不登校な子を持つ親
【 学校に行かないという選択 】
平岡亮子さんの投稿(掲載に関して承認済みです)
うちの娘は中学1年の
GW明けの中間テストの後から
あまり学校に行かなくなりました
中2で行ったのは数日かな?
娘の学年の子どもたちは
あたしの独断と偏見では
小学生の頃は驚くほどみんなお利口さん
よく言えば
「躾がよくできた模範的な子たち」
悪く言えば
「面白みがなくてちょっと怖い」という感じ
娘は授業参観のときに
騒ぎはしないものの
明らかにやる気のなさがダダ漏れで
退屈そうな態度をしていました…
ただ6年生の時の
担任の先生が素晴らしくて
その時は楽しそうに毎日学校に行ってたし
授業態度も「かなりまし」なってました
中学に行くと
勉学のできるできないで
差がつく事が明確になったし
授業の難易度も増すし
制服や髪型なども含めて
あらゆる面で自由も制限されて
もの凄い窮屈になったのだと思います
授業参観に行ったけれど
相変わらずお利口さんが多めで
模範解答を答える子が多くて凄いんだよね
教育熱心な親が多いと
こうなるんだな…という感じ(笑)
娘は「行く意味が分からない」
と言って行かなくなったのだけど
行かない選択をして断固行かないというのも
なかなか大した精神力だよな…と思う(笑)
あたしも中学時代は楽しくないし
行く意味がないと思っていたのだけど
病気でもないのに休んだら叱り飛ばされるので
皆勤賞を取るほど休まず通っていたのね
体だけは健康で
インフルもかかった事がなくて
かかる子が羨ましかったくらい
で、勉強は嫌いだから
成績はボロボロで
再試や再提出を何回やったか分からないし
授業中はよく寝ていて
ただただ終わる時間を大人しく待ち
帰宅部なので帰宅して
夕飯まで寝て待つようなひどい学生時代
中高は私立で
授業料が高かったはずだけど
今思うと申し訳ないことをしたと思う
でも、子どもの適性と合わない学校に
行かせると無駄使いになるということは学べた
自分の経験からして
叱って行かせるのは違うと思うので
娘に学校に行くようには言った事はない
駄菓子菓子
担任の先生は不登校の生徒がいると
評価に影響するから困るんだろうね…
ショートメールで
テスト前に必ず連絡をいただく
「お世話になります。
先程、お電話でまいさんとお話させて頂きました。
来週、14日~16日が期末試験になっています。
別室での受験もできることをお伝えしました。
ご家庭でもお話を頂けたらと思います。
よろしくお願い致します。」
いつもなら当たり障りなく
「ご連絡ありがとうございます。話してみます。」
と答えても、特に何もしないのだけど
何となくそう答えるのに違和感があった
担任の先生は3年ほど会社に勤め
教師に転職して2年前に教師となり
今年は初めて担任を持った27-8歳の男の先生
高校野球に出るほど
アオハル学生時代を謳歌していた
熱血系の体育教師なので
おそらく学校に行かないタイプの子を
理解するのは難しいと思ってやり過ごしていた
彼は娘の体調が悪いと
思い込んでいるけれど体調は悪くない
当たり障りないお返事を
続けるのも何か違うと思ったし
もう少し生徒の氣持ちも
考えてみてって思っちゃったんだな
「ご連絡ありがとうございます。
授業を受けていない中、
期末試験のために登校するのは厳しいと思います。」
ただそれだけお返事しました^_^
授業に出るのが嫌で学校に行かない子に
期末試験だけ受けに来るように連絡が来るって
どんだけハードルが高いことか…
察する氣持ちが持てないまま
アプローチをし続けてくるのは
いかがなものなのだろうと…
「この子は行かない選択をして
そのリスクは自分で負うしかないので
無理に行かせようとは思ってません」
とは面接で言ってるんだけどね^_^
同じように不登校の中学生の親御さんで
悩んでいる方に言えるとしたら
「決して無理して学校行かせる必要はなく
人生において用意されている課題を
早めに取り組みたい魂なだけだから
いずれよくなると信じて
自分に合った高校を探させてあげて」
ということかな^_^
心配するだけ損だし
下手したらそれは呪いになるからね
中学生の死因の断トツのトップは自殺
不慮の事故の中に
遺書がない自殺が
かなり含まれているはずだからね
(遺書がないと自殺と認定されない)
誘拐でも殺人でも病気でもなく
自殺なのだけど、
その原因は自分らしく生きられないからだよね
もし学校が、自分らしく
生きられない場所だとしたら
行かせたら死に近づくことになる
そして、行かない選択をした子に
行くように叱ったり期待したら
やはり子どもは居場所を失うことになり
家が自分らしく居られない場になる
それは一番避けたいところ
娘は高校には行きたいと言っていて
「学生生活を味わいたい」と言っている
居場所は家庭以外に欲しいもんだよね^_^
でもさ、とりあえず
生きていれば上等じゃない
人生なんていくらでも
自分の力で切り開けるからね
そもそもこれから
世の中がひっくり返るって時に
生きる力があるかないかが
一番大事になるんじゃないかな
これは大人もそうだけど
もし一時的に絶望感を味わっても
軽やかにそれを脱ぎ捨てて
いかに自分の居場所を作ったり
みんなが生きやすい社会を作れるか
が大事になるでしょう^_^
まいちんには
期末試験を受けさせることが
生きる力にはならないし
むしろ奪いかねません…
という話なんですよ、先生^_^
以上
私も時々子育ての相談を受けます。
しかし多くの大人は自分たちが受けた過去の教育で子供を育てようとします。
大幅に時代が変化しているのに旧態依然として変わらぬ方式です。
一律に学校や世の中に従う「素直な子」として教育します。
それで良いのでしょうか?
今、我々が作った世界で子供たちが苦しんでいます。
人生経験のない教師が学校の規則に従い教壇に立つ、
しかしそこに愛はありません。
学校は入学させて卒業させるのが仕事ですから
校則の枠からはみ出す子供に悩むのです。
本来学校といのは悩みを解決させる為にあるのであって、
悩んでる子供を連れ戻す為にあるものではないのです。
悩みのもとを探さなければ同じことの繰り返しになるばかりです。
ニイルのサマーヒルが原点の自由な学校があります。
「まず子供を幸福にしよう。すべてはそのあとにつづく」
子どもたちが優先で授業内容を作り、課外授業で野菜を作り、
好きなプロジェクトを選びさまざまな活動をする学校があります。
先生も宿題もテストもない学校です。
和歌山県橋本市にある「きのくに子ども村、小学校・中学校」です。
(興味のある方は調べてみてください)
未来のこの国は子供たちが作るのです。
大人はそれを応援するのが役目です。