晴れた日には両手広げて陽射しをあびる
雨の日には何もしないで本を読む
嵐が来れば風除けに隠れ、雷雨になればひと眠り
曇った日には酒を飲み、昔日片手に歩き出す
道端の草木小虫に声をかけ、吹く風のように通りすぎ
晴天満天の屋根に囲まれて、山頭火気分でなすがまま
金あれば豪快に使い、金無くなれば質素に暮らす
借金取り来れば逃げ出して、表札隠して苦笑い
昔の友にはやさしくて、変わりは無いと嘘をつく
祭りの後は騒がない、疲れた男は哀れでいい
名誉も金も消え失せて、裸になって人になる
都会暮らしの片隅で、今宵も独杯月揺れる
世間の噂に惑わされず、力を入れずに酔っぱらう
海辺の側で見る夢は、漣と笑って踊るだけ
周りの幸福妬むより、自分の不幸と遊ぶだけ
予期せぬ事が人生には起こります。幸福と不幸の札が入れ替わります。
そして不幸のどん底で悩みの渦に巻き込まれます。判断を誤れば最悪の事態が待っています。
解決方法は一つしかありません。慌てず騒がずもがかない事です。
失敗を恥ずかしいと思うから無理な所に力が入るのです。
みじめな姿を見られたくないから暗闇に逃げ込むのです。
失ったものを追い求めるから涙が浮かぶのです。
そのような状況から良き答えは見つかりません。人間本来は「無一物」と思う事です。
裸で生れて来た人間が又裸になったと思えば気が楽に成ります。
気楽に体力を温存して下さい。人生の休みを少し多めに頂いたと思えば良いのです。
今日も人として生かされている事に感謝する事です。
1月 23rd,2013
恩学 |
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仏教の世界では生きる目的はと聞かれれば死ぬ事ですと答えるのが正解です。
生まれた時には既に「生老病死」の四苦を持っているからです。
現世(いまの世)が不幸な人は前世(まえの世)の行いが悪かった為に不幸に成ったのだと言われます。
その為には現世で徳を積まなければ来世(来る世)も不幸に成る宿命を授かると教義に書かれています。
輪廻転生の世界です。
徳とは自分本位では無く他人本位で生きる事です。
俗に言う利他心の気持ちを持って他人と接するということです。
富や名誉や色欲に溺れず奉仕の気持ちを持って生きる事です。
又人は同時に生きる使命を全うしなさいとも言われます。
生きる使命はミッションです。
魚屋は魚屋、大工は大工、八百屋は八百屋と家業の仕事に従事しなさいという事です。
勿論、職業に対する日々の勉強と責任と誇りを持って努めなさいという例えの話です。
仕事で社会に貢献することを使命にしなさいという事です。
現代は職業選択の自由があります。その中で天職と思える仕事に巡り合う事も大切です。
日本には仏様以外に八百万の神がいます。
山にも森にも小川にも小石にも海にも空にも至る所に神様が住んでいるのです。
その神様たちが見守るから貧富職業貴賤なく全ての人と仲良く暮らすのだと言われて来ました。
我々日本人のミッションは互助精神を基本とする助け合いの心で暮らす事です。
アメリカの作家リチャード・ライダー曰く「人生の目的とは生まれて来た目的を果たす事にある。」
又別の作家ジャックキャンフィールドは「私達は皆、それぞれ独自の人生の目的を持って生れて来ている。
私達は皆、理由があってここに存在している。それぞれは周りに貢献する為ここに居る。
貴方が人生の目的に沿って生きている時、あなたの行動全てに最高の喜びと達成感を感じる事が出来るだろう。」
運命宿命論である。
又、人生の目的とはその人の現世においての個人課題です。
何度も生まれ変わり魂の成長が遂げるそれが人生の目的と課題となります。
ミッションとは他の魂を宇宙の進歩に対して果たす役割の事を指します。
こちらは人生の目的が個人的課題であるに比べて、周りに対する貢献にあたります。
ある人は周りに愛を降り注ぐミッションを持って生れてくるそうです。
周りの人が自分自身を発見する手助けをするミッションを持っています。
個別の課題である目的と周りの貢献であるミッションを持って生れてくるそうです。
意識しようとしなくても魂のレベルで設定されているのです。
ヴェトナム人のディク・ナット・ハンという禅僧が仏の教えを全世界に広めています。
「世界の苦しみと関わりをもち、苦しみに動かされるとき、私達は苦しんでいる人たちを救うために、
前に向かいます。すると、みずからの苦しみが、なんということなしに、消えてしまうのです。
数百万の人達が飢えている状況において、富を蓄えてはならない。
名声、利益、富、官能の楽しみを、人生の目的としてはならない。
簡素に生きて、時間、エネルギー、物質的資源を、困っている人たちに分ちなさい。と言っています。
仏教的慈悲の心に包まれてミッションを果たしています。
人に尽くす事によりみずからの苦しみが解放されるのです。
それぞれの人達が人生の目的とミッションを遂行すれば世界の平和は守られます。
1月 22nd,2013
恩学 |
人生の目的とミッション はコメントを受け付けていません
あたり前の事実を、ありのままに見て、
しかも、そのままである事実を頷き取る。
悟りに近いこの心境を道元禅師でさえ四年の歳月がかかったのである。
易しくて、難しい事実です。私達は果たしてすべてを、
あるがまま、見るがまま、聞くがままに受け取っているのでしょうか。
一休禅師(1394~1481)に面白い話があります。
ある日、一休さんは一本の曲がりくねった松の鉢植を、人の見える家の前に置いた。
「この松をまっすぐ見えた人には褒美をあげます」と、小さな立て札を鉢植に懸けたのである。
いつの間にか、その鉢植の前に人がきができた。
誰もが曲った松と立札を見て、まっすぐ見えないかと思案した。
だが誰一人として、松の木をまっすぐ見ることはできなかった。
暮れがた、一人の旅人が通りかかった。その鉢植を見て、
「この松は本当によく曲りくねっている」と、さらりと一言。
それを聞いた一休さん、家から飛び出てきて、その旅人に褒美をあげたという。
その旅人だけが松の木をありのままに見たのである。
他の人は一休さんの言葉に惑わされてしまった。
褒美に目が眩み、無理に松の木をまっすぐ見ようとしたのである。
(『大法輪』昭和六十三年二月号、藤原東演「臨済禅僧の名話」参照)
さあ、どうでしょうか。私達は「眼横鼻直」のように、あるがままに受け入れているのでしょうか。
他人の意見、自分の主義主張にとらわれて、本当の姿を見失っているのではないでしょうか。
眼は横に、鼻は直に、じっくり味わいたい句です。
子供の時にはあるがままの姿を見る事が出来たのに、
何故大人になるとあるがままの姿を見る事が出来なくなってしまうのでしょうか。
それは大人になると「邪」(よこしま」な心が生まれるからです。
その邪な心が見る物を自分の都合のよい物や形にしてしまうからです。
邪な心とは打算的です。見栄です。駆け引きです。傲慢です。
本来持っている素直な気持ちを押し殺して、その場の状況に応じて変化させるのです。
変化は浅薄な知識と強欲な心によって強調されます。
咄嗟の質問に対して見栄を張り、裏読みしすぎて答えに窮するのです。
もっと素直にあるがままの姿を、見たままに応えれば良いのですが曲解してしまいます。
それを成熟した大人と言って良いのでしょうか疑問です。
日本人は小さな村社会で全ての問題を合議制で決定して来たからでしょうか。
自分の意見よりも他人の意見を尊重する傾向にあります。
年配者や目上の者には暗黙のうちに了解する慣習があります。
丸く収める為には他人と違った意見は言わない事なのです。
村の長から「黒い」物を「白い」と言われても「黒い」と言ってはならないのです。
「眼横鼻直」はアンデルセンの童話「裸の王様」と同じです。
目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。
王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当の事は言えず、見えもしない布地を褒めるしかない。
家来は家来で、自分には見えないもののそうとは言い出せず、同じように衣装を褒める。
王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。
見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、
その中の小さな子供の一人が、「王様は裸だよ!」と叫んだ。
正しく一休禅師の「松の鉢植え」と同じですね。
知識や経験が人間を成長させるとしても、その間に得た情報から打算が生れて来るからです。
善悪よりも損得が働くから、目で見て耳で聞いた事よりも、頭の中の計算が働いてしまうのです。
少しでも利益になるのなら曲解もありの話なのです。
「善」とは何か、「正義」とは何か。ハーバード大学マイケルサンデル教授では無いのですが、
資本主義の数の論理から、又自由主義の多数決から全てを判断しては成らないと思います。
政治的・経済的圧力を行使する人達から、真実の言葉を摘み取られない様にしなければなりません。
弱くて正直な大人達を邪魔者扱いにするような世の中はあっては成らないのです。
1月 22nd,2013
恩学 |
眼横鼻直 はコメントを受け付けていません
仕事柄、美しい言葉にはとても敏感に反応をしてしまいます。
美しい言葉を聞くとほっとします。
しかし近頃本当に聞く機会が少なくなりました。
何故でしょうか。心に価値観を持っていた時代から、
物に価値観を置いた時代、そしてお金に執着する時代となり、
親愛や尊敬や情愛の念が薄れてしまったからなのでしょうか。
逆に海外からのお客様のほうが、
美しい日本語を使われる方が多いかもしれません。
私の知り合いの韓国の女性は、祖母さまから教わった
心のこもった日本語を流暢に話します。
何故か外国の方から正しい挨拶をされると、
とてもほっとします。そして心に響きます。
その言葉同様に、ちょっとした所作にも、正しい礼儀作法が現れるのです。
大変良い躾を学ばれたと感心してしまいます。美しい言葉は動作と一対なものです。
美しい言葉と言われるのは、正しい日本語を使うのと、
正直な気持を伝えるとの二通りがあると思います。
正しい日本語は、一流の作家や詩人の作品を読めば、学べるかと思います。
専門家が書く正しい日本語を、理解し記憶する事が大切です。
私の好きな美しい文章は、特に自然をモチーフにしている場合が多いように思われます。
万葉集では「万葉集表現方法」というのがあります。
寄物陳思(きぶつちんし)恋の感情を自然のものに例えて表現
正述心緒(せいじゅつしんしょ)感情を直接的に表現
詠物歌(えいぶつか)季節の風物を詠む
譬喩歌(ひゆか)自分の思いを物に託して表現
人の考え方や感情を直接的に表現するよりも、
自然界の花鳥風月で比喩されると、
文章に温かみや膨らみが感じられてとても癒やされます。
そのような素晴らしい文章を覚える事によって、
いつしか知らぬ間に自分の言葉と重なっていくのです。
又、正直な気持は、自分の大切な思いや自分の価値観を、
普段から守り通さなければなりません。
常識や立場で何かを言うのではなく、心に気付いた気持を正直に表現するのです。
いたずらに言葉を飾り立てる必要もありません。
ありのままが、相手の琴線を震わすのです。
相手に気を使い、嘘を付く必要も無いのです。
美しい言葉は心に残ります。そして汚れた言葉は記憶に残ります。
美しい言葉を聴き、それを伝える事がとても大切です。
正に道元禅師の「愛語よく回天の力あり」です。
美しい言葉一つで、その人の人生が、大きく変わるということです。
反対に汚れた言葉は、いつまでも痛みを残して記憶の中に刺さったままです。
何気ない幼少期の虐めの言葉が、いつまでも取除けない事が有ります。
それを取り除く手段としては、記憶の汚れをふき取る事しかないのです。
その為には、美しい言葉になる、
美しい文章を、読み続ける事が大切かと思います。
詩人の茨城のり子さんの「わたしの叔父さん」という詩です。
「一輪の大きな花を咲かせるためには
ほかの小さな蕾は切ってしまわねばならん
摘蕾(てきらい)というんだよ
恋や愛でもおんなじだ
小さな惚れたはれたは摘んでしまわなくちゃならん
そして気長に時間をかけて 一つの蕾だけを育ててゆく
でないと大きな花は咲かせられないよ
これこそ僕の花って言えるものは」
叔父さんからこの様な言葉を語られれば、
人生の極意を授かったような気にもなります。
そして心に感動を残す事にもなります。
又、徒然草二十六段に「風も吹きあへずうつろふ人の」という文章があります。
「風も吹きあへずうつろふ人の心の花に、なれにし年月を思へば、
あはれと聞きし言の葉ごとに忘れるぬものから、我が世の外になりゆくならひこそ、
亡き人の別れよりもまさりて悲しきものなれ」
「語訳」いとしい人の言葉はどれも忘れられない。
が、そのような相手も、やがて自分とは
別の世界の人になってゆくのが世のならわしである。
それは人の死別にもまさって悲しいものである。
人生晩年になるとこの様な言葉は身に滲みて分かるようになります。
その人の思い出よりも、その人の残した言葉が蘇るのは切ないですね。
世阿弥の「風姿花伝」にも有名な言葉があります。
「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
この分け目を知る事、肝要の花なり。そもそも、一切の事、諸道芸において、
その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。」
能の世界に生きる人達が基本中の基本として教えられる言葉です。
自分の能力や才能は隠れたところ(内面)にあるから花になる。みせびらかしたり、
誇張したりすれば、そこに花などはない。意識せずに舞う事が大切である。
家伝とされる技も、表面に出さないから、秘儀として大役を得ることが出来るのである。
秘する事(謙虚さ・自然体)が成長の礎となる。
謙虚に控えめにそして思いやりは日本人の心の基本です。
仏教詩人坂村真民の詩にも、この様な素晴らしい言葉が有ります。
「念ずれば花ひらく」
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたくしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
母親が多事多難の人生の中で、念仏のように唱えていた言葉。
私の病弱な母親は4人の子供を育てる為に、
夜中まで針仕事をしながら、何を唱えていたのでしょうか。
思い出すと悲しくて涙が止まりません。
愚痴の代わりにこの言葉を、自分に対しての激励として、
子供達を育てる悲願の念誦としてくちずさんでいた。
致知出版「現代の覚者たち」より
言葉はラフに使う場合と、緊張して使う場合があります。
ラフな言葉は雑多な用語を用いて思いを伝えるだけです。
緊張した時に使う言葉は、無駄が削ぎ落とされて、美しさが増してきます。
寡黙な日本人が言葉少なに想いを表現をした事柄が万葉集に描かれています。
美しい言葉を受け止めるには、美しい言葉を聞く耳と、
美しい言葉を語る口と、美しい気持ちが必要になります。
それを作りだすには心の奥に少しだけ隙間を作ることです。
相手の言葉を受け入れる隙間を用意しておくことです。
自分が苦しい状況におかれている時にこそ、
掛けられた言葉に「思いやり」を感じるのです。
また相手が大変なときに掛けた言葉で、
「勇気」をあたえることにもなるのです。
余裕があるから掛ける言葉は施しと同じです。
逆に余裕の無い時に掛けられた言葉は慈愛を感じます。
マザーテレサは言います。
「思いやりのある行為へのもっとも確かな近道は言葉を使うことです。
ただし、他人への良いことのために使いましょう。」
貴方もお返しに美しい言葉をたくさん使ってみて下さい。
美しい言葉は使わないと忘れてしまいます。
又、他人の美しい言葉にも気付かなくなってしまいます。
それは、美しい言葉は一瞬で通り過ぎてしまうからです。
さて、貴方は最近美しい言葉を使ったことがありますか。
さて、貴方は最近美しい言葉を聞いたことがありますか。
1月 21st,2013
恩学 |
心に響く言葉 はコメントを受け付けていません
「がんばらなくてもいいんだよ」
たった一言により「うつ病」から抜け出した話を聞きました。
うつ病患者に「がんばれ」という言葉は絶対に使わないで欲しいそうです。
何故なら苦しいのは、本人がいちばん病気を知っているからです。
「うつ病」は「なまけ者」と誤解される事が多いそうです。
身体が重い、やる気が出ない、仕事に出かける事が出来ない、
そんな症状をみると、最初は家族も友人もなまけていると思うそうです。
本人も「がんばろう」として努力するのですが、身体がいう事をきかず
追い詰められて行ってしまうのです。
そして、周りの人から毎日「がんばれ・がんばれ」と言われ続けてしまうのです。
「がんばれ」という言葉はとても簡単に使う事が出来る言葉です。
我々は、日常の生活で「がんばれ」を、何気なくエールを送るつもりで使ってしまっています。
私も一昨年の3月11日以降、どれほど不用意に被災者の方々に
「がんばれ」を、言い続けて来たことか、深く反省をしております。
「がんばれ」は、心をこめなければ逆効果になってしまいます。
心無き人から何度「がんばれ」と言われても迷惑なだけだと思います。
これからは相手のことを考えた上で慎重に「がんばれ」を発したいと思います。
そして「がんばれ」と同じような言葉に「ごめんなさい」があります。
「ごめんなさい」も何気なくふと挨拶代りに使っています。
本来の意味は、敬う相手に対して
許しを求める気持ちと、相手の寛容と自分の無礼を詫びることです。
哀願と謝罪の気持ちが込められて、始めて「ごめんなさい」の言葉が成立するのです。
お詫びをする時に使う言葉は「もうしわけない」です。
申し開きが出来ないほど、お詫びしますという、謙遜語です。
しかし不用意に「ごめんなさい」を、英語の「ソーリー」代わりに連発すると
大きな失敗を招く事があります。
全てに対して非を認めて謝ったとされてしまうからです。
決して丁寧で礼儀正しい人とは思われないから注意しましょう。
政治家は問題が起きると必ず最初に自己弁護の強気な発言をします。
「そんなつもりで言っている訳ではない」。
しかし、マスコミや世論が騒ぐと、すぐに撤回して「もうしわけない」を連発します。
深く反省すると言いながら、その心には本来の「ごめんなさい」が感じられません。
人間も言葉もとても軽い人達です。
普段、我々が使っている言葉は、意志の伝達を第一の目的とします。
それ以上の言葉の意味を考える事は無いと思います。
しかし「苦しい」という言葉は、その苦しみまでが相手に伝わるのでしょうか。
「痛い」という言葉は、その痛みまでが相手に伝わるのでしょうか。
そして「好き」だという言葉は、その切なさまでが相手に伝わるのでしょうか。
言葉での理解と感情の重みが伝わって、初めて会話が成立したと言えるのです。
貴方は信頼している友人に人生の悩みを打ち明けたとします。
友人は親身になり心から同情をして心配をしてくれました。
しかし本当に貴方の悩みは友人に理解されているのでしょうか。
貴方の悩みと同じ体験を持たない友人ならば、貴方の言葉だけの苦しみに同情をして
相槌を打つだけです。
決して悩みの本質には触れる事がありません。
残念ですが感情の重みまでは、伝える事ができないのです。
ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉に、
「この世に悩みなんて無い、悩みを持つ人間が居るだけだ」
と云うのがあります。
まさにその通りかと思います。
だからこそ信頼のおける人間には、悩みを共有して欲しいと云う願望が生まれるのです。
会話を通じて人に悩みを伝えるだけで悩みが半減するからです。
大きく痛みを伴う病気の場合も同じです。
「苦しい・痛い」という言葉の意味は理解出来るのですが、
相手の本当の苦しみ・痛みまでは感じる事は出来ません。
それこそ自分も同じ状況にならない限り、
本当の苦しみ・痛みまでは理解する事は出来ないのです。
感情の重みを知る事は相手の感覚を想像する事です。
相手の感情を知る気持ちが理解を深める上でとても重要です。
いたずらに同情的な言葉を多用すると最終的には後悔をします。
口先だけの同情と無責任な優しさは、逆に信頼関係を失くしてしまうからです。
一方的に投げ掛けた言葉で相手に全ての意志が伝わったと思わないでください。
相手の言葉の意味と感情の重みを理解しなければ軽い人間になってしまうのです。
言葉の重みを知らない人間は、深い人間関係を築く事が難しいのです。
その結果、自分の気持ちは誰にも理解してもらえないのだと被害妄想になります。
同僚や友人達との付き合いにも臆病に成り、いかなる話題の核心にも触れず、
当たり障りの無い話だけに反応するだけになります。
全ての言葉に反応する必要はありません。
相手の言葉の中に感情の重さを感じた時にだけ、自分の言葉を選び慎重に話をするのです。
自分の言葉に責任を持ち、相手の言葉の重みを受け止める事が大人としての良識です。
軽い人間にならない為にも言葉の重みを感じましょう。
1月 20th,2013
恩学 |
言葉の重みと人間の軽さ はコメントを受け付けていません
JDサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」にこのような一文がある。
「未成熟なるもののしるしとは、大義にために高貴な死を求めることだ。
その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ。」
大義とは国の為に主君の為に生きる道である。
その大義が社会に出た途端に無残にも打ち砕かれてしまうのである。
そして、志を失くして妥協する事が成長なのか敗北なのかは若者には分からない。
高貴な死とは何か、卑しく生きるとは何か、その真意を追求するには時間が必要なのである。
純粋に生きようとするから悩むのであって、その汚れを知らぬ感情に死の影は
美しく写るものである。
若者が成長して沸き起こる反発は社会に対しての変化の兆しでもある。
一部の大人がそれを止める必要は無い。
高貴な死とは、精神的敗北を認めずに戦う事である。
理不尽な世の中に青二才が吠えるのだ。
頭を押さえつけられても敗北を認めず吠えるのだ。
卑しく生きるということは、精神的敗北を認め社会に順応する事である。
学生時代の青臭い精神論を遵守するより家族の為にも国家の為にも経済活動に
従事する事である。
その中で成熟したものの証として、大義を持ち続ける事が出来るかと言う事である。
サラリーマンになり、接待慣れしてお調子者になったとしても、
反逆の狼煙をあげる気概が失われないかという事である。
純粋に生きるとは弱き者の言い訳であり、正義という詭弁の代名詞である。
業欲渦巻く社会の中で、勇者の如く戦いを続けなければ人生の真理には近づけない。
熱き魂の炎を消さない為にも、時折、若き日の思索を思い出し返りみることが必要である。
すべての妥協を柔軟と捉えて、人(自分)としての志を曲げずに、
愚直に生きることも大切だと思う。
社会も大人も認めないのではなく、
互いに目をそらさずに理解しながらも対立すると言う事である。
中国の諺の中に「呉越同舟」と云うのがある。
お互いに敵同士で思想が違っていても、同じ船に乗り行き先が一緒なら辿りつくまでは
協力し合おうということである。
しかし一端船を下りれば、また相対する敵同士の関係に戻れば
良いのである。
若者が大人に媚を売る必要はない。
同時に大人が若者に調子を合わせる事も無いのである。
双方の違いを差別とするのではなく
区別してバランスを取る事が最良の解決策である。
疑問があれば疑問があったままで良いのである。
社会に対して嫌悪感を抱いても、結局はその社会に出て行くわけだし、
大人に反発しても数年すれば、自分も大人と言われる領域に入るわけである。
その年代にはその年代にあった考えがある。
理解が出来なくてもその先に必ず答えが生まれるから目を逸らしてはならない。
疑問が生じなければ成長も無いのである。
青年時代に描いた理想と現実の社会が違っても、安易に「これが世の中だ」と思わずに、
「おれはおれの生き方を貫き通す」という強靭な覚悟がなくてはならない。
その上で決して意固地にならずに、相手の意見も取り入れて柔軟に対応して
行かなければならないのである。
現代のように社会情勢が不安定な世の中では、
いつ何時災難が降りかかるかもしれない。
年齢や地位や男女差等に一切関係なく襲いかかるのである。
決して現在が大変な状況だから一切批判するな、妥協をしろと言っているのではない。
どのような時にでも自己の精神的安定を図り、
不満や疑問をぶっければよいのである。
簡単に分かったような顔はしなくて良いのである。
生きる悩みと生きて行く悩みは別である。
社会に出るまでは生きる悩みと格闘すれば良い。
しかし、社会に出た後には生きて行く悩みと、仲良く付き合わなければならない。
ライ麦畑での人助けよりも愛する妻や家族を守らなければならないのである。
「ライ麦畑でつかまえて」とは、
高校を退学になり実家のNYに帰るまでの3日間の物語である。
1945年当時のアメリカの社会、
欺瞞に満ちた大人達を非難し、制度社会を揶揄する主人公に、共感する若者が多かった。
しかし攻撃的な言動、アルコールやタバコの乱用、セックスに対する多数の言及、売春等の描写のため、
まだピューリタン的道徳感の根強い発表当時はアメリカの一部で発禁処分を受けている。
1月 20th,2013
恩学 |
ライ麦畑でつかまえて はコメントを受け付けていません
喧嘩の出来ない男達が増えた。
仕返しや反逆を恐れて為すすべも無い無抵抗な男達が増えた。
己の人生美学のために死ねない男達が増えたのである。
恋愛においても本気で恋愛をする気の無い男達が増えた。
相手が傷つく事を心配するのでは無く、
自分が傷つきたくないから手も握らないうちに
恋愛を放棄してしまうのである。
何と軟弱な事であるか。
明治の小説家坂口安吾は当時の軍部の圧力にも屈せずに吼えまくった。
勿論、敗戦後の日本ではあったが、それまでの常識を覆すわけだから、
国家権力や政治団体からの非難や圧力は計り知れないものがあっただろう。
触れてはならない天皇制や武士道の世界までに入り込み、見事なまでの覚悟で
文章の刀を振り下ろしたのである。
俗に言う世の中の文句言いの嫌われっ子である。
坂口安吾はお座なりに繰り広げられる人間関係をとことん嫌ったのである。
全ては行きつくところまで行って、
欺瞞や汚辱にまみれ敗北を味わってこそ真実に触れるのだと持論を述べ。
愛については愛する事は憎しみを超えなければ本当の愛は生まれないと断言し。
美についても未完の美は美ではないと突き放す。
敗戦間も無い日本の中で「堕ち切ること」が重要である、
と衝撃の発言をした時代の寵児である。
又、倉田百三は「愛と認識との出発」の中で、
私は恋のためには死んでも構わない。
私は初めから死を覚悟して恋したのだ。
私はこれからの書き方を変えなければならぬような気がする。
何故ならば私が女性に対して用意していた芸術と哲学との理論は、
一度私が恋してから何だか役に立たなくなったように思われるからである。
私は実に哲学も芸術も放擲して恋愛に盲進する。
私に恋愛を暗示したものは私の哲学と芸術であったに相違ない。
しかしながら私の恋愛はその哲学と芸術に支えられて
初めて価値と権威とを保ち得るのではない。
今の私にとって恋愛は独立自全にして、それ自ら直ちに価値の本体である。
倉田は自ら宗教時代、教養時代の到来を創り出し、
若者達に哲学的見地から恋愛を解説した名著「愛と認識の出発」を生み出したのである。
一休さんの愛称でお馴染の一休禅師は、
78歳の時に45歳年下の盲目の女性森女に恋をし、
生々しい描写で二人の愛欲の世界を綴った「空」という書物を出した。
また禅師の自伝といわれる「狂雲集」は我々の理解を遥かに超える難解な書物である。
生き仏と慕われた高僧の辞世の句が「死にとうない」も有名な話である。
81歳の時に大徳寺の住職に任命されたのだが、森女と暮らしたい為に
寺の近くのちいさな庵に住んでいた。
享年88歳の天寿で大往生であった。
名誉よりも体裁よりも煩悩のままで生きとおしたのである。
喧嘩のできない男達と、死ぬ気の恋愛を経験できない男達、
自分を守りたいから他人と距離をおく。
無責任な見せかけの優しさが、本気の情熱を消し去るのである。
国を憂い戦う気持ちがあるのか、好きな女性の為に堕落する事が出来るのか、
死を覚悟してまで真理に基づいて生きる事が出来るのか、
「To be or not to be」である。
太宰治のように人間失格と言われようが恋に盲進出来るか、
純粋に愛を守りきる事ができるかである。
愛は一瞬に燃え尽きる心に対する贖罪である。
一休禅師のように地位も名誉も財産も全てを投げ打ってでも、
愛する人の為に死ぬ事が出来るかである。
強い意識を持った男達が愛する人を守り、社会を守り、国を守るのである。
それぞれが独自の美学を持って恩返しをしなければならない時代である。
それが今の日本に必要である。
見せかけの綺麗事を言うよりは、堕落の本音で語っても良いのではなかろうか。
1月 20th,2013
恩学 |
落葉 はコメントを受け付けていません
庭に椿の花が咲きました。
椿は照葉樹林の代表的な樹木です。
冬のさなかに咲く早咲きの椿は「寒椿」遅咲きの椿は「花椿」として希語としても使われます。
椿の花は花弁が個々に散るのでは無く、多くは花弁が基部につながって丸ごと落ちます。
その様は首が落ちる様子を連想させるために、お見舞いの花として持って行く事は
タブーとされています。
地上に落ちた椿は「落椿」と表現され春の季語としても使われます。
競争馬の世界では椿の落ちる様が落馬を連想させるとして、又、
江戸末期には武士達も首が落ちる連想として嫌ったそうです。
深緑色の葉の中に真っ赤な椿の花は
凛として美しいものです。
そして朽ち果てるまで咲き続け、その後一瞬にして
散る様は日本人の大好きな桜の花とは趣を異にします。
桜は恥じらう乙女の花です。
椿は成熟した女性の花です。
恥じらう乙女の花の下ではわいわい騒ぎながら酒宴を繰り広げます。
成熟した女性の花の前では酒は飲まずに黙して語ります。
明け方の縁側から見る庭先の椿と
目が合えばハッとする美しさに息を飲みます。
桜はナルシスとの男達の象徴でした。
美しさに憧れそして未練を惜しむ男達の潔い花です。
薄桃色の花弁を杯に入れて一期一会の人生を語るのも趣が感じられ素敵です。
椿は寡黙な男達の象徴です。一途に真っ向勝負です。
花を咲かすだけではなく、実(み)は食用油や薬としても役立つのです。
また椿の炭や灰はとても珍重されるのです。
「寒椿」も素敵ですが、どちらかというと私は「寒梅」が好きです。
私の書斎に中国西安で購入した寒梅の墨絵があります。
京畳一畳分程の大きさです。中央に古木の梅の木が描かれています。
梅の花は葉っぱが無くて木から直接花を咲かすのです。
月下の中で雪が舞い見事に咲いた冬の梅の絵です。
中国の人は寒梅の絵が大好きです。
貧しい農村生活の中で生きる力と希望を与えてくれるからです。
風雪をしのいで、どの花よりも一番先に咲いた梅を「寒梅」と称し、
苦節試練に耐えながらも、争わず、無理をせず、
終始ゆとりを持つ自然体で生き抜いている姿に親しみを覚えたのです。
中国の漢詩の中にも「寒梅」は多く使われています。
又、日本人では明治の宗教家であり同志社大学の創立者として有名な
新島襄が「寒梅」の漢詩を発表しています。
庭上一寒梅
笑侵風雪開
不爭又不力
自占百花魁
(訳)
庭先の一本の梅の木、寒梅とでも呼ぼうか
風に耐え、雪を忍び 笑っているかの様に、平然と咲いている。
別に、争って、無理に一番咲きを競って 努力したのでもなく、
自然にあらゆる花のさきがけとなったのである。
まことに謙虚な姿で、人間もこうありたいものだ。
現在放映中の、NHK大河ドラマ「八重の桜」は、
新島襄の奥方山本八重の話である。
梅と桜の運命的な出会いが、この物語を生んだのである。
黒沢明監督映画「椿三十郎」三船敏郎主演
次席城代家老の悪だくみに立ち向かう若侍たちに
手助けをする素浪人椿三十郎。
悪の手先であるお目付け役の侍達をばったばったと斬り捨てる。
その見事の殺陣さばきと噴き出す血しぶきに観客は驚いたのである。
黒沢監督の噴き出す血しぶきのアイデアは
その後の時代劇では欠かす事が出来なくなった。
助けた城代家老の奥方から名前を聞かれた素浪人が
咄嗟に思い付いたのが「椿三十郎」であった。
その目の前の垣根には真っ赤な椿が咲き乱れていたのである。
今夜は越後の銘酒
「越乃雪椿」か「越乃寒梅」で顔を赤らめよう。
1月 19th,2013
恩学 |
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虹の彼方にと云う曲がある。
ジュディ・ガーランドの歌でサウンドトラック用の録音もされ、
彼女がこの曲を歌うシーンの撮影もなされたが、
映画の編集段階になって撮影所幹部たちから、
14歳の少女が歌うには大人びた歌で相応しくないと物言いがつき、
「虹の彼方に」の歌唱シーンはカットされかけた。
だが映画のプロデューサーであったアーサー・フリードは
この曲が気に入ってカットに猛反対し、
葬られかけたこの曲は土壇場で踏み止まることができた。
結果「虹の彼方に」はアカデミー歌曲賞を受賞して大ヒットし、
歌ったジュディ・ガーランドにとっても自らのトレードマーク、テーマソングとも言うべき
ナンバーとなって、以後の彼女の生涯を通じての持ち歌となった。
ジュディが1961年のカーネギー・ホールでの
ソロ・コンサートで歌ったライブ・バージョンは、ことに名唱とされている。
虹の向こう側のどこか高い空の上に
いつか子守歌で聞いた国がある。
虹の向こう側の空は真っ青で
そこでは、どんな夢もかなえられる。
虹の向こう側のそこには青い鳥が飛んでいるの。
鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら
私にだって飛べるはず。
幸せの小さな青い鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら、
私にだってできないはずはない!
映画「アポロ13号」の中で挿入歌として流れていた記憶がある。
記憶を確かめる為に映画情報等をくまなく調べたのだが分からなかった。
このようなシーンだったと思う。
やがて大気圏再突入となるが、再突入時には通常、通信が約3分間途絶してしまう。
ケンは何度もアポロ13号を呼び出すが、3分間経っても返答はない。
しかし約4分後、 交信が入る。
限られた資源と時間を使って奮闘した乗務員と管制センターの連携により、
彼らは無事に地球に戻ることができ、管制室は歓喜に沸いてハッピーエンドとなる。
ラストロールでこの曲が流れた時には
改めて良い曲だなと身震いした実感がある。
高校生の時に初めてバンドを組んだ。
ピーターポールアンドマリーのコピーバンドである。
その中の選曲で「Gone the Rainbow」という曲があった。
Oh my baby oh my LOVE
Gone the Rainbow gone the dove
Your father was my only LOVE
Johnny gone for a soldier
そして大学では学園紛争の真最中であったので、ボブディランのコピーをして一人で歌った。
「時代は変わる」「戦争の親玉」「風に吹かれて」を校庭で歌い続けた。
自分にとっては反戦歌を歌うのが当時のファッションであった。
しかし、学生運動家から度々仲間に誘い込まれるのが嫌で
ボブディランをやめた。
その後は宇宙と大自然をテーマにするアーティスト、ドノバンに魅かれてコピーをした。
学生時代に英国行きを決めたのはドノバンが居たからである。
いつも歌を歌っている時には目の前に虹が見えた。
鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら
私にだって飛べるはず。
貧乏学生にとっては、歌う事が虹だったのかもしれない。
一瞬の通り雨の後七色の虹を見かける事がある。
そしてその大きな虹の上にもう一つの虹を見る事が有る。
ハワイではそれをダブルレインボーと言って特に喜ばれる。
それは大きな願を叶える力があると信じられているからである。
そしてその後に層積雲の隙間から幾筋もの光が差し込み、
まるで天と地を結ぶ階段のように見える現象が「天使の梯子」である。
虹は神様が世界中の人に平等に与えた光の贈り物である。
戦争をしている人達にも、
貧困にあえぐ人達にも、
人種問題を抱えている人達にも、
自然災害や原発で被害を受けている人達にも
平等に与えられるものである。
どんなに大きな問題を抱えていても、虹が空に掛った時には
平和への願をしてみて下さい。きっと叶う筈です。
1月 19th,2013
恩学 |
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「志有るの士は利刃の如し。百邪辟易す。
志し無きの人は鈍刀の如し。童蒙も侮翫す。
(佐藤一斎「言志四録」より)
志のある人は、鋭利な刃のようなもので、
いろいろの魔物がすべてしりごみして近付けない。
なにもしようとする意志の無い人は、
なまくら刀のようなもので、子供までがばかにする。
逆境でひるむこともなく、恐れる事も無く、
立ち向かう精神力こそ、高い志に繋がる。
先人の教えを学びながら時世に即した
行動を興さなければならない。
智識を触媒として智慧を身に付ける為には、
「狂う」程の情熱が無ければ成就することはない。
幕末の時代に多くの志士が師と仰いだ吉田松陰は、
「死して後已む」(できるまではやめない)
という言葉を残し自らを手本とした。
また「かくすれば、かくなることと知りながら、
やむにやまれぬ大和魂」と辞世の句も読んだ。
自分の考えを行動に起こせば必ず死罪は免れないと知りつつも、
この国の行く末をおもえばやむにやまれぬ思いを止める事は出来なかったのだ。
志士が恥じるのは、学問をして行動を起こさない事である。
そしてそれ以上に恥じるのは、失敗を恐れて何もしない事である。
現在のこの国を憂い21世紀の新たなる開国に望まなければならない。
平成の志士達の志を持った人材育成が急務なのである。
旧態依然と変わらない国政を根底から変えなければならないのである。
名称「日本維新の会」本気で死ぬ気は無いのに
ムードだけで旗揚げをした軽き者たちよ。
国政の為では無く選挙の為のパフォーマンス等以っての外である。
政治を職業として安穏とした生き方の中から、
この国の未来を推し量る事が出来るのだろうか。
選挙に出馬するだけで満足しているような
烏合の衆を街頭に立たせて何になるのだろうか。
挙句の果ては賄賂を渡して公職選挙法に違反まで犯している。
誰が責任を取るのであろうか、
H氏もI氏も「西南の役」の西郷隆盛に成る気があるのだろうか。
ここに勝海舟の言葉が有る。
「維新の頃には、妻子までもおれには不平だったよ。
広い天下におれに賛成するものは一人もなかったけれども、
おれは常に世の中には道といふものがあると思って、楽しんで居た。
また一事を断行して居る中途で、おれが死んだら、
たれかおれに代わるものがあるかといふことも、ずいぶん心配であったけれど、
そんな事はいっさい構わず、おれはただ行ふべきのことを行はうと大決心をして、
自分で自分を殺すやうな事さへなければ、それでよいと確信して居たのさ。」
誰かに認めてもらうなんてこれっぽっちも無かった。
一人でもやり通す意気込みが魂を奮い立たせる要因になったのである。
哲学者森信三の言葉に、
「九十九人が、川の向こう岸で騒いでいようとも、
自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、
わき目もふらず川上に向かって歩き通す底の
覚悟がなくてはなるまい」
先ずは個人の志が大切で
その後に志同じくする同士が大切である。
最初から徒党を組んで改革に臨もうとするような
軟弱な考えでは、人の心は動かないのである。
幕末の改革が成功した裏には、志を同じくする個人が
全国各地から結集したからである。
国の為にならいつでも命投げ出す覚悟で国内外を東奔西走したのである。
読めない専門書を読み、知らない異国に飛び出し、
軍事技術や法律・文化まで手書きで書きうつし持ち帰って来たのである。
素人は本来の目的を熟考せずに血気に走るだけで重みが無い。
玄人は「鎡基ありといえども時を待つに如かず」(孟子)、
経験や知識は必要な時にしか役立たないからタイミングを見計らっている。
しかし大切なのは心意気である。
「おれがやらなけりゃ、だれがやる」である。
山本常朝「葉隠」の中にも
「人は立ちあがる所がなければ物にならず。
人より頭をふまれ、くさくさとして一生を果たすは口惜しき事なり。
誠に夢の間成に、はっきりとして死度事ぞかし。」
人間は決然と事を処するところがなくてはものにならない。
人から頭を踏まれ、ぐずぐずと一生を終えるのは口惜しいことである。
人間の一生などはほんの夢の間のようにはかないものだから、
生も死もはっきりとさせたいものであると書かれている。
京セラの稲盛会長も
「表面上に起こるさまざまな問題や、波乱万丈な減少に惑わされず、
その奥に何が有るかをしっかりと見極められる人材が必要だ」
「感情や損得などで物事を表面的に判断しては駄目だ。
政治家であれば、日本のあるべき姿を洞察できる資質を持ち、具体的な行動指針で
問題点を解決する不撓不屈の精神が必要だ」と述べている。
先人達の言霊(ことだま)に魂を震わせる時期である。
1月 19th,2013
恩学 |
言霊 はコメントを受け付けていません