人は群れる




仲の良かった同級生、同じ大学の同窓生、故郷の同郷人と
何か事ある毎に集まり酒を飲んで語らい肩を組んだ。
会社の同僚、近所付き合い、親戚付き合いなども
新入社員歓迎会、町内会の集まり、冠婚葬祭があれば必ず顔を出す。
なぜ人は群れたがるのか?

人間にとって一番辛いのは悩みを抱えた時の孤独なのである。
人から相手にされなくて無視されるのが、人間も動物も生きる気力が
奪われてしまうので死よりも恐れたのである。
恐怖は恐れるから付き纏われるのであって恐れなくなれば恐怖は薄らぐ。

私は少年時代から孤独との戦いの中で恐怖を知った。
その為に付き合う喜びよりも、別れる悲しみを恐れていたのである。
恋愛感情が芽生えても距離を置いて様子をうかがった。
本音は群れたいのに群れることが出来なかったのである。

ここにこのような文がある。
人間というのは、つくづく群れる生き物なんだなあと思う。
南の海の水中映像とかに、よく小魚が何千匹と群れている様子が写される。
みんなが右を向けば右、左を向けば左と、小魚たちは見事なくらいに
一斉に向きを変える。
そうやって、捕食者である大きな魚から身を守っている。

皆で群れていれば、一匹で泳いでいるよりも捕食者である
大きな魚に食われる確率を減らせる。
他の魚が左を向いたときに、もし右を向いてしまったら、
自分一匹だけが取り残される。

捕食者にガブリと食われる危険は、一気に高まる。
だから必死で群れの動きに合わせる。
人間も同じことをしている。

みんなが流行のバッグを買えば、自分も同じバッグを買う。
誰かが麻薬で捕まれば、みんなで叩きのめす。
誰かがヒーローということになれば、みんなで褒めまくる。
みんながどう思っているかが大事で、そのバッグだの
タレントだのを自分が好きとか嫌いとかは、二の次なのだ。

あるいは、自分が好きかどうかなんて、
考えすらしないのかもしれない。
見る目のある人間なら、笑いが止まらないはずだ。
網をしかけて、その小魚を根こそぎ捕まえるのは
ちっとも難しいことではない。

まあ、人間の場合は食われるわけじゃない。
おそらくそのまま網の中で生かされて、何も気付かないまま
搾り取られるだけ搾り取られることになるのだろう。

そういう生活が嫌じゃないという人には、
別に何も言うことはない。
けれど、そこから逃げ出したいのなら、
周囲の群れの動きをよく観察することだ。

そしてみんなが右へ動いたら、何があっても
その方向にだけは行かないようにする。
群れから抜け出して、自分のいた群れを、
離れた場所からもう1回よく眺めてみるといい。

自分がどんなに恥ずかしいことをしていたかが、
はっきりと見えるだろう。
周りの人間がみんな、王様の衣装は素晴らしいと言っても、
自分の目に裸に見えるのなら、王様は裸なのだ。
そこで自分の抱いた違和感に蓋をして
王様の服が見えるふりをしていたら、
いつまでも群れからは抜け出せない。

ただし、そこで実際に自分の感じていることを口に出して、
「王様は裸だ!」と言うかどうかはまた別の話だ。

いったんそれを言ったが最後、後戻りはできない。
周りの人間に叩かれようとも、その道を行かなきゃいけなくなる。
それがつまり、俺のやってきたことで、
自分のことだからよくわかるのだけれど、
それで喰えるという保証はどこにもない。
のたれ死にすることになっても、俺に文句は言わないように。
出典「超思考」 北野 武 幻冬舎

ビジネスの世界だけでなく、スポーツでも芸能界でも、成功している人は
人と同じことはしない。人と違うことをするから一歩先んじることができるし、
生き残ることもできる。
皆が右を向いたときに、左も見ることができる人は、冷静に自分を
客観視することができる。多くの人が熱狂の中にいるときほど、
「待てよ」と違う選択肢を考えることができる。

それは、一発あててやろうというような派手なことを目指すのではなく、
むしろ地味でコツコツと報われない努力の方が多い。
だからこそ、人と違う道を行くには勇気と覚悟が必要だ。
「人は群れる」あえて、違う道を進む勇気を持ちたい。

哲学者森信三の言葉に「たとえ99人が川の向こう岸で騒いでいても、
自分一人はわが志した川上に向かって、歩き通す底の覚悟が無くてはなるまい」     というのがある。私はいたく感動した。
何故なら私は子供の時から変わり者で通っていたから
誰も私とは群れたがらなかった。好都合であった。
しかし何故かクラスの中では人気者であった。

高校生の時にはロックバンドを結成した。
タートルズのコピーバンドである。
大学生の時にはソロではボブディラン
グループではPPMのコピーバンドを組んでいた。
神戸には谷村新司がいて京都には加藤和彦がいて大阪には高石友也がいた。
奈良が空席だったので一時面倒を見てくれと頼まれて主宰をした。
奈良パークジュビリーと命名して初のコンサートを開いた。
ゲストは「戦争を知らない子供達」の杉田二郎だった。

何故か群れたがらない私にいつもお誘いの声は多かった。
今でもそうである。色々な団体の理事を仰せつかっている。
もうそろそろ諦めて群れるしかないか!笑い