足りないところを足す

 

人は欠点があるから学ぶ事が出来る。

もし欠点が無く長所ばかりなら学ぶ必要はない。
しかし少し学び始めるとまた新たな欠点が見つかる。

だからまた学ぶのである。

人は認められたいから努力する。

もし地位も名誉も財産も関心が無ければ努力する必要は無くなる。
しかし少し認められるとまた違う望みが出て来る。

だからまた努力するのである。

人は孤独に耐えられないから友を作る。

もし孤独を苦痛と思わなければ友を作る必要はない。
しかし自分に都合のよい友ばかり集めるとすぐに離れて行く。

だからまた友達探しが始まるのである。

人間の欲望は穴のあいたバケツのようなものである。
いくら満たしても一杯になる事は無い。

その為に足る事を知るべきである。欲には限度が無い。
その果てしない無限大の欲を追いかけるのではなく、
少しの欲が満たされただけで十分だと云う満足感を持つ事が重要である。

シェル・シルヴァスタインが書いた「ビッグオー」という絵本がある。

これは「ぼくを探しに」の続編である。
前作では、大きな丸い円(ビッグオー)に少しだけ欠けた部分があり、
この円の欠けた部分を探しに行き、ついにかけらと出会ったけれど、
また別れていくという物語でした。

今作では、小さなかけらが自分に合う、あいてを待つのではなく、
みずから行動を起こして、転げ回り、段々と角がとれ、丸くなり、
ついには小さなビッグオーになるという話です。

前作では共生をおしえ、今作では自立を教えた大人の絵本です。

人間は欠けた部分を埋める為におおくの欲望に囚われる。
能力も美貌も財産も求めて学校や就職や結婚までも打算的に考えてしまう。

人を押しのけて手に入れた欲望は決して心に満足を得られるものではない。

単純に共存・共生を叫ぶのではなく、自分にできることは自らしなければならない。

その自立の精神が大切なのである。

多くの不平不満は依存症から生まれて来るのです。
他人に頼らなければ不平不満は出て来ません。

欲望を追うのではなく足りないところを足すことを学ばなければなりません。

「小欲知足」合掌

学びの心

 

人間力が無ければ学びは生きた学問の活学にはならない。

教えの初めに「人間力」と「志」について語り始めることが重要である。

「人間力」とは知識を見識に変え見識を胆識に取り入れる力の事である。
学問を知り経験を積んで自分の判断とする。
その判断で決断しなければならない時に胆に座った覚悟を決める。

ここに何事からも逃げない責任感が生れる。

また「志」とは自分がいかに社会に役立つ事が出来るかと言う決心である。
五常である仁・義・礼・智・信を守り通し、
「志」いう軸を強固にして社会のおける役割を明確にする事である。

この二つの精神的な強さが社会との関わり合いを教えてくれる。
志の軸がない人は目先の欲に溺れて物質優先主義になってしまうのである。

ここで江戸時代の儒学者佐藤一斉の「言志四録」を講義の手引とする。

「士は当に己に在る者を恃むべし。
動天驚地極大の事業も、亦都べて一己より締造す」

志に生きる男子は、己の中にある真の自己をたのみとすべきである。
天を動かし地を驚かすような大事業も、すべて己れ自身から造り出されるものである。

士は「+」と「-」の会意文字である。
「+」なる欲求群を「-」の志によって統括する意で、
その志によって統括された人格生活者を「士」というのである。

すなわち志に生きる男子のことである。

そういう士君子というものは、常に己の中にある一己、
良心を恃みとして生きる者である。

驚天動地の大事業もこの真の自己、「一己」が主体で成されるというのである。

戦後日本の教育から三つの教育が米国によって削除されてしまった。

それは「地理」と「歴史」と「修身」である。

日本人の基本とする強い意識を恐れて、米国はこの三つの教育を教える事を禁じた。
特に「修身」を恐れたのである。

「修身」とは中国の書物「大学」にかかれた一節である。

その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉(ととの)う。
その家を斉えんと欲する者は先ずその身を修。
その身を修めんと欲する者は先ずその心を正す。
その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠(まこと)す。
その意を誠にせんと欲する者は先ずその知を致(きわ)む。
知を致むるは物に格(至)るに在り。

ここに米国が恐れた大和民族の心髄がある。

知識・見識・胆識を身に付け人間力を持つことである。

行蔵は我に存す

 

「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。
我に与(あず)からず。我に関せずと存控」By勝海舟

隠れたり、進んで物事をやることは、自分の意思でやること、
それに対して他人が褒めてくれるのも良し、拙者の与り知らないことです。

福沢諭吉の著「瘠我慢」で勝海舟に対する批判に対して送った手紙の言葉である。

常日頃から福沢諭吉は明治政府の中で安穏と暮らす勝海舟に文句を付けていたのである。
立派な行いをやりながらいけしゃしゃと爵位を授かる神経が分からぬ、
お前の大義は褒美を受け取ることだったのか・・・瘠我慢が足りぬ。

所謂、福沢諭吉が勝海舟にいちゃもんをつけたのである。

我々の生活に於いてもいちいちいちゃもんをつけに来る人がいる。
とやかく人のやる事にあれやこれやと口を挟む人だ。

これらのタイプは自分の主張が絶対的に正しいと誤解をしている人達である。

本音で話したことを噂で広め、高飛車に批判を繰り返しやる気を奪って行く人である。
自分が正しいと信じているから他人から社会までも平気で悪者にする。

大切な明かりの部分を見ずに一点の影の部分を追求して否定論者になる。
失敗するのを恐れ、行動を起こさない傲慢なタイプの人である。

虚勢を張り大声で持論を繰り返す人に追随する人が多いのも信じがたいことである。

自分の主義主張を持たず自ら行動をおこさない優柔不断な人である。
自立よりも依存の方が楽だと考えている人たちに多い思考である。

本来ならば、自分は何をしたいのか、どのように生きたいのか、どうあるべきか、
自問自答しながら生きて行くのが人生である。

他人の評価や顔色を伺いながら窮屈な人生を過ごすことは無い。
自分が選び信じた道で胸を張って進んで行くべきである。

たとえ経験不足と能力が欠けていたとしても恥じることは無い。
失敗の経験を体いっぱいに受け止めるべきである。

常識を信じて嘘の情報に翻弄されて無責任な助言に惑わされる事も一切無い。
自分を信じること、誰よりも自分を愛する事、自分の約束は絶対に破らない事である。

その為には自己に徹することである。

安岡正篤「照心語録」にこの様なことが書かれている。

「人間にとって「独を抱く」ことは非常に大切なことだ。
独とは単なる一人ではなく、相対に対する絶対の境涯を示す。
つまり群衆に伍する、ものに混ずることもなく、自己に徹するということだ。
人は自己の絶対に徹して初めてあらゆる相対に応ずることができる」

いかに自己に徹することが重要であるかを分かって欲しい。

「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与(あず)からず我に関せずと存控」

自分の責任は自分で取る。そして自分で評価する。
自分の行動に、他人が何を言おうと、自分には関係ないことである。

 

青春賛歌

 

「僕は、僕の若さに忠実だという自負がある」谷川俊太郎

若さに忠実とは何だろうか?

人生に志を掲げて熱く行動をすることが「若さ」というのか。

人生に夢を持ち続け純粋に向き合える期間を「若さ」というのか。

人生に使命を感じながら自らを捨て去る精神を「若さ」というのか。

それは狡猾な老人の様に全てを打算的に考えるのではなく、
一途な思いで苦界に飛び込む無心の状態を「若さ」というのでないだろうか。

激しく悩み・苦しみ・打ちひしがれて己の未熟さに気付いたとしても、
それを恥じることなく前向きに立ち向かえる事を「若さ」というのでないだろうか。

「若さ」とは理屈で考えるのではなく感性のひらめきを大切にすることである。
その感性のひらめきから生まれる直感こそが希望を作るのではないだろうか。

「たとえ20歳の若者でも挫折を感じて希望を失った時には老人である。
その反対に60歳を過ぎた老人でも希望を掲げて生きている時には若者なのである。」

人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる

人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる

希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

サミエルウルマン「Youth」

「若さ」とは時代を素直に継承するのではなく破壊して未来を創造することである。
純粋に無形の夢を有形に変えることができる無限大の可能性を信じるべきなのである。

他者と比べた経歴や、能力や、優劣の差も、既存の価値観もまったく無意味である。
何事にも囚われることもなく信念に従い使命を追求することが「若さ」である。

「若さ」に忠実とは感情の赴くままに素直に行動することである。
理屈でなく身体全体で感情を表現できることが「若さ」というのである。

そして若き日は傷つくことや失敗の恥を恐れるべきではない。

おおいに笑われて屈辱感を味わい泣きながら強く成長しなければならない。
常識外れと言われても純粋な情熱に従う勇気が「若さ」を維持するのである。

そして「若さ」には「ロマン」を感じることが最も重要である。
愛する人を守る「ロマン」でこの国の未来を創造するのである。

「ロマン」の無い若さなんて色彩の無い絵画のようなものである。

「若き日に薔薇を掴め」

赤き薔薇よ 情熱の薔薇よ

その美しさにとげを隠し 魅せられし人を傷つける

恋に悩める若者よ 純粋な薔薇の前では成す術も無く 絶望に打ちひしがれる

その薔薇の美しさを 受け入れるのだ そして痛みを恐れず 握りしめるのだ

手のひらが赤き血潮に染まれば良い 若き日の傷はすぐに癒えるから

恩学より

あとからくる者のために

 

「あとからくる者のために、

苦労するのだ、我慢するのだ、

田を耕し、種を用意しておくのだ。

あとからくる者のために、

しんみんよ、お前は詩を書いておくのだ。

山を川を海を、きれいにしておくのだ。

ああ、あとからくる者のために、

みんなそれぞれの力を傾けるのだ。

あとからあとから続いてくる、

あの可愛い者たちのために、

未来を受け継ぐ者たちのために、

みな夫々自分でできる

何かをしておくのだ。

詩人坂村真民「詩国」より

我々は未来を受け継ぐ者たちのために何かをしなければならない。
みな夫々自分でできる何かをしておかなければならない。

たとえ生きることに精一杯であっても、
あとからくる者のために残し伝えて行かなければならないことがある。

この国が過ごして来た証しを、心で、形で、物で伝承しなければならない。
あらゆる歴史はその様にして同じ行為の中で繰り返し今日に至っている。

それぞれが自己満足な欲を追求するためだけでは人が国が滅びてしまう。
使命感を持ち国の繁栄をあとからくる者たちのために伝えていかなければならない。

未来を受け継ぐ者たちのために必ず教えなければならないことがある。

先ずは国の成り立ち(歴史)、日本の位置(地理)、人として生きる修身(道徳)である。

この国独特の美意識・職人の技・きめ細やかな表現などの感性と感覚である。

敗戦の中から何度も苦難を乗り越え復興を遂げて来た民族の誇りである。

八百万の神々に守られ人を思いやる行為や行動の言葉たちである。

あとからくる者のために安易な道筋を作るのではなく立ち向かう勇気を教えるのである。

世界から見た我が国の現状を伝え乗り越える技術を教えるべきである。

家族を地域社会を国家を形成する基本的な思考を教えるのである。

年配者よ!楽な隠居など考えるな!

今こそ立ちあがれ。若者達に絶望的な負の遺産を残すな。

あとからくる者たちのためにあらゆる財産を譲る覚悟を決めろ。
あとからくる者たちの幸福を考えて生きるのだ。

それが人生の先輩としての使命だ。

先に行ける人から

 

先に行ける人から先に行きなさい。
仲良く手を繋いでゴールなど考えないで下さい。

今は遅れて来る人の事など考える必要はないのです。

競争社会においては必ず一番の人が世の中を変えるのです。
だから強い人から先にゴールを駆け抜けなさい。
たとえ道に倒れている人がいても、その横を通り過ぎて行きなさい。

今は優しさよりも厳しさを最優先にして下さい。

あなたが遅れを取ることの方が大きなマイナスなのです。
あなたに残された知力と気力と体力がある内にゴールを目指すのです。

そしてゴールを過ぎてからはじめて弱者救済を考えるのです。

その為にスタート前にみんなで自分に適した配置を話し合うのです。
足の速い人、計算の速い人、決断が早い人、文章の書くことが早い人等、
目的を話し合い自分のポジションを明確にすれば無駄な人など一人もいません。

それぞれが出来る事に全力を尽くすことで最善の調和が取れるのです。

決して古い常識に囚われないで下さい。
過去の人達の生き方をそのまま真似をしないで下さい。
自分の直感に従い自分の能力を認識するのです。

そして今出来ることを見つけるのです。

先に駆け抜ける事だけを考えて下さい。
その結果手にしたゴールに満足するのです。

他人と比べる必要も無く自画自賛するのです。
自分が自分を信じて最大の能力を発揮したことに満足するのです。

時間がありません。

先に行ける人から先に行きなさい。
立ち止まってしまったら自分の使命を思い出して下さい。
決して集団の影に隠れて流れの中に巻き込まれないで下さい。

自分の世界を創造するのです。

ゴールに辿り着いた時の理想を描くのです。
みんなが共存共栄する社会を構築するのです。

そこから弱い人達を守って下さい。

そこから傷ついた人達を労わって下さい。
そこから子供や老人に生きる勇気を与えて下さい。

何も始めないうちから平和や平等を訴えるようなことはしないで下さい。
解決策も無いのに抵抗を続けるのは止めて下さい。

強い人達が飛びださなければ世の中は変わらないのです。

配置と認識を話し合って下さい。

今必要なのはそれぞれの配置と役割の認識です。

贈る言葉

 

チャレンジという言葉は失敗という言葉です。

新しいことをやる時には必ず失敗がつきものです。
失敗すると恥ずかしいという気持ちは失くして下さい。

どのような時にでも決して失敗に臆病にならないで下さい。
失敗を恐れると成功はありえません。

そして一度の失敗で簡単にチャレンジを諦めないで下さい。

失敗の経験から自分の立ち位置とそれにあった情報を集めて下さい。
自分は何を目指したか、そして何故この位置に居るのかを確認してください。

恐れることはありません。誰もが失敗を繰り返して成功を手に入れているのです。

常に自分の直感を信じて好奇心のアンテナを張りめぐらせて下さい。

決して世の中に氾濫する無価値な情報に惑わされないで下さい。
冷静に自分の興味を持った情報だけを選別するのです。
そして選んだ情報を一点に絞り分析して下さい。

その上で限りなく好奇心を旺盛にして下さい。

夢を明確に描くのです。そして喜ぶ人達の笑顔をイメージするのです。
理屈によってワクワクする感覚を失わない様にして下さい。
好奇心こそがモチベーションを上げる最良の方法なのです。

またチャレンジの時には仲間達とお互いに得意なことや苦手なことを発表し合うのです。
完全な人はいません。だからチームワークが成立するのです。

自分の能力以上に仲間達の言葉を信じるようにして下さい。
自分一人で責任を取ろうとするから失敗するのです。

失敗は記憶する事では無く、新たな挑戦の時には白紙に戻すのです。
臆病になって勇気にブレーキをかける必要はないのです。

失敗した時には、気のあった仲間と歌を歌ってお酒を飲んでわいわい騒いで下さい。
泣いて笑って大声出してエネルギーをチャージして下さい。
あなたの未来は一度の失敗で閉じることなく無限大に広がっているのです。

いつの日か花を咲かせましょう。

「花」

川は流れて どこどこ行くの

人も流れて どこどこ行くの

そんな流れが つくころには

花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい

いつの日か いつの日か

花をさかそうよ

沖縄民謡歌手・喜納昌吉

教えに三あり

教えには三つの段階がある。

第一の心教は別段の方法手段をとらず師によって自然に教化することである。
第二の躬教は師の行為の跡を真似させる教えである。
第三の言教は師が言葉で説き諭して導く教えで、言葉を方法としている。
「言志四録」佐藤一斉著/川上正光全訳注

山本五十六元帥の言葉にも、
「やって見せ、言って聞かせて、させて見て、ほめてやらねば、人は動かじ」というのがあります。

師が行動を見せて自然に教化する。その後言葉を通じて導き真似をさせる。
最後に良き個所を見つけて褒めてやり自信を付けさせる。

リーダーたるべき人が必ず教化の方法として行わなければならない原則である。

奈良県、法隆寺金堂、法輪寺三十塔、薬師寺金堂などを手掛けた
最後の宮大工西岡常一は「徒弟制と教育」のなかで、
弟子の教育についてこのように言っている。

棟梁が弟子を育てるときにすることは、一緒に飯を食って一緒に生活をし、
見本を示すだけです。

道具を見てやり、砥ぎ方を教え、こないやるんやいうようなことは一切しませんのや。
「こないふうに削れるように研いでみなさい」とやってみせるだけですな。
弟子になるようなものには大工になろうという気持ちがありますのや。

ただその上に何か教えてもらおうという衣みたいなもので覆われていますが、
それが邪魔ですな。まず、生活しているうちに自分でこの衣を解かないけません。
これは私が解いてやるなやなくて、弟子が自分で解くんです。

また自分で解く心構えがないと、ものは伝わりませんな。

ですから弟子に来たからというて手取り足取りして教えることはありませんのや。
見本を見せた後はその人の能力です。いかにどんなにしたところで、
その人の能力以上のことはできまへんからな。

親方の背中を見て学ぶことを「暗黙知」と言います。

ハンガリー出身のマイケルポランニーも「暗黙知の次元」でこのように言っています。

観察者は、外部から行為者の諸動作の中へ内在化しようとして、
その諸動作を相互に関連づけようと努めることになる。
観察者は、行為者の動作を内面化することによって、その動作の中へ内在化するのだ。

こうした探索的な内在化を繰り返しながら、弟子は師匠の技術の感触を我がものとし、
その良きライバルとなるべく腕を磨いて行くのである。

始めから言葉で教えると頭では理解できても身体がついていかない。
動作を見せる事で観察力を高めさせて想像させることが重要である。
その後一定の水準に達した時に初めて理屈・理論を教える。

教育とは一方的に学問を教える事では無く、
その教育によって何が出来るかを教えるべきである。

しかし、そこに生徒たちの個性があることも忘れてはならない。

「夫(そ)れ学は通の為に非ざるなり。窮して苦しまず。
憂へて意(こころ)衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑はざるが為なり。」「荀子」

我々は物知りになるために学ぶのではない。窮地に陥っても苦しむことがなく、
不安におののいて意気消沈しないためである。こうすればああなると、
禍福の始まりや行く末を知って、心が迷わないためである。

「安岡正篤人生を変える言葉・古典の活学」神渡良平より

教える方も学ぶ方も心して記憶にとどめたい珠玉の言葉たちである。

 

何故この人は成功しないのだろう

 

才能があるのに活かしきれない人がいる。
実力があるのに発揮できない人がいる。
経験を積んでいるのに失敗を繰り返す人がいる。

その原因は幼児期の精神的トラウマに起因する事が多い。

常日頃から執拗に両親から「頑張れ」と言われ続け、
上位に立たなければ許されないような環境で育つと、
肝心なところで才能も実力も発揮する事が出来なくなる。

ましてや失敗でもすると強く叱責されるので行動が臆病になり、
精神的敗北者となってしまう。

その上「恥」という気持ちが行動に対して最大のブレーキとなり、
いくら練習を積んでも良きデーターとして身体に蓄積されない。

その為に同じ過ちを繰り返してしまう。

いつまでも自分の未熟さを嘆き、
他人を恨んだりしていると負の連鎖は止まらなくなる。
その負の連鎖を止める為には、先ず自分の性格を変えなければならない。

それは「五つのあせかきな」である。

勝負を焦らないようにする。
自分を責めないようにする。
情熱を隠さないようにする。
笑顔を消さないようにする。
結果を嘆かないようにする。

この「五つのあせかきな」を実行する事である。

成功なんて運が良ければ叶うと安易に思わないことです。
自分の努力を信じて全力を尽くすだけなのです。
その結果として望むのは順位では無くて実績なのです。

幼児期のトラウマをはねのけて実力を信じるのです。

今自分に何が必要か言葉に出してみて下さい。
自分の行動をサポートしてくれる人を探してみて下さい。
応援者は必ずいます。伴走してくれる人はいるのです。

あなた自身が自分の弱い所を一番知っているはずです。
その弱い所をおおい隠すのではなく強いところを伸ばすのです。

そうすると自然に・・・・・

太陽の光(勝のエネルギー)があなたに当たるようになります。
あなたが明るく輝けば人が集まってくるのです。

挫折は成功への階段だと思えば気持ちが楽になります。

努力には他人の評価等必要ないのです。
複雑に考えるのではなくシンプルに考えれば良いのです。

その結果、日々精進する事によって才能は開花するのです。

成功するイメージを強く持てば実力は発揮できるのです
失敗を繰り返す事によって経験は活かされるのです。

過去にとらわれることなく今に全力を費やすことです。

心の鎖を切り離すことです。

 

Stay Hungry ・Stay Foolish

 

2007年スタンフォード大学卒業式記念講演
アップルCEOスティーブジョブス

あなたの時間は限られています。
無駄に他人の人生を生きないこと。

ドグマに囚われないで下さい。
それは他人の考えに付き合った結果に過ぎません。

他人の雑音で心の声が掻き消されない様にして下さい。

そしてもっとも大事なのは、
自分の直感に従う勇気を持つことです。
直感とはあなたの本当に求めることを分かっているのです。

それ以外は二の次です。

「Stay hungry・Stay foolish」

いつもハングリーでいることといつも馬鹿でいること。
笑い者になることを恐れていては、新しい時代を作ることが出来ないのです。

過去のドグマ(教義)や他人の人生に従っても何も変わりません。
自分が何をしたいのか、叶えたい夢は何かを知り、全うすることが重要です。

もっとも大切なことは自分の直感を信じて自分の道を探し出すことです。

自分の直感が一番自分のやるべきことを知っているのです。
自分のやるべきことを知らないという事は不幸だということです。

だから自分の人生や仕事を愛せないのは不幸なのです。

愛せない人生や仕事からはさっさと離れるべきです。
他人からレールをひかれた人生や仕事ほどつまらないものはないからです。

愛せないものを愛そうとするから愛せないのです。
愛は直感の中から生まれるのです。

そして無限大の想像力の中で愛は育まれるのです。

馬鹿の様でも貪欲に生きることが成功の引き金になるのです。
何事も無理だと思うから失敗が続き臆病になるのです。

自分を信じて挫折を恐れなければ失敗の中から奇跡が起こるのです。

その奇跡が現実を夢に変えるのです。
夢は見るものではなく叶えるものなのです。

だから馬鹿にされることを恐れる必要はないのです。

いつの時代でも多くの科学者や芸術家は変人だと笑われて来たのです。
理解者が少なくても夢をハッキリと見るから未来を作ることが出来るのです。

そして自分を信じている者は孤独に耐え抜いて行かなければならないのです。
誹謗中傷を恐れずに自分の意思を貫き通さなければならないからです。

スティーブジョブスはそれらを乗り越えて世界に奇跡を起こしたのです。

彼失くしては現在の「通信革命」は起こらなかったでしょう。

「Stay hungry Stay foolish」だからできた偉業です。