鎌倉の明月院(あじさい寺)に度々出かけた。
風情を求めたとしても男一人で行くところでは無い。
やはり着物を着た女性と一緒に出かける場所である。
紫陽花の花言葉は確か「移り気」だったような気がする。
日本の古来種「ひめあじさい」は淡い青から深い青へと色を変える。
その鮮やかな青に梅雨の雨が降り注ぎ、少しずつ青に赤みが掛って、
その赤みも薄くなる頃に紫陽花の季節は終わる。
紫陽花は学名「水の容器」という。梅雨時の長雨で土中にたまった水が、
根から吸い上げられて花に辿り着き、その学名が付いたらしい。
紫陽花の名前は、中国唐の詩人白居易が「ライラック」に付けた名前を、
平安時代の学者源順が間違って明記したらしい。
本当の名前は藍色が集まったもの「集真藍」(あづさい)が訛ってあじさいになったと言う。
雨の季節の紫陽花を眺めている時にふと「恋水」という言葉を思い出した。
「恋水」という言葉は、万葉集の中で恋をして流す涙を「恋水」と、表現したのが始まりだと聞いている。
柿本人麻呂「今のみの、行事(わざ)にはあらず、古の人そまさりて、哭(ね)にさへ泣きし」
恋煩いは今の時代だけじゃなくて、その昔にはもっと恋に悩み、大声で泣き暮らしたはずだ、という事である。
簾(すだれ)や几帳のとばりを下ろして、その中に身を置きながら、思い通りにはいかない恋の切なさに、
声を押し殺して泣きながら流す涙を「恋水」と言ったのである。
紫陽花はやはり女性なのである。恋に移り変わる女心を花弁の色で現して伝えようとしているのだ。
私達の青春時代は簡単に恋など出来ない時代であった。
学生が女性にうつつを抜かしていると軟弱な奴だと皆から笑われたのである。
しかしときめく恋心は誰にも抑える事が出来ずに、一向(ひたすら)に悶々としていた時代であった。
男には硬派と軟派がいて私は一応硬派に属していた。
硬派の男子学生は女性とは目を合しても口を利いても掟破りなのである。
帰り道で偶然好きな女の子と一緒に居る所を見られたら、次の日は鉄拳制裁が待っていた。
誰しもが恋にはあこがれて、恋をしたかった時代である。
男心を悶々とさせる不思議な生き物、女性を知る事が、学問を究めるより先であったことは確かである。
恋の手引書代りにハイネ・ゲーテ・若山牧水の詩集を読んだ。
軟派な連中から、気に入った詩を選んで、手紙にして出せば、必ず女性は落ちると聞いて、その通りにした。
次の日から好きな女の子との間に気まずい空気が流れてからかわれたのだと知った。
しかし文化系の男達は、好意を寄せている女性には、執拗に詩を送り続けたのである。
純情一途な青春である。
好きになる事に時間がかかり、手紙のやり取りに時間がかかり、
手を触れる事に時間がかかり、親しくなるまでには相当の月日が流れた。
お互いを知る為の情報交換をするには、あまりにも時間が少なかった。
それ以上に親密になる為の特別な空間が一切無かった。
今でも好きになった女性にメールで詩を送ったりするのだろうか。
今でも恋の為に出す手紙は「ラブレター」と言うのだろうか。
恋の始まりのときめきや、何度目かのデートで、やっと手を握った時の緊張感は同じだろうか。
会ったばかりなのにすぐに会いたくなり、眠れない長い夜を過ごしているのだろうか。
世界の美しさは、好きになった女性から始まっているのだと錯覚をした事があるのだろうか。
彼女の家の周りを何度も行ったり来たりして、偶然の出会いに期待をした事はあるのだろうか。
そして片思いの結果、失恋して大酒を飲み、この世の終わりだと、一晩中泣き通したことはあるのだろうか。
そんな男の涙も「恋水」と言うのだろうか。
親父達の純情一途な時代が懐かしい。
もうすぐ紫陽花の季節が終わる。
「はじめて恋をするとき、女は恋人を恋し、また恋をするとき、恋を恋する」ラ・ロシュフコオ作。
「かって胸の深い傷口から咲き出した、この赤い花と青い花とを、
わたしはきれいな花環に編んで、美しい君よ、貴方に贈りましょう、
このまことの歌をどうぞやさしくお取りなさい」ハイネ作。
「いつも変わらなくてこそ、本当の愛だ。一切を与えられても、一切を拒まれても、変わらなくてこそ、」ゲーテ作。
「白鳥は哀しからずや空の青海のあおにも染まらずただよふ」牧水作。
紫陽花の季節に思い出した、懐かしい詩(言葉達)である。
9月 18th,2012
恩学 |
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手遅れと言う言葉が有る。大切な場面で言動が遅れることである。
苦労ばかりかけた、両親の死に際に間に合わず、「ありがとう」の一言が言えず悲しい手遅れである。
一年中仕事ばかりにとらわれて、家族に「約束は守るから」と言いながら、守り切れずに、時が過ぎて手遅れである。
良友とのもめ事も、「ごめんね」が言えなくて、ちいさな誤解がそのままになり手遅れである。
電車の中で老人に席を譲ろうとして、「どうぞ」が言えずに次の駅に着いてしまえば手遅れである。
「手遅れ」は「手おくれ」なのである。この瞬間に手を貸して下さい、そうでなければ間に合いませんという意味です。
とっさの場合に、手遅れにならない為にも、少しだけ準備を怠らない事です。
それは、周りで起きる出来事に、気持ちを集中して、次の予測を立てることです。
自分を中心に考えるのではなく、できるかぎり対象者の事情を察して判断をすべきです。
言葉だけの約束や優しさがあったとしても、時期を逸して、行動が伴わなければ意味がありません。
手遅れである。
丸山真男「現代政治の思想と行動」の中にマルチンニーメラー「牧師の告白」という一文が有る。
「ナチが共産主義を襲ったとき、自分はやや不安になった。
けれども結局自分は共産主義でなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。
自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。
そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
その度に自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは協会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。」そこで自分は何事かをした。
しかしそのときにはすでに手遅れであった。
こうした痛苦の体験からニーメラーは、「端初に抵抗せよ」而して「結末を考えよ」という
二つの原則を引き出したのである。初期に解決を見なければ手遅れになる。
その時には同時に結末も考えなさいと言う事である。
「対岸の火事」では無いが、自分に火の粉が掛らなければ他人事で済まし、
自分に火が及べば慌てるのである。しかし、その時には、ほとんどの場合手遅れなのである。
拉致被害者の会の報道がなされる度に心が痛みます。
1977年11月15日、北朝鮮に拉致をされた横田めぐみさん(当時13歳)は、
生死も分からないまま、既に34年という時が過ぎてしまいました。
御両親は、娘を取り戻す為に、被害者の会で先頭に立って活動をしています。
しかし、既に高齢に成り命の灯が削られるようにして生きています。
愛娘の安否を確かめる術もなく、悲痛な面持ちで日々を過ごしているかと思われます。
我々は、親子の再会が「手遅れ」にならないように祈るばかりです。
9月 17th,2012
恩学 |
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「運命というものはただ単に人間にふりかかって来るものではない。
運命を愛し、運命にうち克つことを知らなければならない。
「運命への愛」(amor fati」、それによって初めて心の平静は得られる」モーリス・パンゲ
人は幸福な時に「運命」という言葉を使うのだろうか。
自ら招いた失敗の時にだけ「運命」という言葉で弁護するのだろうか。
不幸に翻弄されて悩み苦しんだ時に「運命」という意味が理解できるのだろうか。
青年は常に「運命」という言葉を思い浮かべる事は無いだろう。
「運命」が引き起こす挫折も容易に打ち克つことが出来るものと信じ、
決して「運命」に支配される事は無いと思うからである。
壮年期から「運命」という言葉が身に滲みて分かるようになる。
それは知識や経験だけでは乗り越えられない数多くの問題に、
心と体の自由が奪われて身動きが取れなくなるからである。
そして老年期になると「運命」はもっと重く圧し掛かってくるのである。
後悔しても取り戻す事が出来ない過去と、残り少ない未来の狭間で「運命」を、最後の友人としてしまうからである。
パンゲの言うように「運命を愛し、運命にうち克つことを知らなければならない、
それによって始めて心の平静は得られる」。
その打ち克つことが出来ないから心の平静が得られないのである。
「運命」に翻弄されて悩み苦しみ、初めて人生の実体が分かるのである。
「運命」に含まれる、ありとあらゆる挫折や困難を受け入れて、乗り越えなければならないのである。
大和の古の言葉に「知命楽天」という言葉がある。
自分の運命を知った上で日々を楽しく生きよということである。
たとえ不遇でも、貧しくとも、悩み多くても、それが自分に与えられた運命ならば、それに従い楽しめという事である。
それを理解して甘受すれば何も恐れるものは無いのである。
悩まずに「運命」の波に乗れば良いのである。それがパンゲの言う「運命を愛し、・・・」なのである。
ここに中国の教育の基本骨子がある。中国の教育心理学である。
「思想という種を播き、行動を刈る。行動という種を播き、習慣を刈る。
習慣という種を播き、性格を刈る。性格という種を播き、それはやがて運命を収穫する。運命は性格で決まる。」
子供の時からこれを学ぶのである。「正しい考え方を学ぶ事が正しい行動を起こす事になる。
正しい行動から日々の習慣が生まれる。正しい習慣を続ければ持って生れた性格ではなくて君子の性格が備わる。
そしてその性格が自分の運命を導く事になる。
すなわち運命は全て自分の性格から生れるものである。」
一生懸命学び労働をしなさい。
そうすれば幸福の運命を手にする事が出来ると言う教えである。
共産主義での幸福は、全て神様や仏様からの授かりものでは無くて、自分達の努力によって収穫するのである。
そして、それらは万民が平等に分かち合う事で、幸福な人生を感じる事になる。
余談ですが、世界的に有名なベートーヴェンの交響曲第五番「運命」は正式な題名では無い。
弟子が「この交響曲の最初の四つ音は何を示すのか」という質問に対して
ベートーヴェンが「このようにして運命は扉を叩くのだ」と答えた。
よって正式な題名のようになったのである。
「運命」は通称だがこの題名が世界に広く知れ渡ったのである。
まさに、ダダダダーン「運命」の悪戯なのである。
9月 16th,2012
恩学 |
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「うを水をゆくに、ゆけども水のきはしはなし」現成公案
魚が川や海を泳ぐときに、けっして、あそこまでは泳いで行こうというような、
目標は持っていない。ということである。
道元の提唱する生き方は、「無目的」の生き方である。
先の目的を定めて今日を生きる事では無い。
何も考えずに流れに従いなさいという事である。
苦悩は目的を持つことから始まるからである。
私が、若い人には目的を定めて生きて行きなさいと言っていた言葉の相対する言葉である。
しかし「無目的」という「目的」を持って生きている事に変わりが無い。
禅僧は目的を持って修行をするのではなく、「無目的」で修業を続けることを道元は言いたかったのである。
即ち、魚のように水のきはし(目標と定める位置)を意識しないで泳げと言うことである。
禅僧たちが望む、「悟り」という目標自体が、形の無い物で有るから、形の無い物を目標として、
修行を励む事は意味の無い事であるとの教えである。
唐代の禅僧香厳智閑が、悟りを得られずに悩み苦しんでいた時に、
庭を竹ぼうきで掃いていた所、弾き飛ばされた石ころが竹やぶに飛んで行き、
カランコロンと聞こえた音で悟りを得た話や、
同じく唐代の霊雲禅師は、新しい師を求めて旅をしているとき、
春の季節の山里が目に入り、そこに咲く桃の花をみて「ああ、なんと美しい桃の花」なんだろうと、
自分の一言に悟りを得たという話がある。
「無意識」の中で人間の本来持つ尊い姿を、大自然の中からから呼び覚まされるのである。
所謂、何万冊の経典を読んだところで、何千時間座禅を組んだところで、
何回難行苦行を繰り返したところで、悟りなど得られないのである。
「悟り」という目的を目指すから到達点は無いのである。
「只管打坐」(しかんたざ)ただひたすら座禅せよなのである。
日本を代表する俳人正岡子規が「悟り」について記した言葉がある。
「悟りということは、いかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、
いかなる場合にも平気で生きることであった」
二十二歳で肺結核、さらに脊髄カリエスとなり、三十五歳で死ぬまで、
身動きできない病床で、優れた作品を書き続けた正岡子規は、
坂の上の雲にも登場する秋山兄弟の大親友でもあった。
「悟りということは、いかなる場合にも平気で生きていることであった」という言葉に深い感銘を受ける。
しかし、果たして日常の生活で「無目的」に生きてゆくことは可能だろうか。
「無目的」は、将来の財産や地位や名声に執着して生きるなよという教えである。
一人の人間として、精神的な高みを望みながら、人生を全うしなさいという事である。
勿論、生きる為の煩悩にまみれた生活を放棄しろという事では無い。
人は生れた時から、「死」の到達点を見すらえて生きている。
人生における四苦「生老病死」の宿命は消えないのである。
全ての出来事に、慌てず、騒がず、なすがままに生きるだけである。
貧富の差や、地位の上下や、有名無名で、一喜一憂するなということである。
水のきはしを考えずに泳ぐだけである。
先の事を考え過ぎずに、日々、日常を大切に真面目に全うしながら「生きよ」ということである。
9月 16th,2012
恩学 |
無目的 はコメントを受け付けていません
藍染の大判の布切れが押し入れから出て来た。
何処かの町の古物商で買った記憶がある。
購入した当初は、藍染の布切れの上に古い陶器などを並べて楽しもうと思っていたのだが、
実際に部屋に飾り付けをしたら、地味な部屋がもっと地味に成ってしまった。
良くある衝動買いの失敗の例である。
お店で発見した時には、この商品は私を待っていた違いない、
私の為に売られずに残っていたのだと、勝手に解釈して買ってしまった。
そして喜び勇んで家に帰り飾り付けをする。愕然とする。見当違いである。
骨董商では回りがすべて古物に囲まれていたので、
その藍染の布切れが光り輝いて見えていたのだが、
場所が変わるとまるで様相を変えていた。
我が家には何処にも飾り付けする場所が無かった。
そのまま数年間押し入れに仕舞い込んだままにしておいた布切れで有る。
某日、冬服の衣替えの為に衣装ケースを開けたところ、偶然目にとまったので取り出す事にした。
そしてその布切れを広げてソファーに掛けたところ、凄く気持ちが落ち着いたのに驚いた。
まるで遠い昔の恋人と巡り合ったような、懐かしい気分が蘇ってきたのである。
ソファーに座り、友人から頂いた清水焼の高級茶碗を箱から取り出して、
家にある一番高いお茶を入れて飲んだ。
何故か頭の中に井上陽水の「白い一日」が流れて来た。
「真っ白な陶磁器を、眺めては飽きもせず、かといってふれもせず、
そんな風に君の回りで、僕の一日がすぎてゆく」。
青春が風のようにふっと目の前を通り過ぎた。
セピア色のアルバムの匂いがした。
年を取ると時間の観念が変わる。
世の中の動きがゆっくりとして、自然に慌ただしさを避けるようになる。
日常の中でこれといって急激な変化は何にも無くなり、
心が揺れ動く事も無く、好奇心の対象も消えて、同じ時間に、同じ場所で、同じことをする。
そして暮れなずむ人生を眺めながら、反発や葛藤することもなく時の流れに身を任す。
たった一枚の布切れで私の部屋の模様替えが整った。
一つの小さな変化が、心に大きな変化をもたらしてくれたのである。
年を取ると大切な事は、変化を待つのでは無く変化を作る事です。
変化を作る事で思い出した言葉がありました。
作歌の宇野千代さんのお母さんの話だったかと思うのですが、
晩年は何時(いつ)お迎えが来ても良いように、大切にしていた着物や持ち物をすべて処分して、
本当に少ない身の回りの中で過ごされたと聞いています。
亡くなった時に、他人さまが部屋に入った時、くだらない物があふれていれば、
その人の人格や人生が安っぽく思われてしまうからだと言うことです。
そして宇野千代さんにも、とても素敵な言葉があります。
「お洒落をする、或いは気持ちよく身じまいをすることは、生きて行く上での生き甲斐でもある。
ちょっと大げさに言うと、人としての義務である。
お洒落は自分のためにだけするのではなく、
半分以上は、自分に接する人たちの眼に、気持ちよく映るように、と思ってするのだから。」
私もお洒落をする時は自分の為と接する人のことを考えて時節に合った洋服を選びます。
億劫になるとお洒落に無関心に成ります。
着の身着のままで過ごす人も多くなります。
気付かない内に自分の人生の埃を、他人さまに見せることになってしまいます。
周りの人の事を考えると最低限の身だしなみは必要です。
最後までとてもお洒落だった宇野千代さんならではの名言だと思っています。
部屋の模様替えと同時に心の模様替えもできました。
5月 6th,2012
恩学 |
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何故人は簡単に怒るのでしょうか。
一瞬の怒りで人間性が奪われてしまうのです。
怒りの後に満足感はあるのでしょうか。
常に怒る人は怒りの原因を考えた事があるのでしょうか。
怒りという文字の奴(やつ)は女の奴隷を現します。
そしてその奴の下に心が有るのが怒りです。
女の奴隷が緊張を強いられる仕事に従事している不愉快さの事を言うのです。
その怒りは、一体どこから生れて来るのでしょうか。
怒りの元は自我(エゴ)である。私は絶対に正しい。私の考えは間違いない。
私は良識的な人間だと思っているから、他人の言葉にすぐ反応してしまうのです。
注意されると、見下された、意見を言われた、馬鹿にされたという反発心が怒りで現れるのです。
身内にも上司にも同僚にも友人にも、ましてや第三者が自分の事を指摘することは、
どこにも無いと思っているからである。
驕りや慢心とは違う只の無智な解釈なのです。
それが自我(エゴ)である。
それでは怒らない方法はあるのだろうか。
それは自我を取り除けば簡単に済む事である。
相手の意見は正しい、自分が間違っていたのだから直さなければならない。
相手の注意は好意で言ってくれたのだから、感謝しなければならない。
自分の言動に誤りがあったのを指摘してくれたのだから、
これからは気を付けて同じ過ちを繰り返さないようにしよう。
そのように考えれば、怒りは何処からも起こらないのである。
お釈迦さまは「自分の心を、ひびがひとつ入った鐘にしてみなさい」と言っています。
ひびが入っていたら、叩いても鐘の音はしません。
どんな攻撃を受けても、こちらからは怒りの音を出さない事です。
電車の中や街中で怒っている人を良く見かけます。
少しぶっかった人に「邪魔だ」と怒り、動作がゆっくりとした人「どけ」と押しのける。
目を合わせただけの人にも「文句があるのか」と汚い言葉を投げつける。
飲食店でも会社の上司とおぼしき人が酒を飲みながら、若い社員に「無能野郎」と罵声を浴びせ掛ける。
着飾ったOLがウエイトレスに「客を何だとおもっているの」と詰め寄っている。
若者がマナーを指摘されて、「お前に言われる筋合いは無い」と逆切れで店員に殴り掛る。
あちらこちらで怒りの鐘が鳴り響いているのです。
一方的に自分は間違っていない、正しいのだと思い違いをしている事から始まっているのです。
そしてそのような人間は、人前で恥をかかされたと被害妄想をするから怒りのスイッチが入るのです。
怒りは自分も他人も不幸にする。怒り続けて幸福には絶対にならないのです。
「ごめんなさい」「ありがとう」が言える人に怒りは起こらないのです。
このような例もあります。薔薇の花の垣根を見て、ああなんて美しいのだろうと思う。
そして薔薇を摘み取ろうとして刺で怪我をする。
こんな危ない物を垣根にしている持ち主に、文句を言ってやると怒りが生じて来る。
さっきまで綺麗な花という幸福感があったのが、
途端に、私を刺して許せないと言う怒りに変わってしまったのです。
人間は本当に単純な生き物だと思いませんか。
そしてその怒りが周りに不幸を撒き散らしている事になるのです。
愛おしく薔薇の垣根を作って来た人も、それを見て喜んでくれた通行人も、
写真を撮りに来た人も、皆が不愉快な気分になるのです。
怒る人に幸福を破壊する権利等どこにも無いのです。
突き進めて行けば、世の中の、不利益を作る人も、悪い人も、駄目な人も、
危険な人も、許せないから、居なくなれば良いという考えが、戦争なのです。
自分勝手な怒りを戦争にまで発展させるわけにはいかないです。
怒りは破壊だと言う事を覚えておいて欲しいのです。
そして愛が創造です。
愛があれば人間の痛んだ心も修復する事が出来るのです。
決して、俺は弱く無い人間だ、だから怒っているのだ、という間違った考えは持たないで下さい。
「弱い犬ほどよく吠える」例を知れば、恥ずかしくて簡単に怒れなくなると思います。
5月 5th,2012
恩学 |
怒りが幸福を壊す はコメントを受け付けていません
禅語に「莫妄想」という言葉がある。
無学祖元禅師が北条時宗に送った言葉として、
以前、別の文章で紹介をした事が有ります。
何もかもにおいて不要な妄想はするなという事である。
簡単なようでとても難しい。人間起きて動けば当然考えてしまう。
寝ても夢の中で想像を張り巡らし、あれやこれやと妄想しきりである。
その妄想から逃げる手段として「読経」がある。
一心不乱に経を唱える事によって妄想から解き放たれるのである。
しかしこれも一般人には難しい事です。
俗人は経を唱え始めると、途端に心配事が浮かびあがり、
逆に妄想が溢れ出す事になってしまう。
座禅を組んでも同じように、始めて2分~3分もしないうちに妄想が始まる。
果たして通常の生活を営んでいる人間に「無」の境地になる事は可能だろうか。
私は心配事が起こるとすぐに「般若心経」を唱えます。
心の中で唱えながら、妄想するな、妄想するな、妄想しても心配事は消えない、答えは見つからない。
ただ一心不乱に前を向いて歩き続けろと、精神が落ち着くまで唱え続けます。
妄想とは根も葉もない事を考える事である。
根拠の無い主観的な想像や信念を言う。
ちょっとした不安が勝手に膨れ上がり、恐れや失敗や絶望等のマイナスの面が強調されて、
最悪の結末を想像してしまうのが妄想なのである。
北条時宗の場合には、北夷(中国の北に住む野蛮な民族)の精鋭、
蒙古軍の度重なる来襲に怯え、不安の妄想によって苦しめられるのであった。
雷が鳴っただけで怯え苦しむ時宗に向かって、無学祖元禅師が「莫妄想」と一喝したのである。
そして時宗は、その一言により心の迷いから解放されて武将として名を残す事になった。
ナポレオン・ヒルの名著「思考は現実化する」という本がある。
世界的に有名なビジネス書である。
こちらは計画した事を仮想するのである。
妄想と仮想の違いは、根拠の無い方が妄想で、根拠のある方が仮想だという事である。
思考は、すぐには結果に繋がらないが、行動はすぐに結果として生れる。
夢(計画)を描き、その日の達成や、その月の達成を紙に書き続けることによって、
より自分の計画した事が仮想から現実的に近づく。
例えば、仮想で売り上げ目標を設定し、毎日それに向かって行動を繰り返すのである。
1の数字をいきなり100にするのは難しい話だが、
毎日1増やす事を100日間繰り返せば出来ない事は無い。
自分はただひたすら成功(100達成)の仮想を繰り返すのである。
よって誰もが驚く奇跡の成功が、そこから生まれると言う事である。
妄想はマイナスの電流を流し、仮想はプラスの電流を流すと言う風に考えれば良いのである。
あれこれ考え過ぎても身を滅ぼすかもしれない。
しかし何も考えなくては成功も有り得ない。
妄想は悩みである。仮想は活力である。
行動は土に与える栄養で有り、夢は与えられた栄養によって咲く花である。
どちらにしても根拠の無い事に気持ちを取られるよりは、
目に見える現実的な方が安心である。
心を落ち着かせて、妄想の無い人生を歩みたいものです。
5月 5th,2012
恩学 |
心が落ち着く はコメントを受け付けていません
「恩学」の読者から幾つかのお便りが届きました。
とても嬉しくて、この書面にて、皆様にお礼を述べたいと思います。
「萬謝・合掌」です。
「恩学」を始めてから、約一年半が過ぎました。
当初は100編書けば、終了かなと思っていたのですが、
多くの方の励ましにより、書ける間は書き続けようかと思い、
自己の感性の赴くままに文章にしております。
誰かに依頼された訳でもなく、誰かのサポートの為に書くのでもなく、
何かの見返りを求めている訳でもなく、本当に自分勝手な思い込みで、
稚拙な文章を徒然草なるままに書かせて頂いております。
この文章が、少しでも皆様のお役に立てる事が出来れば、とても嬉しく思う次第です。
本当に有難う御座います。
私のブログの中で何回か出て来た言葉があります。
道元禅師の「愛語よく回天の力あり」です。
良き言葉は人生を変えるほどの力を持っているという事です。
又、もうひとつ私の大好きな言葉に、西郷隆盛の「敬天愛人」という言葉があります。
天を敬い、人を愛す。この二つの言葉が私の精神的基軸です。
すべてはこの二つの教えを守りながら人生を不器用に生きております。
お便りの中に感想をコメントにしたいのですが、
文章能力が無くて書く事が出来ません。という方がおいでになりました。
文章を書く上で、とても大切な事は、一に「思う事」二に「言葉にする事」三に「文字にする事」です。
一の「思う事」とは、日常の些細な事柄を気に留めること。
留めないでいると、自分の変化にも、気を留める事が無くなってしまうという事です。
気を留めずにいると「思う事」も少なくなります。
思う事が少なくなると。他人に対しての思いやりも気付かなくなるからです。
思いやりは他人に対してばかりでは無く、自分に対しても必要な事です。
その為に「思う事」を絶対にやめないでください。
二の「言葉にする事」は、先ずは問いかけをする事です。
何故、どうして、何の為に、という問いかけをすれば必ず答えが返って来ます。
大人になると面倒だなと思って問いかけをしなくなります。
実は問いかけから、言葉が生まれて来るのを忘れてしまっているのです。
幼児が親に問い掛けるのは、言葉を覚える為にです。
日常の問いかけを多くすると、あなたの言葉も多くなって来ます。
三の「文字にする事」、これが難しいと言う人が大勢います。
文才が無いから書けないのだと言います。
実は私もお分かりのように文才はありません。
メモにした言葉を繋ぎ合わせているだけです。
文章の専門家からみれば笑われてしまうでしょう。
昔から気に掛る言葉をメモにして取っていました。
映画でもドラマでも街角の会話でも、新聞でも小説でも、ニュースの解説でも、
取合えず気になる言葉をメモしてきたのです。
今でも毎日メモを取り続けています。
そのメモを数年経ってから読み返すと、その当時の心理状態がハッキリと分かります。
何故その言葉に魅かれたのか、何故その言葉をメモしたのか、
まるでアルバムを見るように、一言ずつ蘇って来るのです。本当に楽しいですよ。
「恩学」はそのようにして出来上がっている文章です。
沢山の出会いと、沢山の感動と、沢山の書物から、
生れて来た言葉が、繋ぎ合わさっているだけです。
機会があれば、「恩学」の読者の皆様とも交流会を開きたいと願っております。
直接お会いして、お話をさせて頂ければ、
また新たな「恩学」の文章が生まれると確信しております。
「一期一会」の御縁が生まれる事を願っております。
皆様の、今後益々のご健康とご健勝を御祈念いたします。
これからも、お便りをお待ちしております。
併せて応援よろしくお願い申し上げます。
恩学プロデューサー 稲葉 瀧文
5月 5th,2012
恩学 |
お便り はコメントを受け付けていません
「からことば」は普段何気なく使っている言葉です。
「お元気ですか」「大丈夫」「相談に乗るよ」「今度食事でもしましょう」
感情を込めずに口先だけの軽い言葉です。
送る方も空言葉に感情入れず、受ける方も空返事で感情を込めずに使っています。
日常の中の大切な場面でも、沢山の空言葉があります。
それは、同情の言葉、お悔やみの言葉、別れの言葉に感じられます。
言葉上では体面をつくろっているのですが、心の表現が成されていません。
残念なことです。最近、この空言葉をよく耳にします。
世の中が殺伐としているからでしょうか。
それとも不景気で明るい話題がないせいでしょうか。
国の将来に夢を持てないせいでしょうか。
政治家が何も問題を解決しないからでしょうか。
言葉に気持ちを込める場面を失ってしまったようです。
街では溌剌(はつらつ)とした若者の声を聞く事が少なくなりました。
勿論、奇声を発している若者(馬鹿者)達は大勢いるのですが。
「よし分かった」「頑張ろう」「絶対勝ち抜こうぜ」「元気に行くぜ」等の、
ポジティブでエネルギッシュな声を聞く事が、本当に少なくなりました。
若者達に声を掛けても、生返事の頼りない言葉しか返って来なくなっています。
その責任は彼らでは無く、そのような環境を作ってしまった、
我々大人なのだと反省をしなければなりません。
経済成長のみを考えて来た、団塊の世代の大人達(両親世代)が、
若者達の意見を無視して過ごして来たからだと思います。
何を言ってもどうせ反対されるなら、何も言わない方が良いと思いこませてしまったのです。
堅い鉄も一方的に叩けば曲がってしまいます。
ましてや柔らかい若者を叩けばつぶれてしまうのです。
大人達の都合だけで若者達を追い込んでしまったのです。
本当に申し訳なく思っています。
筑紫哲也さんのラストメッセージ「若き友人たちへ」の中に、この様な内容の文章がありました。
「若者たちが良く使う、婉曲話法の「ていねい語」です。「~してもらってよいですか」
「~でよろしかったでしょうか」等の言葉です。
それは若者たちの心優しさを表しているひとつの例だと言ったら、
当の若者たち、そして大人たちはどう反応するでしょうか。
“大人主導”の若者論がこれに賛同しないことは目に見えています。
言葉遣いでさえ他者を傷つけることを恐れて、丁寧な話し方をする若者がふえている一方で、
見も知らぬ他者を殺傷する若者がいる。
厄介なのは、もしかしたら彼らも日常では
「~していただいてよろしいでしょうか」としゃべっていたかもしれないことです。
やさしい若者たちが他者を傷つけることを恐れ、
自分がそういう役になることで傷つくことを恐れていると思うのです。
そこから反転して無差別殺人者がでるのは別の説明が必要ですが・・・・」(集英社新書)
若者達の「ていねい語」は、
あきらかにこころのガードをするための言葉として使っているのが分かります。
大人達の「空言葉」も、おなじようにこころのガードをしながら、
その場を丸く収めたいという気落ちで使っているのでしょう。
若者も大人もこころが傷つく事を一番恐れているのです。
本音を言わないで我慢していると、こころの置き場所が無くなってしまいます。
人間関係は一定の距離を保つのは礼儀ですが、あまりに距離がひらき過ぎると、
逆に失礼になることも覚えていて欲しいと思います。
先日、突然、私の友人から小荷物が届きました。
中には、ギッシリとコーヒー豆、ミネラルウォーター、
温めるご飯、韓国海苔、化粧水まで入っていたのです。
前日に電話の雑談の中で、
少しだけ経済的に辛い状況と最近肌荒れがすると会話をしたのです。
一言「大変ですね」と言葉を掛けてくれました。
そして、その次の日に、これ等の品物を送ってくれたのです。
何故か、笑えるやら、恥ずかしいやら、有り難いやら、泣けるやらでした。
少ない言葉と、その言葉を裏付ける行為が伴っていたから、
涙がでるほど嬉しかったのです。
親切はやり過ぎたら嫌味になるし、高価な物だと相手に負担を強いる事になります。
やさしい言葉と送り主の人柄がにじみでた贈り物に、こころのシャツターが押されました。
忘れない思い出となるでしょう。
とても大切な事です。「空言葉」に気付いている人は、
試しに両親や友達や身近な人に、さりげない贈り物をしてみて下さい。
どれほど大きな効果があるか分かると思います。
勿論、「空言葉」ではなく、真剣にお話を聞いた後に送る事が大切です。
3月 3rd,2012
恩学 |
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東急田園都市線に鷺沼という駅がある。
人口1万500人程度の小さな新興住宅地である。
鷺沼の駅を出て右に曲がるとなだらかな坂道が続く。
両側一杯に広がった見事なまでの桜並木で有る。
今は季節が違うので開花はしていないが、
きっと春には満開の桜を楽しむ事が出来るのだろうと予測ができる。
坂は西側に面しており近隣の桜よりも開花が遅く、
その為に「春待坂」と命名したと書かれていた。
「春待坂」、何故か辛い人生を物語るような響きが好きである。
徳川家康の言葉に「人生は重荷を背負うて長い坂を上がるようなもの」というのがある。
そんな過酷な人生の坂にも「春待坂」のような一年一度の楽しみがあれば、
笑いながら乗り越えることが出来たのでしょうね。
万葉集の中にも「桜花時は過ぎねど見る人の恋の盛りと今し散るらむ」(作者不詳)がある。
桜は一番美しい満開の時から散り始める。
衰えるのを待つよりも、花見の客が美しさに満たされた時にこそ、
散る時期と知っているかのようである。
この散り際の潔さに日本人の心が揺れ動くのです。
耽美主義の作家、三島由紀夫の「滅亡するからこそ美は成り立つ」に言い表されています。
鷺沼を含む、東急田園都市線と多摩地区を舞台にした、日本で最初のトレンディードラマがあります。
1983年TBSテレビで放映された「金曜日の妻たちへ」です。
オシャレな郊外の住宅地に住んでいる人々の、
核家族間の交流とそこに起きる不倫を題材にした内容だったと思います。
いしだあゆみ、小川知子、篠ひろ子、森山良子等が出演していました。
当時は大変話題になった作品です。
日本全国一億総中流家庭を目指していた時代です。
都心には住めないサラリーマンが、大挙して郊外の住宅地に移り住んだ時代です。
高層マンションよりも一軒家に住む事に憧れを感じた、
団塊の世代の象徴だったような気がします。
同時に隣近所で見栄を張っていた時代です。みんなが不倫をしていた訳ではないのですが、
どこかに、そんな浮かれた気持ちがあったのでしょうか。
競争社会で疲れたサラリーマンの叶うことの無い儚い夢だったのかもしれません。
私の友人がプロデュースした二子玉川の街は、トレンディースポットとして大変人気を博しました。
多くの芸能人やスポーツ選手が集まる最新の場所だったのです。
あの頃はすべてが春を待つのではなく無理やりに春を作っていたような気がします。
国の経済政策に乗せられて壊れやすい豊かさを味わっていた時代です。
その後、一気に坂道を下るようにしてバブル崩壊の時代へと転げ落ちて行きました。
今日も鷺沼の「春待坂」をサラリーマンが、学生が、小さな子供の手を引いた主婦が、
杖を付いた老人が、息せききりながら急な上り坂を歩いています。
来る年の桜吹雪が舞う春を待ちながら!
12月 1st,2011
恩学 |
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