新AI時代
創造力とは「無知の知」である。「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。そしてそこにこそ、
人間は己を置いておくことなのだ。
知らないことを知る世界が真の智慧すなわち創造力が無ければ、
知らないままに終わる。ここに未来の姿がある。必ず最後まで読んで欲しい。
2028年以降、人類がまったく経験したことのない時代に突入する。
それは今までの偉人たち、ソクラテスも釈迦もイエスもニュートンも
アインシュタインも誰も経験したことのない時代である。
その名をAI時代と言う。
それに対して二つの予想路線がある。
一つ、孫正義さんのいう「AIが人類を幸せに導いてくれる」路線。
もう一つ、ジェフリーヒントン氏のいう「AI開発を止めよ」路線。
孫正義さんの言う路線は甘すぎる。
ASIまで進化した人工知能が三流機械である人間を邪魔にこそなれ
相手にしないことを知らない。あまりにも人間中心主義で考えているのだろう。
ジェフリーヒントン氏の言う路線は実現不可能である。
AI開発が主導権を争うものであれば、誰が自ら開発から降りようとするか・・・
誰もが血眼になって開発競争をやっている昨今である。
しかしどちらに転ぶにせよ人類は危機的状況にあることは間違いない。
ならば第三の道を行くべきである。それはAIをどうこうすることではなく、
AIを作り出した人間自体の意識の爆発を起こさせることである。
考えてみてほしい。人間はこんなもんだろうか?
力の強いものが弱いものを支配し、同種同士で殺し合い、足の引っ張り合い、
お互いがジェラシーし合い傷つけ合う、損得計算ばかりが駆け巡り、
生存本能で生かされている・・・こんなものが本当に人間だろうか?
これは真の人間の姿ではない。一段階の生存意志に支配された
三流機械の姿にすぎない。真の人間とは、二段階の尊厳意志に立脚した
何にも依存しない独立自尊の存在を言う。
人間の本当のすごさは「無知の知」である。
「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。そしてそこにこそ、
人間は己を置いておくことなのだ。
そことは・・・日本が太古の昔から大切にしてきた心である。
AI時代、日本が世界を主導しなければならない。
日本には世界を牽引する義務があるのです。
そこに登場するのが縄文時代の思想である。
縄文時代といえば遥か昔、人々が狩猟や採集で暮らしていた時代。
約1万5000年前から2300年前まで長きにわたり続いた時代ですが、
縄文文化の風習を残す人々がついこの間までいたって、信じられますか?
長崎県の西彼杵半島や瀬戸内海を拠点に、船を住処としていた家船(えぶね)
漁民という人々がいたのをご存知でしょうか。
規制が厳しくなった昭和40年代頃まで実在していて、当時の写真や記録は
多く残されています。漁をしながら物々交換で暮らしてきた
彼らは独自の文化を持ち、なんと入れ墨や抜歯の風習があったそうです。
現代でもお祭りや正月料理などで、地方独自の文化を目にすることはありますよね。
テレビやインターネットが普及する前は今よりも地域差が大きかったのでしょう。
とはいえ、入れ墨や抜歯は聞いたことがありません。
『縄文の思想』の著者いわく、これが縄文時代の風習の名残りだというのです。
このような、縄文時代の文化を引き継いだ人々が日本各地にいる証拠を、
徹底的に集めたのがこの本です。文字を持たず直接の記録がない縄文時代の
暮らしを、外濠から埋めていこうという試みです。
私たちが習ってきた日本史は、縄文時代を経てから稲作を取り入れたことで
弥生時代が到来したという、いわば一本の流れでした。
しかし実際はそう単純ではないようです。
大陸から日本列島に渡って来た人々が、元々住んでいた縄文人へ稲作を伝え
混血していったのは確かなのですが、その中でも稲作を受け入れなかった
人たちがいるのです。彼らは縄文の文化を受け継ぎ狩猟中心の
生活を続けてきました。
そのひとつが、著者が研究しているアイヌ民族。
実際アイヌのDNAを調べると、縄文人の特徴を多く残しているんだそう。
アイヌって単なる北海道の先住民族だと思っていました!
私たち和人と同じルーツを持つと思うと、なんだか一気に親近感が湧いてきますね。
そして本書では、アイヌのほかにも稲作を受け入れず縄文時代の生活を受け継いだ
人たちが日本中にいたという説を展開しています。そんなことわかるの?
と思ってしまいますが、読み進めると出てくる・出てくる信憑性のある証拠が!
アイヌと同じく縄文文化を引き継いだと言われているのは、沖縄の糸満漁民や
南九州の隼人など、主に沿岸部の人々。彼らの言葉や周辺の地名からも、
アイヌ語との共通点が見られるそう。
「引き継いだ」というと、伝統を守りそれまでと変わらぬ暮らしを続けてきたと
思いがちですが、そうではありません。彼らは変わりゆく時代や周りの世界に
合わせて、進化していったのです。
稲作を受け入れ豊かになっていく農耕民のニーズに応えるかのように、
彼らは海民として漁撈に特化し、技術を高度に進化させていきました。
それまで自分たちが生きていく分には必要のなかったサメやマグロなどの大型魚や、
アワビの大量採捕で農耕民と交易し、同時に外洋まで出られる技術を会得して、
日本中に海上交通のネットワークを作り上げたのです!
興味深いのが彼らの移動距離。なんと弥生時代には、九州の海民が北海道の
北端まで漁をしに行ったということが遺跡から判明しています。
はるか昔、エンジンもGPSもなかった時代に、どうやって移動したんだろう。
ご先祖さま、かっこいいです。
真の人間とは、二段階の尊厳意志に立脚した何にも依存しない独立自尊の存在を言う。
AIは現状の人間の意識レベルでは到底叶わぬ存在であるが、
意識の拡張が起こった人間にとっては可愛いペットのようなものだろう。
人間の本当のすごさは「無知の知」である。
「知っている」世界がすごいのではない。
「知らない」ことを知る世界が真の智慧なのだ。
そしてそこにこそ、人間は己を置いておくことなのだ。
時代が変わりAIが時代をいくら大きく席巻しようと、人間の「無知の知」の
凄さを知らないのである。AIの知能が人間の知能を大きく上回り高度な
文明社会が出来たとしても、人間はそれを上回るほどの隠れた能力を
発揮する時が来る。
AIは現状の人間の意識レベルでは到底叶わぬ存在であるが、
意識の拡張が起こった人間にとっては可愛いペットのようなものだろう。