「尭の心の素直なるをもって心とするが故に、皆、素直なり」平家物語巻第六二紅葉
中国の伝説上の人物で五帝の一人「堯」。
天下を治めて五十年が経って堯は「果たして人民は安んじているのだろうか」と考えた。
側近の誰に聞いても分からなかったのでお忍びで町に出かけた。
子供が童謡を歌っていた。
天子様、何か知らないけれども、自然と導かれて生きているのです。
さらに歩いていると老人が何かもぐもぐ食べながら歌っていた。
皇帝だの政府だのなんかよくわからんが、わしには何の関係もない。
みんな素直に平和に暮らしている事が分かった。
経営者の方達よりスターに成る資質は何が一番大切ですかと質問された。
先ずは「素直です」と答えた。
子供の頃に習い事で音楽を学んだ人は楽しむ事だけで音楽を表現します。
すこし才能がある人は自我で音楽を主張してしまいます。
中途半端に音楽を勉強した人は理屈で音楽を考えてしまいます。
何も偏らず理屈も自我も無く素直な人が成功するのです。
素直な人は正しい音を正しく聞く事が出来る人です。
高度な技術で感動を作るには長い時間を要します。
我々が作るポピュラーミュージックはある意味時代の旬の音楽です。
熟成よりも鮮度が大切なのです。
言葉とメロディーを素直に表現できる人がスターに成るのです。
次はスタッフを大事にする人もスターに成る可能性があります。
ついついステージの中央に立つと自分が偉くなったような気に成ります。
気付かないうちに傲慢になり横柄さも出て来るのです。
自信の無い人が媚を売る為の偽善的な付き合いでは無く、
他人の苦しみを理解して心から励ましの言葉が掛けられる人です。
美しい花が育つには水をやる人も手入れをしてくれる人も必要です。
名前を残すアイドルはこの事を知っているのです。
音程を外しても人の心を外さない人がスターに成るのです。
そして目標と目的をしっかりと理解している人です。
目標とするアーティストがどの様にしてスターに成ったのかを知り、
それに近づく為に努力を惜しまない人です。
そして目的を明確に知りその目的を高い位置で持っている人です。
世界最高の山を目指す人は、途中で挫折しても中腹ぐらいまでは登れるのです。
その高さは中腹といえども通常の山より高い筈です。
高い志を持つことの重要性はここにあります。
目標に辿り着く事は才能があれば出来ます。
しかし音楽の目的が私利私欲のためであれば絶対に辿り着く事はありません。
音楽の目的が人間の感性(喜びや怒りや悲しみ楽しみ)を豊かにし、
善悪を弁えた理性を蜂起させ親切や思いやりを高揚させる為であれば、
音楽家として尊敬もされ長くスターとしている事が出来るのです。
常に立ち位置を理解して、目標と目的を明確に持ち、慈しみの素直な心を持つ。
音楽は聞かせるのではなく、聞く人がどのように聞いてくれるかが重要です。
発信者よりも受信者の心を捉える事が大切なのです。
素直な心は相手の気持ちが入り易い状態でもあるのです。
9月 16th,2013
恩学 |
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日本語には曖昧な表現が多い。
過酷な自然環境の中で生きて来た日本人にとって表現は常に曖昧になる。
雨を恵みと感じる人も、雨が災害のもとと感じる人もいる。
同様に晴天を喜ぶ人も、日照りの元凶と恨む人もいる。
露骨に喜びや悲しみを表現するのではなく曖昧な言葉で挨拶を交わす。
曖昧という字は日が雲に包まれて暗いさま、はっきりけじめがつかないさまを言う。
白黒つけるとどちらかが傷つくので灰色の答えを出す。
曖昧はおもいやりの表現として使われる事が多い。
日本人同士だと「言わなくてもわかりますよね」が通じてしまう。
日本人の好きな言葉「空気を読め」で静まり返る。
茶道でも華道でも想像の世界で天地人・侘び寂びを表現する。
言葉や文字よりも直接的では無いので受け取り方は千差万別である。
しかしその曖昧さで日本独特の文化芸術を創作して来たのも事実である。
創作者は作品を提供し客は作品を評価する。
客は作品の内面まで入り込んで初めて粋人と評価を受ける。
日本人には「あわせ・きそい・そろい・かさね」という発想方法がある。
平安期に流行した、歌合わせや貝合わせや前栽合わせの「あわせ」である。
合わせながら競い合うのである。競い合うから勝ち負けが出る。「きそい」である。
だからと言って勝ちが残って負けが消えていくということではない。
その負けを含めて最後に「そろい」が用意されて出揃っていく。
ここでも曖昧な感覚が重要視されるのである。
これ等に合わせてもう一つ「かさね」が加わることもある。
「かさね」は十二単などでの「色目かさね」といって重ね着をさせることである。
しかし単なる重ね着ではなくて、重ねた縁の色が短冊のように
ずらりと見えるところを演出しているのです。
そして「かさね」の手法はいろいろなところで工夫されています。
その代表格が正月の料理を入れる重箱です。
その中に入るおせち料理がそうですが「あわせ・きそい・そろい」の趣向が凝らされているのです。
まとめると「あわせ・きそい・そろい・かさね」となります。
これ等は江戸箪笥や菱餅などにも応用されているのです。
松岡正剛「フライジャイルな闘い」より抜粋
人々の挨拶にも曖昧さは擬音語で登場します。
「元気!」「ぼちぼち」「大丈夫!」「まあまあ」「天気もつかな!」「そろそろ」
京言葉には「どす」「やす」「はる」というのがあります。
京言葉が曖昧な言葉とされるのは、武士の言葉も、花町の言葉も
各地から集まる商人の言葉も、地元の言葉も取り入れた中で、はっきりと表現するよりは
曖昧な感じで摩擦を起こさない様にする為に生まれたのかもしれません。
辞退するときの「おおきに」「考えときまっき」も勧めて来た相手の気持ちを敬って曖昧にするのである。
個人的には京言葉のイントネーションが好きです。
曖昧な中に人の気持ちをはぐらかせるような抑揚感が気分をまったりとさせてくれます。
京言葉は江戸の郭の言葉に似ているかもしれません。
郭の言葉は出身地を隠す為に郭の中だけに通用する女言葉なのです。
「ありんす」「ざんす」「ござんしょ」等は店ごとに使われていた言葉なのです。
現代のギャル語や萌え語に相当するのかもしれません。
ここにも「あわせ・きそい・そろい」の精神が活かされている気がします。
最後に私の大好きな言葉があります。
万葉集137段「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは、
雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情け深し」
花は満開よりも月は満月よりも、雨の中の見えない月や部屋の奥より春が過ぎるのを
感じる方が情緒深くて良いでしょう。
この曖昧さが分かるのは日本人だけだと思います。
この曖昧さに万歳です。
9月 8th,2013
恩学 |
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出来ない人は出来ない理由を探している。
出来る人は出来る理由を作りだす。
諦めが無理を生みだし挑戦が無理を取り除く。
現在の時点から未来を作ろうとするのか、
未来の時点から現在を作ろうとするのかが重要である。
目線をスタートラインに置く人と、目線をゴールに置く人の違いがある。
ITの時代に必要なのは情報収集能力では無く情報編集能力である。
誰でも手に入る情報を収集しても意味が無い、
集めた情報を選別して新しい情報を生みださなければならない。
それが編集能力である。
シリコンバレーでは変わっているのが普通で、真面目で学力優秀では勤まらない。
小さな褒め言葉から大きな夢を作る事が出来きる。
感受性の強い人だけが生き残る。
企業価値とは客と企業が共有するものである。
客が求めている条件を満たさなければならない。
品質であり価格であり便利であり使い易さである。
その上にカッコよさが無ければならない。
夢が共有できない商品は人を動かさない。
ITのシステム化によりそれまでの部署の専門家が不必要になる。
時代が進めば職人も職が奪われるのは仕方が無い。
仕事が無くなった部分だけを捉えると最新型の雇用が必要になる。
古きと新しきを組み合わせたハイブリッドの職種を考えるときである。
弱者救済は未成熟なリーダーや経営者が持ってはならない。
政治家も弱者にばかりに目をやると社会が力を失う。
平和ばかりに目を奪われると国力が弱くなりいざという時に戦えない。
本当に力をもち体力を鍛えないと弱者は守れない。
起承転結1000本ノック。ストリーの作り方である。
行きあたりばったりでは仕事の成功には繋がらない。
何をするか、何の為にするのか、どうするのか、誰が喜ぶのか、
を物語にしなければならない。
異脳・異才・異質・異端。当たり前の人間に正解は無い。
正しい答えを壊す事が重要である。
他人と変わっているから良いのである。
アイディアはあらゆることをしろ、
素晴しいアイディアはどこからやって来るかわからないのだから。
アイディアは人に寄り添っていては駄目だ。
独自の発想を持て、それはあらゆる失敗をすることである。
つまずきは成長の一歩である。
「川沿いに住もうと思うならワニと仲良くなれ」
冒険者の一番の仲間はリスクです。
リスクを友達に出来ないのなら冒険はするべきではない。
コーラは風邪のシロップをソーダーで割り美味しかったので店頭で販売をした。
リーバイスは売れ残った帆布を金鉱掘りのズボンとして売った
ポストイットもスコッチガードも靴のこぼれた溶液の失敗から誕生した。
マジックテープはズボンにオナモミがくっ付いているところから発見した。
学者の研究は蓄積の中から生まれて来る。
商売人の発想はトラブルの中から生まれて来る。
クリエイティブの企画は遊びの中から生まれて来る。
9月 8th,2013
恩学 |
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そのままでいいんだよ
かっこつけなくていいんだよ
好きなものは好き
嫌いなものは嫌いでいいんだよ
自分のままでいいんだよ
常識は他人がきめたこと
間違いも他人がきめたこと
頑張れも他人がきめたこと
我々の意思はどこにもないんだよ
我々の選んだものは何一つないんだよ
人生のゴールなんて一つだけじゃない
みんなそのままでいいんだよ
自分にあったゴールを見つければいいんだよ
まわりを気にすることなんてないんだよ
自分だけのゴールに到達ばいいんだよ
嫌われてもいいじゃないか
友達が少なくてもいいじゃないか
笑われてもいいじゃないか
不幸だと思われてもいいじゃないか
誰にも迷惑をかけずに
自分の道を歩けばいいのさ
気にすることなど何もないのさ
そのままでいいんだよ
きっと分かってくれる人がいる
きっと心がふれあう人がいる
きっと愛してくれる人がいる
きっと寄り添ってくれる人がいる
たとえ今がつらくても
たとえ今が寂しくても
たとえ今がかなしくても
たとえ今が絶望的でも
そのままでいいんだよ
かっこつけなくていいんだよ
あなたはあなたでいいんだよ
誰にも合わせなくていいんだよ
自分のままでいいんだよ
9月 8th,2013
恩学 |
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人は最初に否定的な言葉を使うと最後まで否定的な態度になる。
「そんなことあるわけないよね。この情報可笑しいんじゃない。あの人嘘ついているよね。
この商品だって何処で作られたか分からない。この食材に食品添加物が一杯入っている。」
このような種類の言葉は、言っている方も聞いている方も疲れてしまいます。
否定的な言葉は、肉体も精神も瞬時にエネルギーをパワーダウンさせるからです。
否定的な言葉で作られたマイナスのイメージは伝染するのです。
人は最初に肯定的な言葉を使うと最後まで肯定的な態度になる。
「え!そうなんだ。知らなかった勉強になったわ。そういう考えもあるのね。
便利だからこの商品買っちゃった。みんなでワイワイ騒いで食べたから美味しかったよ。」
このような言葉は、言っている方も聞いている方も笑顔に成り楽しくなるのです。
肯定的な言葉は、肉体も精神も瞬時にエネルギーをパワーアップさせるからです。
肯定的な言葉で作られたプラスのイメージは伝達するのです。
否定的な態度を取る人は、自己顕示欲が強く、根拠なき反対意見を言って注目を集めようとする人です。
どんな話に対しても疑って掛り強い口調で反論してくるのです。
周りに賛同者を求めようとして強制的に同意を求めて来るタイプです。
肯定的な態度の人は、いかなる話題にも協調性があり、その場の雰囲気を大切にする人です。
どのような場合でも、個人的な主張よりも他人の気持ちを尊重して、明るい方向に話を向けるのです。
自分が中心になり場の流れを作り楽しい気分にさせてくれるタイプです。
言葉の持つエネルギーは人の心の温度を変える力があります。
たった一言でも和やかな雰囲気を一瞬に壊す事が出来るのです。
その反面重く暗い雰囲気を一瞬に明るくする事も出来るのです。
正に道元禅師の「愛語よく回天の力あり」です。
良き言葉が人生を変えることを忘れないで欲しいのです。
子供を叱る時にも「騒じゃいけない」「泣くのはだめ」「我慢しなさい」と
強制的な言葉を使う母親が多いと思います。
しかし、未だ完全に脳が発達していない子供達に自分の感情を抑圧することを
要求するのはとても難しいことです。
理性をコントロールする「前頭前野」が十分に発育していないからです。
それでも毎日それを強要されていれば、やがてその子の脳は、
自分でコントロールする術を身に付けていきます。
しかしそれは、その不快な状況から逃れる為に自己防衛本能が働いて、
自分に無理をして演じていることが多いのだそうです。
言葉の意味よりも叱る顔から逃れる為に動作を停止するだけで、悪い行為だと記憶に残さないのです。
子供を叱る時にはその場で具体的に言うことです。
電車の中で騒いでいる時には、「静かに本を読んでいる人もいるでしょう、
貴方が騒ぐと読めなくなるから、静かにしましょうね」。
そして静かになれば褒めてやるのです。
「お母さん凄くうれしい!あなたが素直にきいてくれて、お利口だから」
具体的に説明を受けるとストーリーが理解出来て覚えやすいということです。
母と子の会話だけじゃなくて同時に社会性も学んで行くのです。
躾は強制的な言葉で注意するよりも、具体的な言葉で褒めてやりながら育てることが大切です。
子供は親の行動を見て育つのです。親の真似をしてほめてほしいのです。
このような言葉があります。
「やってみせ・言って聞かせて・させてみせ・ほめてやらねば人は動かじ」山本五十六
子供の躾は親が見本を見せることが言葉より大切です。
子供には真似をさせて褒めてやり学ぶ楽しみを教えて下さい。
明るいお母さんには明るい子供が育つのです。
9月 6th,2013
恩学 |
否定的よりも肯定的 はコメントを受け付けていません
同じことをやっても成功する人としない人がいる。
成功した人には、豊富な知識と経験があったからだとか、人脈があったからだとか、
運が良かったからだと云う人がいます。そうとは一概に言えません。
私はタイミングだと思います。
その時、その場にいてすぐに行動を起こす人と、あとで考えてから行動を起こす人とでは大きくタイミングに差が出ます。
かといって闇雲にすぐに行動を起こせば良いと云うだけの話ではではありません。
動き出す時期の質(価値)とタイミングが重要だということです。
それではタイミングについて考えてみたいと思います。
タイミングの良い人は、普段からあらゆる状況を想定して事前に準備を整えている人です。
収集されたデーターを基に、どのような時にでもその場に応じて判断が出来る人です。
想像力の設計図を持ち歩き必要に応じて取りだす事が出来る人です。
タイミングの悪い人は行きあたりばったりの人生で計画性の無い人です。
想定外の状況では正しい価値の判断が出来ず見過ごしてしまう人です。
依存症が強く他人の意見に左右されやすい優柔不断な人です。
勿論、タイミングが作れない人を悪く言うつもりはありません。
自分なりのタイミングの取り方を学べば良いのです。
「ピンチはチャンス」という言葉があります。
ピンチの時こそチャンスが訪れると解釈されています。
チャンスは現れるのではなく追い詰められた時に生みだされた結果がチャンスなのです。
どのようなチャンスもタイミングを少しでも外せば成功はしないのです。
それではタイミングの見分け方と、タイミングの鍛え方を考えてみましょう。
タイミングの見分け方としては、常日頃から情報のアンテナを立てて、このような仕事がしたいなと計画を立てる事です。
そうすると常に第三者の言葉や情報に敏感になります。
自分にとって必要な情報が蓄積されれば判断能力も高まるのです。
突然、望んだ仕事が提案されても掴み取るタイミングが分かるのです。
又、別の方法としては自分のお手本に成る人を探すことを薦めます。
その人の選択方法・考え方・準備・進め方・実際の行動をウォッチングするのです。
そこでどのタイミングで判断や決断をしているかをリサーチするのです。
そこからタイミングの見分け方を学ぶこともできるのです。
見て真似ることが「学ぶ」の語源です。大いに学びましょう。
タイミングの鍛え方としては仮想ビジネスを作りだす事です。
先ずあらゆる情報から幾つかの情報を選択します。
選んだビジネスのプロジェクトに参加したつもりで推移を見守るのです。
自分の想定した判断の時期や交渉内容や計画と合わせて成功の確率を確かめるのです。
最初は上手くいかないケースの方が多いかと思います。
しかし、上手く行かなかった原因と結果を分析し今後の参考にするのです。
この蓄積されたデーターがタイミングを鍛えることになるのです。
私は若い頃にいつも一億円~三億円の企画書を数本持っていました。
チャンスが巡って来た時にタイミングを逃さない為にです。
チャンスは瞬間にやって来ます。あっと言う間に通り過ぎて行きます。
その為にも仮想ビジネスを作りだしタイミングを鍛えなければならないのです。
タイミングで一番危険なのは、市場の分析や将来性の検討もせずに、他人の意見やニュースを鵜呑みにする事です。
また専門家と言われている証券会社や経済評論家の分析を正しいと信じる事です。
自分の判断を狂わせる情報は絶対に取り入れない事です。
タイミングを遅らせる一番の原因は「迷い」です。
チャンスは座っていて手に入るものではありません。
飛びまわって走り回って捕まえなければ逃げて行ってしまうのです。
タイミングを見分けるのも、タイミングを鍛えるのも、あくなき探究心と好奇心と情熱がなければ無理なのです。
チャンスの神様は足り回っています。逃さない様にして下さい。
9月 3rd,2013
恩学 |
タイミング はコメントを受け付けていません
目の前の事象に対して何を見て、何を感じたか、そして何を想像したか、
すぐに書きとめて、独自のアーカイブにデーターアップしなければなりません。
そしてそれらのデーターをまとめてプランニングの作業に入ります。
それから即アクションする事をビジネスプロデューサーには求めます。
常に人の感性には旬があることを覚えておいて下さい。
脳が反応した事柄を、その時点で記憶に残さなければ、感覚が薄れてしまうのです。
同じように思考にも旬があるのです。
これぞと思った企画アイディアも時間が経てば経つほど別の情報が邪魔をして、
どうでもいいやという案件に成ってしまう事が多いからです。
一瞬のタイミングを逃すと凡庸な企画書しか書く事はできません。
その為に「感・即・動」思い付いたら即動くことを薦めます。
一瞬のひらめきが大きなビジネスを生む切掛けになることが多いからです。
それを見過ごさない様にして欲しいものです。
同じように人の出会いも「感・即・動」が大切です。
セミナーや講演会や各種勉強会で多くの人の出会いがあります。
感覚的に興味を持った人には、連絡先を交換し即コンタクトを取るべきです。
しかし初対面の場で熱く語ることは、先方に失礼にあたり印象を悪くします。
それよりも、一瞬間(ま)をおいて自分の印象が無くなる前に再会を果たすのです。
ここで注意しなければならない事は、相手の都合も分からない内に自分の売り込みをしない事です。
相手の話を聞きながら興味のポイントに針を引っ掛けるのです。
その針に相手が反応したら一気に引き上げるのです。
信頼関係が築けるまではそれを何回も繰り返す必要があります。
互いの興味の度合いが一致して高まった時点で本題に入るのがベストです。
他人は全て真剣な人と情熱を持った人には好印象を持つものです。
十年前に中国の友人から一本のビデオを見せられました。
そこには女性演奏家集団のコンサートの模様が写っていたのです。
私に感じたものがあり即会いたいとリクエストを入れました。
そして数日後には北京に行き事務所の代表と女子十二楽坊のメンバーと対面したのです。
そして私は彼らとの専属契約を取り付けて日本のレコード会社と交渉に入りました。
もし私が「感・即・動」で動かなければ、
彼らとの契約は直接レコード会社と交わされていたと思います。
そうなればこのビジネスに参加も出来なくなるのです。
ビジネスは先手必勝で取り組まなければ勝者には成りません。
そしてあれもこれもと気移りをせずに集中的にポイントを絞るのです。
感じたことをすぐに企画書にまとめて提案するのです。
相手の不足部分を見つけてそこを補う内容で書き上げなければなりません。
その為に日ごろから何を見て、何を感じ、何を想像したかの記録を、
独自のアーカイブにデーターアップしておかなければなりません。
一流と言われている人達はデーター収集の達人です。
それ以上に「感・即・動」の実践者達なのです。
9月 3rd,2013
恩学 |
感・即・動 はコメントを受け付けていません
消極的な抵抗勢力パッシブ・レジスタンス・フォースである。
それは裏・陰・否定・不安・無為・保守・受動・怠慢・自己欺瞞・堕落などが要因する。
自己変革を望む為に強い決心・進取・能動・前進・希望・自信・成功・夢などを持つと、
必ず行くな・するなと沸き起こるマイナスの感情である。
積極的にならなければ知る事も無かったマイナスの感情は、欲望や快楽を求めた途端に
恐怖や絶望・挫折として現れる。それは光が誕生して陰が生まれたことと同じである。
影は光が生んだ産物なのである。決して光のある場所から陰を取り除く事は出来ない。
思考の中に潜む光と陰、その両極とバランスよく共存する方法を知らなければ、
この抵抗勢力に屈服し続けなければならないのである。
あらゆるレジスタンスに対抗しなければ立ち直れなくなる。
マイナスの感情を作りだすレジスタンスに打ち勝つには、
プラスの感情を引き出すイメージを鍛えなければならないのである。
その為にも発想の原点インスピレーションと手を組むべきなのである。
インスピレーションとは直観力である。
歓喜・成功・喜び・達成・仲間・人々の笑顔、などを想像する発動の力である
論理的に判断するのではなく感覚的に沸き起こる思いつきである。
希望のインスピレーションは、反対勢力がいくら強い力で引っ張っても跳ね返す力を持っている。
人は困難を乗り越える知識や経験がないと消極的な抵抗勢力の不安が増大する。
マイナスのレジスタンスに取りこまれて、自分の心が逆に抵抗勢力に成ってしまうのである。
思考の中に消極的な抵抗勢力が存在する事を認めて、前向きに生きる行動の切掛けを作る必要がある。
その切掛けとなるのが万人に与えられた労働である。
人は生きて行く為に一生働かなければならない。
生活の糧を得る労働は、思考や感情とは別に人生に課せられた義務である。
子供は子供として、学生は学生として、男は男として、女は女として、
年寄りは年寄りとして、死ぬまで働き続けなければならない宿命がある。
労働は人生における原動力であり富と希望と発展への階段である。
意思とは関係なく生きる歯車を回し続けなければならない。
この歯車が止まった時が死の訪れである。
人は積み重ねる建設的作業を繰り返すのだが、
その反面全てを破壊して無の状態を作りだそうとする本能がある。
それはフロイトが言う死の望みと同じである。
労働を望んでいなくても、それを行わなければレジスタンスに取りつかれてしまう。
精神力の弱さを克服する為には肉体を酷使する以外に方法がないのである。
創造者達は常に消極的な抵抗勢力に脅かされている。
肉体を酷使することが無い想像の世界で過ごしているからである。
常に第三者の目を気にしながらも、独自の世界に定着しなければならないからである。
消極的な抵抗勢力に追い込まれながら限りなき精神的苦痛を強いられるのである。
その苦痛を乗り越えた者だけが創造者として評価される。
万人、全てにでも起こり得るレジスタンス。そのレジスタンスに勝つ方法は、
ポジティブに生きる方法を見つけ出さなければならない。
それは希望的インスピレーションと肉体的トレーニングに頼るしかない。
そしてマイナスの感情に打ち勝つ為には同じ目的を持つ仲間を作る事である。
同じ目的を持つ仲間がいることによって消極的な抵抗勢力は軽減される。
夢を語り、励まし合う言葉が、前向きに生きる牽引力となるからである。
我々は常に消極的な抵抗勢力と戦わなければならない運命を持っている。
9月 2nd,2013
恩学 |
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クリエイターは見えない物を見るところから仕事を始める。特に難しい事は何も無い。
科学者や発明家と違って専門的な知識は一切必要とされない。想像力が少しあれば良い。
勿論、科学者や発明家も想像力の中から未知の世界へと飛び込んで行くわけだから、
クリエイターと同じと言えば同じである。
クリエイターは数多く成功しなければ認められない。
実績がなければただの夢想家に成ってしまう。子供の夢物語である。
クリエイターは変わり者が多い。傲慢で意固地で小心者である。
クリエイターは嫌われる。一方的で性格が悪いと思われる。
他人の評価を気にせずに自己判断で全てを押し通すからである。
私は若い時成功したから性格が悪くなったのか、
性格が悪かったから成功したのかが分からない。
しかし、周囲の悪口と反対に年々業績は上がって行った。
クリエイターは見えない空に絵を描く人種である。理解されなくて当然である。
人とは違うことに興味を持つからである。
単純な発想には同意せず不可解な提案が大好きなのである。
クリエイターは予想屋である。
時代の先を行く為には他人と同じことをしていても勝算は無い。
情報を集めて分析をして匂いを嗅ぎだし色を選別しなければならない。
クリエイターは一旦大衆に迎合すれば大衆からは無視される。
クリエイターは人が見落とす部分を掘り下げるのが仕事である。
そして一番大切な事は幸福感を作りだす事である。
クリエイターは組み合わせの名人である。
愛と憎しみを組み合わせて、
幸福と不幸を組み合わせて、
冒険と遊びを組み合わせて、
笑顔と涙を組み合わせて、
夢と憧れと希望を作りだすのである。
クリエイターは形なき物を形にして行くのが仕事である。
クリエイターは変換器である。
人生の悲劇を喜劇に変える力を持っている。
マイナスを集めてプラスに変換する能力がある。
クリエイターの成功の方程式。
科学者は世の中の偉大な発明は99%の運と1%の才能だと言っている。
アスリートは偉大なる記録は99%の努力と1%の運だとも言っている。
AKB48のプロデューサー秋元康は98%の運と1%の汗と1%の才能だと言っている。
そして三者に共通する事は、思い込みの強さと運を味方にする楽天家である。
クリエイターは挫折を恐れない。
クリエイターは後ろを振り返らずに前向きに歩いている。
クリエイターは成功者を妬まない。
大切な事は他者の才能と比べずに自分の才能と比べることである。
その為に自分の成功を手本にするよりも、自分の失敗から学ぶ事が多い。
失敗に負けない強い精神力で幾つもの壁を乗り越えて行くのである。
ここにクリエイターが好きな言葉がある。
「フランシスクリック」英国ノーベル生物学者の言葉。
「自分は今までこれが起きたら困ると思うことが数限りなくあった。しかしそのどれも実際には起きなかった」
悩みは想像の中にあって実際にはその何十分の一も起こらない。
クリエイターは夢を紡ぐ仕事である。
8月 26th,2013
恩学 |
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ステージの中央で一人の役者がリア王を演じている。
彼は一心不乱に役を演じている。
傲慢なリア王から落ちぶれたリア王まで迫真の演技で見事に役をこなす。
彼が手を上げれば照明が付き、足踏みすれば音楽が流れ、振りかえれば場面展開が始まる。
まるで本物のリア王のように振る舞う姿に客席では万雷の拍手が鳴り響いている。
憎まれ、騙され、罵られ、蔑まれて絶望の淵をさまよう演技は感動の渦を巻き起こす。
彼は公演回数と共に徹底的にリア王に成りきって行った。
そこから人生の過酷な試練に引き寄せられて不幸が始まる。
彼はステージ以外の場所でもリア王を演じてしまったのである。
傲慢な言動、横柄な態度、命令口調、凶暴性と最悪な人間性を剥き出しにしたのである。
そして人間不信となり金と力だけしか信じない非情な人間となってしまった。
その為に、仲間の役者が一人二人と辞めて行き、スタッフも十人二十人と出て行ってしまった。
もう、彼の周りには誰も彼をサポートする人間がいなくなったのである。
まるで身内から追放されて嵐の中をさ迷うリア王そのものに成ってしまった。
芝居の筋書きが現実の筋書きに書き換えられてしまったのである。
それから月日が流れ歳を取り収入も無くなり、彼は路頭にさ迷う人生を送っていた。
ある日街の小さな劇場で張り紙を目にした。
そこには年齢問わずスタッフ募集と書かれていた。彼は面接を受け採用されて裏方として働き始めた。
そして彼は働き始めてすぐに気付いた事がある。
今迄は、劇場の中心は舞台の中央だと思っていたのが、そうでは無い事である。
脇役には脇役の中心があり、照明には照明の中心があり、音響には音響の中心がある。
オーケストラはオーケストラの中心があり、裏方には裏方の中心があることを知った。
劇場があるから、舞台があるから、観客がいたから、
全て揃って一編の芝居が成立したことを初めて思い知らされたのである。
あの頃は自分が舞台の中央で最高の演技をしたから大成功したのだと勘違いしていた。
血の滲むような努力の結果主役が取れたことに有頂天に成っていたのである。
公演が成功するごとにライバルも頭を下げるようになり傲慢になってしまった。
「傲慢で無ければ一流の役者になれぬ、しかし傲慢になると人を駄目にする。」
舞台の中央の位置を守る為に、いつしか周りが見えなくなっていた。
彼は照明の落ちた劇場の、残された薄明かりの中で舞台の中央に歩み出た。
涙を流しながら膝まずいて「我はリア王なり」と叫んでみた。
見えない役者やスタッフや観客に向かって何度も頭を下げた。ごめんなさい・ありがとう。
聞こえない拍手と歓声に手を振りながら、大切なことに気付くのが遅かったことを心から詫びながら舞台を降りた。
そして次の日から二度と劇場に彼が顔を出す事は無かった。
人は努力している時には感謝の気持ちがあっても、何故か成功すると傲慢になり感謝の気持ちが失われます。
頭を下げる方から頭を下げられる方に成ると人間性が変わってしまうのです。
そこに人生最大の落とし穴があるのです。
試練は神様から成功する為に与えられるテストです。
しかし成功した後の人格テストもあることを忘れないで欲しいのです。
この二つのテストに合格してはじめて完成された人間となるのです。
自分を中心に考えている人は、一度舞台を降りて客席から自分の位置を確かめるべきです。
自分の舞台が自分だけで成り立っていないことに気付く筈です。
「人生は一冊の書物に似ている。馬鹿者たちはそれをペラペラめくっていくが、
賢い人間は念入りにそれを読む。
なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことができないことを知っているから。」
ジャン・ポール
8月 26th,2013
恩学 |
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