「不幸」の逆は「幸福」ではなく「幸不」です。
すなわち幸福が不要だということです。
ですから辛い時ほどあなたは幸福だということです。
その時が成長のチャンスです。心の鍛錬の時期です。
私は子供の頃から苦労しましたが、それが辛いと思わなかったのです。
いつまでも暗い夜が明けないことは絶対無いと信じていたからです。
転校先でいじめられても、友達からの裏切りも、担任教師の意地悪も、
笑顔で全部返したのです。
独立して事業が失敗した時にも一人で耐えて冷静に過ごしました。
何故ならどん底に辿り着けば上に上がるしか無いと思ったからです。
悩みがあるうちはまだどん底ではありません。
ほんとうのどん底は頭の中が空っぽの世界なのです。
コップの水の例えもありますように、もう水がこれしか無いよと
否定的に思うのと、まだ水はこれだけあるよと肯定的に捉えると
逆の意識で強くなれます。空っぽにこだわらなくなるのです。
諦めるはあなた自身で決めるもので他人が決めるものでは無いです。
そうなれば残っている少ない水を希望に変えることも出来るはずです。
たとえば道の野草に水を与える。そこから花が咲き多くの人に安らぎを与える。
水の役割を飲むから注ぐと考えれば「諦める」という言葉は生まれないのです。
あるとき韓国の教会へ多額の寄付を申し出た著名作家がいました。
そうすると牧師さんが一言いいました。
あなたの行為はとても嬉しいのですが、寄付は多くの人が
持ち寄ることで意味があります。あなたの寄付を受け入れてしまうと
貧しい人たちからの寄付の機会を奪ってしまうのです。
お金を持っている人が募集金額を全部払う行為には意味がありません。
貧しい人が希望を見つける機会を奪ってしまうからです。
普通で考えると1人の人で目標が達成されるなら
ラッキーと思えることが逆だということがわかりますか。
我々人間は損得勘定が先に頭に浮かびます。
時間が短縮できた、目標が達成された、手間暇が省けたなど、
効率の部分でしか判断できません。
大型の豪華客船も見えないところで頑張っている部分があります。
それは錨(いかり)です。錨が無ければ船は停泊できないのです。
見える部分はきらびやかですが見えない部分の錨があってこそ
停泊時にも快適に過ごせるのです。
見えない部分が見える部分をいつも補助しているのです。
お金に恵まれて派手な生活をしている人は落ち着くところがなくて不幸です。
財産を維持しようとして他人がみんな悪い人に思えてしまうことです。
それだといつまでも安心とやすらぎは得ることが出来ません。
あると思うところには何もなく、無いところにはすべてがあるのです。
見えないところを見る、逆から見る習慣を身につけましょう。
アメリカのミリオネラーの言葉に「Low key」というのがあります。
目立つような派手な暮らしを避けて質素に暮らそうという意味です。
お金のあるなしに関わらずに人間性を大切にして生きていこうという事です。
今の時代は派手さを嫌う風潮が尊ばれるようになってきたという事です。
みんな逆なんです。仏教のなかには,「托鉢」という行があります。
笠をかぶったお坊さんが手に鉢をもって家々を回りお布施を頂くという行です。
お釈迦さまは托鉢に向かう弟子たちに、こう言ったんです。
「お金持ちの家ではなく貧しい人たちの家を回って托鉢をしてきなさい」
普通、お布施をいただくのですから、お金持ちのところに行くのが常識ですよね?
しかし、お釈迦さまの思いは別のところにありました。
貧しい人がなぜ貧しいのか。それは、自分のためにしかお金を使わないからであり
その人たちに与える喜びを味わってもらう機会を生みだすのが、
托鉢の真の目的だったのです。
絵本作家の「のぶみさん」がこう教えてくれました。
「神社のご神体が鏡なのは、なんでだと思いますか?
鏡は、『この世界はすべて逆なのだ』ということを教えてくれているのです。
鏡に映すと、右と左が逆になるように。
神社では、お願いをしにくる人の願いが叶うんじゃなくて、
神様の願いを聞きにきてくれる人の願いが叶うんです。
逆なんです。
神社で売られているお守りもそう。
お守りに守ってもらおうと頼る人が守られるのではなく、
このお守りを守ろう・守ろう、大切にしようと思う人が守られる。
逆なんです。
神様の願いを聞きにきてくれる人というのは、自分の願いだけを言いに来る人ではなく、
みんなの幸せを願いにくる人だそうです。
だから、のぶみさんは神社ではこう祈っているそう。
「神様のお手伝いができますように。日本が ちょっとでも良くなるように、
がんばりますから」
私も昔宮司さんから言われたことがあります。
あなたが人生最後の食事を選ぶとしたら何を食べたいのですか?
おふくろの作ってくれたオムライスやおにぎりを食べたいと答えました。
そう言うと宮司さんは本当に神様に感謝の気持ちがあるのならば、
最後の食事はこれからも生き続ける人達に提供するのが正しいのです。
私は深く反省しました。頂けるからありがたいのではなく、
断ることもありがたいの行為であることを知りました。
今まで学校で教えていただいたことは一方向の教えです。
正義か悪か、高いか低いか、多いか少ないかの教えです。
これが民主主義の基本的な考えで、多数決で決める方式です。
声を上げられない人の意見は完全に無視されてしまうのです。
個人の置かれた環境やその村で正しいという考えは必要なく
日本全体の法律で取り仕切ろうとする考え方です。
都会暮らしの人が山の斜面の危険性や川の蛇行が引き起こす水害を
想像することは不可能に近いのです。
大勢の人が、これが正しいと手を上げている場合は疑ってください。
少人数の人たちが集まりことを起こした場合でも世の中が大きく変わります。
価値観は「逆もまた真なり」という考えで判断してください。
6月 19th,2024
恩学 |
全てが逆なのです はコメントを受け付けていません
不登校の児童を持つ家庭に先生が尋ねてきた。
学校に来ないと授業に遅れるぞ。テストの出来が悪くなるぞ。
友達も寂しがっているから学校に来る様にという話ばかりだった。
それを聞いていた母親が「先生、先ほどから話を聞いていると、
先生や学校の事情ばかりで子供がなぜ学校へ行かなくなった、
原因を一切聞こうとしないのは何故ですか?」
母親は「私も納得がいかないので子供を学校へ行かせません」と答えた。
学校の先生は大学で教員課程を学べば誰でも先生になれます。
しかし教師にはなれません。教え方の方法は学ぶのですが
子供は一律に同じではありません。
先生は年間のカリキュラムで決まっていることを教えるだけで、
各子供に適した教えはできません。
子供達に理解されようがされまいが一切関係ないのです。
だから教える師ではないのです。けっして教師ではないのです。
決められた内容しか教えられないのであれば、
これからはChatGPTに任せて授業を進めれば良いのです。
「この国は実利と効用に尽きる」
「心臓は何のためにありますか」と言う質問に「心臓は血液を送るポンプです」
と言えば皆さん納得されます。同じように「目玉は何のためにあるのか」
と言う質問に「ものを見るためにある」と答えます。「鼻は何のためにあるのか」
「においをかぐためにある」というと、そこで話は打ち切られます。
それ以上の質問は聞き入れてくれません。
私が小学生の時に学校の先生に「1+1は何故2になるのですか」
と聞いて叱られました。
私の質問は「誰が何のために何を必要としてこの方式を作ったのか」だったのです。
それに答えを求めたのですが、授業の邪魔になるからと廊下に立たされました。
教科書に在るべきことがすべてでそれ以外は質問を受け付けなかったのです。
「先生の為の学校」
先生にも世の中の変化や子供たちの心理状態などを学ぶ学校が必要です。
教員免除を習得して教室を受け持ったらそれで終わりではないのです。
そこから始まる学びの中に「不変の学び「倫理・道徳」」「哲学」、
「変化の学び「テクノロジー&AI」」
「世界の中の学び「地理・経済・国力」」が必要です。
日本は防衛と食料とエネルギーを他国に頼っています。
一旦戦争が始まってこれらを停止させられたら戦う間もなく敗北をします。
何故こんなに重要なことを子供達に教えないのでしょうか?
それは世界が強い日本を望まないからです。
敗戦国日本は未だ戦勝国のアメリカに頭が上がらないのです。
アメリカの51番目の属国として好きなように管理されているのです。
経済も医療も食品もあらゆるものが日本の地で試されているのです。
医薬品も農薬も食品添加物も自国では禁止して他国では使わせる。
直接的な痛みが現れない分だけ他人事で済ませているのです。
臆病な政治家や大人たちに任せるのではなく、若者たちが動き出さなければ
この先日本独自の理想的な未来はやって来ません。
「主人となるか奴隷となるか」
きこりの話
6時間で一本の大木を切り倒すきこりと、3時間ノコギリ歯を磨ぎ
1時間で大木を倒すきこりのどちらが正しいのでしょうか?
普通の主人は6時間の方を選びます。
なぜなら労働者に苛酷な作業に当たらせて思考を奪う方が使いやすいからです。
学習とは常に努力を奨励しますが、何故同時に効率も教えないのでしょうか?
一概にアメリカ流の効率ばかりを教えるのは良く無いと思いますが、
日本の職人の世界は効率よりも最初に無駄と思われることを教えます。
その無駄が初めてわかって職人としての工夫を見つけ出せるからです。
安易に楽な方を薦めるのではなく2つのことを同時に教えることが必要です。
サーカス団の象
ある時に近くに来たサーカス団のテント村へ尋ねたところ、空き地に繋がれている
象を見つけた。そこで不思議に思ったのは大きな象を結んでいるロープが
あまりにも細かったからです。そんな細いロープに繋がれた大きな象は
何故ロープを引きちぎり逃げ出さないのか?
飼育員に尋ねたところ象が未だ小さい頃に何度も逃げ出そうとしたのだが
その細いロープを引きちぎることができなかった。
その時から逃げるのを諦めてその細いロープでも抵抗しなくなったのだという。
一度の失敗で自分は能力がない力がないから無理だと、
決めつけている人は多くいます。
そこで挑戦することを諦めたらこの象と同じ道を歩くことになります。
世の中の理不尽な細いロープに縛られて逃げ出すことが出来なくなるのです。
自分が何故動けないのか症状ばかり見るのではなく原因を探るのです。
学校の先生が不登校の生徒を学校へ引き戻すのが仕事だと思っているから
何も改善されないのです。原因はどこにあるのかを探り出さなければ
何度も同じことを繰り返すことになります。
私は子供の時から挑戦ばかりしていました。
別に人より勇気があった訳ではなくそうせざる得ない家庭環境だったからです。
人と同じ考えを持ち、人と同じ道を歩けば、自分の居場所がないことが
分かっていたからです。
そして沢山の成功は沢山の失敗から生まれることも知っていたのです。
子供達に教えたいのはこの失敗の重要性です。
楽なことや調子の良いことに気を向けるのではなく、
人がそれは無理だと言われることに挑戦するのが重要なのです。
人は年齢を重ねたから老いるのではなく夢を諦めた時に老いる。
たとえ20歳の若者でも夢を諦めればそれは老人なのである。
サミュエルウルマン「青春」より
「若き日に薔薇をつめ」
赤く情熱的な薔薇(夢)を素手で掴め、
たとえ鋭い棘に刺されて血が出ても若者はすぐに傷が癒される。
棘を恐れ、挑戦をしないだけで人生を過ごすのはすでに老人である。
稲葉瀧文「恩学」より
ロックシンガー伊丹谷良介と始めたロックサロン「うた」。
毎月テーマを決めて音楽とナレーションと映像で展開する。
演奏終了後には観客と対話をする。
あえて小人数の場所で東京・京都・名古屋と展開をしているが、
今どき採算の合わないライブをやるアーティストはいないが決行している。
50歳を迎えたロックシンガーと75歳のプロデューサーの挑戦である。
熱い男たちの終わらない挑戦でもある。
音楽は常に市民活動の中にあって時代の主張がなければならない。
だから観客は決して音楽好きだけではなく一般の人たちを対象にしている。
1月「ブッダ」・2月「生命」・3月「芸術」・4月「科学」・5月「こども」
のテーマで行われた。6月は「音楽」で7月は「自然」です。
あなたには想像つくだろうか?このタイトルでライブが行われていることを?
毎回終了後の観客は周りの観客と対話を始めるのである。
まるで良質の芸術と触れ合ったあとの心地よさが言葉に変わるからです。
良質の音楽とは演者も聴衆者も垣根のない世界である。
左脳と右脳が同時に刺激されると思考は言葉に変わるのです。
音楽も教育も理屈ではない。誰もやっていないから無理だと決めつける
症状主義では何も変わらない。我々はあえて原点に挑戦しているのである。
音楽から紡ぎだされる感動は静かに伝わり市民を動かす。
そして国も変えることも出来ると信じているのです。
膠着した脳の原因を見つけることが出来れば簡単なのである。
症状で騒ぐのではなく、原因を探し出すことが大切である。
あなたも今悩んでいることの原因が見つかれば楽になります。
6月 19th,2024
恩学 |
症状か原因か はコメントを受け付けていません
ブータンの学校での出来事
ブータンの学校に行ったときに、女の子や男の子に
「いじめはありますか?」と尋ねました。
「いじめってどんなこと?」ということで
「一人だけをのけものにしたり、ものを隠したり、ひどいことを
みんなで言うこと」というと、
ブータンの少年は不思議そうな顔で私に、
「どうして、なんのためにそんなことをするの?」と聞きました。
「そんなことをしたら、自分のことが好きになれない。
好きになれなかったら、誰のことも幸せにできない。
自分も幸せに生きられない。どうしてそんなことをするの?」
と尋ねられました。
そして、ブータンには泥棒がいないとガイドさんが言いました。
どうして?と尋ねると「そんなことをしたら、自分が恥ずかしいでしょう。
そしてそんな自分を誇れない」と。
私たちも昔、「誰が見ていなくても、お天道さんがみておられる」
と言いました。少年の言葉にもガイドさんの言葉にも涙が出ました。
そして、泥棒やいじめがあっても当たり前のように思っている
自分が恥ずかしくなりました。私も自分を好きでいたい。
自分を誇りに思いたい。自分に恥じないことをしていきたいと思いました。
ブータンの子供達の話を聞いてお釈迦様の言葉を思い出しました。
臨済宗円覚寺 横田南陵管長日記より
お釈迦様は今から二千五百年も前にお生れになって、
厳しい修行をして、みんなが幸せに暮らせるのはどうしたらいいか、
一つの方法を見つけましたと話をしました。
それは何かというと、
「自分がされたらいやだなあ、と思うことは人にもしない!」
ということです。この一つが実践できたら、世界はすぐ平和になります。
簡単なことですが、大人もできないのです。
自分がされたらイヤだと思っていることを、したくなることもあるのです。
叩かれたら痛いのです、いやなのです、だから人を叩いてはいけないのです。
悪口を言われたらいやなのです、だから人の悪口を言わないのです。
自分が嫌だと思うことは、人も嫌だと、人のことを思いやるのです。
この思いやる心が仏様の心です。
誰しも人はこの思いやる心、仏様の心をいただいています。
そのことを説いてくださったのがお釈迦様ですとお話したのでした。
通園している園児のおばあ様より聞いた話です。
子どもが三歳の時というのですから、五、六十年ほど前のことでしょうか。
あるとき、その子がいつも暴力を振るうガキ大将に叩かれて帰ってきたというのです。
お母さんは「あなたが悪くないのだったら、やり返しなさい」と言ったそうです。
「男の子は負けてもそのくらいの気概は欲しい」と思ったのでした。
ところが、その三歳の子が「お母さん、叩かれるとものすごく痛いんだよ、
僕が叩いたらあの子も痛いだろう、だから僕は叩かないよ」と言ったのでした。
僕が叩かれると痛いのだから、あの子も叩かれたら痛いだろうと、
これが思いやる心です。その心をうまれながらに持っていたのです。
親から教わったのではありません。
親から教わろうとしたのは、やり返しなさいということでした。
しかし、本来もって生まれた心は、思いやる心だったのです。
私は今「老人と孫」という対話集会に老人として参加しています。
何故この会が始まったかと言うと昔話に由来しています。
「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました」
多くの童話はこの言葉から始まります。
そして子どもは桃の中や竹の中から生まれてきたのです。
しかし、不思議なことにどの昔話にもお父さんやお母さんは出てきません。
それは何故かと言うと子供たちはおじいさんやおばあさんから、
幸せや、優しさや、平和を教えてもらえるからです。
お父さんやお母さんは頑張ることばかり教えて叱ってばかり。
その為に子供たちは本当の悩みはおじいさんやおばあさんにしか言わないのです。
「老人と孫」は回を重ねるごとに参加者が増えてきています。
保育士、介護士、栄養学士、彫刻家、ストリートダンサー、演出家、企業家
不登校児童、アーティスト、著作者、講演家、画家など
多彩な人たちが集まってきます。
毎回、孫たちから出てきた議題に老人たちが話を加えます。
決して説教でもなくお仕着せの理屈ではなく悩みを解決していきます。
老人たちも、煎茶道の元家元、著名画家、元証券会社役員、音楽プロデューサーと
自分達の経験を通して対話を楽しみながら話を進めます。
学校の先生も親も教えてくれなかった悩み事をお爺さん達に質問するのです。
それに呼応して参加者の中から手が上がり話をする人が続出します。
老人と孫が素直に話し合えれば争いは無くなります。
あらゆる内容で今後「老人と孫」の活動を広めていきたいと思います。
仏教の教えにあるような正道を伝えていきたいと思います。
平和活動にも貢献できるような対話集会へとすすめていくつもりです。
世界で一番暮らしやすいブータンのように日本もそうありたいと思います。
その為には、「小欲知足」を守ることです。
奪い合えば足りなくなり、分け合えば余る。
我々が生きる為にあらゆる植物、動物、水産物に感謝する。
全てのものは、3/1は自分のために、3/1は自然の為に、
3/1は未来の子供達の為に!ワンサードの精神です。
この心を忘れないようにしていきたいですね。
世の中の大半の人は自分が目立つ綺麗な花になろうとします。
学校の教育では何事も成功することが正しいと教えるからです。
お金持ちが成功者だとみんな勘違いして略奪が始まるのです。
その為には他人の土地を荒らし、自分の畑を広げることが平気になり、
大人も子供も奪うことに専念して人を平気で騙すようになる。
日本人の生き方はブータンの子供達と同じ様に昔は思いやり国家であった。
生きる為にお金は必要だが、お金のために生きることは、
恥ずかしいことであると教えられた。
自分が隠れてした良い行いも、悪い行いも「お天道様が見ているよ」と
教えられて来たのです。そしてそれが自然に身について来た時代がありました。
神社やお寺の境内で子供たちが「むすんでひらいて」を歌い続けたのは
日々神様や仏様への感謝の気持ちを遊びながら学んだのです。
むすんで」は高皇産霊尊(たかむすびのみこと)が、神々の世界と人間界を
「むすであげましょう」という意味で。「ひらいて」は仏からほどけ、
ほどけるから、ひらくとなったという説です。
日本には不思議な童謡が多くありその中の一つに「かごめかごめ」があります。
一説によるとかごめかごめの籠の網目は妊婦さんのお腹で子供がいつ出てくるの、
鶴と亀は長寿の象徴でそれが滑ったとなると子供が流産した?
「後ろの正面だ~れ」で誰かが後ろから押したと結ばれるとなっていました。
それほど子供が無事に産まれるのが大変だった時代だと思われます。
ブータンも日本も狩猟採集の国です。
自然と共に生活をして自然に感謝しながら暮らしてきた国です。
その年に収穫した分で暮らしてそれ以上のものは不要とした。
荒野で暮らす騎馬民族の様に他人の物を奪うことは必要なかったのです。
彼らは体力を温存させるためには肉類を主食としたのです。
その為に多くの動物も犠牲になったのです。
我々は正しく真っ直ぐに生きる正直の国なのです。
皆様もどうぞ、
美しい花になるよりも美しい花を咲かせる土壌になってください。
この言葉を忘れない様にしてくださいね。
6月 19th,2024
恩学 |
ブータンの子ども はコメントを受け付けていません
3月 6th, 2024 再投稿(改訂版)
音は自然界の音と古代人が二足歩行になってから、手を叩き、石を叩き、
落ちている木を叩き、手当たり次第に叩き回って、音を出していたのでは
無いかと推測される。それは襲ってくる動物から身を守るためのものであり、
神への祈りでもあり、歓迎の儀式でもあったかと思われる。
現代でもアフリカの民族の中には同じ行動をする種族もいる。
中国雲南省の山の民族は歌いながら求愛行動をする部族がいるという事です。
山を隔てて若い二人が歌いながら愛を告白する姿は、
まるで鳥のようであると言われている。
スペインの原始人はアルタミラ洞窟の中で火を焚き朦朧とした中で
壁画に没頭して描いていたとされている。壁画が書き終わるまで、
穴の入り口では物を叩いて音を出し大声で叫んでいたのでは無いかと推測される。
楽器の原型はすでにギリシャ時代からあり音楽として発展したのは
中国が発祥では無いかと思われる節がある。
音楽の文化でわかっていることは、BC.4000年ころに、
西南アジアに住んでいたスメル人によって作られたといわれている。
ペルシャ湾に近いウルという町からは、黄金をちりばめた楽器や、
楽人が演奏している図らしい彫り物なども発見されている。
西南アジアの文化は、エジプト・アッシリア・バビロニアへと広がり、
さらにアラビア・インド・中国へと伝わっていった。
また原始時代は今に残る遺跡や文字等ができる以前の時代であり、
比較的小さな集団で地域に合った生活を営んでいて、音楽においても(楽譜)と
いうものは無く、その場で即興的につくられたものだったと思われる。
生活様式と音楽との結びつきは密接であり、(協同)で作業する人々は
合唱や合奏が上手で、あらゆる機会に音楽したと思われ,子守歌や愛の歌,
喜びや悲しみを歌ったもの, 神をあがめた歌や労働のときの歌があったと
考えられる。また、古代以前の人々には音楽に魔的な力があると考えられ、
呪術や医療などにも音楽が使われていた。
楽器についても当然使われていただろうと考えられる。草、木、土、石、
骨など自然素材を利用し、簡単な(笛)や(打)楽器が用いられたと思われる。
古代文明は紀元前3000年頃から始まり、メソポタミアや(エジプト)の遺跡には
楽器を演奏している様子を描いたものが多くあり、そのことから、かなり進んだ
音楽をもち、公私にわたり音楽が重要な役割をはたしていたことがわかる。
また、そうした音楽に必要な楽器も、この時代にはある程度の形を整え、
機能的にも十分に使用に耐えるものになっていた。
日本では、楽器には、東洋独特のものがあり、曲や音の扱い方などにも特徴がある。
まず縄文時代 BC.5000年では、打製石器を使って狩猟漁労が始まった。
そして、動物型や土偶の中には、明かに音を出すことを意識して作られたものがあった。声をあげるのがおもで、そのあいまにごく簡素な楽器が奏でられたのだった。
今日出土しているのは石笛その他、土笛、土鈴を双口土器及び象形土製品等がある。
ついで弥生時代 BC.200年に稲と金属使用とともに農耕社会が形成され、
収穫期にはシャーマニズム信仰による儀式が行われ、その儀式に付随して簡単な
歌謡や舞踊がはじまった。始めは即興的なものであったとされている。
この歌謡の形が芸能として後世まで伝わったと考えられている。
その楽器のうちこんにち出土しているものは陶、琴、銅鐸である。
それからも音楽は依然として歌と舞が中心だったが出土する楽器は増え、
笛、鈴、琴、太鼓、鼓、四ッ竹、それと共に歌いながら踊る楽人の集団が
すでにそのころ発生していた可能性があるといわれている。
また「うた」の音域はせいぜい5度以内で、リズムは2拍・4拍を楽器で
きざむか無拍節リズムといわれる自由リズムで、音の高低だけで
メリスマティック(1つのシラブルについていろいろと異なった高さの音を
用いて長く延ばして歌っていく、このような歌い方は、今日に至るまで
邦楽のごく一般的な歌唱である)に歌ったと思われている。
「うた」と「ことば」は互いに密接に関連して切り離して考えられないもので、
江戸時代が終わるまで音楽を楽しむということは、歌を歌うことだった。
音律とは、音律の歴史をみると、古代ギリシャまでさかのぼる。
ピタゴラスが活躍した時代であった。古代ギリシャ時代には
こんにち私たちが使っている音楽理論の基礎の多くが、
ピタゴラスたちによってすでに開拓されていた。
音律もそうである。ピタゴラスが作った音律は「ピタゴラス音律」と呼ばれて、
古代ギリシャだけでなく、その後も単旋律の旋律を美しく響かせる音律として、
グレゴリオ聖歌が中心的な存在であったヨーロッパ中世から
13世紀にいたるまで幅広く支持されていたといわれている。
彼はモノコードという楽器で弦の長さを比較して、音がどのように
鳴り響いているのかを数学的に解明しようとした。
そして、弦の長さを半分にすると音は1オクターブ高くなることを発見し、
さらに弦の長さを3分の2にすると「ソ」の音が出ることを発見した。
また「ソ」の音の弦の長さを3分の2にして「レ」というふうにして
音を作っていき独自で音律を作った。音の起源より
今回の文章は学生から縄文時代にも音楽はありましたかと言う
質問から書いてみました。
先日、縄文時代の研究をしている会でも同じような質問があり、
私は持論として絶対ありましたと言い切りました。
真偽は定かではありませんが多少なりとも文献も残っています。
縄文土器の波型模様、三内丸山遺跡のやぐら、明らかに酒造りをした
壺も見つかり、神への祈りと共に収穫を祝う祭りが執り行われていた。
そこには絶対音楽が無くては成り立たないと言いました。
おそらく縄文土器の波型は音楽を聴きながら、
音符の様に作られたのではないかと推測します。
縄文人はうめき声のような声を発して歌も歌っていたと思います。
そして踊りを踊るダンサー(巫女)もその場を盛り上げたと思います。
古代史を想像すると話は尽きなくなりますね。笑い
音と音楽、未来はどのような進化があるのだろうか?
AIが作り出す楽曲がヒットを飛ばしている様子が目に浮かびます。
5月 28th,2024
恩学 |
音と音楽 はコメントを受け付けていません
私が音楽に目覚めたのは中学3年生の時だった。
同じクラスの不良少女がビートルズの「A hard day`s night」を
ホウキ片手に歌っているのを見て衝撃を受けた。
ただの不良少女だと思っていたのにいきなりディーバーとして現れ
尊敬をしてしまった。私も勉強嫌いで不良では無かったが冷めた子だった。
高校生になってラジオからボブディランの「Blowin’ in The Wind 」が
流れてきた時には、ただただ憧れが心から湧き出てくるのを
止めることは出来なかった。
それと同時にこんなガラガラ声でも歌手になれるなら
自分にもなれるかと勘違いをした。
家には親父の古いアコスティックギターがあつたが弾き方は分からなかった。
早速楽器屋で譜面を買ってコードを覚えた。
耳から聞いた音をコピーし始めた。しかしあまり上達はしなかった。
高校のクラスメイトがPPM(ピーター・ポール&マリー)のコピーバンドを
組むので入ってくれと頼まれた。PPMはボブディランのカヴァーを
何曲もしていたので練習になると思いバンドメンバーになった。
何よりも楽しみはマリーパートの女の子が可愛かったことである。
工業高校は90%が男子で女の子に触れ合う機会が無かったから天国だった。
そこから歌とギターの猛特訓が始まった。
そのころ人気の「YAMAHAのライトミュージック」のオーディションにも出た。
かなり上位に食い込んだ。なんとなくその気になってきた時、
京都のお寺の参道で練習していた時にドイツTVの取材まで受けた。
その時同席していたNHKの担当者とも仲良くなった。
取材の内容が結構評判が良かったと聞いたのでメンバーは喜んでいた。
少しだけプロの世界へ足を踏み込んだ気分になった
大阪で人気のあったラジオ番組ヤングタウンにも出演して盛り上がったのだが、
気分的には1人でボブディランをやりたかったので、その後バンドは解散した。
大学に入り本格的にボブディランのコピーを始めた。
自分でハーモニカーホルダーを作り、校庭でハーモニカーを吹きながら歌うと
学生たちが大勢集まってきた。外大の英米語学科だったので発音は気にした。
そして「アメリカン・フォークソング・クラブ」からお声がかかり入部した。
ここからオリジナル曲も作り出しコンサートに出演するようになった。
本格的に何も訓練をしていないくせに平気で人前で歌った。
大学の夏休みに一番衝撃を受けたのが70年中津川フォークジャンボリーに
行った時である。岡林信康や吉田拓郎や加川良に惹きつけられてしまった。
私も第二ステージの下で、飛び入りで「友よ」を歌ったら大合唱が始まり
益々調子に乗ってしまった。
もしかしたらプロとして活躍できるのではないかと錯覚をしてしまった。
大学3年で中退して学校近くの工事現場で1年間アルバイトをした。
当てもないが英国へ行き音楽の勉強をしたかったからだ。
一番安い行き方が北回りで船や飛行機や列車を乗り継いで行くコースだった。
愛読書であった五木寛之「青年は荒野をめざす」に書かれていたコースだ。
横浜から船に乗りソ連経由で北欧を通過して12日ほどでロンドンへ入国をした。
着いたその日のうちに住むところとバイトを見つけ英会話の学校にも登録をした。
英国へ到着した時入管でトラブルがあってビザが1か月しかもらえなかった。
銀行口座を開設して見せかけの貯金残高と在学証明書は必須だった。
早くすべての書類を整えて再申請しなれば不法滞在となってしまう。
あとは管理局へ出向きビザの延長をするしかなかった。
当たって砕けろ!何とかなるさ。なにも怖くは無かった。
ロンドンに着いて少し落ちついてきたところで、
アコスティック系アーティストのサマーフェスがあることを知り
飛び入りで参加しようと会場に乗り込んだ。
しかし控え室のテントの中で周りの出演者のテクニックを
目の当たりにしたら血の気が引いた。
ギターテクニックのオープンチューニングなど知らなかったからだ。
自分の未熟なレベルで出演したら日本のアーティストの恥になると思い
飛び入り参加は断念した。
今の自分のレベルで地下鉄や街角で歌うには良かったのだが、
ステージで歌えるレベルでないことに気づきショックを受けた。
それでも何故かバイト先で世界的有名なドラマーのエルビン・ジョンを紹介され、
デパートで時間を潰していたら目の前にアメリカの人気歌手
ジェーム・ステーラーと偶然出会い、
ジャズクラブで声をかけてきたギターリストがバーニー・ケッセルという
凄いおじさんだったりして音楽から逃げ出せない運命だと気づいた。
これはプレーヤーとしては無理だがプロデューサーになるしか無いと
決心したのである。
そして1年7ヶ月滞在したロンドンを後にして日本へ帰国した。
日本には帰るところがなかったので、ホテルに2泊3日で泊まることにした。
チェックイン後すぐに音楽雑誌を購入して雑誌社へ電話をかけた。
ヤングギターの編集長から色々情報を聞き出し、一番良いとされたレコード会社
CBSSONYへ即電話を掛けた。
「ロンドンから先ほど帰国して才能があるから採用してほしい」
受けた相手は驚きながらも折角だからスタジオへ遊びに来たらどうですかと
誘ってくれた。今夜でも良いですかと返事したら六本木飯倉片町に
CBSSONYのスタジオがあるからどうぞと言われた。
生まれて初めて本格的な録音スタジオへ足を踏み入れたのである。
その時、私はロンドンから帰ってきたばかりである。
アフロヘアーにロンドンブーツ、破れたジーパンに毛皮である。
スタジオのドアを開けたらスタッフが目を丸くして迎えてくれた。
スタジオでのバイトが始まり数ヶ月してから正社員として採用された。
最初は勝手に宣伝プロデューサーと名乗り仕事をした。
すでにバイトの時に実績は認められていたので誰も反対はしなかった。
それはレコーディング中に聞いた楽曲「いちご白書をもう一度」を
独自の方法で宣伝して回ったら、その曲が大ヒットになったのである。
異色の業界-デビューであった。
それ以来、癖のあるアーティストはほとんど回されて来て担当になった。
しかしそのアーティスト達が時代の要求にはまり殆どがスターになった。
アーティストが売れると同時に私もプロデューサーとして評判がたかまった。
そして念願の制作プロデューサーとなってヒットを量産するようになった。
私の独自の売り出し方が評判となり取材を何度も受けた。
80年代後半に時代が変わりデジタル化になったことと
ハウスプロデューサーとしての興味が薄れ18年間勤めたCBSSONYを
退社して独立をした。その時に系列会社の社長にならないかと声がかかったが
もうサラリーマンは卒業ですと辞退した。
そして独立して10年間は苦労の連続だった。
やはりSONYという金看板は大きかった。付き合ってきた様々なメディアも
手のひらを返すように態度が変わった。仲の良かった作詞家や作曲家も離れていった。
私の強引さは独立した途端に傲慢な人物として嫌われたのです。
会社を辞めたら応援すると言っていたプロダクションの社長達も
訪ねていくと居留守を使われた。
冷ややかな時が過ぎていく中でアメリカのメーカーとの契約が突然切られた。
その時に倒産と破産を同時に味わった。
2000年絶望の淵からコンピューターのシステム会社へ転職した。
暫くは音楽を離れて苦手な業界へ身を置くことにした。
システム会社の取引先が韓国に有ったのでソウルへ何度も訪れた。
ホテルのテレビで見たドラマに興味を持ち日本へ紹介をした。
同時に配給会社も設立した。しかし日本での反応はイマイチであった。
その後NHKで「冬のソナタ」を放映したら爆発的に韓流ドラマの人気が出た。
同時期に中国の友人から中国の演奏家グループ女子十二楽坊を紹介された。
友人は各レコード会社から民族音楽は絶対売れないからと断り続けられたと言った。
友人から預かったビデオとデモテープを聞いて即北京へ飛んで契約をした。
その後女子十二学坊のプロデューサーとして参加して空前絶語の大ヒットを飛ばした。
プロデューサーは好奇心が旺盛で行動力がなければヒットは作れない。
私は常に「感即動」心で感じたら先ずは動いてみるがモットーです。
信念が変わらなければどんな分野に居てもチャンスは訪れるのです。
それらの経験を元に生き方や人生の醍醐味をノートに書き始めました。
常に人の心を見つめながら、感情の発露を気に留めてきました。
時代によって移り変わる人としての価値観、その価値観によって変わる感情、
自分から作り出す精神的な強さや脆さ、他人から影響を受ける感情の起伏、
それらをブログ「恩学」として書き始めたのです。
それが今や500作を超えています。恩から始まり恩に終わる人生です。
音楽から離れない人生に感謝しています。
私は一生音楽プロデューサーです。
5月 28th,2024
恩学 |
音楽プロデューサー はコメントを受け付けていません
「吉田松陰の言葉」
安政元年三月二十八日、吉田松陰が牢番に呼びかけた。
その前夜、松陰は金子重輔と共に伊豆下田に停泊していた
アメリカの軍艦に乗り付け、海外密航を企てた。
しかし、よく知られるように失敗して、牢に入れられたのである。
「一つお願いがある。それは他でもないが、
実は昨日、行李(こうり)が流されてしまった。
それで手元に読み物がない。恐れ入るが、何かお手元の書物を
貸してもらえないだろうか」
牢番はびっくりした。
「あなた方は大それた密航を企(たくら)み、こうして捕まっているのだ。
何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか。
どっちみち重いおしおきになるのだから」
すると松陰は、
「ごもっともです。それは覚悟しているけれども、自分がおしおきになるまでには
まだ時間が多少あるであろう。それまではやはり一日の仕事をしなければならない。
人間というものは、一日この世に生きておれば、一日の食物を食らい、
一日の衣を着、一日の家に住む。
それであるから、一日の学問、一日の事業を励んで、
天地万物への御恩を報じなければならない。
この儀が納得できたら、是非本を貸してもらいたい」
この言葉に感心して、牢番は松陰に本を貸した。
すると松陰は金子重輔と一緒にこれを読んでいたけれど、
そのゆったりとした様子は、やがて処刑に赴くようには全然見えなかった。
松陰は牢の中で重輔に向かってこういった。
「金子君、今日このときの読書こそ、本当の学問であるぞ」
牢に入って刑に処せられる前になっても、松陰は自己修養、勉強を止めなかった。
無駄といえば無駄なのだが、これは非常に重要なことだと思うのである。
人間はどうせ死ぬものである。
いくら成長しても、最後には死んでしまうことには変わりはない。
この「どうせ死ぬのだ」というわかりきった結論を前にして、どう考えるのか。
松陰は、どうせ死ぬにしても最後の一瞬まで最善を尽くそうとした。
それが立派な生き方として称えられているのである。
「どっちみち老人になればヨレヨレになるのだから、体なんか鍛えてもしょうがない」
「どうせ死ぬ前は呆けたりするのだから、勉強してもしようがない」
確かに、究極においては「しょうがない」ことだろう。
しかし、究極まで行くと、そもそも生きることに意味がなくなるのではないか。
吉田松陰は、少なくとも生きている間は天地に恥じないように、
何かに努めなければならないという心境だったのであろう。
それは生きている間は、一日の食事を摂って、一日の着物を着て、
一日の住み家にいるわけだから、そのことに対して恩返しをしなければならない
という考え方から出てきた心持ちであったようだ。
これは尊い生き方であると思う。
この文章を読んでいるときに山川菊枝の「武家の女性」の一説を思い出した。
<子年のお騒ぎ>の章である。
天保元年、水戸藩における改革派と保守派の争いの時に謀反の罪に
問われたときのはなしです。
武田耕雲は二人の大きい息子と一所に斬罪となりましたが、
年のいかぬ子供や孫、妻も嫁も合わせて男八人女三人、一家十一人が
この事件の犠牲となりました。
長子、彦左衛門の妻いくは、東湖の妹で、十五歳、十三歳、十歳の三人の男児と
一所に入牢中、「論語」を教えていたのを牢番が見て、
「どうせ死んでいく子に、そんなことしても無駄だろう」というと、
いくは居ずまいを直して、「この三人のうち、ひょっとしたら一人ぐらいは
赦されないとも限らない。その時、学問が無くては困るから」と答えたと言います。
しかしその期待も空しく、三人が三人とも斬られ、
いくは牢内で食を断って自殺しました。
武田の妻は三歳の男児を抱いて入牢しましたが、
ある日珍しくお膳にお刺身がついていたので、ハッとしました。
もちろんこれは死出のかどでの、最後のご馳走の意味でした。
そうとも知らず、抱いた子が喜んで手を出そうとすると、
「武士の子は斬られた時、腹の中にいろいろな物があっては見苦しいから」
と抑えました。
私はこの「武士の女性」と「特攻隊員」の母親に送った遺書を読むたびに、
日本の女性の凛とした精神力に涙して頭を下げずにはいられなくなります。
GHQに骨抜きにされた日本人。世界から尊敬されていた日本人の心が
根こそぎ奪われて軽佻浮薄な人間にされたことが悔しくてたまりません。
ここに「さんとう」という言葉があります。
電力の鬼と言われた 松永安左エ門の言葉だ。
「闘(とう)病、投(とう)獄、倒(とう)産」のような大きな挫折を
味わったことのない人間は、大したやつにはならない、ということ。
大きな挫折にあったときの態度や行動言動が、「人物」であるかどうかを決める。
最後の最後まで投げ出さずに努力や勉学の情熱を燃やし続けるのか、
はたまた自暴自棄になってやる気を失うのか。
「たとえ明日、地球が滅びようとも、今日私はリンゴの木を植える」
という マルティン・ルターの言葉がある。
たとえ、明日地球が滅びようとも、未来のために木を植える人でありたい。
人生は恩に始まり恩に終わるのである。
人として恩返しが出来なくては悔いが残るであろう。
命途切れる日まで学びは終わらない。
5月 27th,2024
恩学 |
学びとは はコメントを受け付けていません
音楽としての音がある。さまざまな音楽を聞く事によって、
楽しくなったり、悲しくなったり、嬉しくなったり、切なくなったり、
心の中にそれぞれの表象が現れる。
音楽としての音がある。美しい旋律と心地よいリズムと熱きメッセージは、
未来の願望であり、過去の記憶であり、現在の活力でもある。
音楽としての音がある。忘れたエピソードが音楽によって目覚めさせられる、
叶えられない恋も叶う気がしてくる、見果てぬ夢も捕まえられる気がしてくる。
音楽にはそれぞれの景色がある。視覚で捉えたイメージが記憶に残り、
その記憶は好みの音楽を聞く事によって蘇って来る。
音楽は絵画や彫刻とちがって時間芸術である。
演奏者と聴衆のあいだで常に交感をしなければ、
ただの音として消えて行くだけである。
一瞬のやり取りの中に鮮やかな景色が浮かび上がり、
その時に感じた心象風景と重なり合うのである。
音は心の中で音楽になる
大好きな人と大好きな音楽を聞く心を通わせながら
ときめきの調べを聞く星も月も太陽も愛の賛歌に声を合わせる
悲しい出来事に涙して勇気を与え嬉しい出来事に微笑んで
笑顔を与える心が穏やかだと聞こえる音すべてが優しくなる
そして音は心の中で祈りになる
また、音楽は脳や心にどのような影響を与えるかにこのような文章があります。
「文字文化を持たない社会はあるが、音楽文化を持たない社会はない」
といわれるほど、人にとって音楽は身近なものである。
音楽を聴くことで自然と気分が向上したり、リラックスしたりするということは、
おそらく多くの人に経験があるだろう。その経験からも分かるように、
音楽は人の心と身体にさまざまな影響を与える。
音楽には特定の感情を誘発させる効果や、“覚醒水準を調整する効果”があることが
多くの実験によって確かめられている。
覚醒水準を調整する効果とは、脳や神経の覚醒水準が高いときはそれを抑え、
低いときは高めるという働きである。すなわち、過度の興奮状態であれば
それを抑え、過度の落ち込み状態であれば気分を高める効果を持つ。
音楽は音の集合体です。澄んだ音であれば澄んだ音楽になります。
自分の大好きな音が集まればそれだけでも音楽になり脳にも心にも影響するのです。
子供の頃から大好きな人の話す声は音楽のように聞こえていた筈です。
そして大好きな人の表情は素敵な映画を見ている様だった筈です。
大好きな人と経験を共にすれば思い出が色あせても記憶にずっと残るものです。
日常の風景が全て音と繋がるのです。
「音は心の中で音楽になる」
谷口高士編著
内容説明
心理学の本を探せば音楽心理学のことがわかるかというと、
まずそんな項目は存在しない。それなのに、世間では「音楽心理学」とか
「音楽療法」などという言葉だけが、どこからともなく現われて目の前に
ちらついている。これでは、「音楽心理学って何?」とたずねたくなるのも
無理はない。特に最近は、「音楽」と「癒(いや)し」がセットになって
頻繁にマスコミに登場している。いったい「癒し」とは何か、音楽の何がどのように
人間に効果をもたらすのかということを曖昧にしたまま、音楽療法のなにやら
身近でとっつきやすそうなイメージだけが広まっている。
楽器を演奏できる人が、自分にも「音楽療法とやら」ができるのではないかと
勘違いしてしまう。そのような、音楽を知っているが音楽心理学に対しては
疑問や期待(あるいは幻想)を抱えている人のために、本書の企画は生まれた。
もちろん、これから音楽心理学研究を始めようという人にも役立つものである。
人はどうして音楽するのか? 音の集まりがどうして「音楽」として
感じられるのか? 音楽を聞き演奏する時に心や頭の中で何が起こっているか?
音楽にまつわる人の認識,思考,感情のメカニズムやプロセスについて研究する
分野の本格的入門書。
目次 はじめに
1章 音楽心理学の方法
1節 観察法
2節 実験法
3節 質問紙法
4節 各研究方法のまとめ
メッセージ これから音楽心理学を始めようと思う人たちへ
2章 旋律(旋律の音高的側面)
1節 楽音(音の高さ)の知覚
2節 メロディ認知における(音高の側面の)群化・体制化
3節 旋律線の処理
4節 調性:調性的体制化
3章 リズム(旋律の時間的側面)
1節 音楽心理学におけるリズム研究
2節 時間構造の知覚に関する研究
3節 拍節構造の知覚
4節 関連するその他の研究
4章 音の響き
1節 協和とは何か
2節 うなりと差音,そしてバーチャル・ピッチ
3節 音色は何で決まるのか
4節 和音や音色の使用と評価
5章 音楽の聴取
1節 音楽作品間での違いが気になる場合(刺激間要因を問題にする)
2節 音楽作品内での違いが気になる場合(刺激内要因を問題にする)
3節 聴取者間での違いが気になる場合(聴取者間要因を問題にする)
4節 聴取者内での違いが気になる場合(聴取者内要因を問題にする)
6章 音楽の記憶
1節 記憶と表象
2節 リズムの表象
3節 音の響きの表象
4節 旋律(音系列)の表象
7章 演奏と作曲
1節 芸術的逸脱
2節 演奏技能の発達
3節 創造的活動としての作曲
8章 音楽療法
1節 音楽療法の概念
2節 音楽の意義と音楽療法の目標
3節 音楽療法セッションの実際と理論的基盤
4節 音楽療法と即興演奏
9章 音楽と脳
1節 脳の構造
2節 機能局在
3節 脳損傷研究──聴覚失認
4節 画像研究
ご興味があればお読みください。
推薦します。
5月 26th,2024
恩学 |
音は心の中で音楽になる はコメントを受け付けていません
臨済宗大本山 円覚寺 官長横田南嶺様
私はこの文章を拝読してまさに膝を打つ思いでした。
「伝統を守るとは、伝統を破らなければならない。
伝統の玄人の域を脱してゆくこと、即ち玄人ではないものが現れることである。
総じて改革・革新・革命とゆうような事には、必ずそこに素人的なもの、
伝統的、玄人的でないものが働いて来るものである。」
さてみなさまはどのように思われたでしょうか?
端的にいえば、中国の禅は美の世界とは全く無縁であった。
まして造形美術とは何の因縁も持ちあわさなかった。
墨蹟、絵画、庭園、茶などが禅と因縁づけられることによって特殊の美の世界を
作ったなどということは、中国禅の歴史にはかつてなかったのである。
それが日本禅において、にわかに展開するようになったというのは、
いったいどういうことなのであろうか。
きびしくいえば、「むしろ禅の頽廃と断じる見方もありうるのではないか。」
というものです。
今世間で、禅というと、水墨画や墨蹟、あるいは最近禅画といわれるもの、
枯山水の庭、茶道などが思い浮かぶことが多いのです。
しかし、それらは決して中国由来のものではないというのです。
確かに墨蹟などは、中国のものが重んじられていますが、今日の日本で
尊ばれているように、禅の芸術としてみているのではなかったのでしょう。
相手に自分の気持ちを伝える書簡であったり、相手に教えを示す法語であったり、
それぞれ用途があってのものです。観賞用でなかったことは確かなのです。
枯山水の庭が禅だと思うと、中国の禅寺には無かったものでしょう。
伝統を伝えているといいながらも、決して中国のものを、
そのまま継承しているのではなく、そこに新たな発展があって、
今日の日本の禅となっているのです。
つまり伝統を伝えるということは、過去のものをそのまま忠実に守る
というのではないということであります。
「伝統を破ること、或はまた新しく創造することは、
伝統の玄人の域を脱してゆくこと、即ち玄人ではないものが現れることである。
総じて改革・革新・革命とゆうような事には、必ずそこに素人的なもの、
伝統的、玄人的でないものが働いて来るものである。
それは、素人には、自由な、過去の物に拘らない、
情実や殻を持たない理性の力が働くからである。
かくて、私は、禅についても、この素人的なものの出現することを望みたいのである。
そして、かかる点で従来の禅門に於いてあまり重んぜられなかった
学校教育が盛んになることを望みたいと思う。」
伝統の玄人というのは、尊ぶべきものであります。
そういう人によって伝統は伝えられているのであります。
しかしまた、この伝統の玄人が、伝統の世界を狭くしてしまっている
一面もありはしないかと考察することも必要であります。
禅の歴史は、常にこの玄人的なるものを打破してきたところにあります。
近世の禅にしても、至道無難禅師の仮名法語などをよむと、
この玄人ではない一面を持っておられたと思います。
正受老人もそういう一面を持っておられたと思います。
いやさかのぼれば、臨済禅師という方などは、伝統の仏教学からみれば、
玄人の域を脱したと言えましょう。
臨済禅師の説法は、「自由な、過去の物に拘らない、情実や殻を持たない
理性の力が働く」と言えるでしょう。
「禅では自己を仏とする。自己の外に仏というものはない。
何処までも生きた仏というものを本当の伝統とするわけである。
伝統とは決して、形のあるものを伝へて来るという事ではない。
伝統、特に禅の伝統は形のないものが形のないものを伝へる事でなければならない。」
というのであります。
もちろん今日の禅の芸術も尊く大事にしなければならないのですが、
禅の本質は、この形のないところにこそあります。
「つまり、この師資相承という、禅で最も重んぜられるこの伝統というもの、
而も禅ほどこの伝統が脈々と継がれているものは、他の宗旨に於いては
見られないと思うが、それは、形のないものが、形のないものを伝へる事である。
形のないものであるから一方でいうと伝へる事もないわけで、
伝へる事のないのが、禅の真の伝統であり、無伝統の伝統とはこの事である。」
と説かれているのです。
「伝統を常に破って、その伝統から絶えず抜け出て行く事が、
真の伝統を守る事になる」という言葉は肝に銘じたいものです。
「「無伝統の伝統」を実践し、公案以前の「独脱無依」の絶対無的主体に
立ち還らせる「主体的公案」を創造することこそが、
「禅学即今の課題」だというのである」とまとめてくださっています。
もちろんのこと、伝統を破るだけではなにもなりません。
かといって伝統を守るだけでも伝わらないのであります。
伝統を守ることと、伝統を破ることは、常にふたつ相俟ってこそ
伝統は守られ、継承されてゆくのであります。
そんな中でもっとも大切なことは何かを学ぶためにこそ、
たとえば『臨済録』という書物があります。
ただこれも伝統という枠組みの中で読んでいたのでは、
却って真意を見失うのです。
また室町時代の一休禅師という方も常に、この伝統を守ることと
伝統を破ることの二つを行って真の伝統を明らかにしようとされていたのでは
ないかと思います。
臨済宗大本山 円覚寺
官長横田南嶺
私から何も追記はありません。
敬服の至りです。
横田南嶺禅師から学びました。
今も南陵禅師のサイン入りの本を肌身離さず読んでいます。
感謝・合掌
5月 21st,2024
恩学 |
伝統を守ることと伝統を破ること はコメントを受け付けていません
解剖学者で昆虫好きな養老孟子さんがこのようなことを言っていました。
昔は高速道路を走っていると窓ガラスに虫がバンバン当たってきて
すごく汚れていたのに、最近その汚れが少なくなってきたと思いませんか。
虫が減っていることには、気候以外にもいろいろな要因がありそうで、
相当深刻な問題だと感じています。1990年から2020年までの30年間で、
世界中で昆虫の8・9割が消えてしまったと言われています。
つまり生き物が増えなくなっている。
増えにくい環境を作ってしまっているのではないかと。
虫の変化を見ているだけでも、相当な危機が迫っていることがわかります。
虫がここまで減ると、次に鳥が減りますから。
虫が減ると植物が実らなくなって、山で食べられるものが少なくなります。
昆虫が居なくなると山の生態系が崩れるので動物たちの食糧が無くなる。
最近、鹿や熊が町中に出てきて餌を探すようになったのはそのこともある。
それをくい止めるのは犬を放し飼いにすることが一番効果であるが、
今の日本では無理な話であろう。
昔より地域住民のつながりが弱くなったから難しいのだと言います。
養老孟子
「センス・オブ・ワンダーを授けて」
海洋学者レイチェル・カーソンが残した言葉。
私たちは大人になって、つまらない人工的なものに
夢中になっていないだろうか。
自然の中に身を投じ、「センス・オブ・ワンダー」すなわち
「神秘さや不思議さに目を見張る感性」を子どもたちに授けることが、
今後、地球を守っていく私たちの使命だ。『沈黙の春』の著者
レイチェル・カーソンの最後のメッセージ。
1962年に出版された名著『沈黙の春(Silent Spring)』は、
出版されるやいなや社会を揺り動かした。
なぜなら、急速な経済発展に伴い、農薬や化学物質が次々と開発されていた時代に、
その乱用の危険性を先駆的に鋭く訴える内容だったからだ。
こうした化学物質は、動植物の食物連鎖によって生体内に濃縮して蓄積され、
やがて環境汚染を引き起こす。
レイチェル・カーソンは、最後は人間まで汚染される
と警告したのだ。人間が自然の生態系を大きく壊しているという
彼女の告発は、当時のアメリカ大統領をも動かし、
のちに環境保護庁が設立されるきっかけとなった。
もし、この時、彼女が警鐘を鳴らさなかったら、
地球環境は今よりもさらに汚染が進んでいただろう。
「静かに水をたたえる池に石を投げこんだときのように
輪を描いてひろがってゆく毒の波。石を投げこんだ者はだれか。
死の連鎖をひき起こした者はだれなのか」
「沈黙の春』が出版された2年後、彼女は癌でこの世を去った。
56歳だった。亡くなった翌年に出版された彼女の遺作
『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』の中で
レイチェルは、幼い甥のロジャーとアメリカ・メイン州の森や海岸を
一緒に探索した美しき日々を回想している。
ある秋の夜、彼女は当時1歳8ヶ月だったロジャーと海に出かけ、
ゴーストクラブを探しに行く。ロジャーは海辺に轟く波の音、風の歌、
暗闇に怖がることなく、自然の力に包まれた世界を幼子らしい素直さで受け入れる。
雨の日は森へ散歩にいき、水を含んでキラキラ輝く苔や、色とりどりのキノコなど、
豊かな自然からの贈り物を子どもに届ける。
毎年、毎年、素晴らしい光景を幼い心に焼き付けていたロジャーは、
ある日レイチェルの膝の上で満月を眺めながら、「ここにきてよかった」と
言ったそうだ。
この本の中には、とりわけ<はっと>させられる一節がある。
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは
大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの
直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしも、わたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける
力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない
『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性』を
授けてほしいとたのむでしょう」
環境問題を考える日々の中で、今一度私たち大人も、森の声、海の声、
地球の声に耳を傾けてみてはどうだろう。
私たち大人は果たして、レイチェルのように自然の尊さに対する
子どもの純粋な感性を守ることができているだろうか。
彼女の言葉を胸に行動しよう。「地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、
生命の終わりの瞬間まで生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう」
自然環境の劣化は天候だけの問題ではなく、殺虫剤や除草剤などをまき散らすから
多くの昆虫が殺されるわけです。そして昆虫と共に鳥たちもいなくなる。
自然に対する人間の畏敬が無くなり、山や森を開発することが
文明だと勘違いをしている。これは神をも畏れぬ冒涜である。
今や森だけではなく世界中の海も、生活汚染水、工場排水、原子力処理水、
海上開発などで汚れてしまっている。
最も深刻なのは家庭用ごみから出て来くるプラスティックや発泡スチロール類である。
釣り具から出る針や釣り糸も魚や亀に絡まって深刻な問題となっている。
悪事を行っている人間もそれを見逃している人間も同罪である。
一度壊れた大自然は二度と戻ることは無い。
5月 16th,2024
恩学 |
沈黙の春 はコメントを受け付けていません
子どものことを調べようとしてこの文章を思い出した。
「小林秀雄全作品」の第24集に入っている「考えるという事」で
こう言っています。
宣長は、この考えるという言葉を、どう弁じたかを言って置く。
彼の説によれば、「かんがふ」は、「かむかふ」の音便で、
「かれとこれとを、比較アヒムカへて思ひめぐらす意」と解する。
それなら、私が物を考える基本的な形では、「私」と「物」とが「あひむかふ」
という意になろう。「むかふ」の「む」は「身」であり、「かふ」は「交ふ」で
あると解していいなら、考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、
物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、
そういう経験をいう。『身交ふ』(むかう)
考えるとは、つきあうことなのです。ある対象を向こうへ離して、
こちらで 観察するのは考えることではない。対象と私とがある親密な
関係に入り込む、 それが考えることなのです。人間について考えるというのは、
その人と交わることです。そう思ってみると、信ずることと考えることは、
ずいぶん近くなってきやしませんか。
そして、身交う、交わるの達人が、私たちの親、わけても母親だという。
「子を見ること親に如(し)かず」というだろう。親は子どもと長いあいだ
親身につきあっているから、子どもについていちばんよく知っているのです。
この「知る」は、学問的に考えて知るのではない。本当の「知る」ということ、
「考える」ということは、そういうことなのです。
学問的に考えて知るとは、あるひとつの観点を設けて、その観点に立って
対象となるものを観察し、解釈する、そういう知り方である。
しかしこれでは、その観点のフレームの中に入ってくるものしか観察できない。
フレームのすぐ外に前代未聞の現象や物体が現れていてもそれをそうと見てとる
ことはできない。何であれ物事を本当に知るためには、観点など取り払わなければ
駄目なのである。
母親は子どもに対して、観点など持っていません。
彼女は科学的観点に立って、心理学的観点に立って、子どもの心理を
解釈などしていません。母親は、子どもをチラッと見たら、
何を考えているかわかるのです。そういう直観は、交わりからきている。
交わりが人間の直観力を養うのです。
純真無垢な心を持つ子どもたちは見るもの、聞くもの、触るものから
人間としての自覚を覚えていきます。
母親の顔を見て裸で抱かれて乳を飲みます。母乳から得られる免疫力によって
健康に育っていくのです。大声で泣きながらいつも飢えを訴えるのです。
そして見る世界から始まって自分の訴えを聞いてもらおうとして簡単な言葉を
覚えていきます。徐々に手足が自由に動かせるようになり、訴えが強くなります。
自分をもっと構ってくれとせがむのです。
それを見ている祖父母も両親もみんなで喜び笑うのです。
それに呼応して子供もおもいっきりの笑顔で返すのです。
不思議なことに母親が出産して、母親のものの考え方が変わり
性格も変わるのです。それが自然に身につく母性の始まりです。
親は子を育てるのですが子も親を育てるのです。
「子どもは真実を映し出す鏡である」
彼らにはおごりも、敵意も、偽善もない。もし思いやりに欠け、
嘘つきで乱暴な子どもがいたなら、罪はその子にあるのではなく、
両親や教師や社会にあるのです。
これは、インドの独立運動家であるガンジーの言葉です。
子どもは成長過程の中で色んな問題行動や間違ったことをします。
ですが、それは多くの場合、周りの大人のマネや大人の言動でそうせざるを
得なかったなど、周りの影響を受けてそうなっています。
このことを、大人としては真摯に受け止めなければいけません。
『人を変えたければまずは自分が変わる』という言葉がありますよね。
それは子育てにおいても全く一緒で、“子どもに変わってほしい”と思うのであれば、
まずは“親である私たちの行動や考え方を見直して改善していく”ことが大事です。
ご両親は今日も沢山子どもたちと触れ合ってください。
伊丹谷良介5月「うた」ライブ テーマは「こども」
2024年5月12日(日)18:30開場・19:00開演(終演21時予定)
恵比寿 BAR Voices
今回も新曲制作、ナレーション、カラオケ、スクリーン映像を含め
作業は200時間強を費やした。個人の作業量としては当に限界を超えている。
それでも何故やり続けるかと言うと、混迷の世の中にロックシンガーとして
やらなければならないという使命感からです。と伊丹谷は述べる。
ロックをサロン形式で一つのテーマに沿ってお客様と対話する。
そこから生まれる共通認識を、それぞれが
自分なりに考える機会を作るためにです。
本来のロックは市民活動の中にあると信じているのです。
5月のテーマは「こども」です。
V1序章・M1うた
V2こども・M2未来の華
V3自然とこども・M3覚悟の白富士
V4虫とこども・M4 wo ai ni
休憩(ぶきとまんもす)映像
V5ブッダとこども・M5愛と光に導かれて
V6生命とこども・M6 we are the one
V7科学とこども・M7愛の原子記号
V8母とこども・M8 MOTHER
アンコール「みんなでスティホーム」
母子で参加している方が数組いました。
M8の「MOTHER」では何人もの人が涙を流していました。
初めてロックライブに参加した人も
このようなライブがあるのですねと驚いていた。
応援してくれる人も増えて来た。
独自の主催でライブを開催したいとの申し込みもあった。
伊丹谷良介を見守る会「ガーデナー」も誕生した。
来月6月のテーマは「音楽」です。
奮ってご参加ください。何が起こるか分かりません。
私達は益々伊丹谷良介から目が馳せない。
5月 14th,2024
恩学 |
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