幸福の種




百も幸せの種はいらない、一つだけで幸福になれる。
それなのに何故幸福の種をたくさん持とうとしているのか?
相手に気持ちを伝えるのは数でなくて一つの真心です。
自信が無いとどうしても数で誠意を表したくなってしまう。

笑顔一つで相手は満足しているのに、
自分の心の貧しさから過剰に反応している。

手を少し引くだけでも相手は感謝しているのに、
背中でおぶるような行為を与えようとしている。

コップ一杯の水が欲しいのにバケツ一杯の水は迷惑である。
暖かい日差しが欲しいのに太陽を3〜4個持ってきても
火傷するだけで意味がない。際限なき欲望に愚かさが目立つ。

足るを知る」京都・竜安寺の「吾唯足知(われただたるをしる)」と
書かれた「つくばい」が有名です。
「つくばい」とは日本庭園の添景物のひとつで露地(茶庭)に設置される。

私達は欲望を無限にふくらましてはならない。
これで充分、つまり「ごちそうさま」と言える心のゆとりを持たねばならない。
「吾唯知足」は、釈尊が説かれた教えである。

「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は」
心はいつも乱れている」と言われる。
心の平安を求めるのであれば、「吾唯知足」を理解しなければならない。

「貧しい人」とは何も持ってない人ではなく、多くを持ちながら、
まだまだ欲しい、と満足できない人のことです。

足るを知り強欲にならないことが大切です。問題や悩みの根本は「欲」です。
誰もが欲のない人はいませんが、自分の器に合った欲で満足するべきでしょう。

それには先ず、自分をよく見つめることです。
世の中には足るを知らない人が結構いらっしゃいます。
「知足」(たるをしる)いい言葉ですね。

千利休(せんのりきゅう)は、茶道の心得として、
「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也」と述べました。
必要な分を必要なだけ用意し、茶を点ててまず仏に供え、人に差しあげ、
施し、最後に自分もいただく「利他」の精神がそのまま自分の幸せであるという。
「自利利他」の精神が大切です。

禅語に「蟭螟眼裏五須彌」(しょうめいがんりのごしゅみ)というのがあります。

キノコバエも最初のうちはヤキモキさせてくれたが、
最後にはどうでもよい存在になった。ごくごく微小な存在である。
そんなキノコバエよりずっと小さい蟭螟(しょうめい)とやらは、
ますます取るに足らない存在であろうが、

その目の中に、須弥山を五つ重ねたほどのものがあると
この禅語は説くのである。

月を見れば、月が目に入る。海を見れば、海が目に入る。
須弥山を見れば、須弥山が目に入る。

蟭螟も、キノコバエも、私も見ることはできる。
そして、この目はすっぽりと写しとることができるだろう。
それは見ただけ、それは中にあるとはいわない。
そういう制限を心から取り払えば、自分の存在はどこまでも大きい。
どんなものでも受け入れ可能である。

小さな島の小さな場所の小さな存在だって、
あれやこれやと思うところがある。
やれ悲し、やれ楽しと思う心が、
この世界を創り出しているのである。

という意味です。

相田みつをの言葉にこのようなものがあります。

「セトモノ」

セトモノ と
セトモノ と

ぶつかりっこすると
すぐこわれちゃう

どっちか
やわらかければ
だいじょうぶ

やわらかいこころを
もちましょう

そういうわたしは
いつもセトモノ

柔軟心(にゅうなんしん)とは、やわらかい心。
とらわれない心のことです。
凝り固まった「堅い心」の人間同士がぶつかると、そこに争いが生まれ、
お互いが壊れてしまい、苦しみの世界へと落ち込んでしまいます。

そういう時は自分の心を柔らかく持って、「ほにょん、ほにょん♪」と
まずは柔軟心で、相手の意見を受け止めましょう。
それから考えても遅くはないのです。
凝り固まって、即座に反発する必要はないのです。

こだわりや思い込みを捨て去って、少しでも、柔らかく、柔軟な心を持って
生きていきましょう。

一つで足ることを知る。
差し出す方も受け取る方もやわらかな気持ちであればそれで十分。
欲が世界を乱すのです。戦争も不正問題も欲から始まるのです。

今年はなおさら欲のない心で過ごさなければなりません。
一つでも感謝する気持ちが必要です。
ありがとうを大きな声で伝えましょう。

幸福の種はそのようなところから芽生えて来るのです。
あなたの心の植木鉢は空いていますか?
今年も幸福の種を一粒植えましょうね。


写真家の哲学思考




突然夜中に森鴎外の「舞姫」が浮かんだ。
しかし森鴎外に興味を持ったのは私一人ではなかった。

検索した結果このような文章を見つけた。

鴎外が生きたベルリンの街で
ベアーテ・ヴォンデさんから待ち合わせ場所に指定されたのは、
ハッケシャー・マルクト駅から近いモンビジュウ・ホテルだった。
『舞姫』で主人公の太田豊太郎の下宿先として描かれている「モンビシュウ街」と
重なる。路面電車の音が響くなか、ヴォンデさんが鴎外の生きた時代のベルリンに誘う
話をしてくれた。

「モンビシュウ街」はMonbijoustraßeと訳されることが多いのですが、
あの向こうに「モンビジュウ通り」ができたのは鴎外が帰国した1904年になって
からなので、このモンビジュウ広場(Monbijouplatz)がモデルになっていると
見るべきでしょう。ではなぜ鴎外はこの広場を太田豊太郎の住まいとして選んだのか。

実はここ、ベルリンでの鴎外の三つ目の下宿先からほど近く、広場の3番地には
シュプリンガー出版社があり、1階は直営の書店だったのです。

鴎外文庫(東京大学附属図書館にある鴎外の蔵書)には彼が所蔵していた
この出版社の本が2冊あります。どちらも郵便、電灯といった技術に関する本。
鴎外は鉄道、車、飛行機といった科学技術と人間の関係に深い興味を抱いていました。
これもまた一つの興味深いテーマです。

こうして現場に立って、当時の地図を開くと、
『舞姫』の印象もちょっと変わってくると思いませんか。

もっとも、ヴォンデさんは「当時私が興味を持っていたのは鴎外ではなく演劇でした」
ときっぱり言う。
当時、東独と日本の文化、経済交流は極めて活発で、刺激には事欠かなかった。
フンボルト大学を卒業後の1979年から1年半、文部省奨学生として早稲田大学に
留学する機会に恵まれた。この異文化体験は、ヴォンデさんにとって重要な意味を
持つことになる。

鴎外の時代、一般の日本人が外国に行けなかったように、東ドイツ時代も、
西側の外国に行くというのは特権的なことでした。

だから、その経験を東ドイツ社会に還元することは、私たちの義務だと捉えていました。

この点で鴎外と私は、共通します。鴎外が『独逸日記』を書いたように、
私も毎週最低20〜30枚の手紙を書いていました。私が東独の友だちに手紙を送ると、
皆で集まってそれを読んだそうです。今日は何を食べて、何を読んだか。外国の匂いや
日常生活を伝えようと必死でした。

何をやっても日記を書き、メモを取らなくてはという情熱がありました。
それが自分に還かえってきて、道になるのです。
夜中に芝居が終わると、その後おでんをつくったり、お酒を飲んだり、朝帰りしたりと。

この日本での経験は私の泉になりました。鴎外もそうでしょう。
4年間のドイツ留学時代は、彼の後の活動の全ての土台となりました。

今はお金さえあれば日本に行ける時代ですが、私が学生だったときは5年間
ドイツで日本語を勉強して、日本に着いてからようやく日本語が分かる。
鴎外は10歳からドイツ語を学んでいました。船でマルセイユに渡り、
ケルンの駅に列車が到着したときに、彼はやっとドイツ語を理解するのですが、
その気持ちはよく分かります。

そこでまたこの「JUMPEITAINAKA」の文章が出て来る。
【2024始】
2023が終わった。終われば始まる。我々にとっての永遠とは、これに違いない。
世界中で感じる時の点は、目に見えないけども、意識する人の数が多いから、
なんだか極大無辺の集合的意志に変化して、人々の行動を操ろうとしてくる。
そしてそこに様々な想いや祈りが無数に集まってくる。

おめでとうとありがとうを叫べ。混迷と戦争は今も侵攻している。
言える時は言うべきだ。口にして言うことは未来のいつかの瞬間への手向けだ。
黙って祈り続けることも未来と過去への賛歌だ。
未来はいつだって過去へ干渉しようとしてくる。
過去はもっと未来を欺いていかなければだ。未来は過去を信じすぎるからだ。

今年のキーワードは「創世」。元旦に思い浮かぶ言葉でと思っているのだけど、
すんなり出てきたものだ。実は、去年ずっと創という漢字にフォーカスをしてきた。
キズとも読む。創造の創(はじま)りは創(キズ)をつけることからなのかもしれない。

人生も41年も生きてきたら、どうしようもなく深いキズもあるし、望まずとも
誰かをキズつけてしまうこともたくさんあったはずだ。潔白とはいかない。

難しいことは沢山あった。それはきっと誰にとっても同じかもしれない。
創を創造へ変えて、世界を創るなんてことができたらすごいかもしれない。
世界「観」じゃない。だから今年は「創世」をはじめる。
そして様々なアーティストたちとクリエイションを共にしていく。
支援くださる方々も見つけたい。これが昨年の「新生」に対する答えだ。

いつもの調子。毎日が平日。こんな自分をよろしく。
再会するために旅をする。旅の途上でまた逢いましょう。

JUMPEITAINAKA
Nowhere, But Now Here.
2024

日本を離れて海外で暮らすことは大きなリスクもあるが逆に大きなメリットもある。
最大のメリットは異文化において究極の孤独を味わえることである。
孤独こそが自分の追求したいものへの原動力となる。

頭の中にある光をハンマーでたたくのである。凍った湖の氷をたたき割るのである。
そこから自分の存在を証明する表現力が音を立てて浮き出て来る。
暗闇の魔術師は悪魔に魂を売ったのである。
稲光は暗黒の雲間から解放されたときに剣先のように落ちて来るのである。

JUMPEI・TAINAKAの写真には言いようのない孤独を感じる。
まるですねた子供が押し入れに逃げ込むような暗澹たる空気に包まれる。
JUMPEIもっと孤独になれ。世界中に傷をつけまくれ。
誰の役に立たなくてもいいから自分の魂を掻きまくれ。
血がにじむまで叫びを押し殺せ。

彼にはベートーヴェンの「悲愴」が似合う。

それよりもローリングストーンズの「ペインティング・イット・ブラック」の
方がマッチするかもしれない。

どちらにしてもしばらくは目が離せない。
どこかの街角でふいに出会ったら酒を飲もう。


愛すべき人




常に人から愛されるのは自分が人を愛しているからです。
その反対に人に騙されるのは自分が人を信じていないからです。

明るく元気な人が集まるのは自分も明るく元気にしているからです。
その反対に暗く不健康な人が集まるのは自分も病んでいるからです。

子供の笑顔が好きな人は自分も子供の時に笑う家庭で育ったからです。
その反対に子供がそばに集まらないのは自分が子供の時に愛されていなかったからです。

自然や小動物を愛している人が集まるのは自分が平和を意識しているからです。
その反対に自己欲の強い人が集まるのは自分も人生に満足していないからです。

人生、元々裸のままで生まれて邪(よこしま)な感情もなく、
誰もが天使のままで生まれたのに、意識が芽生えてから強欲になり
物に執着するようになった。

仏教でいうところの「三毒」が思考に住み着いたことになります。
貪・瞋・痴(とんじんち)は、むさぼることで貪欲に際限なくあれこれ欲する心です。
妬みや、嫉妬から怒りが起こり、人を疑うことになり、争いが始まるのです。

子供が生まれて子供を罵(ののし)る親はいるのだろうか?
子供は光であり生きる希望です。貧しい国や戦時下の国で子供が多いのは
自分たちの夢を子供に託したいからです。

爆撃で壊された瓦礫の中を笑顔で走り回る子供たちを叱る大人はいない。
厳しい戦時下の中であどけない笑顔が唯一の救いになるからです。

誰もがマザーテレサになれないかもしれないが、マザーテレサの気持ちは
受け継ぐことが出来る。見返りのない愛、感謝を求めない愛、
尽くすだけの愛、奉仕の愛を、自分なりに真似することは出来る。
自分の欲求を少し抑えるだけで多くの人が助かる奉仕の気持ちを持ちましょう。
何もないところに愛が生まれるのは、人は元々慈愛の心を持っているからです。

マザーテレサは修道女として若い頃から献身的に働き、インドのベンガル地方に
派遣された際に、スラムの貧しい人々の現実を目の当たりにします。
そしてそれまで在籍していた修道会を退会してインドでの活動を本格的に始めます。
その後、マザーテレサは「神の愛の宣教者会」を創立し、修道院や診療所、
孤児院などを相次いで開設。貧しい人への奉仕に生涯を捧げました。
活動は世界中に広がり、1979年にはノーベル平和賞を受賞しています。

ラオスに新しい小学校の寄贈や古い壊れた小学校の修復をしている、
ボランティア団体があります。全員美しいモデルの女性たちです。
彼女たちは自分たちの栽培したモリンガやハーブティーを売り、
収益金を建築材料に充てているのです。その上小学校を寄贈するだけではなく、
先生としても参加しているのです。本当に頭が下がります。
私も数年前から少ないですが寄付金などで協力をさせていただいています。

禅語の「本来無一物」という語は、誰でも知っている禅の代表的な言葉である。
誰でも知っているけれど、ほんとうに分かっているかどうかはまったく別である。
普通には、「もともと何も無い」というように理解されやすいが、
しかしこの「本来」という語は、もともとという意味ではなく、「本質的に」とか、
「根源的に」ということである。また「無一物」は何も無いということではない。 

禅宗で言う「無」は大乗仏教の説く「真空」の中国版で、有と無の両方を
超えた次元を意味しているのである。したがって「本来無一物」もまた、
有も無もそこから出てくるような「根源」をいうのである。 

われわれの身体や心もまた、そういう「一切を超えた根源」から現れ出て
いるものであるから、それを「清浄なもの」だと考え、煩悩のような
「不浄なもの」を避けようとするのは、「小乗仏教的」な二元論に過ぎないのである。 

大乗仏教では、「清」も「濁」も、ともに根源の「空」の現われ方の違いであるとする。
だから清と濁、善と悪というように、分別してしまうのは、真実についての誤った
理解で、それを「迷い」というのである。

なるほど清らかな処に塵が溜るなら払わなければならないが、
何にもなければ塵も溜らないというのが、大乗仏教の尊い考え方である。 
清も濁も同じ「空」の現われであるから、両者は同じ価値である。
それを差別することが迷いである。「悟りは迷いの道に咲く花である」
という句は、それを言うのであろう。

小乗仏教と大乗仏教の違いとは
「小乗仏教」は自分が幸せにならないと他人を幸せにできない?
まず1つ目は、小乗仏教の場合は、出家した人は、まず瞑想などの自分の修行を
することを優先して、自分が悟りをひらくまでは他人を救おうとはしないからです。
出家していない人は、僧侶の集まりに布施をして、僧侶の修行をサポートします。
しかし自分も修行しない限り、救われるわけではありません。
出家して修行した人にしか救われず、出家した人は自分の幸せを優先する、
小さい乗り物のような教えなのです。

「大乗仏教」の教えに一貫する特徴は、「自利利他」(じりりた)です。
「自利利他」の「利」とは幸せになることですから、「自利利他」とは、
自分が幸せになるままが他人も幸せになるということです。
分かりやすいように、儲かるとか得するということでいえば、自分が儲かるままが、
同時に他人が儲かることになる。他人を儲けさせるままが自分の儲けになる、
ということです。

最近よく言われるような、
「自分がまず幸せにならなければ、他人を幸せにすることはできない」という
ことではありません。自分が幸せになると同時に他人も幸せになるのです。

常識に縛られることはありません。しかし知識を知らなければ判断基準が
分からなくなります。私は知識より感情を優先した為に多くの過ちを犯しました。
自分にとって親切だと思ってやった行為は、本当にその人の役に立ったのだろうか?
無理やりにした親切は相手のお礼の言葉が欲しかったのだろうか?疑問が少し残ります。

CBSSONYを退社して独立した時に自分は人を騙すことがないから、
他人も自分を騙すことは無いと思っていて大きな詐欺にあってしまった。
取引先の会社も社長も世間から注目されていたので高額の借り入れの保証人になった。
その為にしばらく騙されていることに気が付かなかった。
ある日突然銀行から返済通知が届き裁判沙汰になってしまい支払いが課せられた。
自社の従業員にも家族にも仲間にも迷惑をかけてしまった。

親しい友人が困っていても金銭にまつわる保証人にはなるべきではない。
しかしどうしても断れない場合は寄付をしたと思い返済は望まないことです。

感性重視で生きてきた私を「お人よし」と笑う友人がいます。
お人よしは経営者に向いていないことを高い授業料を払って学びました。

しかし、人を疑わず人を愛して良き音楽家に多数巡り会えたのも事実です。
これからも私のお人よしは変わらないと思います。

私の周りには自分のことはさておいて、他人の世話ばかりしている「お人よし」
が沢山います。今度「日本お人よし倶楽部」でも立ち上げようかと思っています。
大笑い!

私がこうして「恩学」のブログで伝えたいのは自分の体験を通じての助言です。
読者の皆様が読んでいただき少しでも参考の言葉となれば嬉しいです。

私の人生の悩みは「禅語」を知ることによって解消されました。
皆様もどうか機会を見つけて禅語を学んでください。
「騙されても騙さず」、共に愛されるべき人になりましょう。


Love & Peace & Freedom




先ずは「愛と平和と自由」を語る前に世界の現状を知っていて欲しい。
ウクライナやイスラエルの戦争は民族戦争なのか経済戦争なのか?
真実から目を逸らすために自然災害を何度も流すメディアは何を伝えたいのか?
エネルギー不足や食料品の物価高騰の話題も介護保険や育児保険ではぐらかしている。
ガザ即時停戦の国連の安保理決議案も日本は賛成だがアメリカの拒否権で否決された。
どこまで行っても事実を隠そうとしているメディアはまったく必要が無い。

我々音楽を生業として生きてきた者にとって、これほど不幸な時代に
音楽イベントが一切絡まないことに違和感を覚える。
反抗することを忘れて危機感が麻痺をしているからなのだろうか。
ファンもそれを望んでいない。商業主義的音楽に飼いならされて
熱いメッセージを伝えるよりも、推しのタレントが有名になること
しか関心が無いからである。

1969年8月9日安保条約反対の動きがあった時に岐阜県中津川では、
日本初の野外フォークジャンボリーが開催された。
その頃に活躍していたフォークシンガーが、この地に集まり「平和」を訴えた。
客は日本国中から参加して夜通し盛り上がった。
1971年の第3回開催時には人口6千人の地に2万人の人が集まり、
大きな話題となったのだが、これらの運営をすべて地元の若者が行ったのである。
SNSのない時代に口コミだけでこれだけの動員をもたらしたのは奇跡にちかい。

この数日後にアメリカで「愛と平和」の祭典ウッドストックが開催された。
ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、
1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、アメリカのニューヨーク州
サリバン郡ベセルの酪農場で行われた野外コンサートです。

このようにアメリカ全体が混沌としている時代において、愛や平和、自由や平等と
いった政治的メッセージを多分にはらんだ音楽が若者たちに支持されていったのは、
ある意味必然だったのかもしれません。

「平和と音楽の3日間」と宣伝されたウッドストック・フェスティバルは、
その名の通り、愛と平和、反戦を訴えたヒッピーや若者ら約40万人が集まり、
ロックと自由を存分に楽しんだ3日間となりました。

1969年世界中で若者たちが「愛と平和と自由」を訴え始めた。
いわゆるニューゼネレーション(当時はフラワーゼネレーションとも呼ばれていた)の
幕開けが、世界各地で起こり始めたのである。
この音楽祭が「権力に対する怒り」を音楽で表現した一大ムーブメントとなった。
1969年は(いくぞロック)の時代であった。

「日本の平和を考える」

「数々の論説を通じて日本の進むべき道を提言し続けてきた小堀桂一郎さんと
田久保忠衛さんが語り合う、幸福な国・日本を実現する道とは??」

つまり「戦後日本」という国は、じつはアメリカ政府ではなく、アメリカの
軍部(とくにかつて日本を占領した米極東軍を編入した米太平洋軍)によって
植民地支配されている。

そしてアメリカ外交のトップである国務長官でさえ、日本がなぜそんな状態に
なっているのか、その歴史的経緯や法的構造が、さっぱりわかっていないと
いうことです。

世界ではアメリカの力が甚だしく退潮して、対抗勢力としてのし上がってきた中国、
ロシアと共に三極構造を成しております。中国、ロシアは覇権主義的な野心を露骨に
表し始め、ロシアがウクライナへ侵攻し、同様なことを中国が台湾に対して行う
可能性が高まっている。日本の安全保障環境はかつてないほど脅かされております。

ところが、日本国民はなぜか切迫した危機感を抱いていない。
戦後78年続いた平和に慣れ切ってしまって、他国の脅威に対して極めて
鈍感になっているのですね。いざとなったらアメリカが助けてくれると思い込んで
いるのでしょうが、いまのアメリカはとても頼りになるとは思えません。

最大の要因は先ほど申し上げた通りで、いまだに戦後体制を引きずり、
アメリカから押し付けられた憲法を後生大事に抱え続けていることです。
特に国軍をなくしたことで、日本人は国防をアメリカに依存し、自分の国を自分で
守ろうとする気概を失ってしまいました。日本には自衛隊があるじゃないかと
いいますが、自衛隊は軍隊とは全く異なり、警察法体系によって動いている組織です。
この世界最悪の安全保障環境の中で、果たして自衛隊のままでどこまで対応できるか。
非常に問題だと私は思いますね。

最近、エマニュエル駐日大使が、LGBT法案を巡って露骨な内政干渉を行い、
また同性婚を肯定する裁判判決を受けて「日本は進化の過程にある」などと
非礼極まる言葉を弄んでいますね。アメリカには日本が対米敗戦国であり、
属国であるという意識がいまだに生きているのではないでしょうか。
これを跳ね返すには、やはり自主憲法を制定して、内政干渉を厳しく拒絶できるように
なる必要があります。いまの状態を放置していては将来が危ういと思います。

◇小堀桂一郎(こぼり・けいいちろう)
昭和8年東京生まれ。33年東京大学文学部独文学科卒業。
著書に『さらば東京裁判史観』(PHP研究所)『皇位の正統性について』
(明成社)『歴史修正主義からの挑戰』(経営科学出版)など。

◇田久保忠衛(たくぼ・ただえ)
昭和8年千葉県生まれ。早稲田大学法学部卒業。国家基本問題研究所副理事長。
日本会議会長。著書に『新しい日米同盟』(PHP新書)『激流世界を生きて』
『憲法改正、最後のチャンスを逃すな!』(共に並木書房)など。

目覚めよ!日本!目覚めよ若者たち!
この国に愛があるのか?この国に平和はあるのか?この国に自由はあるのか?
腐敗した政府に任せられない。物言わない経済界も相手にできない。
今一度考えて行動に出る時である。それぞれが行動に出る武器(知恵や楽器)を持ち、
マグマのように燃えたぎった力を見せる時期である。

「ライドオンタイム」今がその時である。
私たちの国は私たちの手で守らなければならない。声をあげろ!

能登半島地震の時のNHKアナウンサーの叫び「すぐに高台へ逃げ出して」
「連絡は待たないですぐに行動に移してください」
航空機炎上の時のJAL CAの叫び「落ち着いてください」「荷物は持たないで」
「ヒールの人は靴を脱いでください」「大丈夫ですよ」
咄嗟の時には大声で叫ぶことが大切です。
安全マニュアルに頼らずに大きな声が慌てている人を助けるのです。

「ひとつのおとに、ひとつのこえに、みみをすますことが、
もうひとつのおとに、もうひとつのこえに、みみをふさぐことに
ならないように」谷川俊太郎

マスコミの声やSNSの投稿を信じて真実の声に耳がふさがれていませんか?
声をあげる時ですよ!


祈り




元旦早々に発生した能登半島地震。震度7を超える大地震。
刻々と被害状況が届くたびに誰しもが両手を合わせて祈らずにはいられない。
地震による家屋の損害、それが原因で火災が発生、海からの津波、山崩れ、道路寸断、
時間ごとに死者の数が増えて行く。元旦の日である。

家族が集まり遠方から親類も集まり、ご馳走を前にお酒も飲んで幸せの絶頂時に
突然の大揺れである。笑い声が一転して絶叫に変わった。夕方四時過ぎの時間帯は
寒さも襲う時間帯である。電気も水道も寸断されて暖も取れなくなった。

周りに完備した避難場所もなくとりあえず公民館や学校へ逃げなければならなかった。
ここ4~5年頻繁に起こる地震に対して防災意識が低いのが惜しまれる。
その上に2日は羽田飛行場で飛行機火災が発生した。よりによって、救援物資を
石川県へ運ぶ海上保安庁の飛行機と民間機が爆発炎上したのである。

年明け早々に悪夢をみているようで信じられない出来事が連続して起こった。

あなたは今までに両手を合わして心から何回祈ったことはあるのだろうか?
お正月のような催事ことや旅先での神社仏閣の観光以外にあるのだろうか?
悩み苦しんだ時に神仏に心からの救いを求めて祈ったことがあるのだろうか?

私は6年前に病気を患った時に毎朝1時間半ほどウォーキングと公園での
ストレッチ運動に明け暮れました。
そして運動が終わった時に必ず太陽に向かって祈りました。
「神様、私を世の中が必要とするなら元気にしてください」と祈ったのです。
雨の日も風の日も必死で祈ったのです。そして徐々に回復をして元気になったのです。

昨年は2月に兄と慕っていた友人の画家が亡くなり、昔仕事で縁のあった谷村新司氏
と伊集院静氏も亡くなった。年末には家族付き合いのあった親しき友人も亡くなった。
年齢的にそのような場面が増えるのは仕方がないのだが悲しい出来事である。

8月に長い間、和歌山に放置されていた父親の墓しまいをして、栃木の母親の墓のそばに
移し替えた。両親がどんな不仲で、不遇の人生でも、残された家族にできる
最大の恩返しである。私は両親の温かさを知らないが祈らずにはいられなかった。

誰しも死は避けられない出来事であるが死と同時に思い出も無くなるのは辛いことです。

友人の訃報の知らせを聞いた時、ただ祈らずにはいられませんでした。
生きている時の楽しい思い出が一瞬にして浮かび、

そしていつしか永遠のかなたに消えるのかと思うと切なくなりました。

人には長い人生の中ではそれぞれの祈りの場面があります。
サラリーマンには大きな仕事の責任を任せられた時に祈らなければならない時があり、
学生にも進路や恋愛で悩んだ時に初めての経験なので祈らなければならない時があり、
主婦にも経済的な問題や子育てに疲れ切った時に祈らなければならない時があり、
将来の夢を聞かれた時にスポーツ選手や音楽家やサラリーマンになるか考えた時に
祈らなければならない時があります。必ず誰にでもそれぞれの祈りがあるのです。

祈りの語源はこのようになります。
祈る。神や仏に願う。
斤は、物に斧の刃を近づけたさまを描いた象形文字で、すれすれに近づく意を含む。
近の原字。祈は「示(祭壇)+音符斤キン・キ」で、目ざす所に近づこうとして
神や仏に祈ること。具体的な物体のない意識の世界へ祈りを通じて、
近づこうとしている様です。
誰にも知られずに祈る人も大勢の人の前で祈る人も祈りには変わりません。

ここにこのような言葉があります。

「『新約聖書』の「テサロニケ人への第一の手紙」に次の言葉があります。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」
喜びというと、何か特別の出来事のように思ってしまいますが、
そうではありません。おいしく食事ができることや健康に活動できること、
家族がいてくれること、さらに言えば命が与えられていること、
そのこと自体が喜びなのです。

日々の小さな出来事にも喜びを発見し、またそのことに感謝して生きる。
喜びや祈り、感謝を習慣化していくと、心が静まり、
突然の事態にも動じなくなっていきます。
いつか、この危機が過ぎ去った時に、
自分が深められ成長できていることに気づくでしょう」

これは聖心会シスターの鈴木秀子先生の言葉であります。
こういうあたたかく親切なお言葉というのは、我々禅僧にはとても真似ができません。
本当に心に染み入る言葉です。大きな力をいただくことができます。

鈴木先生とは懇意にさせていただいていますが、
思えばいつお目にかかっても、笑顔で喜びをたたえていらっしゃいます。
そして祈りの人という雰囲気を常にお持ちであります。
更に絶えず感謝の言葉を口になされています。

鈴木先生にはすっかり習慣化され身についていらっしゃるのでした。
「いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝、」
私もこれを習慣にするよう努力しようと思います。
(円覚寺館長横田南陵)より

私も日々「恩学」を通じて拙い文章ではありますが発表させていただいております。
読者から良い文章でしたとお返事をいただくことが励みになり書き続けております。
誰に何を言われても「愛語よく回転の力あり」を貫き通します。
恩に始まり恩に終わる人生です。

最後に一言

人は同じ祈りであっても、仏教であれば経文を唱えることによって、神道では
鐘を鳴らし二礼二拍一礼の作法によって、キリスト教であれば十字を切ることによって、
(それぞれの宗派によっては多少の違いがあります。)
異なる場所、異なる時間にそれを行っても、「おもい」によって「つどう」ことが
できる」と言われています。

同じ思いで集まり同じ思いで話し合う。たとえ違う場所にいても思いが同じであれば
「集う」ことになる。同じ思いの力は奇跡を起こすことがあるのです。
私の恩学を読んでいただいている人と、私はいつも同じ思いで集っているのです。

生きることを学ぶ塾「恩に始まり、恩に終わる」で心を一つにして祈りましょう。

今回の能登半島地震の被害にあわれた全ての方に祈りをささげたいと思います。
一日も早い復興を祈ります。

私が現在理事をしている「認定NPO法人日本カンボジア文化産業振興会」が、
石川県金沢市にあります。地震直後から救援物資を珠洲市へ一日1~2回送っています。
復興には長い時間がかかります。皆様からの支援金及び義援金の協力をお願いします。
詳しくは団体のホームページをご覧ください。
よろしくお願いいたします。


人生という丘の上で




あなたは過去から現在まで素直に生きて来たと思いますか。
人生という長い道のりを運命に逆らわず幸福を手に入れましたか。
過去を後悔せずに未来に夢を託して今日も前向きに歩いていますか。

それは東から陽がのぼり西へと沈む自然の摂理に則って行われているのです。
その中で受験、就職、結婚、誕生とゴルフコースのように決められた道順を
歩いていくだけです。最大の問題が起こったとしても、過去の人から見ると
たわいもないことばかりです。

家康は人生のことを「重い荷物を背負って坂道を登るようなものだ」
と言っていますが、その荷物の重さは分かりません。
ましてや坂道の険しさも伝わって来ません。辛いことだけが感じられます。
だから「どうする家康」に聞きたいものです。

ただ時折、誰しもが季節の変わり目に丘に登り、来た距離を確認したくなります。

春風が吹く中で、自分は頑張ったのか、頑張っていないのか、
丘の上から眺める必要があります。
偉くなくてもいい、優秀でなくてもいい、幸福でなくてもいい、
私は私の人生を大切にして生きて来たのか確認したくなります。

私の丘からは、私と離れて暮らしていた亡き母親と兄の姿が見えます。
家を出て亡くなった父親の姿も見えます。また先日、亡くなった友達の姿も見えます。
春風に乗ってタンポポの綿毛が飛んでいます。

それぞれが悲しい記憶よりも楽しい記憶が蘇るのは何故だろうか?
楽しかった記憶は記憶の棚の中で思い出しやすい引き出しに入っているのです。
いつでも取り出しやすいところに保管されているからです。

「春風や闘志いだきて丘に立つ」高浜虚子
 
この句の主人公は虚子自身です。若き日の虚子は小説家でしたが、
40歳頃に体調を崩したこともあり、俳句への転身を図ります。
大正2年2月21日の句会で虚子はこの句を発表しました。
胸中には俳句に立ち向かう闘志がふつふつと湧いていたに違いありません。 
春風の中で湧き上がる闘志を抱いて丘の上に立っていたのです。

歌人・会津八一(あいづやいち)はかつて旧制早稲田中学で教鞭をとっていました。
郷里の新潟から上京し、八一の家に下宿して学ぶ学生のために書いたのが
「秋艸(しゅうそう)堂学規」です。秋艸とは八一の雅号です。伸び行く学生たちの
道標であり、また八一自身の「志」でもあったのだろうと思われます。

「秋艸堂学規」
ふかくこの生を愛すべし、
かへりみて己を知るべし、
学芸を以て性を養ふべし、
日々新面目あるべし。

「ふかくこの生を愛すべし」 
第一に、この世に生を享(う)け、今こうして生きている自分を深く愛すべきだと
教えています。自分を深く愛すことができれば、苦境に陥ることがあったとしても、
尽きることのない闘志がみなぎってくるものだと考えます。

「かへりみて己を知るべし」 
禅は己を知ることを大事にします。
自分のことを知っているようで実はわかっていないというのが私たちです。
自分とは何者であるかを掘り下げるほどに、自分の浅はかさがわかります。
と同時に底知れぬ深さも見えてこなければなりません。

「学芸を以て性を養うべし」 
学問をするのは、知識を身に付けるためだけではありません。
性を養う、人間性を陶冶し、人格を錬磨していくことも大切です。
それはビジネスでも家事でも同じでしょう。
何事においても人間性を養うことを大いなる志にしたいものです。

「日々新面目あるべし」 
毎日毎日新しくなるということです。
昨日より今日、今日より明日へと常にアップデートしていくのが新面目であり、
また禅の真面目(しんめんもく)への道です。

そして新しい旅立ちの時に禅語ではこのような言葉があります。

「葉葉起清風」(ようようせいふうをおこす)

さわやかな旅立ちの時、実にさわやかな雰囲気の言葉です。
この言葉が使われた文脈や禅語独特の語用を理解すると、味わいが増します。

南宋時代の傑僧、虚堂智愚(きどうちく)の語録をまとめた『虚堂録』の一節です。
著名な臨済禅の僧侶で、日本でも一休さんこと一休宗純が私淑していたことが
知られています。

『虚堂録』巻七
誰知三隱寂寥中
因話尋盟別鷲峯
相送當門有脩竹
爲君葉葉起清風

誰か知る三陰寂寥(さんいんせきりょう)の中
話に因(よ)りて盟を尋(つ)いで 
鷲峯(しゅうほう)に別れんとするを
相(あい)送りて門に当たれば修竹有り
君(きみ)が為に葉葉(ようよう)清風を起こす

意味
石帆惟衍・石林行鞏・横川如珙の三人が国清寺に出立するときの話です。
三隠(寒山、拾得、豊干)の遺蹟を訪れるにあたって
師匠である虚堂禅師の住む鷲峯庵に別れの挨拶にやって来た。
門まで見送ると、門前に竹林があった
竹の葉は彼らに途切れることなく清風を起していた

禅語はとても短いですが、深い文脈が込められています。
清風はたびたび登場するキーワードの1つで、ある禅の価値観を表しています。
葉葉は同じ言葉を繰り返す畳語(じょうご)で、日日是好日、歩歩是道場と
いうように禅語でも時々用いられます。

「自分はまだまだである」、もっと日々精進をして志を高く掲げたいものです。 
春風は新しい何かが始まることを予感させます。
この春、人生という丘の上で大いなる志をいだき、
今より素晴らしい自分に出会ってみたいと思いませんか。

初春を迎えて新しい旅立ちを心からお祝い致します。
「君(きみ)が為に葉葉(ようよう)清風を起こす」


盲目の少年ドラマー




音楽は国籍も人も選びません。たとえ盲目の少年であっても
音楽は見放しません。暗闇の世界だからこそ見える景色と音が存在するはずです。
それは憧れと感謝の気持ちが入り混じった素晴らしいサウンドだと思います。
障害を持ってかわいそうと思う心が間違った感情なのです。

禅の世界では「無分別」や「分別知」と言われるものがあります。
見えるから邪念が生まれ考えるから誤解が生まれると言われるものです。
また分別するから好き嫌いも生まれ、それがまた物事の真実から遠ざける
要因となります。主観で物事を捉えるのではなく客観も取り入れて考えましょう。
心の意のままに音楽を奏でるとしたら共に演奏する人も、それを聞く人たちも
魂が震えるのでは無いでしょうか。

私の好きな民族音楽は昔からの楽器と地元の有志が演奏している場合が多いのです。
洗練された都会の音楽や最新の電子楽器を加える必要の無い素朴な民族音楽です。
音楽を上手に演奏しようとして大事なことを忘れてしまうアーティストが多いのです。
それは形を整えて気持ちを入れることが疎かになっていることです。
伝えたいことは何か?伝えたい思いは何か?それを表現できる楽器とは何かを考えると、
最後は声(うた)に帰着するのです。
素朴な楽器と歌声、地元民の掛け合う言語が最高の楽器です。

南米の最南端の国アルゼンチンへ行った時に、小さな酒場の小さな舞台で
繰り広げられたアルゼンチンタンゴ。
ギターと歌い手とダンサーの3人が神様に祈りを捧げるかのような雰囲気の中で、
心からの叫びを歌と踊りで表現していたのです。
途中、男性のダンサーも加わり舞台の狭さを一切感じさせない、
大胆な踊りを繰り広げた時には、観客の誰もが立ち上がり手拍子と歓声で
参加したのです。

そこに舞台がある。大きさの問題では無いのです。
そこに灯りがある。照明の数では無いのです。
そこに音がある。大音量を出す必要が無いのです。
そこに楽器がある、ドラムが鳴りギターと歌が交われば素敵な演奏になるのです。
民族音楽の素晴らしさは地上の神々のエネルギーも加わることです。
民衆が生きている場所がすべて会場なのです。

酒井響希くん物語
2歳のときに目の小児がんで両目を失明した、大阪府東大阪市在住の12歳の
酒井響希(さかい・ひびき)くん。全盲でありながら、数回聞けばほぼ
再現できるという天才少年ドラマーの10年を追ったドキュメンタリーが、
読売テレビで放送された。

響希くんが1歳10カ月の頃、母の康子さんが、息子の眼球に異変を感じ、
病院で検査をしたところ、両目に網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)
という小児がんが発覚。その日のうちに、医師から「両目を摘出するしかない」
と宣告された。2歳の幼い少年にはあまりにも過酷な現実。
本人も家族も毎日、悲しみの淵にあった。

そんな絶望の日々のなかで、救いとなったのは「音」だった。
家中の壁や柱などが傷だらけになるまで、鉄製のマドラーで叩いていた響希くん。
本人が興味を持つものはできるだけサポートしたいとの思いから、
両親は自宅に電子ドラムを購入し、響希くんの興味を応援した。

響希くんの人生を大きく変えたのは、人気ユニット・Def Techとの
出会いだった。2013年12月20日。メンバーのMicroが彼に伝えた
「4年後、Def Techのステージでドラマーとして共演しよう!」という
言葉を胸に刻み、響希くんはドラムに熱中する。
プロドラマーを目指し、自宅にも防音設備を整えたドラムセットを設置。
プロの指導者にも教わるようになった。

そして響希くんは憧れのDef Techとの共演を果たす。
大歓声に包まれた夢のステージで、「音楽を通して同じような境遇の人に
勇気を与えたい」という熱い想いで演奏を披露した響希くんは、
最後にこう叫んだ。「ママ、もう泣かんといてな!」。

観衆のなかにいた母への感謝の想い。「見えない世界」で前向きに生きる少年と、
それを支える母の10年の軌跡。

私はこの番組を見ました。途中から涙が止まらず困りました。
盲目だから可哀想という気持ちでなく、生きる望みを託してドラムを叩きつける
少年の姿に神々しい阿弥陀如来を見た感じがしたからです。
絶望の淵から甦り自分を支えてくれた、母親に感謝の言葉を伝える場面に
涙が溢れました。「ママもう泣かんといてな!」

音楽を好きになるのは一人の人間です、でもその一人の人間が一千人の観客を
感動させることができるのです。たった7つの音の組み合わせで万人の心を
とらえることが出来るのです。

私の好きな言葉です。「一燈照隅・万燈照国」最澄
一つの小さな灯りは隅を照らすことしか出来ない、
しかし、それが万の光を集めると国を照らすことになる。
響希くんの小さな音が万人の心を照らしたのです。

盲目のアーティストといえばこの人を思い浮かべる人が多いのでは無いでしょうか?
世界的なスーパースター、スティーヴィー・ワンダーです。

スティーヴィー・ワンダー / Stevie Wonder
1950年5月13日、アメリカ・ミシガン州サギノー出身のミュージシャン、
音楽プロデューサー。6人兄妹の3番目として生まれたが、早産が原因で
視力に障害が残る。幼少の頃からハーモニカやピアノの演奏に長け、
友人らとともに路上でパフォーマンスを披露していた。

その後スティーヴィー・ワンダーは11歳で、自身で作曲した「Lonely Boy」を
オーディションで歌い、デトロイト発祥のレコードレーベル、モータウンと
契約。以来、同レーベル一筋で活動している。デビュー後しばらくはヒットに
恵まれなかったが、これまでグラミー賞に計22部門で輝いており、過去最多の
受賞経験を持つ男性ソロ・シンガーとされている。

1963年に、シカゴのリーガル・シアターでの演奏を収めたアルバム
「Recorded Live: The 12 YearOld Genius」がビルボードチャート200のトップに
ランクインする大ヒット。
同月にシングルとして発表した、「Fingertips – Part 1 & 2」もビルボードチャート
100で1位を獲得する快挙を成し遂げた。

スティーヴィー・ワンダーが弱冠13歳で打ち立てたこの記録は現在も破られていない。
チャリティー活動にも取り組んでおり、2009年12月には、国連平和大使に任命された。
私生活ではこれまで、5人の女性との間に9人のこどもが誕生している。

酒井響希くんとスティーヴィー・ワンダーに大きな拍手を送ります。
神様は二人に大きな障害を与えたけれど、
同時に音楽という大きな才能も与えてくれたのです。
スティーヴィー・ワンダー74歳、酒井響希18歳、年の差56歳。

神様は乗り越えられない試練は与えないのです。

頑張れ響希くん。


心を緩くする




心を張り詰めたままの状態にしていると必ず体にゆがみが出てきます。
ギター奏者が毎回弦を緩めて保管するのはギター本体のゆがみが出るからです。
あなたの心の弦は張り詰めたままにしていませんか?
いつ新しい弦に張り替えましたか?思い出せないほど昔に交換したままですか?
心を緩くするとは「執着心」を取り除くことです。
お金にも、物にも、考えにも、人間関係にも執着していませんか?
これらを取り除くのは「感情をため込まない」「頼れる先を増やす」
「自分磨きをする」ことを取り込むことです。

感情をため込まない=思ったことを口に出して言う。
黙ってしまうとそのことの執着から離れられなくなります。
口に出せない場合は日記でもよいので書き出すことです。

頼れる先を増やす=気軽に話せる人を増やす。趣味を増やす。
推しを作るなどの方法で執着の心を分散させてください。

自分磨きをする=バランスの取れた食事や軽い運動を繰り返し体力をつける。
良書に親しみ心を磨く。毎日「恩学」を繰り返し読むこともお勧めします。

執着を手放すには、自分と向き合うしかありません。自分が何に執着しているか、
どうして執着しているのかを知り、自分に合った方法で、少しずつ執着と適度な
距離を保つことです。張り詰めたままの弦だと心が固くなります。
柔軟な心にすると、今まで気にしていたことが離れていきます。

ここからが本日の教えです。
あなたの心が硬いと自然の恵みが感じられなくなります。
雨も嵐も暴風も邪魔だと思えば害になるのです。
しかしそれが自然からの恵みだと思えば全てが益につながります。
人の縁も心が硬いと邪念が働き素直な気持ちが失われてしまうのです。
自分が利用されていると思えば怒りや憎しみが現れる。
そして相手を信用しなくなる。これで負の連鎖が始まることになるのです。

心を緩める方法として「無言の行」がある。
目があるから不要なものを見る。耳があるから真実の音が聞こえなくなる。
口があるから不要な言葉を発してしまう。鼻があるから不要な匂いを嗅いでしまう。
どちらにしても坐禅の世界へ入れば全てが消えて無くなるのです。
自己流ですが座禅は道場に通わなくても自宅でも出来るのです。
静かな環境で音も臭いも無くしてあぐらをかいて目を閉じればよいのです。
深い呼吸の中で雑念を振り払い、心を整えるのです。
時間は気にしなくても出来る範囲の中で行えばよいと思います。

欲も損得も分別も無い平常心が心をゆるくするのです。
人は不要な知識に縛られて身動きができない状態を自ら作り出しているのです。

フランスの作家/思想家ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)の有名な言葉に
こんなものがある。いわく、「人間は自由の刑に処せられている」。
不自由の中の自由を知らなければ動物と変わり無いのである。
何も無いところにただ置かれて自由だと勘違いするのは愚の骨頂である。

「平常心是道」
この言葉の由来は中国南栄時代の無門慧開(1183‐1260)によって編まれた仏教書、
または禅書・公案集と呼ばれる著作にある故事からなる公案です。
登場人物は中国の唐時代の禅僧「趙州(778年‐897)」禅師とその師にあたる
「南泉(748‐835)」禅師との問答が元になっています。

また、南泉禅師はその師の馬祖道一(709‐788)禅師が「平常心」を説かれた
語録があります。今回は有名禅問答である趙州と南泉禅師の問答を参考にいたします。

「無門関」第19則
趙州和尚が師の南泉和尚に「如何是道(道とはどんなものでしょう)?」と
尋ねた。その答えが「平常心是道(ふだんの心、そのものが道である)」と
答えた。※ここで言うところの「道」とは仏道である。
趙州「その心とはどのようにしてつかむことができるのでしょうか」
南泉「つかもうとすれども、つかむことはできない。」
趙州「つかむことができなければ、それは道ではないのでは」
南泉「道は考えて理解できない。しかし、わからないといってしまうこともできない。
考えて分かるのであればそれは妄想である。わからないものであればまったく
意味のない事になってしまう。」
南泉「理解できる理解できないという分別を離れると自ずからそこに道が現れる。
まるで澄み切った秋空の如く、分別を入れる余地はまったくない。」
趙州「なるほど」
趙州はその答えを聞いて悟ったという・・・。

皆さん、理解できましたか(笑)
勿論この問答で悟りを得た趙州禅師が希代の高僧でありますから、
凡夫(一般人)の我々が理解できないのは至極当然であります。
簡易な言葉の羅列である、この禅語が実に奥深い言葉であります。
南泉禅師は簡潔に悟りの境地(悟りといっても様々である事は留意しておく)
を述べているわけですが、仏教の基礎知識やある程度の実践を伴い、
初めて身心共に納得できるのが禅語には多分にあります。
その代表格がこの「平等心是道」になります。

特に今回の禅問答で理解しなければならないのが「分別」の意味でしょう。
分別とは人間にある相対性的で両極端の思考を嫌う為にある、相反する見方です。
例えば「美しい」があれば即ち「汚い」があり、「幸せ」があれば「不幸」が
あります。更にいうと「金持ち」⇔「貧乏」「賢い」⇔「愚鈍」「好き」⇔
「嫌い」の必ず人間は違いを明らかにします。

更にいうと「悟り」⇔「迷い」のように悟る悟らない、も分別として捉えます。
即ち「分別を離れる」ということはこの相対性で図る事(造作)をやめる事。
また、馬祖禅師も「造作無く是非無く、取捨(選択する)無く
断常(死後の断絶)無く、凡聖(凡人と聖人)無しと説かれています。

造作無くというは、平常心を持とうとか平常心になろうと心かけるような
作りごとをしないと言うことです。
迷いも悟りもない。その造作しない(分別しない)ありのままの心こそ
そのまま道であり仏であります。
そこに自己に「気づき」初めて「仏性現起(全てのものに仏が宿る)」が
ある事を自覚し、ありのままの自己こそが「平常心」であり「仏」そのもので
あるいうことです。

「気づく」ことが大事であり、それがなければ「仏」を自覚する事もなく、
分別して平常心とはかけ離れた一生を歩むことになります。
すべてのものに「仏」がある事に気づけば世界は一層素晴らしいものになると
思います。

「平常心是道」。簡易な言葉の真髄こそ正に「禅」そのものであるし、
全ての禅語は基本的にはこの考え方を元に見ると理解しやすいかもしれませんね。
今回は少し難しかったかもしれませんが、この禅のニュアンスを伝えるのは
なかなか高度であります。

私も常に平常心になり「心を緩くする」ことを心がけています。
日常生活の中で雑念を取り除くことは大変難しいのですが、
みなさまもあれこれ悩むのではなく「心を緩くする」ことを心がけてください。

2024年1月3日


予期せぬこと




能登半島地震
令和6年1月1日午後16時03分能登半島地震が発生。
天災は忘れた頃にやって来る。ふいをつかれた地震である。
昨年まで(昨日)世界は、戦争、自然災害、食糧枯渇、物価上昇、ガソリン不足、
円安不況、等様々な災害に見舞われた。
2011年3月の東北大震災から12年ぶりの大地震である。
年が明けて今年こそは良い年になると願っていたのに龍がいきなり暴れてしまった。

石川県の人には予期せぬ出来事になってしまった。
初詣を済ませて家族が一堂に介して、
お酒を飲みながらご馳走に舌鼓を打っていた時の地震である。
津波情報も発令されて「今すぐ山か高台に逃げろ」のアナウンスが鳴り響いた。
新年の番組も地震速報一色になりお祝い気分が飛んでしまった。

被災地は先日の雪が未だ残っている状態恐怖と寒さの中で揺れに耐えなければならない。

午後11時3分にまた震度7が発生して揺れは更に恐怖を重ねる。
先ずは命の安全の確保です。助け合うことは勿論ですが、
お年寄りとか体の悪い人たちへの救助を優先してほしい。
元気な大人と若者たちが頑張ってほしいと願うばかりです。

過去の例ですと3日間耐えることができれば救助が始まると言われています。
ライフラインの復旧や支援物資の到着までが3日間です。
住民の方々は壊れていない家に集まり暖を取り、
お正月料理を持ち合えばどうにか空腹は凌げるはずです。
ホテルも旅館も開放して住民の安全と命を守ってほしいと思います。
今やれることだけを考えて下さい。

この時に思い出したのが以下の話です。

「看脚下」
脚下を看よ、足もとをしかと見よという意味であります。
佐藤一斎の『言志晩録』に「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。
只一燈を頼め」という言葉があります。
一つの灯火を掲げて暗い道を歩いているときに、
暗い夜だからといって不安になることはない、
その持っている一つの灯火を頼りに歩めという意味であります。

お釈迦さまやキリストや孔子というようすぐれた聖賢の言葉や禅の言葉などを
頼りにして暗い道を歩いてゆくのだということであります。
確かにこの通りで、混迷する世の中を生きてゆくには頼りとすべき灯火が必要です。

しかし、この灯火が消えたらどうするのかというのが、禅の問題でもあります。

中国の宋代に五祖法演という禅僧がいました。
当時衰退しかけていた臨済宗の教えを再興したので、「臨済中興の祖」と
崇められている方です。
ある時に三人の弟子と共に夜、話していて、帰りに夜道を行こうとすると、
行灯か提灯の灯が消えてしまいました。
月でも出ていなければ、提灯でも持っていないと真っ暗闇で何も見えなくて
歩けないのであります。
そんな真っ暗闇になったところで、法演は三人の弟子に、それぞれ一句を言えと
迫りました。

禅の問答というのは、いつ何時始まるのかわからないものです。
それだけに日常いつも油断なく暮らしているのであります。

先ず一番に、後に佛鑑禅師と称せられる慧勤は、「彩鳳、丹霄に舞う」と答えました。

「彩鳳」は、五色の美しい鳳凰のことです。
「丹霄」は、赤く染まった空であります。
「美しい鳳が彩雲ただよう天に舞う」様子をいいます。
目出度い言葉として、今では慶事などにも用いられています。

二番目には、後に佛眼禅師と称せられる清遠は、「鉄蛇、古路に横たう」と答えました。

鉄の蛇が、誰も通らないような古い道に横たわっているという意味です。
鉄は黒いという意味がありますので、真っ黒な蛇が人も通らぬ路に潜んでいるというのですから、

なにが潜んでいるか分からないことを言います。

そして、最後には、後に法演の仏法を受け継いで、『碧巖録』を編纂する
佛果禅師こと、圜悟克勤が、一言「脚下を看よ」と答えたのでした。
それに対して法演は、「吾が宗を滅するは、克勤のみ」と言われました。
言葉通り受け止めると、自分の教えを滅するのは、
克勤だけだということになりますが、これは禅家独特の表現であって、
自分の教えを真に継承してゆくのは、克勤だけだと、
克勤を大いに肯った言葉なのであります。

「最初の答えは、極彩色の中に極彩色のものがある。
人生は真っ暗闇で先はどうなるかわからないけれども、極彩色の人生というものが
あって、その中を極彩色の存在が歩いて行くのだから、先は見えなくとも自信を持って
一歩一歩進んでいけばいいじゃないかということです。」
「超ポジティブな考え方だ」と言っていました。
更に「それに対して仏眼のほうは超ネガティブですね。
すべてが不幸、すべてが苦しみだというわけですから。」というのです。

「仏眼は「暗闇の中にいて先が見えないのだから、不幸だということはあまり考えずに
不幸の中を生きていこうじゃないか」と言っているわけですね」というわけであります。

「圓悟克勤は「そんなきれいな言葉で飾って生きるとはどういうことなのか。
観念的なことを言わずに、ただ脚下を見ていればいいじゃないか」
と言ったわけですね」と解説してくださっていました。
頼りとしていた灯りが消えて、どうしようかという時に、
実際にあるかどうか分からないにしても、輝かしい未来を心に思い描くことは、
決して悪いことではありません。

高い理想ばかりを思っていたのでは、足下が危ういものです。
これから先には、何が起こるか分からない、これから歩む道には何が潜んでいるか
分からないと、慎重に歩を進めることも必要です。
頼りとする灯火を失ったら、まずは落ち込んでいないで、高い理想に心躍らせましょう。

すぐれた先賢の教えを学び、実在の方の成功談を読んで心を鼓舞することです。
次に、現実は何が起こるか分からない、慎重にゆかねばならないと注意します。
「先行きの見えない暗闇の中でどうするのか、希望を失わないようにすることも
大切でありましょう、最悪の状況を想定することも必要でしょう。
しかし、大事なことは足下を見ることです。自分は今どういう状況にあるのか、
しっかりと足下を見つめて、一歩一歩を歩んでゆくことが最も肝要であります。」

大災害の時には家を失い、家族を失う場合があります。先のことの不安を考える前に
今をどう過ごすかを優先してください。東北の大震災を思い出してください。
過去の教訓から役立つ方法を見つけ出して下さい。
まずは自分自身と周りの人達の命を守ることだけを考えることです。

「看却下」
今はただ足元だけを見つめて下さい。

2024年1月2日


愛から始まる国です。




あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬねの
はひふへほ
まみむめも
やいゆえよ
らりるれろ
わゐうゑを


にほんのひらがなはあい(愛)から始まりをん(恩)で終わります。
私がいつもテーマにしていることです。
優しさから始まり有難うで終わる国なのです。
恩に始まり恩に終わるのです。

日本語は「ん」を含む51音になっています。ガやパの濁音・半濁音を加えると
76音を作っています。アルファベットの26文字に比べると覚えるのが大変です。
加えて、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、数字、絵文字で6表記の国です。
読み方も左から書くメールや書類などの通常の書き方と、右から縦文字で書く書道や
古文書などの書き方もあります。世界広しといえど、右も、左も、縦も使って
表記するのは日本だけです。そんな国だから詩や、俳句や短歌や川柳などの表現文化が
育まれてきたのです。

愛は「気」です。父と母の愛で生まれたのが私たちです。
命は「気」です。命の気だから、息(いき)をするから「生きる」です。
気は木のように空に向かって伸びていって空気と繋がり、地中に根を張っていろいろな
根っこと繋がると、根気になります。
根気がつくと元気になります。元気になると勇気が起こります。

有難うは許すことから始まります。
心を許すから、相手のことは何もかも許してしまうのです。
許すは、言偏に午(うま)と書きます。午の字は十二支の真ん中にある文字です。
午前・午後を言い表し、午を中心に前と後ろがあるのです。
君とはウマが合うね、きっとウマく行くよ、これウマいねなどに繋がります。
認め合うから人間関係がウマく行くのです。

お金を足すことばかり考えると「針」という文字になります。
針は人を刺します。人を刺してまでお金を儲ける必要はありません。
「小欲知足」自分に必要な分で足りていると思えば十分なのです。
奪い合えば足りず、分け合えば余る。簡単なことなのですがこれが出来ません。
一人では乗れない車を何台も買い求める人、着れない服を何着も買い求める人、
履けない靴を何足も買いそろえる人、針だらけになって嫌われるのです。

忙しいという漢字は心を忘れると書きます。人の心を忘れると悪魔になります。
悪魔という「魔」は嫌われます。私も心を忘れて嫌われたことがあります。
しかし人は、誰でもが、時間、空間、瞬間という間に生きています。
それらを包んでいるのが世の中の世間という文字です。
間(ま)は「あいだ」とも読みます。そう間は「愛だ」なのです。
誰かが喧嘩を始めると「ま、ま、ま」と間に入ります。少しは落ち着きなさいと
「ま」を連呼します。親しい仲間が間に入り仲裁してくれるのです。

命という文字は人を一つ叩くと書いています。毎日・毎時間・毎秒心臓を叩いてくれて
いるから生きていけるのです。赤ん坊が生まれてすぐ泣くのは、それをきっかけに
息呼吸が始まるのです。泣かない子にはお尻を叩き泣かさないと死んでしまいます。
我々は命をいただき大切な人生を生きているのです。

咲くは、花が咲く(さく)と読みますが咲くは「笑う」とも表現しました。
花を見て満開に咲いている景色を見て怒り出す人はいません。
桜や桃やチューリップやヒヤシンスなどが咲くと長い冬が終わり、
いよいよ春になるという兆しに笑みが溢れるのは仕方ないことです。
ちなみに「山が笑う」は俳句の春の季語です。
新緑を前に新芽が出始める時を笑うと表現した日本人は本当にすごいと思います。

日本は山の幸に恵まれ、海の幸に恵まれ、自然の果樹にも恵まれた国です。
その上に日本は四季があり色とりどりの草花を咲かせてくれるのです。
争いのなかった縄文時代、奪い合うことを知った弥生時代、自分達の財産を守ろうとした
鎌倉時代、領土を広げようとして始まった戦国時代、文化の百花繚乱を謳歌した江戸時代、
無理やりに開国を迫られた江戸時代後期から明治初期。

平和と文化芸術を愛した日本人が他国の侵略により戦に引っ張り出された。
武士がこの国を治めるようになってから「潔く死ぬことが美徳」となった。
愛国心という名のもとに多くの若者が犠牲となった。

現代は経済戦争とテクノロジーの時代である。ビジネスの世界では常に最前線にいる
企業だけが利益を上げている。全てが数値で管理され豊かさを求める論説は
詭弁だらけである。日本人が日本人を嘘でコントロールしているのです。

だからこそ今一度日本人の心を学び直し、
日本のあるべき姿を若者たちと作り出さなければならない。
2024年は積極的に「恩学」を広めていきたいと思います。

愛から始まり恩で終わる国です。
この国を愛してこの国を守りましょう。

2024年元旦