5つの感覚とは




5感覚が人間に備わる意味…見るため、聞くため、嗅ぐため、味わうため、
触れるためだけにあるのではない。

見ても見ても、真の姿を見ることができない目
聞いても聞いても、真を聞くことができない耳
嗅いでも嗅いでも、真の香りを嗅ぐことのできない鼻
味わっても味わっても、真の味を知ることのできない舌
触れても触れても、真の感覚を感じることのできない皮膚

5感覚で真を知ることができると思うからこそ人は誤る。
自然科学は5感覚だよりに突き進んでいるからこそ、
地球を汚し、人を殺し、人間の尊厳を奪い、人類を破滅に追いやる。

5感覚がなぜあるのかをよくよく考えてみなければならない。
自分の身体の満足のために備わっている機能だということが
大きな勘違いであることに気づく。
目は心を映すためにあり、耳は存在の悦びを聞くためにあり、
鼻は他の心の匂いを嗅ぐためにあり、舌は救済の言葉を語るためにあり、
皮膚は他の心を温めるためにある。

人は目的知・完全知に辿り着いた時、
もうこれ以上知らなければならないことはないことを悟り知る。
そしてなるべきことはただ、5感覚を能動的に使った実践行動のみとなる。
これを四智の一つ「成所作知」と言うのだろう。

盲目とは視力がないことを言うのではない。
心の目を使って世界を見ることを言うのだ。
存在が深まっていく悦びに覚える。 

声明(しょうみょう)
声明は日本の伝統的な仏教聖歌です。
声明は、仏教とともにインドから中国へ伝えられ、
中国で新たに作られたものも加わり、日本へと伝えられました。
もともと声明とは古代インドの学問のひとつで、
シャブダ・ビドヤーといわれ、
言葉の学問、つまりサンスクリット語(梵語)の
文法学を意味していました。

仏教発祥の地である古代インドには、 五明 という、学問を大きく
5つに分類する考え方がありました。仏教においては、僧侶が教養として学ぶ
5つの分野をいい、そのうち言葉や文法などを学ぶ分野を、
古代インドの言葉でシャブダ・ビディヤーといいました。
そして、声や音を意味するシャブダには“声”、学んで明らかにすることを意味する
ビディヤーには“明”の文字をあてました。これがルーツとなって、
僧侶がさまざまな音楽的技法を用いて経典を唱える仏教音楽を、
日本では声明とよぶようになりました。

日本では平安時代、密教僧が真言や陀羅尼の学習のために
この梵語の文法学である悉曇(しったん)を学びました。
752年、東大寺大仏開眼供養の際、
声明が唱えられたことが記録にあります。
その後、9世紀の初めに弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)
により真言声明(しんごんしょうみょう)が、また中頃には慈覚大師円仁
(じかくだいしえんにん)により天台声明(てんだいしょうみょう)が
それぞれ中国から伝えられました。
ここでは、真言宗豊山派の総本山、長谷寺に伝わる声明「四智梵語」
(しちぼんご)を紹介します。その内容は、金剛界(こんごうかい)の
大日如来を讃歎するものです。

四智(しち)とは、
阿閦如来(あしゅくにょらい)・宝生如来(ほうしょうにょらい)
・無量寿如来(むりょうじゅにょらい)・不空成就如来
(ふくうじょうじゅにょらい)の智慧を表しており、
それは金剛界の曼荼羅全体を意味するものでもあります。

また、「四智梵語」は、多くの法要で唱えられるため、
真言宗の僧侶としても、唱える機会が最も多い声明です。
ご葬儀やご法事の際にも唱えられることが多いので、
皆さんも聞かれたことがあるかもしれません。

人は煩悩のかたまりゆえに華美飽食に溺れてしまう。
贅沢の極みに金糸銀糸でおられた服を着て楽をたのしむ。
庶民には口にできない高級素材を使用した料理を味わう。

健康に良いものと聞けば世界の珍味にまで手を出して
欲望の制御が効かなくなる。
それゆえに科学の発展は際限ない欲望を満たすために使われる。
真実を追求して原因を突き止める科学が、
それを利用して悪魔の手先になった。
科学は人間が入ってはいけない領域、
戦争の道具にまで手を染めてしまった。
科学者たちは時の権力者が要求することには逆らえず従うしかなかった。

五つの感覚は、自然を楽しみ、喜びを知り、味わうために備われた
機能であり、もっとも人間の本能が満たされる天からの授かりものである。
早朝にお寺の境内から聞こえてくる声明は煩悩で汚れ切った心を
清浄にしてくれて小鳥のさえずりと共に絵も言われぬ世界へと誘ってくれる。

本来美しいものを見るための「目」が
穢れ切った世の中を見るために使われる。
本来の脳を休めるための「耳」が
世相の雑音で溢れてしまっている。
本来草花をかぎ分ける「鼻」が
都会の悪臭によって機能を失う。
本来自然の味を楽しむ為の「口」が
農薬や食品添加物まみれの食材で汚される。
本来危険を察知するための「皮膚」が
様々な薬品を摂りすぎて炎症を生み出している。

科学の進歩と近代化は崇高な人間の身体を犯してはならない。
人間は欲を抑えることにより本来の機能を取り戻すことが出来る。
声明を口ずさむことが出来ればいつでも仏さまと繋がることが出来ます。