過度な親切と優しさ
相手を思いやる心は大切です。
それは相手が本当に困っている時にだけ有効です。
自分勝手な親切心から過度に思いやる事は、
相手の自立心の妨げにもなります。
相手が本当に求めている事は何かを見極めなければなりません。
目の前の現象だけで対応すると誤解を生む時があります。
ときには相手に構わない心も大切です。
それは冷酷では無く温情を持って距離をおくことです。
劣悪な環境でも美しい花が咲きます。
厳しい状況でも花がその環境と戦うからです。
耐える事から強い精神力が育ち豊かな人間性を創り上げるのです。
手助けだけではなく強く生きる方法を共に学ぶことが大切です。
手を差し伸べられることに甘えてしまう人も多くいます。
親切が当たり前だと勘違いする人も多くいます。
しかし親切を受ける側にも理性が働けばけじめもうまれます。
日本人の思いやりの距離はお辞儀をしてぶつからない距離です。
その距離感がお互いのけじめなのです。
これ以上踏み込んではいけない距離、
これ以上踏み込まれたくない距離があります。
離れ過ぎても近すぎてもいけない微妙な距離です。
それを無視する行為は過度な親切と優しさになってしまうのです。
しかし親切に臆病に成る必要はありません。
人にはそれぞれ親切の貯金箱があります。
今生きている世の中で一杯親切を溜めこむと、
今度生れて来る時にはその親切の返済が待っているのです。
親切は言葉や行動だけではなく、
すこし目を合わせるだけでも伝わるのです。
優しさもさりげなくテンポよくフォローするだけで、
お互いの心の中が温かくなるのです。
どちらも小さなことの積み重ねが重要です。
そして決して親切に対価を求めてはなりません。
自分の気持ちが良いから親切にする。相手が素直に反応しないから怒る。
こんなにしてあげたのに感謝が無い。してあげたのに・してあげたのに・・・
何故人間はこんなにも身勝手なのでしょうか。
それは心のどこかで善意の対価を求めているからです。
純粋な気持ちで親切や優しさをするのは難しいものです。
「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです。」マザーテレサ
自分の出来る範囲の中で行うのが一番です
力無いものが溺れている人を助けることはしてはならないのです。
時には助けを必要としている人がいても、
見て見ぬふりをすることも必要です。
それは卑怯ではありません。
出来ないことを偽善ですることの方が卑怯に成る事もあるのです。
自分に正直で恥じないように親切と優しさが行えれば良いのです。