侃侃諤鰐




多くの人は記憶した時にそれが正しいと記憶してしまいます。
しかし正しく覚えないと人前で恥ずかしい思いをしてしまいます。
我々は熱く議論を戦わすことを「侃侃諤諤」(かんかんがくがく)と使うのですが、
多くの方は「喧々諤々」(けんけんがくがく)と間違って使われるのです。
放送局のアナウンサーもよく間違えるので下のような手引書が出ているということです。

「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」の「喧」と「囂」には、ともに「かまびすしい」
「やかましい」「さわがしい」という意味があります。この文字を重ねた
[ケンケンゴーゴー]は、「口やかましく騒ぎたてるさま」
「たくさんの人がやかましくしゃべる様子」を表すことばです。

一方、「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」の「侃」には「性格などが強いさま、
のびのびとしてひるまないさま」、「諤」には「正しいことを遠慮せずにいう。
ごつごつと直言する」(『学研 漢字源』)という意味があります。
この文字を使った[カンカンガクガク]は、「正論を吐いて屈しないさま」
「みんなが率直に意見を述べて議論している様子」を表すことばです。

ご指摘の[ケンケンガクガク]という言い方は、いずれも4文字で構成され、
語形と語感や響きも似ている「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」と
「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」という語が混同して用いられた混交表現です。
国内の主な新聞社や通信社では、「用語ハンドブック」や「用字用語集」の中の
「誤りやすい用字用語・慣用語句」の1つに「けんけんがくがく」をあげています。

放送にあたっては
① [ケンケンガクガク]という言い方は混交表現であり正しい使い方とは言えないこと。
② 「喧喧囂囂[ケンケンゴーゴー]」と「侃侃諤諤[カンカンガクガク]」は、
それぞれ意味が違うことを留意しておく必要があります。

「間違いに気づく」とは何でしょう? 
世の中の理屈理論と合わないことでしょうか?世間にある体裁とのズレでしょうか? 
自分の信念に背く事でしょうか? 誤認識は人それぞれがあると思います。
ただ一つ確かに言えることは、自分が間違えた!と気付いた時、すぐ反省できる
方は素晴らしい方だということです。 昨今の世の流れでは、間違えるという事に
特に厳しくなっているように見えます。

私も若い時に会議の進行役を頼まれて会の冒頭で「本日は忌憚ある発言を期待します」
と述べたそうです。本人としては「忌憚ない発言」と言ったつもりが、
出席者が指摘することなく笑っているのが不思議に思って後で聞いたら、
だって「忌憚ある」は、稲葉さん特有のジョークで言っていると思ったから
笑っていたのだと言われてしまい、
穴があったら入りたいほど恥ずかしい思いをしました。笑い

しかし、人間は間違いをしたくなくてもしてしまいます。
自分で、または誰かに言われて自分の間違いに気付いた時に投げやりに
そのままにしてしまうか、すぐに反省し、改めるかです。
正しいことはどちらかわかっていても、自分の間違いを心底認める事は
中々に難しいものです。
時にまわりの厳しい指摘に反発し、余計に意固地になってしまう事もあります。

お釈迦様は自分が間違いと気付いたら、すぐさま反省した方がいいと
我々に促してくれています。間違えた!と気づき反省する時に新たな自分への
気づきがあるという教えです。『四十二章経』の第四章の中で、

「悪いことをしても、それが良くない事であったと気付き、自ら反省し、
過ちを悔い改め、善いことをしつづけていけば、これまでの罪は日ごとに消滅して、
ついには道を得る事ができる」とあります。 

間違いは無くすことはできないけれども、放っておくとまわりに、
あるいは自分に更なる迷惑を掛けてしまう。間違っていた自分をまず認識しないと、
人生の道が更に困難になる。
間違えた!と気づき反省し自分を改めると、間違いは消えて、
人生の大事な気づきがあるとお釈迦様から伝えられています。 

「間違い」は虫歯のようなものです。自分が気づいていながら、
放っていては自分の痛みが増すばかり。
虫歯の治療には歯医者さんに行けば良いのですが、「間違い」の治療には
自分が心底反省し、自身を改める事が必要になります。
時代を経てもこれは我々に共通して大切なことです。

間違えたくなくても人は間違えてしまいます。誰かに指摘される時もあれば、
実は自分で気づくときもあります。気づいた間違いに対してどう向き合うか。
自分を反省し、改め、新たな自分と出会う大事なきっかけです。 
何かと忙しく、厳しい時代なのはいつの時代も変わりません。
だからこそ自分を見つめる時間を持ち、自分の間違い探しをして、
反省する時間を持ちたいものです。


人として




人は、過去は作り直せないが未来は作れるという。
しかし過去の責任も取れなくて何を偉そうなことを言っているのか。
未来は過去からの延長線上にあるから過去の負債を背負っていくしかないのだ。 
大切なことは人として反省すべきことは反省するという事です。
我々に出来ることは、今を直視して忠実に生きるしか無いのです。
どんな困難の中でも生きることを真剣に考えることが正しいのです。
その結果が未来を作ることになるのです。

もし、暖を取るために老人が、
目の前の壊れた家屋があれば薪として手に入ることは悪いことなのだろうか?
もし、食糧を得るために老人が、
目の前に畑があれば勝手に収穫して食料にすることは悪いことなのだろうか?
もし、健康上の理由から老人が、
災害用のペットボトルを一本多く取ることは悪いことなのだろうか?

この行為は正義か悪か!あなたはどのような判断をしますか?

倫理的には正しく無い行いでも生き残るためには認めなければならない。
正論は安定した平和の時に通用するが混乱の最中では通用しない。
先ずはどのような状況でも生き残るための暗黙の了解が必要です。

しかし絶対やってはいけないのが人として弱者に対する差別です。
老人や子供たちに対してうるさいとか、汚いとか、早くしろ、などの言葉は、
鋭利な刃先の凶器と同じなのである。

災害時や戦禍の中では理屈通りの自由・平等・博愛は通用しない。
人々はただひたすら混乱からの逃げ道を探すしか無い。
こんな非情な世の中を生きなければならないと人生を悩むならまず、
天に怒ることだ。時に神を呪え、仏を呪え、自然を呪え、あらゆるものを
呪いながら生き抜くのだ。
怒る対象があれば悲しみや苦しみを吐き出すことが出来る。
怒りは原動力となり最強のエネルギーを生み出す。

そして正常を取り戻したときに人として感謝を持てばよい。
「知識」は状況や混乱には対応しないが、「智慧」はその場に応じて対応すればよい。
仏道を学びながら智慧の活かし方を考えることが大切です。

仏陀の教え「四大八正道」、「輪廻転生」、「一切皆苦」が、
理解できなければ人としての道を永遠に迷う。今一度学ぶべし。

四諦八正道(しだいはっしょうどう)
仏教の基本的な教えは、簡単に言えば「人生をラクに生きる方法」です。
そして基本的な教えには4つのキーワードがあり、まとめて「四法印」と言います。
1. 一切皆苦(いっさいかいく):人生は思い通りに進まない
2. 諸行無常(しょぎょうむじょう):全ての物事は変化するもの
3. 諸法無我(しょほうむが):全ての物事は繋がりの中で変化している
4. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう):仏教が目指す悟り
一切皆苦は仏教の出発点であり、最初に知るべきことです。

人生は苦悩の連続だと思います。逃げても逃げても苦悩は追いかけてきます。
この世の苦しみを消すには、自分の心の在り方、ものの見方を変えることです。

どのような心構えで物を見、考え、行動していくかを説いた
「仏教の基本方針」が四諦八正道です。

四諦(しだい)
苦諦(くたい) 生きることは本質的に苦である(一切皆苦)。
人が生きるということは、苦を背負って日々を過ごすことだ。
集諦(じったい) あらゆる出来事は必ず何らかの原因によって起こる。
苦の原因は煩悩である(煩悩とは自身の心の中にある悪い要素)。
満足が得られないから、苦しくなっていく。
滅諦(めったい) 煩悩を消すことで苦が滅する。
(煩悩を自分自身の努力で完全に断ち切る)
この世で起こっているものはすべてうつろう(諸行無常)。
道諦(どうたい) 煩悩をなくし、悟りを得るための八正道(以下に示します)を
実践する。

八正道(はっしょうどう)
正見(しょうけん) 正しいものの見方をする。
正思惟(しょうしゆい) 正しい考えをもつ。
正語(しょうご) 正しい言葉をかたる。
正業(しょうごう) 正しい行いをする。
正命(しょうみょう) 正しい生活を送る。
正精進(しょうしょうじん) 正しい努力をする。
正念(しょうねん) 正しい自覚をする。
正定(しょうじょう) 正しい瞑想をする。

一切皆苦(いっさいかいく) 「四法印」
仏陀が発見されたこの世の理法とは、「一切は無常であり無我である」という、
厳然(げんぜん)とした事実そのものでした。

この理法を日常の生活の原理として我々が生きるならば、
そこに 貪欲(とんよく)や 瞋恚(しんに)や 愚痴(ぐち)といった煩悩は、
生じないはずです。しかし現に自らの一生を見渡す時、やがて老いたり病んだり
死んだりすることに対して、心穏やかな者は一人もいないことも、また事実です。

その昔一人の韓国の青年の歌手朴成寿(パク・ソンスウ)のプロデュースをした。
在日韓国人の彼のCDタイトル「人として」でデビューをした。

望んで生まれた訳じゃない
それでも笑って生きていきたい
小さなタンポポ アスファルトに
お前も僕と同じだね

小さく生まれた訳じゃない
僕のサイズで生まれてきたんだ
大きく生まれた訳じゃない
僕のサイズで生まれて来たんだ

人として生まれて
人として育って
自分に誇りを持てる人になろうと決めた

他人より優れていなくていい
他人より劣っていたっていい
誰にも無いものがたった一つ
僕の身体に隠れているんだ

在日韓国人として生まれてたくさんのいじめを経験してこの歌が生まれた。
私達も今一度「人として」見直す必要があるように思います。


アフリカの長老から日本人へ




大学の教授からお薦めのサイトとして届いたのが「長老から日本人への警告」でした。
早速You tubeで拝見しました。

私が気に留めた箇所をいくつか紹介します。

「幸せの3ヶ条」

一つ目は一日3食のご飯が食べられる。
二つ目は「ただいま」と言えば「おかえり」と言ってくれる人がいる。
三つ目は抱きしめられたら温かいと感じる心がある。

「現地の子供との会話」

小さい時、自分は何が嬉しくて、何にワクワクしていて、何に感動していた。
SHOGENは無いっていうところばかりに目を向けているでしょう。
あの人と比べて自分はこれが足りないとか、これが欠如している、劣っているとか。
でもね、生きていたら、あるっていうことの方が多いんだよ。
外に出たら燦々と輝く太陽の光も全身で感じることができるし、
いろいろなことも感じる、だから生きていたら、あるっということの方が多いんだよ。
SHOGENと話してもつまらないからはなしをしたくない。

「長老との話」

「諦める時間が来ることの幸せって分かる?」って聞いてきたんです。
日没が来たらほぼほぼ真っ暗になるから、全てのやったこととか仕事を「諦め」
ないといけない。でもSHOGENが諦めという言葉を聞くとマイナスに捉えるだろ?
なぜかというと、諦めるってことは、今から真の休息の時間に入れるってことだからね。
ほんとうは喜ばないといけないよね。

日本人に根深く残る記憶!どんな記憶を一番持っているか知っている?
どこの国より「愛された」記憶が一番長かった。一万年から一万五千年も続いた、
愛と平和で溢れていた時代、それが縄文時代だったのだよ。
そして亡くなった人に刺し傷、切り傷がひとつも無かった。
愛していたということは、愛されていたっていうことで、だから、とことんまで
優しい日本人は愛された記憶を持っているから「素晴らしい日本人の記憶を
二度と忘れないようにする為に」「一度忘れる必要があった」

本来の日本人は、ものすごく自己愛が深くて、自己肯定感が高かったんだよ。
息を吐く時の自分、そして息を吸う時の自分に、ものすごく喜びを感じていた。
そして朝起きて裸足で出る時の一歩目、踏み出す時の左足のつま先が地面を踏む
感触まで愛してた。それが日本人なのだ。つまり何かというと、
当時の、日本列島に住む人たちは、自分が普段からやっていた所作を、
とことんまで愛していたんだよ。

その他「喜びグラス」とか「100メートルの中にある幸せ」とか気になる部分が
沢山ありました。

お時間があればこのサイトをご覧になって下さい。
また書店で「今日誰のために生きる?」も購入してお読みください。
きっとあなたの心に素敵な思いが届きます。

「SHOGEN」
アフリカンペイントアーティスト
本名上田祥玄
1986年3月29日(37歳)

生きることへの喜びと感謝を「生きるのって、楽しい!」を描くペンキ画家。
ペンキを画材に鮮やかな色彩で描かれる、タンザニアのとある村だけで受け継がれる
『ティンガティンガ』。生と死が近い場所にある中で生まれたからこそ、
生きることへの喜びと感謝をいきいきとした動植物を通して描かれています。

単身現地に渡り、村人と一緒に生きながら絵の修行を許された“唯一の外国人”で、
帰国後はティンガティンガの『人々を幸せにする絵』という精神を基に
“SHOGEN流”の新たな表現で制作を続けています。
『楽しく生きる…』ということは現代日本においては難しいことですが、
SHOGEN の描く世界の中に“ヒント”を見つけてもらえたら嬉しいです。

大手化粧品会社に勤めている中、ふと入った雑貨店でタンザニアアート
「ティンガティンガ」を目にし、独特な構図と躍動感溢れる色彩表現に魅了され、
自らティンガティンガを描くことを決意する。
即日退職願いを提出し「ティンガティンガ」の修行をするため、
単身アフリカへと渡る所持金10万円、語学力、コネクションすら無い中、
タンザニアに赴き、タンザニアンアーティストとして最も定評のある 
NOEL KAMBLI 氏に弟子入りを果たす。
NOEL KAMBLI 氏宅で奥さんと3人の子供達、ニワトリとヒヨコ10匹と共に、
現地人と全く同じ食生活を共にしながら絵の修業を始める。

現地アーティストを脅かす程の実力を身に着けはじめたことを認められ
「ティンガティンガ村以外の地では弟子を一切とらない」という取り決めの元、
唯一の外国人のティンガティンガ・アーティストとしての修行が認められる。

アフリカのシャーマンが口伝で残した真実
【日本人の本当の姿】
全ての日本人に伝えてほしい。
全ての日本人に思い出してほしい日本の心。
縄文時代から繋がる自然への愛。
今日は誰のために生きるの?
自分を愛し全てを愛す。
足りないものを探すのではなく足りているものを補い合う。
人は全て未熟なデコボコ。デコボコ同士が家族のように活かし合う。
日本は私たちの希望の光なのです。

☆見ず知らずのアフリカの村が長老が私を日本人というだけで受け入れてくれた。
しかし、私は日本人の心を忘れていて村の子供たちからも沢山の気付きを貰うことが
出来た。彼等から教えられる日本人・・・

私たちは複雑な社会に生きるために本来誰もが持っている「純粋なこころ」を
忘れています。今まで難しいことを覚えるのが教育だと勘違いをしていたのです。
あなたの中の素直な心を取り戻すためにもご覧になってください。


恋・愛・悔い




「恋が育って、愛になった。愛を育てようとして、悔いが残った。」
愛を育てる前に確かめようとして無理やり花を開いたらその恋は終わってしまった。

自分の寂しさを、心の隙間を、埋めたい為に、人を好きになろうと努力したのに、
欠点は見ないで良いとこだけを見れば上手くいくよとアドバイスされたにも
関わらず、すぐに終わってしまった。長く付き合うのに相手の欠点を取り除かなければ
お互いが傷つくと思って焦ってしまったのが原因です。

デートは楽しかったのに真剣な話は楽しくなかった。現実を語るのが苦手だった。
二人とも大人じゃなかったから仕方がなかったのかとあきらめる。

愛を求め合って急ぎすぎたのが失敗の原因だった。
私の事好きかと確認ばかりしたのが嫌われる原因だった。
恋に自分勝手な恋愛スケジュールを決めてしまったから相手の重荷になった。
人を好きになることがこんなに負担が多いとは思わなかった。

隠元禅師が説かれた教えに「脚下無私皆浄土」(脚下無私なれば、皆じょうど)
という言葉があります。これは ”囚われのない私であるならば、心のやすらぎ、
そのものである” と説いています。

隠元禅師と居士のやり取りです。居士「慈悲の心を持って、生死無き悟りの意思を
お示しください」禅師「足元に私などというものが無くなれば、みんな浄土の世界
なのです」足元とは、自分自身のことです。その自分自身に「私」という囚われや
執着が無くなれば、それは浄土の世界、すなわち、やすらぎの世界なのです」と
答えました。黄檗宗開祖隠元禅師

「囚われない私であるならば、心の安らぎそのものである」
自分勝手な理想を追い求めて真実が見えなくなっていたのだ。
結局あなたの心を縛っていたのはあなた自身だった。
苦しむことが修行で無い、悩むことに意義がある。正しい悩みの方法を覚えるのだ。

愛は仕事で無い。常識で考える必要はないのだ。
愛の心の原点は幼児期からの育った環境が影響する。
幼児期から寂しい思いをしたら癒して欲しい、
いつも誰かと比べられて育ったら同等に見て欲しい、
身体の欠点を笑われたら悔しさから解放されたいと思うのです。

そうです愛は万能ではないのです。
人それぞれの愛の捉え方が違うからその方法はすべて違うのです。
しかし、愛は仕事じゃ無いから目標設定も成果も望む必要はないのです。

予定表に「名前のない時間」を作り出すことを考えてみてください。
何もしないことではなく、時間に名目を付けない、時間に制約されない、
時間に束縛されない。これは難しい様だけれどとても簡単です。
我儘な自分勝手な意思を貫くことです。わたしは仕事柄これを作り出す名人です。

恋に理屈は不要です。相手のことよりも自分の理想を貫き通すのです。
自分が好きなら好きを貫き通すのです。

愛はとても残忍で冷酷である。人は愛なくして生きていけないのです。
引き裂かれた愛ほど未練が残るものはありません。

私たち人間は知らず知らずのうちに「見返り」を求める生き物なのだと、
よく言います。見返りとは言い換えれば報酬です。愛に対しても
愛してやったから愛を返して欲しいと要求されることがあります。
それは目に見える報酬もあれば、目に見えない報酬もあります。
もしかしたら究極の愛という報酬もあるのかもしれません。
共通するのは自分にとって得(利益)になるということです。

しかしこの得というのはあくまで目先のものであり、
ずっと続くものではありません。
それどころか自分の行動が見返りに縛られてしまい、
新たな苦しみを生み出す元凶となることさえあります。

仏教では苦しみを表す言葉に「苦(苦諦)」というのがあります。
四諦の出発点は”苦”です。文字通り、「苦しみ」ということです。”苦諦(くたい)”
とも言います。”諦”は「真理」という意味です。
”苦諦”は「人生は苦しみであるという真理」という意味になります。

こういった苦しみから逃れるためにはまず目先の損得勘定から離れていく
ことが必要になります。「真心尽くせ 人知らずとも」という言葉が表わす
ように、あれこれと考えを巡らせるのではなく、一度考えをリセットして
目の前の事を一所懸命、ひたむきにこなす事のみに集中する。

集中している瞬間には見返りが頭をよぎることや、人の目が気になることは
ありません。結果として私たちの心持ちは落ち着きを取り戻し、
自然と良い方向へ向かっていけるのだということです。

「悔い」は物事が思う様にいかなかった時に起こる感情です。
結果が分かっていたのに行動に移さなかった時に残る感情です。
恐れる必要のない時に嫌われたらどうするか考える不必要な感情です。

恋は愛が生まれる前の一人よがりの感情です。
しかし愛が生まれるとそこから二人の感情になるのです。
この恋が、この愛が、うまくいくようにして現状を維持したくなります。
相手の要求に我慢することが多くなり不安も芽生えてくるのです。
そこに二人の冒険が無ければ愛も恋も初雪の如く消えてなくなるのです。

その悲しい結末に悔いが残るのです。

Simon & Garfunkel
「The Dangling Conversation」
そして、あなたはエミリー・ディキンソンを読んでいます
そして、私は私のロバートフロスト
そして、私たちはブックマーカーで私たちの場所をメモします
それは私たちが失ったものを測るものです
そして、部屋が柔らかく色あせた様子
あなたの影にキスだけ
私はあなたの手を感じることができません。
お前は俺にとって見知らぬ人だ

この歌詞の意味が分かりますか?
きっとあなたなら分かると思います。


振り返る勇気と全てを捨てる決断




例えばこれだけ会社再建で頑張ったのにもう少し頑張ろうとする気持ちは正しいですか?
これだけ開発に時間を費やしたのにもう少し資金を投じようとする行為は正しいですか?
険しい山を登ってきたのだから少し天候が悪くても登ろうとする努力は正しいですか?

私はそう思いません。過去のものを経験として残すことは大切にしますが、
今あるものに執着して経済的損失や命の危険を伴うことは絶対避けなければなりません。
日本の社会では汗を流して頑張ることを褒め称える風潮があります、
その上に一度始めたらやり続けることが正しいと評価する傾向があります。
そんな考えは今の時代には合いません。

実は私もこの考えで取り返しのつかない失敗をしました。
自分のプライドを大切にするあまり収入以上に投資をして、
過分に人を雇い海外との取引を始めてしまったのです。
今、思えば一時メリットがあっても、最大限のリスクを負わないようにする為に、
立ち止まり、全てを捨てる決断をすれば良かったと反省します。

仕事上の問題(経済的困窮)で追い込まれると冷静さを失います。
普段ならすぐ分かることも分からなくなってしまいます。
その為の解決方法としてこのような手引書があります。

Harvard Business Review
by レベッカ・ザッカー

追い込まれた時に取る対処法として5つの提案がこのようになります。

●一番の原因を突き止める
「どれか1つ、あるいは2つのことを人に引き継いだら、
いま感じているストレスを8割緩和できるか?」を考える。
実際には引き継げなかったり、その責任から逃れられなかったりしたとしても、
これを考えることが、ストレスの一番の要因を突き止めるのに役立つ。
それがもし完了間近のプロジェクトなら、片付けてしまおう。
プロジェクトやタスクの大きさがプレッシャーになっているならば、
手に負える大きさに小分けするか、人を増やしてもらうか、
可能ならば期限を交渉し直すか、あるいはその全部を行う。

●時間と労力に上限を設ける
タイムボックス(時間割)をつくり、タスクやプロジェクトに費やす時間を
あらかじめ設定する。決めた時間に退社する。あるいは、特定の種類の仕事を断る。
アジャイは、チームメンバー同士の衝突の仲裁に、かなりの時間を割いている
ことに気づいた。それによって自分の時間を生産的に使っていなかった
ばかりでなく、みずから解決しようとせずに、すぐに上司の指示を仰ごうとする
部下たちの姿勢を助長していた。
そうした相談に応じるのをやめ、自分のところに来る前にできるだけ
自力で解決するよう伝えたおかげで、仕事をじゃまされる頻度が減り、
優先課題に集中する時間をつくれるようになった。

●完璧主義を見直す
完璧主義の人は、タスクやプロジェクトを必要以上に大きくしてしまう嫌いがあり、
それが先延ばしや精神的苦痛につながることもある。
やることがたまるとますますプレッシャーになり、その結果、さらなる先延ばしと
プレッシャーを呼ぶ。シェリル・サンドバーグの有名な言葉がある。
「完璧より完遂」。これで「よしとする」タイミングを知るためには、
「このタスクやプロジェクトにもっと時間をかけた場合、限界利益はいくらか」を
考えよう。利益がほんのわずかなら、そこでやめて終わりにする。
何でも完璧にできる人はいないと、自覚することも大事だ。
スーは結局、時々メールを見過ごすことは仕方がない、重要な内容であれば
相手からまた連絡がある、という考えを受け入れることができた。

●外注するか引き継ぐ
「自分の時間を最も有効に使える仕事は何か」を考える。
その答えに当てはまらない仕事は、他の誰かを教育し、託そう。
たとえば、一部のプロジェクトの管理や会議への代理出席、一次採用面接などを
チームのメンバーに任せたり、家の掃除や料理の代行を利用したりする。
マリアは、いつも自分がやっている毎週の営業会議の進行を、他でもない
営業統括が行うべきだと気づいた。
その社員を採用してから1年以上経つのに、自分が「習慣的にやっていた」
仕事にしがみつき、手放すのが不安で、きちんと仕事を任せていなかった。
ようやく、自分は会議の報告をメールで受けるだけで十分だと認めた。
このタスク1つを手放しただけで、1年で52時間も手が空き、他の優先度の高い
戦略的課題に集中できるようになった。

●思い込みに疑問を持つ
常に追い詰められているように感じている人は、思い込みが強く、つい非生産的な
行動を取ってしまっている可能性が高い。
キーガンとレイヒーはこれを「強力な固定観念」と呼んでいる。
スーの思い込みは、「何か見落としがあったら、自分はおしまいだ、
二度と立ち直れない」というものだった。
アジャイの場合は、「人の助けにならなければ、自分に価値はない、
人から必要とされなくなる」。
マリアの場合は、「私がしっかりしなければ収拾がつかなくなり、会社が潰れる」
という思い込みだ。
本人たちは自分の固定観念を本気で信じていたが、こうした狭量な考えが
100%正しいはずはなく、彼らは過去のパターンに囚われ、
自分で自分の首を締めていた。

こうした思い込みを時間をかけて突き止め、真実ではないことを理解していくことで、
彼らはそれまでの窮屈な世界観を広げ、それによって人に振り回されるという
感覚が減り、自己主体感を高めることができている。
仕事や生活が大変なとき、誰もが追い詰められているように感じることはあるが、
その頻度や程度を軽減するために、上記の対処法を役立てほしい。

能登半島地震の高校3年生避難者の決断。
最後の追い込み期間に被災した受験生は、厳しい環境を強いられていました。
人口約500人の能登町姫地区では地震が起きた後、電気や水といった
ライフラインが止まってしまったため地域住民たちの手により、
避難所が立ち上げられました。
避難所で率先して手伝っていたのは、大学受験を控える高校3年の
堂前和海(どうまえなごみ)さんです。

【堂前和海さん(18)】「共通テスト近いんですけど、諦めるわけじゃないんですが、
最悪、受験は来年もできるんで、今できることをしっかりやろうかなと」
関西にある国立大学を目指す和海さんは、家が倒壊した訳ではありませんでしたが、
少しでも助けになれるよう避難所で寝泊まりをして、手伝ってきました。
持ってきた勉強道具は参考書1冊のみで、勉強できるのは寝る前のわずかな
時間だけでした。

1年間を無駄にしても今やるべきことをやる、この選択が大事です。
受験を無事に済ました人も、堂前和海さんのように浪人を決断した人も
想いは同じです。

禅語に「千里同風」という言葉があります。
どこも同じ風が吹いている – 千里同風 –
「論衡(雷虚)「夫れ千里風を同じゅうせず」
遠隔の地にも近くにも同じ風が吹く意から、天下がよく治まっている太平の世。
万里同風。」と言われています。

『論衡』というのは、中国の後漢時代の書物であります。
千里同風は、禅語としては玄沙禅師の言葉として知られています。
玄沙師備禅師(835~903)は中国唐代の禅僧です。
もと漁師であったといいます。

毎日父と共に漁に出ていましたが、一説によれば、父が水中に落ちてしまったのを、
救おうとしたものの救い得ずに、そこで無常を感じて出家したとも
伝えられているのです。
既に三十歳であったともいいます。

また「謝三郎」とも呼ばれ、禅語に「謝三郎、四字を知らず」とあるように、
字も読めなかったという説もございます。
後に雪峰義存禅師について修行します。
師匠の雪峰禅師も一目置いていたほどの、熱心な修行ぶりでありました。

ある時に、師の雪峰禅師から、諸方を行脚してくるように勧められました。
四度も勧められて、ようやく旅に出ました。
旅支度を終えて嶺上に到り、道の石ころにけつまずいて、忽然と大悟したのでした。
その折りに「達磨東土に来たらず、二祖西天に往かず」と言われました。
どこにも出かけてゆく必要はないということであります。

玄沙はその後生涯福州を出ることはありませんでした。
行脚するといって出かけた玄沙が、すぐに帰って来たので、不審に思った
雪峰禅師が子細を聞きました。
玄沙は自分が体験したことを話すと、雪峰禅師も大いにその悟りの心境を認めました。
そして玄沙は雪峰禅師の教えを受け継いで禅風を大いに挙揚しました。

後に寺に住してからは大いに教化活動をなさっていました。

ある僧が「私はまだ入門したばかりで、どのように修行したらいいか分かりません。
どこから手をつけたらいいでしょうか」と聞きました。
玄沙禅師は「川のせせらぎが聞こえるか」と問いました。
「聞こえます」と答えると、「そこから入れ」と答えました。

ある時に、玄沙禅師は、師の雪峰禅師のもとに一通の手紙を修行僧に届けさせました。
雪峰禅師が、久々の玄沙からの書状を開いてみると、何とそれは白紙でありました。
届けてくれた僧に、「これはどういうわけなのか」と問うても、僧は答えられません。
雪峰禅師は、白紙の手紙を取りあげて、「分からないのか、君子は千里同風だ」と
説いたのでした。

「千里同風」です。
千里離れた土地であっても、同じ風が吹いているのです。
どこにいても、心と心は通じ合っているのです。
このように白紙の手紙を見事に読み解かれました。
師弟の心が一枚になっていて実に奥ゆかしいのです。

「オンラインもない昔の人は、たとえ遠く離れていても、
同じ月を見ていると思って、心が通じ合えたのでした」と書いておきました。
玄沙禅師は石にけつまずいて開悟しました。
思わず「痛い」と叫ぶ、それはいのちある確かな証拠です。
川のせせらぎを聞くのも、いのちあればこそです。
そのいのちはどこから来たのでしょうか。
計り知れない無限のいのちを今ここにいただいて生きているのです。
吹き渡る風にも無限のいのち、仏のいのちを感じることができます。
吹く風に「千里同風」を想い、この世の争いが無くなることを祈ってやみません。
円覚寺官長横田南嶺のページより

以前、一度お会いしている横田南陵禅師の教えは、
とても分かりやすく納得するばかりです。
勿論、納得するばかりではなく、多くの人へ伝える役目として
度々ブログで紹介をさせていただいています。
これからも学びながら感謝ある毎日を過ごしていきたいと思います。
人生において「振り返る勇気と全てを捨てる決断」があれば大丈夫です。


鶴は何故一本足で眠るのか?




IBMのフィロソフィーが「野鴨の精神」というのを知っていますか?

デンマークの首都コペンハーゲンは、シェラン島(ジーランド)という島の東部にあります。

島の北部には、「ハムレット」の舞台となったクロンボー城、歴代デンマーク王の
居城フレデリクスボー城があり、大きな森と有数の湖沼地帯を抱えることでも有名です。

湖には毎年、野鴨が飛来します。1万キロを超える旅をねぎらうため、近くに住む
古老が餌をたっぷり用意して待つようになりました。
もちろん渡り鳥である鴨は、容易には餌付けされません。
しかし、毎年繰り返される饗応に、やがて野鴨たちは「何も苦労して次の湖へ
飛び立つ必要はない」と思ったのでしょうか。とうとうそこに住み着いてしまいました。

そのうちに、老人が亡くなる日がやってくると、餌をもらえなくなった鴨たちは、
自力で餌を探し、次の湖へ旅する必要にかられました。
ところが、あてがいぶちのご馳走に慣れ、野生をなくしてしまった鴨たちは、
まるでアヒルのように肥え、羽ばたいても飛べなくなっていました。

そこへ近くの山から雪を溶かした激流がなだれ込んできました。ほかの鳥たちは
丘のほうへ素早く移動しましたが、かつてたくましい野生を誇った鴨たちは、
なすすべもなく激流に飲み込まれていった、というお話です。

この話は、コペンハーゲン生まれの哲学者、セーレン・キェルケゴール(1813-1855)
が残したものです。7人兄弟の末子として、家政婦から後妻になった母と、
裕福な商人の父の間で育った彼は、若い頃から憂鬱な傾向がある一方、
物事を深く見据え、容易には承知しない実存哲学者の先駆けとして、
『死に至る病』などの著書を残しました。

なぜ、「野鴨の話」が実存哲学とつながるのでしょうか。それは彼の死後、
ドイツの哲学者ハイデッガーが、この話を「被投的投企の哲学」と呼んだからです。

人間は誰しも生まれる場所も時間も選べない。ハイデッガーの言う
「投げ込まれた(被投)」状態ですが、その限られた状態の中で、
これからどういう在り方をすべきかは、
自分の責任で瞬間ごとに決めていけます(被投的投企)。
哲学用語にすると難しくなりますが、「野鴨」に託されているのは、
そのことだというのです。

それに比べると、IBM会長の解釈である「飼い慣らされてはいけない。
飼い慣らしてはいけない」は、いかにも明快に聞こえます。
実は「投企」は英語ではプロジェクト(project)ですから、まだ誰も行ったことのない
ビジネス上の冒険を進めていくことは、「被投的投企」の連続状態とも呼べるわけです。

鶴はなぜ一本足で立つのでしょうね。鶴の生活の場は湖沼,水の中ですね。
真冬なら氷上ですよ。寒そうですね。敵から襲われない所で安心して眠りたいからです。

敵が近づけない水の中当たり前ですよ。余計な労力使いたくない,エネルギー効率を
最大限に,つまり,エネルギーを無駄なくということ! 
これさえ理解していれば何にでも応用できる。

水の中は鶴にとっても冷たいはず。勿論,誰にとってでもですがね。
二本の足をつけたのではますます寒くて眠れない。「お~,寒む!」ですね。
それで熱が体内から奪われるのを半分にしよう,というわけで、片足で立つのですよ。
引っ込めた足は羽毛の中に入れて,失われる熱を最小限にするというやり方でね。

足のつけ根にはちょっとした仕組みがあって,足の先で冷やされて戻ってきた静脈血が
心臓から押し出された暖かい動脈血によって温められるのですね。
血液が混じるのではなく,動脈と静脈が複雑に絡み合い,ここで熱交換が
おこなわれるのですよ。

それで足先に送られる動脈血は逆に多少冷やされるので,全体として熱の合計量は
体の本体ではほぼ一定に保たれる。足先へ送られる冷やされた動脈血のために,
水や氷に接する足の部分からの熱の放散は,この仕組みでさらに小さくなる。
足先が温かくて氷にくっついてしまったり,氷を融かして,氷に足がめり込む
なんてことも防げる。実にうまくできていますね。
こうした熱交換システム,ワンダーネットはマグロなどにもあります。
あの血合いの部分ですよ。

鶴が一本足で立つ様子からギリシャ文字のΦ(φ),そして鶴が空を集団で飛ぶ様子
(鶴の雁行なんておかしな表現ですね)から同じくΛ(λ)がという文字が
作られたそうですよ。大昔から姿形の良さは人間を魅了していたようですね。

あなたの気づかないうちに社会という湖で餌を与えられて、飼いならされて、
飛ぶことが出来ない野鴨になっていませんか?

この国は30年来所得が変わらずその上円安になり物価が上がっている状況です。
政府の無策と企業の危機感が欠落している最悪の状況でも逃げ出しませんか?
ここで寒波(戦争・災害)が襲ってきたらなす術がありません。
あの時いう事を聞いておけばよかったと後悔するのが関の山ですよ。

何度も「恩学」でお伝えしていますが、「自立と立ち位置と足元」を常に考えてください。
足元を見る「看却下」は混乱が起きた時にはあたふたせずに、自分の足元を見なさい
という事です。
あれやこれや役に立たない知識で騒ぐのであれば、今どこにいて、今何が起こっているのか、
そして今自分は何をすべきかを、冷静に考えるべきだと伝えてきました。

無駄な努力と無駄な労力を使い果たす前に「一本足で眠ってください」。
常日頃から体力を温存して「逆境を生き抜く」訓練をしていてください。
自分にとって苛酷な状態でも生きながらえることを考えるのです。


古池や蛙飛び込む水の音




冬空を見て何も考えていない時にふとこの俳句を思い出した。
「古池や蛙飛び込む水の音」松尾芭蕉
頭の中が空っぽの時だったのでストンと音を立てて流れ込んできた。
季語は蛙(春)古い池に蛙が飛び込む音が聞こえてきた、
という単純な景を詠んだ句とされています。
芭蕉が一時傾倒していた禅の影響も受けていた句としても有名です。

僅か17語の世界で無限大の景色が浮かび上がる。
日本語の表現力の豊かさは世界が認める文化的遺産である。
大切なことは、我々はその言葉を受け取れる感受性豊かな国民だという事です。

禅は鎌倉時代に、中国から日本に入ってきた仏教思想です。
そしてそれは当時の武士たちの精神性ともうまく合致し日本で普及して
いくことになります。

禅は質素・倹約・簡略化を重んじます。
まさに引き算の美学を提案しているのです。

禅の概念を具現化した代表的なものが京都竜安寺などの石庭です。
石庭の代表的なつくりに「枯山水」というものがあります。
この枯山水はまさに引き算の美学です。最小限の素材を使用し
ほとんど何ものない状態にすることによって、水や山などの
自然を感じさせる空間をつくりだしています。

例えば金閣寺のような豪華絢爛な建築と庭から味わう贅沢さではなく、
銀閣寺のような質素であるが故に贅沢であるという感覚です。
「何もないからこそ、最高の美を感じる」という逆転の発想です。

茶道の世界を究極まで高めたのは千利休でした。
その主人は豊臣秀吉です。
田舎の足軽から天下人にまで昇りつめた豪華絢爛の象徴である秀吉。
利休茶道の「侘び寂び」思想はいわば秀吉が信じてきたことを否定するような
問いをチクリと彼に投げかけました。

その後、「侘び・寂び」精神性は後の江戸時代に活躍した俳人、
松尾芭蕉にも受け継がれてきます。

松尾芭蕉の代表的2句の解説をするとこのようになります。

「古池や蛙飛び込む池の音」

耳をキーンとするほど静寂さが漂う古い池。
その畔に1つの大きな石が転がっている。
おっ、よく見るとその石の上には1匹の蛙がいるね。
しばらくするとその蛙が池に飛び込んだ。
その刹那「チャポーン」と弾む音と鏡面のような池にスパッーっと広がっていく波紋。
その瞬間はまるで永遠の時間を感じさせるようだね。

「夏草や兵どもが夢の跡」

またここで戦があったのか。
勝った側も負けた側もそれぞれの夢や希望を持ち大義名分を抱えて戦ったんだろう。
でも戦が終わってみると一面には多くの亡き命。
その周辺には、夏草が伸び、自然のサイクルが何事もなかったかのように
ただただ続いていく。本当に無常なものだ。

それにしても本当に美しいものです。
たった17文字で構成されている文章なのに、頭の中で物語がバァアアっと
広がっていきます。この「侘び寂び」の思想も
中国の禅とそれまでの日本文化が編集されて出てきた概念なのです。
それしても「もののあわれ」や「侘び寂び」の美意識。
やっぱり日本ってとてもカッコいいです!

日本人の心にはもう一つ「陽」よりも「陰」を好む感性もあります。
明るい場所よりも、その明るさを際立てる影の部分を重んじるのです。
是も「侘び寂び」の影響を受けているものと思われます。

谷崎潤一郎の「陰影礼賛」

谷崎潤一郎は、1933年(昭和8年)当時の西洋近代化に邁進していた日本の生活形態の
変化の中で失われていく日本人の美意識や趣味生活について以下のように語りながら、
最後には文学論にも繋がる心情を綴っている。

日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋を便利としたに違いないが、是非なくあゝなった
のでもあろう。が、美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に
住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、
やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く
陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見て
その簡素なのに驚き、たゞ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと云う風に
感じるのは、彼等としてはいかさま尤もであるけれども、
それは陰翳の謎を解しないからである。

われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり
縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透して
ほの明るく忍び込むようにする。
われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。
われわれは、この力のない、わびしい、はかない光線が、しんみり落ち着いて
座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。

土蔵とか、厨とか、廊下のようなところへ塗るには照りをつけるが、
座敷の壁は殆ど砂壁で、めったに光らせない。もし光らせたら、
その乏しい光線の、柔かい弱い味が消える。
われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色の壁の面に取り着いて
辛くも餘命を保っている、あの繊細な明るさを楽しむ。
我等に取ってはこの壁の上の明るさ或はほのぐらさが何物の装飾にも優るのであり、
しみじみと見飽きがしないのである。

尤も我等の座敷にも床の間と云うものがあって、掛け軸を飾り花を活けるが、しかし
それらの軸や花もそれ自体が装飾の役をしているよりも、陰翳に深みを添える方が
主になっている。われらは一つの軸を掛けるにも、その軸物とその床の間の壁との調和、
即ち「床うつり」を第一に貴ぶ。われらが掛け軸の内容を成す書や絵の巧拙と同様の
重要さをに置くのも、実にそのためであって、床うつりが悪かったら
如何なる名書画も掛け軸としての価値がなくなる。
それと反対に一つの独立した作品としては大した傑作でもないような書画が、
茶の間の床に掛けてみると、非常にその部屋との調和がよく、
軸も座敷も俄かに引き立つ場合がある。

俳句の世界、茶の湯の世界、日本人好みの陰翳の世界。
どれもこれも禅と武士の真意があるように思えてなりません。
贅沢を廃止、質素を重んじて、簡素で簡略化された中に、
人としてあるべき姿が浮き彫りにされている気がします。
豪華絢爛に騙されずに、流行に目を奪われずに、シンプルに人の心を大切に
してきた結果が、俳句であり、茶の世界であり、陰翳礼賛の世界です。

いつまでも日本人の感性を楽しみましょう。


「温故知新」そして始まり




カブク、ハグレ、ウツケ、フヌケ、全て世間から異端の目で見られた者を
いう言葉である。

日本の芸能の歴史は異端の人間から始まってきた。
歌舞伎や能の歴史には必ず登場した「阿国と世阿弥」。
どちらとも決して恵まれた環境で華々しく登場したのではなく、
どちらかというと世間においては変わり者と疎まれていた。
伝承文化を伝統文化に変えていくのは、ある意味その時代の不良と呼ばれた
者たちが発火点を作る。それは革新的破壊である。
頭の中にある「当たり前」という時代の意識が、「あり得ない」「無理」という
認識に変わる。しかしあり得ないところに未来が創造される。

「出雲の阿国」
生没年不詳。慶長八(1603)年、京において歌舞伎踊を演じ、
歌舞伎の創始者となった女性芸能者。出雲大社の巫女みこと称していたが、
出身地は不詳。おそらくは京もしくはその周辺の出身であろう。
歌舞伎踊を創始する以前は、ややこ踊と呼ばれる芸能を演じていた。
ややこ踊の名称は、天正九(1581)年ごろから見出せるが、そのころ10歳前後
の幼女であったと思われる。時の宮廷や上級公家の邸に招かれて演じているが、

西日本各地から東海北陸地方まで巡業していた形跡がある。
天正一六年にはすでに出雲の巫女と名のって、神楽や小歌なども演じていた。
美人ではなかったとの記事もあるが、芸能に対するぬきん出た感覚の持主で
あったと思われる。歌舞伎踊での成功の前後は、京では北野神社の境内の
舞台を本拠としていた。慶長一二年には江戸城内でも興行している。
慶長一八年以降の消息はつかめない。

「能楽の世阿弥」
世阿弥は、父・観阿弥(かんあみ)の後を受けて、能を飛躍的に高め、
今日にまで続く基礎を作った天才といえるでしょう。
生涯を通してどのような能が感動を呼ぶのか探求し、手ごわいライバルが
いたにせよ、足利義満(よしみつ)・義持(よしもち)の2代の将軍の時代を
通して、一定の評価を得ることに成功します。
ライバルの芸の長所を取り入れることもうまく、特に犬王(いぬおう)の
天女舞(てんにょまい)を大和猿楽に取り込むことなどにより、物まねの
面白さが中心だった大和猿楽の能を、美しい歌と舞が中心となる
能に洗練させました。

世阿弥は能の台本を作ることをとても大切にし、世阿弥の時代に能の数は
格段に増えています。その中で、人間の心理を深く描き出すことのできる
「夢幻能(むげんのう)」という劇形式を完成させたことは、大きな業績です。
また、和歌や連歌の技法をふまえて、詩劇と呼びうるような文学的情緒に
あふれた能の台本を制作する方法も確立しました。

その昔日本の伝統文化は「河原乞食」と言われて最下層に位置付けられていた。
海外においても似たり寄ったりですが、文化は贅沢とされてそれを行う者は
逸れ者とも言われてきたのである。

モーツァルト然りでパトロンの貴族に呼ばれてパーティーで演奏していた。
リクエストに応じてその都度曲を創り出さなければならなかった。
モーツァルトの手がけた数々の曲は、当時存在していた音楽ジャンルの
ほぼすべてに渡っていました。
ピアノやヴァイオリンのソロから、室内楽、小編成のオーケストラ、大編成の
オーケストラに、オペラまで手掛けており、そのどれもが名曲であると
言われています。
モーツァルトほど数多くの曲と多様なジャンルを手掛けた作曲家は他に
例がなく、まさに奇跡の音楽家といわれているほどです。

しかし晩年のモーツァルトは、音楽家として活躍しながらも生活を満たせるだけの
収入が得られずに苦しい状況が続いたと言われています。
さらに晩年には度々病に臥せるようになり、薬も服用していました。
そして1791年、ウィーンで35年の生涯を終えます。

ファッションデザイナー、ココシャネルの言葉に「流行はその国の不良を見ればわかる」

これは言い得て妙である。パンクファッションのように服は言葉なのである。
流行とは外面だけで無く内面に狂気じみた思想が無ければならない。
ここ数年思想を映し出すほどのファッションは生まれていない。

ココシャネルは孤児院や修道院で育ちました。 18歳で修道院を出た後は、
洋品店でお針子の仕事をしながら、ラ・ロレンドというショーパブで歌うようになり、
人気を博していました。 「ココ」の愛称は、その時に歌っていた歌
「Qui qu’a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのは誰?)」に
ちなんで付けられたものです。 しかし、実力ではなく客寄せとしてステージに
立たされていたことを知ったココは、歌手の道を断念します。

文化に翻弄されたモーツァルトとココシャネル。
しかし時代に大きな爪痕を残したのは確かである。

「ロックの伊丹谷」
20人も入ると一杯になる恵比寿のバーで、今年最初のライブ「うた」が行われた。
あらゆる規模の会場でパフォーマンスを繰り広げてきた伊丹谷が、あえてここを選んだ
理由がある。今の自分の意思を伝えるために、ライブハウスではなく、小さなバーで演奏
するのは「うた」本来の強いメッセージを伝えやすいからである。
今の時代、レコー会社と契約してタイアップを付けてヒット曲にして、ドーム級の
コンサートをしても、それはアーティストという存在ではなく、

商業主義のキャラクターとなり「うた」本来の持つメッセージを伝えたことにはならない。

あまりにも時代を変えるほどの「うた」の存在が無く、好きなアーティストが
歌っているからその場所へ行くアミューズメントライブになっている。
今、世の中の意識ある人を集めて魂を投げかけなければ市民レベルの革命は起こらない。
この会場で音楽ファンも画家も写真家も大学教授も能楽師もお茶の家元も参加できる
空間を作りたかった。
その日のテーマによっては、観客もライブの最中に飛び込んでもいい、
歌であったり演奏であったり、詩の朗読であり、果てはマイクに向かって激論を
飛ばしても良い。

第一回目のテーマは「仏陀」。あえてこのテーマからやり始めたのには意味がある。
仏教の世界の理念とロックの融合の可能性を試したのである。
人生の喜怒哀楽、悩みの原因、そしてそれらを抜け出すための仏陀の理念を、
映像とナレーションを組み合わせて、そこに生声で「うた」が入る。
観客が理解できるかできないかでは無く歌声でしっかりとメッセージを伝える。
初めての試みなので面白いとか好きではないとか色々意見があっても構わない。

歴史の上では世界の各地でいつもこのような市民活動は繰り広げられていた。

私が80年代のNYへ仕事で出かけた時に、音楽関係者から今一番トレンドな会員制
クラブがあるから行かないかと誘われた。名前は「タンネル」いわゆる地下鉄の
トンネルの中である。
音楽家も画家も役者も先端を言っている尖った連中のたまり場であった。
後で聞いた話ではその時アンディーウォーホルもいたらしい。
そこはまさしく歌っているやつ、踊っているやつ、話し合っている連中がいて、
新しい時代を求めている叛逆児のパワースポットであった。
音楽は人がコミュニケーションを取りやすいただの環境音楽だった。
私に言わせればバンクロックも心地よい環境音楽であり、
眠っている魂を呼び覚ますためのカンフル剤であるに変わりがない。

伊丹谷良介の決意書。

「新春うた」テーマ「ブッダ」「心を整える合理的な方法」 
他人の過失を探し求め、常に怒りたける人は煩悩の汚れが増えていくでしょう。
他人の過ちを見るのではありません。他人のしたことしなかったことを
見るのでもありません。
あなたはただ自分のしたこと自分がしなかったことだけを見れば良いのです。

まず自分を正しく整え、次に他人を教えることです。
そして他人に教えるとおりに、自分でもおこなうのです。
自分をよく整えた者こそ、他人を整えることでしょう。
無益な語句を千たび語るよりも聞いて心の鎮まる有益な語句を一つ聞く方が
優れています。無益な語句よりなる詩が千あっても聞いて心の静まる詩を
一つ聞く方が優れています。

戦場において100万人に勝つよりも ただ一つの自己に克つ者こそ実に最上の
勝利者なのです。勝利すれば、恨みが起こり敗北すれば、
苦しみに悩まされます。勝敗を捨て去った者が、安らぎの境地へと
向かうのです。恥じなくてもよいことを恥じ恥ずべきことを恥じない人々は
よこしまな見解をいだいて悪い所へ赴くでしょう。 

恐れなければならぬことを恐れない人々はよこしまな見解をいだいて悪い所へ
赴くでしょう。避けなければならぬことを避けなくてよいと思い避けては
ならぬことを、避けてもよいと思う人はよこしまな見解をいだいて悪い所へ
赴くでしょう。あの人も言っていた心を開いてYESって言ってごらん
全てを肯定して見ると見つかるもんだよYES YES YES
何もいらないただ歌おう僕らの愛のうた僕らの愛のうた

「仏陀」をテーマとして企画した、その為に100時間以上費やして
作った映像とナレーション。それらに絡み合っているサウンドがピッタリと合っていた。

デジタル音の合間に登場して生ギターで、生ピアノで熱唱する。
まるで伝説の革命家チェ・ゲバラのアジテートように叫び大声を上げる。
その覚醒した姿に観客は度肝を抜かれた。

ある時期、時代を制したボブディランもゲンズブールもスティングもサルトルも
彷彿とさせた。要するに文化の発信のスタイルがそれぞれ違っても、
時代を刺激させたことには変わらない。

ここから歴史が始まる。伊丹谷良介の哲学がロックに乗って響き渡る。
過去の価値観を共有して新しい時代を求めていく、まさに「温故知新」の
世界である。狂え!伊丹谷良介!今からもっと狂え!そして時代の孤児になれ!
そこに知的革命が起こるまで。


話を聞く




私たちはどれだけ相手のことを知り話をしているのだろうか?
話の中心は自分ではなく相手なのに一方的に話し続ける。
良かれと思った話題でも自分中心だと相手の心は遠ざかる。
自分は知っていることを話しているのだが相手にとっては皆目見当がつかない。

自分の知り得た情報と知識が全てだと勘違いをして話しかける。
相手のことを無視して相手もきっと知っているだろうと勘違いをしたままである。
言葉の選び方も完全に間違っている。自分が専門的に使っている言葉を、相手の気持ちも
わからずに使うと全くコミュニケーションが取れないままの状態になる。

話をする段階がある。最初は当たり障りのない共通の話題から入る。
その反応を見て少し専門的な話に持っていく。ここで相手の表情を見て理解できて
いるかを知る。相手の経験や仕事の知識から説明に笑顔が出れば、投げたが言葉が
着実に届いたことになる。届いたことが確認出来てから初めて本気で語り合えばよい。

大愚和尚:お釈迦様は教えを説くのに、
「決して人々が分からない言葉で語ってはならない」としました。
35歳で悟りを開かれてから、80歳で亡くなられるまでの間、ずっと人々の苦しみを
聞いてアドバイスをなさった。

その際お釈迦様は、自分が話している相手の能力、
育った環境や背景を見越した上で、その人に伝わるような例え話を出したり、
伝わるような順番を考えたりして、お話をされたといいます。
画一的なお説法をしたわけではないんですね。

これを「対機説法(たいきせっぽう)」というのですが、相手を見て、
自分の伝えたいことを伝える。これがお釈迦様のお説法なんです。
(「対機説法」:相手の資質に合わせ、理解ができるように教えを説くこと。)

大愚和尚:お釈迦様は、お弟子さんが「言葉巧み」であることを、
ものすごく奨励されたんです。真理を人に伝えたいのであれば、伝わらない
話し方ではダメだと。話し方の順番までこだわられたのには、
「伝えたい」という強い思いがあったからです。
 
仏教というのは、お釈迦様が一人ひとりに合わせて、それぞれの苦しみを救って
こられたというエピソードを、側近の弟子が人生をかけて聞き取り、記したもの
なんです。
「いつ、どこで、誰に対して、お釈迦様はこんなことを語られた」という
エピソードが、お経なんですよ。
 
そのエピソード集であるお経を、後の人が調べていく中で、その中に共通した
考え方を見いだして体系立てていったのが「仏教学」です。
お釈迦様という方は、何かを書き記したり、残したりしたわけではないんですね。
会う人会う人、皆さん一人ひとりに対して、その苦しみに合わせてお話を続けた。
コミュニケーションの人だったんです。

大愚和尚:それはお経も同じです。私たちは直接お釈迦様にお会いすることは
できないわけです。ですから私たちにとって、お釈迦様の教えというのは、
全て「経典」なんです。つまり、文字として書かれたものです。
お釈迦様は書を残していません。ただそばにお弟子さんがいて、
そのエピソードを私たちが分かるような形で残してくれた。
お弟子さんたちの巧みな文章術、つまり「型」がなければ、仏教の教えは2600年の
時を超え、民族を超え、国境を超えて、日本にまで伝わってこなかったかもしれません。
 
「般若心経(はんにゃしんぎょう)」にしてもそうですが、この文章の
「型」というのが、ものすごく美しい。文字の配列、言葉の音、一つの作品なんですね。
語り継がれているのには、書き記したお弟子さんの文章術の巧みさがあったわけです。
(「般若心経」:膨大な般若経の内容を簡潔に表した経典。1巻。日本では
「色即是空、空即是色」の句のある玄奘(げんじょう)訳が読経用に広く
用いられている。)

大愚和尚:コミュニケーションの基本について皆さんにお話しするときに、
大事な原則があるんです。それは概念ではなく、体感をしていただくということです。
 
例えば、研修会や勉強会でコミュニケーション力や対話力について話をするときには、
実際にキャッチボールをするところから入ります。

質問者:「会話はキャッチボール」であることを、体感してもらうためですね。

大愚和尚:本当に何かものを投げようと思ったら、相手がそれを受け取る準備がないと
いけません。相手が受け取らなかったら、キャッチボールは成立しませんからね。
でも、私たちは会話のキャッチボールにおいて、「言ったでしょ」と相手を責める。
相手は全く受け取っていなかったり、受け取る準備が整っていなかったりしてもです。
もしくは投げる側が、受け取れないところに投げたり、すごいスピードで投げたり
している場合もあります。
 
特に、近しい人、親子、夫婦、同僚、友達だと、「分かってくれるでしょ」といって、
ひどい球を投げてしまいます。そして受け取ってもらえなかったことに対して、
怒ってしまうんです。

質問者:「あの人は分かってくれない」というパターンですね。

大愚和尚:やっているのはそういう滑稽なことなのだと、物理的なキャッチボールを
すると分かるようになる。言葉のキャッチボールだと、自分と相手には違いがあるのが
当然だということを忘れてしまうんですね。それはボールと違って、言葉に対して
しっかりと意識が向いていないからなんです。これが英語などの普段使わない言葉で
あれば、自分の言葉を吟味して話せるんですけれど、自然に使える日本語だと、
使いこなせているという錯覚を持つんですよね。

質問者:「慣れている」ことと、「きちんと使えている」ことは、別の話なんですよね。

僕も日本語には慣れていますけど、じゃあ、僕たちの本に書かれてあるルールを
守って言葉を使えているかといえば、そうじゃないことがたくさんあります。
だからこそ、話し方の本、書き方の本が必要なのでしょうね。

大愚和尚:学校に国語という科目はありますけれど、「こういうことを伝えるために、
こんな『型』がある」ということは、話し方においても、書き方においても、
教えてもらいませんからね。
<仏心宗大叢山福巌寺住職大愚元勝>講話一部抜粋

顧問先の会社や専門学校の理事として私は時々会議のファシリテーターを
頼まれることがあります。
会社の会議では顔見知りの方たちばかりなのでいきなり本題から始まりますが、
色々な人たちの集まりの場合にはアイスブレークから入ります。

私は「長さ千切り」「ボール回し」という手法をよく使いました。
用意するのは新聞社やボールです。会議室の机を隅に寄せて円陣を作ります。
ここから共同作業がスタートします。

各グループに新聞紙を渡して一人が新聞紙を千切り、次の人へ渡していきます。
そしてまた次の人へ回してどこまで長くちぎれたかを競うものですが、新聞紙を
短冊状に千切るのは大変で途中で切れて各グループから笑い声が聞こえてきます。

またボール投げは人数にもよりますが各人に動物の名前を付けて、
名前を呼びながらボールを回していきます。これを投げる時間をどんどん短縮して
いくと、最後は大笑いの内に和やかな雰囲気になります。

そうして会議を始めます。

心を緩ませることによって緊張感が取れます。
緊張感を緩めながら本日のアジェンダと成果目標を発表します。
ここでファシリテーターとして大切なことがあります。
絶対に「教えない・仕切らない・まとめない」を守ることです。
これは新潟の人材育成の会長さんから教えていただいた話です。
特に子供たちの育成には鉄則だと言われました。

ファシリテーターがルールを威圧的に伝えると、その時点で参加者が意見を言うのを
控えて他人任せになります。参加者の意見を引き出すのが務めなのに歯止めをして
しまうのです。注意しましょう。

昨今、「傾聴」という言葉をよく聞くようになりました。
他人の発言に耳を傾けるという事ですが、自分の意見を持って聞かなければ
意味がありません。先ずは自分の主張を持って他人の意見を聞きましょう。


日日是好日




年齢を重ねると女性は美貌を失い男性は気力を失う。
果たしてそうだろうか?美貌も気力も失わない人もいる。
上手い年の取り方と下手な年の取り方がある。
目的・健康・活力の3つを実行している人は美貌も気力も失わない。

目的(Purpose)とは残りの人生でやりたいことを決める。
健康(Health)とは自分の体に合った食事を摂り運動を欠かさないこと
活力(Vitality)とは若い人たちと交流を持って彼らの手助けをすること。

巷では微小の効果データーでヘルスケア商品が大量に売られている。
医療機関認定のデーターで集めた資料をもとに健康食品会社が次々と商品を作る。
長期にわたるエビデンスが無くてもテレビCMを流して栄養剤として売られる。
街のそこかしこにある調剤薬局にも高齢者目当ての怪しげな商品が並べられる。

今や高齢のタレントをCMで起用して売上重視で企業が不正を働き、
日本人が日本人を騙す。それも力ない高齢者をターゲットにしている。
国も高齢者のタンス預貯金を引き出そうと躍起になっている。
海外では問題がある商品は市民活動で不買運動が起こり会社を倒産へと追い込むが、
日本ではかっこ悪いと誰も立ち上がらない。悪を見逃すことになる。
国会議員の不正も許せないと思いながら誰も声を上げない。

漢字の金偏にプラスを書いて「針」になる。人を刺してまで儲けることが仕事なのか?
「儲」けるとは信用する者と漢字で書くが彼らは信用されず信頼を失う。

一般企業は高齢化社会で年寄りが増えたから年寄り目当ての商品が売れるのでは
ないかと売り急ぐ。
それに輪をかけて年老いた父母を持つ子供達も、自分の親には絶対着せないような服や、
効果が疑わしい健康器具、認知症予防の薬や防犯グッズを与えて、役割は済んだと
思ってしまう。

人生の上り坂で見えていた景色が下り坂に差し掛かると突然景色が変わる。
上り坂ではみんなと光り輝く希望が見えた。
下り坂では一人で辛い人生がはっきり見える。
慌てて死亡保険に加入する人達も、死んでいなくなる人達も、愚痴を言い続ける人達も
それぞれの景色の中で暮らしていかなければならない。

禅語に「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)というのがあります。
中国唐時代の雲門文偃(ぶんえん)禅師の禅語で知られる。

雲門禅師はある日、大勢の弟子たちに向かって「十五日以前のことはさておき、
これからの十五日以後の心境を一言でのべなさい。」とたずねた。
だが誰もすぐに返答が出来ずにいると雲門は自ら、即座に「日々是好日」と答えた。

この語を文字通りに解釈すれば「毎日が平安で無事の日である」と云う意味であるが、
単に毎日がよい日であるのでは禅的解釈にはならない。
雲門はなぜ「日々是好日」と云ったのかに疑問を抱き、
その心を解くところにこの語の教えがあり真意があるのだ。

「十五日以後の心境を」を問われた弟子たちは皆、十五日後に答える
ことを考えたことだろう。しかし、雲門は自ら十五日と云う期間を示しながら、
実は即今、即座の答えを求めていたのだ。

「無常迅速 時人を待たず」である。
親鸞聖人は「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かんともかな」と
歌われているように、今ここで自分の境地が述べられなくて、
一体いつ言うときがあるのか。

「無常迅速、時人を待たず」であり、はたして明日と云う時があるとは
限らないではないか?
この一瞬のところを大事にせよ」と云うこと教え示した言葉が
「日々是好日」なのである。
平々凡々、何事のさわりの無い穏やかな日々だけが「日々是好日」ではない。
 
多くの人は「今日も一日よい日でありますように」と願い、無事を願う。
しかし現実はその願いの通りにはいかないで、雨の日、風の日があるように
様々な問題が起き、悩ませられることばかりかもしれない。

しかし、どんな雨風があろうとも、日々に起きる好悪の出来事があっても、
この一日は二度とない一日であり、かけがえの無い一時であり、一日である。
この一日を全身全霊で生きることができれば、まさに「日々是好日」となるのである。
好日は願ってえられるものではなく、待っていてもかなえられるものではない。
自らの生き方に日々に好日を見出しえなければならないのだ。

時の時とするときは来ない、只座して待つのでなく主体的に時を作り
充実したよき一日一日として生きていくところにこの語の真意がある

我々高齢者は牙を抜かれたライオンではない。
不況という灼熱のサバンナを駆け抜けて、豊かな社会を支え続けたライオンである。
まだ戦える。戦ってきた知恵もある、戦いに勝つ方法も知っている。
囲いの中で飼われていた羊ではない。周りを騙すキツネでもない、ハイエナでもない。
我々は現役のライオンなのである。

年相応の美貌を持つ女性と少し尻の小さくなった男性のロマンが生まれても良い。
まさしくフランス流の生き方をすればこの世は天国である。

人を騙してピエロのような生き方をする連中とは死ぬまで仲間になれない。

老人は弱者だから、こうしなければならない、こうするべきだと、言われ続けている。
勝手に人生100年時代だから2000万円の貯金がないと暮らせない。
あらゆる介護サービスを紹介しながら保険会社の広告が入る。
そして葬儀屋のCMも増えてきた、高齢者の病気の名前も増えた。
家族葬がお得です、樹木葬のお墓が安いですよ。みんな死ぬのを待っている。

こうしてテレビの前でニュースに向かって文句を言いながら「日々是好日」でした。
みなさま右のポケットには文化を入れて、左のポケットにはオシャレを入れた
暮らしをすれば毎日が「日日是好日」ですよ。

「時人を待たず」今やらなくていつやりますか!