一本の棒きれ
林のすぐそばの脇道に一本の棒きれが落ちていた。
村の子供達がそれを見つけた。
「こんなところに汚れた棒きれが落ちている」
子供達はそれを拾いチャンバラ遊びをする。
その遊びに飽きたらまた道端にポイと捨てる。
そこに年老いた旅人が通りかかる。
「おう丁度良い棒きれがある。」
杖代わりに使えば便利だと坂道の上まで持って行く。
ありがとうと感謝をしながら道端の木に立て懸ける。
またそこに村の主婦が通りかかり拾い上げる
「燃えやすそうな棒きれじゃ。」
釜土のマキに使おうと背中の籠に放り込む。
家に帰り庭先に棒きれを広げた時に主人が現れる。
「おう彫り物をするのに手ごろな木だ」と奥に持って入る。
数日が過ぎて立派な龍の彫り物が施された棒きれが現れた。
主人は町の展覧会にその棒きれを出展した。
審査員の中の一人の長老が棒きれを見つける。
何処かで見たことのある棒きれだが「なかなかの良き作品じゃ」と褒める。
「この彫物を今回の優秀作品にしよう」満場一致で最優秀作品となった。
そしてそこに居合わせた美術商がその棒切れを高価な値段で買い取った。
村の脇道にあったただの棒きれが高価な美術品になったのである。
一般的に誰もが道端の棒きれには関心をよせない。
その時の自分の都合に合わせて便利に使うだけである。
この棒きれを学問と云う言葉にしてみたらどうだろうか。
同じ知識を得ても使い方によって結果は大きく変わる。
おおよそのことは知っていることと知らないことに大差が無い。
どの様に使うか使わないかの肝心なのである。
貴方は一本の棒きれをどのように使うのだろうか。
目の前に高く積まれたビジネス書をどのように役立てるのだろうか。
眺めているだけだとただの棒きれと同じです。
棒きれに創造力を加えて実行する事が成功に繋がるのです。