言葉の歴史

 

「公の言葉の歴史」

韓国の金容雲という方が書かれた「日本語の正体」という本があります。
ここに書かれている内容を日本語の研究家はどう思われるか興味のあるところです。

縄文時代には、今の日本語とは別の日本語があったようですが、
弥生時代に朝鮮半島から百済人が来て百済語になってしまったそうです。

つまり、弥生人は、縄文人と百済人の混血で文化的に優れていた百済人が使用していた百済語が
今の日本語に変化していったようです。

一方、朝鮮半島では、百済人が白村江(はくすきのえ)の戦いで、
新羅(しらぎ)と唐(中国)の連合軍によって滅亡してしまい。

よって朝鮮半島では、新羅語と古い中国語が、今の韓国語に変化していった。
そして、百済語と新羅語は、実は、ほぼ同じものとのことでした。

日本語は、百済語の読みを漢字に当てはめ、つまり万葉仮名のようにして漢字の訓読みを取り入れていきました。

つまり、日本語は、漢字を受け入れるときに、漢字の意味の百済語の言葉をその漢字の読みに当てはめたのです。

ということで、現在の日本語と韓国語の元は、ほぼ同じものなのです。
みなさまお分かりになったでしょうか。韓国語のドラマを見ていると、
ときたま日本語が聞こえるのに驚かれたことがあるかと思います。

同じ漢字の意味で同じ発音なのは韓国語と同じルーツだということですね。

「私的な言葉の歴史」

自分の吐いた言葉には歴史がある。
人には言えない深く長い歴史がある。

自分の意思を第三者に伝えるときに平易な言葉を使うと通じた気がする。
しかし、本来伝えたい言葉の意味は言葉にならない言葉の裏側(歴史)の部分である。

自分の言葉の情報は自分なりの感情が入り過ぎ、伝えたい真意からずれる恐れがある。

ずれたままからは誤解が生じて不信感や疑惑が芽生える。
そのうえにやっかいなのは自分の知識に経験が加わったときである。

曖昧であった知識が、少しの成功で強い語調に変わるのである。
自己過信から生まれた言葉は思うほど説得力を持たない。

またその逆もある。

確信を持った知識でも不安と羞恥の気持ちがあれば弱い語調になってしまうのである。
折角の知識も弱い語調の為に曖昧な情報として受け止められる。

同じ言葉でも不安から発するときと、自信から発するときには、大幅に第三者には違って聞こえる。
大切な言葉を発する時には、言葉に抑揚をつけて、歴史を感じさせる話し方をしなければならない。

言葉が少ない時代は一つ一つの言葉に重みがあった。
現在のように通信機器が発達していない時代である。

瞬間すれ違った知人に、「ご機嫌いかがですか」「それでは」、
たったこれだけの会話でも意思は十分通じあえたのである。

情報化社会になり雑多な文字が氾濫するようになって、気持ちのこもった言葉を発する機会が失われた。
ありきたりの情景でありきたりの会話ありきたりのあいさつであれば、
そこに特別な言葉が生まれる必要は無いからである。

家族でも友人でも同僚でも、それぞれの言葉の歴史を意識して話をするようにしなければならない。
ひとつの言葉の重みは一人の言葉の歴史でも有る。

「私は、僕は」を強調して責任を持った発言をしない限り言の葉は枯れていくのである。

「人の言葉を洞察し顔色を見抜く」(孔子)とは交際の要訣である。

貴方の言葉は大切な人から見られているのです。

「演出的な言葉の歴史」

悪質な言葉の一言で闇夜に放り込まれた気分になる。
その激しい恐怖までは言葉に表せない。

心の解放を願っても一番捨て去りたい言葉がいつまでも身体から離れない。
心の奥に刺さったまま何かをした瞬間にチクリと痛み出す。
決して他人には分からない痛みである。

良質な言葉の一言で勝手に楽しい気分になる。
人生が変わった錯覚までしてくる。
昨日までの苦しみが嘘のように晴れ渡る。
耳元に残る甘美なささやきの虜になる。

しかし、良質な言葉は羽根が生えたようにすぐに飛んでいき消えてなくなる。

「リアもグロスターも、男はいつでも他者の言葉で自分を確認しようとしているんだけれども、見誤っている。
そこが可愛そうなんです。娘や息子の言葉のなかから自分を褒めて欲しいという小さなうぬぼれから始まった
転落なのです。」

荒野をさ迷い狂人となったリア、両目をくりぬかれて息子エドガーに手を引かれていても気付かないグロスター。

演出家蜷川幸雄はこのように「リア王」について語り「目の物語」として表現するという。

一流の演出家による言葉の表現を学ぶのも大切な事ではないでしょうか。

美談

 

湾岸戦争時にこのような美談がありました。

1985年3月17日、48時間の猶予期限以降に
イラン上空を飛ぶ飛行機は無差別に攻撃すると
サッダームフセイン大統領が突如宣言した。

この宣言後、イランに住む日本人以外の外国人はおのおの自らの国の航空会社や軍の輸送機によって
順次イランから脱出して行った。

ところが、日本においてはそうでなかった。

ただちに日本航空にチャーター便の派遣を依頼したのだが、
日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、組合員の安全が保障されない事を理由に
いずれもこの要請を拒絶した。

その間、在イラン日本大使館では手を尽くして救援機を派遣した各国と交渉したものの、
いずれの国も自国民の救出で手一杯であり、希望者全てを乗せてもらうことは到底かなわず、
いまだ200名を超えるイラン在留邦人が全く脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕する状況にあった。

なお、当時の政治情勢では自衛隊を国外に派遣する事は難しかった。

だが、土壇場で個人的な親交に一塁の望みを託した野村豊在イラン日本国特命全権大使が、
イスメット・ビルセル在イラントルコ特命全権大使に救援を要請したところ、
トルコ政府が応じ、トルコ航空の自国民救援のための最終便を2機に増やしてくれたので、
215名の日本人がそれに分乗して期限ぎりぎりで危機を脱することができた。

なお、トルコは近隣に位置することから陸路でも脱出もできるので自国民に優先して
日本人の救出を計ってくれ、実際この救援機に乗れなかったトルコ人500名は陸路自動車でイランを脱出した。

このようなトルコ政府とトルコ航空の厚情の背景には、1890年(明治23年)
日本に親善訪問した帰途、和歌山沖で遭難したフリゲートエルトゥールル号救助に際し
日本から受けた恩義に報いるという意識もあったと言われている。

日本人救出に際して迷うことなく決断をしてくれたトルコ政府、
それに不平を言わず従ったトルコの達にも頭の下がる思いがする。

補足だが、2年前の東北大震災時にもトルコ政府から救援隊が派遣されたことは言うまでもない。

今回起きたアルジェリアのテロリスト事件では日本人がゲリラの標的になり10人が帰らぬ人となった。
しかし助かった人の中には同僚のアルジェリア人が、ターバンとマフラーをつけてくれて連れだして貰った人もいる。

今、なにをなすべきかという時に迷わず手を差し伸べる勇気こそが、
政治や宗教を超えて人々の絆になるのではないだろうか。

そして美談はどのような歴史よりも深く人々の心に刻まれるのだ。

人を助けることがいかに大切なことかはこの言葉に集約されている。

「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。

仕事を残して死ぬ者は中だ。

人を残して死ぬ者は上だ。

よく覚えておけ。」

後藤新平の言葉。(明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家)

 

ヒットのツボ

第一に売れると言う強い思い込みが無ければならない。それは己の価値の押し売りである。

第二に大衆の欲しがるものを提供しなければならない。しかし「媚びる」ことをしてはならない。

第三に自分が楽しいものは他人も楽しいと思わなければならない。
必ず機能性と娯楽性を取り入れること。SONYの盛田昭夫氏もappleのスティーブジョブスもこれを忠実に守った。

どのような新商品でも価格で売るのではなく資格で売ること。
この商品はあなたにとって素晴しい。この商品はあなたを待っていた。この商品を持つ資格はあなたにある。

このセールストークで相手の琴線を震わせなければならない。
そしてとくに気にしなければならないのは、時代の景色に写り込みが良いかである。
一言でいうとカッコが良いかということである。

Aという商品を使っていれば、その後には必ずBという商品が欲しくなる。
Bという商品が生まれる前に、いち早くBを作れるかがヒットの秘訣である。

簡単に言えば、今売れている商品を肩越しに見ながら、半歩先の商品の進歩(スタイル)が浮かぶかである。

企画には物語を想像する力が必要なのである。

YAMAHAの川上源一氏曰く、将来日本が豊かになれば各家庭に一台はピアノを置く時代が来る。
今は貧乏な時代だからハーモニカやギターを売れば良い。
その子供達が大きくなって結婚すればピアノを買うようになる。

20年先をとらえた商法である。

その商法の中にはもう一つのアイディアが含まれていた。
自社のコンテストからピアノの弾き語りの女性を何人も世の中に送り出した事である小坂明子・八神純子・平松愛理である。

川上氏には、半歩先ではなく一歩先の未来が想像できていたのである。

80年代あらゆる分野で特にスポーツ界や映画界で黒人の活躍が目立ち始めた。
私の目にはとてもカッコよく見えたのである。
不思議なパワーを感じたのである。

日本人でも黒人音楽は絶対にうれると確信していた。
同時にアフリカの子供たちを救おうと著名アーティストが85年に「We are the world」を歌っていた。
発起人はライオネルリッチとマイケルジャクソンであった。

久保田利伸デビュー曲は「流星のサドル」タイトルの意味が分からないということと、
日本人には黒人音楽は合わないということで反対された。

それでも強気で押し通した。

黒人音楽と最新ファッション合言葉は「ブラックパワー」この遊び感覚が功を奏した。

松任谷由美と組んで発売した「雨音はショパンの調べ」タイトルだけで聴きたくなる。
そこに謎めいた美女小林麻美の起用である。

プロモーションは小林麻美本人を一切テレビに出さずミュージックビデオだけで勝負をした。
斬新な映像に反響を呼んだ。それ以来雨の日には必ず定番で流れるようになった。

秋元康が企画したおニャン子クラブに参加した。
女子高生の放課後これこそ肩越しで覗きこむ文化である。

河合その子「涙のジャスミンLOVE」プレゼン用に書いた自作詞が日本レコード大賞作詞賞に輝いた。

渡辺美奈代「瞳に約束」デビューイベントは前代未聞の武道館で行った。

プロデューサーの頭の中はおもちゃ箱の様でなければならない。
常に自慢のおもちゃを「箱」から取り出せるようにしておかなければならないのである。

その為には情報のアンテナを張り巡らせて好奇心の感度を良くしておかなければならない。
そして仕事をする時には、どの業界でも一番忙しい人達に依頼をしなければならないのである。

すなわち売れている媚びない人達である。
旬で輝いている人の側にいるとこちらも自然に輝き始めるのである。

これが「ヒットのツボ」かもしれない。

新しいものをいち早く作るのがプロデューサーの役目である。
そして何よりも世の中が欲しがるものを連続して発表出来るのが一流のプロの仕事である。

コピーライターで有名な仲畑貴志氏もこう言っている。

<表現サービスは受け手に対して媚びると、すぐに消費されてしまうのです。
なので表現戦術としては、とにかく「媚びるな」ということを徹底しました。
つまり「PUSH」じゃなくて「PULL」表現で、だから何回も見たくなる。

まずはモデルの能面のように笑わない。
それとダンスではなくあくまでも体操。
ダンスやらせたら駄目。

ダンスものって大体滑るのですよ。
そして、すごくシンプルな体操なんだけど、その動きは奇妙であってほしい。

そういう僕の要求項目をディレクターに伝えて忠実に実行してもらっているだけです。>
とかく媚びてしまう広告になりがちな中で、<とにかく「媚びるな」>というのが、
当たるCMのツボだったんだなと思うのです。

山だけだと、実は心に届かない。山と山の間の「谷間」がいかに重要か。
これはCMに限らず、コミュニケーション全般に言える事ではないでしょうか。

プロデューサーはある種拘りが無ければ商売にならない。
企画屋ならばクライアントが納得するまで提案すれば良いのだが、
プロデューサーはクライアントが思い付かないところまで想像して形にする能力がなければならない。

しかしクライアントに媚びてしまうと鋭さが消えてしまう。
結果大衆には印象に残らない作品になってしまう。

プロデューサーは強気で仕事を押し通すが売れなければ即刻退場である。

 

悲しみからの脱却

 

脱却とは脱ぎ捨てることである。自分を変える事では無く不要な部分を捨て去ることである。

人生さまざまなことで辛く悲しい事が起きる。
それは予測されたことであり突然だったりもする。
言いようのない悲しみであっても、いつか何処かに置き去りにするしかない。

出来るなら他人には知れずにして自分一人で解決を図りたいと思う。
苦しからといってすぐに誰かを頼りにするのは極力避けた方が良い。

苦しみも心の一部である。簡単に心の内を曝け出すようなことをすると未熟な大人に成る。
未熟な大人とは深みの無い大人である。深みが無いから浅瀬で解決を図ろうとする。
浅瀬とはすぐに人や物や金に頼る事である。

無駄な時間を過ごしたくないからといってすぐにリセットボタンを押してしまう。

一瞬悲しみを忘れることが出来るかもしれないが、大切な思い出も全て消え去ることになる。
人は悲しみを乗り越えて初めて喜びが見えるのである。

悲しみからいつも逃げ出してしまうと幸福からは遠ざかるのである。

すこし時間をかけても辛くとも自分で脱がなければ成長は無い。
そして強くもなれない。

ニュースで女子高生が「子供の私達が何故この様な苦しみを味わわなければならないのでしょうか」と発言をしていた。
私から言わせれば、子供だから苦しみを、悲しみを体験しなければならないのである。

子供は小さな完成品では無い大きな未完成品だから無限大の可能性がある。
肉体的にも精神的にも苦しみは味わう時期なのである。

かといって、教師の体罰を容認するわけではない。

過去には通用しても現在では通用しないことぐらいわかる。
我々の時代はあたりまえのように毎日教師から叩かれていたのである。
でこぴん、しりけり、びんたを、味わい、重いバケツを持って廊下に立たされたのである。

その行為を父兄は容認し感謝したのである。

物事の善悪や迷惑をしっかりと判断できない子供達には時には痛みも必要な事でもあった。
それが躾である。

それでも、私は何度か教師に飛びかかった事がある。
それは体罰の肉体的痛みでは無く、人格を傷つけられた心の痛みに耐えられなかったからである。

体罰の限界は人格まで傷つけてはならないことである。
その喫水線を越えているから悲惨な事件を起こしてしまうのである。

当時を思え返せば殴った教師も一緒になって悩み苦しんでくれた時代である。

現在の体罰のニュースからは指導における教師の生徒に対する思いやりが一切みえてこない。
自分の都合で体罰を与えているようにしかみえないのである。

悲しいことに彼等もただ殴られて指導されて来た世代だからそれを繰り返すのである。

聖職の立場ある人達は常に自己の人格形成の為の研鑽を怠らない事である。
教育ということは時代の変化に対応しなければならない。
教える基本は変わらなくても教える方法が変化するからである。

昭和29年に井上久雄先生が書かれた「大教育者のことば」(致知出版社)を推薦したい。
座右の書として一日一度は読むべきである。
私の友人、人間環境大学の川口雅昭先生が復刻版を出されている。

教育者でなくても読みごたえのある一冊である。

そして吉田松陰研究第一人者である川口先生の「吉田松陰」(致知出版社)も読まれてはどうだろうか。
教職者として時には魂を鼓舞する事も必要かと思います。

悲しみからの脱却は苦しみからの脱却でもある。万人が抱えている問題である。

 

矜持

 

誇りは自分の長所というべき点に自信を持つ事です。
それを大きく言う事が誇りの字の語源です。

所謂、誇大表現である。

その筆頭に思い出すのが坂本竜馬です。
四国高知の下級武士が日本を変えると大声で叫んだのである。

その当時は、うつけ者か狂人の類と非難を浴びたのは火を見るよりも明らかです。

誇りとは他人との比較でべつだん優劣ではない。
他人の評価など関係のない世界です。
他と比べるもなく自分の意志を吹聴するのです。

坂本竜馬は「俺がこの国を変えるぞ」「開国がなければこの国は終わる」と、
叫びながら日本国中を東奔西走したのです。

強行に圧政を強いる徳川幕府よりも、下田沖に現れた黒船に脅威を感じたことは確かである。

その坂本竜馬の狂人的な思想と行動力に妻のお竜が「一期は夢よただ狂え」とエールをおくったのである。

自分だけの誇りを持ち続ける事は大切な事です。
たとえ偉業を達成する事が出来なくても、誇りだけは失わない様にしたいものです。

現代の政治家が「自分の誇りは日本人として生まれた事です」
「日本人としての意識が大切な誇りです」
「この美しい日本を誇りに思います」と大声で演説をするが、
坂本竜馬とは似て非なるものである。

本音ならこれも誇りには違いないが、あまりに抽象的で具体性がない。

アメリカとイギリスで教鞭をとった数学者藤原正彦先生は、
「海外に出て戦う場合は経済など何の役にも立たない、自国の歴史、伝統とか生み出して来た文学、
芸術、学問などの文化に誇りを持っているかどうかである。」と述べている。

政治家のみなさんも自国の伝統文化を学び、しっかりとした誇りを持って欲しいものです。

それに比べて、矜持は自分の経験や秀でた能力を開示する事であり、
自尊心と誇りを合わせ持った意味を含むのです。
他よりも秀でた部分に自信を持って言い切ることである。

2007年のWBCのイチロー選手は韓国戦に二敗した時に「今まででこれほどの屈辱はない」と言い切った。
一部報道では韓国を侮辱した発言のように捉えているものもあった。

しかし世界的に活躍しているイチローは、侍ジャパンの一員として戦い、
あまりにも不甲斐ない結果に、相手の国に怒っているのではなく、自分自身に怒って発した言葉と言っていた。

自分の誇りはサムライジャパンとして闘う事です。
日本人として絶対的使命をもって勝たなければならない時に勝たなければ何も意味が無いのです。

イチローは、それ程強い自信と誇りを胸にしてWBCの戦いに臨んでいたのである。

勝つという事は勝ち負けの勝つだけでなく、勝負に負けても試合に勝つこともある。
それは責任と誇りを持ち正々堂々と戦うことが試合に勝つ事である。

これこそが矜持なのである。

学校の教師が早期退職をすれば満額の退職金が貰えるからといって職場を放棄する。
子供達に規律を教え、善悪を教え、使命感を教えていた教師が卒業前に退職する。

教師を何十年も努めていた人間が「家のローンを払わないといけないから仕方が無いでしょう」と
インタビューに応えていた。言語道断である。

子供の教育と家のローンを量りにかけて教鞭をとっていたのである。

日本人としても人としても誇りの無い人達である。
ましてや矜持の一かけらも持たない人達なのです。

聖職という意味をもう一度辞書で引いて貰いたいものです。

他の職業よりも不景気に関係なく給料が良い。
規定年数を越えた教員が管理職試験を受けて教頭や校長になる。
没後には位階か勲章が授与される。夏休みや冬休みがあって服装も自由である。

親達が教師を馬鹿にするのは、先生達がサラリーマン化している事が分かるからです。
だから俺達が給料を払っているのだから、言う事を聞きなさいになるのです。

子供達が教師を尊敬できないのは、矜持を持ち正々堂々としていないからです。

日本人の矜持を今一度考える時期ではないのでしょうか。

 

 

伝説のスピーチ

 

1992年のブラジル、リオでの地球環境サミットで
セヴァン・スズキという日系四世の12歳の少女が「伝説のスピーチ」を行いました。

どうしてもこの伝説のスピーチが知りたくなり、YouTubeで見る事が出来ました。

先ずは圧倒されます。理路整然とした内容に、抑揚をつけた声でハッキリとスピーチしています。
原稿が素晴しい。自分の意志が十分に盛り込まれていて、この内容を誰に伝えたいのかが明確に分かる。

良く通る声である。舞台役者でも敵わない表現力である。
スピーチ中の彼女の表情からは、12歳という年齢と少女という甘えは微塵もない。

聞いている各国の政治家や研究者達が圧倒されてしまい唖然としている姿が映し出されている。

「どうやって直すかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。」
学校で、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます

「ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているのですか。」

あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。
「もしその言葉が本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。」

世界の代表者を相手に対等の立場で発言しているのです。

大人は言葉を組み立てるのが上手です。しかし組み立て過ぎて本質を失います。
子供は言葉の組み立てが未熟です。しかし飾りなき言葉だから胸を打つのです。

彼女は現在32歳、環境問題活動家として活躍を続けている。正に地球のダンヌジャルクのようです。

「2009年エルサレム賞村上春樹氏の授賞式スピーチ」

わたくしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
小説家の嘘は大きければ大きいほど評価される。
ましてやそれを非道徳的と批判の対象にはならないのである。

今回の授賞式出席にはかなりの数の日本人から出ないように言われました。
出席すれば不買運動を起こすと警告する人さえもいました。

これらはもちろん、ガザ地区での戦闘の為でした。
1000人以上の非武装の市民が命を落としたのです。

この賞を受賞するという事はエルサレムを支持している事に繋がらないかとても心配をしたのですが、
反対者があまりにも多いので敢えて私は出席することにしたのです。

凄いですよね、
小説家として大成功して巨万の富を得ても真実を探る為に敢えて危険な場所に出向くのですから。

それもガザ地区に攻撃を仕掛けているイスラエルの首都エルサレムでのスピーチです。

私が最も感動した言葉は、
「非常に個人的なメッセージです。私の心の壁に刻まれているものなのです。
それは「高くて、固い壁があり、それにぶっかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」
その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。」

正直言ってこの言葉を聞いた時には驚きました。
エルサレムの中でこの様な発言をして大丈夫だろうかと心配しました。

「そして今我々の前には「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。
勝利の希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがいのなさを、
さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから
生じるものでなければならないでしょう。

「システム」がわれわれを食い物にすることは許してはなりません。」

この言葉は世界に同時に配信されたのです。
「システム」という言葉を色々な言葉に置き換えてみると、村上春樹が伝えようとした真意は分かるはずです。

この発言こそ私自身が感じる日本人の「誇り」なのです。
弱者救済の教育を受けた国民にしか出来ない行為なのです。

多勢に無勢で採決することを良しとしない国民だからです。

全ての弱者を排斥する考えが起これば世界の破滅の序章になります。
大切なのは遠くから発言するのではなく、互いの温もりが伝わる距離でする発言です。

「2010年ハーバード大学白熱教室、マイケルサンデル教授の講義」

「一人殺せば五人が助かる状況だったら、君ならその一人を殺すか」

豊かさが常に正しいという考え方を持つアメリカの、権威有る大学ハーバード大学での講義である。
その中から「今正義について考える」は大きな話題となった。

富の分配について富裕層から貧困層に再分配するのは弾圧だと哲学者ロバート・ノージックは言う。
しかし国家が決定した事だから正しいという意見と、多数の人が選んだり決めた事が、
全て正しいと判断するのは可笑しいと、反論する意見が出て来る。

それに対してサンデルは民主主義を否定するのかと追及してくる。

多くの教育者は自分の考えを押し付けようとする中で、サンデルの手法は学生達と議題を共有し、
意見を戦わしながら答えを見つけ出していく。
議論こそが民主主義の原点である事を教える。

まさにギリシャ時代の市民会議を彷彿させるのではないか。
目の前にアリストテレスやカント等の哲学者が出現するような緊張感漂う授業風景である。

ここで学生達はスピーチの重要性を学んでいく。
主張する事によって自分自身の「正義」を表明するのである。

日本人にとつて「正義」は道徳として当たり前に存在するが、他の国では「正義」程、難しいものない。

「正義」とは道徳的な生活に必要な判断力で、誰もが必要とする能力だという。
民族的、宗教的、国家的な考えからおこる「正義」は多種多様な意味合いを持つ事になる。

世界の戦争のほとんどが宗教から来る「正義」の主張である事が許せない。
道徳を武器にして戦う事が非道徳な行為だと理解できないのが不思議である。

サンデル教授の授業に参加をしたいものである。

世の中には沢山の名スピーチがあります。
スピーチから学ぶ事は多くあります。
それはこのような議論の機会に巡り合えて、討論を積み重ねることこそ名スピーチの発言者となるのです。

これからも気付く限り数多くの名スピーチを紹介して行きたいと思います。

そして最後にこの言葉を刻みます。

「スピーチの上手な人は偉業を達する。偉業を達した人はスピーチが上手だ!」

 

ならぬことはならぬものです

 

会津藩士の子供は、10才になると「日新館」への入学が義務付けられるが、
その以前に、6歳頃から子供達には藩士としての心得が繰り返して教え込まれた。

それが有名な「什の掟」である。いうまでもなく、会津精神の基本だ。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ

二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

三、虚言を言うことはなりませぬ

四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

五、弱いものをいじめてはなりませぬ

六、戸外で物を食べてはなりませぬ

七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

NHK大河ドラマ「八重の桜」でも子供達がこの言葉を素読する場面が印象的でした。

会津藩には子供たち(13歳~17歳)で結成された白虎隊があった。

慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発し、
会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。

白虎隊は本来予備兵力であった。
隊は士中隊、寄合隊、足軽隊から成り、充足数はおよそ340名程度とされた。

結果総勢20名が自刃を決行し、一命を取り留めた飯沼貞吉を除く19名が死亡した。

当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、
敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ、
いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、
城が焼け落ちていないことを知りながらも飯盛山で自刃を決行したという。

13歳~17歳の少年達の決意である。

白虎隊士墓のある飯盛山には、戊辰戦争時に自刃した
武家女性や討ち死にした婦女子約200名の霊を慰める石碑の「会津藩殉難烈婦碑」がある。

上記のような事が約140年前に福島県で起こっていたのである。

子供も大人の女性までも行き恥をさらすのであれば、自害した方が良いとみずから命を絶ったのである。

会津藩の隣の藩水戸藩でも「子年のお騒ぎ」として改革派と保守派でわかれて争って来た歴史がある。
古い恩学の「忘れて成らぬ出来事」のなかで詳しく書いている。

水戸藩の中の争いが幕府も巻きこむ大騒動になり、
幕府から討伐軍を指し向けられて「賊徒」として扱われた事件で有る。

悲惨なのは賊徒の中心とみなされた家族が斬首刑に処せられる場面である。

殺されると分かっていても母親が子供に牢内で論語を教える。
母親に悲しい姿を見せたくないからと子供が母親に斬首の先を譲る。
斬首の前に出た食事に手を差し出そうとした幼子に、
武士の子は死んだあとに腹の中に物が入っていると恥ずかしいからと遮る。

ならぬことはならぬものです

今の世の中ならぬことをなるようにしてしまっていることが多くあります。
私達の先祖が経験して来たことが活かされていません。

世界に誇る日本人の毅然とした精神性が失われてしまったのです。
会津藩や水戸藩で起こっていた事実は僅か140年~180年前の出来事です。

 

誇くらぶ

 

2009年にやむにやまれぬ思いから「誇くらぶ」という会を立ち上げました。

会の主旨は日本人の心の源流を探し出そう、日本が誇る職人さんと話そう、
日本の良い所をもう一度見直そう、
海外のお客さまに日本の文化を質問されても答えられるようにしましょうでした。

私も海外からのお客様からこのような質問を受ける事がよくあります。
能と歌舞伎の違いは、茶道の流派は、尾形光琳の代表作は、八百の神の由来は、
中国の漢字と日本の漢字の違いは等々です。

それぞれの分野の専門家をお呼びして勉強会を始めました。
芸者さん、和菓子職人、書道家、和服着つけ師、大学教授の皆様の協力には心から感謝いたしております。

毎月一回勝海舟や乃木将軍のゆかりの地赤坂の料亭で開催をいたしておりました。
現在、会は主宰者の都合で休会しております。
機会があれば又再開をしたいと思っております。

ここ数年日本の各地で同じような会が発足をしたのを聞いております。
日本を見直す時期に来たのだと思います。

一過性のブームという言葉で終わらせないようにしたいものです。

村でも町内でも都会でも会社でも学校でも、「日本を見直す」会をどんどん発足させて頂きたいものです。
市井の人達が教師になり寺子屋形式で増えていくのが理想です。

いつまでも海外の文化に迎合することなく、日本独自の文化に触れることも大切な事ではないかと思っております。

歴史と文化の「草莽崛起」のような運動が起こる事を期待しております。

ほら!!

 

自分の事は自分が一番良く知っているつもり。しかしほら!!!

「見る」

なんでも見えると思っているのは勘違いである。

ほんとうは近い物でも見る事が出来ない。

何故なら一番近い右目を左目から見る事は出来ないからである。

「聞く」

周りの音より大きな声でしゃべるんじゃない。

もっと聞く努力をしなさい。

あなたを守る自然はとてもおしゃべりだから、その声も聞いてあげなさい。

「匂う」

バラの花を匂う。果物の香りを匂う。

好きな人を匂う。晴れ渡った日の大地を匂う。

色々な匂いを嗅ぐけれど、怪しげな人の匂いも分かるかな!

「話す」

自分の言いたい事ばかり言うんじゃない。

自分の存在を示したいからといって、他人の口を塞いでいけない。

相手が3しゃべったら、自分は1ぐらいが丁度よいのです。

「触る」

痛いところを触ってあげなさい。

チチンプイプイ飛んで行けと言ってあげて下さい。

好きな人の手を握り締めてあげて下さい。

ギュッと抱きしめてあげて下さい。

エネルギーの交歓が大切なのです。

ほら!!気分がよくなるでしょう。

「知る」

知っているつもりでも本当は何も知らない。

何故なら自分のお腹の中に何があるかも知らない。

腹に落ちない。腹に一物。腹が黒い。腹を固める。

もしかしたら腹の中には悪人が住んでいるのかもしれない。

「食べる」

ミシュランのガイドブックを見ながら星めぐり。

今日は幾つの星の店に行くのかな。

いつも何を食べたかばかり言うんじゃないよ。

誰と食べたかが大切なのだから。

どの店に行ったかが重要じゃなくて、誰と行ったかが重要なんだよ。

「歩く」

銀座の聾唖のホステスさんが言ってた。

少し止まるから歩くという字になるんだって。

だから歩いていてもたまには止まらないと駄目だよ。

がんばりすぎているのかな。

「ほら!!」

自分の事は自分が一番良く知っているつもり。しかしほら何も知らないよね。

世渡り「リア王」

 

シェークスピア「リア王」の三姉妹姉のゴネリルとリーガンは世渡り上手で、
正直者の末娘コーディーリアは世渡り下手である。

と言っても「リア王」を読んでいない方は何のことかは分からないと思います。
「リア王」はシェークスピアの四大悲劇「ハムレット・マクベス・オセロー・リア王」の一つです。

特に「リア王」の作品が、世界的に評価が高く今なお各国で上演されています。

年老いたリア王が財産分けをする時に、自分のことをどれほど思ってくれているか娘達に質問をします。
世渡り上手な姉達(ゴネリルとリーガン)は期待通りの答えで、リア王は喜び領地を与えるが、
末娘(コーディーリア)は真実を伝えて追放されてしまいます。

リア王が一番可愛がっていた末娘コーディーリアも適当にごまかして、その場を繕えば姉達と同じように、
いやそれ以上のよい領地を分け与えられていたかもしれなかったのです。

しかし、その後リア王は財産分与の後に、長女と次女の二人に裏切りにあう。
そして追放されたあげくに気がふれてしまうのです。

最後はリア王を助けに来た末娘コーディーリアと囚われの身となり、末娘は絞殺されて獄中で亡くなってしまう。

正気を失ったリア王も末娘コーディーリアの亡骸を抱きかかえながら悲劇の死を迎える。
勿論、姉二人も醜い骨肉の争いで非業の最期をとげるのです。

今回はそんな、世渡り上手な女性5つの特徴をまとめてみました。

1.人の話を聞き出すのが上手い
世渡り上手は聞き上手。話を聞くのも引き出すのも上手い。
彼女たちを目の前にするとついつい多くを語ってしまう。
タイミングのいい相槌や心地良い話し口調は天性のもの。

2.秘密が多く、自分のことはあまり語らない
話を聞くのも上手いが、はぐらかすのはもっと上手い。
自分は語らずに、相手の情報を聞き出すとこを得意としている。
よく考えてみると、彼女たちのことは何も知らない。

3.年上に好かれやすい
先輩、先生、上司など、とにかく年上から可愛がられる。
学校や仕事場で円滑な人間関係を築いているため、有益な情報はすぐに彼女たちのもとへ。
その分得をしているのは言うまでもない。

4.面倒事を察知する能力が高い
ケンカや揉め事になる前にその前兆を察知する能力に長けている。
大事になる前に身を引く術を知っているため、ややこしい話はいつも一歩引いて見ている。
まさに、触らぬ神に祟りなし。

5.なんだかんだ常に笑顔で負のオーラを感じさせない
世渡り上手な女性に負のオーラはない。
なんだかんだ常に笑顔を絶やさずにいるため、彼女たちを嫌いな人はそうそういない。
羨ましいと思いながらも、その笑顔に癒されているのも事実。
ただ上手く立ち回っているだけでは、彼女たちのようにはなれない。

(YAHOO!JAPANネタりかより抜粋)

これを読まれている方々が特に気を付けなければならないのは、
この世渡り上手の女性の特徴こそが「フレネミー」になる可能性を持っているという事です。

アメリカの学園ドラマで話題になり若者達の流行語にもなった「フレネミー」。
友達のフレンドと敵のエイミーの造語です。

一番信頼を持っていた友人が、実は一番の裏切り行為をする敵だったという事です。

リア王もこれを知っていれば娘達の裏切り行為を見抜いていたかも知れません。