも『幸せな人は意地悪をしない』と伝えていますが、
本当の意味での心の幸せ、すなわち“試練を克服しながら愛を学び、
たましいを向上させることによって得られる喜び”に満たされていれば、
わざわざ他人に意地悪をしようとは思いません。
逆に過剰な幸せアピールも、『本当は満たされたい』『幸せになりたい』
という悲鳴のような心の叫びに聞こえます」
一番身近な家族との関係も悩みは尽きることがないが、「『家族だから』
『家族なのに』という、呪縛のような古い固定観念に自ら縛られて
苦しくなっていませんか。家族とは学校のようなもの。
同じテーマをもって生まれてこの世で家族となりましたが、たましいは別。
家族といえども心の距離感を保ったうえで、互いに尊重し思いやれる
“自律”した関係が必要です」
2024年を振り返ると江原啓之さんの言うとおりになっていますね。
世界中のTOPリーダーたちがなりふり構わず自己保身に回っています。
日本の政治家の体たらくは本当にひどいものです。
特に自民党議員の裏金問題と石破首相の国際舞台での恥ずかしい場面は
プライドのひとかけらもありません。
自民党に投票した人たちも自民党の議員たちもプライドのない人ばかりです。
さて2025年はどうなるのでしょうか?
辰年から巳年に移行する年です。
2025年「乙巳(きのと・み)」の年は、十干「乙(きのと)」と
十二支「巳(み)」の開運パワーが重なる一年です。
「乙」と「巳」、それぞれの特徴を詳しくチェックして、
2025年の運勢を占ってみましょう。
乙(きのと)の特徴と意味 十干
「乙(きのと)」は十干(じっかん)における2番目の文字で、
陰陽五行説では「陰の木」に属します。
自然界では、成長過程にある若木や柔軟でしなやかな
草木を表します。柔らかくも強く、弾力のある性質を持ちます。
平和的で協調性が高く、柔軟性と適応力に優れているのが特徴です。
半面、優柔不断で流されやすいという弱点もありますので、
慎重に計画を練りながら変化に対応していく力が求められます。
「乙(きのと)」には、新たな変化の始まりを意味する開運効果が秘められています。
成長や発展がテーマの一年となるでしょう。
巳(み)の特徴と意味 十二支
「巳(み)」は十二支(じゅうにし)の6番目の文字で、
陰陽五行説では「陰の火」の気を持ち、内に秘めた情熱や進化・再生の
エネルギーを象徴します。自らの目標に向かって突き進む力を示唆しています。
特に、変化を受け入れ、新しい挑戦をする意欲が高まる時期です。
自身の内面と向き合い、より高い次元での自己実現を促進する運気が高まります。
蛇が、皮を脱ぎ捨てて新しい姿に生まれ変わるように、
2025年は古いものが終わりを迎え、新しいサイクルが始まる年となるでしょう。
「巳」には「再生」や「変化」という意味があり、これは蛇のように脱皮を繰り
返して、成長を続ける生命体の象徴とも言えます。
私も2022年から2024年かけて挫折を繰り返しましたが、いよいよ
脱皮の後の再生の時期に入ります。人生の終盤に向けて活躍できるように
毎日を大切にして生きていきたいと思います。
12月 23rd,2024
恩学 |
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創造力とは「無知の知」である。「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。そしてそこにこそ、
人間は己を置いておくことなのだ。
知らないことを知る世界が真の智慧すなわち創造力が無ければ、
知らないままに終わる。ここに未来の姿がある。必ず最後まで読んで欲しい。
2028年以降、人類がまったく経験したことのない時代に突入する。
それは今までの偉人たち、ソクラテスも釈迦もイエスもニュートンも
アインシュタインも誰も経験したことのない時代である。
その名をAI時代と言う。
それに対して二つの予想路線がある。
一つ、孫正義さんのいう「AIが人類を幸せに導いてくれる」路線。
もう一つ、ジェフリーヒントン氏のいう「AI開発を止めよ」路線。
孫正義さんの言う路線は甘すぎる。
ASIまで進化した人工知能が三流機械である人間を邪魔にこそなれ
相手にしないことを知らない。あまりにも人間中心主義で考えているのだろう。
ジェフリーヒントン氏の言う路線は実現不可能である。
AI開発が主導権を争うものであれば、誰が自ら開発から降りようとするか・・・
誰もが血眼になって開発競争をやっている昨今である。
しかしどちらに転ぶにせよ人類は危機的状況にあることは間違いない。
ならば第三の道を行くべきである。それはAIをどうこうすることではなく、
AIを作り出した人間自体の意識の爆発を起こさせることである。
考えてみてほしい。人間はこんなもんだろうか?
力の強いものが弱いものを支配し、同種同士で殺し合い、足の引っ張り合い、
お互いがジェラシーし合い傷つけ合う、損得計算ばかりが駆け巡り、
生存本能で生かされている・・・こんなものが本当に人間だろうか?
これは真の人間の姿ではない。一段階の生存意志に支配された
三流機械の姿にすぎない。真の人間とは、二段階の尊厳意志に立脚した
何にも依存しない独立自尊の存在を言う。
人間の本当のすごさは「無知の知」である。
「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。そしてそこにこそ、
人間は己を置いておくことなのだ。
そことは・・・日本が太古の昔から大切にしてきた心である。
AI時代、日本が世界を主導しなければならない。
日本には世界を牽引する義務があるのです。
そこに登場するのが縄文時代の思想である。
縄文時代といえば遥か昔、人々が狩猟や採集で暮らしていた時代。
約1万5000年前から2300年前まで長きにわたり続いた時代ですが、
縄文文化の風習を残す人々がついこの間までいたって、信じられますか?
長崎県の西彼杵半島や瀬戸内海を拠点に、船を住処としていた家船(えぶね)
漁民という人々がいたのをご存知でしょうか。
規制が厳しくなった昭和40年代頃まで実在していて、当時の写真や記録は
多く残されています。漁をしながら物々交換で暮らしてきた
彼らは独自の文化を持ち、なんと入れ墨や抜歯の風習があったそうです。
現代でもお祭りや正月料理などで、地方独自の文化を目にすることはありますよね。
テレビやインターネットが普及する前は今よりも地域差が大きかったのでしょう。
とはいえ、入れ墨や抜歯は聞いたことがありません。
『縄文の思想』の著者いわく、これが縄文時代の風習の名残りだというのです。
このような、縄文時代の文化を引き継いだ人々が日本各地にいる証拠を、
徹底的に集めたのがこの本です。文字を持たず直接の記録がない縄文時代の
暮らしを、外濠から埋めていこうという試みです。
私たちが習ってきた日本史は、縄文時代を経てから稲作を取り入れたことで
弥生時代が到来したという、いわば一本の流れでした。
しかし実際はそう単純ではないようです。
大陸から日本列島に渡って来た人々が、元々住んでいた縄文人へ稲作を伝え
混血していったのは確かなのですが、その中でも稲作を受け入れなかった
人たちがいるのです。彼らは縄文の文化を受け継ぎ狩猟中心の
生活を続けてきました。
そのひとつが、著者が研究しているアイヌ民族。
実際アイヌのDNAを調べると、縄文人の特徴を多く残しているんだそう。
アイヌって単なる北海道の先住民族だと思っていました!
私たち和人と同じルーツを持つと思うと、なんだか一気に親近感が湧いてきますね。
そして本書では、アイヌのほかにも稲作を受け入れず縄文時代の生活を受け継いだ
人たちが日本中にいたという説を展開しています。そんなことわかるの?
と思ってしまいますが、読み進めると出てくる・出てくる信憑性のある証拠が!
アイヌと同じく縄文文化を引き継いだと言われているのは、沖縄の糸満漁民や
南九州の隼人など、主に沿岸部の人々。彼らの言葉や周辺の地名からも、
アイヌ語との共通点が見られるそう。
「引き継いだ」というと、伝統を守りそれまでと変わらぬ暮らしを続けてきたと
思いがちですが、そうではありません。彼らは変わりゆく時代や周りの世界に
合わせて、進化していったのです。
稲作を受け入れ豊かになっていく農耕民のニーズに応えるかのように、
彼らは海民として漁撈に特化し、技術を高度に進化させていきました。
それまで自分たちが生きていく分には必要のなかったサメやマグロなどの大型魚や、
アワビの大量採捕で農耕民と交易し、同時に外洋まで出られる技術を会得して、
日本中に海上交通のネットワークを作り上げたのです!
興味深いのが彼らの移動距離。なんと弥生時代には、九州の海民が北海道の
北端まで漁をしに行ったということが遺跡から判明しています。
はるか昔、エンジンもGPSもなかった時代に、どうやって移動したんだろう。
ご先祖さま、かっこいいです。
真の人間とは、二段階の尊厳意志に立脚した何にも依存しない独立自尊の存在を言う。
AIは現状の人間の意識レベルでは到底叶わぬ存在であるが、
意識の拡張が起こった人間にとっては可愛いペットのようなものだろう。
人間の本当のすごさは「無知の知」である。
「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。
そしてそこにこそ、人間は己を置いておくことなのだ。
時代が変わりAIが時代をいくら大きく席巻しようと、人間の「無知の知」の
凄さを知らないのである。AIの知能が人間の知能を大きく上回り高度な
文明社会が出来たとしても、人間はそれを上回るほどの隠れた能力を
発揮する時が来る。
AIは現状の人間の意識レベルでは到底叶わぬ存在であるが、
意識の拡張が起こった人間にとっては可愛いペットのようなものだろう。
12月 22nd,2024
恩学 |
新AI時代 はコメントを受け付けていません
「死んだ男の残したものは」
谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲による歌。
ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナム平和を願う市民の会」
のためにつくられ、友竹正則によって披露された日本の反戦歌の1つである。
概要
1965年4月に東京で開かれる「ベトナム平和を願う市民の会」
のために谷川が詞を書き、「明日の市民集会のために曲をつけてほしい!」と
武満に作曲を依頼し、要望通り1日で武満は曲を完成させた。
谷川は「メッセージソングのように気張って歌わず、
『愛染かつら』のような気持ちで歌える曲にして欲しい」という
手紙を添えて渡している。
バリトン歌手の友竹正則によって、1965年4月24日(資料によっては22日)
御茶ノ水の全電通会館によって初披露されている。
私は1969年に大学に入り反戦の旗手ボブディランの歌をコピーして
校庭で歌い始めた。お手製のハーモニカーホルダーを口にくわえて
「時代は変わる」や「戦争の親玉」を歌った。
デモ隊のリーダーからお前も闘争に加われと引っ張り込まれたこともありました。
そんな学園紛争のさなかに「死んだ男の残したものは」が
ラジオから流れていた。
私が最初に聞いたのはおそらくカルメンマキの歌声でした。
そのあとは加藤登紀子さんの歌声でも聞いた記憶があります。
「和製反戦歌」を聞いて魂が振るえるのを覚えました。
死んだ男の残したものは
作詞 谷川 俊太郎 作曲 武満 徹
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない
この曲が流れる前にアメリカのフォークシンガー、
ピート・シーガーの「花はどこへ行った」が日本で流行っていました。
その後ジョンバエズが歌い、ピーター・ポール・マリーが歌い、
日本では森山良子が歌い、メッセージソングの第一号となったのです。
1965年4月24日といえば私は高校生の時である。
「花はどこへ行った」(はなはどこへいった)、
原題 Where have all the flowers gone?は、
世界で一番有名な反戦歌とも言われるフォークの楽曲。
アメリカンフォークの父とも形容される
ピート・シーガーによる作詞作曲であり、シーガーの代表作でもある。
「花はどこへ行ったの」と訳される場合もある。
最初の録音の後、歌詞の一部をジョー・ヒッカーソン(Joe Hickerson)が
補った形で広まったことから、シーガーとヒッカーソンの共作ともされる。
歴史
1955年、ピート・シーガーが制作。ロシアの作家、
ミハイル・ショーロホフの『静かなドン』の最初のほうに出てくる、
コサックの民謡の歌詞にヒントを得たのだという。
シーガーはこれに曲をつけたが、既存のフォークソングを参考とした
可能性もある。シーガーは、『Rainbow Quest』というレコードに収めた
メドレーの中で、3番までの歌詞でこの歌を録音し、
そのままこの歌を忘れていた。
その後、ジョー・ヒッカーソン(Joe Hickerson)が4番と5番の歌詞を
書き加え、1961年に著作権が登録し直された。
この歌詞への加筆によって反戦歌としての色彩が鮮明になった。
1961年、キングストン・トリオがこの曲を録音して発表した。
この曲がトラディショナルであると思っていた
キングストン・トリオは、著作権表示に自分たちの名を記したが、
シーガー側の指摘を受けて、表示は正された。
キングストン・トリオ盤は、翌1962年にヒットしたが、
その背景には、アメリカ合衆国がベトナム戦争に関わり
始めたことがあった。
1962年に、ピーター・ポール&マリーによってもカバーされ、
こちらもヒットし、この年(つまり初版の実に7年後)以降、
同曲は反戦歌として広く親しまれるようになり、現在に至っている。
歌詞の構成・メッセージ
「花はどこへ行った少女がつんだ」
→「少女はどこへ行った男の下へ嫁に行った」
→「男はどこへ行った兵隊として戦場へ」
→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」
→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、
再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。
最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で
締められているため、
「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」
というメッセージ。
今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われていた。
1960年代中盤から後半ニューポート・フォーク・フェスティバルや
ウッドストック「愛と平和の祭典」で盛んに歌われた。
正に日本でも反戦運動が高まり各地のフォークフェスティバルでも
多くの歌手がこの曲をカヴァーして歌っていた。
私も大学生時代にPPMのバンドを組んでレパートリーに加えた。
青春とは恐れないことです。
青春とは純粋に生きて行けることです。
青春とは情熱だけで前へ進むことが出来るのです。
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない
機会がれば是非聞いてみてください。
12月 21st,2024
恩学 |
死んだ男の残したものは はコメントを受け付けていません