放下

 

誰にも心の中に悲しみのわだかまりが存在する。
それに囚われて不自由な人生を過ごすことになる。


忘れることのできない怒りや憎しみや劣等感などである。
無教養な親からの言葉による虐待、意味も無い友達からのいじめ、近所の冷たい視線、
無神経な大人達からの嘲笑で心に裂傷を受ける。


その傷はいつか無くなるものだと期待していてが消えさることは無い。
大人になり社会に出ても結婚して子供が出来てもイジイジと蠢くのである。


しかしその忌まわしい記憶を無理に溶かす必要があるのだろうか。
それは自分の黒い影のように逃れようのない一生の追跡者である。

何故それらを捨て去る努力等する必要があるのだろうか。

しっかりと抱きかかえて共に生き抜いても良いのではないだろうか。


何度も踏まれて強くなる麦のように痛みを味に変える事も可能ではないだろうか。
悲しみの鎖を引きずりながら前向きな人生を過ごす事も出来るはずである。


人はおだやかな波間に漂う木の葉ではない、人は嵐の中を漂う木の葉なのである。
全てに聞き耳を立てることは無い、見なくても良いものには目を塞いでも良いのである。


仏教で言う仏様の眼は「半眼」なのである。
それは内と外を両方見る目をお持ちだと言うことです。


カット見開くと外しか見えず、薄く見開いて「内を観る眼」内観が大切なのである。
さすればどんな時にも受け流す慈しみの眼が持てるからです。

もうひとつは「何があってもあなたが帰る所はここ」
という居場所を作って上げる事です。
鸞聖人はその居場所のことを「浄土」とおっしゃっていました。
死後の世界に限らず、「自分が自分でいられる場所」、「心から安心して帰れる場所」です。


あなたには心の中の居場所があるはずです。
それらは悲しい記憶が作った場所なのかもしれません。
溶かす事も無く逃げる事も無く戻る場所なのです。


だから全てを解き放す必要はないのです。