行蔵は我に存す
「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。
我に与(あず)からず。我に関せずと存控」By勝海舟
隠れたり、進んで物事をやることは、自分の意思でやること、
それに対して他人が褒めてくれるのも良し、拙者の与り知らないことです。
福沢諭吉の著「瘠我慢」で勝海舟に対する批判に対して送った手紙の言葉である。
常日頃から福沢諭吉は明治政府の中で安穏と暮らす勝海舟に文句を付けていたのである。
立派な行いをやりながらいけしゃしゃと爵位を授かる神経が分からぬ、
お前の大義は褒美を受け取ることだったのか・・・瘠我慢が足りぬ。
所謂、福沢諭吉が勝海舟にいちゃもんをつけたのである。
我々の生活に於いてもいちいちいちゃもんをつけに来る人がいる。
とやかく人のやる事にあれやこれやと口を挟む人だ。
これらのタイプは自分の主張が絶対的に正しいと誤解をしている人達である。
本音で話したことを噂で広め、高飛車に批判を繰り返しやる気を奪って行く人である。
自分が正しいと信じているから他人から社会までも平気で悪者にする。
大切な明かりの部分を見ずに一点の影の部分を追求して否定論者になる。
失敗するのを恐れ、行動を起こさない傲慢なタイプの人である。
虚勢を張り大声で持論を繰り返す人に追随する人が多いのも信じがたいことである。
自分の主義主張を持たず自ら行動をおこさない優柔不断な人である。
自立よりも依存の方が楽だと考えている人たちに多い思考である。
本来ならば、自分は何をしたいのか、どのように生きたいのか、どうあるべきか、
自問自答しながら生きて行くのが人生である。
他人の評価や顔色を伺いながら窮屈な人生を過ごすことは無い。
自分が選び信じた道で胸を張って進んで行くべきである。
たとえ経験不足と能力が欠けていたとしても恥じることは無い。
失敗の経験を体いっぱいに受け止めるべきである。
常識を信じて嘘の情報に翻弄されて無責任な助言に惑わされる事も一切無い。
自分を信じること、誰よりも自分を愛する事、自分の約束は絶対に破らない事である。
その為には自己に徹することである。
安岡正篤「照心語録」にこの様なことが書かれている。
「人間にとって「独を抱く」ことは非常に大切なことだ。
独とは単なる一人ではなく、相対に対する絶対の境涯を示す。
つまり群衆に伍する、ものに混ずることもなく、自己に徹するということだ。
人は自己の絶対に徹して初めてあらゆる相対に応ずることができる」
いかに自己に徹することが重要であるかを分かって欲しい。
「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与(あず)からず我に関せずと存控」
自分の責任は自分で取る。そして自分で評価する。
自分の行動に、他人が何を言おうと、自分には関係ないことである。