「怠け心」を受け入れる




人間が怠けたいと思うのは本能です。本能には理屈はありません。
快感か不快か、苦しいか楽かで判断するだけです。
この力関係を認識していないと、常に自己嫌悪にさいなまれることになります。
自己嫌悪はもっとも抱いてはいけないマイナス感情です。
そういった意味で「怠け心」に強い罪悪感をもつことは良くありません。
人間なら「怠け心」はあるのが当然という意識で良いのです。
しかし何故、人には「努力したい心」とそれを圧倒的な力で拒む「怠け心」が
共存しているのでしょう。

音楽制作の仕事は集中力の連続です。人によっても違いますが1枚のアルバムを
作るのに約2か月~3か月はかかります。
制作意図を話し合い、楽曲の選曲、歌詞のチェック、アレンジの構成などを含めて
夜通し作業をすることが度々あります。
そして一度録音した楽曲が気に入らなければ録音のし直しも起こります。
全ての録音作業が終わればMixdownをしてマスターを作ります。
音が完成したらジャケットの撮影が入り、営業・宣伝の会議が連日這入ります。
プロデューサーとしてヒットに持っていくために努力したい心でいっぱいになります。
このあたりで疲労がMaxになり現場から逃げだしたくなります。

かといってそれが辛いかといえばそれほど辛くありません。
音楽の作業は音により脳内にドーパミンが出るので心地よい疲労感に包まれるからです。
私は現役のころ3~4か所のスタジオ進行でアルバムを作る作業をしていました。
作業中いつも怠け心が出ると外での打ち合わせと称して、映画館や本屋や喫茶店へいき
隠れて息抜きをしていました。

しかし最高の息抜きは海外スタジオでのレコーディングです。
特にLAでのレコーディングはプール付きのモーテルに宿泊するので一気に回復します。
ホテルの周りをランニングしてから部屋に戻り水着に着替えてプールへ直行です。
プールサイドではピナコラーダを飲み、日差しの強い太陽を浴びると、エネルギーが
溢れてきます。ストレスをためないためにも適度な「怠け心」は必要です。

やる気が出ない 仏教的解決法で「怠け心」を退治する。
厳しい修行を積む僧侶たちにも「怠ける心」はある。

お釈迦さまは、弟子である修行僧たちに対して、常々「不放逸(ふほういつ)」を
大事にしなさいと説いていました。放逸(ほういつ)とは、怠けてしまうこと。
つまり不放逸とは「怠けるな」ということになります。
仕事や家族の元から離れ、覚悟を持って出家したのだから、さまざまな言い訳をして
修行への努力を怠ることのないように、とおっしゃったのです。
 
しかし、仏道を進む多くの修行僧たちも、「怠けてしまう」「集中できない」
ことに苦しんできました。仏教とは、覚(さと)りを開いたお釈迦さまをお祈りし、
苦しみから救ってもらおうとする教えではありません。
修行僧自身が、お釈迦さまのように覚りを開くための道です。
修行僧は皆、厳しい修行道を選んだ人たちです。

お釈迦さまはそんな修行僧たちに向け、修行の妨げになる「怠け心」が出ている時は、
次の5つが起きていると説きました。現代語訳で説明します。

目標達成を妨げる「5つの蓋」
日々の頑張りや目標達成を妨げてしまうもの、それを仏教では「五蓋(ごがい)」と
言います。心に覆いかぶさる蓋という意味で、自分の心に向き合えなくなってしまう
障害になるものです。

1つ目の蓋は、貪欲蓋(とんよくがい)といって、むさぼり求める「欲」を指します。
貪欲にはさまざまな欲がありますが、中でも異性に対する性愛の欲望である
「愛欲」は、人から集中力を奪います。恋をして勉強が手につかない。
好きな人から連絡が来なくて、仕事に集中できない。
自分の好むものを過度にむさぼり求めると、目の前の物事に集中できなくなります。
 
2つ目の蓋は、瞋恚蓋(しんいがい)、怒りです。仕事やプライベートで嫌なことが
あったとき、それを思い出してはイライラしたり、ムカムカしたりしていませんか。
怒りはパフォーマンスを下げる要因の一つです。怒りの感情にとらわれると、
本来自分が持っている能力を狭めてしまいます。
 
3つ目の蓋は、惛沈睡眠蓋(こんじんすいめんがい)といって、もうろうとしている、
ぼうっとしている状態を指します。心身の働きが弱まり眠りこんでしまうのは、
持病がある人は飲んでいる薬の影響があるかもしれません。
しかし、多くは睡眠不足や食べ過ぎなどによるものだったりします。
やらねばならぬことがあるのに、眠くなってしまう。修行のみならず、
勉強や仕事では大きな妨げとなり、集中力をそぐものです。
 
4つ目の蓋は、掉悔蓋(じょうげがい)。心がそわそわしている状況です。
まるで小動物が、物音がするほうをあちらこちらと見るかのように、
あっちもこっちも気になって気持ちが落ち着かない。
もうすぐ昼休みだなとか、あの漫画の続きが気になるなとか、
気持ちが分散してしまう状態を指します。
 
掉悔蓋は「後悔」とセットになっていますが、あんなことをしなければ
よかったという後悔は、自分の心の底に引っ掛かり、心ここにあらずな状態になります。
これも気にし続ければ、パフォーマンスは著しく下がります。
 
5つ目の蓋は、疑惑蓋(ぎわくがい)です。疑うという字を書きますが、
何かを疑うわけではなく、イエスノーがはっきりしないという意味になります。
仕事であれば、心からやりたいと思っておらず、なんとなくやっている状態です。
何をやっていいかが実はよく分かってない。やり方が分からない。自分の中で
目的が明確ではない。それでは当然、乗り気がせず、やる気も湧かないでしょう。
 
ここに書かれている5つの要因は悩みに対する原因をあげているのです。
明確な目標と目的を持って世の中のために生きる決心すれば無くなります。
5つの要因は人がこのように精神的に不安になればこうなりますよという話です。
勿論、多くの人がこの5つで悩み苦しんでいるのは分かります。

私もこの「5つの蓋」に何度か悩まされました。
そして大きな失敗の経験をしてようやく落ち着いた人間になりました。
その時に気づいたのが努力ばかりではなく「怠け心」の重要性です。

現在は文明の進化により複雑な競争関係が出来てしまいました。
一見、テクノロジーのお陰で便利になったと誤解するのですが、
通常の人間関係よりも様々なスキルアップの努力を続けなければなりません。
常に他人よりも「知っている」という競争心が大きなプレッシャーとなります。
このままでいくと頭の中が情報の詰めすぎでパンクしてしまいます。
そうさせないためにも適度な「怠け心」は大切です。

怠け心の休息時間を利用して「自分」を考える必要があります。

① 生きることを知り、生きることで悩み、生きることを楽しむ。
② 夢を描くことではなく、理想をしっかりと描くのです。
③ 利他心、少しでも他人の役立つことに力を注ぐことです。

人は欲を持つと悩みが増えるのです。自己中心の幸福を求めると敵が多くなるのです。
邪念や疑う心が出てくると楽しいはずの人生がすべて被害者意識に変わるのです。
精神的な「怠け心」は、つよく罪悪感を持たないことです。
それがなければ重度なストレスがかかります。

肉体的な怠け心は体を休めてから、自分発見の旅に出かければ解決します。
精神的な悩みは心を休めてから、次の目標が見つかれば解決します。

ある意味すぐに解決する必要がなければ「そのままでいいんです」を信じて
過ごしましょう。私たちは修行僧ではないので過激に解決を求めなくても大丈夫です。

それから人生には大切な「道草」が必要です。
生きる上で途中下車も「怠け心」が出た時には必要です。
「道草こそ人生の哲学」効率重視で決められたことばかりするのではなく、
一見、道草は無駄に見えるが、その経験が人を成長させる。
多くの経験で新しい考え、新しい人との出会い、それが道草後の生き方次第で
その人の財産となるのです。

医学博士であり精神科医の斎藤茂太も人生に必要な100の言葉の中で
「人生は“道草”“寄り道”“回り道”」が楽しい
「人も時間も、旅として考えよう」を奨励している。

時には不効率で不可解な答えが出ることも人生の醍醐味です。
元々行き当たりばったりの人生を歩んできた私には「道草」が本筋で、
他人が歩む「本筋」は、ほとんど歩いたことがありません。
そんな「道草精神」があったからこそ時代を制するヒット作品が多く生まれたのです。
そうでなかったら自由と解放と夢を求めていた若者たちの琴線に
触れることは無かったと思います。

みなさまも「怠け心」が出た時には胸を張って「道草」をしましょう。
明日どうなるか分からない時代です。

「道草」の回数が多い人ほど乗り切る案をいっぱい持っていると思います。
今日も仕事の途中で「道草」をしてください。
何かワクワクドキドキすることを発見すると良いですね!


食膳を思う




祝い膳、勝ち膳、悔み膳、別れ膳と色々な膳がある。
食あるところに安らぎがあり疑惑・欺瞞は起こらない。
しかし食を利用して権力の奪い合いもあったことは確かである。

朝鮮の王様の膳には数人の毒味役がいて銀の箸とスプーンを持ち
全て味見をするのである。
運ばれてきた時には温かく量もあったのが毒味をしていると、
食べ物は冷めて量は減り淋しい食事であったという。

西洋のテーブルマナーでテーブルに両手をつくスタイルがあります。
それは、私は武器を隠し持ってはいませんという意思表示です。
食事の複雑なテーブルマナーにも暗殺阻止の策が隠されていたのです。

日本では簡単に主人を毒殺する文化はありません。
しかし完全になかったかというと怪しいものです。
食事に少しずつ毒薬のヒ素を混ぜるだけで体に不調が現れます。
体力が弱まると気力が衰え冷静な判断が出来なくなります。

武士はいくら憎く横暴の城主であっても従順に仕えるのが習わしでした。
従う事も戒める事もお側に使える用人の勤めです。
簡単に毒薬を盛るようなことはご法度だったはずです。

日本の食事は基本的に孤食です。
箱型のお膳で一人一人に配られて父親から箸をつけ、その後は長男に始まり兄弟へと
食事が始まります。この時代では母親と手伝いの人間は台所で余ったものを
食する習慣であった。

家族全員でお膳を囲んで食べるのは、貧しき庶民の間ではあったのかも
しれませんが(家にちゃぶ台が一つしかない為)、
今のようなスタイルになったのは明治末期から昭和に入ってからです。

「婚礼の膳」とは
最初の祝儀は、「式三献」と呼ぶ酒式から始められる。
この時各人に御膳が三つずつ置かれ、そこに盃が三つ添えられている。
女房(貴人の家に仕える女)三人が出て、嫁より盃を始め、婿、待上臈と三人が
三度ずつつぐのである。式三献のあと、初献、雑煮が出て酒も燗酒,塗盃で宴を行い,
十二組の菓子が出る。これは夫婦だけの宴で、父母、兄弟は立ち会わない。
こうして祝言が終了すると、いよいよ床入となる。
さて「色直し」の衣裳は婿の方から土産に出されるもので、二日目の夜に
赤や青の衣裳を着ることになるが、それまでは男女とも白の衣裳を着る。
そして嫁は色直しがすんだあとで、初めて舅、姑と対面した。

「お七夜(おしちや)」とは、赤ちゃんの生後7日目に行う行事です。
昔は医療が未発達で衛生状態も良くなかったため、7日目を迎える前に
命を落とす赤ちゃんも少なくありませんでした。
そのため、お七夜では赤ちゃんが無事に7日目を迎えられたことに感謝し、
今後の健やかな成長を願います。

お七夜の祝い膳は、縁起のいい尾頭付きの鯛や赤飯などを用意します。
ママの体調が回復しきっていない時期なので、準備や片づけが必要ない
仕出し弁当やケータリングで手配するのが一般的です。

「お斎(おとき)」とは葬儀や法事の後の会食のことをいいます。
僧侶による読経が終わると、僧侶や参列者を招いてお礼の気持ちを
表すとともに、一同で故人を偲ぶために会食を行います。
お斎はもともと仏教徒の習わしということで肉や魚介類をとらず、
穀物や野菜のみで作る精進料理を午前中にふるまうものでした。

お膳にはいろいろな種類があります。

折敷(おしき) 
30cm四方ほどの正方形や長方形の足のない形のお膳
平膳とも呼ばれます。 
もともとは白木でしたが、茶懐石では黒塗り(真塗)が正式
四隅が直角のものを角膳(もしくは角切らず)といいます。
角が丸いものを、なで角(俵型)といいます。  

縁の綴じ目をお客様から見て向こう側になるように置きます。
(角の場合)丸い形の膳は丸折敷といって、角膳とは逆に綴じ目のある方が
正面でお客様の前に置くという約束事があります。
丸前角向(まるまえかどむこう)

半月膳
丸が欠けた半月の平膳のことです。 
折敷や半月膳は 床や畳に直接置いて使われてきたものですが、
正式な料理では足のついた本膳が使われます。
最近は座卓の上に折敷や半月膳を置いて本膳替わりとすることもあります。

足打折敷
折敷に二枚の足板をつけたもの。 
お客様に対して足が縦になるように置きます。

猫足膳
中足膳ともいいます。 折敷の下に猫の脚のような足をつけた略式膳

蝶足膳
婚礼の時新郎新婦の前に置かれるお膳(結婚式場ではなく和室での場合)
四本足に美しい彫刻が施されていて蝶の形に似ています。外側が黒、
内側が朱塗りで祝い膳とも呼ばれます。

宗和膳
折敷の縁と四本の足が一体になったお膳のことです。 
本膳料理の膳として隆盛を見ました。最近では少なくなっています。

不吉な縦膳
お膳の正面は刷毛目がお客様の横になるように置きます。
杉・檜材のものなどの板は木目に沿って割れては一大事です。
昔の土葬の盛り土の上に膳の木目を縦にして置いたことを、縦膳といいます。
不吉な膳とされています。朱塗りのお膳は精進料理や仏式宴に使われています。

【通解】
1. 本膳料理の基礎は、一汁三菜にある。「菜(さい)」は「な」のことであり、
副食物のことを指す。
2. 一汁三菜の内容は、飯、汁、香の物、なます、煮物、焼物であり、
飯と香の物は、数えない。
3. こうして見ると、料理の品数が「4品」ということになる。で、
「4」 という文字について、これが「死」と同じ音であることから忌み嫌い、
一汁三菜という分割した呼び方にしている。
4. また、菜の数は、かならず、奇数である。このことは、日本において、
奇数を陽とし、偶数を陰とする思想があり、奇数をめでたいものとすることによる。
一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、三汁七菜など、三汁十五菜まであるが、
一汁四菜(偶数の菜)はない。
5. 膳は、高足(たかあし)膳を用いる。高さ 40cm。
6. 膳の配置は、かならず、まず、本膳 (一番目に出す膳) を膝前に置き、
二の膳 (二番目に出す膳) を右側に置き、三の膳 (三番目に出す膳)
左側に置く。
7. 昔は、すでに盛りつけた料理を、目八分目の高さにささげて、
客前に出していた。
8. それぞれの膳には、何をどこに置くかという約束がある。これを、「膳組み」と
呼び本膳料理という名称は、室町時代に始まったのであるが、
現在、明治・大正時代に完成された膳組みを用いている。
9. で、膳組みは、江戸前期のころ、一の膳、二の膳、三の膳として分けていたが、
天保のころ、まず、最初に出す膳を、「一」と書かずに「本膳」と書くようになった。
10. さて、二番目に出す膳は、本膳より小型である。で、この膳のとき、「汁」のない
場合がある。これを 「引落(ひきおとし)」 と呼んで、正確には、二番目に出す膳
ではあるが、 「二の膳」 と呼ばない。引落の配置は、二の膳と同じであるが、
高さは、二の膳よりも低い。
11. つまり、「二の汁」がつく膳が「二の膳」であるということ。
  これに、「焼物」が別の膳でつく。「焼物膳」という。脇膳の1つ。
12. さて、酒について。酒は、元来、「飯」を食べ終わってから飲むもので、
最後に出された。「吸物」が出されると、「酒」が出ることになっていた。
これを「吸物膳」と呼ぶ。
13. で、酒を出す合図が、「吸物」であること。
14. が、のちに、酒は飯を食べ終わってからでなく、二の膳に二の汁 (すまし汁)
 から盃事に移るようになった。
15. 会席料理になると、はじめから、箸の上に、盃を載せている。
16. で、つゆとして、「飯」につくのは「汁」であり、「酒」につくのは
「吸物」であるということを知っておかれよ。
17. 最後、菓子に、濃茶と薄茶、あるいは、そのどちらかが出る。

• 濃茶抹茶の量を薄茶より多くし、泡立てず、茶筅(ちゃせん)で濃くぼってりと練る。一碗を数人で飲み回す。
• 薄茶抹茶に湯をさし、茶筅で泡立てる。濃茶に比べ味わいは、淡白である。
• 抹茶うすでひいて粉末にした茶。煎茶は、煎じ汁にするが、抹茶は、茶の葉を粉末に
してすべて飲んでしまう。
18. 本膳料理でも、食前に、茶の菓子(干菓子、蒸し菓子)がだされ、食後には、
一汁三菜であれば、煎茶か抹茶に菓子。二汁五菜であれば、濃茶に蒸し菓子、さらに、
薄茶に干菓子がだされる。
19.干菓子(ひがし)乾いた菓子をいう。打ち物(らくがん類)、掛物(こんペいとう類)、焼物(煎餅)がある。原則として薄茶のときに出す

日本の風習を守ることが伝承文化を守ることに繋がります。
私達は今一度良き文化を発掘し学ぶ必要があります。
今後も機会を見て日本人の風習を取り上げて行きたいと思います。


苦労は身になる




「楽」は記憶にだけ残り「苦労」は身に染み付いて残る。
人柄は行動に現れる。行動を起こした分だけ表情に現れる。
苦労した分人生に自信がつくから見た目ですぐ分かる。
韓国の囲碁用語に未生(ミセン)と完生(ワンセン)がある。
未生は未熟な碁士である完生した碁士との違いは学びと謙虚である。
完生の碁士は余裕の構えがあり百戦錬磨の驕りが勝ちを急ぐ。
未生の打ち手は常に攻撃ばかりで完生の打ち手は鉄壁の守りがある。
すべては負けて身になる勝負の世界である。

囲碁の世界では「捨石」という言葉があります。
「捨石」には様々な意味がありますが、「将来、または大きな目的のために、
その場では無用とも見える物事を行うこと」や「大きな目的を達成するために
見捨ててしまう事柄」と「自分の形成を有利に導くために、あえて相手に
取らせるように打つ石」を言います。

勝利を得るためには小さな犠牲も払わなくてはならないのが囲碁なのです。

日本人は子供の時から足すことばかり教えられてきて、
多くのものを手にした者が偉いとされてきた。
成績を足し、運動を足し、図画工作を足し、クラス委員を足してきた。
社会に出れば昨日より今日と売り上げを足さなければ地位が上がらない。
家族を足して、家を足して、車を足して、旅行を足していかなければならない。
呼吸も吸うばかりでは息苦しくなりたまには吐き出さなければ死んでしまう。
我々は窒息寸前で呼吸困難な現代人です。

武術の世界に「肉を切らせて骨を断つ」という言葉があります。
「肉を切らせて骨を断つ」の意味は以下の通りとなります。

(1)自分も痛手となるが、それ以上に相手に打撃を与える。
(2)自分も肉を切られる(覚悟だ)が、相手の骨を切って(折って)
それ以上のダメージを与える事。
(3)現代的な解釈として、こちらも痛手があるがそれ以上のメリットがある事。
(4)「肉を切らせて骨を切る」も同義。

「肉を切らせて骨を断つ」は大きな勝負事を前にして使われる諺で、
半ば玉砕も厭わない覚悟を決めた上で発する言葉です。
発祥が剣道とされ、強敵との試合を備えた心境や決意として使われていたので、
そこから現在も特に格闘技などで使われる傾向がありますが、
他にも大きな勝負事や試合を前にして次の事は考えていなく、
目の前の勝負に集中しているとして使われます。

柔道の世界では「柔よく剛を制す」という言葉があります。
「柔よく剛を制す(じゅうよくごうをせいす)」とは、
柔軟なものでも強いものを制すことができるという意味のことわざです。
柔道用語としても知られており、体の小さい人が相手の力を利用して
大きい人に勝つことを指して使われます。

日本人の精神を表した「日本の美は引き算の妙義」という言葉があります。
ヨーロッパは足し算の文化、日本は引き算の文化だと言われることがあります。
ヨーロッパの建築や街並み、歴史を見ているとそれは1つずつ構築されてきた
足し算の文化なんだということがなんとなくわかります。
また論理に基づいて、哲学や音楽を構築してきたドイツの歴史を鑑みても
足し算の文化を伺うことができます。ところでこの日本の引き算的思考は
どのようなものに反映されているのでしょうか?

村田珠光は「侘び茶」を広めた茶人です。
村田珠光(1422~1502)は大和国(現・奈良県)に生まれました。
珠光は、成長し浄土宗・称名寺に入寺しますが、出家することを嫌い
京で能阿弥(水墨画家・茶人・連歌師・鑑定家・表具師)に師事します。
そこで茶の湯・和漢連句・能・立花・唐物目利きを習い、能阿弥の推薦で
足利義政の茶道師範となったといわれています。
また、臨済宗の僧・一休宗純とも交流があり、彼から禅を学びました。

禅の影響を受けた珠光は「物を極限まで排することで現れる美」を追究しました。
そして、物の不足を「心の豊かさ」で補うことを目指したのです。
茶の湯の「心・精神」を重視した珠光は、茶の湯の道にとって最も大きな
妨げとなるのは「慢心と自分への執着」であるとし、どんなに上達しても
人には素直に教えを請い、初心者にはその修行を助けることを説いています。

さらに、珠光が弟子に宛てた一節に「心の師とはなれ、心を師とせざれ。」
があります。「移ろいやすい心に振り回されず、自分が心をコントロールする
立場になりなさい」という意味です。
珠光は茶の湯を、心をコントロールし自分自身と対峙する「精神修行の場」
とすることを目指したのです。

能阿弥から学んだことは、茶の湯・和漢連句・能・立花など、
当時の一流の文化です。それらを学ぶことにより審美眼を磨き、
後述の禅の思想が融合することで、珠光の目指す茶の湯が作られました。
なかでも和漢連句には、強く影響を受けたと思われます。

和歌と漢詩の受け答えを繰り返す和漢連句に親しむことにより、
「和漢のさかいをまぎらかす」との考えが生まれたことは容易に想像できます。
和と漢どちらも知った上で融合し、さらに新しいものへ発展させるという
考えがここから生まれました。

珠光は、「一休さん」として有名な禅僧・一休宗純からも
大きな影響を受けています。
禅僧・一休宗純は自由を追い求め、反骨精神にあふれた禅僧でした。
珠光は、「無駄を排する禅の教え」や「何ごとにもこだわらず、
本質を追い求める心」を一休から学んだのです。

侘び茶は珠光により完成された訳ではありません。
しかし、珠光は「佗び茶が目指し、進む道を示す」という
重要な役割を果たしたのです。
その後、珠光の考えは富裕層の支持を得て広まり、
弟子達が研鑚を重ねたことで茶の湯文化の完成につながって
いくこととなります。

昔の人は「苦労は買ってでもしろ」とよく言われました。
平々凡々な暮らしからでは望む意識が低くて常に人の後ろを
歩くことになるからです。
現代のように海外の人とも仕事をしなければならない時代、
咄嗟の問題に直面した時に苦労した分、解決の方法が早く見つかります。
知識だけで解決をするのでは無く、生きた知恵で解決が出来る人に
ならなければなりません。

禅の世界では「小欲知足」といいつねに大きな量を求めるのではなく、
少しの量でも満足することを言います。

日本は、1990年代前半にバブルがはじけて以来、成長は滞ったままであり、
経済的には「失われた十年」などと言われ、日本社会全体が閉塞状況にあると
言われてから久しい。さらに、12年前に東北の大地震や津波、
福島の原発事故に直面した後、私たちは自らの生き方や社会のあり様を
根本的に見直すことを余儀なくされている。

その中で見えてきたのは、19世紀初めのヨーロッパの進歩思想を根とする、
「際限のない成長(特に経済におけるもの)や進歩(特に科学・技術における
もの)」を基礎とした現代社会の根本にある価値観に対する疑問である。

「際限のない成長や進歩」という考え方は、私たち人間を無限の可能性へと
突き動かす原動力ではあるが、実際は欲望の本性とも相俟って止まることの
ない卑近な「もっと、もっと」の欲望を生み続け、いつも現状に満足しない
状況を生み出していたのである。

仏教は、欲望に内在するこの「もっと、もっと」という本性に気づき、
先ずそれを止めるために「少欲・知足」ということをもって、
生きる出発点としてきた。「少欲」とはいまだ得られていないものを
欲しないことであり、「知足(足るを知る)」とはすでに得られたものに
満足し心が穏やかであることである。

唐の時代の代表的な仏教僧である玄奘(げんじょう)は「知足」をさらに
踏み込んで「喜足(足るを喜ぶ)」と訳し、「少欲・喜足」とする。
このほうが内容に適った訳語ではあるが、一般には「知足」が
受け入れられている。

私たちは、物や知識や名誉・地位などの中、すでに得ているものに
対してはもっと良いもの、もっと多くのものを欲しがり、
いまだ得ていないものに対してはそれを得ようと欲する。
したがって、欲望とは現状に満足しないことと表裏の関係にあり、
逆に言えば、満足を知り、喜ぶことによってこそ
欲望が減少するのである。
「少欲知足」と言われる所以である。

「少欲知足」は、これまでは何か高徳でストイックな生き方を示す語として
敬遠される傾向にあった。しかし、成長や進歩を考え直さなければならない
今こそ、自分自身や社会が真剣に受け止めるべき語であろう。

2024年は強欲な心を捨て分かち合うことを大切にする1年に
しなければなりません。
念頭からの大地震と航空機炎上の事故は「大丈夫」という自身の気持ちの安心が
さらに被害を大きくしています。
我々は常に過去から学び成長をしていかなければなりません。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」を今一度肝に銘じるべきである。


幹ではなく枝の思考




先日の投稿「写真家の哲学的思考」でも森鴎外の「舞姫」のことを書きました。
私は以前東京上野の「水月ホテル鴎外荘」へ何度か行った事があります。
森鷗外が実際に住んでいた旧居や庭園が敷地内に保存されている、
由緒のあるホテルです。ここで「舞姫」を書き上げたとも言われています。

そこには鴎外が帰国後に執筆活動の時に使っていた部屋が中庭に面してあり、
食事をしていた蔵もありました。私は女将の中村さんと面識があったので
そちらで食事をした事が三度ほどあります。
コロナの為に2021年に一度閉館をしたのですが、クラウドファンドで1200万円集め、
再建に望んだのですが、依然としてコロナで客足は戻らず、2022年8月完全閉店を
余儀なくされました。

何故このような由緒ある建物を東京都は保存の対象にしなかったのか残念です。
文化・伝統を大切にしてきた日本人が、このような施設の保存に無関心なのは
何故だろうか、東京オリンピックの時に江戸の基軸であった日本橋の上に
首都高を走らせた。誰がどう考えても政治家の文化意識の低さを嘆くしか無い。

日本人は2種類に分かれている。
文化芸術を創造し後世まで伝えようとする支援タイプと、
文化芸術は飯の種にもならない暇人の遊びだと考えている低俗なタイプである。

英国にいたときに通訳の人から聞いた話がある。日本人の政治家や経営者の方々に
時間のある時に大英博物館やお芝居など見られてはどうですかと声をかけると、
大半の人が、文化芸術には興味が無いと答えるそうです。
欧米では地位のある人が文化芸術に関心が無い人は絶対にいません。

彼らから日本人に質問をされることがあります。
「歌舞伎と能楽は何が違うのですか?」「茶道と華道の大切な作法は知っていますか?」
「浮世絵の北斎や広重はどのような方ですか?」「相撲は見たことがありますか?」
誰も何も答えることができません。あなた本当に日本人ですかと笑われてしまいます。
そしてもう一つ大事な質問があります。「あなたの信じている宗教は何ですか?」
私は宗教に興味がなく無神論者です。
この答えを出す人は欧米人からすると野蛮人だと思われてしまうのです。

ベアーテ・ヴォンデ(独)さん言葉に、私は学者ではないですし、一つのことを
掘り下げるよりもいろいろなことに興味がある。
「木の幹よりも枝なんです」ね。これまで日本語を習い、演劇を専攻し、
文学は常に私の中心。歴史の調査にも興味がある。
それらの希望を全て実現できるのが森鴎外記念館でした。

森鴎外は軍医が本職でしたが、隣には常に別の世界がありました。
文化的、思想的な世界です。両方あると、いつでもどこかに逃げることができます。
彼は軍医の仕事をこなしつつ、文学に勤しみ、本職でない方で有名になりましたよね。
実際、今も生きた存在であり続けているのは文学のおかげだと思います。

鴎外は初めて腸チフスのワクチンを行ったり、最初の衛生雑誌を出したり、
医学者として良いことをたくさんやっています。同性愛や性教育についても書いており、

私はまだ研究したいテーマがいっぱいありますよ。

鴎外のすごいところの一つは、同じ問題について専門家同志のために学術的に
書くと同時に、一般の人にも分かるように適切な言葉で伝えられたこと。
例えば、牛乳を飲んだら健康に良いか悪いかを衛生雑誌で学問的な記事を書き、
同時に読売新聞に誰でも分かる記事を寄稿したのです。

今のコロナ時代を鴎外はどう考えたかなと思います。
彼の時代には脚気の問題がありましたが、未知の病気の究明には数十年かかることも
あります。後からこれはダメ、あれは間違いだったと言うのは簡単ですが、
もっと過程を見るべきだと思います。

もし鴎外が1日だけ今の時代に遊びに来ることができるなら、
聞いてみたいことがたくさんありますね。

「他は是れ吾にあらず」
日本曹洞宗の開祖であり、福井県の大本山永平寺を開いた禅僧でもある、
鎌倉時代に日本から中国へ海を渡った道元禅師(どうげんぜんじ)が、
留学先の寺院で出会った禅語「他は是れ吾にあらず」である。
中国に留学中の若かりし道元禅師が、ある夏の日、寺の廊下を歩いていたときのことである。
空には真昼の太陽が高く上がり、辺りを容赦なく照らし焦していた。

ふと、目線を中庭に移すと、直射日光を浴びながら黙々と瓦の上に椎茸を
干している年老いた僧の姿が目に映った。
さぞかし老身にこたえる仕事のように見えた。
心配になった道元禅師は、近づいて声をかけた。
「失礼ですが、あなたさまはおいくつですか?」「68歳になる」
「それほどまでに修行を積まれた方がこのような身にこたえる仕事をせずとも、
もっと若い修行僧に任せたほうがよろしいのではないでしょうか?」

日本からやってきた道元の頭には、食事の準備というような仕事は
若い僧が行うことだという思いがあった。
当時の日本では食事は下っ端の仕事だったからである。
だから老僧が汗水を流しながら椎茸を干す姿が不憫に思えてならなかったのだろう。

すると老僧はこんな言葉を返した。
「誰かにやってもらったのでは、自分でしたことにはならんからのぉ」
これが「他は是れ吾にあらず」という禅語の意味である。
他人がしたことは、自分でしたことではない。
当たり前の、それだけの言葉なのだが、これはちょっと奥の深い言葉なのだ。

誰かがしたことは、誰かがしたことなのだから、自分でしたことではない。
私たちはこれを当たり前のことと思うが、時にこれが当たり前ではなくなることがある。
他人が代わりにしてもいいのではないかと、「自分」というものを思考の外に放って
しまうことがある。
ちょうどこの年老いた僧に声をかけた時の、道元禅師のように。

道元禅師の思いは、「椎茸を干す」という行為に焦点を当てていたのであって、
「老僧が何をするか」に思いをめぐらせていたわけではない。
しかし、老僧にとって重要だったのは、「自分が何をするか」であって、
「誰が椎茸を干すか」ではなかった。「自分が」椎茸を干すことに意味があるのであって、

「椎茸を干す」ことだけが目的なのではなかったのである。

自分で自分の本分を全うすること以上に、大切なことなどない。
それが禅の根本であることを、暗に道元禅師に伝えたのだろう。
もちろん道元は、老体に気を遣って声をかけたに違いない。
しかし、本当に気を遣うとはどういうことか、老僧は逆に道元禅師に伝えたのだ。
相手に楽をさせることが、必ずしも気遣いではないのだと。

椎茸を干すことが目的なら、それでもよかったのかもしれない。
しかし、日常生活のすべてを修行として行うことを重んじる禅にとって、
そうした考えは邪であると言わざるをえない。
修行を取り上げるような声かけは、禅において親切とはいえない。

誰かが修行をして、それで自分が成長するはずなどないことを知っていながら、
それでも誰かにしてもらえばいいのではないかとの思いを、私たちは抱くことがある。
しかしそれは、本当にその人のことを考えた上での気遣いではない。
気を遣うとは、その人にとってどうすることが本当にその人のためになるかと考えて
行うことであって、単に楽をさせることではないからである。

「他は是れ吾にあらず」
他人は自分ではない、という単純で当たり前な、しかし奥の深い禅の言葉です。

海外の名もなき人達は国籍を問わず「凄い人は凄い」と認める寛容力を持っている。
外面だけで人を判断するのではなく、内面まで窺(うかが)い知る洞察力の深さである。
私はベアーテ・ヴォンデさんのこの言葉が気になった。
私は学者ではないし、一つのことを掘り下げるよりも、いろいろなことに興味がある。
「木の幹よりも枝なんです」学者は幹を研究対象にして探求者は枝を探り当てる。

私も「恩学」で書き続けているのは、学者でもないし研究家でもないので
「幹にはならず枝の部分」で文章を書き続けているだけです。
気になる文章や、気になる話題や、気になる事柄を、文化・音楽・スポーツ・科学・
政治などと脈絡もない文章ですが、読む人の心に何かに火がつけば良いとしています。

思考の粒を広げて平面にするのは皆様です。
「他は是れ吾にあらず」学びも自分で行わなければ意味がありません。
森鴎外もベアーテ・ヴォンデさんも道元禅師も他人任せでなく、
好奇心に応じて自らが追求してきたのです。

私もこれからも怠けずに自分の出来ることは自分で行います。


雑草という草はない




友人が亡くなった。友人の人生はどのようなものだったか思いを馳せる。
人が良くて歌が好きで陽気な性格だったのがいまや悲しい思い出となった。
亡くなる1週間前に葬儀は身内で済ますので見送りには来ないでくれと言われた。
その代わりに1月8日(月)の誕生日には密やかに祝ってほしいと頼まれた。
彼の誕生日は彼が大好きなエルビス・プレスリーと同じ日だった。
生きていればプレスリー89歳、友人は80歳の人生だった。
「CAN’T HELP FALLING IN LOVE」が十八番の曲だった。
その日は故人を偲んで何度も聞き返した。

いくつも会社を立ち上げて失敗を繰り返した。
彼の家族が名のある人たちだったのでいつも周りから利用された。
最後には力尽きて頑張る気力を失ってしまった。
それでも私との交流は変わりなく続いていた。
カラオケが好きでお肉が好きで駄洒落の好きな人だった。
お酒が入ると世の中の役に立たなかったことを悔やんでいた。

それでも世の中に不用な人間はいるのだろうか? 
この世の中は成功者だけの世の中だけではない。
どんな人生を生きてきても役たたずの人間はいない。
ひそやかに清く貧しく美しく真面目に生きた者たちもいるのだ。
決して人を裏切らず実直に生きた者にも頭を下げるべきである。
大勢の人たちからの賛辞はなくても生きてきたことに意味がある。
あなたは私たち家族にとって大恩人なのには変わりは無い。

「花は愛惜に散り 草は棄嫌におうるのみなり」

この言葉を聞くと、「花は皆から愛でられ、散る時も惜しまれて散っていく。
草は生えてきても抜かれ嫌がれしまう。
だから、草のように憎まれてはいけない、人の生き方として人から
好かれるようにしないといけない」。
この言葉は、道元禅師が正法眼蔵の中で述べている言葉です。

花のように誰からも愛着したり、いつまでもあり続けてほしいものに限って、
早く枯れてしまったり、消えてなくなってしまう。
このように惜しまれるものほど、壊れたりなくなったりする。
しかし、嫌なものやあってほしくないものや、居続けてほしくないものの方が
かえってあり続ける。嫌なこと災いが近くまで押し寄せてきて、
そしてそれらがいつまでも居続けてしまうことが多い。

このようになかなか世の中はというものは、ままならく思うように
ならないのが、世の中の偽りのない本当のすがたで、それが本当のありようだ
逃れられるものではない。だから、それから逃げることを考えるのではなく、
それと向かい合っていかなければならないと、教えているのだと思います。

「雑草という草はない」

植物学者・牧野富太郎のことばとして知られている。
牧野は、NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公槙野万太郎のモデルである。
この牧野のことばは、これまで牧野が語ったものだという
確実な根拠は見つかっていなかったらしい。
 
その根拠になる史料が、ついに見つかったようだ。
1年ほど前の高知新聞の記事「『雑草という草はない』は
牧野富太郎博士の言葉 。戦前、山本周五郎に語る。
田中学芸員(東京・記念庭園)が見解」
2022年8月18日)でその詳細が報じられている。

木村久邇典(くにのり)著『周五郎に生き方を学ぶ』(1995年、実業之日本社)
にその根拠となる内容が記載されているというのだ。
木村は山本周五郎の研究者として知られている。
 
若かりし頃、雑誌記者をしていた周五郎が牧野のもとに取材に行ったとき、
周五郎が「雑草」ということばを口走ると、牧野はなじるような口調で
「世の中に“雑草”という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前が
ついている」と言ったのだそうだ。
「雑草という草はない」ということばは、辞書にできるだけ草の名を載せたいと
思っている辞書編集者としても、まさにその通りだと思う。

確か上皇天皇も同じことを言っていたと思う。
1948(昭和23)年には、皇居に招かれて生物学者であられた
昭和天皇へ植物学のご進講を行いました。牧野富太郎、86歳の時でした。
また、昭和天皇の植物標本を初めて鑑定したのは牧野であり、
昭和記念筑波研究資料館には、大正から昭和初期に牧野が鑑定した
標本が現在も収められています。 そして、昭和天皇の静養中に侍従らが
皇居周辺の草刈りを実施し、お帰りになった際に一部雑草を刈り残したことを
お詫びしたところ、陛下が牧野の言葉を引用して「雑草という草はない」
どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で
生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として
決めつけてしまうのはいけない。ってことです。

注意するように。」とおっしゃったというエピソードも残っています。

成功者ばかりを尊ぶ世の中にしたのは誰でしょうか?
花咲く前の名もなき花の美しさを讃えることのない世の中です。
貧しい国の人たち、貧困度に苦しむ人たち、戦禍を逃れ難民キャンプで暮らす人たち、
災害に遭われて避難所暮らしを余儀なくされる人たち。
その痛みや苦しみを分からなければ本当の人生を歩んだことにはなりません。

日本人に根深く残る記憶!があります。
世界の中でも「愛された記憶」が一番長かった民族です。
縄文時代は、一万年から一万五千年続いた愛と平和で溢れていた時代だったのです。
そして亡くなった人すべてに刺し傷、切り傷が無かった平和国家でもあったのです。
愛していたということは、愛されていた、だからとことんまで優しい日本人は
愛された記憶を持っているから「素晴らしい日本人の記憶」を忘れないでいて欲しい。
太陽も草木も動物も山も川も海も神様と呼ぶ国は日本だけです。
どうぞ優しさを失わないでください。

今一度「雑草という名前の草はない」を心に刻んで下さい。
人目を奪う美しい花よりもそれを支えている草たちの存在も忘れないでください。


目標と目的の設定




皆様「目標と目的」の違いが分かりますか?

生きる為の「目標と目的」を明確にして前に進んでください。
目標はマイルストーンで進むべき道標です。
目的は自分の人生の最終ゴールです。
必ず合わせて考えるようにしてくださいとお伝えしています。
出来ればマンダラチャートにして壁に貼りだすのです。

何故そのような考えに至ったかというと20代の時にLA在住の画家の友人が
プレゼントしてくれた一冊の本、ナポレオン・ヒル「思考は現実化する」を
読んで、自分の計画を書き出して壁に貼り出すことを知りました。
頭の中でぼんやりとイメージするのではなく、書き出すことによって意識に
しっかりと植え付けられるのです。

私はすぐにこの考えを取り入れて「日本一のプロデューサーになる」と
紙に書き出して壁に貼りました。
それによって道に迷うことはなくなり愚直に突き進みことが出来たのです。
それからはどんな困難にぶつかっても乗り越えることが楽しくなりました。

最近、知ったことですが岩手県花巻東高校硬式野球部監督佐々木洋監督も
同じ経験をしていたのです。
致知出版の「365人の生き方の教科書」で紹介されています。

「私は岩手の田舎に育ちましたから、遊びも野球くらいしかなくて、
周りに導かれるように自然に野球を始めました。
甲子園に出場してプロか社会人で活躍したいと思っていましたが、
結局選手として花を咲かせることはできなくて、大学2年生の時に戦力外で
寮を出されました。

初めての一人暮らしに最初は心を躍らせていたんですが、
家具を揃(そろ)え、テレビのスイッチを入れた途端、急に虚しくなったんです。
悩んだ挙げ句に、それまで活字を見るのも嫌だったんですが、
答えを求めて初めて本屋に行きましてね。
そこで目に留まったのがナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』という本でした。
 
そんなわけないだろうと思いながら手に取ったんですが、ページをめくるうちに、
自分はそれまで大切なことを教わっていなかったことを痛感したんです。
それまで「夢を持て」「目標を持て」と散々言われてきたんですが、
ではどうやって夢や目標を立てたらよいのかということについては、
何も教わっていなかったんです。
 
類書を片っ端から読んだら書かれていることは同じで、数値で具体的に表すこと、
期限を決めること、ワクワクする内容であること、紙に書き出すことなどが
大事だと分かってきました。
 
それで、野球選手としてはダメだったけれども指導者として成功したいと思って、
「28歳で最年少監督として甲子園に出る」と書いたんです。
そうしたらいろんな巡り合わせの中で花巻東の監督に就任することができて、
本当に28歳で甲子園に出場することができたんです。
ですから生徒にも、夢は必ず叶うとハッキリ言うんです。
具体的に立てて具体的に行動していけば、必ず夢に近づくんだと。

大谷翔平が入部してきた時は、「先輩の雄星さんみたいになりたい」と言っていました。

私は、夢というのは掲げたところより少し下で実現するような感覚があるので、
「それでは菊池以下になってしまう。菊池を越えると言え」と指導しました。
当時、菊池の投げる球は155キロくらい出ていましたから、
絶対に160キロ出せると暗示をかけましてね。
 
ただ、実際に目標を書く時に、160キロと書いたら158キロになってしまうと
心配していたのですが、大谷はもう目標の立て方を心得てくれていて、
163キロと書いてありました。
 
菊池も大谷も、入部してきた時から間違いなくプロに行ける選手でした。
そんな逸材が名もない私の所へ来てくれたわけですから、
私も生半可な指導をするわけにはいきません。
 
自分自身にプレッシャーをかけるために、ドラフト1位で送り出せなければ
監督を辞めると宣言したんです。それを確実にするために、
その上のメジャーへ送り出すという目標を掲げて二人と共有していました。
不思議なことに、その夢もどんどん近づいて、いまでは二人とも海を渡っています。

彼らはたまたま海を渡ったのではなくて、高校の時に自ら思い描き、
自らの脚で海を渡ったと思うんです。

今や大谷翔平は誰でもが知るメジャーリーガーの最高峰に君臨しています。
菊池雄星もブルージェイズで活躍しています。
まさに「思考は現実化する」を実践したお二人です。

私は同時に昔読んだ童話「ウサギと亀」から目的の達成方法を学びました。
ご存知のように足の速いウサギと足のノロイ亀のレースです。
勝敗の行方は、誰しもが戦う前から決まっていると思っていたのです。
しかし予想に反して亀がウサギより先にゴールにたどり着いたのです。

何故かというと原因はウサギの慢心と驕りが敗北につながったのです。
あんな歩みの遅い亀には昼寝をしていても勝てるという慢心が常に亀を、
「目標」にしてしまったのです。その反対に亀はウサギなど一切目もくれず
「目的」のゴールしか意識をしていなかったのです。

お分かりでしょうか?同僚やライバル会社などを意識して彼らに勝つために、
売上記録を伸ばし、業績を伸ばしていたら、彼らを追い抜くことは出来ないのです。

高校生の時に大谷翔平が菊池雄星を目標にして頑張っていたら、
今の大谷翔平は存在していなかったのです。

私は常に新人アーティストの面接の時に「目標と目的」の違いを質問します。
殆どの人が明確に答えることが出来ません。
しかしカリスマ・ロックスター矢沢永吉は、最初から目的しか言わなかったのです。
当時、日本のロック業界は30代になればお払い箱で、海外のロックアーティストは
50~60代でも現役で活躍している。音楽と年齢は関係がない、だから自分は
70歳過ぎても武道館でコンサートを開催すると強く言い切ったのです。
まさに彼はその通りの人生を歩いているのです。尊敬に値します。

そして矢沢永吉に関してもうひとつ思い出すことがあります。
「稲葉さん矢沢はジョンレノンと同じキーで歌える、そしてこの新曲は億を稼ぎ出す」
一枚の楽譜を前にして熱く語ったのです。そしてギターで歌ってくれました。
その数年後には何十億も稼ぐロックスターになったのです。
まさに「思考は現実化する」を実践した男です。

どうか皆様も「目標と目的」をマンダラチャートに書き出して
壁に貼りだしてみてください。

皆様の願いが叶うことをお祈りします。
2024年は辰年です。まさに登り龍のごとく目的に向かって上昇してください。


愛はどこからが愛




他人(ひと)を好きという感情が生まれて愛が芽生えその芽が育って恋になる。
恋とは二股の関係。相手も僕を、僕も相手を理想とするか駆け引きをする。
いっときの愛か永遠の愛かは最初から分からないので迷いが出て悩み苦しむ。
だから二股の恋、信じる自分と疑う自分がいる。

「恋しあっている同志が、必ずしもお互いを理解しあっているとは限りません。
むしろ、互いに理解しあっていないところで、恋愛というのは
成り立っているとも云えるのではないでしょうか。
恋しあう二人は互いに互いを夢見合い、そしてその同じ眼で、相手だけではなく、
自分たちをとりかこむ世界のすべてを見ているのです。」詩人谷川俊太郎

やさしさを愛と受け取る世代がある。中学生の思春期の頃は理想の相手を探して
迷い道に入る。初めて経験するときめく心にこれは愛なのか親切なのかが分からない。
意地悪な言葉で相手を傷つけて反応を見る。それでも関係が残る場合に、
もしかしてこれは恋なのかと自覚する。

あらゆるものから受ける愛は、母性愛、兄弟愛、友人愛、隣人愛、動物愛などです。
ここに古代ギリシャ人が認識していた愛の種類があります。

古代ギリシャの時代、愛には次の8種類があると考えられていたそうです。
1. エロス(情欲的な愛)
2. フィリア(深い友情)
3. ルダス(遊びとゲームの愛)
4. アガペー(無償の愛)
5. プラグマ(永続的な愛)
6. フィラウティア(自己愛)
7. ストルゲー(家族愛)
8. マニア(偏執的な愛)

それぞれどのような愛だったのか説明が必要になります。
(解説は長い文章になるので今回は省きます)
日本人の愛の認識と違うところがありますが分かりますか?

私が中学生から高校生の時に愛読した詩集がある。

「ハイネ」
甘美な歌に放浪者の苦渋がこめられて独特の調ベを奏でる珠玉の詩集。
美と愛情の朗らかな使者ハイネ。だが彼はユダヤ系ドイツ人という宿命の星の下に生れ、

人類解放の旗手として、祖国を愛しながら亡命先のパリに客死した薄幸の詩人であった。
甘味な歌に放浪者の苦味が加わり、明澄さの中に幻滅や独特の皮肉の調子がまざる。
彼の代表的詩集『歌の本』『新詩集』『物語詩集』から、悩みを秘めた純粋詩人
ハイネの詩魂を伝える珠玉の作品集である。

「一層真実を守るがよい
そして死ぬほど心が苦しうなつたら
おまへの琴を手にとるがよい
絃を鳴らせば、焔と熱に燃え立つた
勇者の歌が響くだらう!
するとはげしい怒りも溶けてしまひ
おまへの心は甘く血を流すだらう」
『ロマンツェロ』より

「若山牧水」
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 – 1928年(昭和3年)9月17日)は、

戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)宮崎県東臼杵郡坪谷村
(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)
宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。
由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。
牧はまき、すなわち母の名である。水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから
来たものであった」

「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染そまずただよふ」
「真晝日のひかり青きに燃えさかる炎か哀しわが若さ燃ゆ」
「風わたる見よ初夏の青葉がうへをやよ戀人よ」

という短歌を中学で習いました。今でも教科書にあるのでしょうか?
意味もわからずに胸が熱くなったことを覚えています。

ゲーテ
《Johann Wolfgang von Goethe》[1749〜1832]ドイツの詩人・小説家・劇作家。
小説「若きウェルテルの悩み」などにより、シュトゥルム‐ウント‐ドラング
(疾風怒濤(しっぷうどとう))運動の代表的存在となる。
シラーとの交友の中でドイツ古典主義を確立。自然科学の研究にも業績をあげた。
戯曲「ファウスト」、小説「ウィルヘルム‐マイスター」、叙事詩
「ヘルマンとドロテーア」、詩集「西東詩集」、自伝「詩と真実」など。

「野薔薇」
少年がばらを見つけた野原に咲くばらを
若々しく美しく近くで見ようと駆け寄り
胸をはずませて見つめた。
ばらよ、ばら、赤い可愛いばら野原に咲くばら
少年は言った「お前を折ってやる 野原に咲くばら!」ばらは応えた
「あなたを刺すわ あなたが私の事を永遠に忘れない様に
そして私は折られやしませんわ」
ばらよ、ばら、赤い可愛いばら野原に咲くばら
ついに少年は野原に咲くばらを折ってしまった。
ばらは抵抗して刺し嘆き、泣き喚いても
少年には効かずただ痛みに耐えるばかりであった。
ばらよ、ばら、赤い可愛いばら野原に咲くばら
– ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ –訳:土田 悠平

「志賀直哉」
小説家。東京の祖父母のもとで育ち、学習院高等科卒、東京帝国大学中退。明治43(1910)年、

武者小路実篤、有島武郎らと『白樺』を創刊し、「網走まで」を発表。

その後尾道、松江、京都などに居を移し、執筆を中断した時期を経て、『城の崎にて』(1917)、
『和解』(1917)、『暗夜行路』(1921~1937)などを著す。「小説の神様」とよばれ、
多くの作家に影響を与えた。昭和24(1949)年文化勲章受章。

「自己嫌悪がないということは、その人が自己を熱愛することのない証拠である。
自己に冷淡であるからだ。」

愛は与えられるものとばかり思っていたが自らが人を愛さない限り愛は生まれない。
そのためにあれこれ苦悩して自己嫌悪に陥る。

多感な中学生のころは多くの小説や詩集を読んだ。
勉強もせずに読みふけりよく怒られたものです。
母親の愛情に接しなかった少年は女性に対して興味があっても
ふれることは出来ませんでした。純情そのものだったのです。

学校の女性教師からお弁当を貰った時、近所のお姉さんからお菓子を貰った時、
この優しさは愛なのか恋なのか幾日も悶々としたものです。
勿論、ただの妄想で手紙を携えて追いかけまわしたら叱られました。

人を好きになることに不慣れで詩集から学ぶことが多くありました。
苦き青春時代「愛はどこからが愛」と苦悩した時代でした。

先ずは自分を愛することが出来なければ他人を愛することは出来ません。
悩みの中から愛が生まれるのではなく自覚の中から愛が生まれることを知るべきです。
他人を好きになる前に自分を愛することが大切です。


叱る時節




私の座右の銘は「愛語よく廻天の力あり」です。道元禅師の言葉です

面(むかい)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。面わずして
愛語を聞くは、肝に銘じ、魂に銘ず。愛語よく回天の力あることを学すべきなり。」
道元禅師

面と向かって優しい言葉をかけられれば、自然と顔に喜びがあふれ、心が楽しくなる。
また、人づてに優しい言葉を聞いたら、その言葉が心に刻まれ、魂がふるえる。
それは、愛語が人を愛する心から生まれ、人を愛する心が、他人をたいせつに思う
心の中から、芽生えてくるものだからです。
本当に、優しい言葉というのは、世界を変える力があるのだということを、
私たちはよくよく学ばなければいけません。

勇気を与える言葉は直接相手に伝えた方が、心に響きます。
褒める言葉は直接よりも第三者を通じて伝えた方が、心に残ります。
戒めの言葉は誰も居ない所で教える方が、心に刻まれます。
伝え方を間違えれば相手に恥をかかせることにもなります。
そして心に傷をつけてしまう事もあります。

たった一言の心無い言葉で自殺する子がいます。
気付いてやれば良かったと、泣きながら話す友人や両親がテレビに登場します。
ストーカー被害の人が追い詰められて殺されてしまう事件があります。
その時に対応した教師や相談員や警察官は被害者の言葉や表情から、
ことの重大さに気付かなかったのでしょうか。
心配は何も無ければ安心につながります。
もっと言葉に敏感になってみてはどうでしょうか。
「恩学」より

社長が社員を「褒める」「叱る」タイミング。
「褒める」「叱る」は「誰に叱られるか、誰に褒められるか」という点が大切です。
尊敬する経営者に叱られれば、社員はその原因や失敗をしないよう肝に銘じます。
褒められるときも一緒、尊敬する経営者に褒められれば、社員は褒められたことを
魂に銘じます。社員は、尊敬する経営者には認められたいと思っていますから、
社員を認めた上での「褒め」や「叱り」は、どちらであっても社員に響くのです。

今から2600年前のインドで、自ら悟りを開き、また多くの弟子たちを悟りに
導いた人物がいます。それは、お釈迦(しゃか)さまです。
お釈迦さまには、その備わった多くの徳を形容するための別名がついています。
10個の別名で、「如来の十号(にょらいのじゅうごう)」と呼ばれています。

【如来の十号】
1.如来(にょらい)…真理に従って完全な状態を得た人
2.応供(おうぐ)…供養を受けるにふさわしい人
3.正遍知(しょうへんち)…正しく悟った人
4.明行足(みょうぎょうそく)…知恵と行為を備えた人
5.善逝(ぜんぜい)…完全なる安心を得た人
6.世間解(せけんげ)…世の中のことをよく理解している人
7.無上士(むじょうし)…最高の人
8.調御丈夫(じょうごじょうぶ)…人を指導することに巧みな人
9.天人師(てんにんし)…神様と人間の師
10.仏世尊(ぶつせそん)…目覚めた福徳ある人
 
これら10個の人徳が、お釈迦さまを尊敬される人たらしめているわけですが、
注目していただきたいのは8番目の「調御丈夫」という呼称。
この調御丈夫とは、「人を指導することに巧みな人」という意味です。
そう、お釈迦さまは、教育の達人でもあったのです。

あるとき、お釈迦さまが祇園精舎で大勢の人を前に説法をしておられると、
弟子のアヌルッダがウトウトと居眠りを始めました。
それを見たお釈迦さまは、「みなさんここに来るまでの道中で疲れている人も
いるでしょう。けれども、仏の説法を聞くということは並大抵のことではないし、
祇園精舎に参詣することも、非常に難しい。
たとえ法話中、居眠りをしていても大変な仏縁になる」とおっしゃいました。
 
ところが説法の後、お釈迦さまはアヌルッダを呼び出して「あなたは何が目的で、
仏道修行をしているのか」と尋ねます。
アヌルッダは「四苦八苦を思い知り、苦しみを解決するためです」と答えます。
お釈迦さまはさらに問います。「あなたは良家の出身でありながら、
道を求めようとするしっかりとした意思がある。
それなのにどうして居眠りなどしたのか」と。
 
アヌルッダはお釈迦さまの前に平身低頭し「申し訳ありませんでした。
今後、二度と居眠りはいたしません」と深く懺悔(ざんげ)したのでした。
その日を境にアヌルッダは、猛烈な修行に打ち込み、眠ることをしませんでした。
そしてそれがたたって、ついに視力を失ってしまうのです。
 
そのことを知ったお釈迦さまは、「琴の糸のように張るべきときは張り、
緩むべきときは緩めなければならない。精進も行き過ぎれば後悔となり、
怠ければ煩悩が起きる。中道を歩むがよい」と諭されたのでした。
 
お釈迦さまの勧めによって医師にかかり、休眠を指導されたアヌルッダですが、
自らの誓いを破ることなく完全に失明してしまいます。
しかし、同時に心眼を開いて悟りに至ったのでした。

お釈迦さまは、解脱を妨げる心の作用として、五蓋(ごがい)を挙げておられます。

【五蓋(ごがい)】
1.貪(むさぼ)り
2.怒り
3.眠気や怠け
4.心のうわつき、高揚(たかぶり)
5.悔恨・疑惑
お釈迦さまは、五蓋の1つ、眠気を叱られたのです。

たった一度のお師匠さまの叱咤(しった)を肝に銘じ、徹底して教えを守り通すことで
本来の目的(悟り)を得たアヌルッダもすごい人です。
それだけでなく、このエピソードには、お釈迦さまの巧みな叱り方のポイントが
3つ秘められています。

1.弟子の失態を大衆面前では叱らず、個別に呼び出して諭したこと。
2.感情的に叱らずに、冷静に修行の目的を問い、本人の口から語らせたこと。
(再認識させたこと)
3.もともと素直で真面目なアヌルッダの性格に配慮し、叱った後も優しく
フォローしていること。
 
お釈迦さまは「話を聞いていなかった」とか、「私に恥をかかせた」とか、
アヌルッダを「責める」ために叱ったのではありません。
「なぜ修行しているのか」という、アヌルッダ自身の本来の目的に
「気づかせる」ために叱ったのでした。

この話には、後日談があります。視力を失ったアヌルッダが、
ほつれた衣を縫うため針に糸を通そうとして苦心しているのを見て、
お釈迦さまが直々にアヌルッダの針に糸を通されたというのです。
どこまでも弟子たちの成長を願うお釈迦さまの、慈悲深く、熱く、冷静な姿勢が
垣間見られる話です。
大愚和尚の仏教を学ぶより(一部抜粋)

私は見て聞いて学んだことを「恩学」を通じて皆様にご紹介する役目です。
仏門とは多少縁がありましたが修行はしたことがありません。
それに何度もお伝えしていますように、私は学者でも研究者でも無いので、
聞きかじり、読みかじりがほとんどです。

音楽プロデューサーとして生きてきた中で、常に人の心を見つめながら、
感情の発露を気に留めてきました。
私のブログ「恩学」が少しでも皆様のお役に立つようであれば嬉しいです。

皆様も良い言葉を少しでも発言するようにしましょう。


優しさとは




辛い時に声をかけてもらうより、メールで励ましをもらうより、
隣に座ってもらうより、一人にして欲しい時もある。
相手の同情が少しでも感じてしまうと申し訳なく思うからである。
時には何もせずに突き放してもらう方が楽な時もある。
おしきせの親切や「大丈夫ですか」という言葉が大きな負担になることもあるのです。

しかしそんな時にも遠くから笑顔でいて欲しいと願うのが人の常である。

優しいという字は「人」の横に「憂い」が立っている。
「憂い」とは悲しみ、なげき、心配、わずらいとあり、心が嘆き悲しむことを
表現した言葉です。人のために心に涙ができる人。
また、自分自身が悲しみを知っている人。一人の寂しさが分かる人、
心はとても繊細で傷つきやすいことを経験している人。
そういう人が、初めて人に優しくできるのです。

真の優しさを持つ人とは、悲しみを知る強い心を持っている人のことをいう
ものです。人の痛みをしっかり受け止められる人だけが「優しい人」という
称号を得ることが出来るのです。

一人になり孤独と戦う時、部屋に閉じ篭もることは絶対に駄目です。
閉塞感の中からでは解決は見えなくなりもっと辛い状況が生まれます。
忘れようとしてもお酒も音楽も映画も役に立ちません。
逃げようとする心が一番心を弱くします。

そんな時こそ大自然に飛び込むのです。一人キャンプが流行っているのは、
そのような理由もあります。木々の緑も、鳥の囀りも、川のせせらぎの音も、
綺麗な空気も、あらゆる大自然のエネルギーが、視覚から、聴覚から、呼吸から
身体に入り込んでくるのです。

森の中には小動物も潜んでいるかもしれません。谷川には大小さまざまなお魚もいます。
野山を歩くと名も知らぬ草花にも出会うかもしれません。
そんな偶然を楽しむことにより、自分の辛い気持ちがいつしか、
消えて無くなっているのに気づきます。

「流泉為琴」(りゅうせんをきんとなす)という禅語があります。

静かな谷川を、岩や木の根を洗いながら流れる水の音は、ひっそりと静かに
清涼を深める琴の音のように、汚れがちな人の心までも洗い流し、
安らかにしてくれるという意味で、自然界の中の音は、人間の聴覚では聞き取れない
癒しの音が含まれているそうです。脳内にセロトニンがあふれ出て来るのです。
そのような癒しの音は、心まで穏やかに清らかにしてくれます。

それを耳にした時、「水」の力の偉大さを、改めて思い知らされます。
心を癒してくれる水の音、大自然の山々の緑、青々とした広大な海、爽やかな風が
運んでくれる木々の香り、五感を研ぎ澄ませると、自分の存在は自然の中のほんの
一つに過ぎず、その自然界の大きさに気づいた時、自分だけが特別ではない事を
感じます。「流泉為琴」、何とも美しい、平穏な、心休まる禅語と言えましょう。

「琴」と言えば、「對牛弾琴(たいぎゅうだんきん)」という禅語も有ります。

琴の演奏の達人が「牛に対して琴を弾いて聞かせる」という事から、
何の効果もなく無駄な事を表している言葉で「馬の耳に念仏」と同様の意味です。

禅宗には、「手元にあるものを活かしなさい」という教えがあります。

庭掃除だけでも、木の枝はご飯を炊く薪になり、葉っぱは肥やしになり、
砂や小石は集めて窪みを埋めたり、どう活かすかを考え工夫する事が、
禅の修行に繋がるのだそうです。禅の庭には、禅の教えが細部まで込められており、
その一つの例に「水琴窟」が有ります

「水琴窟(すいきんくつ)」とは、日本庭園の装飾の一つで、
手水鉢の近くの地中に作った空洞の中に水滴を落下させ、
その際に発せられる音を反響させる仕掛けです。
洞水門(とうすいもん)などとも呼ばれます。

その音色は、底部に溜まった水の深さに左右されるそうで、
水滴の落ち方や、落ちた場所にも関わるそうです。
「水琴窟」の音色は、琴の音のように美しく、静穏な日本庭園の、
景観に合うとてもきれいな音色です。

「水琴窟」は江戸時代から作られるようになり、明治時代に盛んになりましたが、
今では少なくなってしまったそうで、残念でなりません。
日本人の細やかな感性によって作られた日本文化の奥深さ、そして禅の教えに、
また改めて感慨深いものを感じます。

日本人は自然との接点により心を癒してきたのです。
人の手を借りずとも自然界の様子を見ながら辛い心を癒してきたのです。
自然界を活かす達人なのです。
その延長線上にお茶の世界やお花の世界が有ったことも確かです。
それが茶道となり華道となって先人達は極めていったのです。
禅語はその過程を一言で表しています。素晴らしいですね。

最後に注意ですが優しさを求めて嘘を言うのをやめてください。
言われた相手より、言った自分がそれ以上に傷つきます。

若い子たちが家庭に居場所が無いからといって、簡単に親がいちばん嫌うことを
してしまいます。女の子なら売春です。男の子なら犯罪です。

ここに行き当たると取り返しつかないことをしたと後悔します。
ドラマなら親が駆け寄って抱きしめるのですが現実はそうなりません。
優しさを求める嘘の反動は大きな代償を払うことになります。

世の中には優しさを素直に受け取れない人たちが多いことを知るべきです。
何故なら優しさを利用した振り込み詐欺や悪徳商法が頻繁に起こるからです。

親たちが子供に優しさを与えないと子供たちは必ず優しさを失います。
親が子に対して食事を作ることと抱きしめてやることが一番効果があります。

恩の手前にあるのが「優しさ」です。
優しさを感じる心が「恩返し」につながるのです。

優しさは教えることではありません。愛情を持って接すれば優しさは育つのです。
私は今「老人と孫」の対話集会を行っています。
孫の悩みをその場で聞いてそれぞれの老人たちがアドバイスをするのです。
老人たちは各分野で活躍をした達人の方々ばかりです。

現在は東京の青山で無料開催していますが、今後地方へも出かけていく予定です。
更に世界へ出かけていく計画もあります。

老人たちの優しさも大切な時代に入りました。
父親は子供に戦いで勝つ方法を教えます。しかし老人は戦わず平和を教えます。
奪い合えば足らず、分け合えば余る。禅語「小欲知足」の教えです。
世界が求める平和活動として日本発の「老人の知恵」を孫世代につないでいきます。


泥かぶら




『臨済録』という禅の書物に「求心歇む処即ち無事
《ぐしんやむところすなわちぶじ》」という語があります。
「求心」とは、自分の外側に評価や賞賛、あるいは「正解」めいたものを求める
心のことで、その心が歇《や》めば「無事」、すなわち本当の安心に気づくことが
できる、という禅の言葉です。

この語の意味するところを『泥かぶら』という絵本に垣間見ます。
以下にあらすじを見ていきましょう。

昔々「泥かぶら」と呼ばれた一人の女の子がいました。泥かぶらには身寄りがおらず、
村人たちからは見た目が「醜いから」「みすぼらしいから」という理由で「泥かぶら」
というかわいそうな名前をつけられ、馬鹿にされていました。
ひどい仕打ちを受けるたびに、泥かぶらは人々を恨み、口汚く反撃するようになって
いきます。一方で本心では、馬鹿にされることが悔しく、「私も美しくなりたい」と
心の中では泣いているのでした。

ある日、旅の老人に出会い「三つのことを守れば、あなたはきっと美しくなれるだろう」

という助言を受けます。それは、・自分のことを恥ずかしいと思わないこと・
どんなときも笑顔で過ごすこと・いつでも他者を思いやって行動すること。

それを聞いた泥かぶらは、早速その老人の言う通りのことを心がけます。
何を言われても笑顔をたたえ、病気の子のために薬草をとってきたり、
お年寄りの代わりにたきぎを集めるなど、人々の役に立つことを心をこめて
行っていきました。その積み重ねの結果、村人は泥かぶらに親愛の念をもつように
なります。泥かぶらはいつしか自分の容姿のことも忘れ、周囲の人々の喜ぶ顔を
見ることが自身の喜びにもつながっていくのでした。

そんなある日、借金とりの悪党・じろべえが村に来て、ある家の借金のかたに
娘を連れていこうとします。それを聞いた泥かぶらは身代わりを名乗り出て、
その娘の代わりに連れて行かれてしまいます。

ところが、泥かぶらはじろべえに連れて行かれる旅の道中でも、相変わらず
ずっとニコニコ。そして途中で「じろべえさん、あなたとの旅は身寄りのない
私にとって父親と一緒に過ごしているようでとても楽しい」と告げます。
そんな様子に、次第に悪党のじろべえの気持ちは温かくなっていきます。
そして最後には自分を悔い改めたのでした。

ある朝、泥かぶらが目を覚ますと、そこにじろべえの姿はなく、代わりに
こんな置手紙がありました。
「おまえはおれのようなあくにんにまでよくよくしんせつにしておくれだった。
おれはしょうじきでやさしいおまえのねがおをみていてはずかしくなった。
それからむねのおくがあったかくなったよ。(中略)おまえのやさしい 
えがお、あかるいわらいごえ、おれはいっしょうわすれない。ありがとうよ。
どうか、しあわせになっておくれ。じろべえ」
ほとけさまのようにうつくしいこへ

物語にその続きは具体的には書かれていません。しかし私が思うに、
これを読んだ泥かぶらは、「こんな私にも仏さまのような美しい心があったんだ。
今まで自分の外見や周りからの評価を気にしていたけれど、そんなことは
つまらないことだった。

ありのままの私でよかったんだ」と、安らかな心地に包まれたことでしょう。
そして、それからも周囲の人たちへの思いやりをいつも胸にたたえ、自他ともに
朗らかになれるような生活を送り続けたのではないでしょうか。

これが「求心」が歇《や》んだ後の「無事」の姿であり、本当の「美しさ」なのでは
ないかと私は思うのです。

泥かぶらは、始めは自分の見た目が嫌で、他の人から悪口を言われたくない、
美しくなって認められたいという「外側へないものねだりをする心(=求心)」
に自分の心を揺り動かされていました。

そして老人から三つの助言を受けた後も、その「求心」を動機に善行を重ねていました。

「美しくなりたい」という、ある意味、自らのエゴために善行を積んでいたとも
言えます。
しかし、それを重ねることで、周りの人が喜び笑顔になっていく様子を見て、
少しずつそのエゴが剥がれおち、いつしか自分の見た目や他者の評価なども忘れ、
周囲に尽くすことが自身の喜びになっていきます。
人買いのじろべえに優しい言葉を投げかけたシーンでは、「かわいそうな境遇の
この人に親切にしよう」という思いすら感じないほど自然体で接しています。

そしてじろべえからの言葉が決め手となり、自分の中に元々あった、けれども見えて
いなかった「仏さまのような美しい心」に気づくことができました。

中島みゆきが以前ラジオの番組で一人の女の子の悩みの質問に答えます。
相談者の女の子のペンネームは…「生きるのってつらいね」さん。

みゆきさんこんにちは。
わたし、世界で1番のブスです。誰が見たってブスです。
自分でもわかっています。わかってるんです。
でも人から変な態度取られると、やっぱり傷つくんですよね。
周りの友達から毎日ブスって言われて、街歩いてても吐くマネされて。
学級の男子からは睨まれて、おまけに生徒会長の人からは
目の前でいろんなこと言われて。
ああ、目の前が霞んで見えない。字も書きにくい。でも頑張って書きます。

わたし、今年受験です。志望校に願書も出します。
だけど、だけど、その高校には恐い人がいます。
中2の終わり頃、何度も何度も目の前に立って吐くマネして、
みんなの笑い者にされました。
同じ高校に入ったら、またイヤなことされて、
毎日泣かないといけないのかと思うと勉強できません。
死にたいなって思ったり、わたしが死んだらあの人たち喜ぶだろうなとか考えます。

お母さん恨んだけど、恨んじゃいけませんよね。ここまで育ててくれたんだもの。
みゆきさん、こんなわたしでも、生きてて良かったって思うこと、ありますよね。
堂々と人前歩けるようになれる日、来ますよね。
その日を夢見て頑張ります。
そして、そして、みゆきさんのコンサートの日には、
今のわたしでないわたしになってみようと思います。

これに対する中島みゆきさんの回答がこちら。

日本中でこの今の番組を聴いてる人。
誰が一番醜く見えるかわかると思います。
このハガキをくれたあなた。
そのくらいのことわかる人が、日本中にいっぱいいると思います。
今あなたの周りにいる学校の、そういうことを言う、あなたを傷つけた
仲間だけが人間だと思わないでほしいと思います。

これから色んな人に会っていくことと思います。
世の中狭く見ないでくださいね。
女の子は、金さえかければある程度いくらでも美人になれるとわたしは思います。
顔ってのはいくらでも作れます、金さえかければ。
でも、金かけて綺麗になれないものもあると思います。
コンサートの日は、アンタのままのアンタで、おいでよね。また来週。

泥かぶらのような境遇の子はたくさんいると思います。
生まれてくる子供は親の顔を選ぶことは出来ません。
たとえどんな顔であっても非難することは出来ません。
子供のいじめは家庭を反映していることが多くあります。
子供の苦しみを気にしない育児放棄の親が増えています。
たとえ親が人生を悲観していても子供には何ら関係はありません。

私が一番嫌うのは人の欠点を笑う人です。
見た目ですべてを判断して人間性を無視する人です。
でも、それ以上にいじめに負けて自暴自棄になる子が嫌いです。
辛いけれど自分を自分で守るのです。自分の未来を諦めないでください。
汚いと言われる泥の池から蓮の花は咲きます。
あなたは自分の心の中に蓮の花があることを忘れないでください。

全ては教育の問題です。子供のころから差別をしない教育をするべきです。

私の娘が行っていた世田谷の小学校に五体不満足の乙竹洋匡君がいました。
だれも乙竹君を奇異な目で見る子は1人もいませんでした。
それよりも乙竹君が学校にいる間中はクラスのみんなが彼の面倒を順番に
見ているのです。このような学校もあるのです。

日本の教育の方法は二項対立でおしえます。
悪い人がいれば良い人がいる。金持ちもいれば貧乏人もいる。正義があれば悪もある。
優秀な人がいれば無能な人もいる。美人もいれば不細工もいる。
これは決して教育ではありません。差別のラベル張りです。

教えやすい子を優遇して、かわいい子をかわいがるのはいじめの温床を作ることになります。
学校のルールを重視して子供たちの能力は無視している学校制度を変えるべきです。
子供達が未来を創るのです。未来を作る大変な作業を子供たちが担うのです。
子供達に伝えるべきは「ありがとう」の一言です。