静かに生きる




私はいつも「静かに生きる」という文字を見る度に、
このお二人のことを想っていました。
人間として生まれ僧侶になられ、そして人間味を残して亡くなる。
最後はジタバタしても始まりません。泣き笑いの人生を楽しみたいですね。
皆様もこの恩学をお読みになり静かに歩いて来た人生を振り返り、
残る人生を考えてみては如何でしょうか。

一休禅師
1481(文明13)年の大燈国師の命日に、マラリアに罹った一休は
この世を去りますが、その時「一休の禅は、一休にしか分からない。
朦々淡々(もうもうたんたん)として60年、末期の糞を晒して梵天に捧ぐ」
という辞世の句を残しました。何とも強烈な辞世の句です。

そして、臨終の言葉は「死にとうない」だったとか…。
禅の道を極め、悟りを得た高僧には相応しくない言葉ですが、
一休の88年間の波乱に満ちた人生を思えば、一休らしい
最期の言葉だったと言えるのではないでしょうか…。

生涯を通じて鋭く社会を批判し、名声利欲にとらわれず、庶民の中に分け入り、
禅の民衆教化に尽くした一休。禅僧でありながら、女性を愛し、肉を喰らい、
酒を呑み、頭も剃らず、権威に反発し、弱者に寄り添い、民衆とともに、
笑い、泣き、生きた一休は、なんとも人間味溢れる男だったのです。

良寛和尚
良寛は道元の道を実践するため、草庵で一人暮らしをはじめ、
所持品は文字どおり、一衣一鉢(いちねいっぱつ)、着のみ着のまま、
すり鉢一つであったようです。

このすり鉢が調理道具であり、食器であり、托鉢の鉢だったわけですが、
それを見かねた村人が着物や食物を施しますが、
良寛はそれをもっと貧しい人たちに与えてしまう。
なんとも凄い坊さんがいたものです。

良寛が詠んだ句に
『たくほどは 風がもてくる 落葉かな』というのがありますが、
落葉を集めようと、あくせくすることはない。
必要なぶんだけ風が運んでくれるものだ。

釈迦はこう述べている。
『(人は)ひとりで生まれ、ひとりで死に、ひとりで去り、
(生まれ変わって)ひとりで来る(ものなのだ)』
(独生、独死、独去、独来)。
そんな身に余分なものは必要ない、良寛はそう考えていたのかもしれません。

「生き方の底にあるもの」
良寛は自分で「僧に非ず、俗に非ず」と言いきり、酒を好み、タバコも
たしなんでいたといい、晩年には、40も歳の離れた若い尼僧、
貞心尼と恋に落ちています。

良寛は本音で行動し、何ものにも執着しない生き方だったようです。
死期のせまった良寛に対し、貞心尼は「生死など超越したつもりなのに、
いざ別れとなると悲しい」という意昧の歌を送ったとき、
良寛は次のように詠み返したということです。
 
『うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ』

散っていくもみじでさえ、おもての葉も裏の葉もすべてをさらけ出して、
隠すことなく散っていく。

良寛さんも貞心尼との短い4年間のお付き合いであったけれど、
正直に包み隠すことなく過ごしてきましたという辞世の句でしょう。
そして、良寛は最愛の貞心尼に看病され、蒲団の上に坐り直し静かに
1831年、74歳で亡くなったということです。

良寛には、もう一つ、辞世の歌が残されている。

 形見とて
  何か残さむ 春は花
    山ほととぎす 秋はもみじ葉
桜の季節に詠んだ
    散る桜 残る桜も 散る桜
というのも記憶に残る良寛さんの言葉です。

このお二人の歴史を読んで同世代は納得して
若い世代の方は笑うかもしれない。
二人の辞世の句、最後の言葉を未練がましいと
思うか潔いと思うかは分かりません。

私の人生も陰で家内が支えてくれた人生だった。
夫婦のことは夫婦にしか分からない。
迷惑をかけても逃げられないのが夫婦である。
裏も表も見せられるのはやはり家内しかいない。

私の辞世の句は「恩学」です。
まだまだ書き残さなければならない言葉があります。
言霊の力を信じて「愛語よく廻天の力あり」を贈り続けます。