老を卑下することはない
「老い」を卑下する必要はない。
古代ローマの哲学者キケローは、著書『老年について』の中で、
老いに対する世間の誤解を見事に退けています。
具体的には「老いは仕事をできなくする」「老いは肉体を弱くする」
「老いは快楽を奪い去る」「老いは死に近づく」といった4つの誤解です。
「老いは仕事をできなくする」というのは、
体力に任せて仕事をするとか、若者らしい柔軟なアイデアで
仕事をするといったように、あくまで若さを前提とした仕事の話です。
しかし、経験や長年培った叡知(えいち)を生かす仕事は、
むしろ老年のほうが向いています
「老いは肉体を弱くする」というのも誤解で、
成熟と捉えることも可能です。
ちなみにキケローは、声に関しては
「老年のほうが、落ち着きがあって良い」と言っています。
「老いは快楽を奪い去る」についても、ほどほどこそが
真の快楽であると捉えれば、老年期こそ快楽を
楽しめるといえるでしょう。
「老いは死に近づく」かどうかは、年齢に関係ありません。
若い人だって常に死と隣り合わせなのですから。
このように考えると、老年期だからといって
卑下する必要は全くありません。
ただ、若い頃と同じようにしようとするから、
哀れな結果になるというだけなのです。
老年期の目的は「自分が楽しむこと」でいい!“
それを明確に指摘しているのが、フランスの作家であり
哲学者のボーヴォワールです。
彼女は著書『老い』の中で、老年期を「人生の哀れなパロディーに
してはいけない」と論じています。そしてそのためには、
人生に意義を与えるような目的を追求し続ける必要があると言うのです。
『60代で死ぬ人、80代でも元気な人』。
両者の差は、「レジリエンス(回復力)と免疫力にある」。
私たち人間の身体というのは、病気やケガをしても自ら回復する能力、
いわゆる「レジリエンス(回復力)と免疫力」が備わっています。
その力は適度に身体を動かしたり、脳を使ったり、食事などでしっかりと
栄養を摂ったりすることによって高まっていくのです。
ところが、ここ数年の日本はレジリエンスと免疫力を高めるどころか、
下げる方向に進んでしまった。それが、コロナによる不要不急の外出の自粛です。
高齢者の多くは、重症化のリスクを恐れ、家に閉じこもるようになりました。
毎日の散歩を控え、友人たちとの趣味の活動や、食事会にも行かなくなったのです。
それでは筋力も衰え、脳の刺激も減る一方で食欲もなくなり、
かえって免疫力が落ちてしまった人も多いかもしれません。
1日中、誰とも話さず、テレビの前で過ごすような変化のない
毎日を送れば、心の元気もなくなります。
知らずしらずのうちに、うつ状態に陥ったり、実際にうつ病や認知症を
発症したりする高齢者は増えていると感じます。
世の中の流れに逆らっている人のほうが元気に過ごしています。
私は世の中の流れに逆らってばかリいるのでとても元気です。
最近では病院の外来に来ている患者さんたちの中には、
本人ではなく、家族が薬を取りに来るケースが増えたと聞いています。
理由を聞くと、「コロナを怖がって外に出なくなってしまった」と。
「ちゃんと歩いていますか?」と聞くと、「全然歩いていないのです。
だから、最近よぼよぼしてきてしまいました」いう人が多いのですね。
迷惑をかけたくないという気持ちが逆効果に働いています。
もともと日本人は真面目で控えめですし、
我慢強いところがありますからね。
コロナが医療分類の2類から5類に変わりただの風邪と同様になっても、
未だ電車の中も街ゆく人も大勢の人がマスクを付けているのには驚きます。
マスクの効用と弊害についてもっと知る必要があります。
この真面目さが無気力につながる恐れがあります。
若い世代からは「勝ち逃げだ」と
恵まれた世代のように思われたり、医療費や介護費で
国の財政を圧迫しているかのように言われたり……。
面と向かって言われないまでも、なんとなく社会から
疎まれているように感じている人は多いかもしれません。
だからこそ、社会に迷惑をかけないように、
縮こまって生活する人が増えたのではないかと心配します。
団塊世代の人たちは勉強熱心で努力をいとわない世代という
強いイメージがあります。
さらに学生運動や反戦運動など権力の弾圧に
逆らってきた世代でもありました。
本来、気骨のある人が多い世代ですから、
周りからの同調圧力に負けずに、
もっともっと動き回って声を上げてほしいですね。
そして、誰にでも物わかりのいい老人になろうとするのはやめて、
自分の生きたいように生きてほしいです。
そのほうがよっぽど健康に、元気に過ごせるのではないでしょうか。
夢と遊びには年齢制限はありません。働く場所も自分で作ればよいのです。
自分達の経験したキャリヤとネットワークを使えばなんでもできますよ。
「老人は遊べなくなった、いいえ遊ばなくなったから老人になるのです。」
私が元気な老人の見本となるように心がけています。
オシャレで元気な働く老人です。
常に若者たちに囲まれた頼られる爺さんです。
昨日は南アルプス連峰のふもとで勉強会へ参加しました。
今日も朝から地元の公園でウォーキングです。
私は老いを卑下したことは一度もありません。
皆様も頑張りましょう。