それでも

 

「それでも」はマザーテレサの名言集の中の一文である。

我々にこの言葉の持つ意味を理解する事が出来るのだろうか。

この愛の凄まじさをどのようにして受け止めて良いのだろうか。

ここまでの覚悟をして人が神に近づく事が出来るのだろうか。

危険をものともせずに終わり無き愛の奉仕活動である。

敬服の極まりで有る。

 

<それでも>

 人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。
それでも彼らを愛しなさい。

 もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか、
何か隠された動機があるはずだ、と非難します。
それでもいい行いをしなさい。

 もし、あなたが成功すれば、不実な友と、
本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。

 あなたがした、いい行いは、明日には忘れられます。
それでもいい行いをしなさい。

 誠実さと親しみやすさは、あなたを容易に傷つけます。
それでも誠実で親しみやすくありなさい。
あなたが歳月を費やして建てた(完成した)物が、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも建て(完成し)なさい。

ほうとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら、
彼らに襲われてしまうかもしれません。
それでも彼らを助けなさい。

持っている一番いいものを分け与えると、
自分はひどい目にあうかもしれません。
それでも一番いいものを分け与えなさい。

「カルカッタの(孤児の家)の壁に書かれた言葉より」

 

ロビン・ウイリアムス主演の映画
「パッチ・アダムストゥルー・ストーリー」は、
実在の医師パッチ・アダムスの物語である。

本当の医師の在り方を追求した感動の作品である。

学生時代からボランティアや奉仕活動に精を出して
無料診察の病院を仲間と共に開業する。

小児病棟を回ると時には
クラウン(道化師)の恰好をして見回ることで一躍有名になる。

難病で苦しむ子供達にとって笑いが一番の薬で有る事を実証した医師である。

何故、この映画をこの文章で取り上げたかというと、
映画の中で奉仕活動をするけなげな女学生が、
面倒をみていた患者から惨殺されてしまうシーンを思い出したからである。

正しい行いをしていても、神は非情にこの女性を見限ったと思ってしまっていた。

マザーテレサの「それでも彼らを助けなさい」という言葉に出合わなかったら、
私は永遠に真実奉仕の意味を理解する事は出来なかったかもしれません。

本当の奉仕とは見返りをもとめずに自己を消す事なのだと知りました。

パッチの「7つの信条」

ひとをケアする理由はただひとつ。人間を愛しているからです。

ケアは愛を動詞化する。ケアは概念ではなく、行動です。

ひとを思いやるという人生を送ることによって、あなたは自分のなかで一番深い平和と安らぎを得る。

良い意味のお返しをすること(良きカルマを積む/カルマからの解放)。
例えば、米国がアフガンに爆弾を落とし始めたとき、私はアフガンの人々を愛したいと思い、即座に現地に飛んだ。

平和のためにクリエイティブになる。例えば、死の床でアメイジング・グレイスを歌う。

情熱を持ち、不可能だと思っていた夢を見る。

ひとをケアすることは、科学的見地からしても、あなたのためにいいことがある。

世界中に愛の伝道師が存在する限り、ぎりぎりのところで平和と安全は保たれているのです。

どのような状態になっても、それでも人を裏切ってはならないのです。

 

 

ありのまま

 

一休禅師(1394~1481)に面白い話があります。

ある日、一休さんは一本の曲がりくねった松の鉢植を、人の見える家の前に置いた。

「この松をまっすぐ見えた人には褒美をあげます」と、小さな立て札を鉢植に懸けたのである。
いつの間にか、その鉢植の前に人がきができた。
誰もが曲った松と立札を見て、まっすぐ見えないかと思案した。

だが誰一人として、松の木をまっすぐ見ることはできなかった。

暮れがた、一人の旅人が通りかかった。
その鉢植を見て、「この松は本当によく曲りくねっている」と、さらりと一言。
それを聞いた一休さん、家から飛び出てきて、その旅人に褒美をあげたという。

その旅人だけが松の木をありのままに見たのである。

他の人は一休さんの言葉に惑わされてしまった。
褒美に目が眩み、無理に松の木をまっすぐ見ようとしたのである。
(『大法輪』昭和六十三年二月号、藤原東演「臨済禅僧の名話」参照)

鉢植えで思い出した文章があります。「鉢の木」という題名です。

ある日、上野国佐野に、信濃国から鎌倉へ向かっているという僧侶がたどりつきました。
しかし、その日はあいにくの大雪。
夜も更けてきて気温は下がるばかり。

僧侶は一晩の宿を求めて近くにあった家を訪ねました。

家の主、佐野源左衛門常世は悩みました。
家はとても貧乏で、僧侶をもてなすことなどできないと思ったのです。

その為に一度は断ったものの、トボトボと去っていく僧侶の後ろ姿を見て、
何とか泊めてあげることにしました。

しかし、家には薪もなく、食べ物も冷えた粟飯ぐらいしかありません。
気温はどんどん下がり、体は芯から冷えてしまっています。

その時です。源左衛門は急に立ち上がると、梅・松・桜が植えられた鉢を持ってきました。
僧侶がその美しさを褒めようとするや否や、
源左衛門は鉢から木を抜きとり、囲炉裏にくべてしまったのです。

「貧しい我が家では何ももてなすことができません。
せめて体だけでも温まってください・・・・・」

しかし、僧侶が家の中を見渡してみると、立派な薙刀や鎧が納められている箱がありました。
僧侶が不思議に思って話を聞くと、いろいろなことがわかりました。

彼はこの一帯を治めていた武士でしたが、今は領地も没収され、苦しい生活を強いられていました。
しかし、幕府への忠義の気持ちは変わらず、鎌倉で一大事が起これば、
薙刀と鎧を持ち、痩せ馬に乗って馳せ参じるつもりでいたのです。

僧侶は言葉もなく、うなずきながらこの話を聞くだけでした。
そして翌日、礼を言って家を後にしました。

しばらくしたある日、鎌倉幕府から「急ぎ鎌倉に集まれ」との命が各地に発せられました。

源左衛門も痩せ馬に乗り、鎌倉に駆けつけます。
しかし、鎌倉で彼を待っていたのは、あの時の僧侶でした。

「佐野源左衛門常世、あのときは世話になったな」

そうです。あの僧侶は時の執権、北条時頼だったのです。
そして彼は源左衛門の忠義を褒め称え、佐野の領地を取り戻してあげました。

さらに、あの時に薪にされた梅・松・桜の木にちなんで、
梅田、松井田、桜井という3ヶ所の領土を源左衛門に与えたのです。
「ちょっといい話」佐藤光浩著

この二つの話が、ありのまま、見えたまま、
感じたままの素直な心が大切である事を教えてくれます。

この反対の物語も存在します。誰もが知っている
アンデルセンの童話「裸の王様」の話です。

異国からきた仕立屋に、世界にひとつしかない服を注文します。

仕立屋が作って来た服は、誰にも見えない架空の服です。
この服こそ世界でひとつしかない貴重な服「頭の悪い者や、
悪人や、仕事を嫌う者には、この服は見えない」のだと説明をします。

王様も家来も見えない服をほめちぎります。
挙句の果てには、詐欺師に騙されたとも気付かずに、
王様はお伴を連れて街中を歩き回る事になるのでした。

街中の人も、その服の話を聞いていたので、
見えない服を一生懸命見ようとしました。

しかし、その時、一人の少年が「王様は裸だ」と叫びます。
周りの大人達も、王様のお伴もみんなびっくりするのですが、
真実なので子供を叱るわけにはいきません。

気付いた王様も顔を赤くして慌ててお城へ逃げて帰りました。

自意識が高く私利私欲が絡むと「ありのまま」の姿を見る事が出来なくなります。

家来たちも皆と同じ意見に賛成していれば、自分一人に災いは起こらないという気持ちから、
見えていない姿を見えているように表現してしまったのです。

一般社会にも、これに似た話は沢山あります。
自分に一定の見識が無く、ただ他の説にわけもなく賛成する人達を「付和雷同の輩」と言います。

社長や上司の言う事には、決して反対する事もなくただ盛り上げるだけの人達です。
政治家にもこのタイプは多いですね。イエスマンの集団です。

まったく「裸の王様」の家来たちと一緒です。

みなさまは「ありのまま」の姿を見る事ができますか。そして感じたままの発言が出来ますか。

 

同調

 

いい人の仮面をかぶった人が集まると、暗黙のうちに「同調」を強いられることが多い。

取合えず上司に先輩に年配者に調子を合わせろというのである。
この様な場合は筋が通らない話が多い。

筋が通らなくても納得しろというのが日本人の考え方である。

空気を読めという言葉もガキじゃあるまいし社会人なら言わなくても理解しろである。
まさに理不尽である。

何故かいい人達はすぐに群れたがる。
そして群れて話し合うのが好きなのである。

しかし、その話の大半は前向きなことよりも愚痴と妬みと嫌みがほとんどである。
自分達と同調しない連中の事をやり玉に挙げて欠席裁判を繰り広げて酒の肴にするのである。

いい人達は面と向かってあいてに言えないので陰口を繰り返すだけである。
これでは学生時代のいじめと大差はない。

大方の人は上司や同僚の誘いを断れば社内での立場が弱くなる心配と
万が一失職するのが怖くて同調しているだけである。

しかし最近の新入社員は空気を読むことも失職も怖がらない。

自分の能力が活かされない会社ならさっさと辞めてしまうという考えである。
だから近年30歳前の離職率が高くなってきている。

くだらない人間関係で自分が潰される前に逃げ出すのである。
ある意味では賢明なのだが、どこの会社も似たり寄ったりなので転職しても同じ目に合う筈である。

会社というエリアではいい人達に疑問も反論も持ってはいけないのである。
新入社員の女子社員もいい人達のセクハラには耐えなければならないのである。

しかしいつまでも自分達がいい人を演じる訳にはいかない。
どこかで同調することに反旗を翻さなければならないのである。

「同調」の反対は「不和」である。
つまらない付き合いに同調せず、仲間外れになることが「不和」である。

仕事が出来れば不和など恐れる必要は無いのである。
常に自己主張を明確にして仕事をすれば良いのである。

人間関係を良くすれば「楽」になるという考えから「同調」が生まれる。
気休めに楽にならなくても、誰もが認めるぐらいに働けば良いのである。

いい人の仮面を被った彼らに決して同調してはならない不協音を出し続ければいいのである。
理屈で反論する必要も無い「お前らは全員嫌いだ」「お前らとは群れない」と腹の中で言い続けることである。

勿論、大切なことはこんな非生産的な話は上辺だけで良いのである。
人間性まで失ってやるべきでは無い。

日本人は肝心なところに目を塞いで、善悪よりも「いきほい」のある人間を大事にする。
本質が失われて声の大きい方に同調するのである。
主題を忘れて、残り滓を大切にしても意味が無いのである。

「課長島耕作」の作家弘兼憲史の著作に「いいひとをやめる」があります。

その中で危機感のない「いい人」という章があります。
上司にも部下にも同僚にも、「いい人」が蔓延してしまえばその会社は危うい。

現実問題として「いい人」ばかりの会社はあり得ない。
あればとっくにつぶれているからだ。

「いい人」に属さない人間、つまり横並びには収まりきれない人間が必ずいて、
傾きかけた会社の業績を立て直したり、新製品を開発してヒットさせたりする。

だからいま元気な会社、活気ある会社には「いい人」が少ない。

大人ぶった人間などごく一部分で、ほとんどの社員が子供のように無邪気に仕事する。
議論も活発だし、上司と部下がケンカ腰でぶつかり合う。

ということは、落ち目の会社は「いい人」が増えつつあるのだ。

若者達へぶつかり合う「同調」もあることを知っていて欲しい。
音楽でいうところの不協和音である。
互いに考えが違っても尊重し合って意見が交換できることである。

それを「調和」といい美しい音になるのです。

一番危険なのは付和雷同がたのぬるま湯の「同調」である。
このような「同調」からは雑音しかうまれない。

 

想いを伝える

 

相手に想いが伝わらないのは伝えようとしていないからだという文章を読みました。

心の扉を開けなければ伝わらない。一方的な情報では見向きもされない。
だからこちらの方へ眼を向けさせることをしなければならない。

相手の興味のある情報、相手に取って価値ある情報を提供しなければならない。
もっともな考え方である。

しかしこれが出来れば何も問題はないが、これが出来ないから悩むのである。
そして注意しなければならないのは、相手を意識するあまり「媚」をうってしまう事である。

「ヒットのツボ」という話の中で、ヒットを作るのには他人に媚びてはならない。
他人に受けようとする考えからはヒットが生まれないと書きました。

しかし消費者を意識しないでヒットを作ることはできません。

私の場合は送り手と受け手が共有の価値観を持てるかにポイントを絞っております。
近江商人の三方の教え「売り手よし・買い手よし・世間よし」が基本です。

ある意味プライドを持ってこちらの情報を提供します。
自信を持った商品ですから堂々と紹介すべきだと思います。

しかし、ここ近年送り手側が消費者に媚びた感じがしてなりません。
間違った下から目線で消費者が衝動買いしそうな(?)商品ばかりを一方的に提案しています。

壊れない商品、使い捨ての商品、セールス専用の商品を東南アジアで大量生産するのです。

単一商品の品質に拘るのではなく、大量消費を目的としているのです。
その結果、値引き競争が起こりどんどん価格が下がり自分達の首を絞めています。

簡単に言えば「プロの素人化」です。

常に素人目線で考えたつもりが、消費者は送り手側の意図的な「媚」に気付いてしまうのです。
このようなことが商品離れの原因を作ってしまっているのです。

プロがいたずらに素人と情報を共有してしまうと、プロが素人と同化しているということになるのです。

プロとしてネット上の情報を100%信じている人はいないと思いますが気を付けなければなりません。
ネット上の情報は三分の一が捏造された情報です。そして三分の一は既に終わってしまった情報です。
残り三分の一が欲しい情報のコアの部分です。

コアの情報とは興味のある人には必要な情報なのですが、
それ以外の人にとってはまったく価値のない情報です。

プロはコアの情報を探し求め分析して利用しなければなりません。
その手間暇がプロには必要なのです。

プロはお客様が予想もしなかった商品を開発するのが役目です。

基本的には消費者はプロの企画書や提案書が分からなくても良いのです。
そして途中段階の作業も何をしているか分からなくて良いのです。
完成した時点で初めて形を見せて驚かせるのがプロの仕事なのです。

映画やお芝居の世界と同じです。
難しい脚本や台本はスポンサーに分からなくてもよいのです。
文章からイメージできない人に熱く語っても仕方のない事です。

それよりも完成された作品をみて感動してもらえれば良いのです。

これは傲慢では無くプロとしての自覚の問題です。
クリエイティブの仕事はクリエィターが興奮した状態の中からでしか生まれることはありません。

それでも作り手とクラインとは情報をクローズするのではなく、
互いに情報をオープンにして慎重にやっていかなければならない時代です。

同じ方向に視線を向けて同じ目的を持たなければなりません。

みんなが理解出来る、みんなが知っている、だからリスクが少ないという考えからは、
決してクリエイティブな新商品は生れないのです。

売れる事よりも売ることに臆病になって慎重過ぎると現在の様に個性の無い商品が溢れてしまうのです。

ソニーが衰退した大きな原因は技術者の意見より株主の意見を多く取り入れたからです。
売り上げ重視に目を向けて消費者がワクワクするような商品開発を怠ったからだと思います。

犬型ロボットAIBOやプレステーションは作らなかった方が良かったのです。

物作りに「媚」が入れば必ずこのようになるのです。

そして相手に想いを伝える時に、一番気を付けなければならない事は、
相手の興味ある情報、価値有る情報を意識しすぎて、自分の本音が伝わらないことです。

断れることを恐れずに勇気を持って自分の本音を伝えて下さい。
それが相手の心の扉を開くことになるのです。

私はいまも現役で仕事をしております。
自分が正しいという想いを音楽で表現するだけです。

現在、世の中が大変な状況のなかでワクワクしております。
何故ならばこんな世の中だから良き音楽が必要とされるからです。

いまも音楽を通して想いを伝えている真最中です。

 

夢より米

 

「ゆめ」より「こめ」と言った人がいます。
どんな素晴らしい夢を語っても飯の食えない状況じゃ説得力を持たない。

夢を語るには夢を語るだけの、
背景がしっかりとしていなければならないと言ったのです。

成功者は「ゆめ」と「こめ」を手にしている人です。

江戸時代の儒学者佐藤一斉は「私欲の制し難きは、
志の立たざるに由る、志立てば真に是れ紅炉に雪を点ずるなり。
故に立志は徹上徹下の工夫たり」人が自分の欲望をおさえられないのは、
志が確(しっ)かり立っていないからである。

志が立っていさえすれば、欲望なんかは真っ赤に燃えている
炉の上に雪を置いたようなもので、直ちに消えてしまうものだ。

だから立志ということは、上には道理を究明することから、
下には日常茶飯事に至るまで上下全てに徹するように工夫することである。」

全てに対して襟を正し、克己復礼を胸に、学問に精をだせば
欲が起こらず志が立つということである。

志が立てば煩悩は消え去るということである。

佐藤一斉の弟子、吉田松陰も松下村塾で若者達を教育しながら、
改革の熱き夢を熟成させていたのである。
その結果行動を起こし囚われの身となって
「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」と
思想家らしい句を読んだのである。

彼自身が残したかったメッセージは理不尽な幕府に対してではなく、
後に続く若者達に向かってだった。

知識が有っても行動をおこさなければ何も意味が無い、
「至誠にして動かざる者は未だこれに有らざるなり」、
そして死をも恐れない気持ちがなければ革命等できないということを伝えたかったのだと思う。

そして吉田松陰の弟子高杉晋作は、
「友の信を見るには、死・急・難の三事をもって知れ候」と革命家らしい句を読んだ。

信頼のおける友達というのは、いざという時には命をかけて急場に駆けつけ、
共に難事を乗り越える気概のある人間をいうのである。

そして27歳の時に肺結核の病で亡くなったのである。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」と辞世の句も読んでいる。
自由奔放に生き抜いた高杉晋作らしい生き様である。

しかし、以前から気にかかっていた事が一つある。
幕末の志士が紹介される度に、彼等はどのようにして生活費(こめ)を手に入れていたのかである。

それでなくても禄高の少ない下級武士の次男坊、三男坊が多かった筈だからである。
中には武士でなく貧農の百姓の子や一般の貧しい家の子もいたと思われる。

彼らに取って飯と寝るところの確保は重要な問題であり苦労が多かったのではなかろうか、
それとも志を同じくする者同士で助け合ってなんとかやり過ごしていたのだろうか。

それとも心ある篤志家達からの援助を受けていたのだろうか、この辺りのことが書かれている書物は一切ない。

歴史も人物史も表面上の成功譚がおおく、その内面の生活する苦労話が少ない気がする。

革命を起こすという「ゆめ」があれば「こめ」の話をしてはいけないのだろうか。
「武士は食わねど高楊枝」苦労を表に出す事を恥とする風潮が有ったことは確かである。

しかし私の記憶の中には一冊の書だけが「ゆめ」と「こめ」の両立の厳しさを描いているのがある。

それは中国の孔子の物語である。
孔子が国をでて諸国巡遊の旅の途中で食糧が尽き餓死する寸前まで追い詰められた話である。

陳国から負函をめざす旅の途中、陳国辺境の小さな集落に辿り着き、
大きな池の周辺で陣取ってみんな腹をすかして仰向けに倒れていました。

そのとき弟子から「君子でも窮することはあるのですか」と問われ、
孔子は「君子固(もと)より窮す。小人、窮すれば斯(ここ)濫(みだ)る」と答えた。

それを聞いた弟子達は泣きながら全員地に伏せたという。

そして翌日子貢がどうにか食料を手に入れて来て難を逃れた話である。
当然このような状況は想像に難くない。

50を過ぎた無職の人間が弟子をひき連れて職探しの旅である。
まわりの人間からは「能書きばかり言って飯もろくすっぽ食えないじゃないか」と笑われていたのである。

まさに「夢」より「米」なのである。

その後孔子は弟子を引き連れて魯の国に戻り72歳までの一生涯を教育に専念したのである。

喜劇王チャールズチャップリンの名言
「人生に必要なものは、勇気と想像力。それと、ほんの少しのお金です。」

「夢」を目指すから「米」が必要なのである。「米」をたらふく食べたいから「夢」を見るのでは無い。

 

時代につかまる

 

時代につかまる能力があるか。
ビジネスプロデューサーにとってとても重要なことです。

何冊ビジネス書を読破しても、何度セミナーに出席しても、
様々な資格試験を受けたとしてもその能力は開発されない。

いわゆる、知識ではなく洞察力の問題なのです。ものの本質を見抜く力です。
上辺だけでなく内面を正しく想像する力なのです。

ではどのようにしてその洞察力を磨けるのかということです。

大前研一氏は、こう述べている。
「洞察力は創造性をもち、ある程度まで直感的で、ときとして現状打破の傾向を帯びているので、
そこから生まれる計画は、分析的な観点からはつじつまの合わないことさえある。

しかしそうした計画のなかに創造的要素があり、計画を生み出した人間の精神力と意志の力が存在するからこそ、
異常なまでの競争力を備えた戦略が生まれてくるのだ」。

「何が正しいのか分からないという状態に平然と耐え、チャレンジした先にこそ答えがある。
自分だけではなく、誰も答えが分からない物事に対して、自分で仮説を立てて立証していく
「勇気」と「しつこさ」を持つ…。これが21世紀を勝ち残るうえで、個人にも集団にも最も必要な能力だ。」

常識に囚われていれば一定の方向でしか物事の結論を導かないが、
個人の直感の中に潜む想像力を働かせて、別方向の答えを探し出さなければならない。

その為には仮説を組み立てる能力が必要である。そして探し出す忍耐も必要だと言っているのです。

ロダンは、こう述べている。
「一度ならず科学の間違っている事がありました。
ある時には理屈でできないものがあって、科学を棄てて、自分の本脳の働くに任せねばならない事がありました。
自分を流れ漂うままにして置くようなことです。

奇妙な事には正確な科学に全然属しているとわれわれに見える事物までが同じ法規に置かれます。

私の友だちの造船家が私に話したには、大甲鉄艦を建造するには、ただそのあらゆる部分を数字的に構造し
組み合わせるだけではだめで、ただしい度合いにおいて数字を見出し得る趣味の人によって加減されなければ、
船がそれ程よく走らず、器械がうまくゆかないという事です。

してみれば決定された法規というものは存在しない。

「趣味」が至上の法規です。宇宙羅針盤です。しかしながら芸術にある絶対の理法もあるべきです。」

理屈に囚われると数字上の整合性が絶対で問題の本質も数字で割り出そうとしてしまう。
しかし、そこに遊びを取り入れることによって予期せぬ結果がうまれることがある。

遊びとは経験から生みだされる直感力です。
理屈の世界とはま逆のイメージの世界です。

芸術家は自然の中から理論よりも遊びの部分(洞察力)を多く学びとるのです。

宮大工西岡常一はこう述べている。
「自然石の上に立てられた柱の底は方向がまちまちです。地震が来て揺すられても力のかかり方が違いますわ。
それとなによりボルトのようなもので固定されていませんわな。
ですから地震が来ましたら揺れますし、いくらか柱がずれるでしょうな。

しかしすぐに戻りますな。こうしたそれぞれの違った「遊び」のある動きが地震の揺れを吸収するんですわ。
そりゃ計算は立ちませんやろ。こう来たらこない動くということ全部がわかるわけやないんですから。

木の強さも全部違いますし、石の振動も違いますからな。
それでもこの方法がいいということは法隆寺の建物が証明してくれてますな。」

学問で学んだ基準で設計図をひくと土台と木をしっかり固定することになる。
十字掛けの金具を柱の継ぎ目につけて揺れの補強にする。

西岡が言うように木の癖も考えず、平らなコンクリートの土台に取り付けてしまえば、
地震の時には揺れが全部同じ方向になる。だから倒れやすいということになる。

職人の口伝による智慧こそ洞察力の基になるのです。

ビジネス書に書かれていることを忠実に守ったとしても、微妙な経済の揺れに各企業は対応できないのです。

その為に個人の予測にもとづいて仮説をたてることが重要です。
仮説を立てる時に必要なのは洞察力であり、その洞察力は物事の内面を見極める力です。

大前研一氏もロダンも宮本常一も言っていることは、常識的な科学や数値にとらわれずに内面を観察し自由な発想から
次の現象の予測を立てて、将来起こるべき結果を読みとる力だということです。

新聞やニュースの分析に頼るのではなく、独自のデーターを収集して、先を読みとることです。

読みとる力(洞察力)は、文化・芸術の世界に触れることで鍛えられます。
すぐにでも洞察力を身に付けて現状を乗り越えて欲しいと思います。

今は時代に振り落とされずに時代につかまることが大切です。

 

巧言令色すくなし仁

 

スピーチがとても上手な人がいます。立て板に水を流すように理路整然と話をされます。
言葉に強弱を付け身振り手振りを交えてまるで舞台の役者のように語ります。

一度聞き惚れるとまたそのスピーチを聞きたくなります。
そして、その言葉に酔いしれるととても重要なメッセージだと錯覚をする事もあります。

誰もが理解可能なやさしい言葉の組み立てが上手なのです。
いま聞きたいこと、いま教えてほしいことの的を突いてくるのです。

話の合間に取り込むたとえ話が豊富で決してあきることがないのです。
そしてスピーチが上手人は見た目も楽しませてくれるのです。

そうなんです。スピーチが上手な人は五感に訴えて来る話し方をする人なのです。

古くはドイツのアドルフ・ヒットラーがそうです。
政治や力学を体系的に学ばなかったヒトラーを最終的に権力の座に就かせた最大の要因は演説であったと言います。

現在ヒトラーの演説と言えばおおげさな身振り手振りをし、
過激な言葉を怒鳴り散らすというイメージが強いのですが、
実は場合によっては演説の手法に手を加えることもあったようです。

例えば一般的に良く知られている激しい手法はどちらかといえば
教養の無い下層階級をターゲットとした演説であり、
知識人相手には穏やかに語りかける話術を使っていたといいます。

しかし、彼はホロコースト政策でユダヤ人を600万人以上も殺害しているのです。

中華人民共和国建国の父毛沢東も社会主義国家では誰もが「平等だ」と言い続けました。
「平等だ」を言った毛沢東こそ、権力の座を最大限に利用して「不平等」を押し通した張本人です。

毛沢東はいつも甲高い声で少しうわずったよう調子で激しく演説をするのですが、
湖南省地方の訛りがひどくて、聞いているほうは何を言っているのかわからなかったそうです。

周りは「毛主席は一体なんていっているのだろう」と思いながらも
万雷の拍手に飲まれて一緒に拍手をしていたといいます。

毛沢東が推進した急進的社会主義路線の完成をめざした「大躍進政策」は大失敗し、
発動されてから数年で2000万人から5000万人以上の餓死者をだしたのです。

これに文化大革命時の死者の数を合わせると未曾有の大量虐殺をした事になるのです。

ロシアのスターリンに関しては、個人的な一対一の話し合いも苦手で、演説するのも好まなかったそうです。
演説は素直で分かりやすかったが、思考の飛躍、警句、迫力に欠けていたといいます。

グルジア訛りが強く、覚えたロシア語もぎこちなく、単調であったため、表現力に乏しかったといわれます。
スターリンは指示や指令を出し、論文や記事を書き、新聞に論評するほうを好んだといいます。

彼は「貧民階級の味方」という聴衆の訴えによって人気を得ました。

そのスターリンの愚策によって大飢饉がおこりウクライナ地方と合わせると600万以上の人が亡くなったのです。

ソ連のスターリン、ドイツのヒットラー、中国の毛沢東、「世界三大大量殺戮者」として、共に揶揄されることとなった。

巧みな言葉を使い人を欺く事を「巧言令色すくなし仁」といいます。
その言葉に騙された結果が大量虐殺に繋がったのです。恐ろしい事です。

新しいところではアメリカのバラクオバマ大統領がそうです。

ときには宣教師のようであり、救世主のようであり、預言者のようでもあるのです。
演説の巧さと人を惹きつける魅力はカリスマ的であり、演説を続けるごとに支持者を獲得したのです。

政策は具体性に欠け抽象的・理念的な話が多いという評価がある一方、
演説の説得力はジョン・F・ケネディーの再来とも形容されるそうです。

アメリカは各国に武器を売り、至る所で戦争を仕掛けています。
オバマ大統領が原因ではないのですが、中東各地での死者は数百万人になっているとおもわれます。

今後アメリカの軍事政策、経済政策が間違えれば、自国での死者も大量に増やすことになると思われます。

多くの民衆は世相が悪化している時に強いリーダーの出現を望みます。
しかし歴史上をみればわかるように、強いリーダーの演説を信じて被害を受けるのは弱い民衆なのです。

ここからが大切な所です。「あなた達の為に」を連呼する人は要注意なのです。

「必ず」とか「絶対に」の言葉も注意しなければなりません。
興奮して一方的にまくしたてる話し方をする人には、危険信号を灯さなければなりません。

昔から口先が巧みで、角のない表情をするものに、誠実な人間はほとんどいないと言われています。

すなわち話上手な人は自分の理論に酔いしれているだけの人が多いのです。

 

波風

 

プールの中で泳いでいる時には波が立ちます。プールから出ると波は静かに成ります。

プールで泳ぐと心身に良い影響があります。しかし見ているだけの人には何も変化は起きません。
プールに自ら飛び込んで波を立てるか、何もしないで眺めているかはあなたの自由です。

しかし、自分が泳いでいるからといって、しきりに他人を誘いかけることはしてはならないのです。

言葉がなくて自分の泳ぎが上手だと、見ている方も自然と泳ぎたくなるものです。
バシャバシャ・バタバタもがくのではなく優雅な泳ぎ手にならなければなりません。

人間関係もこれに似ています。他人との付き合いはプールに飛び込むようなものです。

常に手足を動かさなければ関係は崩れて沈んでしまいます。
最初は波風が立ち、お互いに緊張しますが、徐々に慣れるので心配はいりません。

上手な付き合いができるとスムーズに心も身体も良い方向に進むものです。
少し泳いで少し呼吸をすれば問題ありません。無理をせずに自分に合った泳ぎ方をすれば良いだけなのです。

プールの上から見ている人は、緊張も無ければ泳ぐための息継ぎも必要ないのです。
そのかわりいつまでたっても信頼のおける人間関係をつくることができません。
同じプールで同じ泳ぎ手になり同じゴールをする事が大切な「絆」を作るのです。

プールに勢いよく飛びこんで見てはどうでしょうか。

頭からつま先まで全身ずぶぬれになってみんなの側までいくのです。
きっと笑顔で抱きしめてくれると思います。

上手な泳ぎ方も教えてくれると思います。
あなた自身が自ら泳ぎ手にならなければ、いつまでたっても変化はおきません。

波風を起こすのも楽しいものですよ。

私の友人の言葉です。「海はね、穏やかな時よりも少しぐらい波風が立った方が美しいのよ。
人生も少しぐらい波風が立った方が楽しいかもしれませんね」。私もそう思います。

おだやかな人生もよいのですが、すこし波風のある人生も楽しいとおもいます。

よくこの様な質問を受けます。「どのようにすれば良き人間関係を作る事が出来ますか」。

相手の気持ちが分からないから自分の本音も言わない。
嫌われたくないから傷つけないようにする。
メールのやり取りもあいづちを打つだけで疲れてしまう。

みんな良い人だから更に関係を深めたいのですがどうしてよいかわからない。

私が気になるのは最後の言葉です。
「みんな良い人」です。

良い人とはどのような基準で選んでいるのでしょうか。
上辺だけのやさしさや、見え過ぎた気づかいや、不愉快にならない笑顔のやりとりを総じて、
「良い人」と定義しているのでしょうか。

それは私に言わせれば「どうでもいい人」なのです。

本気で人生を語る時には互いの価値観の違いから言い争うかもしれません。
同じ目標に向かって歩いている時に怠けると叱責が飛んでくるかもしれません。
安易に失敗の言い訳などをした時には頭を叩かれるかもしれません。

泣いて笑って怒って傷ついて、それでも何度でも会いたいと思えるのが「良い人」なのです。

無理に好かれようと思わずに、嫌われてもよいとおもう関係から「良い人」が生まれるのです。

良い人の出会いを望むならプールに飛びこまない限り何も変化は起こらないです。
プールの上から眺めながらエールをおくっても伝わらないです。
一気に飛び込んでみてください。

プールの上からみていた景色とプールの中からみえる景色の違いに驚くと思います。
新たな感動もうまれると思います。
早く上手に泳げるようになれば良いですね。波風が立つプールも美しいものですよ。

 

ジェントルマンシップ

 

二十代後半生まれて初めて高級レストランで食事をしました。
その頃東京でも高級レストランと言われていた店は数十軒しかない時です。

今思えばナイフとフォークが数本ずつ並んでいるだけで、特別に高級では無かった気がします。

仕事相手の評論家の女性と六本木のイタリアンレストランマックローでの出来事です。
私が店を予約して招待したのですから当然仕切らなければなりません。

お店の方々もその辺りはよく心得ていて、すべては私の指示通りに動いてくれました。
私も緊張していたのですだが、彼女もとても緊張していました。

食前酒を飲みゆっくりした所で前菜が運ばれて来ました。
そんな二人に突然襲った出来事があります。

前菜と共にパンとバルサミコとバターが運ばれて来たのです。
悲劇の元はバターでした。洒落たバターケースに二種類のバターが乗っていたのです。

一方は黄色のハニーバターでもう一方は緑色のガーリックバターでした。

ご存じのようにハニーバターはパン用です。ガーリックバターはステーキ用です。(え!知らなかった)。
彼女はこともあろうにガーリックバターをパンに塗り食べ始めたのです。

ボーイさんが慌てて飛んで来たのですが、彼女に気付かれない様に手を指し出して制止をしました。
そして私も緑色のバターを塗って食べたのです。

気付かれずに難を逃れたのですが、さすがにガーリックバターは美味しくありませんでした。

お会計をレジで済ましている時に、店の女主人が私に「ナイスフォロー」と笑顔を掛けてくれたのです。
なんとなく若き紳士として対面がたもてたことに満足した一夜になりました。

勿論、次にそのレストランを利用した時にはガーリックバターはステーキと共に出されていました。

そして数年後にこのような事を知りました。

英国のエリザベス女王がアフリカの小国の王様を晩餐会に接待した時のことです。
特別の広間で各国の大使や貴族や大臣の方々が集まり盛大な会だったそうです。

晩餐会のスタートの合図と共に食事が始まりました。
エリザベス女王の隣は来賓の国王です。

テーブルの上には様々な食器が並べられていて、数多くのグラスも綺麗に配置されていました。

銀製のナイフもフォークも10セット以上あります。そして最初のお料理が運ばれて来ました。
その時に国王がテーブルの上のフィンガーボールに手を伸ばしたのです。

勿論、フィンガーボールは料理等を掴んで汚れた指先を洗う為におかれたものです。

そうすると国王はやおらそのフィンガーボールの中の水を飲み始めたのです。
周りの人達はびっくりしたのですが、女王は給仕たちに眼を配らせながら、女王自身も飲み始めたのです。

そして飲みほした後に国王と眼を合わせて「やはり食事前はおいしい水ですね」とおっしゃったそうです。

ゆうまでもなく周りの来賓の方々も、心ある人は一緒にボールの水を飲んだそうです。

この話を知った時に流石伝統あるジェントルマンシップの国にだと関心致しました。

大切な事は何処で食べたかではなく。誰と食べたかです。
そして何を食べたかではなく、何を話したかです。

美味しい料理には笑顔と楽しい会話があってこそ、はじめて高級になるのではないでしょうか。

 

思考の連鎖

 

私の師である哲学者行徳哲夫先生が、某会合でおもむろに布袋(ぬのぶくろ)の中から
一枚の写真を取り出してお話をされました。

その写真は弥勒菩薩の写真です。

先生曰く、ドイツの哲学者カールヤスパースが日本に来てこの弥勒菩薩を見てこう述べたそうです。

「これ程までに気品があり、なんとも言えない美しいお顔は、よほど悪い事を経験しなければ、生まれないお顔です」
仏といえども「悪」の経験がなければ「悟り」など得られるものではないとおっしゃっていました。

行徳先生が言われる「悪」を知らなければ真実は見えない。とても気になる一言です。

それからカールヤスパースを知りたくなりヤスパースの著作「哲学の学校」を読む事にしました。
その中でヤスパースの友人である、哲学界の鉄人ハイデガーを知り、名著「存在と時間」と出会ったのです。

そしてここからは、ハイデガーと親交のあった「いきの構造」を書いた九鬼周造が登場するわけです。
そして現在の哲学者木田元はハイデガーの「存在と時間」を読む為に大学に入ったと述べている事も知るのです。

私の思考の玉突き状態が止まらないのです。

鉄人ハイデガーを調べていくと、嫌われ者の代表みたいな人間というのも分かりました。
彼は自分の出世の為には、友人達をナチスに売る事も平気でやって来た人間なのです。

しかし友人ヤスパースは、彼の人間性は大いに問題であるが、
彼の講演を聞くとその内容の素晴らしさは、他の哲学者の追随を許さないほど、完璧であったと絶賛するのです。

悪人だから到達した「悟り」のような世界が有ったのでしょうか。

それから暫くして友人から立正佼成会の庭野日敬氏が書かれた「法華経の新しい解釈」という本を頂いたのです。
そして驚くことに94頁の4行目に、弥勒菩薩の話が載っていたのです。

ご紹介します。「その妙光菩薩に求名(ぐみょう)という弟子がいました。名誉や利益に心が引っかかっているし、
お経を読んでもほんとうの意味がわからず、よく忘れてしまうので、求名という名がつけられていたのですが、
しかし、この人は自分の欠点を素直に認めてそれを懺悔し、だんだんといいことをしていったために、
たくさんの仏にお会いすることができたのです。

そして仏に感謝し、敬い、ほめたたえる心持を起こしたので、とうとう悟りを開くことができました。

それはだれかといえば、実は弥勒菩薩よ、それはあなたの前の世の姿だったのです。
そして妙光菩薩というのは、実はわたしだったのです。」

前世ではだめ坊主だったのですが懺悔することによって、現生では菩薩に生まれ変わったのです。

不思議ですよね。たった一言の言葉「弥勒菩薩」で色々な繋がりで生まれて来たのです。

私は学者でも研究家でもありません。
年齢とともに仏教書や哲学書を読み始めただけです。

一冊本を読み始めると必ず引っかかる個所(文字)が出てくるのです。

その気になる部分を頭にメモにして置くと、ふとした時に思い出す事が有るのです。
多くは本屋の中ですが、ぶらぶら歩いていると、そのメモの文字が目に入るのです。
まるでずっとその本が、私を待っていてくれたようなのです。

本棚から「読んでくれ」とささやき掛けて来るのです。

学生時代に学ぶ事に恵まれなかったせいでしょうか、今は読書の楽しさを思う存分万喫しています。

一般的に学校を卒業してしまうと、文字に慣れ親しむ機会が少なくなってしまいます。
生活の時間に追われて、読書の時間が取れない事も大きな要因です。

ましてや年を取ると文字に対する好奇心も薄れて行きます。
目も悪くなるので長時間読むこともできません。

しかしもったいないですね。
まだまだ使っていない脳細胞が一杯残っているのですから、もっと使うようにしたいと思いますま。

思考の連鎖を習慣にすると人生退屈しませんよ。

さて今夜は何を読む事にしましょうか。