精出して凍る間もなく水車

 

成熟するには長い年月と、不断の努力が必要わけである。

禅僧が桃の花咲くのを見て悟りを開いたり、
竹にあたった石の音を聞いて見性悟道するのも、
その縁に至るまでの不断の修練があったからである。

人間の精神も肉体も不断の修練によって
無限に育成され成熟するものであることを知るべきである。

人間は自分の背たけ分しかものが見えないものであるが、
精神は不断の修練によって常に人が見えない世界も見えてくるのである。

「観える」ということが宗教には必要かくべからざることである。

「精出して凍る間もなく水車」という歌は、
怠情、無気力に対しての精進の必要を歌ったものである。

怠情は精神の栄養失調である。「観音経講和」鎌田茂雄

どの様なことでも一つのものを極めるにはそれ相当の時間を要します。

暗闇の中で何度も悩みながら挫折と失敗を繰り返し精根尽き果てるのです。
諦めようとした瞬間かすかに見える光に一縷の望みを託し、
雑念を振り払い不断の努力に戻るのです。

他人と同じ価値観で生きることは世相の浮き沈みに影響されてしまいます。
人は人、己は己の強い意識で無ければ修行など出来ません。

目的達成は容易に出来なくて当たり前のことだと割り切る事も大切です。
立ち止まり自問自答をするよりも精進を積み重ねることが重要なのです。

困難だと思った時点で怠情の悪魔が努力などは無駄だとささやき、
克服できると思った時点で救いの天使が笑顔で舞い降り激励してくれるのです。

毎日毎日の少しずつの修練の積み重ねが大切です。

また努力は見せるのではありません。
隠れてやる努力こそ目的達成の成就に繋がるのです。
あらゆる煩悩の欲を取り除き一心不乱に修練に励むのです。

心の解放こそが異なったものの見方と考え方と生き方を味得できるからです。

何事においても視覚的に見えているものは全体の一部でしかありません。
その奥に潜む真実を見ようとする心掛けが大切です。

表面的な文字や図式や映像のみで理解したと思うのは間違いなのです。
その表現の意図したことは何かを追求しなければなりません。

「見る」ことではなく「観る」ことを常に念頭におかなければ極める事は出来ません。

少し奥に入りそのもの自体のメッセージを聞き出すのです。
その為にも怠けずに精神と肉体の不断の努力が必要なのです。
同じことを同じように繰り返す根気も大切なのです。

そこに初めて精神的に「観える」ものが生まれて来るのです。

「精出して凍る間もなく水車」これこそが真理なのです。