人格の病




われわれは誰だって、いつだって、精神疾患を出入りする淵にいる。
不安、憂鬱、迷妄、妄想、意志薄弱、意欲の減退。食欲不振、倦怠、
トラウマとフラッシュバック、仕事放棄、引きこもり。
みんな、このうちの何かと一緒にいる。
淵に近づかなかった者なんて、ほとんどいない。

このところ先進諸国の巷には「人格の病」「感情の病」
「不安の病」が乱れとぶ。
なかでも「うつ病」が会社でも学校でもふえている。
先だって大企業の人事部の知り合いに聞いたところ、
データ上では一割ちょっと、実際には三割ほどが
「うつ病」ですよと言っていた。

また、これも知り合いの産業医に尋ねてみたら、
たいていの企業や役所はDSMオンパレードですよ、
統合失調症、パニック障害、ヒステリー、家族暴力、
ストレス過剰、双極性障害、解離、PTSD……
みんなありますと言っていた。

DSMとは米国精神医学会が発行する
「精神障害の診断と統計マニュアル」です。
元々は戦争帰還兵の治療において精神科医が重要な役割を果たしました。

なぜ、そうなったのか。もっと大きな「文明の病い」が広がっているのか。
あるいは社会のコミュニケーションのどこかに機能不全がおこっているのか。
それとも、アメリカ精神医学会のDSMが心の病いの症状を分類認定している
からなのか。

それならわれわれは、香り高い悲哀にもう浸っていられないのだろうか。
原因が特定できないだけに、気になる問題です。

古来、「心の病気」がなかったなどという時期は、無い。
意識の発生とともに併存してきたはずだ。それをどのように呼ぶかは
べつにして、憂鬱も不安も狂気も、ずっと昔から人類の歴史に寄り添ってきた。

それについては中井久夫さんに『分裂病と人類』
(東京大学出版会)という名著がある。 
それなら、二十世紀後半から二一世紀にかけてこのような「心の病気」が、
どんどん増大していることをどう見ればいいのか。

今日の精神医学が分類する精神疾患には
「人格の病」「感情の病」「不安の病」がある。
ただしこれらの相違は、それぞれ処方薬(向精神薬)がちがっているため
顕著にあらわれているだけなのだ。

昔から多くの悲哀や悲嘆が人間の心を苦しめてきた。
その逆に、悲哀や悲嘆こそが人間を成長させてきたとも言える。 

すでに紀元前三千年の古代オリエントの叙事詩『ギルガメシュ』には、
親友エンキドゥの死を知らされたギルガメシュの嘆きが綴られている。
友のパトロクロスの死によって悲嘆のどん底に落とされたアキレウスの
絶望感の描写も、英雄のもつ深い人間性だとみなされる。

アキレウスの前途に悲しみの暗雲がたれこめ、アキレウスは怒りに
打ちのめされて大地に身を投げ出し、いつまでも髪をかきむしりつづけたのだ。 
若きウェルテルの悩みやマルテの彷徨も、『三四郎』の漱石や『舞姫』の鴎外の
作品も、みんな容易には癒しがたい憂鬱をかかえた物語になっている。
優雅なマダム・ボヴァリーやアンナ・カレーニナは、道ならぬ恋に身を焦がし、
心の奥で懊悩し、そしてみずから命を断ってしまった。 

これらの主人公たちの症状をDSMでチェックすれば、
それなりの病名があてはまるのだろうが、
それでは大きく欠落してしまうものがある。
それが「悲しみ」というものだ。
その「悲しみ」は二週間とか一ヵ月では区切れない。

日本でも、古代このかた歌人たちが「いぶせ」(憂鬱)な気分を歌っていた。
「たらちねの母が飼ふ蚕の眉ごもり いぶせくもあるか妹にあはずして」。
気分が晴れないこと、厭わしいこと、気詰まりなこと、
なんとなく悲しいことが「いぶせ」なのである。

大伴家持は「いぶせみ」(鬱悒)という名詞をさえつくり、
「こもりのみ居れば鬱悒なぐさむと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし」
という歌を詠んだ。
『源氏物語』もまた、桐壺帝の憂鬱なさまを
「なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを云々」とあらわし、
「さまざま乱るる心の中をだにえ、聞えあらはし給はず、いぶせし」
とも表現した。

何故先進諸国の巷に「人格の病」「感情の病」「不安の病」が乱れとぶのか。
原因は簡単でデジタル社会に心を預けるからである。
そこには様々な感情データがあり、勝手に解決の方法が書かれているからである。
人との関わり合いが極端に少なくなった現代では本音は弱みと取られてしまう。
弱みとして取られるとあらゆるチャンスを逃すことになるのではないかと、
恐怖心が生まれ強い自分を演じることに疲れて病が起こるのである。

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