心の居場所
私を知る人たちは一様に子供の時の話を聞いて「苛酷な人生だったね」
と言います。そして悲しんでくれるのですが、私はそれほど辛いという
意識は無かったのです。
6歳の時に母親と兄弟と離れて父親に引き取られました。
故郷から遠く離れた大阪で後妻家族と一緒に暮らしていました。
絶望的な孤独を味わいましたが、それは一瞬で解決しました。
いつまでも悲しんでいるわけにはいかず自立する決心をしたのです。
信じられないでしょうが事実なのです。幼心でそう決めたのです。
それは父親の姉が嫁いだ寺の住職から言われた一言で変わったのです。
「泣いても笑っても人生70年!おまえは泣いて生きるのか?笑って生きるのか?」
この場で決めろと言われて「笑って生きます」と答えたんです。
その瞬間に何か気持ちが楽になり迷いが吹っ切れました。
言葉の力です。真実の言葉は子供にも強い影響力を与えるのです。
子どもだからと遠慮することはありません。ハッキリ伝えてください。
言葉の意味は分からなくても理解はできるのです。
「愛語よく回天の力あり」良き言葉は人生を変えるほどの力があるのです。
「涅槃寂静へのブッダの教え」
ブッダは悟りを開いたのち、この世のものはすべて移ろいゆく「諸行無常」、
「人生で変わらないことはないという「諸法無我」など、
多くの人々・門弟たちに煩悩を消すための教えを伝えています。
人々が苦しむ原因を明かし、物事に執着する自我を自覚してその考え方を改め、
正しい行いを続けることで悟りへの道が開けることを指し示してくれました。
そのブッダが煩悩を消すために説いていたのが、「四苦八苦」をなくすための
考え方である「四諦」(したい)と正しい行いをするための
実践法「八正道」(はっしょうどう)です。
あわせて「四諦八正道」(したいはっしょうどう)とも伝えられる
この教えは、現在の仏教の根本的な教えとして伝えられています。
皆さんには「居場所」と呼べる場所がありますか?
それは家族の中であったり、友だちや恋人との関係かもしれません。
それでは「心の居場所」はどうでしょうか?
心の居場所、という言葉を聞くと何を思い浮かべるでしょうか?
心の居場所、という言葉は、1990年代の子どもの不登校問題の中から
出てきた言葉のようです。
大人にとっては子どもが学校に復帰をするということをゴールとしても、
不登校の子どもはそれを望んでいないかもしれません。
子どもが望んでいるのは、自分の存在感を実感できて、精神的に安心できる
場所=心の居場所なのではないか、ということが言われるようになったのです。
これは子どもに限らず、大人にとっても必要な場所ではないでしょうか。
つまり、心の居場所とは、自分が自分らしくいられる場所
気持ちが落ち着いて、安心できる場所であると言えるでしょう。
あなたにとっての「心の居場所」は?
考えてみると、「居場所」と「心の居場所」は必ずしも一致しないことも
あるのではないでしょうか。
たとえば家族は居場所の1つかもしれませんが、心の居場所と自信をもって
言えるでしょうか。
家族の関係はお互いの距離が近いからこそ、助け合える部分もありますが、
一方でうっとうしく思うこともあると思います。
それだけなら良いのですが、暴力を振るわれるのでは、
安心できる場所ではありません。
また親の前では1つ仮面をかぶらなければ接することができない、
というのも、自分らしくいられないことを意味しています。
もちろん自分らしく、そして安心できる関係があれば、その人といることが、
心の居場所だと思います。しかしそんな人が見つからないからと言って、
心の居場所がない、と嘆く必要もないと思います。
心の居場所は、自分自身が作り出しても構いません。
つまり、自分らしくいられる場所は自分で作れば良いですし、
安心できる環境は自分だけで作っても良いのです。
たとえばそれは芸術や創作の世界に没頭する、と言うことがあると思います。
誰かと比較したり、認められようと思ったりせずとも、自分の中に
落ち着く世界を作り出せば良いのです。
そうやって落ち着いて、自分らしくいられる心の世界を持っている人は、
自然と輝き始めることができます。輝いている人のもとには、
いつの間にか人が集まってくるようになります。
「桃李成蹊」良き人のそばには道が出来る。
そして、そこが自然と「心の居場所」になっていくのではないかと思います。
時間はかかるかもしれませんが、少しずつ自分らしくいられるものを
見つけていけば良いのです。
居場所は実際の人との関係の中にあるものですが、
心の居場所は実は自分の心の中にあるのではないでしょうか。
自分の心の中に、自分らしくいられる気持ちがある人は、
自分を肯定できます。
誰かと一生懸命繋がろうとして疲れてしまった人は、
まず自分の心の中で、自分を認めてみましょう。
自分で自分を認められること、ここから心の居場所探しは始まることでしょう。
子どもの頃に「心の居場所」を探したことがあります。
小・中で優しくしてくれた担任の先生に求めたことも、
中・高で仲良しになった友達の家庭に求めたことも、
大学の頃は実の兄弟に求めたこともありました。
しかし、他人にそれを求めても無駄だということに気づいたのです。
それから自分の居場所探しに一人で海や山や寺社仏閣巡りをしました。
夜中に公園に寝そべって星空を見ながら探したこともありました。
そこで到達したのは読書と音楽の世界でした。
高校生の後半から音楽の世界で働くことに心の居場所を求めました。
大学を中退して英国に行き帰国後音楽プロデューサーになりました。
多くのアーティストやタレントは同じような経験をしたことがあるので、
意思の疎通が容易にできました。心の痛みが少し分かり合えたからです。
今で言うなら「ワンピース」の世界です。
それぞれ問題を持った人間でも宝の地図を目指して助けあえる、
それが仲間として本当に大切なことなのだという事です。
皆様も是非良き書物と良き音楽に触れてみてください。
世界が広がります。間違っても第三者へ期待してはいけません。
そこには「心の居場所」はありません。
「心の居場所」は自分で作り出すのです。