100人いると思え




提案された企画が会議に通り新しい事業が始まる。
発表をして広く大衆に知れ渡ったところで、
他のメーカーから類似商品が発売される。
市場があることを確認してからの発売だから
商品内容も価格も高品質・低価格で棚に並べられる。
次の商品開発に手を付けなければ敗北になる。

会社役員は開発費用とそれに割いた人員の経費に頭を痛める。
自由経済では誰にでもチャンスはある。他メーカーの動向も気になる。
生き馬の目を抜いても勝たなければビジネスが成立しない。
その時に学んだのが「会議室に提案された内容は我々だけのものではない」
同日・同時刻に国内外を問わず100人以上の人が同じ内容で話し合っている。

知人から耳元でこの情報はオフレコであなただけに教えます。
これを信じた人は自信たっぷりに他人に伝える。
自分だけの情報だからビジネスの先手を打てるから成功すると目論む。
投資家から資金を調達して意気揚々と会社で発表する。
「あ、それ知っているよ」「有名な話だよね」とスタッフから言われる。
ここで最大のミスを犯したことに気づくが手遅れである。

アメリカの戦略の方法の一つ「OODA」(ウーダ)がある。
これはビジネスの「PDCA」の進化版で政府が採用している考え方である。
最初のOはオブザーブのOである。観察・徹底的調査
次のOはオリエンとのOである。調査結果・状況判断
そしてDはデシジョンのDである。参加者の意思決定
最後のAはアクションのAである。実行・行動開始

これを、時間の経過とともにループ状に何度も繰り返す。
「PDCA」だと計画に沿って動くのでスピードと変化に遅れてしまう。
「OODA」は常に状況の変化に対応する戦略と戦術である。
アメリカが得意とするデータードリブンを活用する。

本日のテーマは「100人いると思え」です。

あなたが今日受けた恩は何処かで同じように100人の人も受けている。
あなたが昨日受けた心の傷は何処かで同じように100人の人が受けている。
あなたの喜びも悲しみも何処かで同じように100人の人が感じている。
何が起こっても同じように100人の人が感じていると思えば心強い。

あなたの人生はあなただけのものだが同時刻に同じ考えの人もいる。
あなたに舞い込んだ素敵な話も同時刻に同じ体験をしている人もいる。
だから喜びも苦しみも1人で抱えているのじゃなくて誰かと共有している。
あなたは孤独になる必要はない。そして難しく考える必要はない。

幸福になろうとして人と比べて生きることは無意味である。
あなたはあなたなりに自分をもっと知らなくてはならない。
そして自分との約束で計画したことは絶対に破らないこと。
何よりも誰よりも自分を愛することを守りなさい。
周りを見すぎると疲れるから空を見る習慣をつけなさい。
生きていることに敏感になり使命感を感じて毎日を過ごしてください。

日本人と西洋人の考えに大きな違いがあるのを知っていますか。
日本人は「無」の世界があり、西洋人は「有」の世界だけで生きているのです。
仏教の「無一物」空(くう)の世界が日本人の奥深さに繋がるのです。
西洋人は狩猟と略奪を繰り返し手に入れることが生きることでした。

日本人は自然と共存共栄しながら自然に合わせて生きてきたのです。
西洋の一神教の考えでは「天・地・海」全てが神の創造物です。
そして西洋人は森や山や湖には魔物が住んでいると教えるのです。
しかし我々は自然界には神々が住んでいるので神聖な場所としてとらえています。
環境豊かな日本と環境劣悪な西洋との思考の違いです。

「色即是空、空即是色」そこには何も無いだが何も無いところに全てがある。
日本では文化が花開き、西洋では化学が発展した。
E=mc2は究極の「有」の追求である。そこまで手に入れる必要はあるのか?

第1の心のわかり方はことごとく意識を通す。その内容はすべて言葉で云える。
それでこれを「有(う)」という。これに反して、第2の心のわかり方は、
決して意識を通さない。またその内容は、決して言葉では書けない。
だからこれを「無(む)」という。しかしながら、無が根底にあるから、
有が有り得るのである。東洋人はこれをずっと知っていた。

日本人も少なくとも明治までは知っていた。
そしてよくわかる人は、そのことが非常によくわかったのである。
何でもすべて本当に大切な部分は無である。
だから日本本来のよさというのは無である。
ギリシャ人や欧米人は有しか知らない。無のあることを知らない。
戦後すっかりアメリカやソビエトに同調してしまって、
言葉で云えないものは何もないと思っている。

戦後に生まれた人達には、学校も家庭も社会も子供達に有ばかり教えた。
無を教えなかった。ところが日本というのは、一言に云えば無である。
だから戦後に生まれた人には、日本というものがわからなくなってしまった。
つまり、日本を知らないのである。
それではもはや、日本人ではないと云ってもよい。
それで世代の断層というものが出来てしまった。

だがそれでも日本民族だから、日本人の頭頂葉を持って生まれてきている。
これは健在なようである。だから、
なんとなくそれでいけないものを感じはする。
しかし、言葉で云えるものが大事なものだと思っている。
それが根本的な間違いである。言葉で云えるものなどに、
それほど大事なものはない。

第2の心の世界を「無」と云い、第1の心の世界を「有」と云う。
「真、善、美」はすべてその源を無の世界に発して、
有の世界へ流れこんでいる。
有の世界に入って後、言葉で云えるのである。

全ては民族の意識調査から始めて適時・適材の商品開発が重要である。
あなたのアイデアは100人の人との共有であることを知っておいてください。

常に100人の人がそばにいるのです。